もしも、西住まほが妹だったら   作:青葉白

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 時系列がややこしくってすみません。今回、いつも以上に場面が飛び飛びです。
 一応、沙織編のラストは、聖グロ戦と抽選会の間くらいの出来事のつもりで書いてます。



視点、秋山優花里

1.

 

 私には、強く強く憧れている人がいる。

 尤も、その憧れが特に強くなったのは、割かし最近のことですが。

 

 私は、元から戦車に強い拘りがあったし、戦車道にも興味があった。

 けれど、戦車道はお金のかかる習い事だったから、実際にやる機会には恵まれなかった。精々が、近所の戦車道ショップで戦車戦を模したアーケードゲームを触らせてもらうくらい。あとは、ずっと、テレビとか、雑誌の向こう側の世界を眺めるばかりだった。

 

 彼女は、その戦車道の選手だった。尤も、プロとかではなくて、学生である。ただ、家柄が家柄なので、将来はプロ間違いなしとか、雑誌でも特集が組まれるような選手ではあった。強豪校の隊長も務め、中学の全国大会ではチームを優勝に導いたりもしている。

 

 同い年なのに、すごいなぁ、って。そんな風に思ってました。

 けれど、それだけ。憧れのスター選手とか、それくらいの認識だった。

 彼女が特別凄いかというと、そんなことはなかったし。実績だけを見れば、彼女の姉の方がずっと凄い選手だった。たぶん、同い年だからこその贔屓があって、応援していたのだと思います。

 

 その認識が変わったのは、去年の高校戦車道全国大会の決勝がきっかけだった。

 私は、当然のようにかじりついてテレビを見ていた。見入っていた。アマチュアの大会など、テレビ中継がされるのは全国大会でも決勝戦くらいのものだ。

 彼女は、優勝を期待された学校の副隊長で、フラッグ車の車長だった。

 

 対戦相手であるプラウダ高校の砲撃で、フラッグ車を護衛していた戦車が1輌、崖から川に落ちた。それが、偶然の事故か、それともプラウダの狙ったものだったのか。テレビで見ている分には分からない。ただ、それ以降、プラウダの戦車が動くことはなかった。

 

 戦車は特殊なカーボンで守られているから、川に落ちたところで大破するということはないだろうと思われた。けれど、中に乗っている人間はそうじゃない。戦車の中は狭い。激しく車体が揺れてしまえば、どこかに頭を打つかもしれないし、水没すれば車内に水も入ってくる。逃げ場のない棺桶の中で、迫り上がってくる水を眺めながら、いつ来るとも知れない救助を待たなければいけないのだとしたら、それはきっと、…体よりも先に心が壊れる。

 

 動いたのは、彼女だった。

 彼女だけだった。

 

 実況と解説が、なにごとかを喚く。

 カメラは、フラッグ車を飛び出して、崖を生身で降りていく彼女の姿を捉えていた。

 

 それは、あまりにも危険な選択でした。

 命綱もなしに雨で増水した川に飛び込むなんて自殺行為だし、なにより彼女はフラッグ車の車長だ。車長がいなくなった戦車は、動くことのできない的と同じである。撃破を待つ棺桶だ。これがきっかけで負けたりしたら、きっと批判が集まるのは必至だろう。

 

 そして、それだけじゃない。

 彼女は、西()()()()()()()

 こんなこと、勝利至上主義である西住流の流儀からは、もっとも外れた行いである。

 

 これまでの全部を投げ捨てるような覚悟を持って、彼女は仲間を優先した。

 そんな彼女の行動に、私は感動し、尊敬の念を覚え、そして、心底魅入られました。

 

 結果だけを見れば、プラウダはそれ以上フラッグ車を狙ったりしなかったし、試合も黒森峰が勝利した。世間は、専らどちらの行いも称賛するような報道をしたけれど、でも、きっと、彼女を取り巻く環境は以前と全く同じままというわけにはいかなかっただろう。

 

 私は、曲がりなりにも戦車道のファンだ。だから、彼女の境遇を想像するくらいのことはできる。きっと、これからの彼女に待っているのは、家からの叱責と、支援者たちからの厳しい追及だろう。

 それだけ、「家元の娘」という立場は影響力を持っており、ついて回る責任も大きい。

 

 それでも、きっと彼女の選択は、何も間違っていなかったのだと、私はそう信じている。

 もしも、彼女に会う機会に恵まれるのなら、私はそれを伝えたい。伝えてあげたい。そう思った。

 叶うのならば、彼女の隣に立って、一緒に戦って、そして、支えたい。力になりたい。そう思った。

 

 尤も、本当にそんな機会が訪れるなんて、当時の私には想像もできないことでした。

 

 

2.

 

 戦車道が復活する。

 そのニュースが飛び込んできた時の、私の気持ちは言葉にできないほどだった。

 

 唐突に体育館に集められ、映像を見させられる。

 スクリーンに映る、きびきびとした所作で戦車に乗り込む女性たちは、いささか作り物めいてはいたが、憧れの姿には違いなかった。

 

 そして何よりも、壇上に登り、生徒会の役員たちの隣に立つ彼女の姿を見つけて、私の心臓は痛いほどに跳ね上がった。まさしく夢見心地。本当の私は眠っていて、これは眠っている私の作り出した都合のよい夢なのだと言われたら、それを信じてしまいそうなくらいだった。

 ともすれば、夢ならば醒めないでくれと願うほどです。

 

 はじめて彼女と話をしたのは、戦車道の授業でした。

 

 転校生の噂を聞きつけ、その名前を聞いた時から、もしやとは思っていたし、何度か声をかけようかと教室まで様子を見に行ったこともあった。けれど結局は、話しかける勇気も出せずに、友人らしきクラスメイトと楽し気に話している姿を遠目に眺めていることしかできなかった。

 とはいえ、流石に同じ授業を取るのだし、もしかすると同じ戦車に乗ることもできるかもしれない。話しかけなければ。話しかけなければと思いながら、私は彼女の後ろをひたすらについて回りました。

 

「あのぅ」

「ひゃい!?」

 

 少し気が緩んだ瞬間に、私は彼女の姿を見失っていた。

 すると、突然にとんとん、と肩を叩かれ、声をかけられた。

 ハスキーでカッコいい声だ。女性にしては少しだけ低めだが、聞き取りづらいということはない。しかし、どこかぼんやりとした口調であった。

 

 慌てて振り返ると、そこには自分よりも少し背の高い少女の顔が見えた。髪は暗い茶色の髪で、目は少しツリ目がち。ともすれば、冷たそうとか、怖そうという感想を抱かれかねない鋭い目つきにも見える。しかし、顔のパーツは非常に整っていて、はっとするような美人だった。彼女がかつて在籍した黒森峰のパンツァージャケットは黒を基調としたもので、彼女の凛々しさのようなものをよく際立たせていたが、存外、白を基調とした大洗の制服もよく似合っている。うまく言葉にはできないが、肩の力が抜けているようにも見えて、より自然体な感じがする。

 

「あ、あ、あの…」

 

 私は、言葉に詰まってしまった。

 だって、仕方ないじゃないか。私の目の前に、誰よりも憧れた彼女がいるのだから。声をかけることが出来たらこんなことを話そうとか、そんな風に考えていた全部が頭から吹き飛んでしまったのだ。

 そんな風に私がもじもじしていると、心なしか表情を柔らかくさせて、言葉をかけてくれました。

 

「戦車道の受講者ですよね。ええと、そう。秋山優花里さん。もしよかったら、一緒に探しませんか?」

「いいんですか!?」

 

 奇跡かと思った。

 だって、まさか憧れている相手から声をかけてもらえた上に、一緒に戦車を探そうと誘ってもらえるだなんて。私は今度こそ自分の頬をつねって確かめたい気持ちに襲われた。しかも、名前まで憶えられている。今にも翼を生やして、空に浮かんでしまいたい気分だった。

 

 聞けば、西住殿は、予め戦車道の受講者名簿を生徒会から共有されていたということである。

 

 それでも、まるで運命かのように感じてしまったのは、仕方のないことだった。

 

 

3.

 

「へぇ、こんなところがあるんだ」

「おや、西住殿もはじめてですか?」

 

 西住殿が、興味深そうに店中のあちこちを見回している。雑誌の種類に驚いたり、模型の数に目を輝かせているようにも見えた。

 私たちは、放課後に近所の戦車道ショップに足を運んでいた。店の名前は「せんしゃ倶楽部」という。

 

「熊本だと、こういう店には行く機会がなかった。学校の備品は豊富だったし、家だと欲しいものは頼めば手に入ったから」

「うわ、地味なお嬢様発言」

 

 西住殿の発言に驚いているのは武部殿だけだった。五十鈴殿は、「確かにそういうものですね」と思い当たる節があるように頷いている。

 なんでも、五十鈴殿も華道の家元ということで、道具や勉強の教材に困ったことはないそうでした。

 

「それで、どうしてこんなとこに?」

 

 西住殿がぱらぱらと雑誌をめくる。その雑誌を覗き込んだ武部殿は、うぇ、と嫌な顔をした。おそらくは、戦車のスペックについて長々と書かれた文章の列を見つけたからだろう。

 

「うちの学校には、戦車道の資料がほとんどありませんから。せめて、雑誌くらいは、と思いまして。ただ、私も戦車を知らない人って、どの程度知らないものなのか分からなかったので、武部殿と五十鈴殿のご意見を伺いたかったんです」

「なるほど」

 

 そう言うと、西住殿は雑誌の適当な頁を開いて、武部殿に手渡す。渡された武部殿は、頭の上はてなマークが浮いて見えるほどだった。他の雑誌を五十鈴殿も眺めているが、こちらも表情は芳しくない。

 

 私も西住殿も昔は戦車のことなど知らない普通の子供だったはずだが、あまりにも遠い過去のことで、気づかないうちにハードルを上げてしまう恐れがあった。その点、武部殿と五十鈴殿は戦車については素人と聞いている。基準にするなら、これ以上の適役はおりません。

 

「そういうことなら、詳しいことの載っている専門書も多いけど、こっちは止めておいた方がよさそうだな」

「私も同意見です」

 

 知識とは武器だ。特に戦車道においては、対戦する戦車についてどれだけ情報を集められるかが肝であると言っても過言ではない。そのため、戦車とはなんぞや、という基礎知識は戦車道を履修するにあたっては必要不可欠である。

 しかし、好きこそものの上手なれ、と言う言葉もあるが、いきなり戦車のスペックやら用語やらを頭に詰め込むのは、普通の女子高生にとっては苦行の類いだろう。私だって、戦車の関係ない試験勉強は苦手でした。

 

「この辺りの解説本は、文章も簡単な言葉を使っているので読みやすいですし、イラストや写真も比較的多めです。どうでしょう」

「うん。これくらいなら、私でも読めるよっ」

「こちらはどうですか。少し踏み込んだ解説もありますが、同じ出版社が出しているものです」

「ううん。こちらは、すみません。少し難しい言葉が多くて…」

 

 いくつかの初心者向けと思われる解説本や雑誌をふたりに見せ、所感を訊ねる。そんなことを繰り返していると、西住殿が呟いた。

 

「秋山さんは凄いな。わたしには、とてもそんなことは思いつかなかった。西住の家でも、黒森峰でも、勉強することは当然だったから」

「皆さん、戦車道が好きな人たちですからね。けれど、大洗のみんなは、これから戦車道を好きになる人たちですから」

 

 西住流の門下生は言わずもがな、黒森峰の機甲科だって、戦車道のエリートが集まるのだ。自分で門を叩いた以上、日本でも有数の戦車道好きしかいないはずである。西住殿は、そのエリートの中でも選りすぐりだ。気づかなくて当然というものである。

 

 私は、戦車の知識にはそこそこ自信があるが、戦車道の経験は皆無だ。そんな中途半端な自分でも、西住殿のお役に立てることがあるすれば、そういう意識の違いを調整することである。

 尤も、自分も普通の女子高生とは言い難いと自覚していますから、どこまでフォローできるか不安は残りますけれど。

 

「それで、これをどうやって持って帰るの?」

 

 気がつけば、随分と多くの本を購入していた。

 初心向けの本だけでなく、ステップアップを考えて中級者向け、上級者向け、戦術の指南書、初心者の導入用に戦車の登場する漫画、エトセトラエトセトラ。とまぁ、途中から欲しいものに意識がズレていった結果、予定を大きく上回る量の本が積みあがった。

 一応、事前に生徒会の人には相談していたので、お金の心配はない。…はずだ。ここまで買うとは思っていないだろうから、もしかすると怒られるかもしれない。

 

 しかし、問題は、紙袋3つ分にもなる大荷物をどこに運ぶか、であった。

 

「あー、うん。ここからならわたしの家が近いし、一旦わたしの家に置いておこう。最初のうちに必要なのは、このうち数冊だし。学校に持っていく分には何度かに分ければいいだろう」

 

 考えなしに買い込んでしまって、少しばかり後悔。西住殿に迷惑をかけてしまった。

 すると、そんな私の様子に気がついたのか、「気にしないで」と西住殿が小さく声をかけてくれた。やっぱり、この人はよく気づく優しい人だ。

 

 そのとき、ぱん、という音がした。

 見れば、武部殿が両手を合わせている。いいことを思いついた、という表情をしていた。

 

「あ、じゃあさ。みんなでまほの部屋に遊びに行っていい?」

「え?」

「一人でその量の本を持っていくのは大変ですから、わたくしたちにも一つ持たせてください」

「沙織さん、華さん…。ありがとう。お願いしてもいいかな」

 

 わわわ。しまったと思った時にはすでに遅く、3つあるうちの紙袋はそれぞれ西住殿と武部殿、五十鈴殿がそれぞれ手にしてしまっている。ここで、私が持ちます、とは言いだしづらい空気だった。

 しかし、それができないことには、私だけ西住殿のお部屋にお邪魔することができなくなってしまう。仲間外れは嫌でした。

 

「そうだ。どうせなら、みんなでご飯作ろうよ。軽く4人分の材料を買ってさ」

「お料理ですか?」

「で、でしたら!材料は私に持たせてください!」

「重たくなっちゃうけど大丈夫?」

「鍛えてますから!」

 

 むん、とガッツポーズをしてみせる。

 もしも武部殿が料理を作ろうと言い出してくれなかったら、私はどうしていただろう。一人寂しく、ここで「また明日」とでも言って、とぼとぼと帰路についたかもしれない。

 

 武部殿と視線が合う。ウィンクをされました。

 

 

 部屋は、こう言ってはなんだが、普通の学生寮だった。

 周りも、豪奢な住宅ばかりが並んでいるということもなく、ごく普通の一軒家だったりアパートだったりが軒を連ねていた。少し歩けばコンビニもある。

 

 私からすれば、正しく西住殿はアイドルかスーパースターのような存在だ。そうでなくても、西住流の後継者候補である。てっきり防犯対策のされた大きいマンションなんかに住んでいるものと思っていたが、そんなことはなかったらしい。意外に不用心というか、ぞんざいな扱いにも思えたが、彼女が大洗にいる背景を考えれば、それも仕方のないことかもしれなかった。

 

「秋山さん?どうかした、そんなところで立ち止まって」

「あ、すみません。西住殿のお部屋に来られた嬉しさで、少し感じ入ってました」

「そ、そう」

 

 すると、西住殿は普段あまり動かさない表情筋を動かして、笑顔のようなものをつくろうとしていた。

 

 …はっ!?もしかして、私また何かやっちゃいましたかね…。

 い、いやいや。まだセーフ。まだ大丈夫なはず。これで西住殿が普段使っている布団に潜り込んだりしたら嫌われても文句は言えないけど。それくらいの自制心は働くはずだ。

 

「お、おじゃましまーす…」

 

 おずおずと中に踏み入れる。部屋の中も至って普通の一人暮らし用の部屋に見えた。少し気になることがあるとすれば、物が少ない、ということくらいだろうか。ある意味ではイメージ通りだが、女子高生の部屋と考えると少し殺風景だ。小さなテレビと小さなテーブル。勉強道具や戦車道関連の本が積まれた学習机。趣味のような匂いがほとんど感じられなかった。

 

「まほ、意外と料理してるんだね」

 

 流し台のあたりを観察していた武部殿の声である。

 どうやら、食器や調味料を確認しての感想らしい。

 

「黒森峰も寮だったから。まぁ、いつもはルームメイトが作ってくれていたし、週末には家政婦さんが様子を見に来てくれていたから、毎日包丁を握っていたわけじゃないけれど。それでも、余裕があるときは教えてもらっていたから」

 

 少し照れくさそうに語る西住殿。

 これは意外なことを聞きました。てっきり、西住殿は料理ができないタイプかと思っていたのですが。これは、自分も料理ができることをアピールしなくては。

 

「わ、私っ、ごはん炊きますっ!」

「それはいいけど、飯盒とか余計なことはしないでくれよ?普通に炊飯器があるから」

「「え?」」

 

 疑問の声をあげたのは私と武部殿だった。

 私は、リュックの中に伸ばそうとした手を止めた。

 

「ゆかりん、飯盒なんて持ち歩いてるの!?」

「な、なんで分かったんですか?」

「リュックからかちゃかちゃ音が鳴ってたから、もしかしてと思って。わたしも、昔はアウトドアに憧れた時期があったから、そうかもと思った」

 

 戦車乗りには、得てしてそういう時期があるんだよ。と

 

 しかし、炊飯器を使ってごはんを炊くだけならすぐに終わってしまう。だからといって、料理が得意と胸を張れるほど、私の神経は図太くなかった。手持ち無沙汰になった私は、ちょこんと床に座って、部屋の中を見廻した。私の視線が釘付けになったのは、西住殿が普段使っているだろうベッドである。

 

「あれ、それは…」

 

 布団の上に丁寧に折りたたまれた衣類が見えた。水色を基調としていながら、しつこいくらいにプリントされたクマのイラストが目を引くそれは、もしかしなくても西住殿のパジャマではあるまいか。包帯を体中に巻いたクマのイラストは、あまりいい趣味とは思えませんでしたが。

 

「ああ、すまない。人を呼ぶとは思っていなかったから、片づけるのを忘れていた。ベッドを使いたいなら、どけてくれてていいよ」

「いいんですかっ!?」

 

 家主からまさかのベッド使用の許可がでた。これは、思う存分寝転がるしかないのでは。そして、西住殿の匂いを堪能するしかない。…いや、だめでしょう。それは。

 

「可愛らしいパジャマですね。ええと…」

「ボコられグマシリーズ。姉が好きなんだ。よくプレゼントしてくれた。熊本の実家では着る機会があまりなかったから、供養と思って着ている」

「はぁ、供養…」

 

 そう言って、パジャマを広げるのは五十鈴殿だ。私には、恐れ多くて西住殿の私物に手を触れるなんてことはできそうにありません。

 

「まほさんの家も、こういうの。厳しいお家だったのですか?」

「ああ、いや。そこまで厳しい家ではなかったが。その、なんだ。姉の趣味を悪く言うつもりはないが、…子供っぽいだろう?」

 

 パジャマを五十鈴殿が広げたことでその全容が明らかになる。なるほど、確かにファンシーというか、小学生が好んで着そうなデザインではある。色使いも派手だ。尤も、描かれたキャラクターがアレでは、あまり売れそうにも思えないが。

 

「うーむ。確かに、華の女子高生が着るようなパジャマではないよねぇ。…いや、逆にそれがギャップになって、モテるかも」

「でも、お姉さんからのプレゼントを大切に使っているなんて。まほさん、お姉さんと随分仲がよろしいんですね」

 

 武部殿は、自分の世界に入ってなにやら考えている様子だ。五十鈴殿は、そんな武部殿には目もくれず、西住殿に対して笑顔を向けている。

 しかし、西住殿の表情はあまり明るいものではないように見えた。いや、いつもと同じ無表情と言えば無表情だったのだけど。私が穿った見方をしたせいかもしれない。

 

「うん。家族だからね。尊敬しているよ」

 

 それっきり、お姉さんのことは話そうとしませんでした。

 

 

4.

 

「あれ?副隊長?」

 

 時は過ぎ、全国大会は間近に迫っていた。

 聖グロリアーナ、マジノ女学院との練習試合を経て、少しだけ自信をつけた私たちは、全国大会の抽選会に臨んでいた。西住殿が引いた札の番号は、8番。一回戦の相手は、サンダース大付属高校に決まりました。

 

 戦車道大会の抽選会の後、私たちはいつもの5人で戦車喫茶に遊びに来ていた。

 呼び鈴の音が戦車の砲撃の音だったり、店員さんの制服も軍服を模していてとてもいい感じだ。ケーキを運ぶ小さなドラゴンワゴンもかわいいし、ケーキは戦車の形に似せて作られている。食べるのが勿体ないくらいだ。

 

 さて、そんな戦車喫茶でケーキに舌鼓を打っていた私たちに声をかけてくる人物がいた。

 赤茶色の髪は少し跳ねていて、どことなく親近感を覚える容姿だ。背は際立って高くもないし、低くもない。たれ目がちで温厚そうな顔つき、発した声も穏やかなものである。

 その服装は、黒を主体にした飾り気のない武骨なデザイン。というか、黒森峰の制服だった。…こう見ると、憧れていた制服だけれど、デザインとしては大洗の制服のほうが好みかもしれませんね。

 

 その人物の視線は、明らかにこちらを向いていた。

 より正確に言うと、その中の一人、西住殿に対してだ。

 まぁ、副隊長なんて呼ばれ方をするのは、私たちの中では西住殿くらいですよね。

 

 察するに、黒森峰の戦車道チームの隊員なのだろうが、ちょっと存じ上げない。

 私も高校戦車道のファンではあるが、流石に全ての選手の顔と名前が一致するわけではなかった。

 

 西住殿は、目を真ん丸にして驚いた様子だった。

 

「赤星、さん?」

「お久しぶりですっ、副隊長!」

「いや、その。…副隊長はやめて」

「あ、すみません。そうですよね」

 

 西住殿が赤星さんと呼んだ人物は、嬉しそうな表情を浮かべる。感極まって涙を流すほどの勢いだった。しかし、西住殿が恥ずかしそうに顔を逸らすと、赤星さんと呼ばれた少女は捨てられた子犬のように表情を暗くした。

 

 武部殿も五十鈴殿も、どうしたものかと西住殿の顔色を窺っている。冷泉殿だけは、変わらない調子で目の前のケーキにフォークを突き立てパクついていた。

 

「ところで、どうして赤星さんがこんなところに」

「ああ、それは――」

 

「わたしが連れてきたんだよ」

 

 声がした。

 可愛らしい少女の声。

 つかつかと近づいてくる、黒森峰の制服を着た少女。私は、彼女を知っていた。

 

「は、…はわわっ!?」

 

 肩口で切りそろえられた亜麻色の髪と真ん丸で大きな瞳、たれ気味の眉がおっとりとした印象を与える。なんというかぽやぽやとしていて、子犬のような人だと感じた。それだけに、黒を主体にした黒森峰の制服は異質に映る。

 彼女こそ、西住殿のお姉さんにして、日本高校戦車道の頂点、西住みほ殿である。

 

 がたり、と音がした。

 西住殿が立ち上がり、机が揺れた音だった。

 

「姉さん…っ」

 

 西住殿の声は震えていた。

 

「もぉ、いきなり転校するんだから驚いたよぉ。連絡しても電話に出てくれないし。メールも返ってこないし。お姉ちゃん、寂しかったんだよ?」

 

 冷泉殿を間に挟んで、西住殿のお姉さんはにこりと笑みを向ける。西住殿は目線を逸らし、小さな声で「すみません」と呟いた。

 

「あー、よく分からないが。あなたは西住さんのお姉さんなのか?」

「あ、はい。ご挨拶が遅れました。西住みほです。いつもまほちゃんがお世話になってます」

「こ、こちらこそっ」

 

 そう言って、武部殿まで立ち上がり、ぺこぺこと頭を下げる。

 

「あの、隊長。ここは通路ですし、立ち話ではお店のご迷惑が」

「えー。久しぶりの再会なんだから、いいじゃない。あ、そうだ。ねぇ、もしよかったら相席させてもらってもいいですか?テーブルも大きいですし、詰めればもう2人くらい座れますよね」

 

 これぞ名案、みたいに笑顔で提案する西住殿のお姉さん。

 確かにテーブルはぎりぎり8人まで座れるような席ですが、西住殿の様子を見る限り、あまりよい提案のようには思えません。おそらくは、何か負い目のようなものを感じているのでしょう。お姉さんの様子からすると、一方的なもののようですが、未だに目を合わせようとはしません。

 

 すると、ぱん、と赤星さんと呼ばれた少女が両手を合わせた。

 

「そうだ。私、副隊長にお話があったんですよ。ちょっと歩いたら公園がありましたよね。そこでお話してきてもいいですか?」

「え?いや、…え?なんで?わたしがまほちゃんとお話できないじゃない」

「それはそうですが…。でも、考えてみてください。ご友人がいらっしゃいますから、副隊長の学校での様子、聞けますよ。本人のいないところの方が、深い話を聞けるんじゃありませんか?」

「そういうことなら仕方ないね」

「いや、変わり身早っ!?」

 

 気がつくと、西住殿のお姉さんは五十鈴殿の隣に座っていました。突然のことに、流石の五十鈴殿も驚いている様子です。

 

「そういうわけですから、副隊長。少しよろしいですか?」

「だから、もう副隊長じゃないってば…」

 

 そう言いつつも、西住殿はどこかほっとしたような表情を浮かべているような気がした。

 

 

「それじゃあ、改めまして。黒森峰の西住みほです。あ、皆さん二年生ですよね。わたしは三年生だけど、年上とか、気にしないで接してほしいな」

 

 西住殿と赤星さんが店を出て行って、西住殿は冷泉殿の隣に席を移った。というのも、西住殿が退いたことで片側の椅子が冷泉殿ひとり、もう一方が私と武部殿と五十鈴殿と西住殿のお姉さんの4人、というバランスの悪いことになっていたからだ。

 

「武部沙織です」

「五十鈴華です」

「あのっ、秋山優花里ですっ」

「冷泉麻子」

 

 それぞれが名前を名乗る。ひとりひとりが名前を名乗るたび、「沙織さん」「華さん」「優花里さん」「麻子さん」と小さく繰り返していたのが可愛らしかった。冷泉殿が名乗り終わると、「はい、覚えました」とにこやかに笑ったのも大層心がほっこりした。

 

「それで、まほちゃんのことなんだけど、学校ではどうかな。楽しくやれてる?」

 

 西住殿のお姉さんは、とにかく普段の西住殿がどんな風に過ごしているかを微に入り細に入り問いただした。いや、途中からほほえましいとも思えなくなるくらいの勢いだった。意外に過保護な人のようだ。

 

 それじゃあ、気難しい人だったか、というと、そんなことはなかった。

 むしろ、非常に気さくで話しやすい人だった。

 

 表情も豊かで、年上ということを忘れるくらい自然体で接することのできる人だ。

 西住殿の子供の頃の話を聞くと、本当に妹のことが好きなんだな、と分かるような話し方をした。

 

 和やかな時間が過ぎていく。

 ふたりが店を出て行って、30分も過ぎただろうか。ぶるる、と何かの鳴った音が聞こえた。

 お姉さんの携帯電話だった。

 

「話が終わったんだって。まほちゃんは戻ってくるみたいだけど、うちの副官がホテルのチェックインの時間が迫ってるって言ってるから、そろそろわたしも行かなくちゃ」

 

 そう言って、席を立とうとした時だった。

 

「あの、みほさん」

 

 武部殿が声をかける。

 ちなみに、この短時間でさん付けとはいえ名前呼びになっているのは、武部殿のコミュニケーション能力の高さがなせるわざか、あるいは、お姉さんの人柄のおかげか。おそらくはその両方だった。

 

「ひとつだけ教えてください。まほが転校した理由。みほさんは知っていますか」

「…知ってる、と言ったら、どうするの?教えてほしい?それとも、沙織さんは知っているのかな?」

 

 踏み込んだ質問だった。

 問いを投げ返されて、武部殿は首を振った。

 

「簡単には聞きました。前の学校で失敗した、って。でも、詳しいことは何も。…それって、本当に学校を出ていかなくちゃいけないことだったんですか?」

 

 恐る恐る、と言った感じで尋ねられた質問に対し、お姉さんは僅かに沈黙した。

 

「…そんなこと、誰も望んでいなかった。…少なくとも、わたしたちは」

 

 寂しそうに語るお姉さんの言葉に、私は去年見た決勝戦の映像を思い出す。きっかけは、おそらくあれだろう、という確信があった。

 

「去年の決勝戦、ですよね?西住殿が川に飛び込んだ、あの事件」

「流石だね。知ってるんだ」

「あの試合、テレビで見てました」

 

 三人の視線が、私に向けられた。

 

「西住殿は、川に落ちた仲間を助けるため、戦車を降りて、単身川に飛び込んだんです。雨で荒れ狂う川の流れに逆らって、西住殿は仲間の戦車のもとまでたどり着きました。確かに、危険だったかもしれません。でも、西住殿の判断は間違いじゃなった。運よく、大きなけがをした人はいなかったですけど、救助が遅ければ、心に傷を負った選手もいたかもしれません」

 

 すると、何かに、はっと気づいたような表情を武部殿がしました。小さく「それで…」と呟いた声も聞こえます。

 

「うん。わたしも、優花里さんの意見は正しいと思う。人の命がかかっていることだった。たとえそれで、負けることになっていたとしても、まほちゃんの行動は、非難されるようなものじゃなかった、って思うよ」

「じゃあ、どうして」

「戦車道は、特殊なカーボンで守られている。だから、絶対に安全だ。そういう神話が必要だからだよ」

 

 それは、妄信的に語られる、一種の生命線。競技としての戦車道を成り立たせる最後の一線だ。

 

「戦車道には実弾を使う以上、安全には最大の配慮がされていないといけない。そのための特殊カーボンなの。でも、よりにもよって、日本最大の流派の娘が、それを信じられないと言い出したら?…実際、一部のマスメディアでは、表向き美談のように仕立てながら、その実、戦車道の体制を批判するような記事もあった」

 

 ぎり、と歯噛みする。

 

「だから、まほちゃんは表舞台から引きずり降ろされた。あの人は、実の娘のことなんて何一つ考えていない。取り換えの利く部品か何かのように。自分達に都合が悪くなれば、簡単に切り捨てるんだっ!!!」

「それは違いますっ!」

 

 ばん、とテーブルを叩いて、武部殿が叫びました。

 

「まほのお母さんは、まほのことを心配していました」

「…()()()()?」

 

 目を大きく見開いて、信じられない、と呟いた。

 

「悩んでました。私には、難しいことは、よくわからなかったけど。だけど、ちゃんとまほのことを大切に想っているって、伝わりましたよっ」

「…それでも、わたしの意見は変わらないよ。生まれてから、ずっとあの人を見てきたけど。わたしはあの人を、師範とも、母親とも認めない。認められない。何を言おうと、まほちゃんが切り捨てられたのは事実だから。だから、…ごめんね、()()()()

「みほさん…」

 

 西住殿のお姉さんは、「暗い雰囲気にしちゃってごめんね」と言って、立ち上がる。

 

「一回戦、サンダース付属だってね。頑張って」

 

 それっきりだった。

 

 

 西住殿が戻ってきたのは、それから10分後のことである。 

 

「何かあったのか…?」

「いや、なんでもない」

 

 どこか沈んだ空気を感じたのだろう。困惑したような声を出す。無理もない。いつも元気で明るい武部殿まで難しい顔をしているのだ。

 しかし、冷泉殿だけはいつも通りだった。

 

「いいお姉さんだった。…少し、重たいがな」

 

 西住殿が困ったように笑う。

 店を出ようとすると、既に会計は終わっているということだった。

 

 

5.

 

「まだ、残っていたんですか?」

「うん。…いくら考えても、いい案が浮かばなくて」

 

 一回戦の日にちが迫る。とある放課後のことだった。

 空はとっくに夕日が落ちて、校内に残っている生徒はほとんどいないような時間だった。

 生徒会室に明かりが点いているのに気がつき、中を覗いてみると、西住殿がひとりで資料やらを広げてうんうんと唸っているところを見つけた。

 

 先日の抽選会の後から、人が変わったよう、と言ってしまっては失礼かもしれないが、以前にも増して熱心に戦車道に取り組む様子を見せていた。

 

「こんな時間まで…。根を詰めすぎじゃないですか?」

「まぁ、成り行きとはいえ、隊長だから。それに、約束もある」

「約束?」

「この前、黒森峰の人に会っただろう」

「ああ、お姉さんとええと…」

 

 名前を聞いたような、聞いていないような。どことなく親近感を抱く相手だったことは覚えている。髪型とか。

 

「赤星さん。赤星小梅さん。黒森峰の副隊長だよ。彼女が伝言をくれたんだ」

「伝言ですか?」

「『逃げたら許さない。』だってさ」

「それはまた…」

 

 随分と物騒な伝言だな、と思った。

 しかし、西住殿は嬉しそうに笑っている。

 この人は、本当に嬉しいとき、こんな風に笑うのか、と見惚れた。

 

「…で、でも、確か黒森峰って」

「ブロックとしては反対だな。だから、決勝まで行かないと戦えない」

 

 トーナメントに参加する高校は全部で16校。敢えてブロック分けをするならば、1番から8番までがAブロック。9番以降はBブロックと分けられる。黒森峰は13番だった。

 

「それなのに、一回戦から相手はサンダース大付属。我ながら、くじ運はあまりよくなかったらしい」

 

 西住殿は肩を竦める。

 

「まぁ、どこと当たっても大変なことには違いない。時間が許す限り、考えるしかない。わたしに今できることはそれだけだ」

 

 そう言って、机の上に広げられた本や紙の束に視線を戻す。

 私は、おずおずと手をあげた。

 

「よろしければ、西住殿のお考えを聞かせてください。話をしたら、少し整理できるかもしれません」

「そうか」

 

 ラバーダッキング、という問題解決の方法がある。

 これは、ゴム製のアヒルに問題についてを話しかけ、話しているうちに頭の中の問題が整理されて、解決法が導かれるというテクニックである。当然、話しかける対象は、ゴム製のアヒルでなければいけないということではない。ともかく、声に出して問題を読み上げることで、複雑に絡まった思考が解きほぐされ、問題が単純化するという効果が見込まれるのだそうだ。

 

 加えて、他人の意見も参考にできるなら、一石二鳥ではあるまいか。まぁ、西住殿でも答えが出せないような問題に、私が何か糸口を見つけられるかは自信がないが。

 

 ともかく、何か役に立ちたかった。彼女の背負う荷物を、少しでも軽くしてあげたいと思った。

 

「サンダース大付属は強豪だ。あの学校の強みは、全国最大を誇る戦車隊の規模。戦車の保有車両数は50以上。さらに、人の数もすごい。戦車道の履修者は500人とも言われていて、1軍から3軍まである。そんな競争の中でレギュラーに選ばれた選手は、当然強い。練度で言えば、黒森峰にも匹敵するかもしれないな」

「特に、今年は全国3指に入る砲手、ナオミさんがいますからね」

 

 戦車道の雑誌でも特集が組まれたほどの名選手である。サンダースで最も警戒すべき選手をひとりあげるなら彼女だろう。

 

「彼女の腕にファイアフライの火力が加わると思うと、正直憂鬱だ。うちの戦車では、どこに受けても撃破は免れないだろうし。基本的な方針としては、動き続けること。それに、サンダースの基本戦術は優勢火力ドクトリンだ。言ってしまえば、数の暴力だな。1両の戦車に5両でかかる。そうすれば、まぁ、まず負けることはない。とはいえ、これは本来、戦車道には向かない戦術なのだが」

 

 優勢火力ドクトリン。簡単に言えば包囲作戦といったところか。性能では他国に勝てないアメリカがよく使った手ではあるが、ただ、圧倒的な物量差があるならまだしも、基本、戦車道の試合は同数対同数で行われるものだ。そういう意味では、考えなしでは使えない戦術である。高度な作戦立案能力と、索敵の能力、そして、索敵の結果を速やかに伝達する能力が必要となる。

 

 しかし、そのドクトリンを掲げるだけあって、サンダースの実力は折り紙付きだ。西住殿の言うように、隊員の練度では他の四強と比べても随一である。

 

 そのうえ、ルールに守られているとはいえ、大洗の参加車輛は5輛。一回戦の規定では10輛まで参加できるということなので、最初から倍もの差が生まれている。これでは、サンダースの恰好の餌食である。

 

「一般にいうランチェスターの第二法則に従うなら、単純な物量による兵力差は4倍。戦車の性能も考えるなら、それ以上か」

「やはり、性能でも厳しいですか」

「厳しいな。サンダースと言えば、M4シャーマン。ドイツ戦車に比べれば火力も装甲も大したことはないが、うちの戦車ではⅣ号くらいしか相手にならない。たとえば、八九式だと、どこに当てられても抜かれるし、どこに当てても抜くことができない」

 

 バレー部の皆さんには悪いですが、実質4輛みたいなものですよね。どういうわけか、速度だけは本来のスペック以上のものが出ていましたけど。というか、スペックの倍近い速度が出ていたような…。

 

「そのうえ、相手の編成は蓋を開けてみるまで分かりませんからね」

「その通りだ」

 

 さて、サンダース大付属といえば、特色として知られるのは、その規模とアメリカ贔屓というふたつである。特に、ここ数年では、必ずと断言してもいいほどアメリカ戦車、それもM4シャーマンとその派生型が使われていた。ならば、編成に悩むこともないじゃないか、と思われるかもしれないが、このM4シャーマンという戦車がくせ者なのである。

 

 M4シャーマンとは、我が校にもあるM3リーの妹のようなものである。性能自体は、Ⅳ号戦車と然程変わらないくらい。言い方は悪いが、凡庸とさえ言える。アメリカらしく、質より量を体現した車輌であった。

 しかし、特筆すべきは、そのカスタマイズ性である。構造は単純であり(あくまで戦車としては、だが)、信頼性が高く、整備がしやすいことで有名だ。なにせ、コンポーネント(戦車を構成する部品のこと)には民間の部材が使われている。例えるなら、個人の組み立てPCと一緒だ。そんな、規格さえあっていればメーカーは問わない、という異常なまでの汎用性は、数えきれないほどのバリエーションを産み出した。

 弱点があるとすれば、エンジン馬力に余力がないため、装甲を厚くすることができないくらいだろうか。

 

 さておき、そんなM4シャーマンは、とかく派生した車両が多い。

 …正直なところ、数が多すぎて、そのバリエーションは私でも網羅しきれないほどである。

 そのため、M4の派生型が投入される。と分かっていても、蓋を開けてみるまで細かい編成は予想できないのだ。それこそ、機動力から攻撃力まで、同じM4であってもバリエーションによっては、全くの別物に変わっていることもありうる。

 

「せめて、編成が分かっていれば、策のひとつくらいは思いつきそうなんだが」

 

 西住殿がこめかみをとんとんとん、と叩く。

 

「まぁ、事前に相手の編成が分かっていることなんて、普通はあり得ないことだからな。望むべくもない、か」

 

 そんな西住殿の呟きを受けて、私はとある計画を実行する決心をしました。

 私にも何かできることがないか。ずっと考えていた計画である。

 

 うまくいけば、西住殿を悩ませる問題のいくつかも解決できるかもしれません。

 しかし、それは大きな危険(リスク)を伴うものだ。

 下手をすれば、今度の試合、私は出場することができなくなる。

 

「西住殿、ご相談があります」

 

 それでも私は、西住殿の力になりたかった。

 

 

6.

 

「じゃあねー、オッドボール軍曹!」

 

 私に向かって手を振って、笑顔で去っていく金髪少女。彼女の名前は、ケイ。対戦相手であるはずのサンダース大付属高校の隊長だった。

 

「いやぁ、まさか、こうもフレンドリーに絡んでくるとは思いもよりませんでしたね」

「すごいよねぇ。秋山ちゃん、サンダースにスパイしてきたんでしょ?それを笑って許すとか、私だったら同じことはできないなぁ」

 

 隣でそう嘯くのは角谷会長である。

 おそらくだが、同じ場面ならこの人も笑って許すような気がする。きっと、河嶋先輩あたりは暴れるだろうが。

 

「それで、作戦の方はばっちりなんだよね?」

 

 ぐるん、と会長は西住殿へと視線を向ける。

 西住殿はいつもの無表情で肩を竦めた。

 

「ええ、まぁ。相手が突然編成を変えたりしていたら分かりませんけど」

「それ、大丈夫なの?」

 

 西住殿の回答に、角谷会長の眉が下がる。いつも飄々としている会長にしては、珍しい表情だと思った。

 

「ケイさんなら、バレた上で正面から負かそうとしてくるはずです。それに、下手に編成を変えたりしたら、連携がうまく取れなくなるかもしれません。サンダースには、その練習をしている時間もなかったはずですから」

「ふぅん、なるほどね」

 

 一応は納得したようだ。とことこと西住殿の方へ歩いていき、その背中を強く叩く。その瞬間には、いつもの見慣れた表情に戻っていた。

 

「よろしく頼むよっ、西住ちゃん」

「全力を尽くします」

 

 すぅ、と西住殿が深呼吸をした。

 ぐるり、と各々が戦車の前でたむろっている姿を確認する。

 その声はけして大きくはなかったが、はきはきとして、よく通る声だった。

 

「皆さん、聞いてください。今日の試合形式はフラッグ戦。他に何輌の戦車が残っていようと、相手のフラッグ車を先に倒したチームの勝ちです。その条件は、相手もこちらも変わりません。…サンダース付属の戦車は、こちらよりも攻守ともに上です。経験値もずっと上です」

 

 まるで、不安にさせるような演説だ。

 しかし、西住殿の顔にそのような色はない。

 

「けれど、こちらには情報がある。秋山さ――ゆかりが取ってきてくれた情報がある。事前の情報戦では、こちらの一勝だ」

 

 西住殿が一瞬、私の方を向いてにやりと笑った。

 私は、沸騰したみたいに顔が赤くなる。

 

「戦車道において、情報は何にも勝る武器になる。……勝ちましょう。大番狂わせを起こしてやりましょう!」

「「「おおおっ!!」」」

 

 

 西住殿の演説に背中を押されて、皆の表情は明るかった。

 試合開始まであとわずか。私たちは、それぞれの戦車に乗りこんだ。

 

「がんばろうねっ」

「精一杯やるだけです」

「まぁ、やれるだけのことはやろう」

「私たちは、西住殿を信じていますから」

 

 車長の席に座る西住殿をみんなが見上げる。

 一瞬、驚いたような顔をしたあと、心底安心した、という顔に変わった。

 

「まったく。心強いよ」

 

 その呟きに、私たちの表情も笑みの形に変わった。

 

 遠くの方で、ぱんっ、と号砲の音が聞こえる。

 試合開始の合図だ。

 

 きりりっ、と西住殿の表情が切り替わった。戦車道の名指揮官、西住まほの顔だ。

 西住殿が首元のマイクに手を当てて、大きな声ではっきりと告げた。

 

「パンツァー・フォー!」

 

 敵も味方も一斉に、がらがらがらと動き出す。

 一回戦が始まった。

 




 私たちの戦いはこれからだ!

 …今回、秋山殿視点だからか、本筋に絡まない解説話が長くなってしまいました。

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