「………あーーー、マジか」
机に肘をついた左手に額を押し当て、髪をかき上げるようにしながら頭を下げてそのまま後頭部をグシャグシャとかき混ぜる凪原。
彼の声色は多くが驚きに占められていたものの、それと同じくらいの納得もまた含まれていた。
しばらくそうしていた後、凪原は顔の向きだけを変えて照山に問いかける。
「なんか変かもな、とは思ってたんだ。――テルは平気ってことだろ?」
「おうよ万全も万全、ってのとはちょっと違うけど特に問題はないぞ」
「ならどうにかなる、か。ハヤと圭も来てくれたし」
そう言うと大きなため息を一つついてから凪原は体を起こし、今度はそのまま背もたれに寄りかかる。
「にしても、言われるまで気づけないってことは結構頭の方にもキてんのかね」
再びガシガシと頭を掻く凪原。そして口にしたのは、主部やその他もろもろを省略した脈絡のない言葉。
他人が聞いたら全く意味が分からないでも、この場においては問題ない。相手に意図を伝えられない言葉に意味はないが、逆に言えば伝わりさえするどれだけ省いてもいい。
現に早川と照山は凪原の言いたいことをすぐに理解し、少し考えるとすぐに話し始める。
「なくはないだろうけど、そこまで考えなくてもいいんじゃない?今の理解の早さが出るなら問題ないでしょ」
「だな、起きてるときは普通っぽいし気づけなくても仕方ないと思うぜ」
「実際のとこ寝て起きたら収まるからな。ただはちょっと気にかけて調べる必要があるな」
「それよか身体の方の現状把握が先だろ。今後どうするにしてもそこが分からねぇとどうにもならないぞ」
「そりゃそうだけど――「ねえナギ」――どうした胡桃?」
掛けられた声とクイクイとひっぱられる感覚に視線を横にやれば、隣に座る胡桃が凪原の服の裾辺りを小さくつまみながら困り顔を向けてきていた。
「えーっと、出来れば色々説明してほしいんだけど。ナギにはさっきので通じたみたいだけどあたしは全然だよ」
「というかボクらも完全には理解できてないんだよね~。相変わらず会長達は会話をすっ飛ばすから付いていくのが大変だよ」
そして便乗するように口を挟んできたのは桐子。ノリこそ軽いものの、そもそも彼女はどうでもいいと判断したら全く話を聞かないタイプだ。なので態度とは裏腹にそこそこ真剣なのだろう。
「あれ?さっきちゃんと説明しなかった?」
「『めんどくさいから会長が来たらまとめて話す』って言ってそれっきりだよ!」
「ナギ達が起きてくるまでシンキングタイムだ、とか抜かしてたな」
キョトンとした顔で首をかしげる早川に声を大にしてツッコむ桐子とそれを補足する照山。
シレっと無関係を装っているが説明をしていない時点で同罪である。どうせ彼も面倒を嫌ったのだろう。
「めぐねえも話してなかったの?」
「ふぇっ!?あっ、えっと私は篠生さんの診察をしていたので……」
凪原の言葉に一瞬驚き、ついで慌てながらもそれらしい言い訳を話す慈。
この場のメンバーの中で最年長であるのに、目を逸らしながら人差し指同士をつんつんさせる動作が似合うのが彼女らしい。
「それでそのまま忘れた、と」
「うぅ、そのとおりです…」
「さすがめぐねえ」
「そっ、それはどういう意味ですかっ!?」
両の拳を振り上げる慈を『どうどうステイステイ』と宥めながら凪原はこっそりと息をつく。少ない言葉でも理解することはできるが、それと平常心を保てるかは別問題だ。
できれば入ってきた情報を咀嚼し整理する時間が欲しいと感じていたので、胡桃の質問とそこからのごたごたは都合がよかった。
(さーってと こりゃなかなかの厄介ごとだな、どうしたもんかね。―――でもまあ、)
「―――どうにかなんだろ」
「ん?ナギなんか言った?」
「いんやなにも。それよりそろそろ服を放してくれ」
「あっ!」///
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「では改めて、ナギとくーちゃんが人生の新しいステージに進んだことについて説明するわね」
「おい言い方考えろバカ、胡桃が固まっちまったじゃねえか。――あと
仕切り直しののっけからふざける早川に、しかし凪原は苦笑しながら軽く文句を言う程度だ。
世の中には会話の間中常に真剣に話せるタイプと、隙間隙間にに冗談やネタを挟まないと話せないタイプがいる。
もちろん早川は後者であり、凪原、そして照山も同様である。そして巡ヶ丘31期の愉悦派も全員が後者だ(むしろそうであるからこそ愉悦派なのだとも言える)。
多少のジョークは会話の合間の潤滑油、それがあるからこそ議論が円滑に進む。というのが彼等の弁だが、その議論の結果導き出される結論は、一般的な感性を持つ者からすれば突飛極まりない。
仮に何かの偶然が重なり、天文学的な確率でまともな結論にたどり着くとしても、それまでにかなりの遠回りを強いられることになる。
そして大抵の場合はなんの奇跡も起こることなく、常人の発想の埒外の結論が完璧な理論武装を施された
その勢いに押し切られ、教師陣と穏健派が何度振り回されたかは数えきれない。
しかし、人間とは学習する生き物である。
多くの経験から生徒会や愉悦派に対する最適解を導き出した。
「そこまでです、話がややこしくなるので今は真面目にやってください。しのうさん、無理のない範囲でお願いします」
「ッ、了解です。ねえ凪原君達?私まだ時期的には全然動いて大丈夫なんだけど、久しぶりに、やる?」
「「「いえ、遠慮しておきます」」」
ゆらり、と独特な構えを見せる篠生を前に、元生徒会役員の声が揃い背筋が伸びる。
今回に限っては何もしていない照山まで同じ反応を示しているあたりなかなかの威嚇効果が窺える。
導き出された最適解、それは機先を制しそのまま抑え込むというものだ。
なんとも簡単なものだが夜討ちや朝駆け、いわゆる奇襲は古来より重要な戦術として受け継がれてきている。その効果のほどは折り紙付きだった。
事実、第31期の後半には篠生率いる憲兵隊が生徒会室に強制捜査をかけ、草案段階だったいくつかのイベント(開催された場合にかなりの問題発生が予想されるもの)開催を阻止することに成功していた。
ただ、この捜査は厳密な情報管理のもとに行われたのだが、憲兵隊が踏み込んだ時には既に凪原達は脱出していており室内はもぬけの殻、ということも数回はあった。
次に憲兵隊が捜査に入るのはいつか、そしてそれは成功するのかというのは当時の巡ヶ丘学院生徒の定番の話題である。
閑話休題。
「さて、そろそろ真面目に話すか」
「そうね」
「だな」
コホン、と咳払いする凪原に続いて頷く早川と照山。
初見の人が見れば3人とも謹厳実直、模範的な生徒会役員に見えるのだが、これまでの彼等を見ている面々からすればどうにも茶番の気配が拭えなかった。
「真面目に話始めるまでに30分以上って………」
「んーこれくらいなら早い方だと思うよ、会長達からすれば。普通に3時間ぐらい駄弁ってたりしてたし」
「大丈夫なの、それで?」
声に呆れをにじませた晶とそれに応じる桐子。
しかしそのフォローの言葉に今度は比嘉子が首をかしげる。彼女の顔には『生徒会だよね?』という思いがありありと表れている。
「へーきへーき、あの人達高校の時点で人外の領域に足突っ込んでたし。仕事が終わるまで帰らないから」
「「は?」」
思わず聞き返した2人に桐子はパタパタと手を振りながら続ける。
「一般的な生徒会の仕事とか、その他のイベントの立案とか準備とか、その辺の仕事がちゃんとできるまで帰らないんだよ。それこそ下校時刻を過ぎようが夜中になろうが、例え泊りになってもね。ま、耐久力が人間の比じゃなかったね」
「聞こえてるからその辺にしとけよー、ってかその耐久力が無くなってるのが問題なんだっての」
放置するとそのまま延々と高校時代の自分達の話をされそうなのでストップをかける凪原。
桐子が『ほーい』と手を敬礼するのを確認し、ようやく胡桃へと向き直った。
それと同時に彼の纏う雰囲気が変わる。どこからともなく取り出した伊達眼鏡をかけていることからも分かる通り、最近あまり見ることのなかった教師モードである。
「んじゃ胡桃。いきなりだけど俺と胡桃、あと高上と隊長、この4人の他の人と違うことと言えば?」
「感染してるかどうか、でしょ」
「その通り」
当然とばかりに答える胡桃を肯定し、凪原は立ち上がると部屋の隅にあったホワイトボードを引っ張ってくる。
マーカーのキャップをキュポッと外して今挙げた4人の名前を書くと、すぐに篠生と高上の部分を括弧で囲んでしまう。
「今胡桃が言ったように俺達4人は感染してる。まあ言っといてなんだけど、隊長たちは感染したのがつい最近だから今は一旦置いておく。もちろん無関係ってわけじゃないぞ」
今後は自分等と同じようなるからな?、という意思を込めて視線を向ければ当の2人は真剣な表情で頷いた。
それを確認して凪原はまた口を開く。
「そんで残りの俺と胡桃だけど、感染してからもう半年以上だ。当然その間に色々影響が出始めている」
言いながら凪原はボード上にマーカーを走らせる。2人の状態に関して感染前と比らべてそのままのものと変化したもの、それぞれ色を変えて記述していく。
「基本的な精神構造はそのままだ。幸いなことにカニパに目覚めることもなく至って正常、これはワクチンのおかげだな。あと感覚機能はだいたい変化なしだけど、温度感覚だけ微妙に鈍ってる」
サラサラと、話すのとほぼ同じでスピードで、しかも読みやすい字を書いていく凪原。
「逆に変化があったことといえば、やっぱり一番は体温の低下だ。今は2人とも29℃くらいで安定してるけど、どう考えても普通じゃない。温度感覚のズレはこれが原因だろうな。あとは身体能力の全体的な向上。つってもこれは筋力が上がったとかじゃなくて、脳のストッパーが少しイカレたんじゃないかと俺は思ってる」
体温についてはともかく、身体能力云々については
学園生活部側は落ち着いているのに対し、大学組は新情報に驚いている。彼女等の頭に浮かんでいるであろう疑問に答えるべく、少し時間を空けてから凪原は説明を続ける。
「奴等と白兵戦やったり見たりした人には分かると思うけど、奴等って動きがのろいわりに力は強いんだわ。特に握力とかは驚異的だな」
ゾンビに掴みかかられてどれだけもがいても振り解けずにそのまま餌食になる様は、パンデミック初期の頃によく目にした。壮年の男性がどう見ても高校生には見えない女子生徒に掴まれてもがく姿はなかなかにシュールだった。
一同も多かれ少なかれ同じような場面を目撃、あるいは経験していたのだろう。皆微妙に顔色を悪くしている。
「前に女性の奴等の握力測ったら50kgくらいあってびっくりしたわ、男だと普通に70以上いってたわね」
「数字が知れたのは嬉しいけどどう測ったよ?」
「データが取れるなら取った方がいいと思ったから圧力計をちょいと改造してな」
ゾンビの握力を計測するなどという、過激な動画投稿者でも思いつかない(仮に思いついても実行には移さず、移したら移したで高確率で喰われる)行動をサラリと報告する早川と照山。
普通ならドン引くところだが31期からすれば『ちょっと頑張ったな』程度のものだ。凪原も特にツッコむことなく得られた情報を脳内に書き込んでおく。
「じゃあ具体的な数字が分かったところで続きな。まあ握力70オーバーの人間がそうそういるはずがないわけで、なら奴等に転化したことで握力が上がったと考えるしかないっつーことになる」
眼鏡の位置を戻しながら凪原は話を続ける。いつの間にやら白衣を身に纏っているがいつものことなので誰もあえて指摘はしない。
「ただ握力が上がったっつっても奴等が筋トレなんかしてるはずがない、というかして堪るか。んでなんでだろうなーって考えた結果、さっき言った脳の安全機能がイカレたんじゃねえかって結論に至った」
「あー、なんだっけ。人間の脳は『全力を出せ』って命令と『出すな』って命令を同時に発令してるとかいうヤツ?」
「そうそれ」
思い出したように口を挟んだ桐子を指さして頷く凪原。
「全力を出すと体にもダメージが来るからってことで、脳は無意識のうちに出力をセーブしてるらしい。ま、要は人が出せる筋力の限界は思ってるより数段上なわけだ。んでもってこのセーブはその人が理性的であるほどしっかり働くみたいでな」
以前ニュースで度々聞くことのあった『ついカッとなって』というのは理性的でなくなった瞬間にこのセーブが緩んでしまったことに起因するのだろう。
理性的でない人間は獣に近づき、そして獣は恐ろしい力をふるう。
「奴等はどう考えても理性的じゃないからな、この辺のセーブが丸ごとフッ飛んでるんだと思う。んで、同じことが感染してる俺と胡桃にも起きてるってわけだ。もちろん理性はちゃんと残ってるからその分各種身体能力の向上幅が小さいのも納得できる」
これが、自身の身体に起きた変化に対する凪原なりの結論だった。
データが少なすぎるうえ多くの部分が推測だが、一応筋は通っている。
今後、篠生と高上の身体に同じような変化が起きれば、この説の信頼性はさらに高いものになる。
「ということで、2人はこれから定期的に筋力とかのデータを定期的に取ってもらいたいんだけど?」
「うん、分かったよ」
「そういう事なら、喜んで協力するよ」
そう凪原が水を向けると、どちらも快く了承してくれた。
自身の身体に関することだ、2人とも気になっているのだろう。
「ありがとう。――さて、3つ目の大きな変化は奴等から襲われにくくなるってことだが、これについては正直よく分からん。以上、終わり」
「「「ちょっと待った(待って)!」」」
唐突に説明をブン投げた凪原に多方面からツッコミが入る。
「いきなり大声出すなよ、びっくりしたぞ」
「いやいやいや、そりゃ大声も出すよッ。何今の、さっきの運動能力の話と比べて短すぎでしょ!3行で説明しろってレベルじゃないよ!?」
顔をしかめる凪原に構うことなく一番大きな声でツッコミを入れた桐子の主張は、まあもっともである。
しかし凪原としてはもう少し手短に進めたい。まだこの後に今一番話すべき変化があるので端折れるところは端折りたいのだ。
とはいえ、やや話しすぎたので少し休憩したいという思いもある。
「う-ん………、よし。じゃあ胡桃、今言った俺等の体質について説明頼むわ」
「へ?」
少し考え、何かを思いついた表情になった凪原は胡桃に声をかける。
一瞬間の抜けた返事をした胡桃だが、内容を理解すると同時に先ほどの桐子と同じくらいの勢いで詰め寄ってくる。
「いやいやいやっ、いきなり投げてくんなってッ。ナギが説明した方が絶対いいだろ、分かりやすいし!」
「人に分かりやすく話す能力も大人になるうえでは必要だぞ。あとシンプルに俺以外の視点からも話した方がいいだろ」
「そりゃそうだけど…」
てきとうに丸め込み、渋々ながらホワイトボードのところまで来た胡桃と入れ替わるように席につく。
軽く目を閉じた凪原は自身に起きていた4つ目の変化を分析すべく、高速で頭を回転させていた。
それではまた次回!
胡桃「えーっと、『力尽きたので今回は後書きはナシです、ごめんなさい』だってさ」
凪原「あにゃろう、ちゃんとペース配分考えて書けよ」