キリがいいところで切ったため今回は少し短めです
「どうする?」
奥へと続く血痕を前に、シャベルを構えつつ問いかける胡桃を手で制しつつ、床にこびりついた血を靴底でこすってみる凪原。どうやら乾燥しきっていたようで、軽い力だけで血痕は複数の薄膜へと崩れてしまった。
「だいぶ前のもんみたいだな。出てきた跡がないってことは中で死んだかあるいは、」
「転化したか、か」
少し前から人間から奴等に変わる流れを転化と呼ぶことにしていた。別に変化でも良かったのだが、何となくただ変化するというよりも化物のような存在に転じてしまうということで転化、となったのである。
「ただ、もし転化してるとしても足跡を見るに1人分だからそんな手間ではなさそうだな」
「中でまだ生きてるって線は?」
「無いな」
胡桃が挙げた可能性を一言の下に切り捨てる凪原。ホレ、と床に残る血痕を顎で示しす。
「これだけの出血量だ、即座に救急車で病院に担ぎ込めばまだしもこんな地下に入ったところで助からないさ。仮にこの先に医療物資があったところで1人じゃどうしようもない。それに、」
「それに?」
続きを促す胡桃に少し顔をしかめながら続ける。
「正直生きてたとしても扱いに困る。これだけの怪我をしててわざわざ地下に来ようとするってことは、地下施設のことを知ってた人間だ。パンデミックからこれまでのうのうと過ごしてきた奴と今更ご対面しても仲良くしたいとは思わないな、俺は」
「あー…確かに、それはあたしもごめんこうむりたいかな」
断っておくが凪原も胡桃も薄情な人物というわけではない。
なので、そんなトラブルの種にしかならなそうな人物になど会いたくない。2人とも口には出さないが、施設内にいる人間にはできれば死んでいてほしいと考えていた。
「まあその辺は見つけてから考えるとして、今はここの安全確保に集中するか」
「りょーかい」
半端に開いているシャッターを手で持ち上げて施設内部に入る2人。シャッターにも電力が通っているようで軽く力を掛けただけで動き始め、完全に開ききったところで動きを止めた。
「とりあえず入った瞬間にシャッターが落ちて閉じ込められるってことはなさそうだな」
「おまっ、そんなこと考えてたなら先に言えよ!」
「ハッハッハ、次からは善処するよ」
笑いながら階段を下り、地下1階の床に足を付けたところで壁にあった電気のスイッチを押すと、多くの棚が立ち並ぶスーパーなどのバックヤードを思わせる室内の様子が明らかになった。
「これはこれは…」
「うわぁ…どれだけあるんだろ」
幾列もある棚のすべての段には小型のコンテナが所狭しと置かれており、それぞれに識別用の単語が書かれていた。マニュアルの内容を信じるなら、これらの中には15人が1ヶ月間暮らせるだけの物資が収められているのだろう。
思わず中を確認したい衝動に駆られる凪原だったが、今はその時ではないと首を振ってその考えを頭から追い出す。視線を棚から床へ下げれば、未だ血痕は未だ奥へ奥へと向かっていた。
コンテナの一つへと手を伸ばしていた胡桃の肩を小突き、改めて痕跡をたどり始めた。
「ここ、かな」
「血痕を見る限りはそうだろうな」
棚の間の通路を通り抜けると小さな扉が出現した。血痕はその先へと続いており、ノブには赤い手形が残っている。小さくノックして耳をそばだてるが、特に物音などは聞こえてこない。
凪原が素手で触れてしまわないようハンカチ越しにドアノブを掴み、胡桃と目線で頷き合ってからゆっくりと扉を開く。ゾンビが飛び出して来たらすぐに振り下ろそうとシャベルを構えていた胡桃だったが、部屋の中からはゾンビが飛び出してくることも人の声が聞こえてくることもなかった。
部屋を覗き込んだ2人の目に映ったのは、いくつかの机と椅子があるだけの何とも殺風景な小部屋だった。
多くの棚が置かれ、大きさに反して手狭な印象を受けた先ほどの部屋とは異なり、こちらはほとんど物がないせいで実際よりも広く感じられた。
奴等か死体か、さもなくば生存者がいると思っていた2人にとっては拍子抜けであり、知らないうちに入っていた力が抜けて肩が落ちる。
軽く息をついてから改めて小部屋へと足を踏み入れると扉からは死角になっていた位置にもう一つ扉があった。これまでとは異なり、血痕は部屋中の床に残っていたが最終的にはその扉へと続いていた。
「なんだもう1個奥があったんだ、さっさと片付けちゃおうよ」
「あっ、ちょい待ち」
早速次の扉へと向かおうとする胡桃を、何かを見つけた様子の凪原が引き止める。その視線の先の机の上には、1枚の紙が置かれていた。
「こんなとこになんだろ?」
「多分奥にいるやつの書置きだろ、確認してみようぜ」
胡桃の疑問に答えつつ、紙を手に取って開く凪原。所々に血が付着して黒く汚れているが、紙面上の文字そのものは綺麗で教養を感じさせるものであった。あれだけの出血を伴いながらこれだけの字を書ける人はそうはないだろう。
そんな益体もないことを考えながら、書かれている内容を傍らにいる胡桃にも聞こえるよう声に出して読む。
「『これを読んでいる人へ、あなたがどんな立場の人かは分かりません。ただ、それは既に彼等に噛まれてしまっている私にはあまり関係ないでしょう。彼等については何も知らず、伝えられることもありませんので、老い先短い私に救急キットというものを使うのも申し訳ないので奥の部屋で自裁することとします。最後に、世界が変わっても懸命に生きようとする人への敬意と、この事態に備えてこの施設を作った組織に最大の憎悪を』―――うーん、最後殺意がすごいの置いといてまんま遺書だなこれ」
「ふーん…、なんか聞いた感じだと元凶の一味ってわけじゃなさそうだな」
机に腰掛けて足をブラブラさせながら、凪原が読み上げるのを聞いていた胡桃がそんな感想を漏らす。それは凪原も感じていたことで、遺書の内容を信じるとするならこれを書いた人物はマニュアルの内容を以前から知っていたわけではないようだった。
「そうだな。ただそうなるとこれ書いた人は誰なのかって話になるんだが………って、続きあんのかこれ」
最後にとなっていたためてっきり終わりかと思えば折りたたまれていた先にも文章が書かれていたので、凪原の意識がそちらへと向けられる。遺書を書いた人物が自分たちに何を伝えようとしていたのか、それが気になった。
「じゃ、あたしは一応奥の部屋を確認してるね」
「……ん、きーつけて」
「自殺しちゃってるんだったら警戒し損だったな~」などと呟きながら奥の部屋へと続く扉に手を掛けるくるみに、凪原は上の空で答える。
その、数秒後だった。
「う、うわぁぁぁぁぁっ」
反射的に凪原が顔を向けた先には、あおむけに倒れた胡桃とそれに覆いかぶさっている1体のゾンビがあった。
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「胡桃っ」
体は弾かれるように動いた。
数メートルほどあった距離を瞬時に駆け抜け、勢いそのままに胡桃に蹴り飛ばす。体重とスピードが十分に乗った蹴りで胡桃に覆いかぶさっていたゾンビは壁へと叩きつけられた。
そのゾンビの首には縄が掛かっていた。そして頭が自重でかしぐほどに首が伸びていることから、首をつった人物の成れの果てであることが窺える。自殺には成功したのだろうが、ゾンビへと転化することを防ぐには至らなかったようである。
だがそんなことは凪原にとってはどうでもいいことで、今彼がこのゾンビに思うことはただ―――
「くたばれ死にぞこないがっ」
―――一瞬でも早くこの世から退場させることだ。
ホルスターから9ミリ拳銃を引き出して発砲。この数カ月で何度繰り返したか分からないその動作は、荒れ狂った精神状態においてもいつも通りに行われた。銃口から吐き出された弾丸はゾンビの頭へと命中し、中身をかきまぜたのち反対側へと突き抜けて壁に当たったところで動きを止める。
そして、その様子を最後まで見ることなく胡桃へと駆け寄る凪原。
壁際に力なく座り込んでいる胡桃、その右腕の付け根は彼女の血で赤くにじんでいた。
「ごめんナギ。あたし、噛まれちゃった」
「~~ッ」
思わず叫びそうになる心を意志の力で抑え込み頭と体を動かす。既に胡桃は噛まれてしまっている、ここで何もしなければと彼女は死ぬことになる。それが嫌ならば行動するしかない。
片手で胡桃の頬を支えて自分の方を向かせ、もう一方の手で指を3本立てると目の前で左右に振る。
「こっち見ろ胡桃、こっちだ。指は何本ある?」
「そうだな……81本くらいか?」
「結構余裕あんな胡桃(言葉ははっきりしてる、傷は……そこまでひどくはないか)」
額に脂汗をにじませながらも、無理やり笑みを作って軽口で答える胡桃、凪原はそれに答えつつ彼女の様子を確認していく。意識障害については今のところない、出血はまだ続いているが既に止まりかけている。幸いなことに噛み傷は大きな血管まで達しなかったようだ。
自衛官の田宮から聞いた話ではゾンビに噛まれた際、出血多量やその他の外相が原因で死亡した場合は直ちに転化が起こるが、そうでない場合は噛まれてから転化までに早くても6時間はかかるらしい。まったく安心はできないが多少は時間的な余裕ができた。
自分に落ち着くように言い聞かせると、凪原腰のポーチから清潔なガーゼを取り出して制服の上から傷口にあてがうと、胡桃の手を取って彼女自身に押さえてもらう。
それが終わったところで肩と膝の裏に腕を回して気に胡桃の体を持ち上げる。
世に言う横抱き、お姫様抱っこというやつだ。
「ひゃぁっ!」
「あんま動くな胡桃、救急キットのこと覚えてるか?」
「ああ、マニュアルにあったやつだっけ」
「それが頼りだ、行くぞ」
そのまま立ち上がり、棚が並んでいた倉庫へと駆け戻る。振動に揺られてるうちにこわばっていた胡桃の体から力が抜け、その口から言葉が漏れる。
「……これがお姫様抱っこか、結構っいいもんだな。いい、思い出にっなったよ」
「思い出なんかにすんなっ、これから何回だってやってやる」
「へへっ、楽しみにしとくよ」
弱々しく笑う胡桃からは、いつものような快活さを見つけることはできない。
(絶対助ける)
そう決意して、凪原は踏み出す足へできる限りの力を込めた。
続きはいつも通り日曜に投稿予定です。