空隙の町の物語   作:越季

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12-3「『彼』が訪れるまで」

witness/歌仙兼定「邂逅」

 

 瑞々しい青葉が月に向かって伸びている、ある晩の事だった。ごった返している自分の部屋を片付けていた歌仙は、ひょっこりと現れて顔をしかめた愛染に告げられる。

 

「うわ、凄え事になってる……。っと、歌仙。主さんが呼んでるぜー」

「主が? こんな遅くにどうしたんだろう」

「そりゃこっちの台詞だっての……今から片付けって。つーか物多過ぎだろ」

「実は昼からやってたんだ。でもどれもこれも、大切な物だからね。ありがとう愛染、主にすぐ行くと伝えてくれ」

 

 少しは減らせよ、と言って愛染は去って行く。歌仙は戦装束に身を変えてから部屋を出た。

 時刻は午後十時半。何かあったのだろうか、と思いながらも審神者直々の呼び出しで、しかも呼びに来た愛染は平静としていた。審神者に問題が起こった訳では無さそうだ。もしかしたら、今から出陣なのだろうか。

 考えながら歩いていると執務室の前に着いた。中にいるであろう審神者に声をかけると、中に入る様に告げられる。障子を開けると、文机と箪笥、文机の上にある歌仙チョイスの花器しか家具の置かれていない部屋が目に入る。審神者はもう少し物を増やしてもいいのではと歌仙は思っているのだが、これで充分だと彼女は譲らない(花器は半ば強引に歌仙が手渡した物である。戸惑っていた審神者はその値段を聞いて青ざめ、必要以上の金を使った罰として小夜にはしばらく冷たくされたが)。

 一連の思考を隅に置いてから審神者の前に座り、歌仙は彼女に尋ねた。

 

「どうしたんだい、主。新たな敵が出たのかい?」

「いえ、違います。……実は、歌仙さんにある場所へ行くのに付き添って貰いたいんです」

「……こんな遅くに?」

「ええ、今からお会いする方はなるべく人目がつかない時間帯がいいらしくて、この時間に。詳しい事は道中で説明します、お願い出来ますか?」

 

 彼女の様な子供が出歩くのには不安しか無い時間だが、一人で行かせるは以ての外だ。変な事に巻き込まれていないといいが、と思案しながらも歌仙は頷いた。

 

 

「刀剣男士の引き取り?」

 

 月光に照らされながらも仄暗い道をじゃり、じゃりと音を僅かに立てて歩きながら、歌仙は審神者の話を聞いていた。微かに吹く風が審神者の顔を覆う紙の面を揺らしている。審神者は物憂げにそうです、と言った。

 

「先日演練をした際にお願いされまして。どうも今日引き取る方は、引き取りを頼んだ審神者さんと気が合わないみたいなんです。それで審神者さんとピリピリしちゃうと、他の刀剣男士さんともピリピリしちゃうみたいで、その……」

 

 後半になるに連れて審神者が口ごもっていく。ある程度察した歌仙は大きくため息をついた。

 

「……要するに本丸の雰囲気を悪くする刀の厄介払いじゃないか。冷たい様だけど、主が引き取り手になる必要は無いだろう?」

「……本当に困っている様だったので、つい……。それに刀剣男士さんの練度はかなり高いです、即戦力になると思ったんですが……」

「具体的な練度は?」

「九十一です」

 

 なるほど、と歌仙は得心する。それはすぐに欲しい戦力だ。

 今現在、本丸の練度は平均して六十前後。決して低い練度では無いが、九十一となれば大幅な戦力の底上げが期待出来るだろう。練度が高い刀剣男士に影響されて、本丸の平均練度も上がるかもしれない。――問題は、当の刀剣男士の性格なのだが。

 少し先に大きな木が見えてきた。審神者があそこです、と指定された場所を指し示す。近付くと、木の下に三つの影があった。審神者と歌仙が来た事に影の一つが気付くと、残り二つの影も顔をこちらに向けた。

 審神者が和服を着た若い男に頭を下げる。

 

「遅くなって申し訳ありません」

「いやいや、こちらこそ遅くに申し訳無い。早速だが、引き渡しを始めよう」

 

 和服の男――引き渡し審神者がそう言うと、すっと前にその刀は進み出る。引き渡し審神者は改めて、その刀の名を口にした。

 

「へし切長谷部だ。少し性格に難があるが、貴殿の本丸の強い戦力になるだろう。よろしく頼む」

 

 刀――へし切長谷部は軽く礼をし、審神者と歌仙に顔を向ける。

 歌仙はその姿に背筋を凍らせた。長谷部は目に光が無く、目の奥にどろりと淀んだ感情が見て取れた。それだけでは無い。全体的に表情が暗く、姿勢もいいとはとても言えず、所在無さげに刀を両手で握り締めている。演練で見かけた背筋が伸びている勝気なへし切長谷部とは、何もかもが違っていた。

 審神者もそれに気付いたらしく、引き渡し審神者に恐る恐る問いかける。

 

「あの……彼、何かあったんですか」

「……ああ、やはり普通の長谷部には見えないか。俺の本丸では出来る限り普通に接して来たつもりなんだが……俺もよく知らないが、あちこちの本丸を転々として来たらしい。そこで何かあったのだろう」

 

 引き渡し審神者も表情を曇らせている。隣にいる加州清光は、少し目を逸らしていた。かなりの問題物件の様な気がするが、審神者が引き取ると言ってしまったのだ。彼女は言った事をなかなか覆さないし、やっぱり止めた、と言ってしまえば相手の不興を買いかねない。それは審神者の性格上、避けたい所だろう。

 審神者同士で契約先の変更手続きを行い始め、手持ち無沙汰になった歌仙は引き渡し審神者の加州に話しかけた。

 

「何か彼について注意すべき点はあるかい?」

「……そっちは手入れ部屋をよく使ってる? 使ってないなら長谷部が行方をくらませた時、手入れ部屋を探すといいよ。あの長谷部、人気の少ない所が好きみたいだから」

 

 審神者との共通項が生じた事に歌仙は驚いた。審神者も人気の無い所で過ごしている事がある。転々として来た本丸の中で、酷い虐待を受けた所もあったのだろうか。

 改めて長谷部を見る。長谷部はぼうっと一歩前に出た所から動かずに突っ立っていて、視線もどこを向いているのか分からない。ただ、深い沼の様な絶望の中にいるであろう事は何となく分かった。

 手続きが終わり、引き渡し審神者と加州はそれじゃあ、と言って去って行く。後にはぼうっとした長谷部と、審神者と歌仙が残された。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「……はい」

 

 どこかぼやけた声で答えてから長谷部は審神者について行く。歌仙は審神者の隣に並びながら長谷部を盗み見る。とぼとぼ、といった言葉が似合う歩き方も普通の長谷部らしく無い。希望が無さそうに俯いて、縋る様に刀を握り締めている。

 歌仙が長谷部を見ていた事に気付き、審神者がぽつりと呟く。

 

「……私、長谷部さんと良好な関係を結べるでしょうか」

 

 審神者も以前程では無いとは言え、今も健全とは言えない精神状態だ。誰かと仲良くなる方法などあまり知らない彼女もまた、不安なのだろう。歌仙は審神者にしか聞こえない様にして、安心させようと微笑んだ。

 

「大丈夫だよ、君は僕達が認めた主。彼に『へし切長谷部らしさ』があるのなら、きっとすぐに馴染んでくれるさ」

 

 そうは言ったものの、歌仙は何となく感じていた。――少し難儀な事になるだろうな、と。

 

***

 

witness/鯰尾藤四郎「彼の残骸1」

 

 ガッタン、ゴトン。ガタガタ、ガタン。

 自室の中から響く音に不審がりながら風呂上がりの骨喰は障子を開ける。その中では――

 

「あっ、骨喰。湯加減良かっただろー?」

 

 先に風呂に入り終わった鯰尾が何故かテレビを四方に動かしていた。テレビ台に足を掛け、テレビをずらしたり傾けたりしている様は奇怪極まり無い。異常な行動に怪訝な顔をして、骨喰は尋ねる。

 

「……何をしているんだ、兄弟」

「いやー、ここらの放送局ってあんまり面白い番組やってないじゃん。さっきたまたまてれびにぶつかった時、新聞に載って無い、多分現世の番組が映ったんだよ。それでてれびを動かしていれば、いつか映るんじゃないかなって!」

「外まで音が響いていたぞ。亥二つを回っているし、他の奴が眠れなくなるからもう止めないか」

「待ってもうちょい……あっ、映った!」

 

 ガタガタ動かしていると、他本丸の様子を映したチープなバラエティ番組から子供達の様子を移したドキュメンタリー番組に変わる。鯰尾は珍妙な体勢のまま番組を見始め、骨喰も部屋に入ってちゃぶ台の前に座りテレビに目を向ける。

 

『……少子化解消法案、後に人々の間で《落とし子政策》と呼ばれる法案によって支援金の支給等子供を産めば産む程優遇される制度になると、一時的に子供達の数は増加しました。しかしすぐに枠組みは崩壊し、後には育児放棄されたり虐待を受ける様になった子供達だけが残されました。児童養護施設は依然満員状態が続いており、町中に放置された子供達が溢れ返っています。……』

 

 テレビの中で、ぼろぼろの服を着た子供達が路地裏で菓子を食べている。顔にモザイク処理を施された子供達は、しかし見える箇所だけでも生きる過酷さが窺えた。取材されていた町の治安は良いとはとても言えず、荒れた町並みに暗い顔の子供を怒鳴りつける声と、悲惨な光景が広がっていた。

 

「……番組変えられるかな」

「……りもこんはここだ。適当なのでいいな?」

「うん」

 

 骨喰がリモコンのボタンを適当に押すと、今度はお笑い番組が映し出された。鯰尾は骨喰の近くに移動し、ちゃぶ台に頬杖をつく。先程の番組が頭に引っかかり、テレビの中で時折起こる笑い声になかなか二振りは釣られない。

 

「……現世の様子を映した番組を見る限り、あれが全てだとは思わないけどさ。でも、確かにああいう子供達はいるんだよな」

「……そうだな」

「あの子達、これからどうなるんだろう」

「……さあ」

 

 それきり、二振りは黙り込む。テレビはいつの間にか「こちら側」の番組に戻っており、短刀達が楽しく遊んでいる風景が映っている。自分達の足元がぐらついている様な気がして、二振りはテレビを消す。そしてちゃぶ台を片付け、布団を敷き、眠る体勢に入る。

 

「おやすみ、兄弟」

「おやすみ、骨喰」

 

 鯰尾は電気を消して、目を閉じる。しばらくすると隣から寝息が聞こえて来て、それを子守唄にして鯰尾も夢の中へ旅立った。

 

 ――鯰尾が異様な夢を見始める様になったのは、この夜からだった。

 

 

 ――ん、あれ、ここは……。

 鯰尾は奇妙な感覚と共に目を開ける。周囲を見回すと、見慣れない風景があった。

 小さな台所、小さなリビング、小さな玄関。台所は洗われていない食器が山になっており、リビングには服やごみが散乱している。

 ――ここ、どこだ?

 きょろきょろとしていると、足下に小さく蹲る存在を見つける。

 それは、子供だった。黒いぼさぼさの髪を伸ばしっぱなしにし、肌も身につけているTシャツも薄汚れている。身体中には絆創膏や包帯があちこちに付けられていた。ちびちびと菓子を食べているその子供は、痩せ細っているのもあって一見男か女か分からなかった。

 ――おーい、ちびすけー?

 手を伸ばした所で、自分の手が透けている事に気が付いた。己の体を見るとどこも半透明で、自分の存在はこの子供に気付かれていないと考える。その証拠に、子供の目の前に座っても子供は微動だにしない。さてどうしたものか、そう途方に暮れていると。

 ばん、と玄関のドアが荒々しい音と共に開く。音の方向を見ると、着飾った若い女性と小さな――ぼさぼさの髪だがワンピースで性別が分かる――女の子が玄関から入って来た。足音も荒く女性は洗面所と思われる部屋に消えて行く。女の子は蹲る子供に駆け寄った。

 

「お兄ちゃん……! 大丈夫?」

 

 女の子の言葉でようやく、子供が男の子であると分かる。それ程、彼は痩せ細っていたのだ。男の子は女の子の頭を弱々しく撫でて、力無く微笑んだ。

 

「大丈夫、トモエ。それよりも、俺に近寄らない方がいい。()()()の機嫌が悪くなったら大変だ」

「そんな事より、お兄ちゃんの方が大事だよ! ごめんね、ご飯作れなくて……」

「気にしないで。まだ作るには早いから。怪我は無い?」

「うん、平気――」

 

 女の子が言い切る前に、男の子の体が吹っ飛んだ。女の子も鯰尾も、目を見開く。鯰尾は何が起こったか分からなかったが、女の子の叫び声で理解した。――してしまった。

 

「お兄ちゃん!! ……お母さん、お兄ちゃんをいじめないで!」

 

 奥の方に吹っ飛ばされた男の子は、脇腹を押さえて苦しそうに呻いている。女の子は手を広げて女性――男の子を蹴り飛ばした人物を遮ろうとした。しかし、所詮は子供。押し退けられて、その場に崩れ落ちる。

 

「きゃっ……!」

「――まだ生きてたの、化物」

 

 こちらまで罵倒された気にさせる低く冷え切った声。その表情も人間を見るそれでは無い。男の子はその声に萎縮しながらも頭を持ち上げる。

 

「……お母……さん……痛っ……!」

「その呼び方は止めろと言ってるわよね? 化物の癖して、まだ人間ぶる気なの?」

 

 男の子の脇腹を踏み付け、尚も罵る女性。嫌悪を隠さずにいる女性の足下に取りすがり、女の子は懇願する。

 

「お母さん、止めて! お兄ちゃんお腹空いてるんだよ!? あんまり動けないのにいじめちゃ駄目だよ!」

「トモエは黙ってなさい。こいつを兄呼ばわりして、あんたまで化物になりたいの?」

 

 女性は女の子の言葉を突っぱね、男の子を殴り罵倒を続ける。不思議な事に、鯰尾の耳に女性の罵倒は途中から届かなくなった。悲痛に顔を歪めた女の子の泣き声も聞こえない。次第に景色は遠のき、意識も暗転する。

 けれど、それで良かった。――罪の無い子供への虐待なんて、鯰尾は見たくなかったのだから。

 

 

「兄弟、兄弟!」

 

 揺さぶられる感覚に目を開けると、視界いっぱいに骨喰の顔が広がっていた。表情を滅多に変える事の無いその顔に、懸念の色を乗せている。掠れた声で、鯰尾は尋ねた。

 

「……あれ、骨喰……どうしたの?」

「どうしたって……泣きながら魘されていたぞ。枕が濡れているのに気付いていないのか?」

 

 起き上がって枕を見なくても、頰を通る風の冷たさに自分が泣いていた事に気が付けた。起き上がり、枕に触れる。枕は所々濡れており、やはり泣いていた事の証明になっている。左右を見渡し、いつもの自室に明るい朝日が差しているのを確かめて息を吐いた後、鯰尾は片手で顔を覆った。

 

「うわぁ、俺引きずられ過ぎでしょ……」

「……引きずられ?」

「……見た夢が、昨日見た番組の内容に似ていたんだ。相当悲しかったのかなぁ、俺……」

「そうか……」

 

 骨喰も昨日のドキュメンタリーを思い出したのか、表情を暗くする。

 現世のどこかであるかもしれない、壊れた家族の夢。目覚めは最悪と言っていい。あまりにもリアリティのある夢だった事が、更にダメージを与えている。よろよろと立ち上がって、身支度を整えようとしている鯰尾を、骨喰は心配そうに見つめていた。

 一通り身支度を整えると、鯰尾は振り返っていつもの明るい笑顔を見せる。

 

「まあ、夢は夢だし。あまり気にしない様にするよ。過去なんか――」

「振り返ってやらない、か?」

「そうそれ!」

 

 ははは、と笑う鯰尾に骨喰もほっとした雰囲気を醸し出す。朝餉に行こう、と鯰尾は骨喰の手を引いて部屋を出る。

 大広間には既に刀達が集まって談笑を始めていた。二振りが粟田口派が集まる席に座ると、秋田が気付いてぱあっと明るい表情を浮かべる。

 

「骨喰兄さん、鯰尾兄さん、おはようございます!」

「おはよう、秋田」

「おはよー。何か随分ご機嫌だね?」

 

 周囲を見渡し、内緒ですよー、と秋田が二振りの耳元で囁く。

 

「主君が新しい方を連れているのを見ちゃったんです! きっと今日の夕餉は豪華になりますよ!」

「……新しい刀?」

「主、鍛刀したのかな? ……夜中に?」

 

 訝しむ骨喰と鯰尾を横目に、秋田はおむらいすーおむらいすー、と歌っている。その気の抜ける歌に聞き入っていると、審神者が大広間に入って来て一礼した。

 

「皆様、揃っていますね。おはようございます」

 

 それぞれが審神者に挨拶をすると、審神者は真面目な顔で切り出した。

 

「皆様にお知らせするのが遅くなりましたが、昨日新しい方がいらっしゃいました。他の審神者さんから譲り受けた方で、練度も高い事から戦力の向上になると期待しています。――それでは、皆様にご挨拶をお願いします」

 

 審神者が振り返ると、静かにその刀剣男士は入って来た。その姿を見て異常を感じた刀達は、ひそひそと囁き合い様子を窺っている。骨喰も、鯰尾に小声で言う。

 

「あれは……へし切長谷部、だよな?」

「……うん。その筈だけど……」

 

 その長谷部は、少し俯きながら大広間に現れた。服の裾を掴み、目に生気を感じさせないその姿は演練で見かけた長谷部とは程遠い。確かにそれは異常だ。けれど、鯰尾には更に気になる事があった。

 

「……へし切長谷部だ。よろしく頼む」

 

 何故だろう。

 ――彼の姿が、昨日夢で見た男の子と似ている気がしたのは。


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