今回からは第7章、大学編の後半スタートです。
7-1:3人目と4人目
苦しい………………息ができない、寒い。
布団をかぶっているはずなのにガタガタと身体が勝手に震えてしまう。
息を吸っても肺へ空気が入ってこない。苦しさを解消しようと呼吸を繰り返すようになるが、かえって取り込まれる空気が減り軽い酸欠状態に陥る。
視界が狭まり、残った範囲にも靄が掛かかっているために視覚はほとんど機能していなかった。
皮膚の一部に懐死したかのように黒ずんだ斑点が見え始めるが、それが実際に生じているのか、それとも朦朧とした意識が見せる幻覚なのか判断できない。
布団をきつく握り込み、その感覚にすがろうとするも、冷汗にまみれた手はいくら力を込めてもゆっくりと動くだけだ。
この様な状態が既に数時間は続いている。
初めの頃は耐えることができた苦痛も、時間が経っても収まるどころかよりひどくなるのでは抗おうとする意志そのものが失われてしまう。
加えて、少し前から定期的に発作のような症状が襲ってくるようになった。これまでは何とか耐えていたが、次に同じものが来たら今度は難しいだろう。
(これはもうだめかも)
そんな考えが頭に浮かんでいた時、部屋に誰かが入ってきたような気配がした。ノックの音は聞こえなかったが、呼吸音に紛れて聞こえなかっただけだろう。あるいは視覚に続いて聴覚も機能を止めかけているのかもしれなかった。
「………く…?、……っ、………!れ……君っ!、………れんく…!」
現に今も身体をゆすられながら何事かを言われているようだが、その言葉がほとんど耳に入ってこない。とても心配されているということが分かるだけだ。
しかしそれだけで十分だとも感じる。
世界は変わってしまった。
物とサービスにあふれ、生活にゆとりがあった時代は既に過去のもの。
拠点があるとはいえ、日々減っていく物資に脅え外に蔓延るゾンビに脅え、協力すべき仲間も一枚岩ではない。生きていくこと自体がギリギリ、それが今の世界である。
そんな世界で、他人である自分をこれほど心配してくれる人がいる。それは非常に恵まれたことだし、感謝したいことだと思う。
惜しむらくは、もはやその感謝を伝えるすべが自分に無いことだ。
(しの……ありがとう。それと、………………ごめん)
せめてこの思いだけは伝わってほしい。そんなことをぼんやりと考えたところで彼、
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「おら、うなされてないでとっとと起きろ」
「アテッ」
消えたはずの意識が再び覚醒した。
頭への刺激で目を覚ます高上、まだ寝起きのため自分が意識を失った際のことは忘れている。
よく動いていない頭で篠生が起こしに来たのかとぼんやり考え、人の気配がする方を向いて目を開ける。
「おはよう、しn……お前っ」
しかしながら目線の先にいたのは篠生ではなく―――
「どの辺を見たら俺と隊長を見間違えるのか聞きたいところだが、まあおはようさん」
―――ニヤリと笑っている
反射的に飛び起きようとした高上だったが、その動きは何かに阻まれる。見れば右側の手首と足首に手錠がはめられ、それぞれ近くのベットのフレームへと繋がれていた。
皮膚を圧迫するということはないがそれなりに頑丈そうであり、ちょっとやそっとでは壊れそうにない。
何のつもりかと声を上げようとした高上だったが、口を開きかけたところでそこに体温計が突っ込まれる。
「質問なら後で受け付けるからとりあえずくわえとけ」
凪原の口調は穏やかで、それほど強いものではない。しかしそこに有無を言わせない雰囲気を感じ、高上はその言葉に従うことにした。
質問を受け付けると言っている以上こちらと話す気はあるのだろう。
少なくとも、こちらが動けないのをいいことにいきなり襲い掛かられたりはしないはずである。
「よーしよし、んじゃそれくわえたままでいいからこの指の動きを目で追ってくれ」
高上が大人しくなったのを確認し、凪原は彼の目の前で指を1本立ててゆっくりと左右に動かす。一定のリズムではなく緩急をつけて動かすが、高上は問題なく目で追いかけることができた。
その後、身体の末端をつつき感覚の有無を確認したところで体温計から計測終了の電子音が鳴る。
「っと、どれどれ――35度9分か。ちなみに平熱は?」
「……36度前後、別にいつも通りだよ」
「なるほどな………薬としての効果は一応ちゃんとあるのか。つーことはこれからどう推移していくかだなじゃあこれからは朝夕起きた時と寝る前に体温を測って記録するようにしてくれ」
返事を聞いて1人ブツブツと呟き、凪原は改めて高上に向き直るとそう要請した。
その後も凪原はいくつかの質問を高上に投げ掛けていく。
体調について普段と異なって感じるところはないか、自覚してる範囲で記憶の混濁などはないかなど、医者にかかった時の問診のようだった。他にもここがどこだか分かるかや、今が何時頃だと思うかなどのよく分からない質問もあった。
記憶に関する質問で昨夜の自身の状況を思い出して問いただすも、凪原は『それは後で話す』の一点張りで取り合わない。
「いい加減にしてくれっ。いきなり意味の分からない質問ばっかりして何なんだよ!」
さすがに焦れた高上が大きめの声を出したところでようやく凪原の反応が変わる。
「そー急くなって、次で最後だ」
手にしていたクリップボードから顔を上げ、無線機を手に取って何事かを話した後、目線を高上の方を真っすぐに向ける。
改まって何を聞かれるのかと若干身構えたものの、続けて言われたのは何とも単純なことだった。
「自己紹介をしよう。俺は凪原勇人。年齢は20で大学2年生、この大学じゃないけど所属は理工学部だ」
「……高上聯弥。同じく二十歳の大学2年、所属は経済学部」
高上の返答を聞き、更に何事かをクリップボードに書きつけた凪原。
一つ頷いてそれをテーブルに置くとポケットから鍵を取り出し、高上の手と足を解放した。
「いきなり拘束してて悪かったな、ただ理由あってのことだから許してくれ」
一応きつくならないようには注意したんだが、という凪原の言葉を受けて肌を確認する高上。手首にも足首にもうっすらと赤くなっているで鬱血や内出血の痕は見られなかった。
「それはこの後の説明次第だぞ。そもそもお前、この前拠点に帰ったはずじゃないか。どうしてここに居るんだよ?」
何となく気になるのか手首をこすりながら言う高上。
武闘派に属していた彼は凪原達学園生活部のことはよく分かっていない。
まさか無線を用いて穏健派とやり取りできるということなど知りようがないので、年末ごろに出ていったはずの凪原がなぜ今大学に居るのかも疑問なのだ。
ゆえに、凪原の説明もそのあたりから始める必要があった。
「なんでいるかって言われたら、
実際には無線中継器の感度などの影響で、天候次第では通信ができないタイミングもあるのだがそこは割愛する。
「無線のことは知らなかったけど理由には直接関係ないだろ。何で呼ばれたかを聞いてるんだよ」
「おいおい、昨日の夜に死にかけてたやつがそれを聞くかよ。お前の治療のために決まってんだろうが」
呆れたように言う凪原だが、高上がその言葉の意味を理解するには数秒の時間が必要だった。
見ず知らずの他人をわざわざ助けるために夜中にやってくる?ゾンビで溢れかえり、ただ通るだけでも命の危険がある地域を通り抜けて?
ありえない。
それが言葉を理解した時の高上の偽らざる気持ちだった。
「なん……で…」
「ん?」
「なんで僕を助けてくれたんだよっ」
首をかしげる凪原に、高上は無意識のうちに叫んでいた。
「だって、僕とお前は全くの他人じゃないか!それにお前達が協力してるのは穏健派に対してだろっ。そっちに対してならまだしも、なんで武闘派の僕を助けてくれるんだよ!?それも自分が危険を冒してまで!僕なんか助けても良いことなんてないだろう!?」
大声でそこまで言い切り、肩で息をする高上。
言葉には自信を卑下する思いが含まれていた。
彼の運動能力は人並み程度かそれ以下だ。ゾンビに対抗する武器も離れて攻撃できるクロスボウを使っていた。
他の武闘派のメンバーは多くが近接武器を用いているし、恋人に至ってはリーチの短いアイスピックで複数体を相手どることができる。
その中で、遠距離武器を使って戦うことしかできない己が悔しく、情けなかった。
パンデミック当初は数十人いた仲間も今は大半がいなくなり、次に脱落するのは自分だろうとは薄々感じてた。
だからこそ、昨夜は苦しさに喘ぐ中でもどこか諦めもしていたのだ。
もちろん死にたくはなかったし、もっと恋人の隣で力になりたかった。
それでも無理矢理納得して覚悟を決めたのにも関わらず、今朝まるで何事もなかったかのように目覚めてしまった。
その予想外の事態は、高上から平静を保つということを一時的に取り去ってしまっていた。
「………あー、そういうことね」
いきなり大声でまくしたてられて面食らっていた凪原だが、彼の内心に思い至ると一人頷き、口を開く。
「まぁ確かに俺とお前とは直接関係ないし、助けたからといって特にメリットがあるわけでもない」
無表情で話す凪原だったが、そこまで言ったところで口元を緩めた。
「けどよ………隊長が頼ってきたんだ、『助けて』ってさ。そりゃ協力するし多少の危険も冒すってもんだ」
「隊長?」
今度は高上が首をかしげる番だ。
どうやら
なおも首を傾けている高上に、凪原は彼の十八番ともいえる悪巧みが成功した時の笑みを浮かべた。
「隊長ってのは篠生のことだよ。まったくあいつが付き合うなんてなー、愛されてるみたいでなによりだ」
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「噛まれてないなのに転化の兆候が出てる!?んな事あんのかよっ」
年も明けて早々、今後の方針の話し合いが終わったタイミングでつながった無線から聞こえる内容に、凪原は大いに混乱していた。
噛まれるかゾンビの体液に触れることで感染し、ゾンビへと転化する。
それは、この終わってしまった世界で唯一信頼できるルールだったはずだ。
行動計画を立てる時は、いつもこのルールを基にして考え始めていた。それが破られそうとなればそれも当然だろう。
しかし、無線の相手の混乱具合はその比ではなかった。
『分からないよそんなの!今日はれん君は見張りの当番じゃないし、外に出てもいなかったっ。昨日だって特に変わった様子はなかったのに』
そう話す篠生の声は涙交じりで、震えていた。少なくとも凪原は高校時代に彼女のこんな声を聞いたことはない。
より取り乱している人がいればその分自分は冷静になる。凪原は自身の暴れる思考に手綱を付け、建設的な方向に働かせ始めた。
「………篠生、転化しかけてるというのは確かなんだな?」
『う、うん。あいつ等みたいな斑紋も出始めてるみたいだし間違いないと思う』
「その状態になってからどのくらいかは分かるか?」
『分からない。30分くらい前に部屋に様子を見に行ったらもうこんな感じだったの、お昼一緒に食べた時は普通だったのに』
篠生の返事を聞き解けに目を向ける凪原。彼女の話が本当なら、発症からの時間は長くても6時間だ。
(ギリギリ間に合う、か?)
パンデミック当初に外を観察して得た知識や照山達から聞いた話の内容を合わせたところ、成人男性の場合噛まれてから完全に転化するまでには10~12時間程度かかると凪原は考えている。
すぐにここを出発し、最速で大学へ向かえば転化前にワクチンを打てる計算だ。前回は通れる道を探し、無線の中継器を設置しながらだったため移動に数日を要したが、今なら無理をすれば数時間でたどり着けるはずである。
ただし、今回は噛まれたわけではないらしいのでその法則が適用できるかは分からない。
さらに言えば時間が経ってからのワクチン投与で間に合うのかも不明である。
そもそも、本当に篠生の彼氏が噛まれていなかったのなら、転化の要因が完全に塗り替わってしまう。
偶然ということはあり得ない。どこかで接触していたのかウイルスが突然変異したのか、あるいはそれ以外のなにかか、必ず原因があるはずだった。
そして件の男子が何らかの未知の要因により発症していた場合、近くにいた篠生にも発症の危険がある。
「………よし、よーし篠生、まず落ち着いてくれ。そのれん君だけどな、何とかなるかもしれない」
『ほんとにっ?』
篠生を落ち着かせようとゆっくり話す凪原だったが、篠生にはその余裕はない。
恋人が生死の境をさまよっている中で示されたわずかな希望だ、すがろうとして当たり前だろう。凪原とて立場が逆なら落ち着けるはずがない。
しかし、次に凪原が掛ける言葉には衝動的にではなく、覚悟して答えてもらう必要がある。ことは彼女自身にも関わるのだ。
こちらの話を落ち着いて聞けるレベルまで落ち着いたのを確認してから話し始める。
「だけど今危ないのは彼氏だけじゃない。篠生、お前もだ。その上で聞くぞ」
一息つき、これから自分が言うことになる言葉に備える。
こんなことを本気で言う日が来るとは凪原も想像していなかった。
「お前と彼氏、2人揃って
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「おいなんだよ人間やめるってっ、しかも僕だけじゃなくてしのもってどういうことだよ!?」
「おぉっと、急に動くなっての。病み上がりなんだぞお前は」
事情を説明している最中、いきなり掴みかかってきた高上をなだめる凪原。
運動能力が高くないと聞いていたものの、今の動きができるのならば潜在的なスペックはそれなりにありそうだった。
こりゃ鍛えれば伸びそうだな、などと考えているとその沈黙をどうとったのか、高上の表情がさらに険しいものとなった。このまま放置したら激高して殴りかかってきそうな勢いだが、その心配はない。
凪原の耳には廊下を駆けてくる足音が聞こえていた。
音はどんどん大きくなり、気付いた高上が顔を上げるのと足音がドアの前に到達するのはほぼ同時だった。
普通、ドアの前に来たものはドアを開くために立ち止まる。しかし音の主は全くスピードを落とすことなく、それこそドアを蹴破らんかの乱暴さで押し開いた。
そしてそのままの勢いで音に驚く高上のもとへと飛び込む。
「れん君っ」
「うわぁあっ!?――って、しの!」
飛びつかれてベットに押し倒されて面食らいながらも相手が篠生だと気付き名前を呼ぶ高上。
しかし篠生は答えることなくただ高上に抱きついている。
そしてそれを見た高上もまた、それ以上何も言わずに篠生を抱きしめ返した。
「感動の再会ってやつか、思ったより早かったな」
その様子を見ながら呟く凪原だが、その言葉は2人に向けてものではない。
すぐに部屋の外から答えが返ってくる。
「彼氏君が目覚めたって連絡来た時はほぼキャンパスの対角上に居たんだけど、そっからノンストップで全力疾走だったわ」
いやー速かった、と言いながら照山が部屋に入ってきた。
ワクチンを打った後、心配過ぎて何かしていないとどうにかなってしまうといった篠生は、ひたすら敷地内のゾンビの掃討を行うことにし、その付き添いとして凪原と一緒に大学に来ていた照山が付いていたのだ。
そして、凪原の連絡で高上が無事目覚めたことを知らされるや否や、全速力でここまで戻ってきたというわけである。
道中の奴等が瞬殺過ぎてかわいそうだった、とは必死に篠生の痕を追いかけてきた照山の弁だ。
「にっしても、これでナギと恵飛須沢さんに続いて3人目と4人目ってわけか。それも大学側で武闘派の人員、こりゃめんどくさいことになるぜ。どうするよ、
わざわざ呼び方を生徒会時代のものにして問いかけてくる照山。
真面目に考える時も不必要な力みは入れず、ふざけられるところはふざける。以前からの彼等のやり方だ。
ゆえに、凪原の返事もふざけが混ざったものとなった。
「ま、どうにかなるだろうさ。お前もしっかり働いてもらうぞ、
「庶務だ!」
と、いうわけで7章第1話でした~。
そして初手からの原作ブレイク、高上君生存です。原作では学園生活部に矢を射かけ、篠生を気遣った後に発症、そのままフェードアウトした不憫キャラです。
本作では矢を射かけたのはドローンに対してだし、巡ヶ丘の同期(篠生)の恋人ということで救済措置が入りました。
大学に対する方針を考えていた学園生活部ですが、のっけから不測の事態が発生したために行動計画に色々と変更が必要なことになりそうです。が、まあこのメンバーならなんとかなるでしょう(楽観)。
それでは
・高上発症
転化しかけてる人はどんな感じなんだろうなぁって言うのを想像して書いた。資料としては2巻のリーダー・7巻の高上・9巻の貴人(武闘派リーダ―)と、以前インフルでぶっ倒れた時の筆者の実体験。ほんとに辛い時って、いきなり意識が落ちたりするんだよね...。
・ところがどっこい生きています
迅速なワクチンの投与こそが唯一絶対の解決策。努力と根性でどうにかできるほどウイルスは甘くない(戒め)、専門家でもないならできることはこれくらい。天命を待つのはきちんと人事を尽くしきってから、この場合はワクチンを打ったら後は信じて待つってことかね。
・ワクチン接種後の体調
特に問題なさそうっぽい?体温は平熱程度になっているようですが、今後は凪原と胡桃のように低下していくと考えられる。今度はその経過を観察したい凪原達は考えています。
・篠生 全力ダッシュ
さすがは巡ヶ丘31期の良心たる憲兵隊を率いていただけのことはある。本気で駆けた場合、同期内で身体能力が上位にはいる(要するに人外に片足突っ込んでる)照山でも追い縋るのがやっと。
・第31期巡ヶ丘生徒会役員
会長:凪原、副会長:早川、庶務:照山
この辺で今回はお終い。ここからはプロット作成と執筆を同時進行でやることになりそうですが、まあなんとかなるでしょう(思考放棄)。
それではまた次回!