空隙の町の物語   作:越季

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 しばらくその場所で暮らして分かったのは、自分がとことん周囲から目につきにくい、軽い存在だと扱われていたということ。
 理由が分からずとも、『彼』はそれを変えようと、周囲に馴染もうと笑顔で頑張った。――『僕』はここにいる、誰か、誰か、『僕』を見つけて。
 しかし、そうすればそうするほど彼は周囲から腫れ物のような扱いを受けた。次第に、『彼』の気力と笑顔はなくなっていく。
 そして、女性からある指令が下された。
 ――ごめんなさい。あなたがいると、皆嫌悪感を隠せなくなってしまうの。彼らがあなたを害そうとする前に、別の場所に移ってもらえないかしら。
 『彼』の心は、完全に砕けた。


第八話「氷雨隊蜂須賀虎徹拉致事件」
8-1「被害者の本丸にて」


 日光の光源が少しずつ上へ登っていく。今日はいい天気になりそうだと思うと、夕立の心は軽やかに弾む。鼻歌を歌いながら足取りも軽く向かう先は、洗濯物がはためく中庭だ。

 中庭の中央、洗濯物干しが大量にある中で、物干し竿代わりに一振りの刀がかけられている。夕立は洗濯物を掻き分け、その刀を見つけると挨拶をした。

 

「おはようございます、鶴丸様」

『おー、おはよう妹君。あの時みたいに鶴丸でいいって言ってんのにな』

「何を言いますか、神様にそんな無礼なことできませんよ。あの時は特別です」

 

 かけられていた刀――鶴丸国永は、念を飛ばし夕立に挨拶し返す。彼は昨日、一期一振と出陣中に喧嘩をしたことで、衣紋掛けの刑に処されている。彼の刀身には、大量の洗濯物がかけられていた。

 

『なあ妹君。今何時だ?』

「えーと、後ちょっとで八時です。もうすぐ朝食の時間ですね」

『うえー、まだ四刻半残ってるのかー……』

「頑張って下さい、鶴丸様。私もお兄様には内緒で、時々話をしに来ますから」

 

 夕立の姿は朝日に照らされ、心が弱っている鶴丸には神々しく見える。肉体があったら拝んでいただろうが、残念なことに肉体は封印中だ。

 

『妹君の優しさがありがてえー……そういや妹君、今日の朝餉は何だか分かるか?』

「あっ、見て来るのを忘れていました! 今見てきましょうか?」

『いや、別にいい。思い返したら、朝餉を食べられないのに献立を聞いても虚しくなるだけだと気付いてな……ははは』

「……できるだけ話しに来る様にしますね」

 

 乾いた笑い声を上げる鶴丸に、夕立は痛ましそうにそう言った。

 その後しばらく鶴丸と世間話をしていた夕立は、ある異変に気づくと首を傾げた。

 

「……おかしいですね、朝食の鐘が鳴りません」

『まだ朝餉ができていないんじゃないか? 料理人が寝坊したとか』

「そうだといいんですけど……」

 

 そう囁き合う一人と一振り。不審に思っていると、遠くから荒い足音が近づいて来る。――審神者だ。

 夕立だけでなく、鶴丸も驚いた。罰の執行中、審神者は姿を現さない。それなのにここへ来たのは何故か。

 

「お兄様!? どうしましょう、ここにはなるべく行くなと言われているのに……!」

『禁止されていたのか!? ……まあ、洗濯物の様子が気になった、と言えばいいさ。それにしても何でここに……』

 

 審神者が夕立の前に到着する。あわあわと夕立が言い訳をしようと口を開く。

 

「お、お兄様、これはですね、ちょっと洗濯物が気になって……お兄様?」

「――刀剣男士鶴丸国永の実体化制限を解除」

 

 審神者は夕立の姿が目に入っていない様だ。洗濯物を乱雑に避け、鶴丸に向かってそう宣言すると、鶴丸は肉体を取り戻した。鶴丸はいよいよ目玉が飛び出そうだ。処罰を中断されるなど、今まで一度も無かったのだから。

 

「……主、何があった?」

「執務室で話す。……ああ夕立、朝食はお前の自室に運ばせた。許可を出すまで本丸を出るなよ」

 

 来い、と鶴丸に命じて審神者は歩き出す。また後でな、と夕立に目線をやり、鶴丸も後を追う。その場には、夕立だけが残された。

 夕立は、兄の様子を思い浮かべた。兄はどこか急ぐ様に洗濯物を避けて、口早に制限解除を宣言し、そして自分を外に出さない様にした。

 

「……何か、あったのでしょうか……」

 

 自分にできることは、兄の負担にならぬ様、本丸内でじっとしていることだけだ。歯がゆいが、無力な自分には何もできない。余計なことをして兄を追い詰める真似はしたくなかった。

 夕立は俯きながらも、自室に戻るために歩き出した。

 

 

 審神者に先導され執務室へと向かう鶴丸は、審神者の様子がいつもと違うことに気がついていた。

 審神者はいつも焦りや怒りを理性でコントロールしている。妹が絡むと感情を剥き出しにするが、今回妹は絡んでいない様だった。

それなのに、足音荒く背中を見ているだけでも感情を露わにしているのが見て取れる。本当に何があったのか。

 ――そういや蜂須賀、俺の様子を見に来なかったな。

 ふと、そんなことを考える。いやいや現実逃避をするなと首を振って、審神者の背を追う。

 執務室に着くと、勢いよくドアを開け放つ。軽く衝撃が伝わる程の荒々しさだ。執務室内には、もう調査部隊の五振りが揃っていた。

 

「お前達、よく集まった」

「主の命ならすぐにでも。……して、何があったのです?」

 

 長谷部が審神者に問うと、審神者は机の前に移動し、調査部隊の面々を見渡す。そして端的に告げた。

 

「――蜂須賀が拉致された」

 

 その言葉を理解した時、それぞれが動揺した様子を見せた。当然だ、蜂須賀は誰よりも早く練度上限に達し、本丸最強の刀として近侍をずっと務めていたのだから。そう易々と拉致できる存在ではない。それなのに――

 調査部隊員が思考を巡らせる中、強張った顔の次郎が手を挙げて発言する。

 

「何があったのか、詳しく話してもらってもいいかい」

 

 それに頷き、審神者は話し始めた。

 

「……今朝、手伝い札の残りが少ないことに気づいてな。今日も出陣があり、遠征はしばらく時間がかかるため、蜂須賀に買い出しを頼んだ。万屋までは足取りが残っているが、その後時間遡行軍に囲まれたらしい痕跡の後――蜂須賀の名がシステムから消えた」

 

 システムから消えた。それは、審神者の手から刀剣男士が離れたことを示す。懸念されるのは、蜂須賀が審神者を裏切ったかもしれないということだが――

 

「その可能性は低いと考えられる。最後に蜂須賀からメッセージが入っていてな。『すまない後れを取ってしまった、どうにかして必ず帰る』と」

「何故、蜂須賀は拉致されたんだろう? そうは言っても、時間遡行軍を相手に後れを取る訳が無いだろうに」

「それだがな」

 

 青江の疑問に、審神者は忌々しさを顔面に貼り付けて、推測を述べた。

 

「……蒼穹の痴れ者から連絡が入ってな。『うちの一期がお前のところのやつと一緒に拉致られたってどう言うこった』と。おおよそ、大人しく来なければ一期一振を破壊する、と脅迫されたんだろうな」

 

 蒼穹の一期の名前に、鶴丸の手が固く握られる。友が巻き込まれたことに、何故、と脳内で愕然とした気持ちが渦巻く。

 審神者は、冷厳な口調で命令した。

 

「政府には既に通報したが、こちらでもできる限りのことをするぞ。まずは、現場に赴き状況を確認しろ」

「了解」

 

 調査部隊は任務を遂行するために部屋を出て行く。パタンとドアが閉まり、足音が遠ざかるのを聞きながら、審神者は端末を取り出す。

 そこに書かれていた、蜂須賀からのメッセージの全文は。

 

『すまない主、後れを取ってしまった。俺を兄と呼ぶ少女に人質を取られて同行を求められた。どうにかして必ず帰るから、そちらでも調査を頼むよ』

 

 それを見て、審神者は呟く。

 

「……まさか、本当に? いや、記録は重要機密のはずだ、そんなことがあるはずは……」

 

 その言葉の真意を問うものは、誰もいなかった。

 

***

 

 蒼穹隊の本丸では、審神者が頭を抱えて嘆いていた。

 

「くそっ、俺が買い出しなんて頼まなければ……!」

「主、あんただけの責任じゃない。あまり自分を責めるな」

「そうだよ、あるじさん。いち兄のことはとても心配だけどさ、あるじさんまで何かあったら大変だよ。まずは朝餉を食べて」

 

 一番の古株である山姥切と、食事当番の乱が審神者を宥めている。審神者は一期が拉致されたと判明してからずっとこの調子だ。

 審神者は一期に資材の購入を頼んだ。一期はそれを了承し、買い出しに向かった。審神者はしばらく時間が経ち、一期の帰りが遅いことを気にかけた。すると、端末に連絡が入る。誰からだ、と思って見てみると。

 

『すまない一期一振の端末を借りた。一期一振は時間遡行軍に襲撃され意識が無い。同行を求められたためしばらく連絡が取れないが必ずそちらに帰す。このことを政府に通報していただけると有り難い。 氷雨隊蜂須賀虎徹』

 

 そうして慌ててシステムを開いてみれば――一期一振の名が消えていた。取り乱して氷雨隊の審神者に電話で怒鳴り込んだり、システムを何度もチェックしても現状は変わらなかった。政府に通報してみれば『調査が終了次第、再び事情を聞く』という素っ気ないものだった。

 

「くそ……っ! 一期ぉっ!」

「今回、一期が端末を持っていて助かったな」

「そうだね。どこで手に入れたのかは謎だけど、そのおかげで早く緊急事態だってことが分かったんだし」

 

 頭を抱えて悔やむ審神者とは裏腹に、山姥切と乱は冷静だ。大きく慌て嘆く審神者の様子に、返ってこちらの焦燥が薄れてしまっていた。だが、心配なのは変わりがない。

 

「このこと、皆に話す?」

「……そうだな、まずは長谷部に話そう。あいつと話し合ってどうするか決める。粟田口派はあんた以外、このことを知らないな?」

「うん」

「あんたも話し合いに入って欲しい。主の部屋の前で話し合う予定だから、それまでは主を宥めていてくれ」

「分かった」

 

 山姥切は乱の了承に一つ頷き、部屋を出る。背後では乱がほらあるじさん食べてー、と話す声が聞こえていた。長谷部のいる部屋へと向かう道中、鶴丸と鉢合わせた。

 

「おっ、山姥切」

「……あんたか。長谷部は部屋にいるな?」

「ああ、いるぜ。多分書類仕事中だ」

「分かった」

 

 そう言って鶴丸の横を通り過ぎようとすると、鶴丸が言い放った。

 

「一期、無事だといいな」

 

 ありきたりな懸念の言葉だ。それなのに、ぞくりと背筋が震える。山姥切はばっと振り返った。鶴丸は手をひらひらと振って遠ざかって行く。

 一期が拉致されたことを知っているのか。部屋の中の声が聞こえていたのだろうか。それにしても。

 

「底が知れないな……」

 

 あの鶴丸は、どうも得体の知れないところがある。一年以上同じ本丸の仲間としてやって来ているが、どこか線を引かれている感覚があるのだ。仲間のはずなのに、心が読めない。それが山姥切の不安をかき立てて仕方がなかった。何か、厄を運んで来そうな――

 仲間に対してなんて考えだ、とはっとして、考えるのは後だ、と思考を打ち切る。そうして山姥切は、今度こそ長谷部の部屋に向かった。

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