木々の合間を縫って、氷雨の鶴丸は走り続けていた。懐に入っている紙片を落としていないか確かめながら、目的地まで駆け抜ける。
鶴丸は19478番の事を調べる為に、晦冥研究所へと向かっていた。第八暗影研究所は粉々になってしまったので、他の研究所を通して19478番の手がかりが掴めないかと思っていたのだ。自隊の蜂須賀の記憶が消され、蒼穹の一期の記憶が無事だった理由。それを見つける為に、鶴丸はこうして走っているのだ。
研究所が見えてきた頃、背後から猛烈な勢いで追いかけてくる気配を感じて、鶴丸はちらりと背後を見る。それが覚えのあるものだった事を確認し、足を止めて振り返った。
「よっ、小夜坊。こんな所まで何の用だ?」
「……それはこちらの台詞です、鶴丸さん」
気配――小夜は、毛を逆立てた猫の様に殺気立っている。研究所を一瞥してから鋒を鶴丸に突きつけ、問い詰める。
「こんな遅くに、何の用でここに来たんですか」
「いやあ、夜の散歩をしたくなってな」
「……物凄い勢いで走って、研究所まで散歩に?」
「らんにんぐ、だったか。たまにはそういうのもいいだろう?」
「何故、一直線に研究所まで来たのかを聞いているんです。……僕が貴方の後をつけたのは主からの命令です。不用意な行動をすれば斬り捨てて構わないと」
飄々と返す鶴丸に殺気を更に濃くする小夜。夜は短刀と脇差の独壇場だ。ここで戦闘になり、真相を掴めなくなるのは避けたい。鶴丸は一か八かで小夜を抱き込む事を計画し、ひとまずは両腕を上げた。
「すまんすまん、誤魔化す様な真似をして。……俺がここに来たのはな、これの事を調べたかったからなんだ」
懐から赤錆びた紙片を取り出して、手の上に広げる。小夜はそれを見て、目を見開いた。
「……これ、持ち帰っていたんですか」
「ああ、気になってな。ずっと考えていたんだ、19478番がどうなったのか。今どうしているのか、幸せなのか、不幸せなのか。ずっとずっと気になっていた。……それから、蜂須賀の事もある」
「蜂須賀さんが、どう関わっていると?」
小夜の問いに、鶴丸は首を振る。
「それは分からない。……雲霄の三日月に煽られてな、今までの事を繋げれば真相が分かると。だからまず、19478番の事を調べようと思ったんだ。なあ、気にならないか? 何故蜂須賀の記憶が消されたのか。何故蒼穹の一期は記憶を消されなかったのか。俺は気になって仕方が無い。それに、19478番が真相を握っているにしろそうでないにしろ、俺は最初からそいつの事を調べようとしていた。今日駄目なら明日、明日駄目なら明後日、明後日が駄目でもいつかは必ず、俺は19478番を探しに行くぞ」
拳を握りしめ、視線と言葉に力を込め、背筋を伸ばし、鶴丸は小夜を見据える。調査部隊員である事は伊達では無く、鶴丸は覇気を纏わせて小夜の殺気を受け止めていた。
小夜は表情には出さなかったが、かなり驚いていた。鶴丸がこうも露骨に力を表に出す事は珍しい。それだけ、彼は真相を渇望しているのだろう。――それこそ、小夜と刺し違えてでも。
小夜は刀身をゆっくりと地に向けて、殺気を鎮めた。
「……分かりました。僕も同行します」
「え? 主の命令に従わなくていいのかい?」
小夜の言葉に鶴丸は思わず目を丸くする。小夜は目を閉じて納刀しながら告げた。
「主も僕が鶴丸さんを止められるとは思っていなかったでしょう。生半可な気持ちで調べようとしていたのなら引きずって本丸まで連れて帰りましたが、そこまで本気なら何度も貴方は抜け出すでしょうね。――主はこうも言っていました、『鶴丸は頃合いだろうな』と。主は、貴方がその真相とやらに近付く事も予測して僕を送り込んだのかもしれませんね。……それに、僕も19478番の事は気になります。夜は短刀の力が大きくなるので、僕を連れて行くのは得策かと」
小夜の提案に鶴丸はしばらく呆然としてから、頭の中でこれからの事を組み立てていく。一通り考えてから、小夜に手を差し出した。
「ついてきてくれるなら、これ以上に心強い味方もいないだろうな。小夜坊、頼めるか?」
「はい。くれぐれも、僕から離れない様にして下さいね」
小夜は鶴丸の手を強い力で握り返す。手を離すと二振りは、ぽつぽつと電気が灯る研究所に強い眼差しを向けた。
*
かちゃかちゃと、ドアから不審な音がしている。それはしばらく続き、音が止んだ直後にゆっくりとドアが開かれた。ドアの外から、鶴丸と小夜が左右を確認して内側に入る。二振りがドアを閉ざすと、眩い月光が遮断された。
「いやー、まさか小夜坊が鍵開けの技能を持っていたとはなあ。駄目だったら扉を破壊して入ろうとしていたんだが」
「……万が一の為と思って、身につけておいて良かったです。後それ、すぐに気付かれますよ」
あっけらかんと言い放つ鶴丸に小夜が呆れた声を出す。二振りは音をなるべく立てずに階段を降りて行った。
二振りは、研究所の屋上から施設内に侵入しようと試みた。正面から入るのはもっての他だし、窓を割ったらすぐに感知されるだろうと思い屋上を侵入経路に定めた。作戦としては、小夜が窓の縁を掴んでロッククライミングの要領で登り、屋上に着いたら縄を垂らして鶴丸を引き上げるというもの。ここで見つかったら一巻の終わりだし、そもそも窓の縁を登るのも無茶があると鶴丸は思っていたのだが――小夜は、難なく成功させた。さくさくと登って行き、屋上から縄を垂らされた時には目玉が飛び出るかと思った。これが夜戦に強い短刀の力か、と感心しながら鶴丸も縄を掴んだ。
屋上には、思っていた通りドアがあった。問題は、ここからどうやって入るかだ。すると小夜がこれから見る事は内密に、と言ってピッキング道具を取り出した。ドアに近付きピッキングを進める小夜に、彼が来てくれて良かったと思うと同時に誰が彼にピッキングを仕込んだのか気になった。が、小夜にも知られたく無い事はあるだろうと鶴丸は口をつぐむ。開きました、と告げられて鶴丸がドアノブを回すと、呆気なくドアを引いて開けられた。月明かりが照らす中、二振りの刀剣男士は晦冥研究所へと侵入したのだった。
「よし、ここからは慎重に進むぞ。小夜坊、索敵は頼んだ」
「はい」
まずは一番上の階から。小夜が踊り場で立ち止まって周囲を警戒する。小夜は再び髪の毛を逆立てて気配を探り、周囲に人がいない事を確かめてから鶴丸を先導した。
「この階に動いているものの気配はありません。行きましょう」
動いているものがいないとしても、いつ誰かが登ってくるか分からない。二振りは足早に開いている部屋へと滑り込む。
その部屋には、様々な実験道具が置かれていた。中には誰もおらず、ドアから見て正面奥と右側に配置された机の上には書類や道具が散乱している。ドア左手には実験道具が入った棚とホワイトボードが並んでいた。
「……分かっちゃいたが薬品臭いな。さっさと調べよう」
鶴丸の言葉に小夜は頷き、右側の机に近付いた。鶴丸も奥の机に向かう。書類を手に取り読んでみるも、小難しい数式などが並んでいるその書類達は、鶴丸にとって余りにも難解過ぎた。思わず、がしがしと頭を掻いてしまう。
小夜の様子を見ると、彼は真剣に書類に目を通している。それを見て、改めて書類達に向き合うと、ある紙の中に気になる文を見つけた。
『……語られる歴史は流動的な物であり、過去の文献から読み取れる歴史の流れは偏っている事も多い。正しい歴史を突き止めようにも、文献の筆者が偏った考え方をしているのなら整合性が低下する。歴史は、人物によって受け取り方が異なる。それでも歴史学者達は、出来る限り客観性のある歴史の流れを見出そうとした』
当然の事を、と息を吐いた。どんな出来事も立場や考え、状況が違えば解釈も異なる。同じ人間など存在しない以上、まるっきり同じ解釈が出る事も無いだろう。それこそ、本当に客観的な歴史を示せるのは神しかいないだろう――その神にも思考の偏りが無ければ、だが。付喪神たる自分でさえ、少し思考の偏りがあると感じられる。それを考えると、完全に客観的な歴史は無い物として扱うのが一番では無いかと思えた。
『一方で化学者達は、犬の遺骨がある種のエネルギーを発しているのを突き止めた。生物の遺骨からエネルギーを抽出した彼等はそれを新たな電力源として用いる事が出来ないか研究し始めた。しかし、電力としては微弱であったそのエネルギーは実用には至らなかった』
犬や生き物を少し哀れに感じてしまう。死してなお鞭打つ様に実験に使われるのだ、化学者達は祟られてもおかしくは無いだろう。死んだものは安らかに眠りにつかせるべきだ、余程の例外が無い限りは。例えば、お飾りとされて本分を果たせなくなってしまった刀剣達は、屍の様であった昔と比べたら今は生き生きとしているものが多いだろう。そういったものを除けば、基本的には死したものは眠らせるに越した事は無い。
ふと考える。犬や生き物は確かに生物だが、自分達は物だ。それと同列に扱うのはどうなのだろうか。そう思いながら、読み進める。
『歴史学者達はその研究に目を付けた。その化学者達と合同で、遺骨から歴史を抽出出来ないか試したのだ。結論から言えば、それは成功した。数多の犠牲が出たが、新たな視点から歴史を観測出来た事を歴史学者達は喜んだ。一方で化学者達も、自分達の研究に価値があると証明された事は大きな収穫であった』
――遺骨から歴史を抽出? それはどういう事だろう。それに、数多の犠牲とは?
鶴丸が顔をしかめて紙を睨んでいると、横からさわさわと何かが腕に触れる感覚があった。見ると、小夜が鶴丸の持っている紙を覗き込もうとしていた。鶴丸は少し屈んで小夜に紙を見せた。
「小夜坊。そっちは見終わったのか?」
「……はい。一通り見ましたが少し気になる事があって。鶴丸さんはどのくらい読み進めましたか?」
「いや、こっちは全然だ。どうにも難しくてなあ、細かい数式ばっかりで。まともに読めるのがこの紙くらいだ」
「……少し読み辛いので、紙を渡して貰えますか?」
鶴丸は小夜に紙を手渡す。紙に目を通しながら、小夜は然程大きく無い声で説明する。
「僕の方は、『情報生命体』なるものの研究成果でした。『先天性』と『後天性』に別れている様で、それの大まかな説明が」
「……情報生命体? なんじゃそりゃ」
「……多分、ですが。僕達の事だと思いますよ」
小夜は紙から目を離さずにそう告げる。目を軽く見開き、呆然と鶴丸は呟く。
「……えーと、俺達って、付喪神だよな?」
「そうです。ただし、現代の化学者は神をそう呼ぶかと思われます」
「……神を一種の生物にするか。人間はいつからここまで恐れ知らずになったんだか」
「今も昔も変わらない人種は変わりませんよ。確か現世で、ある宗教団体の御神体を食べた少女が現在も逃亡中だとか」
「あー、機密文書に書いてあったなあ、そんな事。……そいつ、恐れ知らずどころじゃないんじゃないのか……」
こっちも食われたらたまったもんじゃないな、と鶴丸は乾いた笑いを浮かべた。口に手を当てた小夜は笑わずに紙を睨み続けている。
「……分からないのが一つあったんですよね。『《先天性》は《後天性》を疎外する傾向あり、研究を進めよ』と書かれているのですが、この二つの違いは何なのか」
「先天性、後天性ねえ……」
考えてみるも、説明出来る気がしない。化学は鶴丸の範疇外だ。先からと後からの何かなのは、何となく分かるが。
チャリン、と金属の音が鳴る。顔を上げた小夜が、左手で鍵を持っていた。
「……机の上に置いてありました。二階の部屋の鍵みたいです。次は、この鍵の部屋に行ってみましょう」
「分かった、もう少し調べたら行こう」
鶴丸はそう告げて、小夜から鍵を受け取った。
***
月明かりの下、人通りの無い滑莧園正門前に一つの影があった。影は門を見据えて、呟く。
「ここに、母様が」
白く長い髪がたなびく。その影は手にした刀を抜き放ち、月光に刀身を照らした。
「待っていて下さい、母様。
ニタリと笑った影は門をひらりと飛び越え、滑莧園の棟内に入って行く。
――母を求める血に塗れた殺戮者を、子供達の園は呆気なく迎え入れてしまった。