空隙の町の物語   作:越季

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 部屋の中で「彼女」が文机に紙を広げていると、部屋の入口に誰かが立った気配がした。振り返ると、そこにいたのは入浴を済ませて寝間着に着替えている歌仙兼定だった。

「主、まだ起きていたのか」
「ええ、何だか眠れなくて」

 筆を置き、歌仙に微笑む。紙の面をつけているから口だけしか見えていないのに、歌仙はこちらの感情を見抜いて夜更かしを窘めた。

「気分がいいのは良い事だけど、程々にして寝るんだよ。君は幼いから尚のこと体に障るからね」
「はい」

 足音がゆっくりと遠ざかる。「彼女」は姿が見えなくなっても、足音が聞こえなくなるまで見送り続け、周囲に音が完全になくなると再び紙に向かう。

「……やっと、やっと見つけたんだ、絶対幸せになって貰わないと」

 ひゅう、と部屋の中に風が吹き、「彼女」の面を持ち上げる。
 ——「彼女」の顔の左半分は、大きな火傷の痕で覆われていた。
 舞い踊る紙を拾い集めながら、「彼女」は真剣な口調で呟いた。

「私、頑張るよ。だから幸せになってね——×××××」


第十四話「猫達は暗がりを進んだ」
14-1「witness/薬研藤四郎『穏やかで悲しいあの子は』」


 草が生えている列と土しかない地面の列が交互に並び、見渡す限り広がっている。地面の列の一つに、少年の背中が草の列を掘り起こしながらそこにいた。

 余計な草を除け、土を慎重に掘っていく。ある程度掘り進めると、ぐっ、と株を握り、千切れない程の力を入れて引っ張る。すると、ずるずると土を纏いながら紫色の根が現れた。

 土を払い、少年は根——サツマイモを籠に入れていく。今にも鼻歌を歌いだしそうな様子で、少年は収穫したサツマイモを見る。

 

「大漁、大漁」

 

 少年——薬研はサツマイモの詰まった籠を背負い、畑から少し離れた倉庫に運ぼうと歩き出す。風は少し冷たく、働いた後の体にかいた汗を多少の肌寒さと共に乾燥させていく。そろそろ厚着を出さないと過ごすのが厳しくなって来るだろう。

 倉庫にサツマイモをしまいながら衣替えの実行タイミングを考えている薬研の耳に、後方から近付いている軽い足音が入って来た。振り向くと、今剣が息を切らしながら、からんからんと音を立て薬研の所へ走っていた。

 

「今剣。病み上がりなんだから、そんなに激しく動くとまた倒れるぞ」

「ぼくはそんなにやわじゃありません、すこしはうごかないと! なにかてつだうことはありますか?」 

「そうだなあ、じゃあ一緒に芋を中に入れてくれるか?」

「わかりました!」

 

 今剣はにっこりと笑い、籠の中のサツマイモを抱えてに大まかな大きさに分けながら倉庫内の箱にしまっていく。薬研も箱に詰めながら今剣に話し掛けた。

 

「走った後でも顔色悪くなさそうだし、次の戦には出られそうだな」

「そうじゃなきゃこまりますよ! いつまでもふとんのうえでよこになってうごけないのはほんとうにつらくて……かんだんさがはげしすぎますよ、かぜひくかたながぞくしゅつしたじゃないですか」

「あー、大将も倒れたからなあ。幸いすぐに良くなったが、そろそろ冬の着物を出さないとな」

「あるじさま、あんまりじょうぶじゃありませんからね。はやくふゆぎをだして、あったかくしてもらいましょう!」

「そうだな」

 

 話している内に、籠の中が空になった。再び籠を背負った薬研にあっ、と声を出して今剣が腰から伸びていた紐を引っ張る。紐の先には、小さな水筒が二つくっついていた。

 

「はせべさんにもっていけっていわれていたのをわすれていました……やげん、のどかわいてませんか?」

「カラカラだな。いい頃合いに持ってきてくれたぜ」

 

 笑って水筒を受け取り、蓋を開けて思いっきり呷る。中身は温かいお茶であり、喉を潤し、少し冷えていた体を適度に温めてくれた。喉の渇きのまま飲んでいると、水筒の中身はあっという間に空になってしまう。もう一滴でも出ないか水筒を振っている薬研に、今剣が持っていたもう一つの水筒から口を離して言った。

 

「いちどやすんで、おおひろまにいきましょう! そろそろひるげのじかんですし」

「もうそんな時間だったか」

 

 いつの間にか太陽は高い位置まで昇っていて、かなりの時間を畑仕事に費やしていたことを知る。体に意識を向けてみると、腹の虫が騒ぎ始めている。起きたのが早かった為朝食は握り飯二個だけで済ませていたのだ、この時間までもったのが不思議なくらいである。

 立ち上がって、手洗い場へと歩き出す。ぴょんぴょんと跳ねる様に目の前を歩く今剣は、朗らかに昼食のメニューを告げた。

 

「きょうのひるげは、はせべさんのちきんかれーらしいですよ! はせべさん、ちきんかれーすきですよねえ」

「作れる献立もまだ少ないからなあ。歌仙や燭台切に教えて貰っているらしいが、幾分豪快過ぎる所があるしな、あいつ」

「……それ、やげんがいいます?」

 

 じとっとした目を向ける今剣に気付かない素振りで薬研は笑い声を漏らした。

 今剣が言っているのはばらばらにも程がある具材の大きさだったり、大味過ぎる調味料の放り込み方だったりする肉メインの料理や、山盛りが正義と言わんばかりに盛られる白飯だったりする。薬研が料理の指揮を執る日は当然ながら、歌仙が雅じゃない風流じゃないと文句を零す。ちまちまするよりはこっちの方がいいと喜ぶ刀もいるのだが。

 手洗い場の蛇口をひねりながら、今剣がしみじみと呟く。

 

「それにしても、はせべさんがせいしきにここのたいいんになってからさんかげつですか。ときのながれははやいですねえ」

「ああ。すっかりここに馴染んだよな、長谷部も」

「いいことです! たのしいあそびあいてがふえて、ぼくはうれしいですよ! すこしあかるくなりましたよね、はせべさん」

「精神状態は確かに安定しているな。泣く事も減ったし、診察しているこっちも安心する。まあ、油断は出来ないが」

 

 けいかかんさつってやつですか、と今剣に問われて薬研は頷いた。手を洗い終えて近くのタオルで手を拭きながら、薬研は思い返す。

 長谷部とトシキ——長谷部の依代となった少年——を正式に春光隊に迎える事にしてから、三ヶ月。長谷部がじっとしていたのは最初の数日だけで、その後は積極的に本丸内で働く様になった。内番が割り振られた日も真面目にこなし、それ以外の日でも当番のものを補佐しに駆け回る。出陣や遠征から帰って来たもの達の為にタオルや風呂の準備をしたり、料理を覚えようと歌仙と新入りの燭台切に教えを乞うたりしていた。

 最初は明らかに仕事量がキャパシティーオーバーであり、疲れが溜まって体調を崩す事も多かった。仕事中にばたりと倒れる事もあったくらいだ。流石に気に病みやすい審神者の前で倒れられるのは目に余る。

 どうしてそこまで働くのか。それを解明するべく薬研が診察を重ねた結果、何かをしないと受け入れて貰えないのでは、と不安を覚えている事が分かった。

 その後は、見た目は幼いが中身は大人の短刀達の出番である。彼等は長谷部が働き過ぎているのを見ると空き部屋に引っ張り込み、ゲームをしたりかくれんぼや鬼ごっこで遊ぼうと誘った。長谷部は当初遠慮していたものの、きらきらした瞳で見上げられれば陥落し、次第に短刀の輪の中に混ざる様になった。よく短刀達に混ざっている鯰尾が、程よく遊んで疲れ昼寝を始めた長谷部を自室に運べばミッションコンプリートだ。

 歌仙をはじめとした刀達も、長谷部に軽い仕事を任せる様にした。キャパシティーオーバーにならない程度に仕事を任せ、ある程度長谷部の不安を紛らわせて、やり過ぎだと判断したら短刀達と合図をして長谷部を休ませる。そんなルーティンが三か月の間で出来上がっていた。

 長谷部の中にいる少年の心は、その間に少しずつ解けていたらしい。最近は短刀が飛んで来たら長谷部も多少の躊躇いだけで仕事を中断する様になり、短刀達と遊ぶ表情は最初と比べて明るくなってきていた。仕事をしないと不安になるのは変わっていないらしいが、遊ぶのも仕事の内だと考えたのか遊びにも時間を割く様になった。これは目覚ましい成果である。

 手洗い場から離れ、正面玄関へと足を運ぶ。からんからんと音を立てる水筒を見て、薬研は今剣に話を振った。

 

「その水筒も長谷部が用意したんだろ? どうだ、今の様子は」

「だいじょうぶです、まだとめるだんかいではありませんでした。ひるげをすぎてもうごきまわっているなら、へやにひっぱりこませます」

「頼もしいぜ、今剣」

「とーぜんです!」

 

 こうして短刀達の間で長谷部の様子を観察するのも日課だ。短刀達の間で築かれたネットワークは、出陣していなければ即座に長谷部を休ませる体制が整えられている。

 こうして本丸全体でサポートしないと、長谷部は働き続けてしまうのだ。そして倒れて、審神者が己の器量不足だと落ち込む。そんな負のループだけは、何としても回避しなければならない。

 審神者の事まで思考が及び、靴を脱ぎながら薬研はふと口にした。

 

「……そういや大将は、研究所だったか」

「そうですよ。きょうはかせんさんもどうこうしていました。なんできゅうにいっしょにいくといったんでしょう?」

「まあ、今まで一人で行かせていたのがおかしかったんだよ。何があるか分からないんだし、一振りは同行させねえと」

「かせんさんも、そうおもったのかもしれないですね」

 

 うんうん、と二振りは頷き合う。

 審神者は時折研究所に赴き「調整」を受けていた。無理矢理審神者としての性能を高められた彼女は、研究所での「調整」が必須なのだと言う。そこまでしなければならない程、こちら側には人手が足りないらしい。だからといって彼女やトシキの様な子供まで駆り出さなくても、と薬研は密かに時の政府に憤っていた。

 靴を揃えて隅に並べてから、大広間まで向かう。歩いている床は少し冷たく、嫌でも近付く冬の気配を感じさせた。今剣が踵を浮かせているのを見て、裸足で歩き回るのはそろそろ辛いだろうな、と感じる。途中でそれぞれの自室を通りがかると、場所取りの為の名前が書かれている札を取りに行き懐に入れた。

 大広間では、もう刀達が集まって食事の支度を始めていた。薬研は今剣と共に空いている席を探し、入口近くに二つ空いている所を見つけて並んで札を置く。置かれていたトレーを持って台所へと向かおうとすると、前から気だるげな声をかけられた。

 

「薬研、今剣。これから台所ですか?」

「宗三もか?」

「ええ。ご一緒しても?」

「もちろん! いっしょにいきましょう、そうざさん!」

 

 今剣がぴょんぴょんと机の端を回り、宗三の下へ行き手を取って先導していく。薬研も二振りの後ろについて台所へ向かう。

 

「今日は長谷部が監修したちきんかれーらしいですね。長谷部が厨当番の時はいつもかれーの様な気がします」

「まあ、それしか作る許可が出ていないらしいからなあ。他の料理はまだまだ出せる段階じゃないんだと」

「かれーはもとをとうかすれば、だいたいのあじはきまりますからね。あじのちょうせいは、これからにきたいということなんでしょう」

 

 三振りの横を、秋田と五虎退がトレーにカレーの皿を乗せて運びながら談笑しつつ通り過ぎて行く。皿の上にはごろごろと大きさの揃っていない具が掛かっており、鶏肉もまた乱雑な切り方で乗っていた。

 宗三は少し呆れた様に息を吐き、ぼやいた。

 

「長谷部も飽きないんでしょうかね。それから主も」

「あるじさまはちきんかれーがだいすきですからね! さいしょにだされたとき、ないてしまうほどよろこんでましたよね」

「おいしい、おいしいって泣いてたよなあ。大将は豚肉より鶏肉の方が好きだったって事なんだろう」

 

 そう、初めて長谷部が台所の仕切りを任され、チキンカレーを夕飯に出した時。審神者はいつもとは様子を一変させて皿にがっついていた。何も話さず勢いよく口にカレーを運び、ある程度皿が空くと、面の下に涙を流して言ったのだ。

 ——おいしい。……本当に、おいしいです。

 彼女の口調はもう届かない光景を思い浮かべる様に、懐かしさと寂しさを滲ませていた。

 

「……泣くほどだったんですかね? 歌仙が自信を失いかけていましたが」

「そういえばそのあと、かせんさんによるとりにくまつりがおきましたよね。からあげ、につけ、しるもの、さんしょくすべてがとりにく……あれはもうかんべんしてほしいです」

「あー……大将、口元が引きつってたよな」

「少し不安になっただけでしょう、もうそんな事はしませんよ。主も諭したらしいですしね」

 

 そう話している内に、列を成している台所に到着した。列の先で、エプロンを着けた長谷部が料理道具の付喪神達に指示を出して自らもカレーを配膳している。薬研達も列に並び、順番を待った。

 少し待つと、配膳の順番が回って来る。薬研は長谷部の列に当たった。慣れた手つきで白飯を盛り、ルーをその上に掛け、端に福神漬けを乗せてから長谷部は皿をトレーに乗せる。

 

「ありがとさん。いい匂いだ、かれーは安定しているな」

「カレー以外も作れる様になれればいいんだが。……よし、次!」

 

 短い会話の後、薬研はトレーを持って台所の外に出た。列を成している方とは反対側で、今剣と宗三が待っていた。

 

「待たせたな、行くか」

「いいにおいですね! はやくたべたいです!」

「……僕の皿、具が大きいのばかり……切り方も何とかする様に指導して貰わねばなりませんね」

「おまけって奴じゃないのか? 得したと思えばいいじゃねえか」

「すぷーんで掬えない程の大きさのおまけってどうなんでしょう……食べにくい事この上無い……」

「ぼくはぎゃくにちいさいのばかりですね。いっぱい()がのっているのはうれしいですけど」

 

 そう話しながら大広間へ戻れば、既に座っているものは食べ始める合図を待っていた。じっと皿を見つめているものもいれば、近い席のものと賑やかに語らいながら待っているものもいる。薬研達も座って、話しながら合図を待つ事にした。

 

「はせべさん、しじをだすのもなれてきましたよね。さいしょはあわあわしていたのに」

「何というか、どう指示したらいいか分からないみたいだったよな。礼を欠いてしまう事を恐れていたっていうか」

「指示を出さなければいつまで経っても進まなくて、逆に迷惑がかかるのに。最近は萎縮するよりも、どんと構えていればいいと分かって来たんですかね」

「まだ縮こまっている様子なのは否めないけどな。大将みたいに、予想外の事が起こると固まるみたいだし」

「あるじさまも、いまだにちょっとしたしょうげきでかたまっちゃいますからねえ」

「——何々、主の話? 俺もまーぜて」

 

 前方から声を掛けられて視線を向けると、加州が宗三の隣にトレーを置いて座るところだった。よいしょ、と席に着くと頬杖をして加州はこちらを見つめる。宗三はちらりと加州の方を見て息を吐いた。

 

「違いますよ、長谷部の話です。主の様に想定外の事で固まる所がある、という話をしていたんです」

「そうだったんだ。そういや長谷部、正式に配属されて三ヶ月経ったんだっけ」

「そうです、そんなにたったとはおもえませんよね。たしょうあかるくなったとはいえ、まだいしゅくしていますから」

 

 そっか、と加州は目を伏せる。彼もまた、長谷部の話を聞き気にかけていた一振りだった。

 

「まだ本調子には程遠いか。……そういや長谷部、今日は誰の服着てるの? よく見てなかったんだけど」

「鯰尾兄のだぜ。恥ずかしそうにしてたが、大将がニコニコしてるのを見て何も言えなくなってた」

「あー、似合いますよ、って主が言ってる光景が目に浮かぶよ……」

 

 長谷部の内番着替えも継続していた。相変わらず鯰尾は朝一番で長谷部のいる場所に押し掛け、強引に服を取り替えさせる。今日の同行刀は骨喰だった。着替えを終えた所で行きあった薬研は、鯰尾より無表情で服を引っ張る骨喰の方が怖かった、と震えていた長谷部の背中をそっと撫でた。

 悲鳴を聞きつけて現れた審神者は、何事も無かったのに安堵しつつ、口元を緩めて長谷部の格好を褒めていた。その様子に少し変でもへし切長谷部(あるじしじょうしゅぎ)である彼が口を閉ざしたのは先程述べた通りだ。

 湯気の登るカレーの皿を一瞬見遣ってから、加州は疑問を口にする。

 

「……主、長谷部の事気にしてるよね、やっぱり」

「まあ、特殊な経緯を辿って来た刀ですからね。元は人の子であるなら、潰れないか気にするのは当然てはないですか?」

「うん、そうなんだけど……時々、主がこう、眩しい物を見る様な物を長谷部に向けている気がするんだ。何だろうね、上手く説明出来ないけど」

「眩しい物? 前程ではないとはいえ、まだ暗い印象は拭えないが」

「そうだよね。……でもさ、長谷部が誰かの手伝いをしてたり、短刀達と遊んでいたりしている時、その近くに主がいたら、そういう様子なんだ。同情じゃない、でも刀に向ける物でもない。なんなんだろうね、あの表情は」

 

 加州はそう言って考え込む様に俯く。

 確かにそう言われると、審神者が長谷部に向ける表情は他の刀のそれとは少し異なっている様に思えた。思い起こすのは、長谷部が庭で短刀と遊んでいる時。薬研は一歩引いて見ていたが、審神者が訪れた際には少し話をしていた。そして風が吹き面が浮いた一瞬。薬研は、確かに見た。

 ——審神者が口元を綻ばせ、目を細めて。何かを堪えている様な、でも苦しそうではない、そんな表情を。

 

「……もしかしてあるじさまは、はせべさんとおにいさまを——」

 

 今剣が小さくそう言いかけた、その時。

 玄関方面から大きな足音と共に、激情を抑えられていない大声が轟いた。

 

「——薬研、長谷部! 今は手すきか!?」

 

 足音と声は、こちらに近付いて来ている。外出していたはずの声の主に、そのただならぬ響きに、薬研は反射的に立ち上がった。

 

「長谷部は厨だ! 歌仙、どうした!?」

 

 大広間を飛び出し、玄関に向かう。玄関まで走った薬研が見たのは、マントに包まれた審神者を横抱きにしている歌仙だった。歌仙は顔を憤怒で歪め、審神者を抱える腕を震わせていた。

 

「長谷部と一緒に主を部屋に連れて行ってくれ。主が、()()()()()()

「……長谷部が一緒に呼ばれたのは、何でだ」

「事情は後で必ず話す。今から皆に説明するから、長谷部を引き離していてくれ。……長谷部には、絶対に聞かせてはならない話だ」

 

 触れれば爆ぜそうな様子の歌仙に一つ頷いてから、薬研は意識の無い審神者を受け取る。大広間方面から足音が近付いて来たのは、それと同時だった。

 

「歌仙、薬研! 一体何が——」

「大将が出先で倒れたらしい、長谷部は至急寝床の準備を頼む!」

「えっ!? わ、分かった!」

 

 身を翻し、長谷部は審神者の部屋へと走り出す。薬研も審神者を休ませる為に、彼女を抱えて足を動かそうとする。

 その後ろから歌仙が、普通の人間なら戦意を喪失するに違いない凄みのある声音で問いを投げかけた。

 

「薬研、念の為聞くよ。君の主は、政府か、その少女か」

 

 凄みの中に不安も混ざる強張った調子で問われた薬研はそれで大体の事を察し、即座に答えた。

 

「——俺の今の大将は、このお方以外いねえよ」

「……良かった。分かり切っている事を聞いて悪かった、主を頼んだよ」

 

 審神者を刺激し過ぎない様に早足で彼女の部屋へ歩き出す。大広間を通りすがった時に中からどよめきが上がったが、気にしている余裕は無かった。

 審神者の部屋の障子を開けると、既に布団が敷かれていた。こちらをぱっと向いた長谷部がおろおろとしながら立ち上がる。

 

「薬研、主は……」

「……眠っているみたいだが、容体が変化しないとも限らねえ。しばらくここで様子を見るぞ」

「分かった。……主……」

 

 薬研から審神者を受け取り、長谷部は沈痛な面持ちで審神者を布団に寝かせる。

 彼女の寝息自体は穏やかだが、研究所で()()()事から、何が起こるかは分からない。

 そして、歌仙の問い掛け。それで、研究所でろくな事が起きなかったのだろうと分かる。長谷部に話せないという事は、また過酷な実験を行っていたのだろうか。だが、審神者にそれが必要なのか?

 薬研の思考は、遠くから届いた和泉守のふざけんな、という声に遮られた。後から次々と怒りに満ちた大声が続く。目の前の長谷部がその怒号に肩を震わせ、膝の上で手を握り締め俯く。

 

「大丈夫だ、長谷部。和泉守達はあんたに怒ってる訳じゃないからな」

「……うう……」

 

 苦しそうに目を閉ざし長谷部は呻る。その背中をぽんぽんと叩きながら、薬研は考える。

 あちらの会話の内容は分からないが、長谷部を引き離したのは正解だったらしい。和泉守の後に憤怒の叫びが次々と続いたのだ。恐らくあの場にいる滅多に感情を露わにしないものを含めた全員が、審神者の身に起こった事に激怒している。自分も冷静になる事に必死になって、長谷部のメンタルまで気を回す余裕がなくなっていたかもしれない。怒るより悲しむ性質であるこの長谷部だ、きっと審神者の痛みをそのまま想像してしまうに違いない。それで彼が動けなくなるのは、なんとしても避けたい所だ。

 この長谷部には、悲しい顔をして欲しくない。きっとその思いには、多分に情が混じってしまっているのだろうが——自分は、()()の過去を見てしまった。ならば、彼等に心を砕かない方が難しい話なのだ。

 遠くの怒号が小さくなってから、長谷部は審神者に掛けられた布団を調整し、再び審神者の顔を見つめる。薬研も同じく彼女に目を向ける。

 審神者は痛々しい程静かに、身動ぎ一つせず眠っていた。

 

 

 室内に月明かりが差し込み、時計の短針が十一を指した頃。静かに眠る審神者の横、畳の上で長谷部も寝息を立て始めたのを見届けてから、薬研は審神者の部屋を抜け出した。

 目指すは歌仙の私室、目的は研究所での出来事を聞き出す為。床を軋ませながら寝静まったもの達を起こさぬ様に進む。通る部屋の中から時折、小さな灯りが漏れ出ていた。その部屋を含めて、どこも一様に静かだ。

 歌仙の私室が見えて来て、薬研は音を立てずに深呼吸をしながら障子の前に立つ。中にいるものに入室の許可を得ようとした途端、激情を押し殺した声が薬研に投げかけられた。

 

「……薬研か。長谷部は」

「大将の横で眠ってる。かなり気を張っていたからな、相当疲れているだろう。しばらくは起きねえよ」

「そうか。……入ってくれ」

 

 障子を開け、室内に体を滑らせる。後ろ手に障子を閉め、文机の前に座りこちらを見ている部屋の主を見返した。

 寝間着に身を包んでいる歌仙は、表情を削ぎ落としていた。それがかえって彼の怒りを増幅させている様に思える。部屋の隅にある行燈は穏やかに歌仙を照らしているのに、彼の様子は穏やかさに見合わないのだ。

 歌仙の目の前には、一枚の座布団。座ってくれ、と告げられて薬研は座布団に座った。

 

「遠回しなやり取りは無しだ。……歌仙、研究所で何があった?」

 

 ぎり、と歯を噛み締め、歌仙は文机の上に置いていた己の右手に爪を食い込ませた。そうして、鋭い眼を更に研ぎ澄ませて吐き捨てた。

 

「こちらも結論から言わせてもらおう。——主が、研究所の連中に手籠めにされていた」

 

 言葉の意味を理解するのにかかったのは一瞬だけだった。理解が及んで、腹の底から様々な感情が込み上げてくる。激憤、憎悪、悲哀、憐憫——それらに呑まれ過ぎない様に息を吐き、薬研は殊更低い声で呟いた。

 

「……なるほど。そいつを丸ごとは長谷部に言えないわな」

「当然だ。長谷部にどんな悪影響があるかわからない。主が暴力を受けていた、とだけ伝えておこうと思っている。……どうだろうか」

「それでいいと思う。大将が酷い目にあっていた、それだけ分かれば十分だ。……詳細を聞かせて貰えるか」

 

 歌仙は静かに頷き、文机の上から膝に右手を移動させる。行燈の灯りが揺らめく中、歌仙は語り始めた。

 

「……研究所に着いたら、玄関で主と引き離されたんだ。ここから先は審神者の秘技が詰まっているからと言ってね。しばらくは監視がついていたが、誰もいなくなった頃合いを見て僕は主が消えた方向へ向かったんだ。途中で検知器に引っかかってやり過ごそうとして、……僕は、その部屋を見つけた」

 

 冷静を装っているのだろうが、顔は怒りに歪み、膝の上の拳は固く握りしめられている。声を震わせながら、歌仙は続けた。

 

「部屋の中から下卑た声がして、その中に主の声が混じっている気がして、その部屋の扉を薄く開けた。中では……処置台の上に横たえられた裸の主が、男達に体を触らせていて……股間を、胸を触られても、主はなすがままにされていた。研究所の男が下賤な言葉を主に投げかけたのと同時に、……水音が、聞こえてきて……それが限界だった。衝動のまま僕は部屋に押し入って、男共を斬り捨てた」

 

 行燈の灯りが一際大きく揺れて、部屋を明滅させる。薬研はただ黙って話を聞いていた。——大きくなっている己の中の激情が、みっともなく表に出ない様に。

 

「僕はすぐに外套を主に巻いて、もう大丈夫だと言いながら抱きしめた。けれど、主は悲しそうに僕の目を拭って……僕達を満足させられない、泣かせてしまう自分は審神者失格だと、そう言ったんだ。……僕達は刀で、戦場に出してもらう事が至福だ。あんな己の体を貶めさせる事を、主に求めてなんかいない!」

 

 拳を膝に叩き付け、歌仙は吼えた。薬研も歯を食いしばって叫びそうになるのを堪える。

 審神者はこの本丸が動き始めた頃から、度々刀剣男士に己の体を捧げようとしていた。刀剣男士は全員がそれに狼狽え愕然とし、それを固辞し続けていた。彼女がそうしようとする理由は、育ってきた環境由来だと判断して、刀剣男士達は彼女への接し方に気を付けていたが——外で体を穢され、それを当然だと刷り込まされていたのなら、彼女のその価値観を修正する余地もない。

 審神者が最初の刀である歌仙を顕現させてから、どのくらい経っただろう。それから長い間、彼女の身に起きていた事に気づけなかった。自分達の見通しが甘かったのだと、思い知らされた。

 後悔に苛まれながらも、薬研は顔を上げて問いかける。

 

「……そんな研究所に、大将を向かわせる必要があるのか」

「僕もそう思って主に聞いたよ。そうしたら、主は無理矢理審神者としての力を高められたせいで、定期的に体の調整を行う必要があると答えた。……あんな事を行っているのを見るに、それも疑わしいけれどね」

 

 少女の体を貶めている人間が、まともな調整をしているとは思えない。他の研究所で調整を行う事も考えるが、そんな所が果たしてあるのか。今まで関わった研究所は二つだが、その二つ共ろくな場所ではなかったのだ。研究所を移るのも尻込みしてしまう。

 

「……昼間に皆へ事情を話した時に、全員が主を研究所へ向かわせない事に賛成した。特に短刀達の怒り様が尋常じゃなくてね、そんな場所に向かわせるのをよしとする奴がいるなら、短刀全員で相手になると殺気を漲らせていた。調整を受けない事で体に負担がかかるなら、必要最低限の任務だけをこなせばいい、と蜂須賀が提案してね。出陣回数は大きく減るけれど、戦闘欲は手合せで何とか治めようと大和守が。……念の為に薬研、君の意見は」

「当然、大将が行くといっても向かわせねえぞ。……向かわせない事に反対する奴はいなかったのか、安心した。——闇討ちするのにも準備がいるんでな」

 

 僅かに殺気を表に出した薬研に、歌仙は安堵した様にほっと息を吐いた。

 

「よし、これで賛成が取れていないのは長谷部だけだ。言うまでもないだろうけどね」

「そうだな。後は大将の説得だが……」

「全員が行くべきではない、と言って聞くかどうか……」

「それでも納得してもらうしかないな。俺達は大将があの場所に行くのは悲しい、と言ったりな」

「主への対応も見直す必要があるな……やる事は山積みだ」

「どれも必要な事だ。今日決めとく事は決めとこう。大将の価値観は少しずつ改善していけばいいさ」

 

 そうだね、と力強く頷き、歌仙は微笑む。薬研も穏やかな表情で歌仙を見返す。

 行燈の光は、ゆらゆらと静かに揺らめいていた。

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