【完結】我こそは武田高信である   作:どんぐりヒッター

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最終話 笠碁

◇◇◇謙信倒した、次は誰だ!◇◇◇

 

 

 

 季節を待ち捕らえられて富山城に戻っていた北条と九戸兄弟を、

他の者に徴兵させてから春日山城に呼んだ。

北条は九戸兄の頭を撫でまわしながら近づいてきた。

 

 

「へどんのやつ、やりやがったぜ」

「おー、見た見た」

「へへっ」

「で、景虎のやつ逃がしたんだって?」

「まだ、あいつ城二個あるけど、佐渡に追い込んでからまた戦おうかと思ってな」

「島に封鎖されたら、いくらあいつでも立ち上がれないんじゃないか?」

「必要なら金を送っても良いぞ」

「終わったら、武田晴信(しんげん)にも手を出して見ようぜ」

 

 

詩人がしゃしゃり出てきた。

 

 

「敵に金を送るんですか?」

「あの景虎ってやつは敵に塩を送ったって有名だからな」

「ほほう、英雄っぽいですな」

「金送るんなら、少し貯めておかないとな」

 

 

景虎を島送りにする合戦には南側に居た上杉憲正(うえすぎのりまさ)の城が巻き込まれるようだった。

上杉の兵は多かったので、今回は消化試合として少数でも鉄砲隊にて出陣。

俺の鉄砲適性がBになった。

 

 

とりあえず、金を貯めるためと、

今のメンツの騎馬適性を全員Aにするための教育期間を作ることにした。

五人でやっていたので、手すきの間に稲富祐秀から鉄砲適性のAをとったり、

三木家の後釜になっていた蜂須賀正勝をぐわっしたりしていた。

それに一人で姫を四人も産んでいた最上の当主もぐわっした。

 

 

 

 数年がかりで教育をやっていたので、途中北条の息子が元服してきた。

北条が息子を育てたい息子を育てたいと言うので、

息子の方も騎馬Aまで育てていたら余計に時間が掛かってしまった。

こういう没頭型の事をすると夢中になるのが悪い癖だ。

 

 

途中、吉川元春が九州を統一していたので、四国への蓋にしていた城を明け渡した。

山名家一同は蜂須賀をぐわっした地を奇麗にしてもらいに飛騨へと送る。

あの連中、俺の直属でいつも一緒に事に当たらせて居ると、

気にかけているのを分かってくれて助かったりしている。

 

 

 

 準備が整ったので景虎に金を送った後、晴信にちょっかいを出しに行った。

誰か一人は春日山で留守居役にしようとしたら、

北条の親父の方が息子を鍛えてほしいと言うので、留守居役を頼んだ。

 

 

武田家の方はさほど強くなかった。長尾家より実戦経験が不足していたような感じだ。

武田晴信は、いつの間にか偉そうに武田信玄と名前を変えていた。

格好つけて弱くなったのか? いや、俺達が騎馬適正上げたのが原因か。

それに、そもそも何故か信玄自体が兵を持っていなかったので拍子抜けも良い所だ。

 

 

武田は甲信地方を支配していたが、甲斐(かい)躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)まで落とし、

さっぱり開発をしていない木曽福島(きそふくしま)城の一城に押し込めた。

甲斐の武田家中には俺と相性の良い奴が沢山いたが、

兵糧攻めならぬ俸禄攻めをやって見ようと思い、捕らえた武将を全員解放してやった。

すまんな、信玄。30名ほどの家臣に徐々に嫌われていってくれ。

折角の武田対決、袖にした罰だ。

 

 

同じ季節に九州の吉川元春が四国に攻め入って負けて捕らえられてしまっていた。

元就までついでに捕らえられてしまったようだ。

後を継いだ軍団長は毛利隆元。すぐに四国に攻め入り元就と元春を捕り返してきた。

部隊適性が高すぎる軍団長は突出して出て行くので、捕まってしまうことが有るらしい。

 

 

 

 翌年、姫が産まれた。12歳の娘だ。

そして、また奥州の南部家に相性の良い武将が居るとの連絡が来た。

津軽為信(つがるためのぶ)15歳。

 

 

北条が息子を息子を育てたい、と言うのにつられてだろうか、

少し前から誰かに後釜になってほしいと思い始めていた。

九戸兄弟や沼田や北条の息子の誰かに頼んでみようかと思っていたが、物足りない。

姫は大名家が潰れても、大名だった者が生きていれば生き残る。

しかし、隠居は大名家が潰れたら消えてしまうのだ。確かなものに後を継がせたい。

そして出来れば政治が高いものが良い。

俺では統一したのちの世を治められまい。

 

 

考えていた矢先に来たのが津軽為信。

経験はまだだが、俺にも九戸達にも色々足りないものを、全部持っている。

そういう気にさせる奴だった。

少し鍛えてからこいつを跡取りにして隠居しようと思った。

ちょうど良く、景虎を閉じ込めていたのもある。

 

 

しかし、隠居の豊定殿が倒れたと一報が来た。

隠居所は当主の俺なら何時でもすぐに行けるのに、様子を見にも行ってなかったとは。

我がことながら薄情なものだ。

 

 

 

 行ってみると、布団から起き上がって見せてくれた。

 

 

「なに、少しふらついただけさ。もう元気なもんじゃ」

 

 

笑って言ってくれたが、やはり辛いようだ。

何故だか急に望郷の念に駆られた。

その後、隠居殿は少し良くなったようだ。

しかし、決めた。安定攻略路線に戻ろう。

山陽道を制覇して畿内に入ろう。そして家督を譲って隠居しよう。

 

 

 

 津軽為信はびっくりした事だろう。

調略登用に応じたと思ったら突然、婿になれ。

人間五十年。俺もすでに五十になっていた。

長尾景虎や武田信玄をやり込めてしまい気が抜けてしまったのも有る。

 

 

詩人を呼んで方針変更を詫びたら、笑って許してくれた。

 

 

「すまんな、渚姫の親父さんだ。安心させてやりたくてな」

「いえいえ、ご隠居殿はお隣さんですので。

わたしたちは帰りますが、あの祠からいつでも遊びに来てくださいね」

「待ってるからね」

「ああ、必ず行くさ」

 

 

 

 山陽道を制し、京を支配し琵琶湖周りを制覇したところで隠居することにした。

さして時間は掛からなかった。その間もちょくちょく隠居殿の様子を見に行っていた。

隠居殿は下手くそながら将棋や碁が好きで、俺も習って相手をしに行っていたのだ。

 

 

俺は隠居所を竹田城の城下に作った。

しかし、隠居所とは不思議なもので、

鳥取城の城下に作った先代の隠居所と、家は隣同士で並んでいるのだ。

毎日、将棋や碁を打っている。

下手くそ同士だから駒の取り合い石の取り合いだけのひどいものだ。

 

 

先代と俺はもう隠居同士、遠慮なく勝負した。

先代は城下の町人たちと打つより楽しいらしい。

町人たちは、ご隠居様ご隠居様と愛想を使って勝負をしてこないからだ。

 

 

そんな事をしていると先代の隠居の健康状態が大分回復してきた。

本来、気の合わない同士が毎日将棋や碁を打っているのだ、喧嘩にならないはずがない。

つまらない口喧嘩をしているうちに、気力と体力が回復してきたのだろう。

詩人に貰ったナッツのチョッキを使って誅しなくて良かった。

 

 

 

◇◇◇ぐわっぐわっは、もう無い! うぇーい♪◇◇◇

 

 

 

 先代の隠居所から鳥取城下に出ることも出来るので、祠にもたまに遊びに行くようになった。

いや、負けたときの憂さ晴らしではない。違う。

 

 

こんなことが出来るのも垣屋の爺様のお陰か。

色んな世界で戦闘力や銭闘力が付いたわけだ。

あいつまだ爺様のまま生きてやがる。せいぜい長生きしやがれ。

 

 

戦国ランスの世界に行けば、今でも俺は33歳。

ロマサガ3でもそうだ。

行くと詩人はイタズラっぽく笑い、何か企んでいるようだ。

 

 

「武田殿には他の役とか、やって見て欲しいんですけどね」

「ふん」

「あたしは何に化けても絶対捕まえるからね」

 

 

タチアナにはまた捕まるようだ。

 

 

 

 我こそは武田高信。我と思わんものは掛かって来い。

手出し無用の隠居所で、先代と共に高笑いを決めてくれようぞ。

 

 

 

――完――

 

 

 

 

 その後、山名家の家紋は津軽為信から徳川家康に受け継がれ、

その息子秀忠(ひでただ)の世代で天下統一がなされることが多かったようである。


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