空隙の町の物語   作:越季

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14-5「witness/鯰尾藤四郎『楽園の残骸』(前)」

 ピ、ピ、とリモコンの操作音が部屋の中に響いている。リモコンを握り、操作しているテレビを見つめている鯰尾を胡乱な目で見ながら骨喰は問い掛けた。

 

「……兄弟、番組の転送も大概にしておけ。媒体が山積みになっているだろう」

「あとちょっと……面白い番組は何としても持って行きたくて……!」

「せめて選別してくれ。第一部隊員なんだから、もしもの事があるかもしれないだろう。荷物が重すぎて動けない、なんて事態になったら笑えないぞ」

「ぐっ、正論!」

 

 二振りの間には然程強い緊張感はない。いつも通り、遠征前の準備をしている雰囲気を醸し出しているが——彼等がしようとしているのは、審神者の命を繋ぐ為の救援要請だ。

 だがしかし、本丸内の空気はそこまで重い物ではなかった。たった一部隊が隣の区域に助けを求めるくらい、内密に動けばばれないだろうと考えていた。

 それに、物々しい雰囲気を出してしまえばそれこそ大事になりかねない。腐り切ったここの上層部に今更変革を求める程期待もしていないし、別に表立って対立したい訳でもないのだ。

 刀達が望むのは今もなお苦しそうにしている審神者の快癒、それだけである。

 

「じゃあ選別するかー……んー、これとあれとそれとー」

「あまり減っていないぞ……。他に持って行くべき物もあるのだし、本当にどうしてもいる番組以外は置いていけ」

「……駄目?」

「駄目だ」

 

 鯰尾が上目遣いで請うても、呆れ顔の骨喰はにべもない。骨喰はすぐに荷物を纏める作業に戻ったので、仕方ない、と鯰尾は真面目に選別を始めた。繰り返し見ていたお笑い番組、中々に深いテーマを扱っていたアニメ、旅やグルメなどの道楽番組が入っている数枚のディスクを選び、選ばれなかった物はテレビの横に置いておく。

 さて、と鯰尾は次に己の本体たる刀の調子を確かめようとゆっくり鞘から抜いていく。刀身は鋭く光を反射し、錆も汚れも欠けも見当たらない。手入れがしっかりと行き届いている、いつもの「己」だった。

 

「よし、俺はこんな所かな」

「刀装はどうするか決めたか?」

「うん。盾兵二つと、予備に重歩兵二つ。まあ、これだけあれば何とかなるでしょ」

「そうだな」

 

 骨喰がこくりと頷いた。笑い返してから鯰尾が風呂敷に荷物を包んでいると、部屋の外から足音が近づいてきた。軽く豪胆な足音から、自ずとその音の主は絞られてくる。

 やってるか、と言いながらひょこりと顔を出したのはやはり、弟の一振りたる薬研だった。

 

「うん、俺の方はほとんど終わり。薬研、主の調子はどう?」

「相変わらずだな、悪くもなっていないが良くもなっていない。早くしないといけないのは変わりない」

「そうか……」

 

 骨喰は一瞬目を伏せたが、すぐに丸い目を薬研に向け凪いだ声で問う。

 

「薬研、改めて確認を。決行は辰三つ……八時だな?」

「ああ、そうだ。後三十分だ、鯰尾兄は纏め終わったら執務室に来てくれ」

「分かった」

 

 了承の意を返すと薬研は他の奴等にも言いに行くから、と手をひらりと振って去っていった。

 部屋の中が静かになると、本丸内の音や声がこちらまで響いてくる。ばたばたと走る足音、歓談をする賑やかな声、ゴトンと何かが落ちる音。音の在り処を覗けば、いつも通りの光景が繰り広げられている——と錯覚しそうだ。

 荷物を包んで、よし、と声を上げる。風呂敷を持って鯰尾は立ち上がり、刀装を吟味している骨喰に告げる。

 

「じゃあ執務室に行ってくる」

「ああ。俺も準備を進めておく」

「了解」

 

 鯰尾は身を翻して部屋の外へと足を踏み出した。キシリ、と板張りの床から音がする。

 執務室に向かいながら庭へと目を向ける。どんよりと雲が空を覆っており、太陽の在り処が全く分からない。今にも雫が降ってきそうなその空を睨んでから、鯰尾は歩を進める。

 執務室が近付く度に、喧騒が遠ざかっていく感覚がある。執務室内では審神者が苦痛に喘いでいるのだと思うと、あんな小さな子がどうしてという憐憫と、早く何とかしたいという焦燥が募っていく。早く審神者を見てくれる病院が見つかるといいが——そう思案しながら執務室の前に立ち、中にいるであろう刀に声をかける。

 

「歌仙さん、鯰尾です。準備が終わりました」

「入ってくれ」

 

 障子を開けると、やはり中には歌仙が座っていた。歌仙は荒い咳をしている審神者の眠る布団の側に座しており、彼はまるで自分も審神者の苦しみが伝搬したかのように顔をしかめていた。

 鯰尾も歌仙とは反対側に座り、風呂敷を横に置いた。それから改めて、審神者を見つめる。

 審神者は荒い息と咳を交互に繰り返しており、唇の色も失せてしまっている。息も濁っているように思え、彼女にはあまり猶予がないと感じられる。

 ふと、審神者を包む布団から何かが飛び出しているのが見えた。よく見ると、それは以前彼女が買ったクマのぬいぐるみの耳であるようだった。

 

「……主、ずっとその子を抱いているんだ。苦しい時に縋る物があった方がいいと思って、そのままにしているけれど」

 

 歌仙が悲しそうに説明する。そうですか、と返して鯰尾は歌仙へと視線を移す。

 歌仙も、大分憔悴していた。ずっと審神者の為に病院を駆け回り、ここ数日は避難経路を睡眠時間を削って探していたのだ。労いの言葉を掛けるべきかな、と静けさに耳が痛くなりながら考える。

 そして、違和感に気付く。——耳が痛くなる程の静けさ、というのがおかしい。だってさっきまで、本丸内は普段通りの賑やかさで満ちていたではないか。なのに、今はその声達が一切聞こえない。異常なまでに、明るい声が聞こえなくなったのだ。

 そして、こちらに向かって来る荒い足音。鯰尾の中で、悪い想像が渦巻く。

 

「歌仙さん、何かおかしく——」

「——大将は無事か!?」

 

 鯰尾が嫌な予感を口にしようとした途端、障子が勢いよく開かれた。何事だと振り返った鯰尾は、荒く息を吐きながら険しい顔をしている薬研に固まった。——異常事態が起きたという予想は、正解だったようだ。

 歌仙が上体を起こして薬研を見据える。不作法を叱るなどという事は、薬研の張り詰めた様子からしていない。

 

「薬研、何があった!?」

「良かった、無事だったか……簡単に言う。上層部が敵を寄越してきやがった。第一部隊の残り三振りはこっちに向かってる、他の奴等は臨戦態勢に入った」

 

 は、と息を呑む。予想以上に悪くなっているらしい現状に、顔が強張っていく。ぎり、と歯を噛み締め、歌仙は薬研に短い言葉で尋ねた。

 

「詳細を」

「長谷部の端末に、流浪の伯父貴から連絡が入った。その内容が霜風隊が襲撃されている、って話でな」

 

 霜風隊——それは、春光隊が世間話の体を装って情報を集めた部隊の一つだ。その本丸もまた搾取される側の立場で、上層部への不満を疲れ切った顔で漏らしていたのを覚えている。そして同情して見せた春光隊にここだけの話、と言って霜風隊審神者が教えてくれた事がある。

 

「近々、いくつかの部隊を集めて抗議活動をする予定なんだ。——流石にもう、限界が近いからね」

 

 春光隊も誘われたが、審神者の体調不良を理由に断った。霜風隊審神者は残念そうにしながらも、春光隊審神者の快癒を祈っていた。

 その本丸が襲われた——分かり切っていながらも、鯰尾は希望的観測を口にする。

 

「た、たまたま、その本丸が襲われたってだけじゃないの? それなら公安局に連絡すれば……」

「分かってるだろう、鯰尾兄。……伯父貴は続けてこう言っていたそうだ。通報はしたがそんな事は起こっていない、悪戯は止めろの一点張りだった、ってな」

 

 そこまで——そこまで、腐り落ちていたのか。鯰尾は愕然とする。仮にも止める素振りすら見せないのは——上層部が、この襲撃に関与しているからだとしか思えなかった。

 

「大将を連れて逃げろ、上層部——敵は、俺達の口を命ごと封じる気だ。そう言った後にお供の狐の悲鳴が響いて電話は切れたらしい。……霜風隊は抗議活動をする予定だったと話していた。それを感知されていたのなら、霜風隊と接触した俺達も危ない。大将を連れて、急いで境界へ向かった方がいい」

「分かった。時間が少し早まっただけだ、他の刀達にも通達を——」

 

 歌仙が鋭く指示を出そうと口を開いたのと、地すら揺るがす轟音が響いたのは同時だった。鯰尾はとっさに本体を出し、歌仙は守るように審神者を抱きかかえる。一拍置いて、執務室に三つの影がなだれるかの如く飛び込んで来た。

 

「歌仙! 薬研から話は聞いたか!?」

「聞いた! 今の音は——」

「ここにも敵が来たんだ! 歌仙さん、準備は済んでいるかい!?」

「ああ、すぐにでも動ける! ——長谷部!」

「う、うう……っ」

 

 三つの影——獅子王と石切丸、長谷部は最悪の急報を抱えて現れた。獅子王は狼狽を隠しておらず、石切丸は顔を強張らせて汗を流している。

 歌仙に呼び掛けられた長谷部の顔色は青ざめ切っていて、右手で胸の辺りを掴んで震えていた。歌仙はすっと立ち上がり、布団を乗り越えて長谷部の前に立つ。長谷部の左腕を握り審神者を抱えさせると、歌仙は彼の肩を叩き顔を上げさせる。

 

「長谷部、君がこの六振りの中で一番速く走れるんだ。僕が最後の防衛線を任せた事によって気が重くなっているのは分かるけれど、君にしっかりと主を抱えて貰わないと困る。大事な仕事、しっかり果たしてくれるね?」

「で、でも、歌仙達が倒れるなんて、考えたくない……!」

 

 首を振りながら喚く長谷部に落ち着いて、と穏やかな口調で歌仙は続ける。

 

「約束しただろう。()が主に敵対的行動をしたら、斬るのは僕だ。……()()が心配しなくても、そう易々とやられるつもりはないよ。どんな手を使っても、主を別の区域まで届けて見せる」

「——トシキと主を泣かせる真似だけはするなよ」

 

 突如表に出た「長谷部」は審神者を厳重に抱え、歌仙を見据える。それに一瞬目を瞠ってから、歌仙は力強く頷いた。

 

***

 

 裏口に集まった刀達は、一様に表情を引き締めて立っていた。一部の刀には体中に砂埃や返り血が付いており、敵の襲撃が現実のものになった事を示している。

 歌仙は苦しむ審神者を不安そうに抱える長谷部に一瞬目をやってから、同田貫に礼を述べた。

 

「同田貫、ありがとう。真っ先に敵に向かって行ってくれたおかげで、皆が衝撃から復活出来たって言っていたよ」

「そりゃ、敵が来たら斬るだけだろ? 俺は当然の事をしたまでだよ」

「その当然が出来なくなる程、衝撃が強かったって事だよ。僕も第一部隊長だって意識がなかったら、呆然としていただろうしね」

「……まあ、奴さんがここまでするとは、ってのは感じたけどよ」

 

 頭をガシガシと掻く同田貫に微笑んでから、歌仙は改めて真剣な表情で告げた。

 

「これより救援を求めるために区域の境界へと向かう! 襲撃がまたいつ起こるか分からない、けれど何が何でも敵を退けろ! 僕達は主たる審神者がいればやり直せる、言い換えれば——審神者なくしてやり直す事は出来ない!」

 

 表情を険しくさせるもの、戦場の気配に高揚を隠せないもの、恐怖を捻じ伏せようとするもの。誰もかれもが、歌仙の言葉によって戦意を滾らせていく。すう、と息を吸い込み、歌仙は声を張り上げた。

 

「卑劣な上層部に決して屈してはならない、それはすなわち主への冒涜だからだ! 主が上層部にされた事を、主が僕達の為に流した涙を、努々忘れるな! 主が健全に過ごせる世界を、僕達は決して諦めてはならない! ——必ず、主をこの腐った場所から連れ出すぞ!!」

「——了解!!」

 

 全員が声を揃えてそう応ずる。鯰尾も刀を出して握り締め、審神者を抱える長谷部の横に行こうとした、その時だった。

 背筋を冷たい物が伝うような、おぞましい感覚を覚えた。何かが来る、直感的にそう思った。見ると、骨喰が既に本丸の屋根に上っている。遠方を見つめて背筋を凍らせた後、彼は振り返って叫んだ。

 

「敵の増援確認! 数は五百だ!」

「何だって!? ——反乱分子を徹底的に潰す気か!」

「ど、どうしよう……!」

 

 歌仙が顔色を変え、長谷部が審神者を抱きしめて震え出す。他の刀達の間でもざわめきが広がり、まともにぶつかるか、戦略を立てるべきかと囁き合い始めた。

 五百をぶつけてくるのは、例え数部隊に対してだと考えてもまともではない。強力な部隊ならまだやりようもあるのだろうが、周囲にそんな本丸があるなど聞いた事がなかった。

 上層部の殺意が見える。——使えないなら潰せという、傲慢な殺意が。

 

「歌仙」

 

 骨喰が屋根の上から呼びかける。思考を巡らせていた鯰尾が骨喰に視線を戻すと、彼の目には強い光が宿っていた。さあっと血の気が引いていく。その目の意味は、鯰尾がよく知っている。それは、無茶な作戦を遂行しようとする時のような——

 

「俺達が、ここに残って敵を引き付ける。歌仙達は早く境界に向かってくれ」

「……は? 何、言ってんだよ! 五百だぞ!? 一振りだけでどうにか出来る筈——」

「僕達も一緒ですよ、鯰尾兄さん」

 

 少し低い場所から声が上がる。目の前にいたのは前田、秋田、乱、五虎退、鳴狐。その目付きはそれぞれだったが、骨喰と似た色の光を宿している。

 どうして、そんな目をしているのだろう。どうして、全員抜刀しているのだろう。

 どうして——彼等は、不敵に微笑んでいるのだろう。

 

「ここで騒げば、ある程度敵を引き付ける事が出来るでしょう。その間に主君を境界へ連れて行ってください」

「早く行ってよ、皆。ここに留まってちゃ、ボク達が残る意味がなくなっちゃう」

「えっと……怖いですけど、あるじさまの為に、頑張ります」

「……何で、お前達……」

 

 声が震えているのが自分でも頼りなく思えた。足が竦んでいるのがとても情けなく思えた。けれど、鯰尾はそれを止められなかった。

 ——身内が進んで死地の囮になるというのに、どうして動じずにいられようか。

 

「駄目ですよぅ、鯰尾殿。栄えある第一部隊員である貴方が、そんな顔をしては」

「……伯父さん……」

「大丈夫です、鯰尾兄さん。僕は主君が笑って下さる世界を作れるなら、喜んでこの任務に就きます」

「秋田……」

 

 身内の言葉に、縋って嫌だと叫びそうな自分が押し留められる。

 ——自分達は、どうあがいても審神者の為の道具だ。主たる審神者を守れる事を、戦場で散れる事を誇りに思えど、それを阻む事は許されない。

 

「……骨喰兄、最低でも百だ。いけるか?」

「ああ、やってみせる」

 

 しっかりと頷いたのであろう骨喰の顔は、どうしても見れなかった。薬研が激情を抑えている事が分かるのは、やはり身内だからなのだろうか。

 刀を握り、身内達に背中を向ける。歌仙が鯰尾の肩を叩いてから、行こう、と横をすり抜けていく。静かに涙を流している長谷部が視界に映る。

 地を蹴った鯰尾の背中に、身内達の最期の言葉が届く。

 

「主君に、明るい世界を。お願いしますね!」

「あるじさま、皆さん、またどこかで!」

「あるじさんを幸せにしなくちゃ、許さないんだから!」

「こちらはお任せ下さい! 決して、振り向かずに!」

「大丈夫です、僕達を敵に回したことを後悔させますから!」

 

 振り向きたい、叫んでしまいたい。嫌だと、逝かないでくれと、一緒に行こうと。それでも刀としての理性が、それを許してくれない。

 そして——

 

「兄弟!」

 

 大切な片割れが、鯰尾に向かって叫ぶ。

 

「——主殿を、未来へ連れて行ってくれ!」

 

 その言葉から、彼の意志を、誇りを、祈りを、感じ取れてしまったから。

 鯰尾は足を止めなかった。身勝手な感情を、その言葉によって打ち砕かれたのだから。

 

▽▽▽

 

「行きましたかね」

「ええ。ここにはもう、我等六振りしかおりません」

「そっかあ。あーあ、薬研と鯰尾兄、悪だくみばっかするから心配だなあ」

 

 空になった春光隊本丸で、賑やかな声が反響している。

 

「大丈夫ですよ。歌仙さんや長谷部さんもおりますし、何かあったら二振りが止めて下さるでしょう」

「え、えっと、獅子王さんと石切丸さんは……?」

「石切丸は止めるだろう。獅子王は五分五分だが」

 

 ぎし、ぎし、と廊下を渡りながら話す六振りは、全員抜刀して構えている。

 

「……幸せになれるといいな。主殿も、長谷部も」

「えー骨喰兄、他の皆は?」

「そのお二方が特に心配なのでしょう。お二方は、他者の為に幸せを手放せる性格ですから」

「あ、あるじさまが元気になれば、長谷部さんも幸せになれますよ」

「他の方もそうでしょうね。……さて」

「はい、来ましたね」

 

 秋田がそう言った途端に、悍ましい声を上げて時間遡行軍の形をしたモノが本丸内に侵入する。

 美しく整えられていた庭が、大切に育てていた畑が、自分達が思い出を積み上げてきた本丸全てがソレによって蹂躙されていく。

 六振りが殺気を表出させると、大勢のソレは値踏みするようにこちらを見る。丸い目を鋭く細めて、骨喰は叫んだ。

 

「——来い! 春の光射す園を荒らしたその罪、この斬りで贖え!」

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