後ろ手に障子を閉めて薄暗い廊下に踏み出すと、足取りが重くなっている事を自覚出来る。部屋から遠ざかる度に小さくなる少女のか細い呼吸が、心を締め付けて仕方がない。
曲がり角を左折してから、歌仙はどこまでも沈みそうなため息をつく。眉間を押さえて柱にもたれかかっていると、小さな足音が近付いて来たのが分かった。
「歌仙、大将の様子はどうだ」
その儚げな外見に反した低い声は、激情を押し殺したような苦しげな物だった。実際、押し殺しているのだろう。歌仙は水差しとタオルを持った声の主に向かい合い、端的に告げた。
「良くはなっていないね。相変わらず咳は酷いし、さっきも血を吐いていたよ」
「……そうか。対症療法で何とか繋いでいるが、本職に見てもらわないと本格的にまずいな」
心痛に顔を歪めたのを己の様子を映したようだと思いながら、歌仙は吐き捨てた。
「望み薄だと思うよ、薬研。だって主の体調が悪化してから、誰も診てくれようとしていないじゃないか」
***
審神者の不調に気付いたのは、よりにもよって長谷部だった。
ある晩、長谷部が審神者の様子を見に何気なく執務室を訪れた。彼としては、ちょっと審神者の様子を見たらすぐに布団に入るつもりで、部屋の中を覗いたのだろう。
結果、メンタルが強いとは言えない長谷部は見てしまった——体を丸めて大きく咳き込み、口から血を噴き出す審神者の姿を。
「——薬研、助けて!!」
悲痛な叫び声に薬研だけでなく、眠りが浅かった他の刀達も飛び起きた。歌仙もその一振りで、本体片手に悲鳴がした執務室まで全速力で走った。執務室の中では、審神者の背に触れながら顔を青ざめさせ「どうしよう、どうしよう」とパニック状態になっている長谷部がいた。
部屋に飛び込んで来た薬研は審神者の様子を慎重に見て、内臓がやられているのではと判断した。
「こりゃ俺の独断でやったら危ないな。本職に診てもらった方がいい」
薬研の言葉によってすぐに病院に行く手筈を整えた歌仙は、審神者を抱えてこの「町」で唯一夜間の受け入れを行っているという病院へと向かった。げほげほと咳き込み、荒い息を吐く審神者に焦りを覚えながらも、病院に行けば何とかなると思っていたのだ。
その思いは、病院窓口にて容赦なく打ち砕かれた。
「満員って……せめて診察だけでも!」
「すみませんねえ、医師もいま手が空いていなくて。他をあたっていただけますかね」
「連絡だってしただろう!? その時は空いているって——」
「状況が変わりまして、今は満員なんですよ。申し訳ありませんが、他をあたってください」
似たような言葉を繰り返し告げる窓口。更に食い下がろうとした歌仙だったが、苦しそうにしている審神者の体を休める場所はここにはないと判断し、憤りを何とかこらえて病院を後にした。
本丸に戻って病院の対応を仲間達に告げると、呆然とするもの、憤怒を露にするもの、焦燥感に駆られるものと誰もかれもが冷静ではいられなかった。比較的落ち着いていた宗三が「明日、別の病院にも行ってみましょう」と提案し、ひとまずは審神者を休める事を選択した。
苦しそうに咳き込む審神者に交代でついていた短刀達は、ままならない現状にもどかしさを抱えながらも出来る範囲で看病し続けたという。審神者の体調が快方に向かう気配は一切ないまま、雀の声に混ざって彼女の濁った咳が夜明けを知らせた。
歌仙は再び審神者を抱えて、今度はこの「町」で一番大きい病院に向かう事にした。出陣も内番の予定も入っていなかった燭台切に同行を頼み、大病院へと出発する。
目を閉ざして荒く息を吐き時折咳き込む審神者の顔色を窺いながら歩いていると、燭台切がぽつりと呟いた。
「……歌仙君は、どうして割と来たばかりの僕を同行者に?」
「それは、君が何の予定も入っていなかったからで……いや、燭台切の腕も見込んでの話だよ? 僕はこう、自分で言うのもなんだけど、頭に血が上りやすいから。冷静に止めてくれそうな刀が君しか空いていなくて……」
「ありがとう。……多分僕は、色々な意味で適任だよ」
苦笑する燭台切の言葉を理解出来ず、歌仙は首をかしげる。——その意味は、病院に着いた時に思い知らされた。
「——見た限り、医者はまあまあ手が空いているように思えるよ。それなのに受付すらしないって、どういう事なのかなあ?」
「ひっ……!」
受付の男性が眉をひそめた燭台切に迫られ、だらだらと冷や汗を流している。それはさながら、竜に睨まれている鼠のようだった。歌仙は受付の対応に怒りを感じながらも、しみじみと納得する。
——そうだった。燭台切は穏やかな性格だけど、その顔に人間に凄みを与えられる部分が多すぎる。
大病院の救急外来に駆け込んだ二振りと一人に待ち受けていたのは、またしても「満員なので、他の病院に当たって欲しい」という受付拒否だった。一拍置いてから眼前が赤く染まり、衝動のまま受付に迫ろうとした歌仙を燭台切が肩を叩き制する。
「燭台切、何を……!」
「落ち着いて、歌仙君。聞きたい事があるから、僕が代わりに交渉する」
そうして受付へと進み出た燭台切は、手入れが行き届いているのだろう受付のカウンターにばん、と手を置きこう切り出した。
「別の病院でも言われたよ、満員だって。——ここ二、三日で大きな事故や流行り病が起こったなんて話、噂でも耳にしなかったんだけど?」
斜め後ろからちらりと見えた燭台切の目は、火を噴いていた。歌仙の対応をしていた時の鬱陶しそうな顔はどこへやら、受付の男はガタガタと音を立てて腰を抜かしていた。周囲からは小さな悲鳴やひそめ切っていない声が溢れ出す。先程の問い掛けに答えない受付の男を睨み、燭台切は問いを重ねる。
「そんな報道があったなら納得出来るけれど、周囲の様子を見るにそんな気配は微塵もないじゃないか。なんで診る事すらしようとしないのかなあ?」
「な、だから、ここは満員だから——」
「それに」
搾りかすのような受付の男の声を遮って、燭台切は更に問い質す。
「僕、さっき入口で見たんだよね。
後半になるにつれて、燭台切の声は鋭さを増して重くなっていく。その言葉の真意を悟った歌仙はカッと目を見開いた。
普通の人間が許可なく堂々と刀を持っていれば、当然だが法に触れる。それはつまり、刀の所持を許可されているもの——刀剣男士が審神者を抱えてここに来ていたという事に他ならない。そして受け入れを拒否されて、ここを出て行ったという事でもある。その審神者がどんな病状かは分からない。だがぐったりしているという事から、その審神者の症状は決して軽くはないだろう。そして「ここも駄目か」という発言。
——審神者の受け入れを「町」の病院が一斉に拒否している。
ふざけているのか、と思う。この「町」は歴史修正主義者との戦いの最前線だ。医療施設も、傷ついたり病んだりした審神者や刀剣男士の為に存在しているはずだ。娯楽に来た旅行客の為に、こんな大きな病院を拵えているのか。
一体何故、そんなふざけた対応を——表情が更に険しくなっていくのを感じる。腕の中で苦しそうに息を吐く審神者が、何故そんな目に遭わなければならないのか。
青ざめて弱者のように震えている受付に歌仙も言い募ろうと一歩踏み出した、その時だった。
「煙嵐様ー、煙嵐様はいらっしゃいますかー? 診察の順番が迫っておりますので、中待合室までお越し下さーい!」
看護師がパタパタと走り去って行きながら、名前を呼んでいる。歌仙はその場の空気が凍り付く音を聞いた気がした。
煙嵐——それは、上層部の覚えめでたい部隊の審神者名であったはずだ。審神者を演練で見かけた事があったが、毛虫を見るような冷え切った視線を向けられていたのが記憶に強く残っている。刀剣男士同士で噂されていた内容も余りよくはない。——何せ刀剣男士の練度の高さに直結する審神者のランクを、金で買っているというのだから。
再び爆ぜるようなカウンターを叩く音を耳にして、自分が呆然と看護師が去って行った方向を見ていたのだと知った。——燭台切はその低く怒りを隠さない声で受付に圧をかけていく。
「……へえ。君達は審神者の格の上下で診る人間を選んでいるんだね。患者の尊厳を守るという方針はどこに行ったのかな?」
「わ、私に言われても……私はただ、審神者は許可なく中に入れるなと——」
受付の男はいよいよ気絶しそうだ。無責任な、と思うが彼もまた下っ端なのだろう。こんなに恐怖して正気を失いかけている様を見るに、きっと彼から詳しい話を聞く事は難しいのだと分かる。
彼の胸倉を掴みかかりそうな勢いで身を乗り出し、燭台切は声を荒げた。
「主は確かに成果を出しているのに、政府に貢献しているのに。その事実を無視して、挙げ句の果てこんな子供を戦場に出しているのに、最低限の援助さえも奪うのかい? ——馬鹿にするのも大概にしろ!!」
瞳孔を開いて詰る眼帯の男に、受付の男は何を見たのか。彼はへなへなと床に崩れ落ち、焦点の合わない目は虚で、ぶつぶつと呟く内容も脈絡がない。
受付を圧倒させた事によって、周囲の囁き声が伝播して次第に大きくなる。こちらを厭う冷え切った言葉の内容も、漏れ聞こえて来ていた。
乗り出した体を気怠そうに元に戻し、燭台切は悲しそうに歌仙のいる方へと振り返る。
「……ごめん、格好悪い所見せちゃったね」
「気持ちはよく分かるよ、君が言わなかったら僕が言っていた。……でも」
「うん、ここにはいられないね。……帰ろうか」
歯噛みしながら目を伏せる燭台切に頷き、歌仙は審神者を優しく抱え直す。こちらを突き刺す厭忌の目から逃れるように、二振りと一人は病院を出た。
***
本丸に戻ってから大病院で起こった事を話すと、刀達はそれぞれ憤り、嘆き、悔しがり、悲しんだ。だがきっと審神者を診てくれる病院があるはずと、歌仙達は様々な病院の戸を叩き続けた。
しかし、どこの病院や医院も審神者を診てくれない。小さな医院なら、と希望を抱いて訪ねても、まるで審神者を恐れるように戸を閉ざしてしまう。
審神者はその間にも、どんどん病状が悪化していった。最初は体を起こせていたのだが、日が経つにつれて起き上がる事も困難になったのだ。咳も喀血も治まらず、薬研が対症療法で何とか繋いでいる状態である。
「……僕のせいかもね」
そんな日々の中、審神者の世話に関する当番を決める会議時に歌仙はぽつりと溢した。和泉守がぎょっとした顔になり、歌仙に尋ねる。
「之定、何言ってんだよ? あんたが何したって言うんだ」
刀達の視線が歌仙に集中する。歌仙は俯き、顔に影を落として息を吐いた。
「……主がおぞましい目に遭っていた時に、僕は即座に研究員を斬り捨てた。それが原因で、目をつけられたのかもと思ってね」
「歌仙さんは、その人達を斬らない方が良かったと?」
前田が目付きを鋭くさせて歌仙を見る。それに歌仙は首を振り、たらればの話だけど、と前置きをしてから話し始めた。
「斬り捨てたい程の怒りを抱いたのは事実で後悔もしていないけど、もう少し慎重になるべきだったんじゃないかと考えてしまって……例えば峰打ちをして気絶させてから縛り上げ、公安局に引き渡すとか……あの時は公安の人間に『主の身を穢した奴等を憎まずにはいられるか』と凄んで罪には問われなかった。けれど、ここまで主の援助を打ち切られるとは思わなかったんだ。もし、もう少し冷静だったなら、主が今こうして苦しむ事だって——」
「——それは違うよ、歌仙」
加州の否定に歌仙は口を止める。顔を上げて加州へと視線を向けると、彼は真剣な表情でこちらを見返していた。
「上層部には敵が多過ぎるって事、忘れた訳じゃないよね? 公安に引き渡したって、なあなあにされて終わりだよ。何せ政府が認めている研究所で起こっていた事を、その時まで確かめようとしなかったんだからね。主に敵が迫ったなら斬るのが俺達なんだから、斬った事を気にする必要はない。俺が歌仙の立場だったら、間違いなく同じ事をしたと思うしね」
な、と加州は隣に座る大和守に同意を求める。大和守も真面目な顔で頷き、話の後を継いだ。
「考えている事は全員同じだと思うよ、上層部はあてにならないって。あてに出来ない案山子よりも、自分で主を害する者を退けたいと思うのは当然だよ。……というかあんな幼い子に酷い事をやった奴等を痛みを与えず死なせたんでしょ? 正直僕はもっと苦しませてから首を落としても良かったと思うよ」
「そうです、歌仙さんは当然の事をしたまでです!」
「……苦しませず逝かせたのが唯一の非でしょうか」
「斬った事は絶対に間違いじゃない、ボクが保証する!」
「奴等を野放しにさせる方がオレは嫌だね」
大和守の言葉に、短刀達から一斉に声が上がる。守り刀たる彼等は審神者を手籠めにしていた研究員達への恨みが強い。一時期は研究所へ攻め入ろうかという話が彼等の間で上がったくらいなのである(反逆とみなされかねないと流石に止めたが)。性的暴行を見過ごしていたであろう上層部への不信感も当然のように強力だ。
歌仙は間違っていない、と口をそろえる短刀達に次いで、鯰尾が小さく挙手して発言した。
「思ったんですけど。上層部はうちの主だけじゃなくて、他本丸の審神者への援助も打ち切っているみたいですよね? ……他本丸の情報を集めに行った方がいいんじゃないんですかね。嫌な予感がするんです、何となく」
「長谷部、その辺りの事を例の刀剣男士から聞いていないのか?」
骨喰が長谷部にそう振ると、刀達の視線が縮こまっている彼に移動する。ぴくりと肩を震わせて目を泳がせながら、長谷部はぽつぽつと口に出そうとする。
「……鳴狐からはまだ何も……主の話を聞いて心配そうにしていたくらいで……後で他の本丸でも何かなかったか聞いてみる」
「ありがとう、長谷部。……鯰尾の言う通り、情報を集めた方がいいだろうからね」
「歌仙さん、何か考えがあるのかな?」
石切丸が強張った顔でそう聞くと、歌仙は顎に手を当て唸った。
「最悪の場合を想定して動いた方がいいかもしれないからね。鯰尾の予感はかなりの確率で当たるから」
***
春光隊の刀達は審神者を「町」中の病院に改めて連れて行きながらも、流浪の鳴狐や演練での対戦相手から情報収集を始めた。
結果分かったのは、以下の三つ。
——一部の審神者に対する援助が打ち切られ、重い徴収が行われている事。
——その一部の審神者というのは、上のやり方に反発したり、春光隊のように研究所での過酷な「調整」に憤った刀達を持つ者だという事。
——そして上層部にすり寄っている審神者は、資材や金銭の重い徴収が行われていない事。
「……上層部は反発するものを徹底的に抑え込むつもりのようです。大っぴらに動きすぎて追い込まれた本丸もあります故、くれぐれもお気をつけて」
「……仲の良かった刀がいた本丸も、数日前に潰された。皆も、頑張って上手く立ち回って」
流浪の鳴狐達の言葉だ。俯瞰している立場である彼等と繋がりがあった事は不幸中の幸いだろう。——最悪の状況だと、一足早く理解する事が出来たのだから。
「……それでどうする、歌仙。大将も限界が近いし、長谷部の精神状態も最悪だ。押し入れの中で、一晩中泣いていたみたいだしな」
水差しとタオルを抱えたまま、薬研は歌仙に向かい合っていた。歌仙も眉間を押さえながら思考を巡らせる。
審神者の体調は、悪化の一途を辿るばかりだった。布団から起き上がれなくなり、意識が朦朧とし始めて刀達の呼び掛けにも応えるのが難しくなったのだ。
審神者の体調と本丸の雰囲気に比例して、長谷部のメンタルも崩れ落ちている。他の刀がいる前では「長谷部」が表に出る事で何とか取り繕っているが、一人になった途端に布団に顔を埋めて泣き続けているのだ。見るからに食欲も落ち、少し痩せたようにも思える。「長谷部」も「彼」が情緒不安定になっている、と薬研に相談していたらしい。
誰もかも寝ずの看病と良くならない現状に、もう限界が近い。歌仙は決断を迫られていた。——反旗を翻すか、恭順して審神者の助けを乞うか。
「……腐り切った上に仕えるのもごめんだし、反逆した所で主への対処が間に合わなければ意味がない。本当に、どん詰まりだね」
「そうだな。だが、大将もいつまで持つか本当に分からないんだ。早急に決めて貰えればありがたい。……酷な事を強いるけどな」
薬研は目に憂いを乗せて心苦しそうに言った。歌仙も分かっているさ、と返して、再び頭を回し始める。
審神者が不調の今、最終的な決定権は最古参の歌仙が握っている。歌仙は細かい事があまり得意ではないが、頼られる立場である以上はそれに応えたいと思っていた。しかし、思考は先程からぐるぐると同じ場所を巡るばかり。頭から煙が出てもおかしくはないだろうな、と嘆息しながら天井を見上げる。木目は錯綜する思考を示すかのようだった。
「歌仙、悪い。あんたも散々悩んでいるんだよな。今でも懸命に考えているのに、急かすような事を言うのはまずかった。……長谷部の話でもしないか?」
「いや、気にしないでくれ……長谷部の話?」
ああ、と薬研が表情を緩めて肯定する。
「あいつ、大将が倒れる前に買った四葉の湯呑、大層大事に使ってるんだよ。石切丸と獅子王が機転を利かせて買わせたらしいが、気に入っているみたいで良かった」
「ああ、あの雑貨屋で買った……前の湯呑は結局どうしたんだっけ」
「大将が供養して処分してたぜ。長谷部がありがとう、って震えた声で言ってたのを感心感心、って言いながら石切丸が見てた」
「目に浮かぶようだね」
「石切丸がひょっとしたら別の『町』に湯呑が流れ着くかもしれないって慰めてた。それで少し捨てる恐怖が薄れたと思って安心して——」
薬研が何気なくそう言った直後、彼の肩を歌仙が思いっきり強く掴んだ。痛い、と呟いた後に薬研は眼前にあった歌仙の目を皿のようにした顔を見て息を呑む。
歌仙は地を這うような声を薬研に投げつけた。
「……薬研、今なんて言った?」
「えっ、長谷部が捨てる恐怖が薄れたみたいで安心したって」
「違う! その前だ!!」
「石切丸がひょっとしたら別の『町』に流れ着くかもしれない……って——」
先程発した言葉を再び口にしながら、薬研の目も見開かれていく。歌仙は己の耳が正常に機能している事に大きく安堵し——そして、一筋の光が差した事に、目の前が晴れていく感覚を覚えた。
「町」は春光隊があるこの場所だけではない。常識的に考えて、無限に湧き出る時間遡行軍をこの「町」にある本丸だけで対処出来るはずがないのだ。そして、他の「町」の存在は知っていたが、自分達には関係ないと思っていた——今の今まで。
流れ着く物があるのならば、流れゆく物もあるのだろう。凝り固まった常識に囚われていた事に内心舌打ちする。
そう、もしかしたら——
「薬研」
「おう」
——「自分達」が流れゆく事だって、可能かもしれない。その先で、審神者を診てくれる病院があれば——
「僕の賭けに、乗ってくれないかい」
目に力が戻り背筋が伸びた歌仙に、薬研も不敵に笑って見せた。
「ああ。——やっと見つけた三つ目の道だ、どんな荒れた道だって進んでやるさ」
薬研が拳を握り、歌仙に向かって掲げる。歌仙は己の拳を、その小さく力強いそれにぶつけたのだった。
——歌仙が本丸中の刀を集めている、正にその時。
ぜえ、はあ、と体を引きずり、「彼女」は文机に近づいた。そして文机の上にあったクマのぬいぐるみを掴み、自らの手の内に引き寄せる。
「わた、しは……」
そして、ぬいぐるみの背中を上に向けて——布地を思いっきり引き裂いた。
「……まだ、やる事があるのに……!」
中の綿を引き抜いてごみ箱に捨てていき、そしてその代わりに様々な機材や紙を詰めていく。吐きそうになる血を何とか飲み込み、「彼女」は詰めるべき物を全て詰める。
「……皆様に繋いでいただいた命を……」
決して丁寧とは言えない針捌きで、再びぬいぐるみの背を閉じていく。「彼女」はその柔らかとはとても言えなくなったそのぬいぐるみを抱え、再び布団に戻る。
「私は……私の望む未来の為に使う」
そうして「彼女」は、抱きかかえたぬいぐるみの感触を握りしめて、意識を手放した。
——春光隊は歌仙の「賭け」——隣接する「町」への救援要請計画に、満場一致で乗った。
審神者を運ぶ第一部隊の編成は、それぞれの刀種で最も錬度の高い歌仙兼定、薬研藤四郎、鯰尾藤四郎、獅子王、石切丸。そして、審神者を抱えて最も速く走る事の出来るへし切長谷部。
後に春光隊の名を継ぐ本丸のメンバーは、こうして決定された。