月が高く昇り、天から全てを見下ろしている。雲霄の鶯丸は、縁側で軽食と共に茶を飲んでいた。近くには、旧型の端末が置いてある。
端末を通じて江雪からの救援要請が来たのは、滑莧園からの通報があった直後だった。トークルームには「政府のものが向かう、少し待て」と書いておいたが、既読マークは付いていない。そしてその後氷雨隊の審神者を通じて知らされた、研究所に指名手配中の個体が出現した事も鶯丸の心配の種だった。恐らくは鶴丸が潜入して、鉢合わせてしまったのだろう。
滑莧園には別の政府直属の部隊が、研究所には雲霄の第三部隊が向かったと言うが、どうなったのか。
江雪と鶴丸は無事なのだろうか。もしかしたら、江雪の救援要請を受けて一期も飛び出してしまったのでは無いのか。友達の心配をしていると、廊下に二つの影が差し込む。
「よっ、鶯丸」
「相変わらず酒じゃなくて茶飲みよーと?」
「太鼓鐘、博多」
第三部隊の太鼓鐘と博多が、少しの傷をこさえて立っていた。茶を勧めると、今から手入れ部屋だと断られる。そう言う割には鶯丸の隣にそれぞれ座り、思いっきり愚痴を零し始めた。
「聞いてくれよ鶯丸ー! 俺指名手配中の蛍丸の方追いかけてたんだけど、後ちょっとって所で逃しちまったんだよ!」
「お前は部隊に配属されたのは初めてだったか?」
「いーや、三度目。それで追い詰めた! って思ったら後ろからどこぞの鶴さんが現れて、ヤバって時には閃光弾放たれて……気が付いたら二振り共消えてたんだよー! 本当に後ちょっとだったのになぁ……!」
「太鼓鐘は焦りすぎばい。あん時はもう少し慎重になった方が良かったかもしれんね」
「……鶴丸? 氷雨隊の……では無いよな」
鶯丸が疑る目を向けると、博多はああ、と言って手を横に振る。
「違う違う。氷雨の鶴丸しゃんは主人の所ににおるばい。あれは別刃やった。ただ、蛍丸が俺ん足ん速しゃに負けんのは驚異的たい」
「博多の足と互角の相手……分かってはいたが恐ろしいな」
「本当に、外道に堕ちた奴なんだな、あの蛍丸は」
太鼓鐘は後ろに手をつき空を見上げる。月は雲に隠れ始め、少しずつ周囲を暗く染め上げつつあった。
博多がふと鶯丸の端末を見て告げる。
「鶯丸しゃん、主人の所に行ってきたらどげん? 今事情聴取ばしよー所やけん」
「いいのか?」
「友達がおった方が話しやすかやろうけんね、主人もそう思うとーばい」
そうか、と言って鶯丸は立ち上がる。湯呑みを室内に入れて、二振りに傷をよく治すよう言い聞かせて執務室へと向かった。
太鼓鐘と博多も立ち上がり、手入れ部屋に向かう。
「しかし、あの鶴さんさあ……
「そうやなあ。前ん主人とん契約が切れとらんのか、あるいは……」
「……どこかの部隊に潜り込んでる?」
「そん部隊ん主人と組んどったら最悪ばい」
「本格的に潜入捜査になるだろうなあ」
太鼓鐘は歩きながら厚い雲で覆われた空に月を探すも、光はどこにもありはしなかった。
「……一雨来そうだな」
***
「いち兄! 骨喰!」
「前田、大丈夫ですか!?」
「うわあああん、無事で良かったです……!」
蒼穹隊の玄関口に粟田口派が集まっていた。一期は前田を背負いながら、骨喰と兄弟達と共に手入れ部屋へと向かう。普段は人妻、お菓子と騒ぐ包丁も、今は心配そうに一期達を見つめている。
「いち兄、子供達はどうなったの?」
「江雪殿の本丸で一時預かる事になったそうだよ。……心身共に傷付いている子が多いから、早く癒えてくれる事を祈るしか無いね」
「そっかー、ボク子供達に会ってみたかったんだけど……しばらくは無理そうだね」
「薬研が手入れ部屋の準備してくれてるぜ、早く治してくれよな。子供達の所にも早く顔出したいだろ?」
「犠牲が出てしまった事を、鳴狐も大層嘆いております。一度全員に会いたかったと……犯人は逃走したとの事、無念で仕方ありません」
そう話しながら、軋む廊下を歩いていく。弟達を失う事は、あの子供達が「家族」を失うのと似た痛みをもたらすのだろうかと一期は考えながら歩いていた。総勢一二振りの大所帯で歩いていると、それはもう賑やかだ。この賑やかさを失う事など、考えたくも無い。そう思いながら手入れ部屋の前にいる薬研に手を振った所で。
――すっ、と粟田口派の横を誰かが通り過ぎた。
その違和感に、一期は足を止める。何故か顔から血の気が引くのを感じていた。いち兄? どうしたの? 兄弟達の声が、反響する。前田、骨喰、鯰尾、平野、五虎退、包丁、信濃、乱、厚、薬研、鳴狐――十一振りが思い思いに一期に話しかける。
何だ。何だ、さっきのどうしようも無い違和感は。思い出せ、思い出せ、一体、何が――
「――一期」
気が付くと、目の前に審神者がいた。兄弟達は、審神者が通れる様に道を開けていた。先程までの違和感を頭の隅に置きながら、一期は審神者に微笑む。
「主、挨拶が遅れました。――只今戻りました」
「ああ、お帰り。……前田が重傷か。俺の命令には従えなかったか」
「申し訳、ありません。戦況を、見誤りました」
「前田にはしばらく出陣を控えて貰う。一期もそれ相応の罰を考えんとな。……でも今は」
審神者は、一期の頭に手を置いて、わしゃりと撫でた。
「よく帰って来た。強敵から子供達を守り、無事に帰還した事。それを讃えよう」
「……私は、全員を守れませんでした」
「いや、全滅や一人だけ残る事が最悪だ。一人だけだったら支え合う者がいない。だが九人だ。それなら何とかやり直せる。一期、九人をあの場所から救った事を、自分で褒めてやれ」
審神者の温かい手が、涙腺を刺激する。悔しい、悲しい、寂しい。そんな感情に支配された今、流れ出る物を止める手段を今の一期は持ち合わせていなかった。
兄弟達は、涙を流す長兄と審神者を優しく見守っていた。それに審神者は気恥ずかしくなったのか慌てて粟田口派に告げる。
「お前さん達、遅いんだからそろそろ寝ろ! 明日も忙しくなるんだからよ!」
「はーい」
「いち兄、おやすみー」
「ゆっくりお休み下さい!」
「前田、先に手入れ部屋に入りましょう」
兄弟達が去り、その場には審神者と一期が残る。涙を拭って、一期は審神者へと顔を向けた。
「お見苦しい所を失礼致しました……」
「いやいや、たまには泣く事も大切だ。……そういや、一期。お前さんが兄弟と喧嘩なんて珍しいなあ」
「……はい?」
いきなり何を言い出すのか。胡乱な目で審神者を見る一期は、続く言葉に凍りついた。
「いや、いきなり部屋に駆け込んで来て泣きながら『しばらく休暇を下さい』って言われた時は何だと思ったよ。何があったんだって聞いても口を割らねえし。でも一期の名前を出したらかなり動揺してて、かなり精神的に参ってると判断したから、それに許可を出しちまったけど」
「……その、私の兄弟と言うのは一体」
心臓が嫌な音を立てる。先程の違和感が再び頭をもたげる。しかし、この期に及んでも、その違和感が分からない。どうしたら、どうしたら思い出せる? 思い出せなければ、手遅れになるかもしれないのに――
審神者は妙なものを見る様な顔で、口を開く。
「一体って――秋田の事だろう? お前さん、もしかしてどこか調子悪いか? すぐ手入れ部屋に行った方がいい」
***
春光隊の台所で、長谷部と鯰尾が食器の片付けを行っている。長谷部が一つ一つ丁寧に洗っては鯰尾に渡し、鯰尾はそれを棚にしまう。そうした作業を繰り返しながら、鯰尾は問い掛けた。
「じゃあ滑莧園の五虎退と小夜ちゃんは、しばらくはうち預かりになったんですね?」
「ああ。また騒がしくなるだろうな」
「賑やかなのはいい事ですよ。気分が明るくなるじゃないですか」
「……それにしても、薬研があそこまでやられるとはな。あの小狐丸、相当な手練れらしい」
「まあ中傷で済んで良かったと思うべきなんでしょうね……政府の部隊が来なかったらもっと大変な事になってたでしょうし」
会話が途切れる。長谷部は眉間に皺を寄せ、淡々と食器を洗い続けている。ちらちらと見てから意を決して、鯰尾は呼び掛けた。
「ねえ、
「何だ」
「
その問いに長谷部はピタリと作業を止めて目を閉ざし、皿の上に水が跳ねて辺りを濡らしている光景を遮ってから答える。
「……
「そうですか……良かった」
ふう、と息を吐いてから顔を引き締め、鯰尾は再び長谷部の側に寄っていく。
「長谷部さん、覚えておいて下さい。俺達は
「……分かっている。死ななきゃ安い。逆に言えば、死んだら全てが終いだ」
「そうです。それでいいんですよ。貴方と
鯰尾は微笑んで、長谷部から皿を受け取る。長谷部が再び皿を洗おうとした時、リビングから聞こえる歌仙の穏やかな声に手を止めた。
「君達、そろそろ石切丸が帰って来るよ。お出迎えの準備を始めた方がいい」
「もうそんな時間か」
時計を見て台所を出ようとする長谷部に、鯰尾が制止をかける。
「長谷部さん、
「しかし……」
「大丈夫。僕達も心得ているから。君も疲れているだろう? 君の話も聞きたい所だけど、明日倒れたら大変だし」
「……分かった。任せたぞ」
長谷部はふらふらと台所を出て、リビングを通り、階段へと消える。鯰尾と歌仙は玄関へと向かい、ドアを開けて外を窺った。
「……長谷部さん、かなり参っているみたいでしたね」
「心配だね、やっぱり……。しばらくゆっくり休んで貰いたいけど、彼がそれを許さないだろうし」
どうしたらいいんだろうね、と歌仙は息を吐く。鯰尾も俯き、顔に陰を落とす。
そうしてから数分すると、鯰尾が気配を感知して顔を上げる。目の前に、石切丸と
「石切丸さん、隣にいるのは
「そうだよ。……さ、ここまで来ればもう大丈夫だからね」
「石切丸、ありがとう。それじゃあ改めて紹介しようか」
歌仙はその表情を柔らかい笑みに変えて、石切丸の陰にいる
「春光隊にようこそ、蒼穹隊の秋田藤四郎。ここは君の止まり木。再び立ち上がれる様になるまで、ゆっくりしていくといい」