空隙の町の物語   作:越季

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7-6「仲直り」

「ソメゴロー、開けてよ。……はあ」

 

 男子トイレの戸の一つを叩いていたサクヤは、全く応えがないのにため息をつき、トイレの外へ出る。

 

「……サクヤ君、どうですか」

「全然反応ない。もう結構やってるのになあ……」

 

 トイレから少し離れたところにいた清澄の江雪がサクヤに話しかける。それにサクヤは首を振って見せた。

 蒼穹の一期が滑莧園から帰ったのが二時間前。少なくとも二時間以上、ソメゴローはトイレに篭っていることになる。サッカーを終えた後、昼食の後と度々サクヤはトイレに赴いているが、出て来るどころか返事さえも無く、状況は膠着していた。

 

「先生も困ってたよ、昼ご飯も食べないでって。他の奴はほっとけって言ってるけど」

「そうもいきませんよね……」

 

 うーん、と顔を突き合わせて悩む一人と一振り。江雪は和睦を重んじる性質だ。二人にも早く仲直りをして、いつものように元気な姿を見せてもらいたいと思っている。

 サクヤがおもむろに顔を上げた。

 

「……江雪さんはさ、こういう時どうしてる?」

「え、私ですか?」

「うん。こういう時、どうしてるのかなって」

 

 江雪は自分の本丸の記憶を呼び起こす。参考になるのは、短刀や脇差の喧嘩だろうか(弟である小夜は、ほとんど諍いを起こさなかったが)。そういえば、よく乱と厚が口論をしていたが、すぐに仲直りをしていた気がする。それはどうしてだったか。

 他の兄弟の仲裁もあっただろう。けれど、時間が経てば彼らは普通に仲良く話していたりした。それから――

 

「……私は喧嘩らしい喧嘩をしていないので、周囲の方の話になりますが。まずは一度時間をおいて冷静になることですね。喧嘩の最中は、どうも頭に血が上りやすいですから。後は、一度瞑想をすることを勧めます」

「瞑想? 何か難しそう……」

「いえ、この場合の瞑想はそう複雑ではありません。心の中で、自分がこの喧嘩でどう感じたか、自分はどうして欲しくて、どうしたいのか。心の中で整理して、それから相手に伝えるのです。紙に書いて整理するのもいいですよ」

 

 自本丸の乱と厚は、かなり険悪になった際にどちらかが江雪の部屋に来ることがあった。いない長兄の代わりではあったが、その時江雪はほとんど口を挟まずに彼らの愚痴を聞いていたのだ。ある日「しゃんぷーに金使うの意味わかんねーとか酷い」「着飾るのの何がいいんだかって、ボクがしたいからしてるのに」などと散々に愚痴をこぼした後、悟ったように乱が呟いた。

 ――そっか、ボク厚に分かって欲しかったんだな。

 憑き物が落ちたようにすっきりとした顔で、乱は礼を述べて仲直りに向かったのだ。

 ――話してたら、ボクはそのことが悲しかったんだな、って分かったよ。

 そう付け加えて。

 

「どう感じたか……分かった、やってみる」

 

 サクヤが自室に戻ろうと身を翻す。それを見送り、江雪はトイレの中に入って行った。

 閉ざされている戸の前に立つ。ノックをして、中にいるだろうソメゴローに話しかける。

 

「ソメゴロー君、調子はどうですか。お腹空いてませんか」

「……」

「今日はいい天気ですよ、外では男の子達が野球をしています。私も少し混ざったのですが、力加減が難しくて男の子達に文句を言われてしまいまして」

 

 ゆったりした口調で、江雪はとりとめもなく何でもない話を続ける。

 

「最初は『ぼーる投げる力強過ぎ、手が痛い!』と。次は少し加減をしたのですが、途中で球が落ちてしまいまして。『江雪は極端過ぎる!』と言われて、観戦席に回ることになってしまいました。野球とは、なかなかに難しいものですね」

「……」

「でも、こうして滑莧園の皆と遊ぶのは心が安らぎます。いつまでも、こんな日が続いて欲しいものですね。私の方は、そうもいかないのが現実ですが」

「……いつまでも、一緒に遊べばいいじゃんか」

 

 戸の中から、か細い声がする。江雪はそれに目を伏せて、返した。

 

「そういう訳にもいかないのです。……ソメゴロー君は知っていますか、今この国が、戦争をしているということを」

「……授業で習った。悪い奴らが、歴史を変えようとしてるって。どうしてそんなことするのか、よく分からないけど」

「そうです。私は戦が嫌いですが、こうして貴方達と遊べるのも、その戦のために私が呼ばれたからなのです。私は戦の兵のひとり。ソメゴロー君が大人になる前に、死んでしまうこともあり得ます」

 

 息を飲む気配がする。それからソメゴローは声を荒らげた。

 

「何でだよ!? 何で江雪が戦わなきゃならないんだ! 昔のことを変えることがそんなに大変なことなのか!?」

「ええ、大変なことです」

 

 かなり込み入った話になってきてしまったが、考えるのが苦しくても、大切なことは伝えなければならない。江雪は沈痛な声音で続ける。

 

「……相手は歴史を変えれば今この現状が良くなると考えているのか、はたまたその逆なのかは、私には分かりません。けれど、彼らが今の歴史を否定しているのは同じです。……そしてそれは、今の歴史上にいる人々の選択を否定するのと同義」

「選択を否定? それってどういうこと?」

「彼らはそれぞれ悩み、苦しみ、そして様々な選択をして来ました。その選択が彼らにとって正しかったにしろ間違っていたにしろ、彼らには選択をした責任があります。――人の生死が関わる選択なら尚更。彼らはそれを覚悟で選び取っていきました。その責任を、覚悟を、彼らは無かったことにしようとしている」

「……難しいよ」

 

 確かに少し難しいか。江雪は頭を働かせて、ソメゴローにも分かりやすく噛み砕こうとする。

 

「そうですね……例えばソメゴロー君。目の前にお菓子が一つあるとします。貴方の隣には、お腹を空かせた今にも泣きそうな年下の子がいます。同じくお腹を空かせた貴方はどうしますか?」

「そりゃあ……お菓子を譲るよ。目の前で泣かれるのは嫌だし」

「その子は笑顔で礼を言うでしょうね。――相手は、お腹を空かせた貴方にお菓子を食べさせたいために、その子からお菓子を奪い、そして貴方の手に渡すでしょう。そして、その子は涙を流すことになる」

「はあ!? 余計なお世話だ! 俺がそうするって言ったんだからそうしてるんだ、気遣いなんていら……な……」

「……少し理解したみたいですね。相手がしようとしていることは、貴方のそうした思いを踏み躙ることです。もちろん、これは分かりやすくした例ですが」

 

 長く話したせいか、少し口が痛い。ソメゴローは呆然とした調子で口を止めた。

 

「私達が守るのはこの国だけではなく、そうした人々の思いです。私達が飲み下し、糧にした後悔や傷を、彼らは跡形も無く消そうとしている。私は戦が嫌いですが、私の仲間ははそれを見過ごせないでしょう。だから、戦うのです」

「……江雪達は、心を守る戦争をしているんだな」

「そうですね。片方が悲しみに満ちることになりますが、私は少しでもそれを減らしていけたらいいと思っています。それに、戦が好きな私になどなりたくありませんから」

 

 沈黙がトイレの中に満ちる。微かに聞こえて来るのは、男子達の歓声だ。それに気を緩ませると、トイレ独特の臭いが不意に鼻をついた。

 

「……俺さ、親の記憶全く無くて、知りたくもないからそれでいいと思ってたんだよな」

 

 ソメゴローが、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「でも、サクヤはそうじゃなくて。親に一言言ってやりたいくらいには憎んでて、やりたいこともあって、俺がそれを知ったのが最近で。何かどこかで、俺とサクヤは互いに何でも知ってて当たり前だと思ってたんだ。サクヤの悩みを晴らしたのが一期だってことも複雑でさ。……俺、江雪と初めて会ってしばらく経つのに、そういう戦争の兵士だってこと、ちっとも分からなかった。話してみて気付いたよ。俺、他人のことを知ろうとしなかったんだな」

 

 ソメゴローの声は自嘲の響きを含ませている。彼らしくない声音だ。

 

「サクヤのことは、何でも知ってると思ってた。でも、話さなくちゃ何も分からないんだよな。……俺、情けないなあ」

「それに気付けただけ見事ですよ。対話無しに理解無し。それに気付かない人間の何と多いことか」

「そうかな。……サクヤにも謝らなきゃな」

 

 解錠する音がして暫し、ソメゴローが戸を開けて出てきた。目が少し腫れているが、その顔には笑みを浮かべている。江雪は胸を撫で下ろした。彼を先導し、トイレから出る。

 

「サクヤ君に謝りに行きますか?」

「行く。サクヤはどこに――」

「――ソメゴロー! ……いった!」

 

 下半身に衝撃が走る。痛みの元を辿れば、サクヤが後ろに手をついて座り込んでいた。江雪はサクヤに視線を合わせる。

 

「サクヤ君、大丈夫ですか?」

「いてて……江雪さん、ごめん。俺は大丈夫」

 

 サクヤは江雪に笑って見せると、背後にいるソメゴローに気付き、すぐに真面目な顔になった。そして立ち上がりソメゴローに近寄る。

 

「ソメゴロー」

「サクヤ……その、さっきはごめん。ちょっとカッとなって――」

「ソメゴロー、これ!」

 

 サクヤがポケットを探ってからずいっと手を出す。その手には紙が握られていた。目の前にいきなり手を出されたソメゴローは目を白黒させる。

 

「えっと、サクヤ、これは」

「いいから! 読んで!」

 

 さらに手を近付けさせられ、ソメゴローは手を差し出した。くしゃくしゃの紙を握らされて、恐る恐る紙を広げる。

 

「……これ……!」

 

 その紙には『感じたことリスト』と題が付けられ、箇条書きにしてサクヤの想いが書かれていた。

 泣かれてびっくりしたこと、信じてもらえなかったみたいで悲しかったこと、話が長くなりそうなので内容が纏まるまで待って欲しかったこと、そして――

 

「……一緒に、世界を見て回る?」

「教えてくれってソメゴローが言ってた、やりたいことだよ。俺は、まだまだ世界を知らない。世界にはきっと、綺麗な景色もあれば汚い景色もあるんだと思う。それを含めて、知りたいんだ。――ソメゴローと一緒に」

「……!」

「ソメゴローが嫌だって言うかもしれないと思うと不安で、なかなか言えなかった。親友を、俺のわがままで傷つけたくない。だからちゃんと聞きたいんだ。――ソメゴロー、俺の夢に付き合ってくれる?」

 

 その言葉に、ソメゴローは目を見開き、それから嬉し涙を堪える様に笑う。それから、大声で宣言した。

 

「当然だ! 俺は、親友の夢にどこまでも付き合うぞ!」

 

 サクヤはほうっと安堵の息を吐く。喜びを噛みしめる様に目を閉じて、目を開けば勝気な笑顔になっていた。

 

「約束だからね、ソメゴロー」

「当然だ! 俺はサクヤの約束は必ず守るぞ!」

「他の子の約束も守りなって」

「うおおお! 今なら何でもできる気がする! 一期にだって勝てる気がするぞー!」

「いやそれは無理でしょ」

 

 すっかり元の二人に戻った。喜びのまま暴れ出そうとするソメゴローを、呆れながらも笑みを押し殺しきれないサクヤが止めている。江雪はその様を見て、微笑みながら心の中で祈る。

 ――願わくは、二人の友情が永遠に続くように、と。

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