空隙の町の物語   作:越季

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13-7「witness/歌仙兼定『説得』」

「ねえ、トシキ。僕は今から貴方に酷い事をします」

 

 歌仙はトシキと彼に語り掛け始めた宗三を静かに見つめていた。酷い事をする、と言っている彼の口調はそれに反してとても柔らかい。だから歌仙も、何をするか穏やかに見届けられるのかもしれない。

 

「僕は身勝手に、貴方の意思に関係なく、貴方が生きる事を望みます。貴方にとってはとても辛いでしょう、でも僕は謝りませんよ。だって僕は貴方にとって酷い事をするとは思っても、悪い事をするとは思っていないのですから」

 

 トシキはまだ、唸り声を上げている。彼の体勢を整えながら、長谷部も宗三の言葉に耳を傾けていた。

 宗三はトシキのぼさぼさの頭に触れ、ゆっくりと撫でる。そうして強い意志を柔らかさで包みながら、穏やかに語り掛けた。

 

「……辛かったでしょう、悲しかったでしょう。でも、もういいんですよ。貴方は充分償った。貴方が無意識に貴方の親友を殺した罪は、貴方が異端として扱われた事で帳消しにされた。世界の全てが貴方を許さなくても、天下人の象徴たる僕が許します。貴方の幸福を求める権利を世界が否定するなら、この僕が先んじてそんな不条理を斬り裂きましょう。……だから、ねえ。もう自分を責めなくていいんですよ。貴方はただ少し不幸だった、それだけなのですから」

 

 宗三の表情は普段の憂いを帯びた物ではなく、父親が我が子を見つめる様な温かさに満ちていた。歌仙は滅多にない事に少し驚く。あまりの事に、心を寄せるのも躊躇いがないのかもしれない。

 自分も同じだ。トシキが生きる事を選ぶなら、言葉でも行動でもいくらでも示して見せる。それが、少しでも希望に繋げられると信じて。

 トシキの唸り声が、少し小さくなる。それを見計らった小夜が、トシキに語り掛ける。

 

「……君は、この世界が嫌い? ……僕は正直、よく分からないんだ。どんなに楽しそうな事があっても、黒い澱みは消えてくれない。僕はね、復讐に価値を見出された刀なんだ。復讐以外の思想をを否定するつもりはないよ、それも考えた末の事だろうから。……でも、君は幼いんだ。絶望に意味を見出すには、まだ早いんじゃないかな。一緒に考えてみない? 僕達の、意味の在り処を。僕も、君の邪魔をする物に復讐をしながら悩んでみようと思っているから」

 

 小夜もトシキに近寄り、恐る恐る頭を撫でる。トシキの唸り声が更に小さくなる。ほっと息を吐いて、小夜は手を離した。

 次に口を開いたのは、骨喰だった。丸い目に強い光を宿し、少しずつ言葉を紡いでいく。

 

「……俺には昔の記憶がないんだ。残っている記憶は、炎だけ。それでいいと思っていた、今は主殿の刀なのだから。……でも、忘れた方がいい記憶とそうじゃない記憶があると日々の中で知った。正せる失敗は次の糧にすればいい。だが、お前は何も過失がないだろう。辛いだけの記憶など、忘れてしまえ。空いた記憶の分は、これからの日々で埋めていけばいいのだから」

 

 骨喰はトシキの手を握った。悪夢に魘されている彼は、骨喰の手を微かに握り返した様に見える。目を見開く長谷部に骨喰は小さく微笑み、一歩退いた。

 黙って考え込んでいた薬研がトシキと長谷部に向かって、深く頭を下げた。

 

「トシキ、長谷部。ずっと疑っていて悪かった。トシキはずっと過去に苦しんでいて、長谷部はそれを何とかしようとしていたんだな。不信の目を向けられたら、更に辛さが上乗せされる。……疑われて、疑って、気の休まる時がほとんど無かったのなら、追い詰められるのも当然だ。お前さん達の恨み辛みを全部聞くから、少し俺と話をしてくれないか?」

 

 ぎょっとして、長谷部は薬研の下げられた頭を見つめる。そのまま首を振って頭を上げろ、と長谷部は言った。

 

「疑われるのは当然だ。俺は、俺達は、この本丸を信じられずに、全てを話そうとしなかったのだから。お前が謝る筋合いは――」

「信じる余裕を充分に与えられなかった、それだけでも医療担当の手落ちだ。お前さん達の信頼を得られなければ、かうんせりんぐの意味が無い。……トシキもあんたも、心が傷付いているのは明白だった。それなのに本当の所で何とかしようとしなかった、信じなかったのは医療担当として最悪だ。長谷部はいいと言うが、それでも謝らせてくれ。――本当にすまなかった」

 

 頭を上げずに薬研は言い切った。髪が顔に垂れ、表情は窺いにくい。

 しん、とその場に静寂が満ちる。歌仙は折り目正しく頭を下げている薬研を見て、彼も粟田口派なのだと実感する。滅多に見せないからこそ、誠意が見える。今日は稀な事がよく起こる。きっとそれ程彼等は――自分達は、この少年と刀に起こった事に心を痛め、何とかしたいと考えたのだ。

 まだ薬研は頭を上げていない。長谷部は唸り声を発しなくなったトシキの顔を覗き――

 

「……薬研さんは、悪くないよ。長谷部さんの言う通り、受け入れようとしてくれていたのに信じなかった俺が悪かったんだ」

 

 ――トシキの口が動いた事に肩を跳ねさせた。周りにいた刀も目を見開いたり、トシキに勢いよく視線を移したりとそれぞれ驚愕を表している。薬研も流石に頭を上げてトシキの顔を見つめていた。

 

「だって、今までこんなに沢山のひとに優しくされた事なんて無かった。いつだって、近寄ろうとしたら嫌がられたし、信じようと思えば疑われた。だから、これから何か酷い事をされるんじゃないかって、ずっと疑ってきた。信じて辛い思いをするのは、痛いから。ここでも、少し疑われているのは分かってた。どんなに優しくされても、きっと、ここでも最後には仲間外れにされるんだって」

 

 トシキの目がゆっくりと開く。その拍子に涙がとめどなく溢れ出る。長谷部は右腕だけでトシキを抱え直し、左腕の袖口で微かに触れさせ目元を拭った。

 

「……俺は、それだけの事をしたんだ。妹を助けにも行かない、親友を――カサネを殺して、俺はまだのうのうと生きてる。最低だよ、こんな事。受け入れられないのも、当然の話なんだ。俺の罪は、多分ずっと消えない。ううん、きっと生まれて来た事すら、間違って――」

「――そんな訳無いだろ!」

 

 トシキの言葉を遮り、鯰尾が叫んだ。悲しみに泣き喚く様な、目に余る事に怒鳴る様な、そんな声だった。いつもの明るい口調ではないその叫びの主へ、一気に視線が集まる。

 鯰尾は目を潤ませ、拳を握り、今にも地団駄を踏みそうな態度で更に続ける。

 

「君が生まれて来なかった方がいいなんて事、あるもんか! 宗三さんの言う通り、君はただ不幸だっただけだ! 母親に愛情を貰えなくても、妹にずっと愛情を注ぎ続けて! 親友の願いを、意識ある時には叶えようと頑張り続けた! そんな君が、優しい君が、生まれて来ない方が良かったなんて考えさせるこんな世界が間違ってるんだ! 世界はいつだって不条理で、優しくないけど! でも、それでも優しくあろうとした君が、生まれて来た事すら祝福されないなんて――こんな腹立たしい事があるか! 幼い君が自分の存在を否定する程の絶望を抱えているだなんて、こんな悲しい事があるか! ――君の優しさが傷になって返ってくる、こんな酷い理不尽があるか!!」

 

 鯰尾は、ずっとトシキの夢を見ていたのだと言う。その彼が、トシキの辿って来た経緯を知って感情を爆発させる事は目に見えていた。むしろ、今までよく保った方だ。

 そして多分――鯰尾が叫ばなければ自分が、小さな子供を襲った不条理への怒りを表していただろう。

 

「これからは、俺達が優しさを返すから! 君がずっと、優しいまま笑える様に支えるから! 君が大人になるまで、いらない傷を付けさせない様にするから! だから、だから――もう、そんな風に泣かないでくれよ……」

 

 涙を堰き止められなくなった鯰尾は、けれど溢れ出る物をそのままにして俯いていた。骨喰が心配そうに彼の背をそっと支える。

 トシキは涙で濡れた目を見開き、呆然とそれを見ていた。――彼の体の透明さが、少しずつ収まっている。長谷部は冷静さを装っているが、歓喜の感情は隠せていない。

 畳み掛ける様に、歌仙は言葉を連ねた。

 

「そうだね、まずは改めて君達を歓迎する宴でも開こうか。君は法の上ではまだ酒を飲める年齢じゃないけれど、酒の勢いに巻き込まれてみるのもいいかもしれないよ。酒癖の悪さは本丸ごとでも個体差が出ると言う話だけど、うちの本丸は誰が面白い事をするかな? ああでも、片付けをさせるのも苦労するのか……。それはさておき、その後は短刀達と遊んでみるといい。彼等は戦闘訓練として鬼ごっこや隠れんぼを取り入れているから、中々に手強いと思うよ。それから、打刀や脇差の中には機械遊戯にはまっているものもいるらしい。一緒にやってみたらどうかな」

 

 困惑の表情を浮かべたトシキは、長谷部の顔を見上げて首を傾げる。長谷部はトシキの頭をくしゃくしゃと撫で、歌仙を見る様に告げる。

 再び、トシキと目が合う。何を言われるのか分からない様子の彼に、歌仙は穏やかに笑んで見せた。

 

「――僕達は君を歓迎するよ。だから笑顔を見せてくれ。疑ってしまった事は申し訳ないけれど、これからはひとりの仲間としてきちんと君を信じるよ。……長谷部、君もだ」

「……え?」

「今まで、本当に苦労して来たと思う。これからは、僕達も君と一緒に色々考えていくよ。全てを話すのはまだ難しいかもしれないけれど、少しずつでも打ち明けてくれたら嬉しい。同じ主に仕える仲として、これから仲良くしていけたらいいと僕は思っているよ」

 

 長谷部は目を瞠り、それから目を伏せて小さな声で漏らした。

 

「……俺は、トシキの人生を滅茶苦茶にした」

「君は騙されていただけじゃないか。それにトシキの事を、感情や記憶を肩代わりしてまで守っていた、と言っていただろう? 人生がどうなるかは、仮にも神である僕達にも分からないんだ、そこまで深く考えなくていい。……というか、滅茶苦茶にしたのはこの施設の人間じゃないか」

「……俺が、薬に惑わされなければ良かったんだ」

「神ですら惑わす薬に抗うなんて、見た限りでは非常に難しいと感じたよ。君を降ろそうとして陰謀を企てた施設の人間に罪はある。君はただ、敵を斬るという使命を果たしただけだ。幻覚だとしても、それは変わらない。腰抜けと罵られたいなら別だけどね」

「……俺は、どうしようも出来ない罪を犯した。それでも、あの方に仕えていいのだろうか」

 

 震える声で、長谷部は尋ねる。トシキがおろおろと長谷部の様子を窺う。はあ、と息を吐いて歌仙は呆れを滲ませながら笑いかけた。

 

「言っただろう、君と仲良くしていきたいって。君はむしろ騙された被害者なんだ、そこまで縮こまらなくていい。そんなに惑わされるのが心配なら、約束をするよ。――君が主を敵と認識して襲った時は、僕が君を斬る。僕の練度はこの本丸で一番高い。君の練度にもすぐ追いつくだろう。その点は安心しているといいよ」

 

 長谷部は息を飲んで、ふっと笑い声を吐いた。それは驚愕と共に安堵の色を宿している。

 

「……はっ、それは安心だな」

 

 憎まれ口だが、その声音は穏やかだ。本当に――心から安堵したのだろう。歌仙もほう、と息を吐き出して力を抜く。

 涙ぐんでいた鯰尾も笑顔を浮かべていて、骨喰も柔らかな雰囲気で長谷部達を見ている。宗三も小夜も、いつもの態度の中に温かな眼差しを浮かべていた。薬研も口角を上げかけて――顔を強張らせ柄に手をかける。

 

「――奴さんが来たぞ!」

 

 舌打ちして、歌仙も抜刀する。このままおとなしくしていれば、と思ってもそうはいかないらしい。

 黒いもやが数多の手に形を変え、こちらに向かって伸ばされる。歌仙は正面から来た()を横一文字に斬りかかったが、横に割れた()はじわりとくっついて再び襲い掛かって来る。

 斬り裂いても斬り裂いても、()は何度も繋ぎ合わされて復活する。きりがない、と言ったのは誰だったか。その間にも、幼くおぞましい声は響いている。

 

 ――うらぎりもの

 ――ぬけがけはゆるさない

 ――おまえだけはゆるさない

 ――かばうやつもみんなみんなしんじゃえばいいんだ

 ――かえせ

 ――ぼくらのみらいをかえせ!

 

 恐らく、この声は「実験」で命を落としていった子供達の物なのだろう。声は憎悪でねばつき、澱んでいる。こんな声を発する様になってしまった原因である大人達に何て事をしたんだ、と掴みかかりたくなった。

 それはほかの刀も同じだった。()を斬り落としながら腹立たしげに宗三が吐き捨てる。

 

「しつこい……本当に、いつになったら……!」

「中核になっている物を探せ! このままだとこっちが押し負けるぞ!」

 

 骨喰が鋭く叫ぶ。歌仙も応戦しながら視界を動かした。

 動かした視線の先で、長谷部がトシキを抱え庇いながら刀を振るっている。その背中に一層黒々とした()が複数迫り――

 

「長谷部さん!」

 

 鯰尾が背中に追いつき、()を刀で叩き落として次の獲物を追う。助かった、と短く礼を述べた長谷部の背の前に小夜が立った。

 

「長谷部さんを襲っていた()、かなり澱んでいる様でした。しかも他の物に比べ復活する様子もありません。あの()を斬っていけば、中核が現れると思います」

「分かっているが……あの手は、多分……」

「あの更に黒い手を斬っていけばいいんだな?」

 

 言いよどむ長谷部の声に薬研の声が被さる。そうして低く構えると、地を蹴り風を思い切り裂いて()を斬り刻んでいく。薬研に負けぬと言わんばかりに、歌仙達も()を斬り落とす。

 そして、()()は一層澱んだ()が全て斬られた直後に現れた。

 ゆらゆらと陽炎の様に立ち昇る、小さな子供くらいの黒い塊。それは他の()を周囲に従え、歌仙達から少し離れた場所に佇んでいた。

 こちらを窺う様に、その塊は動かない。しかし、周囲の()は小さく縮こまってからこちらに勢いよく迫って来た。しかしその本数は先程までと比べれば遥かに少ない。残りの()は塊の周りで何かに阻まれているかの如く動かない。

 これくらいなら余裕だと、油断していたのが良くなかったのだろうか。

 ()を迎撃していた骨喰と薬研が、突如動きが速くなった()に吹き飛ばされたのだ。

 

「薬研!」

「骨喰!」

 

 歌仙と宗三、鯰尾が叫んだ。吹き飛ばされた二振りに、()が迫り来る。鯰尾が膝をついている骨喰の所へ、宗三が吹き飛ばされたまま倒れている薬研の所へ駆けて、()を叩き落とす。宗三が薬研の息があるのを確かめてから黒い塊を睨むと、柄を強く握って吼えた。

 

「よくも、よくも薬研を……!」

 

 薬研が昏倒した事によって、歌仙達の殺意が湧き上がっていく。仲間を傷つけられた事によって、あるものは憎悪を、あるものは危機感を抱いて塊を斬ろうと構える。

 塊は、相も変わらず動かない。こちらを嘲笑っているのか、と認識した歌仙は上段の構えをとり駈け出そうとした。他の刀も攻撃態勢を整え、塊を見据える。

 静かだが一触即発の空間。――そこに、幼い声が響き渡った。

 

「――待って!」

 

 歌仙はその声に足を止め、つんのめる。声の主を見ると、驚愕と悲哀で顔を歪めている長谷部の腕の中、そこで刀を――「へし切長谷部」を震えながら握るトシキが、顔を上げて歌仙を見ていた。怯えながらも決意を秘めている様子のトシキに、歌仙は固まる。

 

「……俺がやる。皆を巻き込んだ責任は、とらなくちゃ」

 

 そう言って長谷部の腕からゆっくりとトシキは離れる。そして恐る恐る、けれど確実に塊に向かって歩を進める。七振りの刀達は、それを黙って見ている事しか出来ない。

 これから行うのはきっと、少年の過去への訣別の儀だ。

 塊の周囲にある()は、押さえつけられた様に震えて動かない。塊も、どこかトシキを見つめている様だった。

 

「……ごめん、皆、カサネ」

 

 塊の前に立ち、トシキは柄を握り締める。長い髪を掴もうとする()はやはり、何かに妨害されている様だ。それを見て、トシキは言葉を重ねる。

 

「俺は、皆を殺して今もこうして生き残っている。本当は、死んで償いたいと思っていたけれど……」

 

 ()は口惜しそうに手を伸ばそうとして、やはり阻まれる。

 

「充分償ったと言ってくれたひとがいる。一緒に悩むと言ってくれたひとがいる。忘れてもいいと言ってくれたひとがいる」

 

 トシキは一つずつ一つずつ、大切な物を挙げる様にかけられた言葉を並べていく。その言葉に、塊は何も返さない。()だけが、忌々しそうにその場で動くだけだ。

 

「話をしたいと言ってくれたひとがいる。俺の代わりに悲しんでくれたひとがいる。こんな俺を歓迎すると言ってくれたひとがいる。ずっと記憶と感情を肩代わりしてくれたひとがいる」

 

 ゆっくりと、トシキが刀を持ち上げる。刃を向ける先は、黒く蠢く塊だ。泣きそうになるのを抑えながら小さく笑み、トシキは告げる。

 

「そのひと達に望まれたから。今は、そのひと達の為に生きていたい。……本当にごめん。今から俺は、そのひと達を守る為に皆を斬る。俺は地獄に落ちるだろうけど、お願い。――少しだけ、時間を頂戴」

 

 ブン、と刀が塊に向かって振り下ろされる。塊が斜めに斬り裂かれると()がさらさらと、風に乗った砂の様に吹き飛ばされていく。塊も、少しずつ形を崩していた。

 すると、変化が訪れる。――空間が、少しずつ白み始めたのだ。天から少しずつ光が差し込み、空間を支配していた澱みも少しずつ消えていく。

 誰に言われるでもなく、事態は終息に向かっているのだと分かった。歌仙の意識が段々と薄れていく。それでも、トシキの姿を見失わないように視線を固定し続けた。

 

「――地獄なんて、行く必要ないよ。俺もお前も、大人のおもちゃにされただけだったんだから」

 

 はっと、トシキが顔を上げる。顔を向けた先は、崩れゆく塊。トシキは肩を震わせて再び俯く。

 歌仙は見た。――塊が、いつの間にかカサネの姿をしていたのを。

 

「じゃあな、親友。当たったりしてごめん。――しわくちゃになるまで、こっちには来るなよ」

 

 そう言って、塊は消え失せた。その場にはもう、澱んでいる物は何もない。視界が光に包まれて、意識を保つのも辛くなってきた。

 トシキはその場に崩れ落ちて嗚咽を漏らし始めた。親友と本当に別れを告げたのだと、それを深く悲しむ涙なのだと思う。

 

「――よく頑張った」

 

 意識が途切れる間際。――長谷部が泣き崩れるトシキに近付き、肩を抱いているのが見えた。

 

 

「……さん、歌仙さん!」

 

 少女の声に歌仙は目を覚ます。頭を動かすと、審神者が唇を震わせながら歌仙の顔を見ていた。

 どうやら自分はどこかに横たえられているらしい。背中に柔らかな物を感じる。見てみると、埃っぽい布団に横たわっていると分かった。

 

「……ある、じ。僕は、どのくらいの間寝ていたんだ?」

「四時間程倒れていらっしゃいました。他の方はもう起きていらっしゃいます。歌仙さんだけ、少し起きるのが遅かったんです。……目が覚めて、本当によかった……!」

 

 ぐるりと見渡すと、そこは元いた執務室ではなく、大広間だった。布団が全部で七枚敷かれていて、他の隊員は起き上がって朝凪隊の審神者や刀達と話している。それを見る限り、彼等にも異常はない様だ。

 朝凪隊の青江がゆっくりと近付いて来て膝をつき、審神者に話しかける。

 

「歌仙の目も覚めたようだね。これで春光隊は全員復活か。良かったねえ」

「はい、本当に……青江さんも、ありがとうございました」

「気にしないでくれ、充分に温めて貰ったからねえ。……看病をしていたからだよ? それはそうと、歌仙。()()は掴めたかい?」

 

 きょとんと首を傾げる審神者と、はあ、と息を吐きながら頭を抱える歌仙。フフ、と青江は妖しげに微笑んだ。

 

「長谷部君、さっきからずっと泣いているんだ。きっと倒れている間に何かあったんだろう? ……嫌な空気が変わったのも、彼がまた泣き出してからだしねえ」

 

 長谷部のいる方を向くと、彼は上半身を起こして何も言わずに涙を流していた。朝凪隊の加州が静かに横に座っている。

 彼は今、()()()なのだろう。トシキは消えていないだろうか。それがどうしても気になった。

 じっと長谷部を見ていると、長谷部は視線に気付いたのかこちらを向き、ぼうっとした表情で歌仙を見返した。それから「すまない」と小さく口を動かして目を閉じた。

 色々気になる事はあるが、まずは審神者に説明をしなくてはならない。歌仙は審神者と青江に視線を移し、語り始めた。

 

「……ある少年が関わっている場所に連れて来られたよ。そこで少年が、刀剣男士にさせられる様を、胸糞悪い出来事と共に見せられた。狭霧の審神者は、その刀剣男士の受け取りをしていたんだ」

「へえ。彼の名前を聞いても?」

「名前は新内利樹。彼は親に売られて同じ様な子供と殺し合うという過酷な実験をさせられた後、無意識の内に親友を手に掛ける事になった。……見ていて叫びたくなったよ。認識を改竄させて親友を殺させるなんて、外道のやり方としか思えない」

「ふうん、子供達、か。まるで蠱毒だねえ」

 

 青江も顔をしかめて話を聞いていた。歌仙も出来ればあの光景を思い出したくない。

 ――けれど、起こった事は話さなければ。事件の後処理はしっかりとしないといけないのだから。

 そうして歌仙が全てを話し終えた後、青江は口に手を当てて、これは僕の想像だけど、と前置きをして話し始めた。

 

「……狭霧の審神者は、その子供達による呪いの起点にされたんじゃないかな。蠱毒の儀式を行っていた子供達は、死にたくないが故に一層剣の鋭さを増していったけれど、結局は散っていった。一人だけ生き残った子――トシキ君だっけ? 彼を妬んで呪い殺そうとして、まずは最初に配属されたこの本丸から探そうとしたんだろう。まあ、この本丸はその犠牲になってしまったんだろうね。ご愁傷様だけど」

 

 呪いの起点。子供達がそうしてしまった嘆きはあるが、長谷部を迫害した本丸には何の感慨も湧かなかった。冷たい様だが、真実を知った今彼等に同情する気も起きない。今はただ、子供達の冥福を祈るだけだ。

 

「……子供達の墓を建ててあげた方がいいんじゃないかと思うんだけど、どうだろうか」

「そうだね。これまで子供達は弔いをして貰えなかった。けれど、今からでも遅くは無いんじゃないかな。……長谷部君、これから馴染めるといいね」

 

 青江は墓の事は主に頼んでみるよ、と言って立ち上がり、朝凪隊の審神者の下へ向かった。黙って見送り、歌仙は審神者の方を向く。

 審神者は不安そうに歌仙を見返して、膝の上で手を握っていた。

 

「……しばらく長谷部さんに事情聴取に協力して欲しいと言われました」

「そうか、まあこの事件の重要参考刀だからね。仕方ないか」

「はい。……それで、その……もし嫌だったら、長谷部さんを政府で引き取ると……」

 

 口を強く結んで審神者は俯いた。歌仙は彼女の最初の刀だ、考えている事はお見通しである。

 

「断っておくれ。倒れている間に皆で話し合った、長谷部はこの本丸で穏やかに過ごして貰うと」

「……じゃあ……!」

 

 決定的な言葉を待つ審神者へ、歌仙は穏やかに微笑んで見せた。

 

「主、帰ろう。長谷部と一緒に、僕達の本丸へ」

「……はい!」

 

 審神者はそれは嬉しそうに頷いた。歌仙は長谷部をもう本丸の一員だと考えていたからだと、彼女の歓喜の理由を深く考えなかった。

 ――その理由と、青江と話している最中に彼女が動揺していた事。それに気付かなかった事を、歌仙は今でも後悔している。

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