夕食を長谷部の歓迎会とする事にした帰り道、そしてその宴会となった歓迎会の最中、鯰尾はずっと考えていた。
――何故、長谷部さんは迫害されないといけなかったんだろう。
隣では和泉守が酒瓶を掲げ、堀川がやんわりと諫めている。その斜め前では加州と大和守が他愛のない、そして酒の勢いで滅茶苦茶な口調になりながら喧嘩をしていた。
普段なら、鯰尾も茶々を入れたり、諫めたりしただろう。だが、どうも今日はそんな気になれない。それは、事件が解決した後でも明かされなかった謎のせいだ。
歌仙が話していた長谷部を詰る言葉達。そして、それを受け入れている長谷部。それが、どうしても気になって仕方がない。
長谷部は眠いのか、短刀達の輪の中で船を漕いで、骨喰は山姥切に絡まれて困惑しながら対応している。陸奥守と和泉守が肩を組んで歌い始めた事で、周囲の視線は彼等に集中している。歌仙は薬研と共に、酒瓶の片付けをしに行った筈。
カオス極まりない会場。――本丸を抜け出すなら、今だ。
鯰尾は隣にいた堀川に「ちょっと厠に行ってくる」と告げ、廊下を歩く。
そして戦装束に身を変え、軽歩兵を展開し森へと突っ込んで行った。
「……あれ、鯰尾兄だよな」
「こんな時間に何の用だ? ……そう言えばなんだかんだで彼、全然酒を飲んでいなかったよね」
「話しかけてもずっと上の空だったし……何かあるな。歌仙、追いかけるか?」
「そうだね、変な事に巻き込まれていたら大変だ」
たまたまその現場を見ていた二振りは、迷い無く鯰尾を追いかける事に決めた。
*
月が高く登り、木々の隙間から淡い光が漏れて独特の模様を作り上げている。
枝の上を跳ねて、鯰尾は森の奥へと進んで行く。ちらちらと目に入る月光が少し煩わしい。
何故こんな事をしているのか。抜け出した事が露見すれば絶対に歌仙達に怒られるし、そもそも
――真実を知っても長谷部と仲良くしてくれたら、鳴狐は嬉しい。
その言葉が思い浮かんで離れないのだ。きっと、あの鳴狐は何かを知っている。少なくとも、長谷部がトシキである事を知っているのは間違い無いだろう。
問い質さなくてはならない。――まだ隠されている、長谷部の真実を。
そう考えていると、顔の横を弾丸が飛んで来る。背後に目をやると、六つの銃口が反射し、こちらを捉えていた。
――また来る。そう思った通り、再び弾丸が放たれた。木を盾にしたり枝の上に飛び移ったりしてそれを回避する。
避けるのは簡単だった。きっと相手は、こちらを足止めする事だけを目的として銃弾を撃ったのだろうから。
「よう、鯰尾兄。こんな時間に何してる?」
「酔い覚ましをするには少し遠くへ行き過ぎだと思うけどね。森の中に何かあるのかな?」
足を止めて振り返る。歌仙と薬研が抜刀して鋒をこちらに向けていた。
見つからない様に来た筈なのに。鯰尾は背中に一つ汗を流し、おどけながら尋ねた。
「歌仙さん、薬研。いやあ、少し飲み過ぎたみたいで」
「それにしちゃ迷い無く森に向かっていたみたいだがなあ」
「今も少し前後不覚でね。俺って酒に弱かったのかな」
「君がうわばみなのをよく知っているし、今夜は一滴も飲んでいないのも知っているよ。……さて、鯰尾。そろそろ話して貰おうか。君に何かあったら主が気に病むからね」
二振りは流されてくれなかったらしい。歌仙は心配する口ぶりだが目付きは鋭くなっていくし、薬研も笑みを浮かべながら柄から手を離さない。流石に最古参の二振りを相手にするのは避けたい所だ。鯰尾はおどけるのを止めて両腕を挙げた。
「すみません、何かあった訳じゃないんですけど。……長谷部さんの事が、どうしても気になって」
「長谷部の? それと森の中に何の関係が」
「歩きながら話すよ。……本刃が現れるとは限らないけど」
「って事は、誰かに会いに行こうとしていたんだね。詳しい話を聞かせて貰おうじゃないか」
歌仙の言葉に頷いてから歩き出す。鯰尾は所属不明の鳴狐と会った日の事を、事細かに話した。
気配を感じ取れなかった事、長谷部は鳴狐を信頼している様子だった事、長谷部の影の薄さに言及していた事、何より「真実」という言葉を口にしていた事――。
「……どう考えても長谷部の――トシキの過去も知っていそうだな、その伯父貴は。何で話さなかったんだ」
「こっちの事を信じていなさそうだったから、言っても会って貰えない可能性が高いと思ったんだ。それに、長谷部さんは伯父さんと話す事に安らぎを感じているみたいだった。それを壊すのもどうなのかなって……」
「それでも話してくれ。その鳴狐と会うかは、主が決める事だ。隠し事をされる方が後々困るからね」
「本当にすみませんでした……この先です。長谷部さんとどこかの伯父さんが話していたのは」
二振りは静かに頷いた。目の前には、丸太が置かれている大きく拓けた空間。あの日、長谷部が鳴狐を待っていた場所だ。
三振りは丸太の上に座り、しばらくの間ぼうっと月を眺めていた。幻覚で見た物とよく似ている星空は、暗い心をどこかに置き去りにさせてくれる。感嘆の息を吐いて、歌仙は呟いた。
「……綺麗だね、ここから見る星空も」
「そうですね。……どこかの伯父さんも、見てるのかな」
「本丸の中から見ているかもな。審神者か、仲間と一緒に――」
「――いえいえ。我々には主たる審神者も、同じ主に仕える仲間もおりませんよぅ」
唐突に聞こえてきた声に、三振りは驚愕し左右を見渡す。しかし、声の主である筈の姿は見当たらない。空耳だったのか、と肩の力を抜いた直後。
ぽん、と背後から肩をたたかれて鯰尾の心臓が跳ね上がる。
「お久しぶりです、春光隊の鯰尾殿。お元気そうで何よりでございます。……そちらのお二方は初めましてですねぇ。春光隊にも『我々』はいらっしゃるでしょうが、改めまして。――これなるは鎌倉時代の打刀、鳴狐と申します。わたくしはお付の狐でございます」
鳴狐とお供の狐が、いつの間にか三振りの後ろに立っていた。今度は待っている側なのに――いやだからこそか――近付いている事も、居場所すら全く分からなかった。歌仙は顔面蒼白になり、薬研も一見すると分かり辛いが、かなり狼狽している。一度それを経験している鯰尾すら飛び上がったのだ、二振りの驚きはそれどころではなかった。
心臓を押さえて息を吐き出してから、歌仙は鳴狐に向かい合った。
「……これでも、どんな刀種の気配も感じ取れる様になったと思っていたんだけどね。僕はまだまだ未熟だと痛感したよ」
「いえいえ、そんな事はありません。『我々』は、かなり気配が薄いですからねぇ」
「……どんな鍛錬を積んだらそこまで気配を殺せるのか、ご教授願いたい所だが……」
「消したくて消しているのではありませんがねぇ。……お三方は、今日は何の御用で?
調査の事を知っているのは、それがこの区域の全部隊に通達されている為不思議ではない。だが、長谷部の事を引き合いに出したのは、どう考えても何かを知っているとしか思えない。
「……伯父さん。今日訪ねて来たのはね、長谷部さんの事を詳しく聞きたかったからなんだ」
「ほう。鯰尾殿だけでは無く、歌仙殿と薬研殿もいらっしゃるという事は……」
「うん。――
「そうですか。……そうですか、本当にめでたい事でございますねぇ」
お供の狐と鳴狐は鯰尾の報告に目を見開いた後、幸福を噛み締める様に目を閉じた。
それだけだが、鯰尾は彼等が優しい存在である事を感じた。――だって、妬むでも無く悲しむでも無く、喜んだのだ、彼等は。
安堵してばかりもいられない。彼等には、聞きたい事があるのだ。伯父さん、と呼びかけて鳴狐達の目を向けさせる。
「何で――何で
「……」
鳴狐達は、目を伏せて黙り込んだ。黙秘する訳では無く、何から話すか考えている様だった。薬研は腕を組んで、歌仙は表情を固くして、鯰尾は拳を握ったままで答えを待った。
そうしてどのくらい待っただろうか。お供の狐は、重々しく口を開いた。
「……一言で言ってしまえば、簡単ですよぅ。我々は、
「そいつは、どういう……」
薬研が困惑して意味を尋ねる。お供の狐は諦観に満ちた口調で尋ね返した。
「一から話しましょう、我々の成り立ちを。お三方は、『落とし子政策』という単語をご存知ですか?」
「確か……今は崩壊している、子供を増やす為の政策だったか?」
「うん。支援金とかを支給したけれど、そのせいで恵まれない子供が溢れ返ったって」
「……落とし子? 何だか嫌な予感がするんだが」
「その予感は正しいですよぅ、歌仙殿。まずはそこから話しましょう」
――今から十数年前。加速する少子化を憂いた政府によって、子供を産めば産む程支援金が貰えるという謳い文句の政策が実施された。子供の育成にも莫大な金がかかるこの国だ、その政策は主に下流家庭に喜ばれた。
しかし、その政策には大きな問題点があった。支援金をどこから捻出するのか、という話である。子供は産んで欲しい、しかし金は少ない、ならばどうするか――
「……政府の出した答えは、女性にとって最悪の回答でした。中絶や離婚時の手続きに莫大な税をかけたのです。貧しい人は、望まない妊娠をしても産まざるを得なくなる。この欠点に気づいた上流から中流家庭は結婚をしなくなる。負の循環が、ここから始まりました」
下流家庭は金が欲しい、そして金目当てに沢山の子供を産んでいく。金目当てに生まれた子供達の末路は、想像に容易いだろう。
例え望まれて生まれたとしても、子供達の苦難は続く。政府は幼稚園や保育園などの設備を整えないままこの政策を実施した為、手のかかる時期に預けられる施設は全て満員状態。頼れる施設が少なかった事もあって、病んでしまった親による子供への虐待が増加した。
当然、児童養護施設へ保護される子供も増えていくが、そこも限界がある。虐待する親から逃げ出した子供も多く、結果治安の悪い街では行き場の無い子供で溢れ返った。
「……強姦されて子供を産んだ親もごまんといましたね。その果ては育児放棄、虐待、児童養護施設への置き去り。目に光の無い子供達でいっぱいの街の光景は陰惨ですよぅ。僅かな小銭を持って食料を買う子もいれば、その小銭すら無く食事を乞う子もいました。わたくしもあまりのむごさに言葉をなくしたものです」
「……なんて、酷い」
「そしてその政策は、十年後に立ち上がった人々の手によって廃止されました。――ここまでが前置きです」
政策が廃止された後、政府は子供達の扱いに困り果てていた。学校に通わせるにも金がかかる、それを親が認める筈が無い。けれどこのままではこの国の治安が悪くなりかねない。国の金も底をつきかけていて、国会は毎日紛糾していたという。
そんな時起こったのが、歴史修正主義者による過去への襲撃だった。政府はそちらの対応を迫られ、子供の処遇は一旦脇に置かれた。
時空を切り開いて町を発展させ、更に時間遡行軍の正体である刀の付喪神の研究によって政府の財政は再建の目途が立った。
その付喪神――刀剣男士の研究で、子供達の処遇は決まった。
「さて、ここでお三方に問題です。かつて刀剣男士は人型をとる為に媒介を必要としていました。その媒介は当初死刑囚を用いていましたが、その数にも限界がございます。代わりに用いられる事となった媒介は何でしょうか?」
「……まさか、溢れ返っていた、子供達を……」
「鯰尾殿、そのまさかでございます」
死刑囚と比べて精神や肉体が発達しておらず、刀剣男士と反発する可能性が低い子供達は、媒介に最適だった。政府は日本各地に溢れていた子供達を金で釣って掻き集め、刀剣男士発現の実験に用いた。政府としては時間遡行軍に対抗出来る兵を集められる、親達は大きな金が手に入る。この二つの視点からすれば双方得のある話なのだろう――子供の意思を無視した上での話だが。
「――鳴狐やそちらの長谷部殿は、その子供達の一人です。子供達は政府によって時間遡行軍を打ち倒す兵器にされました。体力面や精神面で、人間性はほぼ無くなってしまったと言えるでしょう。……この『ほぼ』がとても厄介なのです。例えば、そうですね。薬研殿」
「……何だ?」
鳴狐はおもむろに落ちている枝を拾い、手の上に乗せる。お供の狐は鼻をひくつかせて問いかけた。
「ここに一本の枝があります。これは人を斬り裂けるとても鋭い枝なのです。薬研殿は、これを刀と呼べますか?」
「……いくら切り裂けても、枝は枝だ。刀とは呼べないだろ」
「そうですね。しかし人を斬り裂ける点では、刀とこの枝は共通です。――そして枝側からは『そんな危険なものは枝ではない』と感じ取ってしまう事でしょう」
「……ちょっと待ってくれ、まさか、そんな理由で君達は――」
愕然と体を震わせる歌仙に、お供の狐は淡々と回答を示した。
「ええ、そんな理由です。我々は刀剣男士からも、人間からも、同種に見られない。なのに『自分は貴方達と同種だ』と言う様にそこに存在しているのです。……心を持ったものなら悍ましく感じられるでしょうね。例えば刀が――正真正銘の刀が、『自分は人間だ』と言っているのを想像してみて下さい。滑稽で、狂気じみて――恐ろしく感じるでしょう?」
鯰尾は、何も言えなかった。歌仙と薬研も、同じ様に黙り込んでいる。
それは、今の世の中では良くないとされていて、けれど多くの人間が心のどこかで付随している物だ。
物である自分は、そんな感情を抱かないと思っていた。――驕っていた。
こちら側の差別意識。――それが、長谷部達の存在感が薄いと感じていた理由だったのだ。
「我々は貴方達の事は責めません。先程話しかけた時、我々の存在を探そうとして下さったのですからね。……刀剣男士は基本的に上品です。だからこそ、目立たなければ存在を無視するだけで済みますが、存在を示せば不快なものとして排除ししようとする。誇り高いが故に、贋作くらいなら認めようとするも、なかなか人間から刀になった存在を認められない」
人間は「主」になりえる存在だ。生身では殴る事しか出来ない非力さを、そして力を増幅出来る刀に縋っている人間がいる事も知っている。だからこそ己の価値を肯定し、己の鋭さを誇れるのだ。
その鋭さを人間が持ってしまったら、自分達はどうなってしまうのだろう?
「これは受け売りですが、心持つものは力あるもの――暴力に限らず、摩訶不思議な力でも恐れるらしいですよぅ。だからその力を削ぎ落とそうと、どんどん地位を落とされていく。ある特殊な力を持ってしまえば、最初は崇められても次第に恐れられ転落していく」
「……
鳴狐はぽつりとそう漏らした。湧き出る激情を抑え込んでいる、そんな声だった。
歌仙は痛ましいものを見る目で鳴狐を見つめていた。薬研は俯いて、拳を強く握っていた。
鯰尾はただ、呆然とその場に立っていた。目眩と頭痛がする。きっと、かなり深い所まで考えを巡らせた為だ。
自分の驕りを思い知らされた。目の前の刀剣男士の悲しみに触れてしまった。
けれど、これだけは伝えなければ。
「俺は、これからもっと長谷部さんと仲良くなりたい。きっと心の中にある差別意識は、簡単に消えてはくれない。でも、それでも、長谷部さんときちんとした仲間になりたいんだ。……伯父さん、俺は貴方にも沢山の話を聞きたい。俺は、魅力的なひとを知ろうともしない自分と、決別したいんだ」
鳴狐の目を見据えて、鯰尾は力強く宣言した。きっとまだ傲慢さがあるかもしれない。けれど、ここで彼等に告げなければこの先ずっと恥じながら生涯を送っていく事になるだろう。
鳴狐は目を丸くして鯰尾藤四郎を見返す。その後に続く言葉に、彼は更に目を見開く事になる。
「そうだな、俺も伯父貴と話をしてみたい。長谷部も交えて一杯やらないか?」
「君は外見で止められると思うよ。……鳴狐、僕も君の話に興味がある。心の話は前々から勉強してみたいと思っていたんだ。君はいい先生になってくれそうだね」
「いっそ本丸全員で……いや、あんまり大人数で押しかけるのもあれか。やっぱり少人数でだな」
「うん、鳴狐の意思も尊重しないと。鳴狐、近々僕達と飲みに行かないか?」
「嫌だったら断ってよ? 伯父さんを嫌がらせたくはないからさ」
友好的な態度を示す三振りに、鳴狐は驚愕している様子だった。三振りの顔を見渡し、か細い声で尋ねる。
「……僕は、まだ信用出来ない。長谷部を交えるとしても、飲みに行けるまで時間がかかると思うけど……」
「構わないよ。時間はたっぷりあるみたいだし、徐々に仲良くなっていきましょう!」
「まあまずは、長谷部が城下町に下りられる様にならないといけないからね」
「楽しみにしてるぜ、伯父貴。……そろそろ大将が心配するな、本丸に戻らねえと」
薬研の一声で、その場は解散の雰囲気となった。それぞれが丸太を降り、鳴狐に別れの挨拶をしようと口を開こうとする。
「……城下町、入口」
「え?」
鯰尾が丸太から離れた所で振り返ると、鳴狐が丸太の前で口元を少し持ち上げているのが見えた。
「飲みに行くときは、そこで待ち合わせよう」
鳴狐は、確かに微笑んでいた。――それにぶわっと歓喜の感情がこみ上げてくる。
三振りは言うまでもなく、それに頷いていた。