空隙の町の物語   作:越季

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14-12「witness/石切丸『あさぼらけ』(後)」

 道中でもハルカに煽られ、その度に一発食らわそうとして躱されあるいは殴り飛ばされた。春光隊の面々が猩々木庵という居酒屋に到着する頃には体は破壊寸前(長谷部以外)、心もすっかり疲弊してしまっていた。こちらの攻撃がハルカに一切通じておらず、飄々とした態度でいられるのもかなり腹立たしい。男——サトルが逐一姉を止めようとしていたのが救いだ。これでサトルもまともに話が出来ないような存在だったら、春光隊は二人から逃げていただろう。

 

「着きましたよ。……糞姉貴大概にしろ、こっからは仕事だろうが!」

「言われなくても分かってるわよ、愚弟」

 

 まだ営業時間ではないらしいその居酒屋は暖簾が掛かっていない。代わりに「準備中」の看板が掛けられている。それをない物とするように、姉弟は店の引き戸をガラガラと開けた。春光隊も顔を見合わせて店内へと入る。

 店内には当然ながら人はおらず、電気も点いていないのでどこに何があるか分かり辛い。何かにぶつかったので恐る恐る触ってみると、それは木製のテーブルであるらしかった。カチカチ、と音がしてしばらくすると、店内奥の電気が灯り僅かに視界が明るくなる。手を触れさせていたテーブル周辺もほんのりと見えるようになり、石切丸はテーブルの間を慎重に進む。

 

「奥にある一番の部屋で話しましょう。こっちへどうぞ」

 

 姉は何処へといなくなったらしく、弟が春光隊を先導する。静かにその後をついて行くと、襖に数字が書かれている個室が並んだ一角へと辿り着く。各部屋に式台があり、六振りは一番の部屋の式台に座って履物を脱いでから部屋に入った。

 部屋の中に入ってすぐ、縦に二つ繋げた大きな机が目についた。床の間はなく、壁におすすめのメニューが書かれている紙が貼られているだけだ。向かって左側に並んで座る。それを見届けて、式台に立っていたサトルが飲み物を取って来ます、と言って座敷の前から去って行く。

 

「……今の内に、聞きたい事を纏めようか」

「そうだな。長谷部、しっかり覚えとけよ。基本的に聞くのはお前だからな」

「えっ」

「あの女、絶対に俺達の質問に答えないだろうしな。気に入られている長谷部が情報を引き出すのが一番いい」

「えっ」

「弟からも話は聞けるだろうけど、基本的に情報を握っているのは姉の方だろうからね」

「長谷部さん。緊張しているだろうけど、そういう時は落ち着いて深呼吸するんだよ」

「が、頑張る……」

 

 そうして六振りが聞きだすべき事を纏め、長谷部に質問事項を叩き込んでからしばらく。姉弟が水を四つずつ盆に乗せて襖を開けた。

 

「はーい、お水をお持ちしましたー!」

「うっわ、キモ……」

「愚弟本当後で覚えてなさいよ」

 

 睨み付けられたサトルはへいへい、と流して水が入ったコップを六振りの前に並べて行く。最後に自分達の分を反対側に置いてからサトルが座るとハルカも彼の隣に座り、ニンマリとした笑顔で切り出した。

 

「……さて、じゃあ『お話』を始めましょうか。トシキ君、何から聞きたい?」

「えっ、えっと……」

 

 長谷部はその底知れない笑顔に震えながら恐る恐る尋ねる。

 

「——まずは、俺達のいた区域の上層部がどうなったのかを」

 

 

 六振りがハルカに求めた情報は以下の通りだ。

 愛甲区域の上層部はきちんと処断されたのかどうか。

 そも、この「町」の情勢はどうなっているのか。

 他の生き残りはどのように行動しているのか。

 この「町」にも、長谷部のような存在はいるのかどうか。

 政府の提供する土地ではない、具体的に言えば六人が住める程度の建物はあるか。

 働き口は、この「町」にあるのかどうか。

 ——求めた情報を、ハルカはとても正確に提供してくれた。

 

「愛甲区域の上層部は大多数はきちんと粛正されたけれど、一部は賄賂を出して名前を変えこちらに潜り込んだ奴もいるわよ。私としては見苦しい以外の何物でもないけれど。という訳で、この『町』はそんな奴等が潜り込んでいる事以外は基本的に平和ね。逆に言えば、それが火種となって燻っているのだけど。こちらに逃れたものは、絶望して死を選んだり、精神崩壊を起こしたり……後一つは、他の質問に関わるからその時に話すわね。トシキ君はお友達が欲しいの? 勿論、貴方のように神へと抗った存在はいるわ! 残念な事に孤独に押し潰されて死んでしまった存在もいるから、私としてはその前に彼等と接触したい所なの。けど、看板娘としての仕事が中々忙しくてね。本当、人気者は大変——」

「腐った寝言は寝ても言うな糞姉貴。それと、話が逸れてる」

 

 サトルを肘で小突いてから、ハルカは話の筋を元に戻した。

 

「この区域にはね、大迷宮と呼ばれる森があるの。さっき話した逃れたものの一部はここに潜んでいるわ。その更に奥、通称『家の墓場』と呼ばれるゴーストタウンの成れの果てが流れ着いた場所があるの。そこにトシキ君が求める建物候補は沢山あるわ、今も空いていたらだけど。でも気を付けてね。迷宮と呼ばれるように、森の中は時空の乱れが激しいの。うっかりしてたら、とんでもない場所に飛ばされちゃうわ。特に『家の墓場』は本っ当に時空の乱れが尋常じゃないから、変な気配を感じたらすぐに建物の中に入るか、走って通り過ぎるのよ。それと森の中には政府も中々入り込めない事から、政府に仇なすごろつきや政府に疑問を持つ人達で溢れているの。トシキ君なら大丈夫だろうけど、くれぐれも気を付けてね」

 

 ハルカの話を、長谷部は頷きながら聞いている。しかし彼女が他の五振りに目もくれてない事が不快なのか、少し顔をしかめていた。長谷部の隣に座る歌仙が小さく耳打ちすると、長谷部は渋々といったようにした後に表情から不満を消した。顎を組んだ手の上にのせて目を細め、ハルカは話を続ける。

 

「生活するのにお金も必要だって分かってるトシキ君は本当に立派だわ。時々人員募集もあるから、城下町の掲示板を見るといいんじゃないかしら。それと森の中にはがらくたが沢山落ちて来るから、それを売って生計を立てている森の住人もいるわ。後でがらくたを買い取っている割と良心的な業者の連絡先も渡すから、働くのがまだ大変だと感じたらそのやり方も考えて見て」

 

 長谷部はこくこくと神妙に頷く。それに満足そうに笑んでから、こんなものかしらねと組んでいた手を解いた。それから顔を長谷部に近付け、いかにも浮き立っている様子で長谷部に問い掛ける。

 

「トシキ君、他に聞きたいことはある? 何でもいいわよ、例えば神を従えさせる方法とか」

「んなもん幼気な子供に吹き込むな糞姉貴!」

「……あの、じゃあ一つだけ」

 

 制止させようとサトルに腕を引かれて苛立った顔をするハルカに、緊張しながら長谷部は気になった事を一つ尋ねた。

 

「……火種って、何なんですか」

 

 ぴたり、とハルカが停止する。それを見てあちゃあ、とサトルが天を仰いだ。

 一体何が起こったんだ、六振りがそう顔を見合わせていると——ハルカがくつくつと不気味な笑いを漏らし始める。

 

「——よくぞ聞いてくれたわ、トシキ君!」

 

 そして立ち上がり腕を大きく広げて、高らかな声でそう叫んだ。

 もしかしなくても、いらない事を聞いたのではないのか。青ざめる長谷部と嫌な予感をひしひしと感じる五振りは、だが昂るハルカを止める事はかなわなかった。

 

「この『町』は光射す場所は至極平穏、けれど光の届かない場所ではそうではないの! 例えばこの『町』にもある研究所、そこでも愛甲区域のそれと似たような、表に出れば悍ましいとされる研究が行われているわ! 大多数の被験者は神に負けてしまうけれど、でももし神に打ち勝った存在が現れたら——ああ、ゾクゾクするわ! きっとその存在は、神に挑まずにはいられなくなるのよ! 同胞が増える、とても喜ぶべき事だわ! それともう一つ、上層部に潜り込んだ断罪を逃れた者から発する火種は、着実に彼等に害された神々をどす黒い感情で満たしているの! ああ、ああ、楽しみ、とても楽しみだわ! 神々が醜い感情に踊らされている間に、神々に挑戦するものも増えていくの! これを喜ばないで、いつ喜ぶというのかしら!!」

 

 恍惚として頬を染め身を捩り、大声で流れるように語るハルカ。その様子に六振りは顔を強張らせて引いている。

 頭を抱えていたサトルは億劫そうに姉を横目で見て、なおも気持ち良さそうに語り続ける彼女に聞こえないよう、声を潜めて六振りに伝えた。

 

「……糞姉貴が話している神への対抗論の九割は真に受けないで欲しいっす」

「あ、ああ……残りの一割は?」

「そこが頭の痛い所で……」

 

 石切丸が聞くと、重たいため息を吐いてサトルは残り一割の危険性について説いた。

 

「……確かに、粛清を逃れた奴に復讐心を抱いている刀剣男士がいるのは事実なんすよ。その刀剣男士が何か企んでいるかも分からない、それこそ反逆行為を行っても不思議じゃないんす。それに被験者の大多数は記憶が消えるんすけど、一部は刀剣男士の力しか定着出来なかった存在がいるんすよ。非道な実験の被験者なら、性格が歪んでいてもおかしくないっす。もし、その二者が結託したら……」

 

 ごくり、と唾を飲み込んでいた。その言葉の先を、サトルは口にしなかった。けれど、分かる。

 ——きっとこの『町』は、ただでは済まないだろう。多くの被害が出るかもしれないのだ。建物にも、刀剣男士にも、無関係な人間にすらも。何故それを歓喜に満ちた様子でハルカが語れるのか、理解が出来ない。

 

「……当たって欲しくないんすけど、糞姉貴の予測は当たるからなあ……皆さんも、こういう事があるかも、というのを頭に留めておいた方がいいかもしれないっす」

 

 物凄く嫌そうにそう忠告するサトルに、六振りは頷く。その予測が永遠に当たらないでいて欲しいと、願いながら。

 

***

 

 そして、現在。情報屋姉弟と別れた六振りは森の奥へと分け入って、「家の墓場」にある一軒の家の前に辿り着いた。

 少々崩れている個所もあるが、状態はいい方だと言えるだろう。六振りはほぼ迷いなく、この家を本丸として使う事に決めた。

 玄関のドアノブを握って引いてみると、鍵は掛かっていなかった。けれど下駄箱の上には、ちょこんと鍵が置かれていた。ドアの鍵穴に差してみると、ぴったりとはまり込んだ。

 歌仙が振り返って、五振りに告げる。

 

「よし、新生春光隊はここから発足だ。まずはこの本丸になる家を修復していこう!」

「おーっ!」

 

 腕を思い切り天に突き上げ、春光隊は生活する為の一歩を踏み出した。

 

 

 トンカン、トンカンと屋根から釘を打つ音がする。よいしょ、と言いながら獅子王が古い畳を持って外に出て行く。石切丸がサッシを持って本丸(になる予定の家)に戻ると、歌仙が中から出てきておかえり、と声をかける。

 

「交換する窓はいつ……あ、出来ているのか!」

「割と早くやってくれたよ。小判を持って来ておいて本当によかった」

「寝室や居間の以外の窓もやってしまいたいけれど、取りあえずはね。取り付けて貰っていいかい?」

「任せてくれ」

 

 石切丸がリビングの窓を上辺からはめ込み取り付けると、内側の壁の修復をしていた鯰尾が感嘆の声を上げる。

 

「流石大太刀、力仕事はお任せですね!」

「おいおい、俺も太刀なんだけどなー鯰尾ー?」

「わあ獅子王さんいつの間に! いや今のは言葉の綾ですってー!」

 

 わあわあとはしゃぎ出す明るい二振り。片方はヘラを持ち、もう片方は新しい畳を持っているという、何とも珍妙な組み合わせだが。

 騒ぎを聞きつけたのか、薬研がトンカチと木材片手に上からトンと着地して本丸の中を覗いた。

 

「兄貴、獅子王。楽しそうなのはいいが程々にな。あんまりばたばたすると床が抜けるかもしれねえし、工具振り回すのも危ねえし」

「床が抜けるのは嫌だ! 獅子王さんすみません!」

「そうだった、畳! 工具は当たってないから気にすんな!」

 

 慌ててヘラを引っ込め謝罪する鯰尾と、それを許してから畳を張り替える為に和室に消えていく獅子王。その様子を見て、石切丸は微笑んだ。

 ——明るくて、いい雰囲気だ。家族っていうのは、こういう物なのかな。

 

「いいよなあ、この感じ」

「うん、今はまだ慌ただしいけれど……その内、馴染んでいくんじゃないかなあ」

 

 薬研とそう穏やかに笑い合う。薬研も今は屋根の修理に励んでいるが、いずれ一つの部屋に集まって眠る事になる。その時が楽しみだと、純粋にそう思えた。

 リビングで端末を操作していた長谷部はぐったりしながら、にこやかにしている二振りに近付いた。

 

「つ、疲れた……」

「長谷部、お疲れさん。本丸の登録は出来たか?」

「出来たけど、いちいち空間座標を入力しなくちゃいけないのが面倒で……。コピーして貼り付けられたから良かったが、そうじゃなきゃ発狂してたな」

 

 遠い目をしている長谷部に、石切丸も労いの言葉をかける。

 

「お疲れ様。私達も、もう少ししたら休憩にしようか。窓を交換したついでにおやつを買ってきたから」

「おっ、いいねえ。ちなみに何を買ってきたんだ?」

「ぱてぃすりーがざにあという洋菓子店の、ちょこれーとけーきを六つだ。一番安い菓子だけど、今はお金を大事にしないといけない時期だからねえ」

「ケーキ! やった!」

 

 一番安いケーキでも幼子のようにぐっと拳を握る長谷部に、とても微笑ましい気持ちになった。彼の頭を優しく撫でると、長谷部は訳が分からないといった顔をしていて、それが少しおかしくて石切丸は思わず笑みを深めてしまった。

 

 

「うーん、この時期にしては布団が薄いですね」

「布団があるだけマシだぜ、兄貴。下手したら布団なしで雑魚寝、なんて事もあり得たんだからな」

「それもそっか。今は贅沢言えないね」

「石切丸、大丈夫?」

「……少し足が飛び出ているかな……」

「大太刀は大変だよなあ……新しい布団を買う為に、明日からも頑張ろうぜ」

「皆、そろそろ電気を消すよ」

「はーい、お休みなさーい」

「お休みー」

「お休み」

「……お休みなさい」

 

 そんなやり取りを経て消灯した後の夜更け。石切丸はやはり足が寒くて寝付く事が出来ない。疲れによる眠気があるのに、それを寒さが邪魔しているのだ。

 少し体を動かそうと考えて体を起こすと、長谷部がいるはずの布団は空だった。彼も寝付けないでいるのだろうか。

 布団を敷いているリビングから、玄関に向かいドアを開ける。外に出てもこの辺りは月が見えにくい。空を見ようとしても、見えるのは木々の枝と生い茂る葉だけだ。

 散策がてら、本丸の周囲を歩く。やはり周囲には木々があるのみで、時折落ちているがらくた以外には余り変わり映えしない光景だった。

 しかし、しばらくするといきなり強い光が差し込んでいる場所に出る。一瞬目が慣れなかったが、少し経つとそこは木々に月光が邪魔されない場所なのだと分かった。

 そこに、長谷部はいた。月をただ見上げて、何もせずに佇んでいる。ぼんやりとしている彼に声をかけるのは憚られたが、石切丸は穏やかに彼の側へと寄った。

 

「長谷部さん、君も眠れないのかな?」

「……石切丸か。むしろ()は、夜に動く事が多いんだがな」

 

 勝ち気な目をする彼に、思わず息を呑んだ。——「長谷部」が、久々に表に出ている。現れたのは、六振りで泣いたあの日以来だろうか。

 けれど、「長谷部」だって大事な仲間なのだ。滅多に表に出ない彼と交友を深めるチャンスが来たのだろう。

 石切丸はそうだったねと笑って見せ、「長谷部」に尋ねた。

 

「あの子は、眠っているのかな?」

「ああ。気を張っていたのだろう、微動だにせずぐっすりだ。……俺も、と尋ねたということは、やはりお前は寒さで眠れなかったか」

「そうなんだよね、少し体を温めようと思って散歩をと。長谷部さんは?」

「上を見てみろ」

 

 長谷部の言う通りに空を見上げる。そこに広がっていたのは、満天の星。黒い布の上に沢山の宝石をばら撒いたような星空の中、満月が自分こそが主役だと言うように光り輝いていた。

 思わず見とれてしまう。この深い森の中で、こんな場所があったのか。ほう、と息を吐いていると、長谷部が寂しそうに話し始めた。

 

「……トシキは親友と、この星空を見上げていた」

「え?」

「この空を見ながら、いつか妹と共に親友と旅をしようと言っていたんだ、希望を持ってな。……俺はその親友を、殺してしまった」

「それは……」

 

 その話は聞いている。認識を改変する薬を投与された「長谷部」は、敵だと思い込んで「彼」の親友を殺めてしまったと。けれど、それは騙した人間が悪いと結論が出たはずだ。

 長谷部は首を振り、哀惜を目に湛えて目を伏せた。

 

「分かっている、皆は俺を悪くないと言ってくれている。それでも、もし俺が騙されなかったなら、もう少し強かったなら。そうすれば今頃、トシキは親友と共に旅をしていたんじゃないかと思ってしまって……トシキの妹である主ともその道中で再会出来て、心置きなく過ごせると……。当然、たらればの話だ。どうしたって死者は蘇らないし、時を戻す事は決して許されない。でも、もし、俺がもう少し強くて、あの情報屋の言う通りに、トシキに力だけを与えられていたなら……」

「それは違うよ、長谷部さん」

 

 吐き出される言葉を石切丸は遮った。苦しみながら己の傷を抉るその様を、見ている事など出来なかった。どこか怯えたように顔をこちらに向けた長谷部に、石切丸は真剣な表情で相対した。

 

「君も言った通り、君がその親友を手にかけてしまったのは、怪しい術にかけられて操られてしまったからだ。君に罪はないとは言えないけれど、罪は操った人間の方が重いだろう。それに君がいたから、あの子は正気を保てたんだ。苦痛も後悔も身代わりになって受けていた事が、君の罰だと思おう。……騙された事で自分の存在を否定するなんて、余りにも悲しいだろう?」

「……」

「君だって大事な『家族』だ。だから私は、君の事も大事に思っているよ。どうか、それを忘れないでいて欲しい」

 

 長谷部は石切丸を見上げた後、ただ悲しそうに俯き目を閉じた。

 分かっている、長谷部の心は晴れていない事など。こんな一言だけで彼の心が癒えるのなら、審神者が生きていた頃にはとっくに吹っ切れていたはずだ。

 ——全ては、これからだ。時間はいくらでもあるのだから、ゆっくりとやっていこう。

 決意を新たにした石切丸は、再び空を見上げる。丸い月はいつかの日と同じように、優しく光を放っていた。

 

***

 

「えー本日、獅子王さんと俺は無事初給料を受け取る事が出来ました! これもひとえに皆で支えてくれたおかげです、本当にありがとうございます……あーもう長い前置きはいいや! 初給料日と春光隊の繁栄と幸福を祈って、かんぱーい!」

「乾杯!」

 

 鯰尾の音頭で、一斉にコップを合わせる。チン、と鳴るガラスの音が澄んで響いた。

 少しだけ豪勢な料理を詰めた小さな御重箱。それをを食卓に並べた、ささやかなパーティー。それは鯰尾の言う通り、アルバイトの初給料日を祝う物だった。

 基本的に金銭は遠征で集められる。だが鯰尾と獅子王がそれでもアルバイトに向かったのは、この「町」の情報収集も兼ねていた。

 何せ城下町付近にある森で暮らすのだ。買い出しだって政府の用意した万屋や業者を通してではなく、城下町に住む人間向けの店で行う。「町」で暮らしていく為に、持っている情報は少しでも多い方がいい。

 本丸の家事を総括する歌仙、見た目から採用を拒否されるだろう薬研、人間不信気味の長谷部、少々浮世離れしている石切丸。彼等がアルバイトに向かう事は無理なので、人当たりのいい鯰尾と獅子王がアルバイターとして選ばれたのは必然だった。

 結果、彼等は想定以上の仕事を果たしてくれた。

 接客業や裏方仕事を中心としたアルバイトの中で、鯰尾はするりと滑り込むようにバイト先の人間の心を掴み、獅子王はその人懐っこさから中年の女性が多い職場で愛された。そして、様々な情報を引き出す事に成功したのだ。

 身近な物でいえばスーパーや食材店の安売り日をはじめとした生活に必要な情報、注意すべき物としては城下町に降りて来る審神者や政府の人間、刀剣男士周辺の情報。そしてこの「町」で起こっている出来事。眉唾物の話も当然あったが、集めた情報をすり合わせてこの「町」の状態を把握する。

 そうして導き出された結論は「情報屋姉弟が火種ありと言っていたように懸念すべき事柄はあるが、平穏と言って問題なし」となった。政府に積極的な敵対行動を取るつもりもない春光隊にとっては、取りあえず平和に過ごせる環境だと判明した事は大きな収穫だった。

 おまけに労働の報酬として給料まで受け取れるのだ、換金する必要のない金銭を受け取れるのも素晴らしい事だった(遠征で集めた金銭は両替商に交換して貰わねばならないので)。

 御重の中身を見た獅子王が、美味だと分かり切っている詰め込まれた食事に歓喜の声を上げる。

 

「おっ、唐揚げ! 流石歌仙、どれも美味そうだな!」

「長谷部も手伝ってくれんだたよ。美味しい物を作ってあげたいと言ってね」

「わあ、長谷部さんもありがとうございます! その気持ち、とっても嬉しいですよ!」

 

 鯰尾が御重を覗いてから長谷部に明るく礼を述べる。長谷部は率直な感謝の言葉に、少し縮こまってはにかんだ。

 

「歌仙のように上手くはいかなかったけどな。……でも、喜んでくれたのなら良かった」

「そりゃ嬉しいに決まってるだろう、なあ獅子王?」

「おう! ありがとなー、長谷部!」

「わああああ! 何でいちいち撫でるんだ!」

 

 わしゃわしゃと獅子王に撫で回された長谷部は顔を真っ赤に染めて喚き出す。薬研はあっはっは、と笑い声を上げてかまぼこを摘んだ。

 石切丸も煮豆を箸で拾い上げて口に入れる。そしてここ一か月で、本当に絆が深まったと感じていた。

 

 この本丸を完全に使えるようになって、そして鯰尾と獅子王がアルバイトに出て情報を集めている間にも、やる事はたくさんある。

 例えば、生活に必要な家具や電化製品の収集と購入。がらくた置き場に行って拾って来たり、減っていく小判に頭を悩ませながら購入したりして本丸の中は充実していった。落ちている家具は洋風の物ばかりだったので歌仙は少し不満そうだったが、しばらくしたら慣れたと言って笑っていた。石切丸も神社とは程遠い環境に、最初は新鮮さと困惑を覚えていたものだ。

 例えば、炊事や洗濯などの家事。せっかく見つけ出したレンジを生卵を温めた事によって爆発させたり、洗濯機を使用した時洗剤を入れ過ぎた事によってぬめりが残ってしまったり、新しい型の給湯器に慣れずに浴槽から湯を溢れ出させてしまったり。失敗も多かったが、それでも時には歌仙に叱られ、時には頭を抱えたりしながらその度情報を集めてやり方を覚えていった。

 そして、そんな日々を過ごす中で——

 

「石切丸さん、俺も一緒に祈祷していいですか?」

「勿論、構わないよ」

 

「今日あのおばちゃんが『頑張っているからおすそ分け』って饅頭くれたんだよ!」

「良かったなあ。しかも俺達全員分か、休みの日にでも皆で食べるか」

 

「そうか、君の境遇だと歴史をあまり知らないか。じゃあ後で一緒に歴史書を読もう」

「ありがとう、歌仙」

 

 ——確かに、春光隊の面々と話をする機会に恵まれるのだ。かつての本丸であまり話していなかった相手と、こうして仲を深めるのは「家族」になるのに必要な事だ。そして相手を少しでも知れる事で絆が生まれるのも、とても大切だ。

 長谷部以外の五振りに共通してあるのは「自分の希望の為に、長谷部達に幸せになって貰いたい」という願いだった。最初はそれだけの繋がりだったかもしれない。

 

「短刀に懐へ入られると危険だね、出陣する時は改めて気を付ける事にするよ」

「逆に大太刀の間合いだと短刀はなす術なし、と。ありがとう石切丸、いい学びを得られたよ」

 

「あーっ、また負けた! 長谷部げーむ強すぎないか!?」

「いや、獅子王もいい筋してると思うけど……何度かひやりとさせられたし」

 

「……お菓子作りって凄く難しいですね」

「まあ、本職になる訳ではないから。楽しく美味しく出来ればそれでいいんだよ」

 

 けれど、こうして過ごす中で新たに生まれる物もある。それがとても尊くて——嬉しかった。

 きっとこうして、ばらばらだったもの達が「家族」になっていくのだろう。その先にあるのが、希望に満ちた物であるといい。

 笑顔に満ちた場所で、皆で明るい明日を祈ろう。そうして日々を過ごしていけば、きっと——

 

「……石切丸? 聞いているかい?」

 

 歌仙の声で、回想から浮上する。箸が口元に当たったままになっている。煮豆を口に運んだ後、ぼうっとし過ぎたようだ。

 どうしたのかな、と尋ねようとすると、歌仙は既に石切丸の方を見ていなかった。見ている方向は——

 

「……聞いて欲しい事がある」

 

 長谷部が、至極真剣な声と表情でそう切り出した。一体何事なのだろうか。

 ひょっとしたら、また消えたくなってしまったとかそういう事なのか。話を聞かない限り分からないだろうと、石切丸は真面目な顔にして長谷部のいる方を向いた。

 

「俺はやっぱり、鳴狐みたいになりたい。鳴狐みたいに、苦しんでいたり悲しんでいたりするひとの力になりたいんだ。そうしたら、きっと皆とちゃんと笑えるようになる気がして……ずっとずっと考えてた。俺は、泣いているひとを放って置きたくない。()()して、いい事も悪い事も考えて、それでもやりたいと思ったんだ」

 

 石切丸は目を見張る。強い意志を感じさせる眼光を、長谷部は放っていた。

 相談した、という事は「長谷部」もこの決意を知っていたのだろう。長い間悩んで、相談して、考えを肯定されたから長谷部はこうして話しているのだろう。

 ——他の被験者の力になりたいという、決意を。

 

「やってみてもいいんじゃねえか? お前がよくよく考えてやりたいと思うなら、一度実践してみたらいいと思う」

「生活基盤も安定してきたから、始めてみてもいいんじゃないかな。その心意気やよし、だ」

 

 獅子王と歌仙は、そう言って賛成した。長谷部がやりたい事を言ったのは珍しく、それを叶えてやりたいと思ったのだろう。

 生活基盤も確かに安定して来ているし、しっかりとした決意を持っている彼に賛成する意見は分かる。だが——

 

「……俺は、正直反対です。皆が皆、長谷部さんや伯父さんみたくいられていないかもしれない。それで長谷部さんが不用意に傷付くのは、嫌です」

「賛成してやりたいが、俺も反対だ。長谷部、あんたまだ精神が安定しているとは言えないだろう。やるにしてももう少し時機を見てからにした方がいい」

 

 鯰尾と薬研は、長谷部の精神状態を鑑みてそう反対した。それは、石切丸も憂いていた事だ。

 長谷部の精神は不安定だ。急に泣き出したり、落ち込んだりと負の感情が振り切る事もあるのだ。ちょっとした衝撃で長谷部のメンタルはぐらぐらと揺れる。そんな彼に、果たして力になる、という大きな仕事が務まるのかどうか。それもまた、目を逸らせない大きな問題だ。

 

「石切丸。君はどう思う?」

 

 歌仙がそう言って石切丸に振ってきた。認めるのか否かを尋ねる視線四つと、自分の決意を受け入れられないかもしれない不安そうな視線が一つ。

 長谷部のやりたい事をやるといいと言う賛成派の意見も、長谷部の精神状態が不安だと言う反対派の意見も分かる。石切丸は目を閉ざして、思考を巡らせる。

 やりたい事をやらせたいが、大きく傷付くのは避けたい。まとめると、こういう事だ。

 そして石切丸は思う。五振り共、()()()()()()()()()()()、と——

 

「……確かに、長谷部さんの精神は不安定だ。それは大きな懸念事項で、その点はどうしても見逃せない」

「……じゃあ……」

「だったら、()()()()()()。何も、ひとりだけでやるという心積もりではないだろう?」

 

 四振りがはっと息を呑む。まさに今その事に気付いた、というように。

 そう、何もひとりだけでやる必要はないのだ。精神的負担だけでなく、肉体的負担だってあるのだから。一緒に活動する事で負担だって減るはずだし、精神的ショックも緩和されるかもしれない。

 きっと、困っている被験者はそれなりの数がいるだろう。彼等全てを救うには、肉体一つでは到底足りない。

 

「長谷部さんに何かをやろうという気力が湧いているんだ、私は出来る限り叶えたい。けれどひとりでは限界があるだろう、心身共にね。だから『私が手伝うのを受け入れる事』という条件付きで、私は長谷部さんに賛成するよ」

 

 長谷部は驚愕に口をぽかんと開けている。本当に、ひとりで全部やるつもりだったのだろう。そんなのは、末席でも神である自分にだって無理だというのに。

 鯰尾は俯いていた顔を上げて、力強く宣言した。

 

「前言を撤回します。俺も条件付きで賛成です——俺も手伝います、それを呑んで下さい」

「……そうだな、俺も協力する。だから俺も、条件付きの賛成に変更だ」

 

 続けて薬研も、そう言って微笑んだ。長谷部は口を開いたまま二振りを見つめる。反対意見が条件付き——しかも長谷部にとっては都合のいい——の賛成に変更されたのだ。いきなりの事で、どうすればいいのか分からないのだろう。

 獅子王と歌仙も、それに続けて頷いた。

 

「俺も手伝うぜ! そうだよな、ひとりだけでやるのは大変だ。出来る事は何でも言ってくれよ!」

「僕も協力しよう。長谷部の願いを叶える為には何だってしようじゃないか。——『家族』だからね、それくらい当然さ」

 

 決は取れた。——全員、条件付きの賛成だ。長谷部は潤んでいた目を見開いて、泣きそうになる自分を律するように首を振ってから、心からの笑顔で言った。

 

「——皆、ありがとう」

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