空隙の町の物語   作:越季

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12-7「witness/薬研藤四郎『大嫌いな自分が』」

 医務室の中で二つの影が動いていた。電子体重計に乗っている方は不安げに測定結果を見つめ、椅子に座っている方は測定結果をノートに書き記す。

 

「……うん、体重も増えてきた。今の所調子は良さそうだな」

「……相変わらず、暗い気持ちは抜けないが」

「それはまあ、おいおいな。まずは体調を万全にしないと」

 

 ノートに診断を書きながら薬研は体重計から降りた長谷部に微笑む。気まずそうにしている長谷部は現在、赤を基調とした袴姿をしていた。

 長谷部が来てから間も無く二月が経とうとしていた。その間にあった異変といえば、鯰尾が長谷部が入り浸っている手入れ部屋に不特定の仲間を連れて突撃する様になった事だ。「相性のいい刀を探そう計画」を実施している鯰尾は、刀種問わず連れて行ける刀を一振り選び、手入れ部屋で菓子を持ち寄り遊んだり話をする様に仕向けていた。

 更に鯰尾は、長谷部に脇差以上の刀の内番着を着せて目立たせようとしていた。長谷部のいつもの内番着から離れた服を着ていれば、嫌でも目立つだろうという考えかららしい。ある日、手入れ部屋からの悲鳴に非常事態かと急いで駆け込んだ時には、長谷部が鯰尾と宗三によって着せ替え人形にされている所だった。それに大いに脱力したのも笑い話である。

 今日は加州を連れて突撃したらしい。手入れ部屋の中からは「ふふふー、長谷部さん今日もお覚悟!」やら「うっわあ相変わらず陰気だなー。こりゃ徹底的にデコるしか無いね!」やら長谷部の困惑した声やらが聞こえてきて非常に和やかであった。

 その結果。長谷部は爪の先までピカピカにされ、そんな自分がどうも落ち着かないらしくそわそわと体を動かしている。薬研は朗らかに笑い、長谷部の肩をバンバンと叩いた。

 

「その服いいじゃねえか、似合ってるぜ? やっぱりあんたの和服はいつ見ても新鮮だな」

「……何でこう、いつもサイズがぴったりの物を用意して来るんだ……!」

「照れんなって。あんたが次に誰の服を着てくるのか、皆楽しみにしてるんだぜ。大将もな」

「うう、逃げられない……!」

 

 頭を抱える長谷部にはは、と笑いながら机に向かう。冷房の効いたこの部屋は、外の刺す様な陽射しと陽炎が揺らめく外の暑さの事を忘れさせてくれた。冷房の風向きが変わると、長谷部がぶるりと体を震わせたのが目の端に入る。

 

「おっと、強くし過ぎたか。弱めるかな……ん?」

 

 医務室へ向かって大きな足音を響かせ誰かが走って来る。勢いよく開け放たれたドアの向こうから、歌仙が硬い表情で現れた。

 

「薬研、長谷部もいたか。鯰尾達の部屋に来てくれないか」

「どうしたんだ歌仙、何かあったか」

 

 薬研が顔から笑みを消し、緊張を纏わせたそれに変えて立ち上がる。長谷部も慌てて立ち上がった所で目眩を起こしたのか体のバランスを崩してしまい、再び椅子に座ってしまった。頭を押さえた長谷部に歌仙は大丈夫かい、と声をかけてから付け足した。

 

「ああいや、鯰尾達は何ともない。いつものあれだよ」

「あーそっちか……最近ずっとこうだな」

「……あれ?」

 

 歌仙の言葉に納得しため息をつく薬研とは対照的に、長谷部は訳が分からず首を傾ける。歌仙は頭痛を堪える様に大きく息をついた。

 

「てれびだよ、また映りが悪くなったみたいでね。安かったらしいからすぐ壊れるのは何となく分かるけど、僕は機械の事に関してはお手上げなんだ。だから少しでも知恵を合わせようと考えたんだけど……」

「喝入れりゃ直るんじゃねえのか? 前もそうだっただろ」

「それも試したけれど、駄目だったって。本職に直して貰うしか無いのかなあ……」

 

 うーん、と唸る歌仙と薬研。自分達はこういった事に関しては滅法弱かった。ここ最近の機械は複雑過ぎて、何が何だか分からないのだ。説明書を読んでも理解出来なかったのだからもうこういうものだと受け入れるしか無い。連絡用の端末も支給されているが、ほとんど使用されずに放置されている。長谷部や博多などの事務仕事を行う刀剣はある程度訓練を積めば機械に強くなるらしいが――

 

「……少しそのテレビを見せてくれないか」

 

 か細い声が耳に入る。声の方へと視線を向けると、袴の膝の辺りを握り締めている長谷部がいた。歌仙に向けているその目は、否定される事への恐怖で震えている。二振りは目を丸くした後、先程の考えから合点が行きぽんと手を叩く。

 

「そういえば、君も『長谷部』だったね。少し個性的だったから忘れていたけれど」

「そうだったな。本職に頼むのにも金がいるから、あんたが直してくれるなら一番いい」

「……本当に直るかどうかは分からないからな」

 

 期待の目を向けられて再び俯き、ぼそぼそと長谷部が予防線を張る。それでもいいと二振りは長谷部をゆっくりと立ち上がらせ、鯰尾達の部屋へ移動しようと歩き出す。

 ぎしぎしと廊下の床から軋んだ音が鳴る。先頭の歌仙と後尾の薬研に挟まれて、長谷部はやはり背中を丸めて所在無さげにしていた。

 その後ろ姿をしばらく見つめてから、薬研は長谷部の背中をバシッと勢いよく叩く。その痛みに驚き、長谷部の背筋が真っ直ぐに伸びた。

 

「いっ……!」

「姿勢は正した方が良いぜ、体のあちこちに影響が出る。それに、ただ壊れかけのてれびの様子を見るだけなんだ。そこまで緊張しなくていいからな」

「……凄くびっくりした……」

「こうでもしなきゃあんた言う事聞かないだろう。必要な措置って奴だな」

「そうなのか……」

 

 あっけらかんと言って見せた薬研に、長谷部は背中を叩かれた事に納得し、背筋を伸ばす様努めながら足を動かす。歌仙はそのやり取りに少し呆れながら告げた。

 

「じゃれ合いもいいけど、ちゃんと前を向いて歩いてくれ。長谷部、背筋を伸ばすのに集中し過ぎて目線が真上に向いているよ。そのままじゃ転ぶ――」

「痛あっ……!」

「……言わんこっちゃ無い」

 

 足が絡んだ勢いで床に膝を打ち付けた長谷部に、歌仙はやれやれと手を差し出す。うう、と唸りながら歌仙の手を借りて立ち上がった長谷部は、再び視線を下に向けてしまった。下に向き過ぎているのを見て長谷部の意図を悟った薬研が長谷部の腕を引く。

 

「長谷部、足が絡まない様にする為だろうが、前が疎かになってるぞ。少し視線を上に向けろ」

「……転ばないかな」

「そうそう起こらねえよ、上向き過ぎて転ぶなんて事。ほら、鯰尾兄達の部屋はあそこだ」

 

 一歩ずつ進む度、鯰尾の声が鮮明になる。それと同時に、ガタガタという音もはっきりと聞こえてきた。肩を跳ねさせた長谷部は歌仙を追い越して鯰尾の部屋に入る。

 

「何やってるんだ!」

「えっ、てれびを直そうと思って、いつも通り動かしてみてるだけですけど……長谷部さん、そんなに顔強張らせてどうしました?」

「そんなに思いっきり動かしたら状態が悪化するぞ! とりあえず元に戻せ!」

 

 長谷部のいつにも無い大声に、歌仙と薬研は鯰尾の部屋に駆け込んで中を覗く。鯰尾はゆっくりと傾けていたテレビを元に戻し、長谷部はリモコンを手にしてからテレビに近付いて様子を見ている。鯰尾は怒鳴られた事への驚きが尾を引いていたが、興味深そうに長谷部のやる事を観察していた。

 テレビの背面を覗いた長谷部が、テレビと壁の隙間に手を差し込んだ。それからかなり力を入れて腕を動かす。カタン、カタンといった音だけが響き、しばらくしてから長谷部が腕を引き出しリモコンで電源を入れると、画面にニュース番組が明瞭に映し出された。

 

「……お、おおお! さっきよりはっきりとしてますよ!」

「……ケーブルが抜けかけていた事だけが原因だったみたいで良かった。鯰尾、これからはあまりテレビを動かし過ぎるなよ」

「よーしてれびも直して貰った事だし、現世の番組探しちゃうぞーっと!」

「少しは聞く姿勢を見せてくれ!」

 

 再び音を立ててテレビを傾け始める鯰尾と悲鳴を上げながらそれを止めようとする長谷部。歌仙と薬研は、それを呆然としながら見ていた。

 

「……長谷部ってのは、こうも機械に強いのか?」

「……別の本丸の長谷部だったら、こうは行かない筈だよ。ぱそこんやらの故障には対応出来ないと言っていた記憶がある」

 

 刀剣男士は、総じて機械に弱い。パソコンや端末機器などをある程度操作出来る個体もいるが、それはその個体の弛まぬ努力の賜物である。それでも故障した時はおっかなびっくり原因を探すのが当然だ。この長谷部の様に迷わずテレビの不調を探し出せるのは、刀剣男士としては異常なまでのスキル持ちだと言える。

 前の本丸で散々機械をいじらされたのだろうか。いや、それでもここまで速いのは奇怪だ。一体、彼は――

 

「あっ、歌仙いたいた。薬研と長谷部もいるみたいだね、少しいい?」

「加州。どうしたんだい?」

 

 横から話しかけられた歌仙が顔を向けると、加州が手をひらひらと振りながらこちらへ歩いて来ていた。薬研も加州に気が付き、部屋の中の攻防戦を横目で見ながら加州に話しかける。

 

「どうした、加州。誰か怪我でもしたか?」

「いや、怪我した奴はいないよ。ちょっと手合せで試したい事があるって五虎退と今剣が言ってて、歌仙をはじめとした打刀達に意見を聞きたいって。俺はいいと思ったけど、薬研達粟田口派にも一応許可を取っておきたいと思ってさ。いいよね?」

 

 薬研は歌仙と視線を合わせた後、まだ鯰尾とやり合っている長谷部に目をやった。鯰尾は現世の番組を見る事を諦めきれないのか、口を尖らせて不満を述べている。長谷部は疲れ切った表情でテレビなどの精密機械がどれだけ繊細か話していた。

 長谷部は戦闘に怯えてはいるものの、練度は九十を超えている。以前の本丸では戦う事を強要されていたのだろう。無理に戦わせるつもりは無いが、その経験をこの本丸の為に活かして貰えないだろうか。歌仙もそう考えているのだろう、その目には強い光が宿っていた。

 歌仙に一つ頷き、薬研は加州に告げた。

 

「ああ、いいぜ。戦いに役立つなら俺は何も言わん。後はそうだな、長谷部を連れて行ってくれないか? 意見を言うくらいなら、長谷部にも出来るかもしれん。元はその為に引き取ったんだしな」

 

 長谷部という単語を聞き、加州は目を軽く見開いてから憂いを帯びた声で尋ねる。

 

「……いいの? 長谷部、また具合悪くなったら……」

「その時は大声で呼んでくれ、すぐに行く。俺は鯰尾兄を宥めなきゃならんからなあ……」

「そういえばさっきから何やってたの?」

「ああ、長谷部がてれびを直してくれたんだ。直った途端に鯰尾が現世の番組を探し出してね……。長谷部が説教していた所だったんだ」

「……あー。鯰尾、現世の番組好きだよね」

「そういう訳だから、俺はここに残る。歌仙、後で詳しい話を聞かせてくれや」

 

 歌仙は微笑んで了承の意を示し、それに同じく穏やかな笑みで返した後、薬研は長谷部と鯰尾に近付く。鯰尾はまだ不満を垂れ流しており、長谷部はぐったりとし始めていた。

 

「いいじゃないですかー、ちょっとくらい。俺の癒しなんですよ、現世の番組探し」

「テレビの故障を促してどうする……。主の用意出来る資金だって無限じゃないだろう、現世の番組なら主に用意して貰えばいいじゃないか」

「俺は今、まさに、この時に! やってる番組を見たいんですよー!」

 

 ちゃぶ台をばんばん、と叩いて鯰尾はごねる。長谷部は頭を抱えていたが、苦笑いしながら近付いて来た薬研に救いを求める様に顔を勢い良く上げる。

 

「長谷部、疲れている所悪いが道場に行ってくれないか? 五虎退と今剣が話を聞きたいらしい。直接戦闘しないのなら大丈夫だよな?」

「……ああ。俺は戦術に明るくないが、それでもいいのなら」

「一振りでも多くの意見があった方がいいだろ。些細な事でもいい、思い浮かんだら話してみるのもいいと思うぜ」

 

 長谷部は分かった、と言って立ち上がり、歌仙と加州の下へ合流しその場を去って行く。

 足音が聞こえなくなった瞬間に動こうとした鯰尾の首根っこを掴んだ薬研は、呆れながらため息をついた。

 

「させねえぞ、鯰尾兄」

「ぐっ!? くっそ、力強っ! ちょっとぐらい見逃してよ薬研ー!」

「しばらく鯰尾兄の夕餉が質素で少量になってもいいってんなら俺は止めねえぞ? 俺は鯰尾兄の為を思ってこうしてるんだがなあ」

「あああ、それは嫌だ! でも現世の番組は見たいー!」

 

 尚もじたばたと暴れる鯰尾をちゃぶ台の前に戻し、薬研は問いかける。

 

「こっちの番組も現世の番組もそう変わらねえじゃねえか。何でここまで固執するんだ?」

「だって、こっちの番組って何かわざとらしさが強いんだよ。現世の番組もそりゃわざとらしいけどさ、笑える物が多いんだよ。あの夢を連日見てたら気晴らしもしたく――」

「……あの夢?」

 

 鯰尾は慌てて口を塞ぐが、薬研の耳にはしっかりと入っていた。さっと鯰尾が顔を背けるが、薬研は顔を除き込み問い詰める様に目を合わせる。鯰尾が顔を逸らす度に、何度も回り込んで目を凝視する。

 過去は振り返らない、と何度も言う鯰尾が、ぽろりと零してしまう程に連日見ている夢。それは大坂城の炎の夢なのか。いや、それは彼の誇りにかけて言わないだろう。それならば、彼が見ている物は一体何なのか。――怪異に纏わる夢ならば、審神者にも相談しないとならないだろう。

 しばらく無言の駆け引きが繰り広げられていたが、次第に険しくなっていく薬研の視線に折れた鯰尾が両手を上げて降参の姿勢を見せた。

 

「言う気になったか、鯰尾兄」

「……ごめん、心配かけたくなかったから今まで言わなかったんだ。随分胸糞悪い夢だったから、最初は前見た番組に影響されたと思って深く考えなかったんだけど……ここ最近、ずっとあの夢を見てる。俺達は現世の事をなかなか調べられないから、てれびで探るしか無いと思ったんだ」

「詳しく話せ、どんな夢だ?」

 

 そうして鯰尾は話した――母親に理不尽な虐待を受けている、二人の子供の話を。薬研は話が進む度に顔を強張らせた。かつては捨て子が当たり前だった時代があったが、それと同じくらい凄惨な話だった。

 

「……日が経つにつれて、状況は悪化してる。子供二人が家の中にある物を掻き集めて、何とか生き延びている。母親が帰ってきたら、暴力と泣き声で溢れる。見ていて苦しいよ、俺は二人に何も出来ないんだ。俺が何度も何度も止めろって叫んでも、誰の耳にも届かない。……あの子達は今どこにいるんだろうね。今は平和に生きてます、っていうんならいいんだけど」

「……そんな辛い夢、骨喰兄にしか打ち明けなかったのか」

「だって、話したって皆を苦しめるだけで、俺が楽になる事しか出来ない。主も自分の事で精一杯で、現世の子供にまで手を回せないだろうし。……主の過去の傷を呼び起こしかねないしね」

 

 薬研は頭を掻き毟る。鯰尾が審神者に夢の事を相談出来ないのは、彼女も虐待を受けていたからだ。彼女もまた酷い虐待を受けていた事は、普段の態度から見ても明白。詳しい事を話せば、審神者のトラウマを想起しかねない。鯰尾としても、審神者を傷付けたく無いのだ。そうしてほぼ誰にも言えないまま、現在に至る。

 事情を知った薬研も、どうすればいいか分からない。現世の記録を見る事は大きく制限されている。彼等の現在を知る事は、あまりにも難しい道だった。

 鯰尾は俯きながら、ぽつりと呟く。

 

「……ごめん。どうしようも無い事を話して」

「別に構わん。仲間で、兄弟だろ? どうしようも無い事でも、話して楽になれば上々だ。あんまり水くさい事言うなよ」

「……そうだね。ありがとう、薬研」

 

 おう、と返して薬研はぱっと立ち上がり、鯰尾の手を引いた。勢いのまま鯰尾は立ち上がらされ、引かれるまま廊下へと歩き出した。

 

「え、何、どこ行くの」

「ちょっと長谷部達の様子を見に行こうと思ってな。長谷部が体調を崩してたら、鯰尾兄が支えてくれや」

「え、俺長谷部さんの支え係!? いや、別にいいけど、何かこう腑に落ちない……」

「気分転換に長谷部の世話をしたらどうだ? 俺としても雑用をこなしてくれる刀が欲しいし……おっと」

「俺を雑用係にする気満々じゃん! さっきまでの感動を返せー!」

 

 はは、と笑いながら道場に向かう。道場を覗くと、刀達が輪になって何やら話し込んでいた。長谷部の背中も、その中に混ざっている。

 

「……というわけで、このじょうきょうでぴょーんとはねてくみつきたいとおもうのですが、どのとうそうがいいかいけんをいただけませんか?」

「い、今剣さんの補佐として僕はどうしましょうか……?」

「うーん、重歩兵でがっちり固めて被害を最小限に抑えるのがいいんじゃないかな」

「二振り共か? 俺は今剣に軽歩兵を付けた方がいいと思う。今剣の足の速さと隠蔽の高さを活かして一気に切り込んで……とか」

「それだったら、五虎退に偵察が上がる銃兵を付けるのもいいかもね。少し兵数が心許ないけど、その点は二振りの足並みの合わせ方を信じて……あ、薬研、鯰尾」

 

 加州が薬研と鯰尾に気が付き、声を上げる。道場の中の刀達が顔を入口に向けて思い思いに薬研達に声をかける。薬研と鯰尾は道場の中に入り、長谷部の背中に近付いた。

 

「どうだ、長谷部。具合は悪くなってねえか?」

「大丈夫だ」

「あまり無理をしない様に。どれが引き金になるか、俺達はまだよく分かっていないからね」

 

 蜂須賀の言葉にうん、と長谷部は頷く。隣にいた陸奥守が笑いながら長谷部の背中を叩く。

 無事に馴染んでいる様で何よりだ、としみじみ感慨にふけっていると、五虎退が長谷部に頭を下げた。

 

「あ、あの、長谷部さん。ありがとうございます、来て下さって」

「頭は下げなくていい。……俺は、お前達の力になれていたか?」

「もちろんですよ! はせべさんのちからがあってこそ、あらたなかぜがふいたというものです!」

 

 顔を上げた五虎退ははにかみながら、今剣は花が咲く様な笑みを長谷部に向ける。長谷部の顔はこちらからは窺えなかったが、袴を強く握っているのと、耳が赤くなっているのは見えていた。思わずにやけながらも薬研は長谷部の肩を組んだ。

 

「どうだ、うちの刀達は。いい奴らばかりだろ?」

「……ああ。本当に、今までにないくらい、いい本丸だ」

「おっ、いいねえ。大将も喜ぶぜ」

 

 薬研がぽんと背中を叩く。俯いていた長谷部はふと顔を上げ、どこか遠くを見ながら呟いた。

 

「……ここに来られて良かった。今死んでも、殺されても、悔いは無いな。どんな死に方をしても、笑って死ねる自信がある」

 

 しん、と道場が静まり返る。歌仙は何故か突然に、目を強く擦っていた。

 長谷部がろくな扱いを受けていないのは察していた。けれど、何故ここで全てが終わる前提で話すのか。彼を害するものはこの本丸にはいないし、審神者だって彼に気を使っている。

 これから彼はこの温かい本丸で、彼なりの幸せを見つけて、幸せに過ごすのだ。それはあの審神者が顕現させた刀剣男士達が、総じて願い、そうなる様に努めている事だった。けれど、まだ彼の心は開き切っていないのだ。

 

「……勘違いするな。あんたを俺よりしみったれた、そんな顔で折らせるつもりは無い」

 

 山姥切が小さく、しかし確かな怒りを込めて長谷部に告げた。

 

「あんたは精々主に大事にされて、俺達の宴会で揉みくちゃにされて、短刀達に振り回されて、脇差達に丁寧過ぎる世話をされていればいいんだ。写しの俺に優しくされても困るだろうが、あんたは幸福を受け取り過ぎて困ればいいんだ。――あんたが不幸なまま折れて、俺達に傷を付ける事は許さない。仲間の不幸は、俺達の不幸だ」

 

 話し切った山姥切は、ぽかんとした表情をしている長谷部を睨み付けた後、またぼろ布の中に顔を隠してしまった。山姥切に追随して、他の刀達も長谷部に告げる。

 

「全く、贋作じゃ無いのにその自尊心の低さは頂けないね。長谷部、君は戦えなくてもこの本丸には無くてはならない存在になりつつある。あまり悲しい事を言わないで欲しいな」

「そうそう。機械を修理出来る刀剣男士は今の所長谷部しかいないんだしさ。勿論それだけじゃないけどね。……あんたが暗い顔してるとこっちまで湿っぽくなっちゃうし」

「やっぱり笑いゆーのが一番ちや。おまんはもうここの仲間なんやし、気楽にしてくれたら嬉しいぜよ」

「は、長谷部さんと仲良くなれて来たのに、すぐにお別れなんて嫌です……」

「そうですよ! はせべさんには、もっともっとぼくたちとあそんでもらうんですからね!」

 

 それぞれに言葉をかけられて、長谷部は目を見開く。涙が溢れるのを食い止める為か、その後目を伏せ口を開閉させて言葉を探している。目を拭っていた歌仙も、表情を緩めて長谷部に向かい合う。

 

「長谷部、君がかつていた本丸でどんな扱いを受けていたかは知らない。でも、今はここの一員として存在しているんだ。過去を気にし過ぎずに、ここでの生活を楽しんで欲しいと僕は思っているよ。何なら僕が風流について教えようか」

 

 歌仙がそう言うと、薬研は笑って腕の力を入れた。

 

「はは、歌仙の教えは長いぞ。俺も教えを説かれたが……鯰尾兄、あの時どれくらい時間が経っていたか」

「んー、昼餉後から始まって……夕餉近くまで行ったかな? 歌仙さんもよく話が続きますよねえ」

「何を言う。風流を語るにはどんなに時間があっても足りないよ」

「長谷部さん、いざとなったら逃げるんですよ。歌仙さんの話に付き合い過ぎたら、ご飯抜きになっちゃいますからね」

「夕餉の時間になっても『まだ話は終わってないよ』って言って語り続けそうだよなあ」

「夕餉抜きにさせる程僕は鬼じゃないよ! 後鯰尾、逃げる事を推奨するんじゃない!」

 

 軽く怒る歌仙に、鯰尾が更に茶々を入れる。怒りを加熱させる歌仙を五虎退はおろおろとしながら宥める。そのやり取りによって道場に笑い声が満ちる。長谷部もまた、涙を一つ落として小さく笑った。

 

「……ありがとう」

 

 賑わいの中でも――その微かな声を聞き逃したものは、道場の中にはいなかった。

 

***

 

 月が高く昇っている夕食後。薬研は審神者の招集に従い、賑やかさが落ち着いている廊下を歩いていた。呼び出しに来た歌仙も、薬研の隣を歩いている。

 歌仙に対して、少し気になる事があった。昼間の道場で、皆を黙らせた長谷部の一言の後に歌仙が目を擦っていた事。

 時折、長谷部を見た後に同様の行動をしているのを何度か見かけた。まるで幽霊か何かを見たかの様な表情と動作に、この本丸最古参の刀に起こった異常をどうしようかと悩んでいた。が、じっくり話し合う時間を欲しても、出陣やら遠征やら内番やらでなかなか設けられなかった。

 どうしてかは分からない。だが、この事について話し合うのは今しかない。そう考えた薬研は、歌仙にこう切り出した。

 

「歌仙。あんた、長谷部に何を見た?」

 

 歌仙は足を止め、硬い面持ちで薬研を見遣る。薬研は至極真面目な鋭い表情で歌仙を見返す。数泊の沈黙の後、歌仙はふう、と息を吐き心許無さを表に出した。

 

「……流石に君には隠せないか」

「って事は、あんたは何かを見たんだな」

 

 薬研は、この本丸で初めて鍛刀された刀である。当然、この本丸で初めて顕現した刀である歌仙との付き合いは長い。かたや雅を愛するもの、かたや雅を解さないもの。水と油かと思われた二振りだったが、二振りが戦闘を好むという共通点、薬研が相手の嗜好を無闇矢鱈に否定せず、相手の間合いを尊重する性質から喧嘩になる事は少なかった。次第に彼等は背中を任せられる間柄になり、多少の隠し事なら看破出来る様になった。それがいい方向に作用しているのか、現在では最も気が置けない仲である。

 歌仙も今回の事を隠し通せるとは思っていなかったらしい。薬研が促すと、すんなり自分に起きた異変を話し始めた。

 

「ああ。……時折、長谷部が違う誰かに見えるんだ。刀剣男士では無い、他の誰かにね。長谷部に取り憑いている幽霊なのか、何なのか……それが少し不気味でね。長谷部本刃には悪意が一切感じられないのも不可解だ。昼間はあんな事を言ったけど、実はまだ完全に受け入れられてはいないんだ。……情け無い話だけどね」

「不気味に思う事があるなら、完全に受け入れられないのも道理だ。俺も時折、あの長谷部が偽物じゃないかと思う時があるしな。()()()は悪い奴では無さそうだが」

 

 薬研の意見に歌仙は顔をしかめて、月を見上げた。

 

「……薬研もか。薬研も僕と同じ様な?」

「いや、俺は見てない。だが()()()は、俺の知る『長谷部』とはかけ離れ過ぎてる。だが、あいつは確かに『長谷部』だし、歌仙の言う通り悪意も感じられない。それが少し奇妙でな」

「同意見だよ。……それに加えて、鯰尾が長谷部に肩入れし過ぎているのが僕は気になる」

「ああ、他の奴連れて長谷部の下に押しかけたりしているあれか。どう考えても、ここに馴染ませようとしてるよな」

「……もし、長谷部が悪しきものだった場合は」

「分かってる。鯰尾兄が止めても、俺は斬るぞ」

 

 歌仙はこの本丸の支柱となる刀、薬研は忠誠心が高い刀だ。いざとなれば、二振りは躊躇いなく長谷部を斬れるだろう。長谷部を疑いの目で見ていた二振りは、それを確かめ合って再び歩き出した。

 ――今となっては、あの長谷部がそれを感知しない訳も無く、だからこそ完全にこちらを信頼しなかったと分かるのだが。

 審神者の執務室に辿り着いた二振りは、障子の向こうにいくつかの気配を感じながら、審神者に声をかけた。

 

「主、薬研を連れて来たよ」

「お入り下さい」

 

 障子を開けると、中には小夜左文字、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎、宗三左文字、へし切長谷部、そして奥に審神者が座して二振りを待っていた。中に入り障子を閉め、二振りは空いている隙間に座る。

 

「宗三。何の集まりか聞いているか?」

「いえ、全く。主も早く話して下さればいいのに、全員集まってからと言って……この僕を呼び出したからには、それなりの要件なんですよね?」

「まあ落ち着け。歌仙も聞いて無さそうだったし、一体何なんだろうな」

 

 薬研が隣に座っていた宗三に尋ねると、彼は少し不機嫌そうに返す。もう間も無く眠る時間だと言うのに呼び出された事が気にくわない様だ。歌仙の様子を見てみると、彼も小夜に呼び出しの理由を尋ねていた。小夜が小さく首を振っている事から、小夜も知らない様だ。では兄達は。ちらりと見ると、二振り共腑に落ちない様子で目を合わせていた。最後に長谷部。……いつも通り、居心地が悪そうだ。

 

「皆様、お集まり頂きありがとうございます。今回の呼び出しについてお話ししますね」

 

 審神者がそう告げると、全員が背筋を伸ばす。審神者がぐるりと見回し、一枚の写真を全員に見える様に床に置いた。どこにでもある様な本丸の遠景を写した物だった。

 

「政府から、愛甲区域全部隊に対してある本丸への調査指令が入りました。皆様には、その本丸への調査に赴いて頂きたいのです」

「政府から? それはまた、どうして……」

 

 小夜が問いかけると、審神者がもう一枚写真を取り出した。それを見て刀達は固まる。

 ――写真に写っていたのは、金属片と血が部屋に散らばっている光景だった。

 

「……主、これは」

「……お察しの通り、この本丸の刀が突如全員破壊されたのです。審神者も殺害され、現在この本丸は封鎖状態にあります。時間遡行軍が介入した可能性も示唆されておりますが、原因は未だ不明です」

「その本丸の調査を、俺達に」

 

 審神者は写真から手を引いて、膝の上で握り締める。それから深く一礼した。

 

「……これは、政府からの指令です。受けてもいいけれど、受けなくてもいい。そう言われていますが……受けた本丸には政府から調査支援の名目で資材や資金の支給を受けられる、と。この本丸は、お世辞にもゆとりがあると言いがたいです。皆様に苦労をかけてもこのざまなのですから、私の力不足があるのでしょうが……私は少しでも、皆様に過ごしやすくなって欲しいのです。その為にも、協力して頂けませんか」

 

 審神者は頭を上げずに刀達に乞う。折り畳まれた体は小さく、彼女が幼い子供なのだと思い知らされた。

 審神者は支給の言葉に弱い。自分に優しくしてくれた刀達に、少しでも良き日々を過ごして欲しい。彼女は、どこまでも刀達に尽くしたがった。それから、もう一つ。彼女は、政府からの支給が微々たる物だと分かっている。それでも受けたがるのは、その微々たる支給でもほぼ丸々残せばこの本丸の軍備が潤うと知っているからだ。

 微々たる支給をほぼ丸々使わずにいられる刀達だと、彼女は信じている。それは、つまり――

 

「……そこまで僕等の力を信じてくれているのなら、受けなかったら名折れか」

 

 歌仙が力強く告げる。薬研も自身の力を信じている審神者に報いたい気持ちが高まった。宗三がため息をつきながら、小夜に話しかける。

 

「まあ、僕等も戦果を挙げていますからね、それなりに。受けない事で力が無いと見られるのは腹が立ちます。ねえ、お小夜?」

「……そうだね。僕は、復讐する相手を討ち漏らす事は無いよ」

 

 力を漲らせる小夜に次いで、鯰尾達が頭を下げている審神者に顔を向ける。

 

「頭を上げてよ、主。俺達の生活をより良くする事は、主としていい事だよ。俺達を信じて任せてくれる事も嬉しい。頑張って調査するからさ、主には笑顔でいて欲しいな」

「兄弟の言う通りだ。あんたはただ、主殿として堂々としていればいい」

 

 骨喰の言葉に、審神者がゆっくりと頭を上げる。小さく口元を綻ばせ、ありがとうございます、と礼を述べた。しかしすぐに、はっとした表情で長谷部に向かって尋ねた。

 

「長谷部さん、貴方にも確かめないで申し訳ありません。今回の調査、引き受けて頂けますか?」

「……そもそも、何故俺が同行する事になったのでしょうか。俺は、戦う事が出来ませんが……」

 

 そういえば、と薬研は思い至る。ここにいるのは七振り、審神者が指揮する部隊としては一振り多い。同行する、という言い方も、戦えない長谷部にとっては当然の事だ。それなのに、何故ここにいて調査の内容を聞いているのか。

 審神者を見ると、彼女は唇を震わせ手を握り締めていた。不審に思っていると、審神者はこう言った。

 

「……今回向かって頂く本丸が、少々入り組んでおりまして。長谷部さんに、道案内をして頂きたいと思って……貴方には、残酷な事を強いてしまうかもしれませんが」

「大将、調査する本丸の部隊名は?」

 

 まさか、と思って薬研が審神者に問う。審神者は、小さな声で答えた。

 

「――狭霧隊」

 

 長谷部が、目を見開いて顔を蒼ざめさせる。それを見て、薬研は自分の予想が当たっていた事を悟った。長谷部は、恐怖を押し殺した声を絞り出した。

 

「……主、そこは……」

「……すみません、管理局の方に窺いました。貴方のプライバシーに関わる事ですが、知ったのはたまたまです。それだけは、信じて下さい」

「主、狭霧隊って……まさか」

 

 鯰尾が顔を強張らせて長谷部と審神者を見比べる。宗三が薬研の袖を引っ張り、憂いを秘めた顔を向ける。歌仙と小夜も狼狽えた表情で見合わせている。

 そして審神者は、決定的な答えを告げた。

 

「――長谷部さんが顕現した、一番最初にいらっしゃった本丸。それが、狭霧隊です」

 

***

 

witness/縺ク縺怜?髟キ隹キ驛ィ「客観的絶望譚」

 

 暗闇の中で、様々な声が渦巻く。

 

「おか……さ……くるし……」

「煩い! あんたみたいな化物、生まれて来なければ良かったのよ!」

 

 ――止めろ、止めてくれ。

 

「お母さん、止めて! お兄ちゃんが溺れちゃうよ!」

「あんたさえいなければ、教祖様に疎まれる事も無かったのに……!」

 

 ――どうして、こんな事を。()()()は、何も悪い事をしていないじゃないか。

 

「連れて行け」

「お兄ちゃんっ! 痛いよ、離して!」

「トモエ!」

 

 ――挙句の果て、こんな事まで。

 

「ここで君達に殺し合って貰う」

「初めまして、だな。俺はカサネ。友達になろう!」

「ふん、出来損ないが」

「一緒に、ここから出よう。こんな所にいたら、大人達に壊される」

「たかだか子供が、逃げられると思ったか?」

「絶……対に、お前の……事を、許さない」

 

 耐え切れずに、目を開ける。

 [[rb:自分>・・]]は椅子に座っており、膝の上にはぼさぼさの髪の少年が横たわっていた。

 少年が消えかかっているのを見て、声を荒げる。

 

「おい、起きろ!」

 

 少年は動かない。それでも、声を上げ続ける。――少年の存在を、保つ為に。

 

「妹に会いたいんだろう!? カサネに謝りたいんだろう!? ……あの本丸は、幸せな場所だっただろう!? なら目を覚ませ! しばらくの間、()()()()()()()()()()()! だから――幸福とやるべき事から逃げるな!」

 

 喉が痛んだ気がした。それほど大声で叫んだのだ。その甲斐があって、少年は存在を取り戻し、静かに目を開ける。

 

「……ごめんなさい」

 

 違う、謝るべきは自分だ――人の身には重過ぎる運命に、少年を巻き込んで。

 次第に意識が揺らいでいく――朝が、今日もやって来ようとしていた。

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