第8章が始まりますよー
8-1:ちょっと整理しよう
―――ピピピピピピピピピバンッ
「………うっせぇ」
それが仕事であるにもかかわらず、まるで親の仇ででもあるかのような勢いで掌を叩きつけられて沈黙させられた目覚まし時計、それを薄く開けた目で睨みながら凪原は呟く。
しかし、すぐにその不機嫌そうな声色とその理由に気付き一人苦笑することになった。
「いやはや、思った以上に変わっちまってるなこりゃ」
なるほど、たしかに健やかに寝ているところを無機質な電子音で叩き起こされるというのはあまり気持ちのいいものではない。
だがそもそも話として、凪原はショートスリーパーだった。高校から大学時代の間に目覚ましのお世話になった回数は両手で数えられる程度しかなく、その数少ない例外もイベント準備などで数日徹夜した後の仮眠時などである。
日々の目覚めは毎日さわやかだったし、たとえ睡眠中に起こされてもそれで調子を崩したり機嫌が悪くなったこともない。
さらに言えば最近はしっかりと寝ることに注力しており、今日も8時間は優に眠っているのだ。
少ない睡眠時間で事足りていたのに高々目覚まし程度で不機嫌になった理由は何か、以前の自分と今の自分とで異なるのは一体何なのか。
そんなものは改めて考えるまでもない。
ウィルスへの感染は凪原の体を確実に作り替えていた。
「………。」
普段はそれほど気にしていなくとも時折自覚させられる変化は、凪原の心に影を投げかけて―――
「なんてな」
―――いるなんてことは特に無かった。
人の体は変化するもの、そこに感染の有無は関係ない。それが凪原の考え方である。
成長期しかり老化しかり、生きている以上人の体は常に変化し続けるのだ。
食事もろくに取らずに引き籠っていればマッチ棒のようにやせ細るし、逆にボディービルに打ち込みでもすれば筋肉モリモリマッチョマンの変態になることもできる。大病を患えば、それまで当たり前にできていたことが全くできなくなるというのもそう珍しいものではない。
これに加えて趣味嗜好なども変化するのだ。そのことを知っていれば、自分が変わることに対して恐怖など対して怖くない。
ましてや、今回凪原が自覚した変化は朝起きた際に眠気が残っているというもの、ショートスリーパーの割合が1%未満であることを考えればむしろ普通になったとも言えるだろう。
体温の低下などと比べても大した変化ではない。
さらに凪原の心を穏やかに保っている理由がもう一つ。
「うぇへへ、にゃぎぃ~」
すぐ隣で体を寄せるようにして眠っている胡桃の存在である。
口から寝言と共によだれを垂らしながら実に幸せそうな表情を浮かべている
「おーい、そろそろ起きろって」
「んぅ、みゅ…」
柔らかそうなほっぺを凪原がフニフニと突いてみても、全く目を覚ます気配がない。逆にその手に頬ずりしてくる始末だった。
そんな、もし誰かに見られようものなら顔を真っ赤にして機能停止すること間違いなしの胡桃だが、少なくとも今はその心配はない。
凪原達が寝室に使っているのは校舎の一角にある仮眠室で、元々は凪原と照山が使っていた部屋だ。
感染の進行からより長く深い睡眠が必要になったため、メンバーの活動範囲から離れていて他の部屋よりも防音設備がしっかりしているここを感染組の居室とした形である。
利用者の安眠を妨げることの無いように、ということで鍵もついているのでプライバシーも確保できている。一応非常時のために談話室(自堕落同好会が日中過ごしている部屋)に鍵は置いているが、まだ朝食まで時間のあるこのタイミングで人が来ることはないだろう。
「ふむ、」
そこまで考えたところで、体の上から布団をどかそうとしていた手をピタリと止める凪原。
今確認したように朝食の時刻までは余裕がある。
そして凪原の体はまだ眠気を訴えている。
また、未だ温もりの残る布団の中と異なり特に暖房器具などを使ってない室内の空気は身を切らんばかりに冷え込んでいる。
最後に、凪原の寝巻の裾辺りが胡桃の手によりキュッと握りしめられている。
「………。」
以上の状況から凪原は、少なくとも数年前の自分であれば考えられない行為、二度寝というものをしてみることにした。
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「―――サラダが食べたい」
「「「分かる」」」
凪原の呟きと、それに賛同する学園生活部の面々の相槌である。
健やかな二度寝を終え――目覚ましの再セットを忘れたため早川以下数名が突入してくるという一悶着があったがそこは割愛する――、朝食の時間でのことだ。
本日のメニューは缶詰パンにコーンポタージュ、それからランチョンミートを厚切りにして焼いたもの。味もボリュームも十分な内容で、時世を考えれば文句を言う方がおかしいのだろう。
「どしたの会長、いきなりさ?」
「いや、ちょいと欲が出てな」
実際、桐子をはじめとした自堕落同好会の3人は凪原の言葉の意図が分からなかったようだ。ポタージュに浸したパンを口に運びながら首をかしげている。
対して、頷いていた学園生活部側からすれば凪原の言はまさに意を得たりというものだったようだ。
「ちゃんとしたご飯が食べられるだけでも十分ありがたいのは分かってるんだけどさ」
「やっぱり既製品ばっかりだとちょっと飽きてきちゃうのよね」
「みずみずしいもんが食いたいっつーか、そんな感じだな」
「せめてプチトマトがあればなー」
上から胡桃、早川、照山、圭の言葉である。最後の圭はいささか明け透けが過ぎるが、凪原達のまぎれもない本音でもある。
インスタント食品などの既成品は保存期間を長くするという都合上、どうしても濃い味になってしまう。
1食2食、あるいは数日程度ならそれだけでもいい。しかしそれがずっと続くとなれば、サラダなどのさっぱりしたものが食べたくなるというのも自然な願望であった。
「でも今じゃ採れたての野菜なんてそうそう……ああ、そういえば家庭菜園やってるんだっけ?」
「家庭菜園の領域を超えてるかなー、あれは」
「りーさんも、あれでなかなか結構凝り性だからな。実際すごくうまいし」
会話の途中で思い出したように言う晶に頷きながら答える圭と照山。
たしかに、凪原が正月空けて早々に大学に来た時点で放送局敷地内の菜園は『家庭』という枕詞を付けるにはいささか無理がある規模になっていた。
それでも当人はまだ納得してないようであったし、2人の苦笑いともとれる表情を見るに今はさらに拡大しているのだろう。
「こないだはぬか床つくるの手伝わされたわね。向こうに戻るころにはたくあんが食卓に並んでんじゃない?」
「おおそりゃ楽しみだな。どのタイプになんだろ、俺は硬めの厚切りの奴が好きだけど」
「うちは薄切りの柔らかい奴ね――ってそうじゃなくてナギ」
普通に応じかけた早川だったが話そうとしていたことを思い出し、首を振ってから視線を凪原に向ける。
「アンタ今年の米作りどうするつもりなのよ。よく分かんないけど田植え用の苗ってぼちぼち準備する頃なんじゃないの?田んぼの準備もそうだし、このままここに足止めくらうとまずいと思うんだけど」
「知らねえよ、つーか分からないこと全部俺に投げるのやめろって前から言ってんだろ。んで、その辺どうなんだテル?」
「テメェが今ハヤに言ったことそっくりそのまま返してやるよ」
流れるようにパスを回してきた凪原を睨む照山。しかし数秒考え込んだ後に再び口を開く。
「まあ種籾とかの準備は4月入ったあたりで、今は土づくりと田んぼの整備の時期だな。早くやるに越したことはねえけど、1,2ヶ月遅れても全く収穫できなくなるってことはないんじゃねえの?」
「なるほど了解」(やっぱ雑務のテルだな)
「わかったわ」(困った時の知恵袋、流石は生徒会の雑務担当ね)
「お前等、目ぇ見りゃ考えてること分かるぞ。俺は庶務だっつってんだろうが!」
そのまま喧嘩を始める巡ヶ丘第31期生徒会役員共。
そしてその会話を聞いていた自堕落同好会の面々は、少しひいている。
「え、なに?もしかして君等って稲作もやってるの?」
「うん、といっても田植えとか全部終わってたところからだけどね。それでも分からないことだらけだったから“作付け面積”当たりの収穫量は全然だったし」
「ちょっと自給自足しすぎじゃない?」
「D○SH島?」
「漁業はやってないからどっちかっていうと村かなぁ。あ、でも近くの川に罠仕掛ける話は出てるよ。この時期なら“かき倉”だけど1年通してなら“巻持網”の方がいいし、まだ計画段階って感じ」
さらに胡桃や圭の言葉の端々には、彼女等程度の年齢の少女が普通言わない単語が潜んでおり―――
「これはぁ、ボクたちもちょっと先輩らしくすべき?」
「自堕落同好会は返上?」
「頑張る」
―――晶や比嘉子はおろか、生粋の自堕落人間である桐子にやる気を出させるという快挙を成し遂げることになった。
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「………。」(カチカチ)
朝食とその後片づけが終わった談話室で、凪原はソファーに腰掛けながら無線機を弄っていた。
既に他のメンバーは行動を開始している。
照山は得物を手に大学内の巡回に出ていき、早川は昨夜から今朝にかけて不寝番をしていたため部屋の隅で寝息を立てている。
胡桃は何か心境の変化でもあったのか「体力をつけたい」と言い出した桐子と晶、比嘉子を連れてグラウンドだ。
「あ、凪先輩が一人で笑ってる。なんかキモイ」
「おまえな、俺にも心はあるんだぞ」
久しぶりにトラックで走り込みができると嬉しそうに言っていた胡桃を思い出して微笑んでいた凪原だったが、掛けられた圭の言葉に一気にしかめっ面になる。
この後輩は時折笑顔で毒を吐くから油断ができない。
一応悪意をもって言われることはなく純粋なからかい成分100%なのだが、気を抜いているときに喰らうと精神になかなかのダメージを負うことになるのだ。
「つーかそれ知らん奴に言ったらただの悪口だからな」
「圭ちゃんは思ったことを口にしただけでーす。心配しなくても信頼してる仲間にしかこういうことは言いませんよー」
「…ったく」
パタパタと手を振りながら人懐っこそうな笑みを浮かべる圭に凪原も毒気を抜かれてしまう。わずかに残ったモヤモヤとしたものをため息に乗せて吐き出したところで、手の中の無線機がノイズ以外の音を発し始めた。
『もしもし、聞こえている?』
「おっと今回はりーさんか、凪原だ。こっちはばっちり聞こえてるぞ」
『ええ、こちらも感度良好よ。いつもと同じ時間だから定期連絡ということでいいのよね?』
「ああ残念なことに、な。いろいろ動いてるけど相も変わらず空振りばかりだ」
毎日朝の時間に行っている定時連絡、別に担当が決まっていたり当番制だったりするわけではなくその時々で時間が空いている者がすることになっている。
対面ではなくとも、定期的に言葉を交わすことで各人の仲を良好に保つためだ。組み合わせによっては会話が盛り上がり、1時間近く話し込むということもしばしばだ。
とはいえ、雑談についてはいいとしても肝心の事務的なやり取りについては、このところ『異常、進展共になし』の日が続いている。
そのため今日の無線相手である悠里も凪原が何か言う前から内容を察していた。そもそも何かあればそのタイミングで連絡を入れることになっているので、この時間に連絡している時点で報告すべきことなど無いのが丸わかりである。
「本校舎の行ける所は地下倉庫も含めてあらかた探したんだけどな。これだけ見つからない探し物ってそうそう記憶にないぞ」
『私達の学校くらいの規模でも由紀の偶然のおかげで見つけられたんだもの、こっそりやるんじゃもっと時間が掛かって当然だと思うわよ?見つけようと探しているときに限って見つからないものよ、探し物って』
「たしかにそうだけどさ…」
2人が言っている“探し物”とはすなわちランダルコーポレーションの備品、聖イシドロス大学のどこかに収められているであろう銃火器である。凪原達の母校である巡ヶ丘学院にもあったのだ。ランダルのマニュアルに拠点として記載されており、より規模の大きなここにないはずがない。
それらが武闘派の手に渡った場合、彼等が学園生活部の安全保障に対する重大な脅威になることはほぼ確実である。
ゆえにこそ、武闘派に勘付かれないようにしつつ秘密裏に武器を発見・回収しようと凪原達は日々暗躍しているのだが、その進捗は先ほどの凪原の言葉の通りだった。
『そういえばだけど、そっちの大学にはマニュアルはないのかしら?うちにもあったのだからどこかにあるんじゃない?』
「あー、それなんだけどな」
巡ヶ丘学院において地下倉庫の存在を明示し、武器の貯蔵を示唆していた職員用緊急避難マニュアル。それと同じようなものがあるのではないかと問う悠里に答える凪原の声は、何とも歯切れが悪いものだった。
「一番置いてありそうな学長室が武闘派のたまり場になってるんだ」
『う、それはどうしようもないわね』
「まあ今んとこあいつ等が探し物をしてる気配はないから大丈夫だとは思う。それでもいつか見つかるんじゃないかと気が気じゃない状態だよ。―――そういや話変わるけど別件で少し気になることがあったわ、一応そっちでも共有しといてほしい」
『あら、なにかしら』
流れの変化を察し、悠里が居住まいを正した音がわずかに漏れ聞こえてくる。凪原の方も近くに置いていたファイルを手に取りながら口を開く。
「昨日の時点で地下倉庫の物資確認が終わったんだけどさ、ワクチンがどこにもなかったんだ。コンテナの類は
『それは……確かに不自然ね』
ワクチンがあれば、ゾンビウィルスが体内に侵入しても不完全ではあるが発症を防ぐことができる。ある意味銃器よりも重要度の高い物資である。
巡ヶ丘においては救急用品のコンテナに入っていたそれ、しかしイシドロス大学においては同様のコンテナ内にその姿は確認できなかった。
「恐らくだがここの地下倉庫はある程度公開されるのを想定してたんだろうな、だから見られたら困る銃とかワクチンは別の場所に隠した」
『理屈は通るわね。それなら隠し場所はあまり人が立ち入らない場所、それにワクチンはあまり環境変化に強くないでしょうから気温などが一定に保たれているところ――「あ」――凪原さん?』
思わずといった様子で声を漏らした凪原、その口角は無意識のうちに持ち上がっていた。
「あるじゃねえか。気温や環境が一定でワクチンの保存ができ、なおかつ一部の人間しかそもそも出入りしようとすら思わない場所が」
『そんな場所あるの?自分で言っておいてなんだけど学校の中にあるとは思えないのだけれど』
「まあ高校までだったらそうだな。ただ大学ってのは想像以上にいろんな場所があるもんなんだ」
一息あけ、凪原は自身が思いついた場所の名前を口にする。
「理学棟だ。薬品の保存にあそこ以上適した場所なんてない」
それではまた次回!