………どうしてこうなった?
キャンパスの敷地内を一周するように設けられた遊歩道。石畳で舗装された道の両脇は刈り揃えられた生垣や季節の花が植えられた花壇など、歩いているだけでリラックスすることができる。
一般にも開放されており、気分転換をしたい学生のほかにも近隣住民の散歩コースになったりとそれなりに人気のある場所だ。
しかしそれは過去の話である。
パンデミック以降手入れされることの無くなった生垣は荒れ、花壇は雑草が生い茂った後に枯れ果てて見る影もない。
石畳もまた道の両脇と同じく、あちこちに枯葉の吹き溜まりがあり雨や土による汚れが斑にこびりついていた。
それだけならいい、ここまでならただの放置された散歩道である。
土埃よりもさらにどす黒い汚れに、点々と転がる倒れ伏したまま動かない、場合によってはグズグズと崩れかけて原形を失いつつある―――人の
ゾンビの屍体やその残骸、埋葬されることもなく打ち捨てられたそれらは見る者に対して無言のまま雄弁に物語る。「この世界はもう終わったのだ」と、あるいは「お前もすぐにこうなる」かもしれない。
とはいえ、彼等が語り掛ける相手も既にほとんどいない。
遊歩道を歩く(彷徨うと言った方が適切かもしれない)者はほとんどがゾンビである。彼等にとって屍体は食べ物でないただの物体でしかなく、もしかしたら認識すらしていないかもしれなかった。
そんな全ての希望が失われたかのように見える遊歩道だが、人類の未来への芽はまだ残っている。
頭部を破壊されない限り動きを止めないゾンビ、その屍体があることこそがその証拠である。自然には起こり得ない現象はすべて人の存在を示す目印だ。
屍体の状態からは、この場所がかなりの頻度で
そして今も、時代に順応した人間が
人間の格好は真っ当な感覚からはすれば異常であり、今を生きる者からすれば順当といえるものだ。
厚手のライダースーツに軍用と見まがう編上靴、革製のグローブにフルフェイスヘルメットと、全身が完全に覆われている。締め付けられてなお自己主張する胸部の膨らみから女性だということが分かるのみで、それ以外の個性は一切確認できない。
またそれら全てが黒で統一されているため、破損などで肌が見えてしまっても鏡などを見ればすぐに気づくことができるという、徹底的に肌の露出を避ける服装だった。
しかし、どれだけ肌を隠そうともゾンビの感覚をごまかすことはできない。どれだけ巧妙に隠蔽しようとも、彼等は生者の気配を察知して群がってくる。
場所を考えるに元は大学生だったのだろうか、ゾンビとしては比較的早い動きで近づいてくる彼等を彼女は動じることなく左手に武器を持って待ち受けている。
そして1体がいよいよヘルメットにゾンビの顔が写るまでに近づいてきた瞬間、右斜め前へ大きく一歩進む。そこから左に顔を向ければ、彼女の目の前にあるのはこちらの動きに未だ反応できずにいるゾンビの無防備な後頭部だ。
ドスッと音を立てて、手にしていた武器が突き込まれる。狙ったのは後頭部から首裏にかけての凹み、盆の窪と呼ばれるここは比較的骨が薄く、かつそのすぐ下には神経を束ねる頸椎が走っている。
人体急所に数えられるがゆえにこの場所は非常に脆く、ほぼ腕の力だけで振るわれた彼女の武器であるアイスピックは持ち手近くまでゾンビの頭に埋没した。
鮮やかな手腕だが彼女の動きはまだ止まらない。
即座に得物から手を離してゾンビが倒れていくのに任せると、右手で逆手に構えていた2本目のアイスピックを今度は上体のひねりも加えることでスピードを増してすぐそばに来ていた2体目のゾンビの側頭部へ突き立てる。
込められた力がアイスピックの先端ただ一点に集約されたことにより、ゾンビの頭蓋骨に直径5ミリほどの穴が穿たれる。当然その直後には侵入した異物が脳を破壊し、このゾンビも1体目と同じく2度目の死を迎えた。
流れるように2体を始末した彼女。その動きは危なげのないもので、1体や2体が相手ならたとえ100回相手にしても容易く無力化できるだろうことが予想できた。
ただし、ゾンビの最大の脅威はその物量である。
1体1体であれば彼等はそれほど強くない。心理的な拒否感を抜きにすれば、一般的な成人男性が1人で問題なく倒すことができる。
だが群れを成し、味方がいくら始末されようとも何の恐怖心も抱くことなく、ただ獲物の肉を喰らわんと押し寄せてくるゾンビの集団が持つ破壊力は凄まじいものがある。その圧力たるや、軍隊などの高度に組織化及び武装化された集団を時として押し返しうる。
軍隊を相手どれるほど膨大な数ではないとしても、群れることでその脅威度が大きく増すということに違いはない。
そしてその法則は、
ガブッ
腕を振り切ったことで体が流れてしまった隙をつかれ、女性は3体目のゾンビからの噛みつきを許してしまう。とっさに突き出した左の上腕で受け止めるが、両手でしっかりと握り込まれる。脳のストッパーが外れているのかゾンビは生者と比べて筋力が強く、一度捕まると振りほどくことは難しい。
普通なら絶体絶命というところだ。ゾンビウイルスは感染性であり、その主たる感染経路は噛みつきによる体液接触であることを考えればパニックに陥ったとしても不思議ではない。
しかし彼女がうろたえることはない。身につけたライダースーツの生地は十分ぶ厚く、強化されたゾンビの咬合力にも耐えることができた。
噛みつきさえ無効化してしまえば、そこにいるのは口と両腕という攻撃手段を失った肉塊である。決して味わうことのできない柔肉を求め、別の動作に移ることなく噛みつき続けるゾンビなど脅威でも何でもない。
プッ、ツププッ………
腰のポーチから新たに手に取ったアイスピックを再び盆の窪に押し込めば一瞬の痙攣の後に全身から力抜け、3体目のゾンビも崩れ落ちた。
始末したゾンビからアイスピックを回収し、周辺を見廻して新たなゾンビが近づいてきていないことを確認すると、女性は頭へと手をやりゆっくりとヘルメットを脱いだ。
押し込められていたサイドテールが重力に従って落ちるとともにタレ目がちの、密閉されていたせいでやや汗ばんだ顔立ちが露になる。
「……ふう」
大きく息を吐き出したその瞬間、パンパンという乾いた音が彼女の背後から連続して響いた。
今の状態では邪魔にしかならないヘルメットを反射的に投げ捨て、アイスピックを構えながら彼女が振り返った先には、いたずらが成功したような笑顔で拍手する男の姿があった。
「さすが憲兵隊長、奴等の退治くらいはお手のもんだな」
「あ、凪原君――」
からかうわけでもなく純粋に手腕を褒める凪原に彼女、巡ヶ丘学院第31期生にして暴走した同期達の鎮圧を任されていた憲兵隊、その隊長を任されていた
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「いやー隊長もこの大学だったのな、さっき顔を見た時は驚いたぞ」
「う、うん私も驚いたよ、凪原君いきなり出てくるんだもん。今も隠れていたの分からなかったし、どうやっているの?」
「まあその辺は長年の経験ってやつだ」
久しぶりの再会に言葉を交わす2人。
凪原が比較的自然体なのに対し、篠生はどこか落ち着きがなくソワソワしているように見える。
「しっかし、さっきも言ったけど鮮やかなもんだ。高校で追っかけられてた時に使われてたら俺達は死んでたな」
「そんなことはしないけど、、、」
挨拶もそこそこにしてふざける凪原に篠生の顔に呆れの中にも親しみが混ざった色が浮かぶ。その表情は高校生時代、バカをやって慈に追いかけられる凪原達を見る時に彼女が浮かべていたのと同じものだ。
「冗談だって、隊長は素で十分強いから人間相手なら素手で事足りるもんな」
「違うそういうことじゃないよ」
「ハッハッハ、―――さて本題だ」
笑顔を引っ込めて瞬間的に表情を厳しいものに切り替える凪原。
その雰囲気は武闘派の面々を威圧した時とはまるで違う。ふざけることなく真剣に、真正面から向き合って話すべきと判断した際のみに彼が纏うものだ。
「右原篠生、お前何で武闘派にいる?」
「えっとね…」
彼女の目を真っすぐに見据えて問いかける凪原に言葉を詰まらせる篠生。
普段は冗談めかしたり軽い調子で言ったりと、会話の中に遊びを含ませることが多い凪原。そんな彼が真剣に、本気で問いかけてくるというのは生徒会長時代を知る篠生にとっても初めての経験である。
決して威圧されているわけではないのに、凪原が放つプレッシャーを前に篠生は無意識に唾を飲んだ。
「数日しか見てないけど、はっきり言って武闘派の連中はただのチンピラみたいなもんだ」
言葉に詰まる篠生を見て再び口を開く凪原。
「言ってることは見当違いというかそもそも筋が通ってないし、何かあったら力に訴えようとする。どう考えてもお前に合うとは思えないんだよな」
そう水を向ければ、篠生も戸惑いながらも頷いてみせた。
「う、うん。まあ、そうだね」
「だろ?お前腕っぷしは強いけどそれをむやみに振るうタイプじゃないもんな――俺等に対して以外。まあ俺等はやることやってたから制圧されてもしょうがないけどさ」
「制圧されるようなことやってる自覚はあったんだ、、、」
「なかったら完全にヤバいやつだろうが」
「フフッ、確かにそうだね」
小さく、それでも楽しそうに笑う篠生を見て、凪原は自身の中にあった推測を確信まで引き上げた。
「うん、話してみて分かったけどやっぱお前変わってないわ」
「そう、かな。結構変わっちゃったと思うんだけど」
自信なさげに首をかしげる篠生だが、その様子にも以前よく見た彼女と重なるものがある。ゆえに凪原は大きく頷いて太鼓判を押した。
「細かく見ればそりゃ変わってるだろうけどさ、根っこの部分、本質的なところはそのまんま。俺から見た篠生は今も変わらない、普段は優しくて俺等がなんかやらかしたらめぐねえと一緒に追いかけてくるおっかない憲兵隊長様だ。立派なもんだよ」
「あんまり喜べないかなぁ、その評価。絶対褒めてないでしょ」
「んー?褒めて褒めてる」
「どうだか」
疑わし気な表情になる篠生と、わざと胡散臭い笑みを浮かべる凪原。それは、2年前の巡ヶ丘学院でしばしばみることができる光景だった。
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「それで、結局なんで篠生は武闘派にいるんだ?」
仕切り直しとばかりに最初の質問を再び口にする凪原。
特に移動することはなく遊歩道のままだ。この場所は生垣や立ち並ぶ並木の影に入り校舎側からは完全に死角となるため、この接触が他の武闘派に気付かれることはない。
というより、それを見越して凪原はここで篠生を待ち伏せていた。初めて訪れて3日目にしてキャンパス内の配置を完全に把握している辺り、安定の凪原クオリティーである。
「えーっと、少し言いにくいんだけど…」
先ほどのような覇気(仮称)を纏うことなくごく普通に問いかける凪原に対し、少し言いよどむ篠生。
言う気がないわけではないが言いにくい、そんな雰囲気だ。
「もしかして弱みでも握られてたりすんのか?」
「え?」
唐突に意識の遥か外のことを聞かれて素で聞き返した篠生だったが、どうしたわけか凪原にはそれが図星をつかれたような反応に見えたらしい。
「まさかマジでそうなのかよ。あいつ等がそこまでだとは思わなかったぞ、これじゃあのクズ共と同じじゃねえか」
凪原の声が低くなる。かなり本気でキレている時の声だ。
近くなら肌で感じ取れるレベルの殺気が漏れ出している。
「よし隊長、詳しいことは聞かないから1つだけ。具体的にどいつかだけ教えてくれ、消すから」
「いや違うからね?「なるほど全員だな、分かった」だから違うって、あ~もう、」
とりあえず否定するも、こちらの話を全く聞く気配の無い凪原に頭に手をやりながらため息をつく篠生。明らかに普通でない様子の凪原だが、彼女の頭に浮かぶ思いは「めんどくさいなぁ」というある意味手慣れたものだ。
なんせ彼女の高校時代の役割は憲兵隊長、その仕事は暴走した凪原達生徒会やその他の同期を鎮圧するである。
「ちがうって――言ってるでしょ」
「へ?うぉぉおおおぉおっ!!?」
凪原の腕を取って見事な一本背負い。凪原に反応を許さない見事な投げ技である。
そして間髪入れずに掴んでいた腕に十字固めを掛ける。一連の流れに無駄は一切ない、非常に洗練された動きだ。
「痛ででででで!?ちょっおま、久しぶりの再会で勘が戻ってない時にその本気コンボはなしだろう!?」
「ちゃんと話聞いてって前にも言ったよね?」
「分かった聞く!ちゃんと聞くからっ。だからギブギブギブ!」
「よろしい」
痛みで正気に戻った凪原が無事な方の手でタップすれば、すぐに篠生は抱えていた腕を解放した。
「あ~痛った、2年ぶりくらいに食らったけどなんかキレが増してないか?」
「卒業した後も続けてたからね」
自由になった腕を振りながらぼやく凪原にどこか自慢げに答える篠生。高校時代でもここまできれいに制圧できたことはほぼなかったため妙な達成感があった。
「は~~~。んで、結局なんでなんだよ?もう別にいいだろ?」
何の反応もできずに投げられたことに対するモヤモヤをため息をつくことで吐き出し、改めて質問する凪原。これで3度目であるため、篠生もようやく話す気になった。
「えっと、その………………れん君がいるから」
「れん君?誰だそいつ?」
決心してなお数秒の沈黙を挟み、かすかに聞こえる程度の声でそう言った篠生に当然の質問をする凪原。恐らくは男であろうその人間がどうして篠生が武闘派にいる理由になるのか、すぐには分からなかった。
しかしすぐに彼女の顔がうっすらと赤くなっていることに気付く。
「もしかして………彼氏、か?」
「………。」////(コクリ)
まさかと思いながら問いかければ、顔を真っ赤にしながら頷く篠生。髪の隙間から覗く耳はさらに赤く、湯気の一つでも出しそうなほどだ。
そんな今まで見たことの無いような彼女の様子と新たに判明した事実、それらを飲み込んで脳が理解したところで凪原の肩が小さく震え始めた。
「ク、フフッ」
そして息が漏れてしまったのを皮切りとして、堪えきれずに大きく笑い始めた。
「ハハハハハハッ そっかそっか、彼氏か!あの失恋量産マシーンと呼ばれてた隊長にっ。これはほんとに驚いた!」
「そ、そんなに笑わないでよっ――というか何その呼び名、私知らないよ!」
ほとんど見ないレベルで呵呵大笑する凪原と胸の前で両手をギュッと握って抗議する篠生。大きな音を出すとゾンビが寄ってくるかもしれないことなどお構いなしだ。
「い、いやあだ名については気にすんな。
「気になるよ!?」
「ちなみに言い出したのは
「文葉ちゃん次会ったら絶対許さないからね!」
再会することがあればこの2年で習得した技術をすべて叩き込んでやる。その決意を乗せて篠生は空へ叫んだ。
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同時刻、とある場所。
「―――んにゃ?なんか特ダネスクープの予感と凄まじい悪寒が同時に来ましたね」
ペンと手帳を持った女性がそんなことを呟いたとか呟かなかったとか。
はい、憲兵隊長こと右原篠生ちゃん登場回でした。
だいぶキャラ崩壊してした気がする……。穏やかな子だったはずなのにツッコミ系の苦労人枠になってしまいました。
身体能力については―――ほら、原作でも階段を踊り場一つ分くらい軽々飛び降りたりしてたから許容範囲ということでお願いします。
それじゃ、
篠生の戦闘シーン
原作では5ページくらいなのに文字に起こすと軽々3千字くらいいく。それでいて臨場感が行方不明になってるから泣きたくなる。
アイスピックは身のこなしが軽い人間なら割と対ゾンビの武器たり得る、んですかね。突き刺すことに特化しているためナイフとかよりはいいのかもしれない。
ただ、ゾンビってどこまで能を破壊すれば死ぬんですかね?グロい話ですが、人間も頭にボールペンが埋まっても生きてる場合とかあるみたいですし、アイスピックみたいな細いものを差すだけで本当にゾンビを始末できるのかは正直微妙なところ。
まあ本作では篠生の技術により差した瞬間に衝撃が伝わり脳がシェイクされてるから始末できてるってことで。
凪原の特徴
これまであえて書きませんでしたが、凪原はかなり仲間意識が強いです。そのため仲間もしくは味方認定した相手に対する害意にはやや過剰に反応して跳ね除けようとする傾向があります。
以前は法や倫理の範囲で対応していましたが、それらが息をしていない現在は対応方法もより苛烈なものになっています。5-10で瞬間的に野盗の殺害を決心できたのもこのため。
失恋量産マシーン
どこぞの新聞部部長が篠生につけたあだ名。常識があり(重要)、性格も優しく容姿端麗と三拍子そろえばそりゃモテる。そしてそこに玉砕した翌日以降もそれまでと変わらず接してくれるという情報が
上記の理由から変に遺恨を残している者は皆無だが、このニュースが出回れば一部の者は発狂するかもしれない。
パパラッチ、文葉
当時の新聞部部長。凪原の彼女の呼び方がすべてを表している。名前の由来については東方及び艦これを履修したことがある人には分かるはず。性格も基本あんな感じ。
最後にちょろっと出てきましたが、今後登場する予定は(少なくともしばらくは)ないです。
さてさて、そんかこんなで6章もぼちぼち終わりですね。ちなみに高校編と同じく大学編も2章構成の予定です。
それではまた次回!