今回は、あまり本編で深掘りできなかった安鐘の話です。
???章で書こうとするとあまりにも話が脱線してしまうので省いていました。
生存者のネタバレがありますのでご注意ください。
夏に読むのがいいかな、と思います。
厳かな空間の中、一言も発さない両家の間に走る時間は永遠にも感じられた。
「どういう了見で、このような事を?私の家を馬鹿にしているのでしょうか」
安鐘家当主の男が不機嫌そうに、しかしかろうじて言葉遣いは丁寧に、その沈黙を切り捨てにかかる。
「まぁまぁ、うちの子は気長なところがありまして。そない時間も経ってないでしょうに、もうお手洗いが近うなったんですか?」
「……」
これだから、実家って……嫌いよ。
今もなお現れない婚約相手のように自分もこの場を飛び出して、そう文句を叫べたらと、叶いもしない夢を頭に浮かべ、無駄な期待をするものではないとすぐに取り消した。
しかしこの日、いくら待てども少女の前に生涯を共にする予定の男は現れなかった。
「鈴華さん、ちょっといいかしら」
「私、ですか?」
「そうそう」
帰り支度を始めた呼び止めたのは、父を散々煽っていた阿多野家の女当主、つまるところ近い未来の安鐘の姑である。
「今日は本当にごめんなさいね。貴女のお父さんとは昔から反りが合わなくてああ言ってしもうたけど、今回の落ち度は完全にこちらにあるでしょう?」
「いえ、そんな……」
「謙遜せんといて。貴女みたいなかわいらしい子をうちの愚息がもらっていいんか、今も信じられへんのよ」
「いえ……私こそ……」
阿多野家の人は悪い人という噂は聞かないけど、そうやすやすと信じられる人でもない。言葉通り受け取るべきかしばらく思案し、そして頭を下げた。
「私のような者をもらってくださって、感謝しかありません」
「……、愚息はここまで来てるはずなのよ。ねぇ、鈴華さん、少し会ってくださらない?」
「そうなんですか?奥様のご都合がよければ……」
「奥様なんて仰々しいわぁ」
阿多野家の当主は笑った。
「お義母さんでええのよ」
安鐘も、笑うよりほかなかった。
□□□
「げ、ババア」
「こら!!!アンタ、人前で何言うてはるの!!!」
「うわっ、来んなよ」
すまし顔が一変、般若の形相で息子を追い回す普通の母親になり果てた阿多野家当主に対し、安鐘は何もできずにその場を見守っていた。
ババアだなんて。あの人がババアなら、私もおばさんになってしまうわ。
聞き馴染みのないストレートな暴言にいささか顔をしかめながら、この場をどうする事もできない安鐘にとれる手段など何もない。
「うわっ」
「えっ?」
「鈴華さん!!!」
眼前に迫った男の人を避けられず、そのまま押し倒されてしまった。
「あぶね、潰すところだったわ。誰?てか大丈夫?」
「は、はい……」
私を起こすと彼は庭に腰をおろした。これが、ヤンキー座り……!漫画で金属バッド片手にしゃがむ男を見た事はあるが、実際目にしたのはこれが初めてだった。
お母さんに追い回されるこの男の人が、私の結婚相手……。二歳年上と聞いていたが、もう少し年の離れたしっかり者の兄を持つ安鐘にとって、いわゆるガキにしか見えなかったのは仕方のない事だった。
「ちょっと、大丈夫なの?アンタ、いい歳して何逃げてんのよ!」
「あぁ?誰とも分かんねー奴と結婚とかしたくねーっつってんだろ。どうすんだよとんでもねぇブスだったら、俺絶対「お前ブスだな」って言うからな、破局だ破局」
「いい加減におし!!!」
「いでっ」
とんでもねぇブス。ど、どうしましょう、私、今日は面会だからと厚化粧だわ。化粧を落とした時に彼の言うとんでもねぇブスだった場合、私は……。そうぐるぐると頭を悩ませる安鐘を振り切るように、般若から人に戻った阿多野家当主の声が響く。
「鈴華さんの顔見てみなさいよ!!!誰がどう見てもとびきりの美人でしょうが!!!アンタを目が腐った人間に育てた覚えはないわよ!!!」
「鈴華?……君の事?」
「……は、はい」
彼はじーっと安鐘と目を合わせてきた。鷹のような目と言うべきか、鋭い視線につられて安鐘も相手から目が逸らせなかった。
「めっちゃかわいい」
どうしましょう……この人、苦手だわ……。
「てかババアは写真見せろよ、見てたら余裕で席についとったんやけど」
「知ってると思ってたの、小さい頃何度か見かけた事あるのよ」
「へー」
やがて彼は、自分の服が安鐘と違い補習帰りの制服だという事に気づき、着替えてくると言ってその場を後にした。
「……」
「まったく、恥ずかしい」
「えっと、私こそ、なんだかすみません……」
「……鈴華さん、前から思うてたんやけど、その癖、治した方がええよ」
「えっ?」
「その謝り癖、何も悪うない事で謝ったら損するだけや。どこでもらってきてしもうたんか知らんけど、虎遊に治してもらい」
「くゆう、さんにですか……?」
「阿多野家次期当主、阿多野虎遊。愚息やけど図太さだけは一人前に育てとるさかい、鈴華さんにも悪うない相手ではあると思っとるわ」
安鐘の父親を煽っていた彼女からは考えられない柔和な笑みを浮かべ、彼女は安鐘に向き直る。
「不満があれば遠慮なく本人にぶつけてええから、一回話してみてくれへんやろか」
□□□□□
「虎遊さん、またお義母さまから怒られてますわよ!そろそろ練習に出ろって……!」
「行かねぇよ。鈴華ちゃんもババアのお使いしてないで俺と出かけようぜ」
「ば、ババアっていうの、よくないと思いますわ!」
「鈴華ちゃんも今言うた」
「これはカウントしません!」
「あはは」
「……ふふっ」
2人が出会ってから数か月。初対面が嘘のように打ち解けていた。
阿多野と遊ぶ間は“許嫁としての役目である”として周囲からの目が薄くなっており、瞬く間に安鐘の世界は急変していった。
学校の帰りに家に寄らずカラオケに行く事。
プリクラでらくがきの終了時間ギリギリにメッセージを書き込まれる事。
近所のたい焼き屋でたい焼きを買い、神社に持ち寄って小腹を満たす事。
誰よりも先にテストの点を見せ合う事。
バイト終わりに待ち合わせをして歩いて帰る事。
誕生日クーポンでいつもより豪華なアイスを食べる事。
阿多野が見せる全ての普通が、安鐘にとっては特別輝いていた。
しばらく経ち、そろそろ制偽学園の特別学級に安鐘が入れるかもしれないという話が持ち上がった。
阿多野家は弓道を代々引き継いでおり、安鐘は阿多野が選ばれない事にも、そもそも制偽学園に入らなかった事も疑問であった。学校が一緒ならもっと気軽に会えるのに、という密かな願いは安鐘自身にすら気づかれず、単なる疑問として阿多野に投げかけられる。
「もう……!虎遊さんは、虎遊さんだって弓道でちゃんと成果をあげているのに、なんでそんなに自信がないのですか……!」
「才能がないからや」
「……そんな、才能なんて」
「知っとるか?古町家っていう由緒正しい弓道一家のお嬢さんは俺とほとんど年は変わらないのに天才児だと持て囃されてる。ああいう存在が同世代にいるのに、やる気が起きるかってんだ」
「でも、まったく同じ競技ではないでしょう?虎遊さんは虎遊さんだけの武器が……」
「俺だけにできる事があっても、あの女には勝てない。他の武器で差をつけられてるからだ。たしかに、100回やったら1回はまぐれで勝てるかもな。でも、100回やって99回負ける相手に2度挑んで2回ともは勝てねぇんだよ」
阿多野の目に映るのは、僻みでも、失望でもない。
”周知の事実”、”当たり前の評価”、”単なる常識”。阿多野は最初から、自身を才能ある者と同じ土俵になど並べていなかったのだ。スポーツ選手を見て「自分だったらこうするのになぁ!」とヤジを飛ばす観客のように、クイズ番組を見て「今のも答えられないのか!」と嘲笑する視聴者のように、文句を投げかける事もない。
ただ初めから、別世界の人間として見ているからこそ、彼は自身の能力を呪う事もなかったのである。
その姿が、諦めではなく別の道を歩もうと息巻く阿多野の存在が、安鐘にとってどのような影響を与えたのかは言うまでもない。彼女もまた、自分が佇んでいる土俵に誰もいない事を悟り、自身の存在を羨む親族が”観客”にすぎない事をようやく理解したのである。
つまるところ、阿多野の存在により、安鐘には“家に尽くす理由”がなくなったのである。
けれど、彼と彼女の最大の違いは、
「虎遊さん、わたくし、まだやり切ってませんわ」
「……鈴華ちゃん」
「最後に1つだけ、家の為に叶えたい事がございますの」
安鐘は、尽くす理由がないとしても、簡単に割り切れない性格であった事。
「わたくし、絶対帰ってきますわ。超高校級と呼ばれる存在を輩出できれば、いくら影のような家門でも、もう十分でしょう。わたくしの役目は、わたくしが家のためにがんばるのはこれで終わりです」
「……じゃあ」
「待っていてください。わたくし、卒業したら必ず虎遊さんの元に戻りますわ。虎遊さんとなら、すてきな家族になれるって信じていますの」
「……!あはは!えっ!?めっちゃ嬉しいねんけど。わざわざ戻ってくる事ねーよ。鈴華ちゃんの事、俺が絶対迎えに行く」
阿多野はけらけらと笑った後、かよわい少女の手を取る。
「うちの親と話してさ、俺の家の道場、親の代で締める事にしたんだ。だから、普通の家になるんや。俺は普通の会社に勤めて、地道にやっていく。鈴華ちゃんに苦労させへんよ、最近勉強も本気でやってさ、成績、上から数えた方が早くなったんや、すごいやろ?」
「……普通なんかじゃ、ないですわ」
「え?」
「虎遊さんの事、わたくし、尊敬しています」
「……おう!もっと尊敬してええぞ!」
この人となら、自分は幸せになれる。
そう理解した安鐘の涙は地面に落ちるより先に、相手の伸ばした手に掬い取られていった。
学校を卒業して、大人になったら、私は家を出て、自分の為に生きよう。
安鐘の固い決意は、阿多野と2人の約束になった。
夏休みと正月に帰省した安鐘は随分明るくなっており、今まで静かにしていたのが嘘のように楽しそうだった。寮にいる間も阿多野への連絡は欠かさなかった。
そして、無事特別学級への進学も決まり、残すは卒業のみとなった。
「兄様、わたくし、もう安鐘の人間として茶道はしない事に決めましたの。お父様とも大喧嘩してきましたわ」
「……知ってる。俺も説得には一枚かんだんだ、あの阿多野の坊ちゃんが頼み込んできたからな」
「……え?虎遊さんが?」
「鈴華が心底楽しそうで、満足してるなら、あの男に任せてもいいと思った。不満が出てくればいつでも戻って来い。もうじきこの家も俺のものだから、来やすくはなってるだろう」
「わたくし、兄様も母様も父様も好きですわ。今までありがとうございます、これからも、不甲斐ない娘ですが、助け合っていけたらと、思っております」
喧嘩をした結果認めてもらえた。
初めてだった、両親に自分を認めてもらったのは。親戚はおもしろくないかもしれないけれど、自分のやりたい事は成し得たのだ。1人じゃ届かないと思っていたもの全て、後押しさえしてもらえればできる事だったのだと、安鐘は自分を褒めた。
阿多野にも無事両親から許しが出た事を伝え、その日は盛大にお祝いをした。
「鈴華ちゃん、次会う時は旅行しような、行きたいとこ考えといて。いい男になって待っとるわ」
「……はい!わたくしも、立派になって帰ってきますわ!」
安鐘が阿多野と顔を合わせたのは、これが最後だった。
□□□□□
「ふーん、天才共がこぞって集められた結果がこれか」
「……あなたは」
「阿多野虎遊。お前達が鈴華ちゃんの元クラスメートか?」
無言でいの一番に阿多野に対しお辞儀をした青年の名は、宮壁大希。
その反応の速さがより神経を逆撫でしたのか、阿多野は勢いのまま言葉をぶつける。
「何とか言えや、鈴華ちゃんだけじゃない、俺の、俺と鈴華ちゃんの子どもも返せよ!!!」
「……本当に、すみま」
「意味分かんねぇだろ!!急に消息不明になって、連絡もつかなくなって、久しぶりに連絡が取れたかと思ったら、死にましただぁ?バカ言ってんじゃねぇぞ!!!!」
「……っ、仰る通りで」
「鈴華ちゃんが、なんで死ななあかんのや!!!あの子がなんか悪い事したか!?なぁ!!!!」
「やめなさい!君、泣きたい気持ちは分かるけど、彼らにぶつけても意味がないでしょう!」
スーツに身を包み、眼鏡をかけた女性が阿多野の腕を掴む。すんでのところで宮壁の頬を掠めたこぶしは、そのまま阿多野の膝へと帰って行った。
「……ごめんなさい、挨拶が遅れました、三笠壮太の姉です。壮太の遺したものとかがあればと思って来ました」
「わざわざご足労いただきありがとうございます。極力回収してますので……」
宮壁と共にお辞儀をしていた女性、篠田瞳は彼女を奥に案内するために消えていった。
「……はーっ、違う、こんな事言う為に来たんじゃねぇんだ。ごめんな、宮壁くん……だったか。もういい年なのに恥ずかしい事言うたわ」
「……当然の事だと思います」
「鈴華ちゃんは、楽しそうやった?覚えてる範囲でいい。学校に行ってた時でも、その、閉じ込められてた時もよ、何かしら会話とかはあんだろ」
「……」
自分に、安鐘を語る権利があるのか、そう一瞬迷ったが、コロシアイを終えた彼には権利ではなく、その責務があるのだと自分を納得させる。
「安鐘は、ずっと、優しくて、綺麗な人でした」
「はぁ?人の彼女を俺の目の前で綺麗とか言ってんとちゃうぞ」
「いや、違っ!すみません、心根の話です!……コロシアイの間も、いつもまっすぐで、毅然としていて、間違っている事は間違っていると言える、強い人でした。俺達も何回も励まされていました」
「……そっか、鈴華ちゃん、そない状況でも優しいんか……」
「はい」
「そうやんな、そういう子やったもんな……」
おそらく安鐘の私物であったであろうものを阿多野に渡す。コロシアイの中で勝手に用意されているものも一部あったが、阿多野はてきぱきと不要なものと持ち帰るものを仕分けていた。
「あかん、やっぱりめっちゃ好きやわ……」
「ヤバいなぁ、鈴華ちゃん、もう俺と会うてくれへんのか……マジかぁ……」
零れる涙をそのままに、阿多野は安鐘の帯を握りしめていた。
「宮壁くん、安鐘の家の事は任せとき。これでも鈴華ちゃんの旦那や、鈴華ちゃんが盆に笑って帰ってこれる家、作っといたる。……協力できる事はあれば何でも言いや」
「……はい。ありがとうございます」
「よおがんばったな、君ら。大変やったやろ」
「……」
「俺やったら逃げ出しとるわ、鈴華ちゃんもすごい子やけど、さすが鈴華ちゃんのお友達やな。たまには自分の事褒めてやらなあかんで」
「……、はい」
「お、泣いたか」
「泣いて、ないです……」
肩を震わせる年下の青年を見て、阿多野はため息をついた。まだ若いその肩に、どれほどの重荷をのせて日々を歩んでいるのかと想いを馳せ、きっと自分には理解できないだろうと思考をやめた。
「あの隣におった女の子にも偉いでーって言うたってな。ほな帰るわ」
「あ、あのっ!ありがとうございました……!」
「はは、こっちの台詞や」
宮壁の肩を払うように軽く叩き、その払った重荷をもらい受けるように空を掴む。
「ちょっともらったるから、後の事は任せたで」
今年のお盆まで、あと数週間。