空隙の町の物語   作:越季

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第十五話「ざあざあと、じめじめと」
15-1「現れた令嬢」


 木々に水の弾ける音が響いている。木々の集まりである森を包むのは、ざあざあと灰色の雲から降りている水滴のカーテン。町を覆っているその雨雲は、ひとびとの活動を阻んでいる。森の中に住まうものも当然、雨雲が通り過ぎるまで静かにやり過ごそうとする存在がほとんどだ。

 ——そしてそれは、森の最奥にある本丸も例外ではない。

 春光隊の鯰尾は、拾ってきた漫画を閉じて窓の外を見やる。天気予報によれば、太陽が顔を出すまでまだまだ時間がかかるらしい。洗濯物が乾きにくいのは勘弁だなあ、と鯰尾はぼんやりと息を吐いた。

 静かに襖が開かれ、中から秋田が目を擦りながら現れる。鯰尾が気づいた時にはもう、秋田はあくびを押し殺してからリビングに足を踏み入れていた。ソファーに座っている鯰尾に、秋田は小さく頭を下げて礼を述べる。

 

「ありがとうございました、疲れは取れたみたいです」

「そっか、良かった。小夜と五虎退は寝てる?」

「はい。……小夜君は、魘されていましたが」

「小夜はまだ様子見だね……納得出来る答えが見つけられるといいんだけど」

 

 物憂げに鯰尾がそう言うと、秋田は少しだけ目を逸らす。

 ——納得出来る答え。それを見つけなければならないのは、自分も同じだ。けれど、かつて輪の外から見ていた光景が、輪の中にいるもの達の冷たい目が、秋田の思考を濁らせる。最後にはぐちゃぐちゃになって、悲しいような恨めしいような痛苦に襲われるのだ。

 このままではいけない。それは秋田が、一番よく分かっていた。

 

「秋田も焦らないでね。心は制御出来ない時もあるし、その心とどう向き合うかも肝要だから。ちょっとずつ、ちょっとずつだよ」

「分かり、ました」

 

 秋田の表情が歪むのを見て、鯰尾は漫画を横に置き優しく目を細めた。気を遣われてしまって申し訳なさが募るが、秋田は様々な感情を奥底に沈めて鯰尾と目を合わせた。

 鯰尾は秋田に再び微笑んでから立ち上がり、ソファーの正面にあるテレビに向かう。辿り着くとテレビの前でしゃがんで、テレビ台の収納を漁り始めた。

 

「秋田、何か見る? 色々録画してあるから何か好きな種類の番組があれば探すよー」

「え、えっと、今は晩ご飯の支度中では……」

「気にしない気にしない! あにめもどらまも何でもあるよー。俺としてはこの食堂楽物のどらまがおすすめかなー」

「手伝った方がいいのでは……」

「必要になったら向かえばいいよ、厨も全員入れる程広い訳じゃないし。……あれ? そういえば獅子王さんと石切丸さん遅いなあ」

 

 ふと顔を上げて、鯰尾が首をかしげる。

 獅子王と石切丸は、現在外出中である。何か用事があったらしく、秋田が泣いていた時に慌ただしく外へ出て行ってしまったのだ。それからかなり時間が経つ。寄り道をしているにしても、かなり遅い時間だ。

 秋田がおろおろとしていると、鯰尾は大丈夫だよ、と朗らかに言った。

 

「獅子王さんも石切丸さんも強いし、そんじょそこらのごろつきじゃ相手にもならないよ。ちょっとしたいざこざが起こったんだと思うんだけど……でも、二振りなら大丈夫だから」

「……そうでした、強いんでしたよね」

「うん。でも連絡一つ出来ないって一体どういう状況——」

 

 鯰尾がそう訝しんでいると、ピロンという軽い電子音が響く。つい肩を跳ね上げさせてしまった秋田に、鯰尾がパーカーのポケットから端末を出して振って見せた。

 

「ごめんごめん、音大き過ぎたね。多分二振りからの連絡が入った音だ」

「……すみません、僕も反応がオーバーで」

「気にしなくていいよー、それで二振りはどうして遅くなったの、か……」

 

 にこにこと端末を見ていた鯰尾の顔が、次第に強張っていく。端末をポケットにしまうと弾けるように台所へと向かい、緊迫した声で告げた。

 

「歌仙さん、久々の利用者が来ます! ——はい、雲霄隊の……詳しくは端末を見てください、食事も一食分追加で……分かりました、出迎えの準備をしてきます!」

 

 必要な事を伝えてから鯰尾はまた勢いよく動き出す。ソファーの上にあった漫画を掴んで階段を駆け上り、二階からドタバタと音を立てて一階にいる秋田に事態の急変を知らせていた。

 秋田が恐る恐る階段に近づいて階上を見上げる。直後にバタバタと慌ただしく白い塊を抱えた鯰尾が下りてくる。その白い塊は、どうやら布団であるようだった。ぶつからないように慌てて体を引っ込めると、すぐに秋田の脇を鯰尾が通り過ぎた。

 そのすれ違う一瞬に、秋田は確かに聞いた。

 

「安定していたはずなのに、何があったんだよ——物吉」

 

***

 

 その日も、雲霄隊本丸はとても慌ただしかった。何せいつもの仕事量に加えて、昨夜の襲撃にまつわる調査も上乗せされてしまったのだ。今日も右に左にと大騒ぎの本丸内で、誰かとぶつからないように物吉は茶と菓子を乗せた盆を運ぶ。

 今日は審神者に客が来ている。一体どんな人なのかは、物吉にはまだ知らされていなかった。けれどどんな人でも、彼のする事は変わらない。主に幸運を運び、その周囲にも幸運を運ぶ。それだけだ。

 

 ——けれど、()がどう思うかは分からない。その事には気をつけないと。

 

 物吉の体内には、もう一つ魂が眠っている。普段は滅多に表に出たり話したりする事はないが、ある人物をトリガーに体の制御を奪った事もあるのだ。

 そのトリガーとなる人物の名は、頭陀寺美咲(ズダジミサキ)。ある小さな町の由緒ある家柄の人間。彼女は物吉の中に眠る魂にとって、世界の中心と呼べる程の存在だった。

 時折夢で見る()の記憶。それはいつも、あまりに窮屈な日々の中にささやかな幸せを運ぶ彼女の姿があった。閉塞感溢れる部屋の中に吹き込む爽やかな風は、明朗に笑うポニーテールの少女の形を取って現れる。

 ()は、何事にも関心を示さない。それが例え自分を閉じ込めて遠ざけている親や親族だとしても、「どうでもいい」という無関心しかなかった。

 周囲に興味を示さない()が、ただ一人に親愛を注ぐ。その唯一の例外である存在が、ミサキだった。

 ()が物吉を降ろす媒体となったのも、歴史修正主義者からミサキを守る為だった。物吉に()の体を明け渡す時も、地獄にも近い苦痛を味わったのに恨み言一つ漏らさなかったそうだ。通常の戦場にミサキが然程関わらないと分かってからは、関心を失ったように表に出ない。普通に過ごす分なら、物吉は物吉であった。

 だがいざミサキが関わるとなると、()はどんな感を持っているのかそれを察する。そして体の制御を奪い敵を葬り去るまで暴れ尽くすのだ。そうなれば()はもう耳を貸さない。味方が制止しようと手を伸ばせばそれを振り払い、敵の体が消え失せるまで斬り続ける。

 例えもう息の根が止まっているのが一目瞭然だとしても、敵を屠り続ける。影の薄さを利用して独断行動し、隊長の命令どころか審神者の命すら違反する事もあった物吉()を、彼の昔いた本丸は持て余していた。

 そして転機は訪れる。()を何とか止めようとした隊長を、邪魔したとみなして()が重傷に追い込んだのだ。耐え続けていた審神者も流石に限界を叫び、物吉は政府に引き取られる事となった。

 刀解されなかったのは、恐らく(限定的ではあるが)歴史改変を察知出来る特殊能力のせいだろう。今の審神者はその能力を買って物吉を引き抜き、紆余曲折を経て現在に至る。

 物吉は今の審神者に感謝している。時折茶に誘い物吉の悩みを聞き、カウンセリングをはじめとした様々な手配をしてくれた。

 そして何より、物吉のような刀剣男士を非公認で支援している部隊——春光隊と物吉の関わりを断ち切ろうとしない事が、物吉にはありがたかった。

 森の中で暮らす刀剣男士は、全てがこちらに友好的である訳ではない。むしろ政府に不信感を抱いて、それでも戦いから身を引けないものがほとんどのはずだ。

 春光隊は、その中でも貴重な「条件付きだが友好的な本丸」。物吉と同じ性質の長谷部に仇なさない事、そして特殊な刀剣男士を休ませる活動を黙認する事を確かめて、春光隊は動いている。

 春光隊は、物吉にとって安心出来る隠れ場所だ。そこに行くと書き置きを残せば、余程の事がない限り審神者と仲間は深く追求しない。だから時折、物吉は春光隊を訪れる。「利用者」としてではなく、友達に会いに行くただの刀剣男士として。

 春光隊は流石と言うべきか、利用者が呼吸をしやすい雰囲気を作り出している。利用者として行っていない時でもその息のしやすさがあるのだから、雰囲気作りはかなり堅固と言えるだろう。物吉もちょっとした愚痴や本丸内での出来事を話している時に、温かく受け入れてくれているのだと感じる。もちろんただでそんな事をしている訳ではないのだろう(例えば情報収集なども行っていると分かる。物吉も機密事項は話していないが)。それでも春光隊は、物吉にとっての止まり木だった。

 

「物吉、今から執務室?」

 

 物思いに耽っていると、水色を基調とした戦装束を纏っている浦島に話しかけられる。物吉はいつもの穏やかな笑みを浮かべ、目の前の浦島に答えた。

 

「そうですよ。浦島君は?」

「今から蜂須賀兄ちゃんと滑莧園の調査の手伝いー。……酷い事するよなあ、その小狐丸も。さっき小狐丸さんと話したけどさ、『敵ではなくいたいけな童を痛めつけるなど言語道断』ってかなり怒ってたよ」

「……まあ、自分の分霊がそのような凶行をしたとなれば、腹立たしく思うのも当然ですね」

 

 ——どこかの小狐丸が滑莧園を、蛍丸が研究所を襲撃した。それからすぐに、政府直属の部隊は事件の実態を調査しようと動き始めた。だが子供達の聞き取りは要領を得ず、大人への聴取は錯乱している者が多く参考にならなかった。追跡をしても途中から痕跡を消されており、尻尾を掴むのが困難な状況だった。

 あの二振り——そしてそれを率いているらしいどこかの鶴丸は、相当な手練れであるようだ。本腰を入れて追わなければならないな、とは眉間にしわを寄せていた審神者の言葉である。

 

「調査中の雰囲気があまり暗くなりすぎないといいなー……ちょっと憂鬱なんだよ」

「そうならないようにボクも浦島君の幸運を祈っていますから。浦島君も頑張ってくださいね」

「うん、仕事だし頑張るよ。じゃあそろそろ時間だから」

 

 浦島が手をひらりと振って物吉の横を通り過ぎる。物吉も審神者の部屋に向かおうと歩き出した時だった。

 そうだ、と浦島が物吉に向かって叫ぶ。

 

「あるじさんのお客さん、綺麗な女の子だったよ! 後で話聞かせてくれよなー!」

 

 それだけ告げて今度こそ、浦島は玄関に向かって走り去った。物吉は少し訝しむ。

 ——主様に、女性のお客様? しかも、綺麗な子って……

 物吉の主である審神者は、幅広く知り合いがいる。しかし女の「子」と称される程若い女性の知り合いは、かなり少ないはずだった。一体誰で、どんな関係なのだろう。

 いやでも、あまり深く詮索するのもよくない。自分は、審神者に幸運を届けるだけだ。

 首を振って雑念を飛ばし、物吉は執務室へと向かう。バタバタと走り回る仲間にぶつからないように、細心の注意を払いながら。

「執務室」と書かれたドアの前に立ち、大きく深呼吸をする。ノックし、ノブを回して大きく開ける。

 

「主様、お客様にお茶とお菓子、を……」

 

 ——それが、物吉が体の自由を有していた最後だった。

 気付けば物吉は、体の奥底に魂を押し込められていた。何が起こったのか。体の制御を奪われた事は分かる。それにしても、今回はあまりにも強引だった。乱雑にその場から押しのけられたような、そんな性急さがあったような気がするのだ。

 呆然とする物吉は、固定されている視界を覗き見る。そして、この事態の原因を知る事となった。

 

「おう、物吉ありがとうな。……物吉?」

 

 審神者が怪訝な声でそう呼びかけていても、物吉にはどうにも出来ない。審神者の声に応えないと失礼だ。礼を欠くつもりはない。だが物吉は、固定された視界の中心にいるその存在に、目を見開く事となった。

 ——何で、何で()()がここに——

 審神者が己の失態を悟ったように短く声を上げた。物吉の口は、震えながらその名前を呼んだ。

 

「ミサキ、さん……?」

 

 長い茶髪をポニーテールにまとめ、目は強い意志を秘めて光っている。皺一つないスーツを身に纏う、きっちりとした性格が見えるような立ち姿。その存在は物吉に——[[rb:彼>・]]に気が付くと、一瞬不信感を乗せて睨む。しかしはっとしたように目を開けると、驚愕を隠さずに尋ねる。

 

「え……まさか、幸助(コースケ)、なの?」

 

 ——その存在は紛れもなく、記憶にある頭陀寺美咲そのものだった。

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