――ころせ、ころせ!
「うるさいな」
――あいつがにくくないのか!?
「お前達と一緒にすんな」
――にくい、にくい、ひとりだけいきのこって……!
「八つ当たりに俺を巻き込むなよ。もう黙ってろ」
その声と共に、[[rb:手>・]]は奥に押し留められた。
「……まあ、八つ当たり云々は、俺も人の事を言えないけど」
声はため息をつきながら、呟いた。
「……早く謝らないと……あいつに」
13-1「witness/歌仙兼定『潜入』」
「……ここか」
その門の前に立ち、歌仙は重々しく呟いて手にしていたメモから顔を上げた。続く六振りと審神者も、そびえ立つ門を見上げていた。
審神者から告げられた調査任務を遂行する為、準備を万全にしてから本丸を旅立ち馬で一時間半程。そこに狭霧隊の本丸(であった建物)はあった。門は古びてはいるもののさほど壊されておらず、門外から見える範囲では建物自体も綺麗な状態を保っている。
これで「突如ここにいたもの達全員が殺害された」と説明されていなければ、留守にしているだけのどこにでもある本丸だと思ってしまう事だろう。この様子だと、時間遡行軍に外部から襲撃された訳では無さそうだ。
後ろにいた小夜がぶるりと武者震いをする。殺気を感じ取った歌仙は何事かと振り返った。
「どうしたんだい、お小夜?」
「……ここ、黒い澱みが渦巻いています。恐らく、憎悪の部類の澱みが……」
「え、ここの審神者は確か良くも悪くも無い人格だという話でしたよね?」
宗三の言う通り、狭霧隊の審神者は可もなく不可もない普通の審神者であった、と政府から配布された資料に記載されていた。刀達とは程々の距離を取り、任務も命じられた物は遂行する。過剰な愛は向けられていないが、主として信頼はされていた。歌仙は狭霧隊の審神者をそういう人物だと受け取った。
だが、陰で疎まれていた可能性も否めない。詳しくは聞けなかったが、ここに生き証人がいるのだ――今もなお震えながら何とか足を動かしている、狭霧隊で顕現したというへし切長谷部が。
「……長谷部さん、大丈夫ですか?」
「長谷部、具合が悪くなったらすぐに言え。薬研が何とかするから」
「信頼してくれているのは嬉しいし努力もするが、俺っちは精神方面にそこまで強く無いぞ」
体を抱え、震える長谷部の体を鯰尾が支えている。骨喰も感情の薄い顔に懸念の色を混ぜて隈の濃い長谷部の顔を覗き込み、薬研は苦笑いしながらも兄のパスを受け取っていた。
長谷部はここに来るまでの道中、ほぼ言葉を発しなかった。談笑に混ざらないのはいつもの事だが、いつも以上に不安げで、手綱を固く握り締めて歯をかちかちと鳴らすその様は異常だった。出発前夜、小さな泣き声が手入れ部屋から聞こえて来たと薬研から報告も上がっていたのだ。
あまりにも精神が不安定な彼を連れて行くのは心苦しかったが、複雑な構造になっているという狭霧隊の本丸は案内がいなければ調査するのも難しいらしい。実際、先行して調査を行っている部隊もその入り組み方に悲鳴を上げているそうだ。そうなれば連れて行かない選択肢も薄くなる。
――後は、長谷部の事が少しでも掴めればいいが。
歌仙は仲間として接してはいるが、手放しで長谷部を受け入れている訳では無い。それは自身に起こっている異常から来る物である。
時折、長谷部が違う姿に見える。何者か分からないその姿を誰も見ていないのは、言い換えれば自分しかその姿を見ていないのは何故か。その原因を少しでも解明出来れば、敵意を感じない相手に抱いて後ろめたく感じる不信感も払拭されるかもしれない。
「あっ、来たね。主ー、春光隊のひと達が到着したよ!」
門の中から響いた声で我に返る。顔を覗かせたのは加州清光。こっち来て、と加州に手招きされて春光隊は門の中に入った。
歩いた先の中庭にいたのは前田藤四郎、にっかり青江、加州清光、獅子王、石切丸、太郎太刀。そして――あの晩に長谷部を連れて来た、若い和服を着た引き渡し審神者。
「貴方は……」
「……おや、春光隊の審神者殿か。久しいね」
「……ええ、あの晩以来ですね」
引き渡し審神者はこちらの審神者に微笑んでから固まっている長谷部を見ると、気遣わしい表情にして尋ねた。
「どうかな、そちらの長谷部は元気でやっているかな?」
「……はい、少しずつ馴染んで来ています。時折短刀達とも遊んでいる様ですし、まあまあ元気だと言っていいのではないかと」
審神者がそう言うと引き渡し審神者は目を見開き、驚いたな、と呟いた。
「あの長谷部が短刀と遊ぶ様になるとは……うちにいた時は手入れ部屋からほとんど出て来なかったのに。貴殿の本丸は本当に健やかで細やかな気配りが出来る刀が揃っているのだろう。実にいい事だ。……俺は、まだまだ未熟だという事を思い知らされたよ」
「いえ、そんな事は……」
俯いてぱたぱたと手を振る審神者に、本当の事だよ、と引き渡し審神者は寂しそうに笑った。
「俺はうちの刀が一番だと胸を張って言えるが、少し大雑把なきらいがある。俺はそれを含めていい刀達だと思っているが……長谷部は、うちの気風に馴染めなかった。もう少し気にしていたらとも思うが、うちの前の本丸にいた時は腫れ物に触るような扱いを受けていたらしいと聞いていたからな。微妙なさじ加減で馴染めるか出て行くか変わってしまう。その点で、貴殿の本丸はバランスを取るのが非常に上手いのかもしれないな。その力量を俺も見習いたいくらいだ」
引き渡し審神者の隣で加州が気を揉んでいる様子で審神者と長谷部を見比べる。彼も、長谷部に思う所があったのかもしれない。例えば長谷部の世話をしていて一番近くにいた、とかなら長谷部の事を心配しても不思議では無いだろう。
かつての審神者は「普通に接して来たつもりだった」と言っても、その態度が苦痛になってしまっては元も子も無いのだ。長谷部が去ると決まった時に、彼等はどの様な思いを抱いていたのか。歌仙はぼんやりと小さく荷物を詰める長谷部とそれを遠くから見ている加州と引き渡し審神者を思い浮かべ、終わった事を想像しても仕方無いとすぐにそれを打ち消した。
「……私は、少し物事を気にし過ぎる性格で。大らかな性格というのは、とても羨ましい事です」
「はは、無い物ねだりだな、お互いに」
引き渡し審神者が目を伏せながらも羨望と悲哀が入り混じった微笑みを浮かべる。審神者も、俯いて右手で反対側の着物の袖を所在無さげに握り締めた。
「主君、そろそろ」
「ああ、長話をしてしまったか。では改めて」
前田に話を切り上げる様にたしなめられ、引き渡し審神者は咳払いを一つして、表情を引き締めた。審神者も背筋を伸ばして顔を上げる。
「今回狭霧隊本丸の調査をする部隊は我々朝凪隊と、貴殿方春光隊だ。先行して我々も調査を行っているが、まだ成果は得られていない。調査に参加する貴殿方と案内を申し出た元狭霧隊所属のへし切長谷部には感謝の念に堪えない。……では、現時点で入手出来た情報を渡そう」
審神者二人は端末を立ち上げ、データの受け渡しを行った。引き渡し審神者――朝凪審神者は情報が開かれたのを確かめ、説明を続けた。
「施設内部では青江と石切丸が黒いもやの様な物を目撃したとの報告があった。現在それはこちらに対して何も行動を起こしていないが、二振りにも正体が分からない以上何が起こるかも分からない。注意して調査してもらいたい」
「……幽霊に近い何かなのは確かだと思うけどねえ」
「いい物では無いね。強い怨嗟の念が感じられたから」
青江と石切丸がそう付け加えれば、春光隊側の刀達は一斉に小夜の方を見る。視線を一身に受けた小夜はびくりと体をすくめた後、ぼそぼそと口にした。
「……僕が感じた黒い澱み……門の近くまで来ていましたけど」
その言葉によって、朝凪隊側にざわめきが広がった。嘘だろ、まずいですね――その囁き合いと顔の強張り様から察するに、事態はかなり深刻らしい。朝凪審神者は苦々しく顔を歪め、端末を操作して大雑把な地図を表示させた。
「ここ数十分で門まで来たか……早く何とかしないと被害が広がりかねないな。すまないが春光殿、そちらの長谷部に地図を確認して貰いたいのだが」
「分かりました。……長谷部さん」
「はい」
暗い顔をした長谷部が審神者達に近付き、地図を見て中の構造を確かめ始めた。
その間、春光隊側の刀達はひそひそと話をしている。歌仙も、小夜に小声で話しかけた。
「お小夜、黒い澱みというのはどの様な物だった?」
「……とにかく、怨嗟の声が聞こえて来そうな程濃い感情を感じました。あれに引きずられたらひとたまりも無いでしょうね。強い破壊衝動を持っていても不思議ではありません」
「お小夜がそう言う程か……でも、ここの審神者は良くも悪くも無いと言っていたが」
「それは間違い無いと思いますよ。……あの澱み、相手を選んでいない節があります。僕等が到着した途端にこちらを取り込もうとしていたのですから。恐らく、ここの本丸は通り魔の餌食にされてしまった様な物なのではないのでしょうか」
通り魔の様な――歌仙は改めて中庭を見渡す。ごくごくありふれた、審神者が選べる景色の一つであるその庭園は、池は綺麗な水を湛え、緑は青々としていながら整然としている様に見える。しかし自分の目に映っていないだけで、青江達や小夜にはかなり淀んだ光景が広がっているのだろう。
自分も何か感じ取れないかと力んでみる。小夜が訝しむ様に見ているが、構わずに続けていると――
『何か気味悪いよね、長谷部さんって……』
――突如、そんな声が聞こえた。固まった歌仙を見て、小夜が話しかける。小夜の口の動きは「声」と重ならない。二つの、あるいは一つと複数の声は、歌仙を困惑の渦に叩き落とした。
「歌仙、どうしましたか」
『そうですね……どこか不気味というか、何というか……』
『近付くと、こっちまで呪われそうで……』
「歌仙?」
『主は仲良くしろって言ってるけど……難しいよね』
『悪い奴では無さそうだが……関わりたくねえよな』
「汗が凄いですよ、歌仙。……聞こえていますか?」
『化物を斬ったんじゃなくて、化物その物であると言われても信じるな、俺』
『だね……出来る限り、近くにいて欲しく無いなあ……』
「――歌仙!」
小夜に体を大きく揺さぶられ、歌仙は「声」を認識の外に出す事が出来た。小夜を見つめると、どうしたんですか、と鋭い目を心配そうに細めている。周囲を見回すと、春光隊側の刀達は怪訝な目つきでこちらを見ていた。朝凪隊側に目を向けると、彼等は歌仙の異変に気付いていない様子で会話を続けていた。「声」は、この場の誰にも聞こえていなかったらしい。
「声」の主は、この中にいる誰かの様でもあるし、誰でも無い様な気もした。または、「自分」が発していた可能性もある。今でも気を抜けば聞こえて来る言葉達は、どれもこれも長谷部を疎む物ばかりだ。一体、これは何なのだろう。
歌仙は何気無く、本丸の縁側に目をやった。そして、目を瞠る。
――「声」が一層強く渦巻く中、覚えのある気配を纏わせた長谷部が足取り重く歩いていた。
「長谷部!?」
「うわっ、どうしたんですか歌仙さん!? 長谷部さんがどうかしましたか?」
背後にいた鯰尾がびくりと体を跳ねさせ、ひと段落ついてこちら側に戻って来ていた長谷部も目を丸くしていた。
歌仙は再び本丸の縁側へ顔を向ける。そこにはもう、長谷部の姿は影も形も無かった。
骨喰が呆然とした声音で、歌仙に問いかけた。
「本当にどうしたんだ。長谷部の幻覚でも見たか?」
「……ああ、そうだね。ここが長谷部と因縁がある場所だと、意識し過ぎたみたいだ」
「あんまり力まないで下さいよ。長谷部さんはもう、うちの刀なんですから」
ねえ、と鯰尾は長谷部に呼びかける。浮かない表情の長谷部は、それに何も返さない。どこまでも沈み込みかねない様子の彼は、しばらくしてからぽつりと零した。
「……あまり、ここでの生活は覚えていないんだ。何故だか涙が止まらなくなる程酷く辛かった、という事しか……思い返しもしない俺は、薄情なんだろうか」
「まあ、あまり過去に囚われ過ぎない方がいいですから。身にならない辛過ぎる事は、忘れてしまうに限りますよ」
「……何があったかは知りませんが、湿っぽくなられても困ります。出来る限り思い出さないで頂きたいですね」
鯰尾と宗三が長谷部にそう言う中で、歌仙は「声」の名残を追って本丸の縁側を見つめていた。
あれは、この本丸の記憶なのだろうか。何故自分だけが認識出来たのか、いやそれよりも。
――長谷部はこの本丸で、あんな陰口を叩かれていたのか。
自分達も最初に長谷部を見た時、例えようの無い違和感を感じた。だがあからさまに避けたり、あんな風に陰口を叩くものはいなかった。それは今の主が少し特殊なのもあるかもしれないが。
歌仙は今しがた見た長谷部の扱いに困惑していた。彼なりに言うならば「雅じゃない」あの陰口の中に「自分」が混ざっていたのかもしれないのだ。いくら違和感があるとはいえ、あの様な心無い言葉を「自分」が発していたとは思いたくは無かった。だが個体差であると言われると、歌仙はもう何も言えない。
――でも、何故そこまで長谷部を疎んでいたんだ?
確かに変わった所が多い長谷部ではあるが、そこまで遠くに置きたがる理由が分からない。それこそ個体差で片付けられる問題だと思う。
思うのだが――自分にも心当たりがある。長谷部が違う誰かに見える事。悪意は無いと判断しているが、その人物を知らないこちらとしては、主を害する可能性が否めない為、僅かに警戒して長谷部の経過を見ていた。しかしそれも、「呪われそう」と言われる根拠には欠けている。歌仙は警戒こそしてもそう思う事は無かったのだから。
姿が違って見える事が、幽霊を連想させるからか。いや、それなら幽霊を斬ったにっかり青江も遠巻きにされなければ不自然だ。幽霊に関わる事が問題では無いのだろう。
「歌仙さん」
審神者の呼ぶ声で目まぐるしく回転していた脳が一度止まる。審神者に顔を向けると、彼女は紙の面を風に揺らし、覆われていない口元を動かし真面目な声を紡いだ。
「準備が整いました、これから本丸内に入ります。長谷部さんを先頭に、朝凪隊、私達と続きます。気になった事があればすぐにおっしゃって下さい。……考え事をしていた様でしたが、それは澱みと関係がある物ですか?」
「……歩きながら話そうと思う。澱みと関わるかは分からないが、長谷部に関系している事だ」
分かりました、と返して審神者は縁側に顔を向ける。長谷部と朝凪隊は既に室内に入っており、障子を開けて春光隊を待っていた。
*
「……何故、歌仙さんだけ感知出来たのでしょうか」
「分かってたら苦労しないよ。気分の悪くなる物を聞かされているし、本当に何で僕だけ……」
はあ、と歌仙は大きくため息をつく。歌仙の後ろを歩きながら審神者も口に憂いを湛える。
廊下を歩いている現在、「声」は再び歌仙の耳に入り始めていた。しかも、時間が経つ度に声の数も大きさも増している。不愉快さもそれに合わせて上昇し、歌仙は少しだけ気が立っていた。
『化物』
『申し訳ないのですが、近付かないで頂けますか』
『気持ち悪い』
『弟を呪ったら許さない』
陰口は次第に罵倒と化し、歌仙を襲っている。幾ら何でも、長谷部がここまで言われる筋合いは無いだろう。普通の本丸であるという評価は覆さなければならない。どう考えても、これは異常だ。
頭が痛むし、少し吐き気もする。宗三に支えられ、歌仙は重い体を引きずりながらも何とか歩いていた。
「ここの審神者は何をしていたのでしょうね。長谷部がここにいるという事は、審神者は不和の元を切り捨てたという事。……根本的な解決をせずに、苦しむ刀剣男士を放り出した。それで成り立つ平和など、歪にしか見えません」
「……刀剣男士にとって良くも悪くも無い審神者なら、そんな手段を取るのも不思議じゃないかもしれませんね。言っちゃ何ですけど、たった一振りいなくなればみんな仲良しこよしになれるなら、平凡な人だったらそうすると思います」
「……長谷部は、そんな凡庸かそれより下の審神者にしか当たらなかったのか」
「よく憎しみに堕ちなかったですね、長谷部さん……」
「昨晩あんなに泣いていた訳だ。精神的な傷への刺激が少しでも小さきゃいいが」
薬研が重々しく呟けば、春光隊側の刀は小声で話し合っていたのを止める。そうして全員が先頭へと目を向けた。
隈の濃さからして長谷部は一晩中泣いていたのだろう。どんなに記憶が曖昧だと言っても、傷付いた事実からは逃げられない。あんな陰口や罵倒を浴びていて平気でいられるのは余程心が強靭でなければいけないだろうと歌仙は思う。
今先頭を歩いている長谷部は、ふらふらと覚束ない足取りで本丸を案内している。現在向かおうとしているのはここの執務室だ。
この本丸はかなり複雑な構造となっており、右を曲がったと思えば左へ、かと思えば数多の分かれ道の中真っ直ぐに進まなければならなかったりと、知らぬものが何の道しるべも無く入れば頭を抱える程の迷宮度合いだ。長谷部も記憶が薄れている為どちらに進めばいいか悩む場面もあった。
「足下、気を付けて下さい。段差になっています」
だがしばらくすると、少しずつ思い出して来ているのだろう、案内の口ぶりに迷いが少なくなっていった。朝凪審神者が礼を述べ、段差に注意する様に後方へと声を張り上げる。
進めば進む程、澱みが濃くなっている様な気がする。歌仙が感じ取れるレベルにまで至っているのだ、オカルトに強いものがほとんどである朝凪隊の刀達が顔を強張らせているのも頷ける。
「……春光隊の皆、ここからは気を強く持った方がいい。でないと、引きずり込まれるよ」
朝凪隊の最後尾を歩く青江が振り返り、死地へ赴く緊張を帯びた声で告げる。歌仙は小さく頷き、背後の様子を確かめる。流石にふざけているものは誰もいない。
すすすと青江が春光隊側に下がり、歌仙に小さく囁く。
「……あれだけ大切にしているなら、酷くされると覚悟していたんだけど」
「……何がだ?」
「長谷部君の事さ。とても良い待遇を受けさせている様じゃないか」
歌仙は眉をひそめる。追い出した側である青江が、それを言う真意は何なのか。……自分も長谷部を信じ切れていないが、仲間として認めつつあるのだ。
――本当はこの本丸の誰かに問い質したかった。悪意の欠片も無い長谷部を、迫害した理由を。
それを見透かした様に、青江は肩をすくめる。
「長谷部君の事は、不用意に謝るつもりは無いよ。長谷部君が悪くないのは分かってる、でも僕等も必死だったんだ」
「……言い訳をするのか。見苦しいのを見せるのなら斬り伏せるよ」
「言い訳……そうだね、言い訳だ。どんな形であれ、僕等は彼を傷付けた。でも」
青江は名の示す表情では無く、真剣な面持ちで歌仙を見る。
「彼は僕等の本丸に災厄を運びかねなかった。何せ彼を中心に、殺傷沙汰になりかけたんだからね。主が彼をそちらに譲り渡したのは、本当に本丸が分裂する寸前だったんだ」
「……殺傷沙汰? そんな事を起こしかねないものを、こちらに渡したのか」
「謝って楽になるつもりは無いよ。……彼は何故かそこにいるだけで、
――嫌悪感。それが理由か。歌仙は憤りと共に、すとんと何かが腑に落ちる感覚を覚えた。自分が時々感じていた違和感の正体を、正面から突き付けられた気がした。
それでも、と理性が叫ぶ。そんな無意識を抑え込めずに何が戦士か。長谷部は、何も悪く無いじゃないか。理想を掲げるだけではどうにもならないと分かっているが、目の前にいるものが絶望で押し潰される様を見るのは、どうしても嫌だった。
「……僕は、必ずここで真実を掴むよ。その上で長谷部と上手くやっていきたいと思っている」
「陰ながら応援しているよ。……そうする事しか、僕には出来ないからね」
青江は少し悲しそうな笑みを浮かべてから前を向く。顔を上げると同時にもうすぐだ、と朝凪審神者か告げた。
そして一分経っただろうか。動いていた列が止まると、右手に「執務室」とプレートが掛けられた引き戸があった。
――中からは、悪い気配が強く感じられた。
「よし、それではこれから執務室の調査にあたる。気になる物があったらいたずらに触れず、青江か獅子王か石切丸か太郎太刀に報告してくれ。……執務室はまだあまり調査が進んでいないという。敵の出現も考えられる為、慎重な行動を心がけてくれ。太郎太刀、頼んだ!」
朝凪審神者が呼びかけると、太郎太刀は前に進み出て執務室の扉を開ける。
扉の中から、澱みが一気に流れ出て来た。加州がうわっ、と嫌そうな声を上げた。
「……俺でも分かる様な嫌な空気なんだけど」
「……耐えろ、加州。ここを制圧すれば任務は終わりだ……多分」
獅子王をはじめとしたオカルトに強い刀達は、一様に顔を青ざめさせている。
加州が恐る恐る薄暗い部屋に足を踏み入れて、そろそろと奥まで進み窓を全開にする。空気は多少ましになった程度で、澱みが収まる事は無かった。
心なしかのろのろと、朝凪隊の面々が中に入る。
「……僕達も入ろう」
歌仙は気合を入れつつもそう言って部屋の中に踏み出した。
中には正面に文机と窓、右手に花器が置かれている床の間、左手に襖があった。全体的に華美では無く、質素と言っていい執務室である。
歌仙は床の間に向かい、花器を検分する。花器は美しい曲線を描いており、歌仙の目にもいい物だと判断出来た。なかなかいい趣味をしているではないかと思っていると、横にいた小夜に袖を引かれた。
「歌仙。花器に何かありましたか」
「見てくれお小夜、この花器はいい物だ。刀剣男士を一振り追い出している人物にこんな評価を下したくは無いが、いい目を持っていたんじゃないかな。ああこんな所に無かったら買って帰り――」
「真面目に調査して下さい。次余計な事を言ったら全力で頰をつねります」
「……お小夜が冷たい……」
肩を落としつつも隣の地袋の戸を開こうとしゃがむ。
戸を開くと、中には書類がぎっしりと詰まっていた。詰め方も無理矢理押し込めた様で、乱雑だ。
顔をしかめていると、足下に一枚の紙が落ちていた。歌仙は拾わずに紙の文字を読み上げる。
「……『物質情報生命体の媒体精製及び融合実験について』……?」
読み上げてみたものの、全く意味が分からない。小夜も困惑した表情で覗き込んでおり、何なんでしょう、と不審さを隠さずに呟いた。
朝凪隊の誰かを呼ぼうと歌仙が振り返ると――
――みつけた
地を這う様な声が、耳の中に滑り込む。
聞き覚えの無い、幼くもおぞましい少年の声だった。周囲をざっと見回すも、朝凪隊と春光隊以外の人物はいない。
恐る恐る、歌仙がその場にいたものに尋ねる。
「……今、声がしなかったかい?」
「え?」
「いや、聞こえなかったけど……」
朝凪隊の面々はそう返した。オカルトに強い刀達も全く感じていなかった様で、首を傾げている。
それでは我が隊は。襖の前にいた鯰尾と骨喰を見ると、二振りは顔を固く強張らせ、冷や汗を一筋流していた。
「……たった今、押入れの中に青い御守りを見つけたんです。それで誰かを呼ぼうと思ったら――」
「……声がした。子供の声だった……よな?」
文机の側にいた薬研と宗三も、張り詰めた面持ちで呟いた。
「……俺だけじゃ無かったか。宗三はどうだ?」
「……出来れば聞こえていない事にしたかったですね」
「あの、一体何があったんですか?」
薬研の隣にいた審神者は何も感じていなかったらしく、しかし張り詰めた空気を察して恐る恐る自分の刀達を見渡す。
自分の隣からは殺気が感じ取れる。見れば、小夜が髪を警戒する猫の様に逆立てて目を見開いていた。
「……澱みが、僕等に集中して攻撃をし始めたんです。何が起こるか分かりません、せめて気を強く持って――」
「……嫌」
恐怖を押し込めた声が弱々しく部屋に響く。その「らしくない」声に耳を疑い、声の主を追いかける。
――部屋の入り口付近にいた長谷部が、唇を震わせながら頭を抱えて蹲った。
「嫌、嫌だ、違う、ごめんなさい、俺が、俺がいたから、ああ、いや、嫌あああ――っ!」
「長谷部!? おい、どうした!?」
「長谷部さん!?」
薬研と審神者が錯乱した長谷部に駆け寄ろうとした、その時だった。
――にがさない
――にがさない
――うらぎりもの
――ひとりだけいきのこった
――うらぎりものにばつを
――ぼくたちのひかりをうばったつみびとめ
――つみびとも、かばうやつも、ぜんいんしんじゃえ
耳の奥で、声が反響する。同時に身体中重石を乗せられた――むしろ、身体が重石になった様に、ずしりと床に倒れ込む。
目を開こうとするも、澱みが目の奥まで浸透してそれを阻む。
朝凪隊のもの達が顔色を変えて部屋を見渡す。うっすらとした横向きの視界を動かすと、自分の隊は慌てている審神者以外全員倒れ込んでいた。
「――ごめんなさい」
か細い長谷部と誰かの重なった声を最後に、歌仙の意識は暗転した。