空隙の町の物語   作:越季

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14-8「witness/獅子王『お願いします』(後)」

 息を切らせて走り続け、敵をある程度振り切ってから春光隊は大きな木の陰に身を隠す。石切丸が薬研を木の幹にもたれ掛からせ、声を潜めて尋ねた。

 

「薬研さん、私達に出来る事はあるかな?」

「……巾着から鎮痛剤と包帯、剪刀を出してくれ」

「鎮痛剤というのはこれかな。包帯はどのように巻けばいい?」

「ああそうだ、ありがとう。……口で言うから、その通りに巻いてくれ」

 

 薬研の指示に従い、慣れない手つきで石切丸が包帯を巻いていく。その間に薬研は鎮痛剤を飲み下し、木の幹に体重を預けていた。時折痛みが走るのか、表情を歪めて声を抑えている。

 鯰尾が風呂敷から水の入った水筒を出し、蓋を開け薬研に手渡した。ほとんど口を利けないのか、薬研は声にはせず口を動かすだけだ。恐らくは礼を述べたのだろうが。少しずつ水を飲んで、半分くらい減らしてから水筒を返す。鯰尾は水筒の残量を確かめてから、蓋を閉めて風呂敷に戻す。

 獅子王は、周囲の警戒だ。敵をある程度振り切ったとはいえ、まだ辺りには逃亡者をうろうろと探している敵がいる。低く唸る声は、こちらに近付いたと思えば遠ざかったりと緊張を解く事が出来ない状況が続いている。唸り声が近付く度に、長谷部が怯えて震えているいるのが分かった。

 

「薬研、正直に答えてくれ。このまま進めそうかい?」

 

 歌仙が片膝をついて薬研の具合を確認する。薬研は肩や脚を動かそうと試みていたが、思うように動かないらしい。不器用に巻かれた包帯は血の色に染まり、じわじわと白を侵食していた。

 

「……難しいな。四肢がほとんど動かねえ。俺は、ここまでか」

「そんな……」

 

 薄々分かっていた。だって薬研は満身創痍だ。こうして口を利く事だって大層辛いはずなのだ。

 長谷部だけがショックを隠し切れない声を漏らしていた。今まで平気だ、大丈夫だと言ってきたが目の前に仲間の死が迫っているのが恐ろしいのだろう。薬研は重たい瞼を力いっぱい開いて、長谷部に気丈に言って見せた。

 

「大丈夫だ、俺は最期まで戦う。俺達は戦場で折れてこそ本望だからな。何か支える物はないか? 鎮痛剤ももうすぐ効いてくる頃だろうし、そろそろ立ってみねえと」

 

 血塗れで、四肢も思うように動かせない。それなのに、薬研の戦意は全く衰えていなかった。まだ戦えるのならば、最期まで戦って貰わねばならない。人間を守る為に折れるまで使われるのは、刀の本懐だからだ。

 

「……どうして……」

「そりゃ、そうある事が俺達だからな。まさか今更知らないなんて——」

「違う! ……どうして、どうして……」

 

 顔に影を落とし悲痛な顔をしてどうして、を繰り返す。その尋常ならざる様子に、流石におかしいと思って薬研が口を開こうとした。

 ビィン、と弓を射る音がした。どこからだ、と獅子王が辺りを見回す。その前に動いていた鯰尾が、木の上から飛び敵短刀を斬り落としたのを視認する。

 気付けなかった、と慌てているとと着地した鯰尾が血相を変えて木の幹へと駆け寄った。

 

「薬研っ!!」

 

 ——薬研の心臓に、矢が深々と突き刺さっていた。更に大量の血を吐き、薬研の体から力が失われていく。頭を垂れ、腕はだらしなく下がり、脚はぴくりと痙攣した切り動かない。

 石切丸は周囲を見回し刀を構え、獅子王もそれに倣い警戒態勢に入る。焦燥感があるせいか、かたかたと柄を持つ手が震えた。

 薬研が、破壊された。それは確定された出来事として春光隊を襲った。

 

「薬研、薬研! 嫌だ、嫌だ、死んじゃ嫌だあ!」

「くっ、僕が早く気付いていれば……!」

「しっかりして、薬研!」

 

 長谷部は恐慌し、歌仙は己の落ち度を悔いていて、鯰尾は必死になって薬研に呼び掛ける。石切丸は四振りを気にしながら歯噛みしており、獅子王もまた、己の至らなさに歯を軋ませていた。

 ——畜生、俺が真っ先に斬らなきゃならなかったのに……!

 警戒を担当していたのは獅子王だ。本来ならば自分が、薬研への攻撃を防がなくてはならなかったのだ。刀装は一応まだ壊れていない、これ以上ない盾になれたはずなのに。

 結果はこれだ。大切な仲間は破壊され、他の仲間を悲しませ、これから重要になる戦力を失ってしまった。これでは審神者を逃がせる確率が大きく下がるだろう、作戦も練り直さねば——そう思っていた。

 

「……だ」

 

 そう、思っていたのだ。

 

「嫌だ」

 

 それはあまりにもか細い、けれど力の籠もった声だった。獅子王は耳を疑った。その声の主は今まで、意識が朦朧としていたはずだ。

 途端、薬研の体が眩い光に包まれる。光に弾かれた矢がぽろりと地に落ちた。もろに光を受けた三振りはとっさに目をつぶり、異常を感じた石切丸と獅子王はばっと振り返る。

 光が消えると、そこには呆然と目を見開いている薬研がいた。包帯が解け、はらはらと地面に舞い落ちる。しかし、薬研はどこにも血が流れていない。試しに手足を動かしても何の支障もなさそうだ。重傷だった事が悪夢であったかのように、薬研の体には異常がない。ふと薬研が下に目を向け、息を呑んだ。

 白い御守り——緊急修理機器の残骸が、壊れた状態でそこにあった。

 

「私は、あいつらの手にかけられるのだけは嫌だ」

 

 薬研は声のする方へ視線を動かす。長谷部は仰天した顔で声の主——腕の中にいる審神者を見つめていた。

 

「皆様に繋いで頂いた命を、こんな所で終わらせたくない。私はまだ、望んだ未来へ辿り着いていないのに……!」

 

 審神者は話す事すら辛いはずだ。それでも瞳には強い光を揺らめかせ、息を切らしながら語気強く言葉を紡いでいる。

 獅子王は驚愕しながら、心が舞い上がっていくのを感じていた。審神者が、自分から生きる事を、未来を自分の意思で望んでいるのだ。かつて自分の心さえ誤魔化し、欲しい物を遠慮していた彼女とは思えない、強い欲と意志が見える。最初期の審神者を知る三振りの喜び方は静かだが、言うまでもなく凄まじい。歌仙は袖で目を拭いながら喜色満面であるし、鯰尾は目を見開き輝かせているし、薬研はまるで勝利を確信したかのように表情を明るくさせていた。

 石切丸は固かった表情を緩めている。長谷部だけは事の大きさを理解し切れていないのか、審神者の顔を心配そうに覗き込んでいた。

 そして、審神者は息を切らしながらも声を張り上げ、刀達に嘆願した。

 

「お願いします、皆様。私を、あいつらから逃して下さい……!」

 

 審神者は再び長谷部に体重を預け、ぐったりと腕を垂らした。無理をしたのか、再び荒い息をし始め言葉を紡げなくなったらしい。

 審神者に見えているか、聞こえているかは定かではない。だが刀達は礼をし、代表して歌仙が答えた。

 

「——主の命を預かり恐悦至極。その命、必ず果たして見せよう」

 

 歌仙はゆっくりと頭を上げてから、体を動かしている薬研に向かって問う。

 

「薬研。動けるかい?」

「ああ、全快したぜ。だが刀装がもうないからな、気を付けないといけないのは変わりない」

「刀装なしで悪いけど、存分に働いて貰うよ」

「上等だ、今度こそ奴さんに柄まで通してやる」

 

 勝ち気に笑むその姿は、いつもの薬研だ。うん、と頷いてから歌仙は声を上げた。

 

「さあ、進むぞ! 目的地まであと少し、だが油断だけは決してするな!」

「了解!」

 

 春光隊は歌仙の先導に続いた。夕陽は橙色に輝いて、少しずつ地平線へと沈み始めていた。

 

***

 

 境界までは、思っていた程時間はかからなかった。当然敵が現れる度に斬りながら進んでいたのだが、そこまで自分達が斬らなくてもよくなった。

 境界付近には、微かな希望に縋った多くの刀剣男士が集まっている。その刀剣男士が苦戦しながら、あるいは道連れにしながら敵を倒していたのだ。

 

「畜生、どれだけ湧いて出てくるんだよ!」

「あるじさん、あるじさんしっかりして! 境界の穴が開けば、きっと助かるから!」

「国俊!! ……よくも、国俊を……!」

「境界はまだ開かないの!?」

「あるじさまぁ……っ! うわあああん!」

「早く開いてくれよ……っ!」

 

 鋼がぶつかる澄んだ音とあっけなく折れる音、境界の開放を急かしたり仲間を折られたりした感情を露にした怒号と、心身の苦痛によって涙に満ちた声。散乱している鋼の破片は敵味方の区別がつかない。

 ——地獄絵図。境界付近はそう言って差し支えない有様だった。

 

「歌仙、俺達も探そう」

「そう、だね……ここまで、追い込んでいたとは」

「今は気を確かに持つのが肝要だよ、歌仙さん。長谷部さんは内側に入って」

「うう……」

 

 長谷部は阿鼻叫喚に圧倒されて顔を青ざめさせている。それでも審神者をしっかりと抱えているのだから、彼はまだ正気を保てている方だろう。

 獅子王は刀剣男士達の隙間を縫って境界へと触れる。ぶにりとした感覚はこんにゃくを触った時のそれを思い起こさせる。けれど境界はこんにゃくには程遠い。様々な景色が映り込み過ぎて、数多の色を混ぜたパレットのような状態になっている。

 手を押し込んでみても、強い反発が起こって奥へは進めない。他の場所にも触れて、押し込んでみる。こちらも跳ね返された。

 触っては押し込み、跳ね返されてはまた触れてを繰り返す。少しでも穴がないか触り続けるが、それらしき感覚は見当たらない。

 

「平野、秋田!! ……すまない、本当にすまない……!」

「何で、僕達がこんな目に……」

「まだ開かないのか!? ……くそ、いっそ特攻してやるか……」

「せめて正気を保ちましょう、そうでなければ見つかる物も見つかりません!」

「怖い、怖いよ……!」

 

 悲痛な声が、鋼が次々と折れる音が、焦燥感を掻き立てられる。すぐ側で起きている悲劇と惨劇は、こちらも他人事ではない。いつ仲間が折れるか、あるいは審神者が息を引き取るか分からないのだ。穴を探している長谷部に抱えられている審神者は、息が細く時折咳き込んで血を吐いている。彼女を見ている獅子王の心は決して穏やかとは言えなかった。

 それでも、冷静さを欠いてはならない。誰かが叫んでいたが、そうでなければある物さえも見つからない。獅子王が気合を入れ直して再び境界に手を触れさせた、その時。

 銃弾が、手の置かれている位置から五センチ程上にめり込んだ。即座に背後を見ると、既に薬研と鯰尾が刀を構えて敵に向かっている。

 

「獅子王さん、こっちは俺達が請け負います!」

「あんた達は引き続き境界の穴を探してくれ!」 

 

 頼もし過ぎる二振りに頷いて任せると返し、獅子王はまた境界の調査に戻る。

 極彩色の柔らかな壁は、相変わらず違う場所の光景を映し出すだけで望む変化は起こらない。けれどもう少し探せば、針の穴程でも小さな穴があるかもしれない。蜘蛛の糸に縋るような希望を持ち続けて、獅子王は壁に触れ続ける。

 ちらりと仲間がいる方向を見る。歌仙は眉間を押さえて壁を殴る勢いで手を触れさせている。石切丸は気の流れから穴を探しているらしく、壁に手を触れて即座に次の場所へと触れるなど見切りの速さが凄まじい。妖怪に纏わる刀として、勘に頼るのもいいかもしれないと脳内に書き記す。

 そして、長谷部。周囲から響く怒号に肩を跳ねさせながらも、かたかたと手を震わせて懸命に穴を探している。泣く事も許されない状況だと理解しているのだろう、目に涙を溜めていても流すまでには至っていない。

 衰弱の激しい審神者を左腕に抱えて、彼女の命の火が消えかけているのに怯えているのは見ても分かる。それでも泣き喚く事もせず必死に穴を探しているその様は、健気以外の言葉で言い表せない。

「彼」の年齢からしたら精神はとうに限界を超えているはずだ。こうして頑張っていられているのは、きっと「長谷部」の力添えも大きいだろう。主が元気になったら労ってやらないとな、と幼子を甘やかす未来を思い描いて、獅子王は穴を探す。

 

「次から次へと、キリがない……!」

「本当、完全に俺達を壊す気だよな……」

「……もう、だめ」

「……ここはもう、何もないんじゃないか?」

「疲れたよ……」

 

 ——そんな絶望が見える言葉達を振り切るように、探す、探し続ける。

 壁に手を当て、押し込んで、駄目だったら次の場所へ。繰り返し続けていて、獅子王も思考回路が鈍り始めている。しかし、壁を探る事を決して止めなかった。

 審神者が生き残る為には、最早これ以外の方法はないのだ。本丸に戻っても、大切な仲間の残骸と地獄のような未来が待っているだけだろう。すぐ側に蜘蛛の糸が垂れ下がっている可能性があるのに、手を止める事など出来るものか。

 それは仲間達も同じだった。歌仙は眉間にしわを寄せながらも不平不満を一言も漏らしていないし、石切丸も険しい顔で気の流れを探しているようだ。長谷部も審神者に声を掛けながらぺたぺたと穴を探している。

 背後では薬研が敵短刀を空中で砕き次の敵へと向きを反転し、鯰尾も獅子王達に迫る敵を次から次へと迎撃している。

 戦っている彼等だって消耗しているはずだ。何とか僅かでも隣接区域に繋がらないかと、獅子王は違う場所へと手を移した。

 直後、薬研と鯰尾が更に強く緊張の糸を張り詰めさせる。何があった、と振り向こうとした獅子王は周囲から漏れ出た言葉に警戒度を跳ね上げさせた。

 

「あれ、刀剣男士……だよな?」

「いや、にしては黒くない?」

「闇に紛れているだけじゃ……」

 

 何故、その言葉が真っ先に浮かんだ。()()は、流浪の鳴狐が殲滅したのを確かに見届けた。それなのにこちらへと来た理由は、それに黒いとは一体——

 

「——戦っている奴は全員構えろ、アレは俺達の敵だ!!」

 

 薬研の警戒を呼び掛ける大声は、果たして周囲のものに届いたのだろうか。

 背後から痛みに喘ぐ悲鳴と、混乱しているのがはっきりと分かる怒号が響き渡る。鋼がぶつかり合う音もした事から、薬研の警告はある程度届いていたと思いたい。それでも、その場は混乱とパニックに陥ってしまった。

 

「な、何だあれ!?」

「あんな黒い刀剣男士いたっけ!?」

「畜生、速い……!」

「薙刀までいるぞ、早急に対処しないと——ぐあっ!」

「嘘だ、あれが刀剣男士なんて、信じない!!」

 

 錯乱している声が行き交う中、歌仙は薬研と鯰尾に叫んで問い掛けた。

 

「薬研、鯰尾! 敵の構成は!?」

「見た所さっきと同じだ! 一体どうやってここまで来たんだろうな!」

「伯父さんが仕留め損なったとは思えませんし、亡霊にでもなって祟りに来たんですかね!」

「笑えねえよ、兄貴! こっちは何とかする、あんた達は気を散らすな!」

 

 澄んだ鉄の音が何度も何度も背後から聞こえてくる。振り向く事はせずとも、獅子王は思考を巡らせる。

 アレ——被験者達の成れの果ての肉体は全て、流浪の鳴狐が首やら脇やらを斬り使い物にならなくさせていたのを確かに見た。ならば何故、先程と同じ構成でここに来ているのだろう。また肉体を再利用されているのか、それとも本当に亡霊になってここに来ているのだろうか。

 破壊される——刀の命が絶たれる音がずっと止まない。その合間に、ざらついた雑音のような、地の底からする轟音のような雄叫びがする。薬研と鯰尾は大丈夫か。そう思って目線だけ後ろへと送ると——

 

「薬研、これまずいんじゃ……!」

「ああ、どう考えてもまずいな」

 

 鯰尾が焦燥に満ちた声でそう言えば、薬研も忌々しそうに同意した。

 ——「亡霊」の数が、大きく増えている。黒く揺らめく、闇すら飲み込む漆黒を纏うソレらは、刃の光沢さえも影の中に沈めていた。

 戦っている刀剣男士もまあまあの数はいるが、それでもこちらが押されている状況だった。薬研も鯰尾も中傷、早めに決着をつけなければ破壊されかねない。

 鯰尾が「亡霊」の刀を持つ腕を斬り落とす。刀が砂となり消えたと思えば「亡霊」の肩がうねり、まるで発芽するように腕が伸びていく。そして手には、元通りに漆黒の刀があった。

 

「ああ、ここに流浪の伯父さんがいたら……!」

「伯父貴も流石に想定外だろ、こんなの! 俺達に搭載して欲しいくらいの回復力だな!」

 

 どの部位を斬っても、あっという間に元に戻ってしまう。こちらは傷や疲労が溜まる一方。防戦するしかない不利が過ぎる戦いの中で、鋼の砕ける音は止まない。

 薬研の動きが、再び鈍り始めた。状態にして重傷、それでも彼は突破口を探そうと目を光らせている。鯰尾もまだ刃を構えているが、その腕は小さく震えている。

 

「薬研、大丈夫?」

「また、まずくなって来たな。兄貴は?」

「……俺も、正直やばい。早く境界開かないかなあ……」

 

 その声には疲労の色を隠せていない。二振り共そろそろ限界が近づいている。他の刀剣男士も疲弊しており、戦う事を諦めてしまっているものもいる。

 獅子王は感情のままに境界を押し込んでみるが、当然何の反応もない。歌仙は境界を殴りつけ、長谷部は審神者の顔色を見て悲しそうに顔を歪め、石切丸は小さく歯噛みする。

 ——ここで、終わりなのか。

 何も出来なかった事が悔しい、苦しそうに息をする審神者が悲しい、敵のやり口が腹立たしい。審神者を救えない無力な自分は勿論、こんな事になるまで審神者を追い込んだ敵にも、獅子王は波打つ感情を抑えられなかった。

 その感情のまま、獅子王は歌仙のように境界に感情を乗せて拳を叩き込んだ。

 

 ——はずだった。

 

 拳は空振り、獅子王は前に倒れる。背中の上に何かが落ちて来てぐえ、と声を上げてしまう。痛え、という低い声から薬研が乗っているのだと分かった。

 近くにいるはずの仲間を探す。歌仙も石切丸もうつ伏せになっていて、長谷部は審神者を庇うように横向きになっていた。鯰尾は石切丸の背中に倒れていた。

 何が、と思って境界があったはずの前面を見る。そして目を見開く。

 少し離れた場所に、刀剣男士が所狭しと並んでいたのだ。相手は傷一つなく、こちらを見ている事が辛うじて判断出来る程度にしか様子は分からない。

 ——先回り、されてたのか。

 獅子王はその光景を見て、諦観の息を吐く。刀剣男士達の表情は分からないが、全員こちらへ殺気を向けていたのだ。楽観視出来る程獅子王は耄碌していなかった。

 ——畜生、主だけでも逃がしたかったなあ。

 視界が滲む。意識さえも朦朧として来たのか、瞼が重たくなって来た。握る拳にも力が入らない。

 だから、最初はそれが幻聴だと思ったのだ。

 

「主。手前にいるぼろぼろの刀剣男士達、あれが?」

「そうだ、加州。……悲しいなあ、あそこまで追い詰めていたとは。政府に勤める者として嘆かわしいよ」

「そんな奴ら、ただで済ますつもりはないでしょ?」

「当然だ」

 

 何だ、その会話は。獅子王は訝しむ。その内容はまるで、自分達が救われるかのような物言いじゃないか。

 いや、信じてはいけない。だって、希望から叩き落とすのは、絶望させる常套手段だ。

 しかし、絶望を崩す言葉は紡がれ続ける。

 

「……皆不安そうにしているな、当然の事だが。では、そろそろ安心して貰おうか」

 

 そして、初老と思われる男性の命令は、獅子王達に決定的な光をもたらした。

 

「——総員に告げる。亡命者を保護し、敵を蹂躙せよ!」

 

 その命令と受けた刀剣男士達は凄まじい勢いでこちらへと駆けて——獅子王達の脇をすり抜けた。そして背後からは激しい剣戟の音。

 獅子王の下にとことこと足が近付き、目の前まで来ると白い脚が折り畳まれて膝が見えた。その脚の持ち主は獅子王に優しく語り掛ける。

 

「僕達は皆さんを助けに来ました。もう大丈夫です、敵は僕達がやっつけます。本当に、お疲れ様でした」

 

 白い脚は立ち上がり、鋭い声で「銃兵、構えて下さい!」と叫びながら刀装を展開した。見渡せば短刀達が銃兵を展開している。そして発砲し——敵を撃ち抜いていく。

 ——助かった、のか?

 そして白い脚は駆けて行き、その後に続き短刀達が走り抜けていく。起き上がり背後を見ると、短刀達が「亡霊」や時間遡行軍のレプリカを斬り倒していくのが、脇差と打刀が強力して斬り進んでいくのが、見えた。

 そして、息を大きく吐いている歌仙と石切丸が、審神者の容態を確かめている薬研と長谷部が、そして涙を流している鯰尾も、一様に安堵している様子が、見えた。

 光が、確かに差し込んで来たのだ。

 ——助かった。俺達、助かったんだ!

 獅子王は拳を握り、思わず天に向かって大きく叫んでいた。それはさながら、己の名を示す獅子の如く。

 目から溢れる物をそのままに、獅子王は叫び続けた。体力が尽きて倒れるまで、ずっと。

 

***

 

 雀の囀りが聞こえる。目の裏にある温もりに、優しい光を受けていると分かる。少し薬品の匂いがして、鼻がつんとする。全身が脱力している事から、自分は横たわっているのだろうか。

 目を開ける。白い天井がまず映った。視線を下にやると、ふかふかとした白い布団があった。頭を支える固さのある柔らかな物は枕だろう。背中にある物は反発があり、体の重みをいい具合に分散してくれる。

 どうやら自分はベッドに寝かされていたらしい。横を見ると窓枠から枯れている木が見える。枝の上に雀が留まっていて、ちゅんちゅんと歌声を披露している。

 ゆっくりと起き上がる。周囲を見渡すと、ここは個室ではなく、自分は窓際のベッドで寝かされていたと判断出来た。他の五つのベッドは既に空で、寝具が乱雑に畳まれていたり、きっちり畳まれていたりと様々だ。

 体は問題なく動くようだが、まだ疲労が抜けていないと文句を言っているように思える。それでも動かねばなるまい。

 よっ、と足をベッドの外に出して履物を探す。そこまでして、体はどうなっているんだと思い至る。

 体はいつの間にか清められていた。服装は水色の検査着。ベッドの横にあった履物は、「交喙病院」と記されたスリッパだ。それを履いて、獅子王は部屋の外へと向かう。

 

「おっ……と」

「悪い、大丈夫か……って」

 

 ドアに手をかけようとした途端、ガラリとドアが開く。目の前に現れたひとにぶつかりそうになって謝ろうとしたが、菖蒲色の頭を見て改めて言葉を繋げた。

 

「悪い、歌仙。大丈夫か?」

「……」

 

 黙り込んだ歌仙にどうしたんだ、と声を掛けようと顔を覗き込み——獅子王は言葉を失った。

 彼の顔からは、一切の表情が抜け落ちている。雅じゃないと嘆く顔や、風流を喜ぶ笑顔でも、戦に行く時の気を引き締めた顔、どれでもなかったのだ。

 本当にどうしたんだ、と言おうとして——獅子王は、審神者の事に思い至った。

 

「そうだ、主は? もう目を覚ましてるのか? なら挨拶に行かないと——」

「獅子王」

 

 そこでようやく、歌仙は表情を変えた。——今にも泣き出しそうに、目を伏せて唇を震わせる。

 獅子王の中で、不穏な予感が湧き上がる。歌仙はその予感を肯定する事実を、口にした。

 

「四振りには伝えたけど、準備が出来次第集中治療室前に来てくれ。——主は、今日が山だそうだ」

 

 獅子王の視界が、真っ白に反転する。

 希望から叩き落とすのは、絶望させる常套手段だ。それを知っていた、はずだったのに。

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