空隙の町の物語   作:越季

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本編開始前、春光隊でのお話です


番外編「深夜、麦茶の瓶が空になる」

「うわ、少ししかない」

 蒸し暑さが少し落ち着いた、草木も眠る丑三つ時。

 春光隊本丸のキッチンで、へし切長谷部が冷蔵庫の中を覗き、そう口にした。

 ドアポケットに入っている耐熱ピッチャーには、僅か三センチくらいしか麦茶が入っていない。コップ一杯分を満たすには足りない量だ。ならば他のは、と視線を動かすも、冷蔵庫に入っていたのは三センチ分の麦茶を残している物のみ。

「他の瓶も空……そういや今日は久々の出陣だったな」

『全員見事に泥と返り血塗れ、水筒もすぐに空になったとかで麦茶が飛ぶようになくなっていた。全員麦茶を作り直す余裕もなかったんだろう』

「だから六つ分の瓶から麦茶が消えているのか……まあ足りなくなるよりはマシか?」

 一つの口から、二人分の口調が響く。まるで一人芝居をしているように見えるが、本人達は至って真面目だ。

 何せこの長谷部には、二つの魂が宿っているのだから。

「折角だし、まとめて作ってしまおう」

 そう言って長谷部はピッチャーを洗い始める。蓋と容器を分け、スポンジを手早く動かし、水気を切った。

『薬缶を火にかけたら居間に避難しろよ。熱中症で倒れかねん』

「分かっているさ。キッチンの床で寝てたら歌仙に叱られるからな」

『それは眠るのではなく昏倒だろうが……』

 片方が頭痛を堪えていると、片方はきょとんとした様子で薬缶に水を入れ始める。

 六つ分の麦茶を作るのだから、当然大量の水が必要になる。この本丸ではピッチャー半分くらいの熱湯で麦茶を抽出してから水を追加する。なので完全な熱湯で作るよりは沸騰させる水は少なくて済むが、それでも量が量だ。

 薬缶の許容量ギリギリまで水を注ぎ、コンロの上に乗せる。カチカチ、とツマミを回して着火し、長谷部はキッチンからリビングへと移動した。

 ソファーに座ってテレビの電源をつけ、ぼうっと画面を見る。流れているのは、大仰な反応をするタレントばかりの通販番組だ。

『……森の中でも、最低限の資源を心配しなくて済むのはありがたいな』

「何だいきなり」

『いや、ここに着いた時、俺は少なからず覚悟を固めていたんだぞ? 水道、火、電気。そういう面でかなり不自由することになるだろう、とな』

「あー、まあそうだよな。俺もガスとかは絶望的だと思っていたし、しばらくして普通に生活できると分かって驚いた」

『本当どうなっているんだろうな、あの機構は……』

 唸る片方に、もう片方が深く考えても無駄だろうと小さく笑う。

 森の住人達——特に「家の墓場」で暮らすもの達——は、政府に好意的でないものが大多数だ。そんな彼等が、何故政府と関わらずガスや電気、水などの資源を入手できるのか。

 それに対する長谷部の仮説は、森が時空の裂け目を生じやすいことから成り立っている。

 時空の裂け目は、あらゆる時代の現世と繋がっている。そして家が設備の状態を保ったまま森に流れ着くことから、長谷部は思い付いた。

 森に流れ着いた家は、どこかの時代の導管から資源を引っ張ってきているのかもしれない、と。

 政府からは請求書が来ていないし、電柱も導管も引かれている様子がない。なので現在時点の資源は使っていないのだろう。ならば入手先はどこかというと、恐らくはあらゆる時代の隙間から。

 導管から少しずつ資源を拝借して、森に送られている。原理は分からないが、時空が乱れやすいからできるシステムなのだと思う。

 世界の辻褄合わせなのか、あるいは神の悪戯か。何にしても、ありがたいことに変わりはない。

「月の終わりにどこからか請求書が現れるのがもう原理不明だろう。そして請求書通りに消える小判。俺は理解しようとするのを諦めたよ。現に生活できているのだから不満はないしな」

『いやしかし、これが政府の作り上げた機構だったらどうするんだ。掌の上で踊っているみたいでなんか腹が立つんだが』

「勝手に家の中から資源代を取れるシステムがあったなら、政府ももっと集金が楽になっただろうな。それができてないんだから、多分心配は無用だ」

『まあそれもそうか』

 テレビではオペレーター増員を謳い、通販の利用を促している。語呂合わせの電話番号は本当に無理矢理で、そうまでして連絡しやすくしたいのかとおかしくなる。

 また次の商品の説明が始まろうとしていた時、高い音がキッチンから響き始める。

『湯が沸いたみたいだな』

「さっさと作ってしまおう」

 立ち上がってキッチンへ戻る。長谷部は薬缶の火を止めてから麦茶パックを取り出し、容器に投入していく。容器の半分くらいまで熱湯を注ぎ、一つずつ容器を手に取り水を追加していく。

『手慣れたものだな』

「長くやってきたんだ、慣れていなければ困る。まあ最初は見苦しいくらいに手間取っていたが」

『……どれが触れていい物か分からなかったから、か?』

 酷く口惜しそうに、片方が尋ねる。もう片方は少しばかり目を伏せて、そうだな、と肯定した。

「あの家では、俺が勝手に物を動かすことを禁じられていた。けれど何もせずにいれば今度はそれを罵られるし、どうしたらいいのか分からない。……トモエがやり方を手取り足取り教えてくれても、恐怖感が拭えなくて」

『……主もお前も、幼かったんだ。恐怖を乗り越えられなかったことを、悔やむ必要はない』

 そうなんだろうけどな、と片方は水を入れたピッチャーの蓋を閉めながら漏らす。

「未だに夢みたいなんだ、こんなことをしても叱られないなんて。本来ならそれが当然なのは言うまでもない。だが、時々その事実を噛み締めては幸せなような、申し訳ないような気持ちになる」

 新たに一つ、容器に水が満ちた。蓋を固く閉めて、次の容器に手を伸ばす。

『……分かっているとは思うが、それを手放そうとする真似だけはするなよ。お前の為に、本丸中が必死になって差し出した物なんだからな』

「理解している。これを手放せば皆への侮辱になる」

 ありがとう、小さく呟いて長谷部は最後の容器に水を注いだ。

 

 ――魂の融合が進んでいる。

 絶望の果てに、長谷部へと差し出すことを強制された少年の体。この体には、元々の持ち主である少年と、刀剣男士である長谷部の魂が宿っている。

 少年は、長谷部が降ろされた時に消えてしまうはずだった。けれど、瀬戸際で長谷部が消失を阻止したのだ。

 起こしてしまった悲劇を塗り替える為にしたことは、今の所幸せな未来に向かう方へと舵を切れている。

 けれど――少年は、()()()()()()()()()()()

 初めは少年らしさが残っていたはずだ。なのに、次第に少年は長谷部に似てきて、性質も変化し始めている。

 まるで、己の魂を差し出すかのように。

 まだ絶望を癒やすには足りないというのか。いや、癒えてはいるはず。少年は笑うことが増えているから。

 もしかしたら、まだ自分を罪人だと思っているのだろうか。……罪を犯したのは長谷部なのだから、こちらからは何も言えない。

 どうしたらいい。どうしたら、彼が生の方角へ目を向けてくれる?

 彼がピッチャーを冷蔵庫に入れる姿に唇を噛むしか、思い悩む長谷部にはできなかった。

 

 ***

 

 数ヶ月後、葉が赤く色づく頃。

 長谷部はある方向音痴の刀剣男士と出会い、少しずつ頑なだった心を融かしていくのだが――

 それはまた、別の話だ。




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