それは、突然のことだった。彼女がこの部屋を訪れる日が、まちまちになったのである。
当初、『彼』は気にしていなかった。彼女だって人間だ、体調を崩すこともある。けれど、来なくなる日が続き、流石に体を気にかけた。すると、彼女はぽかんとして言った。
――何言ってるの、毎日来てたじゃない。
とっさに出てきたのは、彼女が嘘をついているかもしれないということ。しかし、彼女の一体どうしたの、と問うような狼狽の仕方からして、嘘をついているとは思えない。そして、はっと気づく。
――彼女が来ていない日、彼女のことを忘れていた時がなかったか。
思い返せば、確かにそういう時間があった。まるで抜け落ちたみたいに、彼女の記憶が頭から抜けていたのだ。『彼』は、恐ろしくなった。――また新たな病魔が体を巣食っているとしたら、彼女のことを覚えていられる時間が少なくなるのではないか、と。
しかしその不安は、半分は外れで、半分は正解だった。――歴史修正主義者という存在を『彼』が知ることになったのは、以上のことがきっかけである。
5-1「お誘いとお守り」
夕食後。風呂の準備のために部屋に戻った一期は、ついでにと机の引き出しから端末を取り出す。チャットアプリを開けば、すでに三振りが会話を始めていた。
『そういえば明日また、滑莧園に参ろうかと』
『おー、ちび共によろしくなー』
『俺も行ってみたいものだが、主に止められていてなあ。少し江雪が羨ましくもあるな。子供たちはどんな様子だ?』
『相変わらず元気いっぱいですよ。小さな喧嘩はありますが、仲も悪くありません』
江雪が、その発言の後に写真を貼った。ピースサインをした男子たちが歯を見せた笑顔を見せている。少々ぶれていたが、微笑ましさは伝わってきた。
「こんばんは。かわいらしいですね」
『おっ、一期!』
『こんばんは、一期』
『夕餉は済んだのか?』
一期の言葉に、それぞれの反応を返す三振り。レスポンスの速さに、まだまだ入力の速さや細かい操作では敵わないが、一期も会話に参加しようと画面をタップする。
「ゆうげはさきほどすませました。これからふろです」
『今日の夕餉は何だった?』
「ぶたのにものと、ひややつこと、あおなのおひたしと、あさりのみそしるですな」
『おお、うまそうだな』
『和風ってのもいいよなあ。俺のところはかなりの確率で洋風だから、たまに和食が恋しくなるな』
「ただ、ごこたいがあおなをたべるときにひょうじょうがしずんでおりました。にがみがあるのはわかりますが、すききらいのこくふくも、こんごのかだいですな」
『目に浮かぶようです。仲間で揃って食べる夕餉はいいものですよね』
そうして、鶴丸が食事中に自分の本丸の一期と言い合いになり審神者に雷を落とされたとか、鶯丸が新製品のレーションを試食する事になったとか、食事にまつわる様々な話が挙がる。一通り話題が熟した後、一期は先程出た単語の意味を尋ねる。
「すべりひゆえんとは、なんなのでしようか」
『そういえば一期が入ってから話題に上げていませんでしたね。滑莧園は、城下町のはずれにある児童養護施設です』
何でも、滑莧園は文武両道をスローガンとして掲げており、実際にその通りに子供たちを育てている実績があるようだ。鶴丸は教材を見せて貰った事があるらしいが、一部教科は理解ができなかった、と話す。ぎゅうぎゅう詰めのカリキュラムをこなす子供たちは、それでも歪まず、真っ直ぐないい子たちばかりだとか。
「そうなのですか。いちどいつてみたいですな」
『では行ってみますか?』
「え、よろしいので?」
『子供たちも喜びますよ。是非一緒に』
その言葉に、一期は目を輝かせる。そして、勢いよくタップし、参加の意を伝えた。
「よろしくおねがいします!」
『おお、食いつきいいな』
『興味が湧いたんだろうな』
遠くから、弟たちの呼ぶ声が聞こえる。一期は風呂の準備を再開しようと、会話から離脱する旨を書いた。端末をしまい、準備を済ませて部屋を出る。
『しかし大丈夫かね?』
『何がだ?』
『あのちびたち、少々元気が過ぎるような気がするんだが』
『大丈夫ですよ。一期は頑固な所もありますが、悪い性格ではありません。子供たちもすぐ心を開きますよ』
『なんかずれてる気がするなあ……』
『まあ、あの悪戯っ子たちを上手くいなせるか、一期の腕の見せ所ですね』
『……大丈夫かね、一期』
『まあ、何とかなるだろう』
一期が去った後には、そんな会話が繰り広げられていた。
***
滑莧園に二振りが赴く日の早朝、氷雨隊の調査部隊は審神者の部屋に収集をかけられていた。隊員達は顔を見合わせて、訝しげに話しながら審神者を待つ。
「こんな朝早くに、どうしたんだろうねえ」
「本当に珍しい。どこかが襲撃でも受けたかな?」
「それか、要人の護衛か。どちらにせよ、俺達は任務を遂行するだけだ」
「そうは言ってもなあ。大まかな内容ぐらいは教えて貰いたいもんだ」
「迂闊に電話で通達できない内容なんでしょうか」
「……皆さん、主が来ます」
小夜の一言で隊員たちは話を止め、背筋を伸ばす。ドアが開き、審神者が苛立ちを隠さず部屋に入ってきた。隊員たちはいつに無く威圧を放つ審神者に、事の重さを感じ取る。
「おはよう。お前達に集まって貰ったのは他でも無い、非常に重大な任務を課すためだ」
重大な任務。審神者がそういう事は滅多に無い。一体どんな過酷な任務なのか。鶴丸は唾を飲み込む。ちらりと隊員を見ると、それぞれ驚き、感嘆、覚悟を露わにしている。
審神者はドアの向こうに告げた。
「入ってこい」
「はい、お兄様」
涼やかな声が返ってきたと思うと、ドアが開き少女が現れる。セミロングの切り揃えた黒髪、ブレザーの制服、背筋の伸びた立ち姿。彼女はどこか、和の雰囲気を漂わせていた。
「主、その子は妹君かい?」
「そうだ。お前達は夕立と呼ぶといい」
「分かったよ。んで、その夕立ちゃんがどうしたんだい?」
次郎太刀がそう問うと、審神者の圧が一層大きくなる。目をくわっと見開き、憤怒を剥き出しにする。
「……妹が、敵に襲われかけた。幸い、人通りの多い場所に出て、撒けたらしいが。そうだな?」
「はい、お兄様。私を襲ってきた者は、笠を被り、刀を持っておりました。暗くて判明したのはこれだけですが、お兄様の言う時間遡行軍の打刀に間違いないと思います」
「何故妹が狙われたか分からない。そのためこちらに居を移す事になったのだが、手続きが済むまでは護衛をつけるようにと政府から命があった。……くそ忌々しい、審神者の仕事が無ければ俺が直々に挨拶に行ったものを、大体何故妹なんだ、いくら美人で気立てがいいと言ってもまだ嫁にやる気は無い、例え死神であろうとも俺が叩っ斬ってやるぞ」
シスコン魂を露骨にする審神者に、隊員たちは少し引いていた。妹の夕立は、いつもの事だというようにため息をついて、兄から隊員たちに向いて依頼した。
「……という訳で、しばらくは刀剣男士の皆様に私の護衛をお願いしたいのです。構いませんか?」
「え、ああ、主の命なら構わないけど……」
青江は引きつった笑みを浮かべた後、隊員たちに耳打ちした。
「主があんなに怒り狂っているの、初めて見たねえ」
「目に入れても痛く無いほど可愛いがっているらしいからなあ。そんな兄貴が妹を狙われて黙っていられる訳が無いさ」
「気持ちは分かりますけど……顔の迫力が凄いですね……」
堀川も顔が引きつっている。引いている隊員を見て、夕立は苦笑いをしていた。
一通り怨嗟の念を漏らした審神者は、改めて調査部隊に告げた。
「指令だ。夕立を現世で護衛し、襲い来るものどもを返り討ちにしろ。……ああ、それと」
追加で何を言われるのか、と首をかしげる調査部隊に、審神者は笑顔で付け加える。
「――妹に不埒な行為をしたら、白金台に単騎で出陣して貰う」
「おかしいな、主は笑っているはずなのに、背後に般若が見える」
「目が笑ってませんもんね……」
「返事は!?」
「あ、あいあいさー!」
審神者に凄まれ、調査部隊は背筋を伸ばして応える。それを見た夕立は、羞恥に染まった顔を兄に向けて叫んだ。
「お兄様、皆様の気を悪くさせるような事を言わないでください! 皆様はそんな事はしませんよ!」
「こいつらの剣の腕は信頼しているが、そっちの方面は分からないだろう!」
「私だって自分の身を守れるくらいの心得はあります! お兄様は過保護なんですよ! 子供の頃だって、ただ話していた男の子に襲いかかって怪我をさせて、あの子のご両親に顔向けできなくなっちゃって、その後気まずくなっちゃったんですから!」
「どこの馬の骨とも知らん奴をお前に近づけさせるか! 俺にはわかる、あの男は邪な感情をお前に抱いていた! そうなればなおさらお前に近寄らせる訳が無いだろう!」
「邪って、あの子も名門の家の子ですし、振る舞い方は弁えてましたよ!」
「お前は危機感が無さすぎる! 大体――」
「だから過剰な反応をしないで欲しいんですよ! そもそも――」
物騒な宣告を皮切りにした兄妹喧嘩は、疲れ切った表情をした調査部隊が止めるまで続いた。
しばらくは偶数日17:10に投稿します。