空隙の町の物語   作:越季

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「いち兄、ボク達のこと好き?」
「もちろん、私はお前達を愛しているよ」
「僕も、いち兄が大好きです!」
「ぼ、僕も……!」
「オレも!」
「俺もだよ!」
「ま、嫌いな兄弟はいないわな」

 その一帯が笑い声に包まれる。側から見れば、とても微笑ましい光景。しかし、その中に『彼』の姿はない。『彼』は、その中に入れない。
 ――嘘つき。『彼』は呟く。
 ――嘘つき、嘘つき、嘘つき! 「お前達」と言いながら、こっちをしっかりと見た事もないじゃないか!
 毎日、毎日輪の中心にいるものを呪った『彼』だったが、ある日ふと思い至る。
 ――ああ、期待をするから駄目なんだ。期待さえしなければ、飢え渇く事も、呪う事も無い。
 ――求める事も、呪う事も、もう疲れた。
 そうして『彼』は、涙と共にある感情の欠片を壊した。
 ――ある刀剣男士への、思慕の欠片を。


第十二話「涙に満ちた彼の夢」
12-1「透明少年を巡るもの」


 雨が降りしきる森の中で葉が音色を響かせている。森の中には家が点在しており、空き家や住人がいる家も雨粒を一身に受けている。まだこの辺りも目を覚ましたばかり、本格的に動き出すのはまだ先だろう。

 そんな中、少し異様な様子を見せる家が一軒。ある家のドアの前に仁王立ちで立っている男が、目の前の男と押し問答を繰り広げているのだ。

 

「帰れ」

 

 ドアの前に立つ男――春光の長谷部はにべも無く、目の前の紙袋を持つ男に告げた。しかし、彼はまだ引かない。

 

「せめて、直接謝りたいのです。中に入れて貰う訳にはいきませんか」

「本人は会う気無しと言っている。まだ傷が癒えていないのに傷付けた張本人と合わせるつもりは無い」

「……今までの事を言い訳する気はありません。ですが、秋田が元気かどうかだけでも確かめたくて――」

「蒼穹隊、一期一振」

 

 長谷部は白黒のジャージからカソックとストラを基調とした戦装束に身を変え、兵を展開させる。兵の手には、投石器が構えられていた。

 

「最終通告だ。――ここから即刻立ち去れ」

 

 投石兵は男――蒼穹の一期に向けられている。それを従える長谷部の目は凶悪犯を見るが如く冷たく細められている。流石の一期も、ここまでの敵対行為を見せられたら退がるしか無い。せめてもと、長谷部の手に紙袋を渡そうと手を差し出す。

 

「……がざにあの菓子折りです。皆様でお召し上がり下さい」

 

 差し出し続けられる手に、長谷部は紙袋をしぶしぶ受け取る。そうして一期は一礼すると、背筋を伸ばしながらも気落ちした雰囲気を漂わせて森の外へ歩き出す。

 一期が視界から消えたのを確かめ、長谷部は大きく息を吐いた。それから兵をしまい着ている物を戦装束からジャージに戻す。張り詰めている糸が何とか切れない様にドアを開けて中に入ると、玄関から繋がる廊下に歌仙が立っていた。

 

「……一期、来たみたいだね」

「ああ。追い返したが」

「そうだね……秋田のあの精神状態じゃ、会っても拗れさせるだけか」

 

 二階からは赤子の様に秋田が泣き喚き、それを宥める鯰尾と薬研の声が聞こえてくる。階段を見上げて、長谷部と歌仙は心配そうに顔を歪めた。

 昨夜滑莧園の五虎退と小夜を引き取った後、春光隊に連絡が入った。電話の相手は「チラシを見た、居場所を作れるというのは本当か」と尋ね、電話に出た歌仙はそれを肯定した。すると電話の相手――蒼穹の秋田藤四郎は、「見学希望」を申し出て来た。

 春光隊は、秋田の様な()()()()()()()の一時預かりを行っている。預かる刀剣男士は本丸に馴染めず、傷付き疲れ果てた状態になっているケースも少なくは無い。そういった相手には、とことん遊んだり、話を聞いたり、時折出陣をしてコミュニケーションを取る練習をする。大抵は適宜様子を見て審神者に連絡を入れて、()()の説明及び引き取りをして貰っているが、今回の様に一期が真っ先に様子を見に来る事は非常に稀だ。()()の現状が知られていない事を嘆くべきか、一期が秋田の真実に近付けた事を喜ぶべきか。

 長谷部はリビングのソファーに座って、テレビのリモコンを探しながら歌仙に問う。

 

「歌仙は小夜と話さなくていいのか? 旧知の仲なんだろう?」

「そうなんだけど……どうも記憶があやふやらしいんだ、あのお小夜は。警戒されて五虎退の後ろに隠れられた事が、思いの外悲しくてね……」

「記憶の定着が甘くても、魂が定着しているなら仲良くなれると思う。もう一度小夜と話してみたらどうだ? 俺は五虎退と話してみるから」

「……そうだね、預かっている以上はうちの案件だ。二振りが同じ本丸に配属されるとは限らないし、一振りでやっていく練習をしなくてはね」

 

 歌仙はぐっと拳を握り、気合を入れて小夜と五虎退がいる台所へ歩き出す。

 あの時、小夜と五虎退はいきなり知らない場所に放り込まれ、いきなり滑莧園の子供達に詰め寄られ、いきなり政府の部隊に質問攻めにされたのだ。精神が安定しているとは言い難かった二振りは、あっという間に混乱状態に陥った。不安を共有出来る相手がお互いしかいない今、別の部隊に配属になっては心が折れかねない。そこで、事情をよく知っていてその事情に纏わる活動をしている春光隊が一時預かりとなったのだが――この本丸に来てから、二振りはいつも一緒に行動していた。まるで、不安を紛らわす様に。研究員にはもう少し何とかして欲しかったと思うが、恐らく説明する前に襲撃されてしまったのだろう。

 長谷部はこちらに来た五虎退に気付くと、隣に座る様勧める。五虎退は台所をちらちらと見ながらも、長谷部の横にちょこんと座った。

 

「何か見たい物はあるか? プリ○ュアとか戦隊モノとか朝ドラとかサスペンスとか何でもあるぞ」

「え、えっと、幅が広過ぎじゃありませんか……?」

「鯰尾が集めた物だからなあ……うちの鯰尾は何でも見るぞ。俺には見せて貰えないアニメとか映画とかも見ているらしいし」

「……そうなんですね。らしいと言えばらしいんでしょうか。……僕、笑える物が見たいんですけど、何かありますか」

「よし」

 

 長谷部はリモコンを操作して、少女漫画家の男子高校生を中心としたアニメを選択した。一話目を再生すると、夕陽に照らされた教室が映し出される。

 時間が過ぎる程に五虎退は強張らせていた体の力を緩め、クスクスと笑い声を上げている。長谷部もこのアニメが好きで、つい要所要所で笑ってしまう。五虎退は一話目を見終わった後、長谷部の緩んだ表情を見て目を丸くした。

 

「……長谷部さん、怖そうに見えて怖くないです」

「正直だなお前は。まあ俺はこんな感じだ。歌仙の方が怖いぞ」

「えっ、あの優しそうな方が?」

「ちょっと危険な事をしたら、まさに鬼の形相で叱られた。何度意識が遠のいた事か……でも、心配してくれているから叱るんだって分かっているから、嫌な思いはしないけどな。歌仙は面白い小説とかをよく知っているし、料理は美味しいし、戦う時は頼りになるし……本当にいい奴なんだ」

「……長谷部さん、歌仙さんが大好きなんですね」

 

 その言葉に長谷部は目を瞬かせた後、破顔する。

 

「歌仙だけじゃ無く、この本丸の皆が好きだぞ。何せ、俺を()()()()()()本丸だ。悪感情なんて、どこにも無いさ」

 

***

 

 森の中をとぼとぼと、水色の傘を持って蒼穹の一期は歩いていた。秋田に謝ろうと春光隊を訪れたが、先程の長谷部の態度からは取り付く島も無かった。

 当然の話だ。――自分は秋田にそれだけの事をしたのだから。

 

 

 昨夜、秋田の存在を審神者に告げられるまで軽視していた事に気付いた一期は、慌てて審神者に事情を説明した。すると審神者は、驚きながらもどこか納得した表情で言う。

 

「今まで、俺も何度か相談を受けていたんだ。『僕の存在が薄い』ってな。でも見る限り、他の奴らとは話が成立していたみたいだったし、軽く考えちまってたが……あんな泣き方する程追い詰められているとなっちゃ、しばらくは帰って来ないかもな……くそっ、俺も阿呆だ」

「主、秋田の行き先に心当たりは!?」

 

 最早悲鳴に近い声で審神者に尋ねる。審神者も頭を掻き毟りながら答えた。

 

「……秋田の手に、紙が握られていたんだ。内容はよく見えなかったが、笑っている長谷部らしき絵が描かれていたのが特徴的だった。変な所へ行ったんじゃ無いといいが――一期!?」

 

 審神者の話の途中で一期は駆け出す。審神者の慌てた声を振り切り、自室へと向かう。ガラリと障子を開け、文机の引き出しを探る。

 そして見つけたそれは、奥の方に折り畳まれてしまわれていた。

 それを掴み、再び審神者の下へ走る。そして審神者に開いたそれを見せると、彼は仰天しながらこれだ、と叫んだ。

 

「滅茶苦茶特徴的な長谷部の絵、この紙だ! 一期、これどこで手に入れた!?」

「……春光隊の方から、特別にと頂きました。秋田は今、春光隊に身を寄せているかと」

 

 その紙は、一期が以前春光の鯰尾から貰ったチラシだった。貰った際に「蒼穹隊にも利用者が出るかもしれない」と告げられていたのに、今の今までその真意を探ろうともしなかった。どんなに悔やんでも遅い。秋田は一期に何も言わず春光隊へ赴いた、それが全てだろう。

 しかし、それでも考えてしまう。何故今まで秋田の事を無いものとして扱ってしまったのだろう。

 他の本丸にも秋田はいて、演練時にも会っており会話を交わした事もある為存在を知らなかったでは済まされない。何故自分の本丸の秋田をここまで蔑ろに出来たのだろうか。

 一期の思考は、審神者の焦燥が抜け切らない声に遮られた。

 

「何はともあれ、まずは傷付けた事を謝らないとなあ……菓子折り持って行って、ってまず春光隊は俺と会っちゃくれねえか……」

「私が行きます。何度かお世話になっていますので、春光隊の隊員は会って下さるとは思うのですが……」

「秋田と会えるかは分からないか。それでも誠意は示さないとな。……とりあえず今日は手入れ部屋に入れ。お前さん顔色も良くねえし。万全の状態で向かわないといけないだろう?」

 

 それに頷き、一期は手入れ部屋に入る。手入れ部屋はカーテンで仕切られていて、片方では既に小さな職人――恐らくは打ち粉の付喪神――がスタンバイしている。刀を職人に手渡し、敷かれている布団に体を横たえる。隣では前田が手入れを行っており、静かな寝息だけが聞こえてくる。一期もそれに倣う為、眠気に任せて目を閉じた。

 

 

 その次の日、即ち今日。一期は開店直後のパティスリーガザニアに駆け込み、菓子折りを購入した。そして春光隊の本丸にいる秋田へ謝罪に赴いたのだが――秋田は一期に会う気が無く、春光の長谷部に追いやられた結果、一期は森の出口に向かっていた。


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