空隙の町の物語   作:越季

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20-3「生きて、君と」

 一期さん、と掠れた声が彼を呼ぶ。長谷部も動かせる視界を動かして、荒い足音の方向を見る。

 そして愕然とした。——手袋が破けて、指先が赤く染まっている。

 爪の一枚や二枚は剥がれているだろう。痛々しく血が流れる両の指は、瓦礫が積まれていたという場所に何をしたのかを明白に示していた。

 腕で口を押えて咳き込むのは、この辺りが砂埃で満ちていたからか。体力を失っているせいか、足取りが少し覚束ない。

 一期はどさっと長谷部の側に腰を下ろし、隣にいるツクシに尋ねる。

 

「資材一式を持って来た、長谷部殿を治すのを手伝ってもらえるかな」

「も、勿論」

 

 ツクシは差し出された資材の一部を受け取り、一期と共に資材を体の一部に変えるプログラムを発動させた。ツクシは頼りない手つきだったが、真剣に治療に取り組んでいた。

 一期の顔がいつもとは一変して険しく、非常に怖かったからだ。

 

「……げ、ほっ、なん、で」

 

 長谷部の腹部の傷が埋まっていく。血色はまだ悪いが、腹の傷が治っただけでも窮地は脱したと判断出来た。

 唖然と、どうしてと問いただすような視線を向けられた一期は、ふう、と震える息を吐いた。

 

「……私は、本当に怖かったのですよ」

 

 ゆっくりと長谷部の手を握って、一期は視線を落とす。一期の手は血に塗れていても、優しい温かさを宿していた。

 

「貴方が死ぬかもしれないと思うと、目の前が真っ暗になったのです。貴方と何も、何一つ語らえないままに、永遠の別れになってしまうのではないか、と。貴方としたい事だって山ほどあるのです、どうしてみすみす死なせる方を選べましょうか」

 

 優しく握る手が震えている。声も頼りなく掠れていて、彼が心から怯えていたのだと分かる。握るのも辛いだろう指先の力は、けれど緩まる事なく長谷部の手を掴んでいる。

 

「きっと、貴方の目には世界の絶望が色濃く映っているのでしょうね。私にだって心当たりがあります。だから私はこれから、本当に酷な事を貴方に希う事になる」

 

 一期の眼前に、長谷部の手が運ばれる。その姿は、まるで神に祈る聖職者のように、厳かで清らかだった。

 

「どうか、どうかまだ、暗がりに堕ちないでくれ。まだ私達と一緒に、楽しい事をしていてくれ。いずれ君が行くかもしれない、君が行きたいと思っている場所に、私はまだ行かせたくない。……この願いを、聞き届けてはくれないか」

 

 一期は、どう考えても()()に話しかけている。口調もそうだが、()()()が割り込もうとしないのが大きな証拠だ。

 目眩がする。血が足りないせいだけではないだろう。

 ——このひとは、本当に俺と……。

 懇願が、祈りが、体中に染みていく。どうしてここまで心が揺さぶられるのだろう。

 もしかしたら、と思う。自分は、家族の言葉を当たり前の物として受け取り過ぎたのではないか。

 いつも、あまりにも大切にされていたから、心のどこかでその重要度を落としていたのだ。——彼等は当然のように優しいだけで、自分の事など大層に思っていない、と。

 彼等の主が、自分の妹だった。だから自分の事も大切にしているだけで、自分にそう価値はないのだろうと。寧ろ、自分という存在が、彼等を束縛して苦しめているのではないか。それが、ずっと心に引っかかっていた。

 目の前で手を握っている一期は、家族でも何でもない。偶然が重ならなければ縁すらもなかった相手だろう。

 だからこそ、なのかもしれない。本当に他者だったからこそ、ここまで響くものがあったのかもしれない。

 目の前がぼやける。表情が歪む。こんな情けないのは嫌なのに、みっともないのは嫌なのに、止められそうになかった。

 静かに手が離される。同時に、二つの体が長谷部に抱きついた。

 

「……うっ、うわあああん! 長谷部さんが死ななくて良かったよお……っ!」

「くっそ、力になるとか言っといてお前が死にそうになってどうするんだよバーカバーカ!」

 

 ツクシは安堵をそのまま表に出し、愛染は少し捻くれている表情で涙を流す。泣き声の二重奏が響く中、こちらに近づいてくる気配が複数。

 

「長谷部さんっ!!」

「長谷部!!」

 

 大切な家族が、泣きそうな顔で部屋へと突入する。そして長谷部の姿を認めると真っ直ぐに向かってきて、ツクシと愛染の上から強く抱き締めた。

 

「良かった、本当に良かった、貴方に何かあったら俺達は……!」

「本当に肝が冷えたよ、この世を恨み尽くす所だった」

「怪我は治ってるな? 無茶しやがって、帰ったら説教だ」

「畜生、もうこんな思いは御免だ……っ!」

「厄落としを念入りに行わないといけないね、二度とこんな目に遭わせないように」

 

 大きく嗚咽を漏らす鯰尾と獅子王、険しい顔でありながら抱き締める腕の力はとても強い歌仙と薬研、そしてその上から全員を包むように優しく腕を広げている石切丸。

 目の前が更に歪む。喉の奥から込み上げてくる物は、長谷部に否が応でも口を開かせた。

 

「……わ、かった」

 

 今、自分を包んでいる温もり。もし少しでも何かが変わっていたのなら、この温もりを感じられる事もなかっただろう。

 温かく優しいそれらは、大きな安堵をもたらすと共に——長谷部の覆い隠していた本心を、暴き出した。

 

「こわ、かった、こわかった、怖かったよお……っ!」

 

 声を上げて泣き出す。自分を包む腕に縋りつき、わんわんとみっともなく涙を流す。

 怖かった。そう、長谷部は怖かったのだ。死ぬ事にではない——きっと、もう二度と会えなくなるという事が。

 心を凍らせてその時を迎えようとしていた。けれど一期が心を覆っていた氷を砕き、そして今抱き締めている腕達が、冷たく凍えていた心を温めた。

 本当に、もう一度会えたのが幸せで、それを失う寸前だったのが心から恐ろしいと言える。

 失いたくない、と思った。身の丈に合わない幸福でも、手放したくないと願った。

 長谷部は声を嗄らして、泣き声を上げ続けていた。

 

「一期」

「鶴丸殿」

 

 部屋の中に入ってきた鶴丸は、少し離れた所で泣き続ける長谷部達を見つめる一期に話しかけた。一期は振り返って、小さく笑んで見せる。

 

「あの長谷部だな?」

「はい」

「そうか。……本当に、良かったなあ」

『全く、これでようやく一段落だな。最後の最後でやらかしてくれた物だ、襲撃者も』

『本当にありがとうございました、一期。三人共無事だと分かって、ようやく体の力を抜けました』

 

 通信越しに、胸を撫で下ろしているであろう友の声がする。それに返事をしようとすると、割り込んで通信をしてくる声が複数。

 

『今回は皆無事だったから良かったけど、もうこんな事は控えてよ? あんた達まで死なれたら目覚めが悪いんだよ』

『鶴丸、アンタも急に飛び出しちゃってさあ。友達が心配なのは分かるけど、止めてたアタシの立場がなくなるから相談くらいしておくれよ』

「あー、あはは……」

「その点は本当にすみません……」

 

 目を逸らす鶴丸と一期は、もう一度抱き締め合い続けているひと達を見やる。

 長谷部はまだ涙を流している。だけどもう、そこに暗い色はどこにもない。一期は優しく微笑み、窓の外へと視線を向ける。

 空を覆い隠していた分厚い雲は千切れ始めている。そこから降り注ぐ陽射しは、穏やかにこの町を照らしていた。

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