空隙の町の物語   作:越季

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 生まれた時から、『彼』は『彼』だった。何者でも、何物でもない、『彼』自身だった。
 でも、何者にも、何物にもなれると聞いて、『彼』はワクワクした気持ちで、そこに赴くことになった。
 そう、『彼』は疑っていなかった。
 何者かに、何物かになったら、きっと、明るい日々が――優しい人々に囲まれた幸せな日々が始まるのだと、愚かにも『彼』は、そう信じていた。


第二話「城下町の幽霊」
2-1「氷雨隊の朝、蒼穹隊の朝」


 ちゅんちゅんと、雀が朝を告げるように鳴く。その声を聞きながら、氷雨の鶴丸国永の一日は幕を開ける。大きく伸びをし、よっこいせとベッドから降り、軽い柔軟体操をしてから、自室のドアを開けた。

 この本丸は、西洋風の作りになっている。最初は複雑な驚きが先行したものだが、現在はすっかり慣れてしまった。時は嫌でも驚きを薄れさせるのだなぁ、としみじみと鶴丸は思う。

 今日はなんだか体の調子がいい。気分も爽やかだ。文句なしに絶好調だろう。いい驚きも自分を待っているに違いない。鼻歌を歌いながら食堂へと向かった鶴丸は、すぐにその気分を急降下させることになる。

 

「おや、鶴丸殿ではないですか。こんな時間に起きてくるとは、流石お年を召した方は生活習慣も早くなるものですなあ」

 

 食堂についた鶴丸に、開口一番嫌味を飛ばしてきたのは一期一振。吉光が打った唯一の太刀であり、粟田口の長兄だ。そのプライドは富士山より高く、弟たちだけへの愛は海よりも深い。

 はっきり言おう。鶴丸は、氷雨の一期が嫌いである。一期も、鶴丸のことが嫌いであろう。鶴丸は一期の小癪な態度が憎たらしくて仕方ないし、一期は鶴丸の調子のいい性格が我慢ならないようだ。

 当然、こんなのは序の口だ。鶴丸はすかさず嫌味を打ち返す。

 

「流石は粟田口の長兄、誰よりも早く起きるとは! こんなに早く起きるなんて、君の方こそ耄碌してきたんじゃないか?」

「鶴丸殿は冗談がお上手だ。どこかの衝撃がなければすぐにボケる誰かとは違って、私はまだ若輩者ですから」

「はっはー、そいつは誰のことだろうなぁ? ……誰が驚きがなけりゃボケるってかくちばしの黄色い若造が」

「はっ、そうやってすぐ頭に血がのぼるところが年寄りだと言っているんですよ」

 

 双方顔は笑っているが、額に青筋を立てている。

 ――こいつ折っても許されるよな、よし自分が許した!

 鶴丸がフォークを、一期がナイフを手に取ると、パン、と手を叩く音が食堂にこだまする。

 

「二振りとも、何遊んでるんだ! 私闘は禁止だと何度も言っているのに、何故守れない!」

 

 氷雨隊の最初の一振り、蜂須賀虎徹がいつの間にか入り口に立っていた。一期と鶴丸は慌ててカトラリーを下げる。

 

「すみません、蜂須賀殿。この鶏が朝から鳴いていたもので、絞めて大人しくしようかと」

「誰が鶏だ! 先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろう!?」

「大人気なく、それを買ったのは貴方ですが」

「こんの糞餓鬼……!」

「ああもうすぐに睨み合わない! 全く、主にまた衣紋掛けの刑に処してもらわなくてはならなくなるだろう!」

 

 頭を抱えながら処罰の執行を仄めかせば、二振りはぶすくれた顔をしながらも静かになる。その様子を見て、蜂須賀はため息を一つつく。

 

「今回は未遂だったから、主への報告はなしだ。でも、次は未遂でも報告するからね!」

 

 びしっ、と指をさして警告する蜂須賀。二振りが不満げに返すが、睨まれしぶしぶ頷いた。

 蜂須賀に関しては、いつもこうだ。喧嘩が始まる寸前にいつの間にか二振りの間に現れ、制止させる。派手な姿をしているはずなのに、()()()の仕事をしている鶴丸ですら、彼の気配はなかなか捉えられない。練度もこの本丸一高いとだけあって、二振りは彼に逆らえないのだ。鶴丸は密かにその秘密を探りたいと思っているが、なかなか成果は出ていない。

 厨房の方向から、鐘の音が聞こえてくる。食事ができた合図だ。聞きつけた男士たちが、続々と食堂に集まってくる。

 

「いち兄、おはようございます! ……また鶴丸さんと喧嘩してたんですか? あまり蜂須賀さんを困らせることがないようにしてくださいね」

「すまないね、秋田。できればそうするよ」

「鶴さん、また一期さんとやりあってたのかい? 喧嘩を売るとか、あまりかっこ悪いことしないでね」

「今回売ってきたのはあっちだ!」

 

 食堂は瞬く間に席が埋まっていく。一期は弟たちに連れられて、鶴丸は伊達の刀たちと共に、自らの席についた。

 いただきます、蜂須賀の言葉を復唱し、食事が始まる。鶴丸はさり気なく、弟たちと談笑している一期を見やる。

 ――やっぱり蒼穹のとは雰囲気が違うな。

 先日、蒼穹隊の一期一振と出会った。彼は、顕現したてというのもあるのか、それとも審神者の影響か、氷雨のそれとは違い「鋭さ」が少ない。嫌味を言ったとしても、笑って、もしくはふざけながら悲しむ程度で受け流せるものしか言わないのだ。しかも一期一振にしては珍しく、とても好奇心旺盛ときた。連絡先を交換したのは正解だった。新鮮な驚きを向こうから提供してくれる。

 この後、電話でも掛けて愚痴るか。それなりにツッコミを入れながら聞いてくれるから、話しているこっちも楽しいのだ。この後の予定を練っていると、こちらの一期と目があった。一気に現実に引き戻された気がして、鶴丸は一期に向かって舌を出す。ぐしゃりとナプキンを握りつぶしたさまを見て、少しだけスッとした。

 

***

 

 足を一歩踏み込み、横一文字に剣を振るう。しかし、相手は盾兵に受け止めさせ、その攻撃を凌いだ。そして、次は相手の手順だ。

 

「――はいっ!」

 

 その掛け声と共に、袈裟懸けに切られる。軽騎兵はあっさりと切り伏され、自身に攻撃が当たった。

 

「くっ……!」

 

 あっという間に、仮想生存値は一になった。それは、演練を安全に行うためにかけられたセーフティ。――すなわち、戦闘の続行は、不可能。

 

「――勝負あり! 勝者、玄天隊! 戦績ランクB!」

 

 審判の声と共に、身体中の怪我が消えていく。いや、精神だけ飛ばしたため、最初からなかったのか。

 蒼穹隊の一期が目を覚ますと、目の前には透明な丸みを帯びた合成樹脂の蓋が被せられていた。蓋を開け、起き上がる。先に蓋を開けていた獅子王が、一期に笑いかける。

 

「一期、お疲れ!」

「獅子王殿こそ、お疲れ様です。最後の三日月殿の斬撃、早すぎて捉えることができませんでした……」

「気にすんなって! 練度九十九とか、普通に俺でも見切れないから!」

 

 項垂れる一期に、獅子王がケラケラと笑う。その明るさが、一期の後ろめたさを少しだけ癒してくれた。

 現在、午前十時半。一期たちは、もうすっかり習慣となった演練を行っていた。一期が一番の新入りなので、練度も一番低い。『特』にもなっていないので、まだまだ伸び代はある――と思っていなければやってられないほど相手に手厳しくやられてしまった。

 

「しっかし、蛍丸はやっぱり強えよなあ。流石は『演練の悪魔』だ」

「悪魔……にしては可愛らし過ぎやしませんか?」

「一期さん、覚えておきな。可愛い顔した奴がそのまま可愛い性格してるなんて百パーセントありえないから」

「加州殿……経験したことがおありで?」

安定(あいつ)と一緒にいると嫌でもそう思うようになるよ。やっぱ身内だと嫌な部分も見えてきちゃうよねー」

「……弟たちはそんなことありません。ええ、きっとそうです」

「あ、やば、ブラコンスイッチ押しちゃった」

「しばらく放っておけー」

 

 蒼穹隊の面々がわいわいとお喋りに花を咲かせていると、部屋のドアがゆっくりと開いた。顔を出したのは、演練相手の三日月宗近だ。

 

「やあ、蒼穹隊のものたち。なかなかの強さだったぞ」

「三日月さんが言うと嫌味にしか聞こえないんですけどー」

 

 蒼穹の加州が膨れて見せると、三日月はいやいや、と否定する。

 

「嫌味ではないぞ。特に一期は、最近顕現したとは思えないほどの剣さばきだった。練度上限の状態でしあえなかったのが惜しいと思うほどだ」

「あ、ありがとうございます」

「それを伝えようと思ったところ、部屋の中から楽しげな声が聞こえたものでな。じじいも是非混ぜてはくれないか」

「えー、別にいいけど、三日月のじっちゃんが喜びそうな話題ってなんだ?」

 

 蒼穹隊がうーんと唸っていると、三日月がおお、と、手を叩いた。

 

「そうだ、あれがあった」

「あれ?」

「ああ、そうだ。最近城下町でよく聞く噂でな、お前たちにも意見を聞きたいと思ってな」

「噂、ですか?」

 

 一期が首をかしげると、三日月がうむ、と話を始める。

 

「――なんでも、城下町で最近、幽霊が徘徊するらしいのだ。刀剣男士でしか祓えないような、な」

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