――いやはや、女はいくつになっても女だな。段ボールに囲まれた部屋の中、氷雨の鶴丸はそう嘆息する。窓のサッシに腕を乗せ気怠げにする様は、絵になってはいるが。
「鶴丸、大丈夫ですか……? 少しベッドで横になりますか?」
恐る恐る、夕立が提案する。演技も忘れた鶴丸の疲労感を敏感に感じ取っていた彼女に、鶴丸は手を持ち上げて答える。
「いえ、大丈夫ですよお嬢様。こうやって寄りかかっていれば、少しは楽ってもんです」
「下にズルズルと下がってますよ……鶴丸が汚れちゃいますから、少しベッドで休みましょう、ね? 鍵もかかっていますし、少しは安全に眠れると思うのですが」
気を使う夕立の声は小さい。そうなってしまう原因は、ドアの外から響く物騒すぎる声だ。
「白いイケメンはどこに行ったぁ!?」
「まだ遠くには行ってないはずだよ!」
「探せ! そして囲え!!」
「ふふふふ……イケメン、イケメンがここにいる……!」
「何としてでも捕らえますよ! 先輩たちに後れを取らないように!」
バタバタと荒々しく走り回る音、そして発せられる欲に塗れた声。それは哀れな鹿を追い立てる獰猛な獣を思わせた。無論、鹿役は鶴丸である。部屋の近くまで来た足音に、夕立はびくっと体を竦ませた。
――畜生、どうしてこんなことに……!
そう嘆いても何も変わらない。獣達の声は、まだドアの外を徘徊している。
*
時間は夕立が通う学校の寮に到着した頃まで遡る。
校門から少し離れた場所に寮はある。上に話は通っているとの事で、校内及び寮内には難なく入れた。
「それじゃあ、私の部屋に行きましょうか。……鶴丸?」
夕立が振り返ると、きょろきょろと玄関ホールを見渡す鶴丸が目に入った。広々としたホールを、演技も放り出して今にも駆け出しそうだ。それだけでなく、玄関先から見える学校の施設にも目を向けている。くす、と微笑んで、夕立は言った。
「校内を案内しましょうか?」
「! いいのですか?」
「ええ、もちろん」
一気にぱあっと明るくなる鶴丸に、夕立はまず私の部屋に行ってからですね、と告げた。
階段を登り、夕立の部屋へ向かう最中に、女子生徒が声をかけてきた。
「明王寺。そうだ、寮を出るんだったな」
「先輩」
どうやら夕立の先輩だったようだ。一礼され、女生徒は災難だったな、と告げた。
「ここはある程度は安心だと思ったが、暴漢に毎日のように襲われるとなると、セキュリティがしっかりしている家族のところに行った方が安心か。しかし、お前がいなくなると寂しくなるなあ」
「そう言ってくださるのは先輩くらいしかいらっしゃいません。寮を離れる事、本当に残念に思っております」
「悲しい事言うな、他の奴も寂しがっているさ。……ところで、後ろの人は?」
女生徒は温かい笑顔を後輩に向けていたが、背後に立つ鶴丸を見て、部外者への表情に変えた。夕立はそうでした、と慌てて鶴丸を紹介する。
「先輩、彼は今回私の護衛となった鶴丸です。兄の紹介ですので、身元は保証されております。鶴丸、彼女は吹上先輩。この寮に入ってから、ずっと親身になってくださった方です」
「そうか、あのお兄さんの紹介なら大丈夫だな」
深く頭を下げる鶴丸に、後輩をよろしくな、と吹上は朗らかに笑う。
「……しかし、随分目立つ容姿だな。道中声をかけられなかったか?」
「いえ、今のところは……」
「気をつけろ、ここの学校の生徒は大多数が男に飢えている。鶴丸さんのような色男を見逃す奴らじゃないだろう。囲まれたらかなりの時間足止めされる、用事は急いで済ませた方がいい」
「えっ」
鶴丸が夕立に勢いよく視線を向けると、彼女は忘れてました、と青ざめながら呟いた。嫌な予感が込み上げてくる中、こちらに新たな生徒が駆け降りてくる。
「吹上! ねえ、ここら辺でイケメン見なかった!?」
「今まさにここにいる! まさか……」
「ヤバイよ、一部の飢えてる奴らが一斉にこっちに向かってきてるの! イケメンいるならここから引き離して!」
女生徒が叫んだ直後、階段下で地面が轟く音を聞いた。いや、地面が轟いたのでは無く――。
「――いた、イケメンだ!」
飢えし獣が、階下に現れた。獣達は、猛烈な速さで鶴丸に近づき、夕立達を押し退ける。
「うわあ、この薄い色素が様になってるって凄い……!」
「これは是非ともうちの婿に……!」
「まつげ長あ……目えキラキラ……」
「ちょっと、前の子だけずるい! 私達にも見せてよ!」
「ふふふふ……生きのいいイケメン……! 是非とも私の犬にしたい……!」
「せめて髪の毛一本だけでも……!」
腕を引かれ、顔に触られ、挙げ句の果てには尻を触られ、と揉みくちゃにされた哀れな
何とかして夕立の方を見ると、待ち構えていたように彼女は口を動かした。
――さん、まる、ご。
それを読み取った鶴丸が頷き、夕立が階段を駆け上がり始めた途端、吹上と友人が力ずくで鶴丸と周囲の
「しばらく私達が足止めしているから、鶴丸さんは逃げろ!」
「……恩に着ます!」
獣達の唸り声は、鶴丸が三階に辿り着いた途端に動き出した。三〇五、三〇五、と左右を見渡すと、ドアが一つ開いていた。
「鶴丸! こっちです!」
声の元に、一目散に駆ける。鶴丸が室内に滑り込み、夕立がドアに鍵をかけると、獣達の声がドアの外から響き始めた。
*
疲労感を隠せない二人は頭を抱えていた。相変わらず、外からは飢えた獣達の怒号がドア越しに響く。
「……これはもう校内案内どころではありませんね……」
「ええ……鶴丸申し訳ありません、容姿の事は頭に入っていませんでした……」
「お嬢様は気になさらずに。しかし、これからどうしましょうか……」
突如、ピピピ、という電子音が鳴った。一人と一振りがびくりと身を竦ませたが、連絡用の端末からだ、という事に気づいて、はあ、と身を緩ませる。端末を見ると、チャットルームでの連絡。中間報告の時間になったようだ。
『こちら長谷部・小夜、現場を調査して見るも敵は痕跡を残さず、決定的な手がかりは見つからなかった。そちらは?』
『はーい、こちら次郎・堀川・青江。堀川が口説かれた事以外は特に異常なし、敵の痕跡も無かったよー。ここ最近の女の子ってガンガン行く感じなのかな? しつこく食い下がってきてねー』
『女の子はああも積極的なのが主流なのかな? とても情熱に満ちていたね』
『次郎さん、青江さん、その話はあまりしないでいただけると……』
『というかその話は任務と関係無いだろうが!』
『……鶴丸さん、そっちはどうですか?』
小夜に話を振られて、鶴丸は倦怠感で重たい指を動かす。
『おんなはけもの』
それだけ打ち込むと、再び窓枠に腕を預ける。画面に何があったと問うメッセージが入るが、もうあの
「……荷物、残りもまとめちゃいましょう」
「……そうですね」
しばらくすると鶴丸が切り出し、作業を進め始めることにした。
「兄はほん……職場ではどのようなご様子ですか?」
「あー、これはお嬢様に申し上げていいのか……」
多少逡巡するが、多少は愚痴をこぼしてもいいか、と鶴丸は思い直す。
「先程述べた通り、かなりこき使い倒されているんですよ。お兄様がかなり真面目な方で、上の命令をたとえ無茶でも請け負って来るものですから、下々である我々は振り回されっぱなしで」
「本当に申し訳ありません……。兄は昔から、父に難しい要求を突きつけられてきまして……多少の無茶は無茶じゃない、と周囲にもそれを強要してしまうんです。私もそうでした、夜遅くに眠いと泣いても勉強をさせられたり、礼儀作法には特に厳しかったですね」
小さい頃は兄が怖かったですね、と言う夕立に、鶴丸は少しだけ驚いた。
「それは……さぞ大変だったでしょう。大切にしているお嬢様にも無理をさせるとは」
「我が家は軍の家系ですから、それに恥じない振る舞いをするように、と言うのが兄の言葉でした。今思えば、私が生きていくのに必要なことをしっかりと叩き込んでくださったのですよね。兄は私が大切なのだ、と言うのを理解してからは、恐怖心は減りました」
にっこりと笑う顔に、確かに恐れはない。兄の愛を確かに理解しているのだろう。それから一転、夕立は表情の明度を下げる。
「それにしても……忠臣は盲目的なだけでは務まらないと言ったのはお兄様なのに、上の方々に仕事を押し付けられているように見えるのは私だけでしょうか」
呆れの中に心配を忍ばせて、夕立は溜息をつく。
「仕事は選んでいるようですが、大量に仕事を入れてくるので……あ、いや、やりがいはありますがね。それでももう少し休む時間が欲しいと言うのが本音です」
「兄へは一言言っておきますね……。仕事に関しては聞き入れてくださらないとは思いますが。お歳暮は、少し多めにお送りするように手配致しますね、せめて皆様へ行き届くように」
「やった! ……ごほん、お嬢様は本当に優しい方ですね、あのお兄様にはもったいない」
「ふふ、正直鶴丸のような方の妹になった方が毎日楽しいのではと魔がさす時はありますね」
「厳し過ぎて、それなのに過保護だから?」
「です。でも、私は氷雨の妹。本心も分かってしまいますし、だからこそどうしても兄のことを心配せずにはいられないのがちょっと悔しいですね」
「やはり、あなたはいい妹だ」
雑談をしながら、荷物を段ボールに詰める。まとめ終わり、段ボールの山ができる頃には、欲に満ちた声は少し遠ざかっているように思えた。
「今のうちに外に出ましょう」
「そうですね、見つからないうちに……」
「この布を持っていっても構わないでしょうか?」
「? ええ、構いませんが……」
夕立はドアをわずかに開け、周囲を窺った。指で丸を作った後、ドアを大きく開ける。部屋から出て、警戒しながら階段に向かう。
「――みぃーつけた」
その声に、夕立は固まる。鶴丸は振り返り、背後に獣の一人が不気味な笑顔で立っていることを視認すると、舌打ちし夕立を肩に抱え上げる。
「うわぁっ!?」
「少しだけ耐えてください、お嬢様!」
そう言って、地面を蹴った。夕立は慌てて鶴丸にしがみつく。背筋も凍りそうな笑い声を振り切って階段を飛び下り、玄関ホールまで急ぐ。
「いた! 明王寺の部屋にいたのね!?」
「くそ、逃すかぁ!」
獣達は次々と手を伸ばし、鶴丸を捕らえようとする。その手を振り切り、校門を目指す。
悲鳴と怒号をかき分けて、校門を見据える。あと少しだ、と言うところでズン、と目の前にゴリラじみた獣が立ちはだかった。
「逃がさない、イケメンは絶対に逃がさない……!」
ひいっと肩から悲鳴が聞こえる。背後から獣が迫る音もする。
鶴丸は懐から布を取り出し、目の前の獣に被せた。当然、獣は視界を遮られ、動けなくなる。その横を大きく迂回し、鶴丸は校門の外へと飛び出した。待てええ、と唸る声は当然無視した。
しばらく走り、大通りに出て人目が多くなったことを確認して、ようやく鶴丸は肩から夕立を下ろした。
「……」
「……あの、もう演技はいいですよ……お疲れ様でした」
「ありがとう。……もう女子校はうんざりだ!!」
髪を乱した鶴丸は全力の絶叫を響き渡らせる。周囲の人の目が少し痛いが、叫びたかったのだから仕方ない。
早く部隊と合流しようと言う鶴丸の言葉に、夕立は力なく頷いた。