蒼穹隊の近侍の午前中は目まぐるしかった。何故かというと、あちこちで確認作業を行っていたからである。
「鍛刀で使った資材の量はいくつだ!?」
「木炭、玉鋼、冷却水、砥石全て八百、それを十回です!」
「一期さん、手入れ部屋空いてる? 伽羅ちゃんが中傷なの隠してて……!」
「空いています、どうぞ!」
「遠征部隊が帰って来ました、資材の量の確認をお願いします!」
「今行くよ!」
「一期、資金をこちらに回してくれないか? 米が底をつきそうだ!」
「主と検討します、しばしお待ちください!」
「いちにーい、お菓子が無いぞー!」
「おやつまで我慢しなさい!」
……とまあこんな感じで、あちこちから近侍を呼ぶ声がするのだ。こんな形で人気になりたく無いんだが、と思うと同時に、近侍を志望する一部の刀剣男士に敬意を覚える。
疲れ果てた一期は審神者にしばらく休む様に言われて、自室に戻ろうと廊下を歩いていた。確認要請の声が今度は審神者を呼ぶ物に変わった。その声と審神者の悲鳴を聞きながらふらふらと歩き、自室の障子を開ける。
「あっ、蒼穹のいち兄、お疲れ様ー。ここの近侍は大変だねえ」
ピシャン、と障子を閉める。遠征に出ているはずの鯰尾が本を読んでいたからだ。怠けていたのか、それとも生霊か。というか何故自分の部屋に。一期の背中を冷や汗が伝っていく。
勢いよく再び障子が開かれる。そして一期より少し低い背の男が一期に罵声を浴びせた。
「鯰尾の挨拶を無視するとはいい度胸だな無神経野郎!!」
「ちょ、長谷部さん声大きい!」
「――うわああああっ!」
一期は今度こそへたり込んだ。この異常なまでの身内愛を見せる長谷部は、一期の記憶では春光隊の彼以外あり得ない。何故ここにいるのか。というかどうやって入ったのか。問おうとするが声が上手く出てこない。
バタバタと、複数の軽い足音が近付いて来る。一期の悲鳴を聞きつけて、弟達が駆けつけて来たのだ。
「いち兄、どうしたの!?」
「どうかしましたか!?」
一期が声を出せずにいると、弟達は一期の部屋の中を覗く。すると、彼等の目の前にゴキブリが蠢いているのが見えた。
乱が可愛らしい悲鳴をあげ、怯えて見せる。
「きゃあっ! ゴキブリ怖ーい!」
「また乱の猫被りが出た。……いち兄、ゴキブリに驚いたの?」
「いつもの事だろ。……しかし意外だな、いち兄がゴキブリに怯えるとは」
「本性モロバレだって言ってんのになー。……腰痛めてないか、いちにい?」
「よーし、そこの三振り表に出な! ボコボコにしてあげる!」
「大概にして下さいね……いち兄、何なら僕達が退治をしますが」
一期は心配する前田の言葉に思いっきり首を振った。
「いや、大丈夫だ。障子を開けていきなりいた事に驚いただけだから。退治はできるよ」
「ですが……」
「それよりも、主が呼んでいるんじゃないか? 急いで行った方がいい」
前田は平野と顔を見合わせて、腑に落ちないながらも頷いた。それから三対一にも関わらず、三の方が劣勢である四振りに呼びかける。
「兄さん達、主君が呼んでいますから行きましょう。いち兄は大丈夫らしいですから」
「とりあえず口火を切った奴はぶん殴る!」
「やめてえええ!」
「いい加減にして下さい! 主の呼び出しを無視するつもりですか!?」
平野が乱と信濃の首根っこを掴み、引きずっていく。厚と薬研も前田に誘導されてその場から去る。そして一期の部屋の前には誰もいなくなった。
「いやあ、ゴキブリのおもちゃ持ってて良かったですね!」
「流石の機転だな、鯰尾」
「えっへん!」
……部屋の中にはいつの間に隠れていた二振りがいるが。鯰尾はゴキブリのおもちゃをリモコンで動かしている。一期は、疲労を隠さずに振り向いた。
「……何故ここにいるんですか、春光隊の長谷部殿と鯰尾」
「鯰尾が来たいって言っていたからついて来た」
「ちょっと蒼穹隊の様子が気になってねー。どんな感じなのか実はこっそり見てたんだ! いやー目まぐるしいね、ここの部隊!」
あっけらかんと言ってのける鯰尾に、一期を睨む長谷部。二振りが何の用でここに来たのかはよく分からないが、聞いておきたい事がある。
「いつから見ていたんだい……後、どうやって侵入したんですか……」
前半は鯰尾に、後半は長谷部に問いかける。二振りはきょとんとして、それぞれ答える。
「えっ? いつからって、朝早くにいち兄が審神者さんの部屋に行った所から?」
「何言ってるんだ? 俺達ならここの部隊は五分で制圧できるぞ」
「えっ」
一期が首を絞められた鳥の様な声を上げる。――朝早くに来ていてそれに気付けなかった? 五分で制圧できる? 一期の頭は混乱の渦に飲み込まれた。それを見た鯰尾が慌てて注釈する。
「あ、主将である審神者さんを討ち取るのに五分かかるって事だからね? 流石にここの部隊全員を相手にするのは無理だよ。……後、するつもりも無いから!」
「……お前から見て、ここの本丸の警備度合いはどう思う」
「……正直言ってザルだね。審神者さんに警備費増やして貰った方がいいと思うよ」
「そうするよ……」
がっくりと項垂れる一期に、まあこれが普通だから、と鯰尾がなっているか分からない慰めをする。
その横を、長谷部が通り過ぎた。廊下を歩いて消えていく背中を見て、一期は追いかけようと立ち上がるも、鯰尾に制止される。
「いち兄、大丈夫だよ」
「でも、うちのものに見つかったら……」
「長谷部さんはそんなヘマしないよ、大丈夫。……心配なんだね、やっぱり」
後半は本当に小さな声だった。鯰尾の表情は、慈愛と懸念が入り混じった物だ。鯰尾は一期に見られていると分かると、すぐに表情を笑顔に変える。
「よし、それじゃあいち兄の春画の隠し所はどこかなーっと」
「いや、何を探す気だ鯰尾」
「男なら一冊くらい春画を持ってる物でしょ! さーてどこかなー」
「物を漁るのはやめなさい!」
鯰尾ががさがさと押入れを漁っている。それを制止させようと一期は鯰尾の腰を掴み引っ張り出そうとした。しかし鯰尾はかなりの力で押入れにへばりついている。
しばらく押し合いへし合いが続いたが、いきなり固まった鯰尾を思いっきり引っ張ったため、一期は強かに腰を打つ。
「いった……! 鯰尾、何かあったのか――」
引っ張り出された鯰尾の手には、一冊のアルバムが握られていた。開かれているページは、少女が鯰尾をはじめとした刀剣男士達に囲まれている写真があるページ。一期は背後から覗き込み、それを見た。
「……あれ、こんなの押入れにあったか? もしかしたら主が片付け忘れて――」
「――主だ」
「え?」
鯰尾の声は、震えていた。涙で濡れているようにも思える。ページの端を握りしめ、鯰尾は押し殺した叫びを上げた。
「主の写真だ……!」
一期は再びアルバムを見る。
少女は六歳程の幼い姿をしていた。髪をツインテールにして、質素な和服を着ている。顔は紙の面でよく見えない。彼女の手を繋いでいるのは、歌仙と長谷部だ。周囲には二つの刀装を操れるものしかいなかった。が、それでも二十数振りいるのだ。現在の春光隊と比べると、かなりの大所帯である。
「……可愛らしい審神者殿だね」
「……うん。可愛らしくて、優しくて……悲しい子だった」
最後の一言が耳に残る。悲しい子とはどういう事だろう。
首を傾げる一期に、涙を浮かべながら鯰尾は笑った。
「滅茶苦茶気になるって顔してるよ。……ちょうどいいから、話そうか。主がいた頃の、俺達の話を」
鯰尾は、正座になってから一期に向き直る。一期も座布団を鯰尾に渡して、自身も座布団の上に座ってから鯰尾の方を向いた。
そうして、長い話が始まった。