――早く兄さんと二人だけでゆっくり過ごしたいのに!
兄を見つけるまでは良かった。誤算だったのは、その場に兄以外のものが存在していたこと、そして兄がそれを大切な友達だと言って放り出すのを止めて来たこと。
久々に会った兄は、姿こそ変わっていた(彼女すら本人かと疑った位に)ものの、優しい性質はそのままであった。関係のないものにまで慈悲を与えるその姿は、まさしく幼い頃に引き離された兄そのものだった。
優しい兄。だからこそ言えない。両親が、高額の金に釣られて兄を
――これでしばらくお金に困らないわね、あの子も役に立つじゃない。
――久々に旅行にでも行こうか。コノミには適当に誤魔化そう。
兄がいなくなった夜。眠れなくなって階下に降りたコノミは、両親の欲に塗れた会話を聞いた。――聞いてしまった。
金にがめつい親族にも金を貸す優しい両親。コノミはかつて、そう信じていた。しかし、金に執着するのは両親も同じだったのだ。
兄は両親の娯楽のために、国に引き取られた。その事実が己の中に浸透した時、目の前が真っ赤になったのをよく覚えている。
それからコノミは、様々な場所に向かって兄の行方を尋ねた。しかし返されるのは、哀れむような視線と、訝しむ周囲の態度。コノミの周囲の人間は、両親の兄が海外に留学しに行ったという作り話を疑っていなかった。
――兄はもう、生きていないのでは。
――違う! 兄は生きて、私を待ってる!
ぐるぐると諦観する思いと希望を求める思いが頭を回る。嘆き、悲しみ、何度涙で目を腫らした夜を越えたことか。
世間を信じられなくなり、何ヶ月も学校にも行かず兄を探し回るコノミを、周囲の人間はは無責任に哀れみ、忌避した。そうして、コノミは更に心を閉ざしていった。
ある日のこと。いつもの様に兄を探すコノミの前に、ある男が現れた。男は、彼女に囁く。
――兄の行方を知りたくはないかい?
同情ならいらないと突っぱねるコノミに、男は一枚の写真を差し出す。それは、リノリウムの床の上で、他の子供達に囲まれて座る兄の姿を窓の外から写した物だった。日付は、その日から一ヶ月前――。
――答えて。兄さんはどこにいるの!?
詰め寄るコノミに、歪んだ笑顔を向ける男は取引を持ちかけた。兄の居場所を教える代わりに、自分達の計画に協力してもらう、と。
悪魔の契約だ。分かっていて、コノミはそれを飲んだ。そうして得た真実は――コノミを壊すには充分な物だった。
その日の深夜。コノミは男に持たされた拳銃を使って、両親と交渉しに行った。その結果は、「化物を迎え入れるつもりはない」という物だった。交渉決裂だと言って、コノミはまず父親を撃った。それを見た母親に命乞いされても、その後母も撃ち二人とも死んだと確認しても、弾が切れるまで何度も何度も何度も撃った。そうして、狂った様に笑い続けた。――いや、もう狂っていたのだ、彼女は。
やり過ぎだと言う男は、笑って彼女に「戦力」を与えた。そうして押しかけて来たがめつい叔母、兄を虐めていた従兄弟、無責任な視線を向けていた人間――皆、殺した。
逃れようのない罪を犯した彼女を逃した男は、使いを通して兄の居場所を教えた。そうして彼女は「町」を訪れ――ついに兄を見つけたのだ。
*
コノミは、兄と共に国外へ逃亡することを目論んでいた。そのための準備を男達に行ってもらう手筈だったのだが――まだ、準備はできていないと言う。
――化物が、そんなことも迅速にできない訳!?
怒りを何とか腹の底へと隠し、コノミはドアを開ける。怒り狂った自分を、兄には見せたくない。
ドアの前には、姿を変えても愛しく感じる兄がいた。兄は、驚いた様に目を丸くした後、にっこりとコノミに笑いかける。
――ああ、この笑顔が大好き。
怒りが霧散していくのを感じながら、コノミは兄に笑い返す。
「どうしたの、兄さん?」
「コノミさん。……あのね、一期がお手洗いに行きたいと言っているんだ」
「そんなの、我慢させればいいでしょ」
「いや、本気で漏れそうだと言っていてね……このままじゃ、座席を汚してしまう。俺としても座席を汚したくないから、行かせてあげてくれないかな」
「……はあ、分かったわ。兄さんがそう言うなら」
コノミは、一期と呼ばれた青い髪の男に、監視として「兵」を一つ付け、手足の拘束を解かせた。そうして、青髪はトイレへと消えていく。
今度こそ二人きりになった、と浮き立ちながら、コノミは兄に話しかける。
「ねえ兄さん。無事に家に着いたら、一緒に海外旅行に行きましょう!兄さん、どこか行きたいところはある?」
「ええ? そう言われても困ってしまうなあ……」
「私はフランスがいいわ。エッフェル塔が見たいの!」
「俺はどうしたいか分からないな。いつかフランスのことを教えてくれ」
優しい笑み。日差しを受けて、兄の姿が聖人の様に神々しく見えて来る。それを真近で見られる妹の特権に、コノミは内心で兄を付け狙っていた女に舌を出す。
「もう、兄さんも一緒に行くの! 一緒に写真を撮って、美味しいご飯を食べて、綺麗な景色を見るの!」
「そんなことが、できたらいいね」
消極的な兄の反応に、コノミは頰を膨らます。しかし、
「兄さんは、もっと贅沢をしていいのよ! ねえ、どこに行きたい?」
「うーん、そうだなあ……」
その時。彼女の端末からアラームが鳴る。慌てて端末を取り出すと、そこには「兵」が消滅したという表示が出ていた。
――あの化物、何かしたのね!?
トイレへ向かおうとするコノミだったが、兄の唸り声で足を止めさせられる。
「うう……」
「兄さん!? 大丈夫?」
「いっ……た……!」
兄が苦しんでいる。それを何とかしたいと思いつつも、トイレの方も気になる。
どうすればいい。どっちに行けば――
そうしている間に、ドアが開く。青髪の男が、一人で現れた。
「貴方、どういうつもり?」
「どう、とは?」
「私の兵を消したでしょう!? まさかとは思うけれど、私と兄さんの邪魔をする気じゃないでしょうね!?」
コノミの詰問を受け流し、青髪は涼やかに笑う。
「邪魔とは? 私はただ厠へ行っただけです。……ああ、そういえば用を足している途中で時間遡行軍が襲って来たので討ち取りましたが……この点からすると、邪魔をしたのは貴方では?」
「ふざけないで……! やっぱり、あの時捨て置くべきだった!」
もう彼女の堪忍袋の緒は切れている。目の前の男は自分の邪魔をする化物だ。ならば、もう容赦はしない。
「大人しくしていなかったことを、後悔するといいわ。……行きなさい!」
コノミは「兵」――時間遡行軍を展開させる。狭い場所でも動きやすい打刀以下で編成されているその隊は、一斉に青髪に襲いかかった。
青髪は、真っ直ぐ斬りかかって来た短刀を斬り伏せ、その勢いのまま背後にいた脇差を斬り上げた。打刀と鍔迫り合いをした後、押し勝った青髪がふらついた打刀を袈裟懸けに斬った。
「何をしているの! 早くあの化物を殺しなさい!」
コノミは怒りのまま、次々と時間遡行軍を繰り出す。その中には、あの男が「苦無」と呼ぶものまで含まれている。次第に強さを増す兵達に、青髪は次第に押されていった。
「……苦無まで……貴方、どれだけの業を積めばこんなに動かせるのです」
「化物に効く口はないわ!」
コノミは青髪を押している高揚感でいっぱいだった。
――私の邪魔をするものは、一人残らず消え失せればいい!
次第に高らかな笑い声を上げるコノミ。青髪への報復に夢中になっている彼女は、気づかなかった。
頭痛を催していたはずの兄が、己の隣にいないということに。
「あらあら? さっきの生意気な態度はどうしたのよ!」
「はあ、はあ……っ!」
苦しげに息を切らして敵に相対する青髪に、コノミの加虐心は高まっていく。
――もっと苦しめ、そして後悔しろ、私の邪魔をしたことを!
そうして兄に話しかけようとしたことで、ようやくコノミは兄の不在に気がついた。
「兄さん? 兄さんどこ!?」
「……はあ……っ」
「貴方! 兄さんをどこへやったのよ!?」
「……さあ……どこでしょうね」
目の前が赤く染まる。兄と、また引き離されるのか。湧き上がる憤怒に身を任せ、コノミは吠える。
「すっとぼけやがって……! 化物は化物らしく人間に退治されりゃあいいんだよ!」
地が出始めた彼女へ、青髪は疲労を滲ませふっと笑う。
「それが貴方の本性ですか……なかなかに愉快ですが」
「あぁ!?」
凄むコノミの耳に、ギシギシと音が響いてくる。音の方向は――天井。
おかしい。この電車は割と新しく、天井が軋むなんてことはないはずだ。それに、少しずつ
青髪はポケットに手を突っ込みながら、告げた。
「残念ながら――時間切れです」
「――一期!!」
天井に穴が空き、空から白い塊が降ってくる。白い塊に押し潰された苦無は、呆気なく崩れ去った。白い塊――男は、少し涙を滲ませ青髪に駆け寄る。
「無事で良かった、一期……!」
「ぼろぼろだな、でもよく頑張った。後で茶を奢ろう」
天井から、緑色の男も降って来た。白い男と緑色の男に鋭く睨みつけられ、コノミは形勢が逆転したことを理解した。