空隙の町の物語   作:越季

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14-7「witness/獅子王『お願いします』(前)」

「くそ、ここに来て敵が強くなって来たな……!」

「泣き言を漏らしている暇はないよ! 少しでも早く境界へ向かわないと!」

 

 歌仙が檄を飛ばしながら敵の首を刎ね、木々の間を抜けていく。五振りの刀は刀装兵に傷の身代わりをしてもらいながら応戦し、歌仙の背中を追っていた。

 しかし、懸念事項もある。薬研の刀装が壊れそうなのだ。このままでは、直接浅くない傷を負う事になる。

 獅子王は出来る限り薬研を内側に入れて、傷を負わせないようにしていた。彼を侮っている訳ではない、むしろ逆だ。医術の心得があるのは彼だけであるし、これから薄暗くなってくる時間帯だ。夜戦に強い短刀は温存しておきたい。それに——

 

「大丈夫、大丈夫だ。俺達は負けてない。大将と俺達が助かるまで、あと少しだからな」

「……うう……」

 

 ——仲間達の数が減る度に、長谷部の精神状態は悪化していった。顔をくしゃくしゃにしつつ泣き出すのをこらえているが、言うまでもなく内心では不安と恐怖でいっぱいなのだ。かたかたと体を震わせ、審神者を抱え込むその姿は痛々しくて仕方ない。

 長谷部は刀を持って戦えない。「彼」の抱えるトラウマによって、刀を握ると正気を失う。自ら敵を斬ると動けなくなり、吐いて倒れてしまう。だからこそ最悪の場合は審神者を抱えて逃げるという重要な任務がある。その任務の重さと減っていく仲間、自分の運命を他者に委ねるしかない不安が長谷部を苛んでいるのだろう。

 メンタルの調整は、薬研が最も手馴れている。彼は付け焼き刃だと言うが、自分では心理学までは分からない。その点でも獅子王は薬研を頼りにしている。

 

「あと少し……あと少し……」

「そうだ、あと少し。斬れないあんたの代わりに俺達が敵をやっつけるから、その点は安心してくれ」

 

 弟達に、いやそれよりも幼い者に対する優しさがこもっている口調で、薬研は自らに言い聞かせている長谷部を宥める。その言葉を信じたのかどうなのか、長谷部は小さく頷いて審神者を抱え直した。ひとまずは長谷部の精神が落ち着いて、獅子王は大きく安堵する。

 改めて周囲を見渡す。森の中だという事もあり、木が多い。身を一時的に隠せるのは味方も敵も同じ。油断をすれば、あっという間に距離を詰められるだろう。

 境界へと近づいているのだろうか、おかしな点がある。時折何もない空間に、ちらちらと森の中ではない風景が映るのだ。「裂け目」としか言いようのない空間の異常は、自分達が目的地へと向かえているのだと思いたかった。

 それともう一つ。少し離れた所を、刀剣男士で構成された複数の集団が走っている。ここまで来られたのはやはりそれなりの強さの持ち主達だからなのだろう、彼等は切傷をあちこちにこさえながらもまだ動けている。

 審神者らしき人間は、集団の中にいたりいなかったりしていた。審神者がいない集団の方が少し多いか。審神者がいる集団はしきりに声をかけているし、いない集団は黙りこくり死に物狂いで足を動かしている。

 よくよく見てみれば、単独で動いている刀剣男士もいる。相当の猛者だな、と感嘆した。こんな場所で出会わなかったのなら、少し話をしたいくらいには獅子王はその刀剣男士(返り血が多くて判別しづらいが恐らく鶴丸国永だろう)を評価していた。

 そんな風に、ずっと呑気に考えていられる状況だったら良かったのだが——

 

「何かがこっちに来ます!」

 

 鯰尾が端的に叫んだ。その報告に確かめようと振り返って、獅子王の心身が強張る。

 形自体は刀剣男士、のはずだ。なのにソレを見た獅子王は脳内で同類であってはならない、と警笛を鳴らしていた。

 顔面が崩壊し、腕や足があらぬ方向を向いている。胴体には傷が多数ある。そのせいか動きも変な走り方をしたり刀の振り回し方が変だったりと不気味だ。何よりも——

 

「ケ、ケカケ……ケケケケ!」

「ハガ……ギャガがガガガ!」

「グェウ……アッジャイ……ウィグググ!」

 

 その唸り声は、最早言葉を成していない。ざらざらとしている声音、トーンも乱高下が激しく、聞いていて耳が痛くなる音だった。

 こう形容するのはとても嫌だったが、化け物にしか思えなかった。それが複数、こちらに向かって襲い掛かろうとしている。獅子王はただ、自分のショックを吐き出す為だけに惑乱を口にした。

 

「な……何だあれ!?」

「……刀剣男士……にしては、良くない気が強すぎるね」

「いち兄……の形してるよな、あれ……」

「長谷部さん、絶対に後ろ向いちゃ駄目ですよ!」

「え? 分かった……」

 

 困惑しているが嫌な何かを察した長谷部は鯰尾の言いつけを守り、後ろを向きかけた頭を前に戻した。歌仙も背後を見てぎょっとした顔をする。直後表情を何とか繕い、鋭く指示を出した。

 

「何をしてくるか分からない、遠戦を仕掛けて様子を見よう! 鯰尾、投石兵を渡すから構えてくれ!」

「はーい……アレにぶつけるのはなかなかにくる物がありますけど……」

 

 げんなりした顔で投石兵の刀装玉を受け取り、鯰尾は玉を一撫でして兵を喚ぶ。現れた投石兵はぶんぶん、と投石器を回転させ、ソレに向かって発射した。

 投石器が頭部や胴体にぶつかり、ソレらは壊れた叫び声を上げる。痛みに呻いているのは分かるが、それでも不気味で仕方なかった。

 苦しみ悶えていたのであろうソレらは、再び立ち上がって蠢きながらカサカサと擬音がしそうな走り方でこちらに向かってきた。

 

「うげぇっ、怒らせたか!」

「頭ほとんど潰れてるよなあれ……よく動けるな」

「不浄の気が強まった気がするね」

「薬研と石切丸さんはどうしてそんな冷静なんですかーっ!?」

「鯰尾、気持ちはよく分かるよ……雅じゃない!!」

「……俺だけ見なくていいのかな」

「見ちゃ駄目です!!」

 

 二振りが恐慌状態に陥ってしまい、獅子王と石切丸がそれぞれ鯰尾、歌仙を抱えてからソレと距離を取ろうとする。しかし鯰尾と同じくらいのソレが猛烈なスピードで近付き、最後尾にいた石切丸を斬ろうと刀を振りかざす。間一髪で気が付いた石切丸は、半歩横にずれる事によってそれを避ける。回避されたソレは、今度こそ石切丸を斬ろうと刃を向けて飛びかかった。

 

「——駄目ですよぅ。どんなに悔やんでいたとしても、生きる者をそちらに引きずり込む事をしてはなりません」

 

 飛びかかった途中で停止したソレは、次の瞬間胴体から頭部がゴトリ、と落ちた。胴体もバランスを崩してバタンと倒れ伏す。

 ギアアアア、と背後にいたソレらが咆哮を上げ、頭と体を切り離した影に向かって一際大きな二体が詰めて来る。ブン、と水平に薙いだ刀身を影は屈んでやり過ごし、地面を蹴る。影が懐に入り込んだと思えば、ソレの脇は深く斬り込まれ濁った血を大量に噴き出していた。影は次に、突進して来た穂先を刃で受け止める。しばらく睨み合いが続いたが、影がふっと力を緩めた。直後、バランスを崩したソレの長い柄を蹴り上げる。そして間合いを詰め、心臓を正確に狙って突き刺した。脇と心臓、それぞれを斬られたソレらは金切り声を上げ動きを止めた。倒れ伏した同類を見たソレらは、唸り声を上げて一旦は引き下がる。

 呆気に取られている春光隊の中で動けたのは、今まで背後を見ておらず戦闘が起こっていた事をぼんやりとしか理解していなかった長谷部だけだった。振り向いて見覚えのある姿を目に入れると、歓喜を前面に表した。

 

「鳴狐! 無事だったんだな!」

「そちらこそ、ご無事で良かったですよぅ。春光隊の皆様も、ご無事で何よりです」

「あ、ああ……普通ではないとは思っていたが、凄いな」

 

 歌仙が呆けたままに呟くと、鳴狐は小さく困ったように微笑んだ。

 

「皆様ならこのくらい、難なくこなせると思いますが。……詳細は移動しながら」

 

 お供の狐がそう言うと、鳴狐は体の向きを反転させて走り出す。春光隊の面々も慌ててその後を追い始めた。

 

「端的に彼等の事を話しましょう。彼等は我々のような被験者達の死体が、強引に動かされている物です。恐らくは微かに残っていた思考エネルギーを強引に他のエネルギーと繋ぎ合わせたのでしょうね。姿形は刀剣男士を模していますが、中身は全くの別物です」

「……死体を」

「彼等は全員我々の友でした。様々な要因でその命を散らしていきましたが……敵は彼等の死体を再利用し、こちらを確実に潰すつもりなのでしょう。そんな死者への冒涜は、決して見過ごせるものではありません。我々は再び、彼等を眠らせる為にここに来たのです。例え、刺し違える事になったとしても」

 

 そうだったのか、と獅子王の中の疑問が氷解する。鳴狐の戦い方は見事だったが、どこか執着めいた物を感じていた。けれど、上層部に責められる非がない人や刀の口を封じる為に友達が利用されていたのなら、それに怒りを覚えて何とかしようとするのは当然だろう。

 せめて、友達が罪を重ねない内に冥府へと送り返す。鳴狐はそう覚悟して、この地獄に来たのだ。

 お供の狐の言葉に、長谷部は声を頼りなく震わせる。

 

「さ、刺し違えるって……」

「鳴狐も容易くやられるつもりはありませんよぅ、長谷部殿。けれど、難儀な事には違いありません。——ここに来るまで、鳴狐も少なくはない手傷を負いましたからね」

 

 よく見ると、鳴狐の戦装束には腹部、腕、足に斬られた形跡がある。血が滲んでいる個所もあり、じわりと戦装束を染めているその赤が、やけに鮮烈に見えた。

 そう、襲い来るのは元被験者だけではない。高速槍をはじめとした様々な時間遡行軍のレプリカも、大きな脅威なのだ。現に春光隊が審神者をここまで連れて行くまで、多くの仲間達が足止めとして離脱していった。こちらで残ったのは六振りのみ、かつ薬研の刀装も壊れる寸前だ。

 一振りだけで行動している鳴狐も、大いに手を煩わされた事が窺える。しかしそれでも境界が見えて来そうな場所まで進めたのは、相当な手練れだからなのだろう。

 

「道中で春光隊の方々に道を切り開いて頂かなかったら、我々もここまで来られたか分かりません。彼等は我々が被験者の対応が出来るという事で、皆様に注意喚起をと送り出して下さって……本当に、宗三殿達がいなかったら、我々はどうなっていたか……」

 

 お供の狐にしては珍しい、喉から絞り出したような声だった。鳴狐も目を伏せて、お供の狐の言葉に頷いた。

 鳴狐は目的の為に、途中で残った春光隊の救助を選ばなかった。どんな経緯だったのかは分からない。けれど助力しなかった事に、鳴狐の心が痛んでいないはずがないのだ。今だって目の前の一振りは顔に影を落とし、一匹は尻尾と耳を下げている。助ける選択肢を取らなかった——取れなかった痛みに苦しみ、苛まれているのが見て取れた。

 落ち込んでいる鳴狐に歌仙は目を細めて、しっかりとした口調で言った。

 

「切迫している状況を打開出来る切り札を渡してくれたんだ、宗三達は最上の仕事をしてくれたよ。僕達が最も優先するのは、主を境界まで連れていく事。それが分からない彼等じゃないさ」

「……」

「どんな手を使っても——それこそ命すら懸けて、僕達は主を逃がそうとしているんだ。逆に僕達は僅かな可能性を掴もうと、君を利用する事になるだろう。そこまで萎れられる謂れはどこにもないよ」

 

 鳴狐がはっと息を呑み、上げた顔を歌仙に向けてコクリ、と小さく下げた。口も動かしていたようで、歌仙は弱った表情を浮かべていた。

 

「礼を言われる謂れもないのに。……本当、こんな場所でなかったらゆっくり話をしたかったよ」

 

 穏やかな声から一転し鋭さを増した言葉に、ここが戦場である事を思い出した。周囲からは鉄がぶつかり合う音や、この状況への恨みが隠し切れない怒号が響いている。

 こちらへも、角を生やした大太刀をはじめとした敵が多数押し寄せて来ていた。先程怒らせてしまったのがまずかったのか、被験者の成れの果ても猛烈な勢いで襲い掛かって来ようとしている。

 長谷部の声量を抑えた微かな悲鳴に呼応し、六振りは構えた。

 

「鳴狐、君には被験者の相手を頼みたい! 露払いはこちらでする! 僕達は逆行陣で行くよ!」

「ええ、お任せを!」

「先手必勝、って奴だな!」

「早めに厄は落としてしまわないとね」

「後は薬研と鯰尾、余り消耗しないように! これからどんどん暗くなる、夜は君達が要になるからね!」

「了解です!」

「分かってる、大将を守る為だ。力は温存しとくさ」

 

 歌仙が指揮をとり、協力者に最高火力で戦えるよう自隊に配置指示を出していく。そして夜戦の肝となる二振りに注意を促す事も忘れなかった。

 それぞれが敵を見据え、戦闘態勢に入る。歌仙は振り返ると、後ろで縮こまっている長谷部とその腕にいる苦しげな審神者を見て、一瞬顔に現れた翳りを振り払って告げた。

 

「最後に長谷部、盾兵の用意を! 今は主の守りを頑丈にしてくれ!」

「わ、分かった!」

 

 長谷部が盾兵の刀装を展開し、輪の中で審神者を抱えて祈るように呟いた。

 

「……皆、頑張って」

 

 幼い少年の声がしたと、誰もが思った。三振りには聞き覚えのある、あの少年の。残り三振りも、その声の主を推測出来た。

 それは最大級の応援であり、自身の無力さを噛み締めて苦味を溢れさせた懺悔にも聞こえた。獅子王は声の主の頭を撫で回してやりたい衝動に駆られたが、柄を握りそれを堪える。

 

「——よっしゃ、始めるぜ!」

 

 代わりに大きく吼え、己の背中を見せつける。

 ——様々な感情で押し潰されそうになっている少年を、鼓舞する為に。

 

 

 ここに至るまで時間がかかったのは、距離があったのは勿論、想像以上に敵を送り込まれて来たからだ。敵は境界に近付く度に強さを増し、それ故に対処にも時間を割かれる。仲間を死地に置いてまでした足止めにも、限度がある。それでも自分達は、仲間達を信じ続けていた。きっと、最上の仕事を果たしてくれた、と。

 そう、信じてはいるのだ。しかし——

 

「足止めして貰って数が減っているとしても、これは……!」

「ちょっと、多過ぎるね」

「畜生、強くなってる上に数も多いって、本気で主を殺す気かよ!」

 

 息を切らして、敵を見据える。唸り声を上げる大太刀を斬った数は、もう覚えていない。そして目の前にいる敵の数も、数えている余裕はなかった。

 斬っても斬っても斬っても、敵は次々と現れていた。じりじりと境界へと向かってはいるのだが、相手をしなくてはならない敵が余りにも多過ぎる。

 こうしている間にも、審神者の容体は悪化しているのだ。戦闘は最小限にして境界へと急ぎたい、それを悟られているのだろうか。

 

「皆様、大丈夫ですか!?」

「鳴狐、こちらは気にしなくていい! 君は被験者の方に集中してくれ!」

 

 鳴狐の気を逸らさせないように、歌仙がそう声を上げて太刀を斬り伏せた。鳴狐は再び肉体が崩壊している被験者へと相対する。

 こちらが時間遡行軍のレプリカ達を引き受けているおかげで、鳴狐は順調に被験者の成れの果てを冥府へと送り返していた。成れの果ても随分な数を送り込まれていたが、その全てをたった一振りで沈めていた。しかし鳴狐の負った傷も徐々に深くなり始めている。状態で表すと中傷であり、いつ重傷状態になってもおかしくはない。

 成れの果ての残りは後三体。加勢したとしても今の自分達では足手纏いである事に歯噛みしながら、獅子王は目の前の敵大太刀を倒そうと専念し始めた。

 敵大太刀は獅子王を値踏みするように見ていたが、雄叫びを上げて刀身を振り回した。獅子王は飛び下がりそれを回避、地を蹴り胴体に向け横へと一閃する。しかし寸前で刀身によって阻まれた。刃がぶつかり合って腕が悲鳴を上げる。再び距離を取り、獅子王は思考を巡らせる。

 隙を見つけたとばかりに敵大太刀はニヤリと笑い、足を踏み込んで大きく刃を振り下ろした。しかし、その先に獅子王はいない。後ろに下がったか、それとも横か。しかし標的はどこにもいない。

 

「——へへっ、隙だらけだぜ!」

 

 その声が聞こえた時には遅かった。浮かび落ちる視界、その先にすとんと地に舞い降りる獅子王の姿。何が起こったのかも分からぬまま、その敵大太刀は沈黙した。

 獅子王はその敵大太刀に目もくれず、次の敵に斬りかかっていた。薬研は審神者と長谷部の側で警戒しながら、獅子王へ賛辞を贈る。

 

「見事だな、獅子王。木の上から飛び降りて首を落とすとは、俺もあやかりたいもんだ」

「いや薬研、歌仙の話聞いてたか? 夜戦に向けて温存しとけって言われてるだろ」

「そうは言ってもいい戦いっぷりを見ていると、血が滾るってもんだろう」

「気持ちは分かるけど自重してくれよ?」

 

 分かってるよ、と言いながら薬研は構え直した。その脚にはあちこちに斬られた跡がある。それでも動きにはまだ支障はないようで、軽やかに敵を迎撃していた。

 敵と斬り結びながら、獅子王は周囲を見渡す。石切丸にはほぼ傷はなし、歌仙は軽傷で、袖を斬られて腹立たしそうに敵を睨み付けている。鯰尾も薬研の側にいるが、大きな怪我はない。審神者を守っている長谷部は、ある方向を見て泣き出しそうに顔を歪めている。その視線を追って——獅子王は、息を呑んだ。

 その先にいたのは、鳴狐だった。腕からはぽたぽたと血を流し、地面に血だまりを作っている。立っているのも辛いのか、体の軸が安定していない。恐らく腹も斬られているのだろう、背中をまげて腹を押さえている。肩にいるお供の狐が、甲高い声を落ち着かせて鳴狐を励ました。

 

「鳴狐、あとひとりですよぅ。もう少し、もう少しで皆様を安らかに眠らせて差し上げられます、踏ん張って下さい……!」

「……分かってる」

 

 残っていたのは、打刀と思われる成れの果てだった。腕や足の筋肉が歪に隆起しており、顔面はもう元となった刀剣男士が誰だったのか判別がつかない。眼光は怪しげに光っていて、発している言葉は分からないが、鳴狐に敵意を向けているのは分かる。

 鳴狐に向かって、成れの果てが迫る。袈裟懸けに斬ろうと振り下ろされた刃を、鳴狐は受け流す。二度、三度となく訪れる斬撃を、辛うじて鳴狐は凌いでいた。口から血が漏れている。きっとかなり苦しいはずだ。けれど割って入れる余裕はない。こちらも、別の敵と斬り結んでいるのだから。

 弾き、押し出し、迫られ、追いやられる。そう目まぐるしく回る戦局は、唐突に打ち切られた。

 成れの果てが、刀装を展開したのだ。数は二十。兵が構えているのは、投石器。音を立てて振り回されている、それの標的は——

 

「長谷部、兵を前に寄せろ!!」

 

 獅子王の叫声に長谷部が慌てて盾兵を前面に掻き集める。しかし焦りが出ているのか、上手く統率が取れていない。そうしている間に、投石器が長谷部達の所へと狙いを定めて飛んで来る。間に合わないと悟ったのか、長谷部が審神者を守ろうと体を丸めて覆い隠す。付近にいたはずの盾兵を展開している鯰尾は、敵に阻まれて近付けない。長谷部の周囲には、盾になれる刀はいなかったのだ。

 このままでは投石器が長谷部に——最悪の場合、審神者にも当たる。

 成れの果てがここまでするとは。せめて、盾兵を持っている自分が立ち塞がっていれば、投石器を防げるかもしれなかったのに——獅子王は己の立ち位置と、成れの果ての行動を甘く見ていた事を悔いていた。

 少なくとも長谷部の大怪我は免れない、誰もがそう思っていた。

 

「——させるかよ!」

 

 ——いや、一振り以外はそう思っていた。

 比較的長谷部の近くにいた薬研は弾丸のように走り、彼の前に立ちはだかる。そして僅かに残っていた重歩兵を前に出し、投石器の第一波を受け止めさせた。薬研の刀装はこの時点で壊れていたが、投石器の第二波は止まらない。

 それでも長谷部の前から動かない薬研は、投石器をその体で受け止めた。頭に、腕に、脚に、胴体に、投石器が鈍い音を立ててぶつかっていく。頭から流れた血が口に入るとぺっと吐き捨て、腕の布地は破れて赤く染まり、脚からも血が流れ出し靴下に染み込んでいく。

 状態にして、重症。それも次に攻撃を食らえば破壊の道も見えてくる程だ。見えている的だと思ったのか、成れの果てが薬研に向かって走り出す。

 しかし、薬研の戦意は落ちていない。柄を握り、鋒を成れの果てへと向ける。眼前に迫った敵の心臓を狙い、思い切り突き出した。

 虚を突かれたのか、一瞬成れの果ての動きが鈍くなる。そしてそれを見逃さないものが一振り。

 

「ありがとうございます、薬研殿」

 

 鳴狐が成れの果ての背後に追い付き、刃を首に当てて横に裂いた。成れの果ての頭部が、空を舞って落ちていく。ドサリ、と音を立てて成れの果ての命は地に転がった。

 同時に、薬研が膝をついて崩れ落ちる。想像していた衝撃が来なかった事を不思議に思った長谷部が顔を上げて、血に塗れた光景を見て悲鳴を上げた。

 

「薬研!!」

 

 長谷部は立ち上がって薬研の下へと寄り、涙に濡れた声で彼の名を繰り返し呼んだ。戦闘を終えた春光隊の刀達も、薬研の側へ走る。薬研の目は強い意志の光を宿していながら、今にも閉ざされようとしていた。

 

「ごめん、ごめんなさい、俺が、ちゃんと刀装を展開出来なかったから……!」

「……気に、病むな。あんたは、大将を守ろうとしただろう。慣れない戦で、それでも大将を守ろうとしたんだ、上出来だよ」

「それは仕方ありませんよ、長谷部さん。それよりも、これからどうしましょう……」

「夜戦の要である薬研がここまでやられてしまったのは痛いね。鯰尾と僕だけで、どこまでやれるか……」

「夜になると、太刀や大太刀は力を万全に振るえなくなる。何とか日が沈む前に、境界に行きたい所だけど……」

 

 相談中にもごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し口にする長谷部。その顔色は酷く悪く、頬には大量の涙が伝っていた。

 ——「彼」は、小さな子供。それもかつて無意識下で親友を殺してしまったトラウマ持ちだ。今度は自分のせいで仲間が死にそうだと苦しんでいる。実際は薬研が「審神者を守る最後の砦である長谷部を守る」という選択をした結果なのだが、その区別がつく程成熟していないのだろう。

 だからその頭を、今度こそ獅子王は撫で回した。

 

「お前はその時出来る最善を尽くした、それでいいだろ。慌てていたかもしれないけど、それでも主を守ろうとしたのは大正解だ」

「でも……」

「……それに、薬研はまだ折れてない。まだ薬研は戦ってるんだ。ならお前も泣くだけじゃなくて、薬研がまた万全に戦えるように支えてやらないと」

 

 ひっく、と嗚咽を一つ漏らしてから長谷部は涙を袖で拭った。小さく頷き、今度は薬研の意識を保とうと呼びかけ始める。

 歌仙がその様子に微笑んでから、鳴狐に声を掛ける。

 

「鳴狐、君も一緒に行くだろう? 流石に僕達を守ってくれとは言わないけれど、境界までは共に行動しないかい?」

「ええ、勿論——」

「——いや、皆とはここでお別れだ」

 

 お供の狐がは、と目を見開く。春光隊の刀達も、思いもよらない声に、言葉に愕然とする。

 視線が集中しても何も言わない鳴狐に、お供の狐は大きな声で喚き出した。

 

「鳴狐、何を言っているのです!? せっかくの皆様のご厚意を無下にするというのですか!?」

「……分かっているだろう、狐。()はもう、限界なんだ。一緒に行って友達とその大切なひとに迷惑をかけるより、僕は最期まで彼等の為に戦いたい」

 

 鳴狐の姿を見て分かる——分かってしまう。彼はもう、肉体の限界点を超えている。

 立っているのがやっとなのか、脚が少し震えている。腹から流れ出ている血も止まらず、斬られた腕の動きも悪いようだ。口から溢れる血を何とか拭って、苦しそうに瞼が重くなっている目を何とか開けている。

 このままでは、鳴狐が死ぬ。そう理解した長谷部は再び目に涙を溜めて現実を否定したいと言わんばかりに首を振った。

 

「……嫌だ、嫌だ、一緒に行こう、鳴狐……境界を超えれば、きっと鳴狐を治してくれるひとがいる、だからお別れなんて——」

「長谷部。春光隊にいる今、優先すべきは大切な審神者か死にかけの僕か、分からない訳じゃないよね。それに薬研の応急処置をしないと、夜を超えるのも難しくなる。もう死ぬと分かっている奴より、生きている強い方を生かすのは当然の事だ」

 

 鳴狐が血を吐きながら強い口調でそう諭す。審神者を大事に抱える長谷部は俯き、それでも諦め切れないのか首を横に振って嫌だ、嫌だと口にしていた。

 鳴狐は途切れ途切れになりながらも、友に向けて最期の言葉を紡ぎ出す。

 

「……長谷部。僕は長谷部と友達になれて嬉しかった。辛い事の方が多かった生涯だったけど、長谷部と過ごした時間は確かに幸せだったよ。幸せをくれた友達の為にこの命を使えるんだ、僕は果報者だ」

「鳴狐……」

「これは、果報者の僕が最後に願う事。——生きろ、長谷部。どんなに辛い事があって死にたくなっても、最後に笑っていられたら最高なんだ。僕は、長谷部にはそうあって欲しい」

「……酷い、酷いよ、自分は死ぬのに、俺には生きろだなんて……」

 

 長谷部の頬に一筋、涙が流れる。油断が出来ない状況で友達が死に逝く悲しみを、それだけで抑えられたのは幼い「彼」にしては上々の結果だろう。

 ごめんね、と言ってから鳴狐は春光隊に頭を下げた。

 

「春光隊の皆、話を聞いてくれてありがとう。まともに話を聞いてくれた普通の刀剣男士は、春光隊の皆が初めてだった。審神者を救える事を、祈っているよ」

「……ああ、こちらこそありがとう。君がいなかったら、僕達がどうなっていたか分からなかった」

「構わない、僕が望んだ事だから。……境界まではもう目と鼻の先だ。後もう少し、頑張って」

 

 鳴狐は頭を上げ、春光隊に背を向ける。その先に、敵が大量に現れた。春光隊は薬研を石切丸に抱えさせてから立ち上がり、静かに後退を始める。

 鳴狐は刃を敵に向け、駆け出しながら鋭く告げた。

 

「——行って!」

 

 それを合図に、春光隊は走り始めた。背後からは激しい剣戟の音が響いている。

 長谷部は目を伏せながら、それでも一度も後ろを見る事はなかった。

 

▽▽▽

 

「……ぎつね、鳴狐!」

 

 甲高い声が、必死に名前を呼んでいる。仰向けに倒れている鳴狐は、目を薄く開けてその声の主を視界に入れた。

 

「目を開けなさい、息をしなさい、立ち上がりなさい! ……あの子が幸せになるのを、本当は見届けたいのでしょう!? なら倒れるのはまだ早いです! 気をしっかり持つのです、まだ()()は——幸せになっていない!」

 

 その言葉に、小さく笑えていたかは分からない。けれどお供の狐は、息を呑んで口を止めた。

 

「……あり、がとう、狐。()()()()()()のに、お前は、()の幸せを願ってくれた」

「何を言いますか、貴方は立派に()()()()()()()()()()! 本当はやりたい事が沢山あったはずなのに、貴方は刀剣男士として生きる事を選んだ! ()()だって、貴方の幸せを願っておりました! わたくしは、貴方を使い潰そうとした人間が、この世界が、本当に——」

「駄目だよ、狐。僕は、そんな事思ってない」

 

 咳き込んだ勢いで、血が噴き出す。鉄臭い味が口内を蹂躙しているのを感じながら、鳴狐は木々の隙間から見える夕空を見上げた。

 

「確かに、あまり綺麗な物だとは思えないけど……それでも、僕はこの世界が好きなんだ。薄汚れた世界で、僕は長谷部と——トシキと友達になれた。いじめられっ子の()()()としては、奇跡みたいな事だったよ。お前は僕の代わりに言葉を尽くしてくれた。上手く話せなかった昔とは、比べ物にならないくらい話が出来たんだ。……僕は、例え使い潰される為にこうなったとしても、『鳴狐』になれて良かったって、思えるよ」

 

 鳴狐の息が、細くなっていく。彼の命が潰えるのは、もう避けられない。

 大量に鉄屑の転がる周囲を見渡し、お供の狐は耳を下げ、小さな声で呟いた。

 

「……貴方のような子供が戦わなくてはならないなんて、この世界は本当に悲しく、憤ろしいですね。鳴狐——ナオキ」

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