もしも、西住まほが妹だったら   作:青葉白

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 本当は、前回の短編ひとつで完結のつもりだったのですが、思った以上に反響があったので、エリカ視点を書かせていただきました。
 2万字を超えそうだったので、前後編で投稿させていただきます。

 お気に入り、評価、感想ありがとうございました。



視点、逸見エリカ_前編

1.

 

 私には、絶対に負けたくないと思うライバルがいる。

 彼女は、いわゆる天才だった。

 何をやらせても、人よりずっと上手くやるような奴だった。

 それなのに、彼女をもっとずっと上回るような本物がいて、彼女自身は、自分のことを凡人であると勘違いしている有り様だった。

 

 出会ってからずっと、気に入らない相手だった。

 本当に凡人の私からすれば、羨ましくて羨ましくて仕方がなくて、あいつみたいになりたくて、でも、いくら手を伸ばしても届かなかった。

 あいつは、天才だから凡人(わたしたち)から浮いて。なのに、天才なのに、天才(ほんもの)にも交ざれない。

 あいつは、独りだった。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

2.

 

 私が戦車道をはじめたのは、小学生の頃だった。

 小学4年生に上がった時だったと思う。

 

 私の家は、それなりに裕福な家である。しかし、戦車道とは全く関わりのない家だった。父も母も、祖父母より上の代に遡っても、戦車はおろか、武道の類いには縁遠い家系であった。

 つまり、戦車道は、私が自分の意思で始めたいと親にねだったものだった(戦車道は、それなり以上にお金のかかる武芸であるため、親の理解と協力が必要不可欠である)。たぶん、私の人生において、親に対する、最初で最後の大きな我が儘だろう。

 

 きっかけは、熊本の祖父母の家に遊びに行ったときのことだ。

 祖父母の家があるのは、周りは田んぼや山しかないような田舎だったが、私は祖父母によく(なつ)いていたので、遊びに行くのがいつも楽しみだった。

 そして、祖父母は、祖父母で、私のことを可愛がってくれた。特に、私のプラチナブロンドの髪は祖母譲りであり、その血を色濃く受け継いでいるということもあってか、何人かいる孫たちの中でも特別に可愛がられていたような気がする。甘い対応をしては、後で私の父や母に注意されている姿も見たことがあった。それを見る度、子供ながらに次は自重しなければとは思うのだが、次の機会にはすっかり忘れてしまうので仕方がなかった。

 

 私が祖父母の家に遊びにいくと、いつも信じられないほど豪勢な料理で歓待を受けた。子供の胃袋では、とても食べきれないような量である。しかし、私のためにと折角作ってくれた料理を残すのも悪いと思って、毎度毎度、無理をするくらいに食べるというのがお約束になっていた(それでも食べきれないほどの量なのだが)。

 

 あるとき、私がひとりで外を散歩したいと言ったことがあった。

 祖父母のことは大好きだったし、広々として風情のある、昔ながらの日本家屋というのも落ち着く空間ではあったのだが、さりとてずっと家の中にいることは、子供の私には退屈に感じられたのだ。

 すると祖父母は、にこにことした顔で可愛らしい白のフリルのついた洋服を持ってきた。そして、お母さんたちには内緒だよ、とひとさし指を口元に当てるジェスチャーをしながら、少しばかりのお小遣いを持たせてくれた。

 

 私は、祖父母の用意してくれた洋服を着ると、お気に入りの、これまた白い帽子を被って外に出た。そのときの格好は鏡でも見たが、まるで育ちのいいお嬢様のようだったと思う(前述の通り、私の家は裕福なので、お嬢様というのもまるきり間違いではない)。尤も、ここが知人のいない土地でなかったら、流石に恥ずかしくなって着られなかったかもしれない。少しばかり、少女趣味な服だった。…私の好みには合っていたが。

 

 さて、子供ながらにあまり詳しくない田舎の道をひとりで散歩するというのは、なかなかの冒険気分だった。じわじわと鳴く蝉の声がやかましく、ぎらぎらと照らす太陽は私の体力を奪ったが、もともと運動することの嫌いでない私には、これくらいは、心地のよい疲労に感じられた。

 

 私は、自販機を見つけたので、祖父母に貰ったお小遣いを使って、缶ジュースを買った。少しだけ背伸びをして、中段にあるボタンを押す。がこん、という音がなって落ちてきた缶ジュースはよく冷えていて、あまり行儀のよくないことだが、冷たい缶ジュースを頬にぴたっと寄せると、一気に熱を奪ってくれるようだった。

 

 プルタブを開けると、カシュ、という気持ちのいい音が鳴った。

 それから、しばらく缶ジュースを飲みながら木陰で休憩して、そのうちまた歩くのを再開する。やがて、私の進もうとする先から、何かが姿を現した。それは、遠目には、まっ黒い粒のようであったが、徐々にその大きさを増して、すぐに私よりもずっと大きくなった。

 

 鉄の塊だ。

 

 ごろごろと巨大な鉄の塊が転がっていた。

 それは、一本道を走っているので当然なのだが、幼い私には、まるで私をめがけて近づいてきているように感じられた。

 私は、目をしばたたかせた。

 

 いや、それが巨大とは言っても、今になって思えば、そのカテゴリーの中ではまだ小さい方である(スペック的には、「軽戦車」に分類される)。しかし、当時の私には、それを見るのがはじめてということもあったし、子供だった自分と比較すれば、十二分に重々しく、そして巨大に見えたのだ。

 圧倒された、と表現してもよいかもしれない。少なくともそれが、私の心を強く惹き付けたのは確かだった。

 

 ふと、それのキューポラ(当時は、キューポラという言葉を知らなかった)から顔を出している人物と目があった。

 ()()()。私と同じくらいの子供だった。栗毛色の髪をした活発そうな子供である。

 

 すると、その子供は、こんこんと巨大なそれの背を叩くと、ゆっくり速度を落として、やがて止まった。

 ひょこ、と別のハッチからも顔が出た。それも子供だった。

 

 私は、本音を言えば、交ぜてほしいと思った。それに乗ってみたいと思った。

 しかし、実際には、生来の生真面目さが顔を出して、戦車に子供だけで乗ってはいけないとか、そんな詰まらないことを言ってしまった。

 言ってしまってすぐに後悔をしたが、言われた側の少年(いずれも中性的な容姿だったが、格好からして少年だろうと判断した)が軽快にそれを降りてくると、唐突に私の手を取った。

 

「一緒に遊ぼうよ!」

 

 私は、少年に手を引かれるまま、気がつくと戦車に乗っていた。

 少年の「PANZER VOR!(パンツァー・フォー)」の掛け声(ドイツ語で「戦車前進」の意味である)で、戦車はゆっくりと動き出す。

 私は、今度こそ本当の本当に冒険をしているような気分になって(ただの畦道を自分の足で歩くのとは大違いだった)、自分が少年たちに文句をつけたことも忘れて、彼らの隣で目を輝かせていた。

 

 二人の少年は、容姿がそこそこ似ていたので兄弟だろうと思ったが、性格というか気質というかは、並べてみると全く違うものだった。

 

 強引に私を戦車に乗せた少年は、表情がとにかく豊かで、よく喋った。興味の向くまま、気が向くままに、逐一進行の方向を指で示して変更させた。彼が少女だったなら、おてんばと称したかもしれない。

 

 一方で、戦車の操縦を担当している少年は、全く子供らしくないと思うくらいに無愛想で、しかも必要最低限の言葉しか話さない。ただ、綺麗な景色だとかを見つけると戦車を止めて、わざわざハッチを開けると、私にその景色を見るように指示を出した。そのときも、指で指しつつ、「ん」とだけ言ったり、「あれ」としか話さないのだが、見せようとしてくれた景色はどれも素晴らしいものだったので、まったく嫌な奴とは思わなかった。

 

 あとは、日暮れまで彼らと一緒に戦車に揺られて、不器用ながらに他愛のないことをたくさん話した。そして、また遊ぼうね、と約束をして私たちはわかれた。

 

 祖父母の家に帰ると、帰りが遅くなったことや、服が汚れていることを心配された。しかし、こんなにも楽しいことがあったのだ、と戦車に乗ったことを話すと、頭を撫でて、よかったねぇ、と笑ってくれた。

 

 結局、少年たちとはそれきりである。

 次の日、同じ道を歩いてみたが、戦車はどこにも見つからず、どころか、次の年も、その次の年も同じ畦道を散歩したが、ついぞ、彼らを見かけることはなかった。

 もしかしたら、あの日乗った戦車は、夢か幻だったのかもしれない。

 

 ともかく、この時の体験が、私に戦車というものへの興味を植え付けたことは間違いなかった。家に帰ってからは、戦車のことを図書館だったり、使い慣れないパソコンだったりで調べたものだ(今ではネットサーフィンが趣味なので、むしろパソコンは得意な方である。これがきっかけだったかもしれない)。そして、調べている途中で戦車道という競技に行き逢って、私はそれにのめり込んでいった。

 

 幸いにして、私には『人より』戦車道の適性があった。

 

 親に頼みこんで、地元の戦車道クラブ(野球でいうリトルリーグのようなものである)に入会させてもらうと、流石に最初のうちは全然だったが、徐々に戦車がうまく動かせるようになっていった。

 

 最初に教わったのは、操縦手だった。

 大人に教えてもらいながら、ゆっくりゆっくりと戦車を動かす(小学生の乗る戦車には、必ずひとり大人が乗る決まりになっている)。レバーやら何やら、動かすものがたくさんあって混乱しそうになったが、そのうちに慣れた。ただ、自分と比較してはじめて分かったことだが、祖父母の家の近くで出会った(はずの)少年の技量は、とても高かったのだということを思い知った。ある程度操縦に慣れたという程度では、彼と同じくらい戦車をスムーズに動かすことはできそうになかった。いくらやっても、思い描くイメージとは差異が生まれてしまって、とてももどかしく感じたものである。

 

 他にも砲手や通信手も基本的なことから教わったが(ただし、装填手は小学生の筋力では難しいうえに危ないので、大抵の場合は大人がつとめる)、どれも上達の速度は同い年の子どもたちよりも優れていた。そして、6年生になる頃には、戦車道クラブで一番上手い子供は、私になっていた(ただし、私のいたクラブは弱小と中堅の間くらいのレベルだったので、選手としては全く無名であった)。

 

 この頃には、もう、戦車道は私の生活の中心を占めていて、中学にあがったら、本格的な指導を受けられる環境に身を置きたいという思いが強くなっていた。

 するとやはり、どこか中学生もいるような戦車道クラブに所属するよりも、黒森峰女学園の戦車道チームに入りたいと憧れるようになった。ただし、熊本が出身地である私は、黒森峰女学園中等部への進学はほとんど決まっているようなものなのだが、それが「普通科」でなく、「機甲科」に入ろうと思った場合には、大変な努力が必要だった。

 

 まず、黒森峰女学園で戦車道チームに入るためには、「普通科」でなく、「機甲科」に入らなければいけない。何せ、黒森峰女学園は、生徒だけで1万人以上(しかも、中等部だけの数である)も所属する超マンモス校だ。その全員が戦車道をやろうと思ったら、そんな数の戦車を用意できるはずもない。戦争でもはじめるつもりかという話である。

 そのため、戦車道を集中して学ぶための「機甲科」が用意されたらしいが、これがまた、狭き門と形容されるほど、入試の倍率が高いことで有名だった。

 

 合格するためには、学業が優秀であることは勿論のことながら、戦車道を履修するにあたっての高いスキルが求められる。それも、砲手だけ、操縦手だけ、という一芸特化でなく、どの役割もそれなり以上にこなせなければならないというのが、ハードルをさらに高くさせていた(前述の通り、装填手だけは別である)。

 

 しかし、逆に言えば、そのハードルを越えることができれば、優秀な戦車乗りの証左であるとも言えた。

 そもそも私は、大層な負けず嫌いであった。はじめたからには、中途半端で終わるつもりはなかったし、子供故の万能感というか、根拠のない自信から、何事もやってできないはずはないと信じていた。何より、私は私よりも上手い戦車乗りを、同世代で見つけたことがなかったことも、その認識に拍車をかけた(それは当然、井の中の蛙であったというだけのことなのだが、そのことに気づいたのは、もう少し後のことである)。

 

 無事に、というか、思ったよりもあっさりと私は合格することができた。

 このことには、両親も喜んでくれたし、それ以上に祖父母が喜んでくれた。ともすれば、親族中お祭り騒ぎのような様相で、みんなして私の前途を祝福してくれた。誉められて気の大きくなった私は、黒森峰で将来隊長になるとか、そんなことを言った。

 

 春が来て、私は家を出た。

 当然、黒森峰女学園があるのは学園艦の上だ。まさか、陸にある実家から通うわけにもいかない。中学生にして実家を離れるというのは不安もあったが、みんなもやっていることだ(一部、陸に残っている中学高校もあるため、必ずしも全員ではない)。新しい携帯電話も買って貰ったし、電話やメールで近況を話せばいい。寂しいのは最初のうちだけだろう。寄港した時に会いに行くでもいい。

 

 部屋は、学園の用意した寮になった。

 黒森峰女学園は、基本は全寮制であるが、届け出を出せば、学外に部屋を借りることも許されている。しかし、戦車道の練習は、名門と呼ばれるだけあって、かなり厳しいものになるだろう。わざわざ学校から離れた部屋を借りる必要性を感じなかった。

 

 さて、黒森峰の寮は、基本的には二人部屋だ(人数や組み合わせの妙で一人部屋になる人もいるらしい)。そのため、部屋には備え付けで二段ベッドが用意されていた。

 しかし、私と相部屋になるはずのルームメイトは、春休みの間には越してこなかった。私は、二段ベッドの上を勝手に陣取り、越してきた相手が文句を言うようだったら変わってやろうとか、そんなことを考えながら、つかの間の一人部屋を謳歌していた。

 

 結局、明日が入学式というタイミングになっても、ルームメイトは、一向にやってくる気配がなかった。もしかすると、このまま一人部屋になるのかもしれないと、にわかに期待した。

 

 そうして、入学式当日。

 私はあいつと出会った。

 

 

3.

 

 憧れの黒森峰女学園(の中等部)機甲科に入学できた私は浮かれていて、これから私の大活躍がはじまるのだと、分不相応にも期待を抱いていた。本来は、期待と不安が綯い交ぜになるところだろうが、難関とされる入試を突破したことも、自信に繋がっていたのだと思う。決して、私が能天気な性格というわけではない。

 

 黒森峰女学園は、西住流(戦車道の流派のひとつ。日本では最も伝統のある流派である)と所縁が深いということもあって、日本では戦車道の一番盛んな学校だ。全国に学園艦はいくつかあれど、サンダース大付属、プラウダ、聖グロリアーナらと並んで「戦車道4強」と称され、そのなかでも一つ飛びぬけているという評価は、衆目の一致するところである。西住流の門下生も多く、本気で戦車道を邁進するのであれば、これ以上の環境はないだろう。

 

 黒森峰女学園の敷地は、本当に広くて、校舎の造りも宮殿みたいだった。

 校門をくぐったところで、私はその広大さに感嘆を覚えた。

 それと同時に、本当に黒森峰女学園にやってきたのだという実感がわく。気分が高揚した。

 

「ついにやってきたわに!」

 

 …噛んだ。

 かああ、と顔が赤くなる。

 憧れの黒森峰女学園にやってきて、テンションが上がって意気込みが口をついたまではよかったが、まさか噛んでしまうとは…。誰にも見られていないといいのだけど。

 

 焦りながら、私は辺りを見回した。特に私に注目している生徒はいないようで、一安心だ。すると、とこ、とこ、とゆったりとした足音が後ろから聞こえた。それは気のせいか、私のいる方に近づいてくるようだった(考えてみれば、校門の近くに立っているので当然なのだが)。

 ばっ、と振り替えると、そこには、何を考えているんだかよく分からないような眠そうな目をした焦げ茶色の髪の女生徒が立っていた。

 

「…?何か用ですか」

 

 女生徒は、こてん、とほとんど直立のまま首を傾げた。

 髪は短いが、うん、女生徒だ。スカートを穿いている。

 

 …うーん。なんだか、どこかであったことがあるような。…ないような?

 特に、その目に見覚えがあった。何を考えているんだかよく分からないような目に。

 もしくは、頭の横にはてなが浮かんでいるのが分かるのに、それでも表情はまったく変わっていないという無愛想さに、私の中で何かが引っ掛かっている。

 

「あなた、どこかで会ったことがなかったかしら?」

「…さぁ?」

 

 いくら見つめようと、彼女の目から真意が読めるということはない。というか、一方的に見つめている本人(わたし)が言うのも何だけれど、こいつまったく目を逸らそうともしないわね。

 …ちょっと恥ずかしくなってきた。

 

「そう、気のせいかしらね。ごめんなさい。ところで、あなた、何か聞こえたりしたかしら」

「何か?…ああ、『やってきたわに』?」

「忘れなさいっ!」

 

 表情を変えずに、人の痛いところをついてくる。

 後々思い知ったことであるが、この女は、無愛想のくせに、意外といい性格をしているのだ。

 

 我ながら、初日から盛大にやらかしたものだった。

 顔から火が出そうとは、こんなときに使うべき言葉だろう。

 もしくは、穴があったら入りたい、だろうか。

 

「…なんでもいいが、遅れるぞ」

 

 目の前の無愛想な顔の女生徒が、校舎のほうを指差した。口調が、すこしばかりざっくばらんなものになっている。

 周りを見れば、いくぶん他の生徒たちが早歩きに移行し始めていた。

 

 それほどゆっくり来たつもりはなかったし、集合の時間にはまだ余裕があったはずなのだが。まさか、パンフの時間を読み間違えていただろうか。喜びのあまり、擦りきれるほど読み返したつもりだったが、思い込みとか先入観があると、今更間違いはないだろうと読み飛ばすことも少なくない。

 

 自信のなくなった私は、それじゃあ、とだけ言って、ひょいと軽く手をあげて、彼女と別れるつもりで歩きだす。すると、女生徒も同じ動きでついてきた。音を当てるなら、つかつかつか、そんな歩き方だ。

 

「なんでついてくるのよ!」

「方向が同じなんだからしょうがないだろう」

「何よ、あんたも一年生だったの?」

「…まさか、先輩かもしれないと思ってて、あの態度だったのか?」

 

 女生徒が、少しだけ驚いたような口調で言った。

 

 言われて、私は、はたと気がつく。

 小学生では、あまり上下ということを意識しない。かく言う私も意識したことはなかった。それこそ、敬語は、先生や戦車道クラブのコーチのような大人に対して使うものだった。しかし、中学生では、そういうわけにはいかない。ましてやここは黒森峰女学園だ。規律と規範が統制する黒森峰女学園だ。

 

 言葉使いには気を付けよう。手痛い失敗をする前で助かった。

 

「感謝してくれていいぞ」

「なんで得意気なのよ。むかつくわね」

 

 

4.

 

 入学式には遅れなかった。

 むしろ、余裕があったくらいなので、やはり時間を間違えていたというわけではないようだ。

 他の生徒が急いでいるように見えたのは、絶対に遅れてはいけない、あくまで余裕をもって行動しようという、言わば生徒たちの気質が原因だった。…生真面目な生徒が多いようだ。

 

 ちなみに入学式は、とりたてて面白いものではなかった。まぁ、お決まりの式典なんてそんなものといえば、そんなものだろう。学園長の式辞があって、特に成績の優秀だった生徒が、新入生を代表して挨拶を読みあげる。内容は、一ミリたりとも頭に入ってこなかった。

 

 入学式のあとは、機甲科の生徒だけが残された。

 何事かと思えば、パンツァージャケット(戦車に乗るためのユニフォームのようなもの。聖グロリアーナやサンダースでは、タンクジャケットと呼ぶ)を着た女生徒がぞろぞろと壇上に上っていく。

 

「総員、傾注!」

 

 凛々しい声が発せられ、ざわざわと煩かった生徒たちが一気に静かになる。

 声は壇上から降ってきた。

 見れば、眼鏡をかけた気難しそうな顔の女生徒が後ろ手に組んで立っている。

 彼女は、じろりと私たちのことを見回すと、やがて満足そうに頷いた。

 

「隊長、よろしくお願いします」

「え、ああ、うん」

 

 眼鏡の女生徒が立ち位置を譲ると、後ろから背の高い女生徒が姿を現した。すると、にわかに周囲の空気が引き締まったように感じられた。

 それも当然だろう。彼女こそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 雑誌で見たことはあったが、実際に見るのははじめてだった。

 

 3年生ということもあるのだろうが、大人っぽい人である。果たして二年後の私は、彼女のような大人びた容姿に成長しているだろうか。というか、下手な高校生よりもよっぽど大人であるように見えた。立ち居振舞いが凛としている。

 

「みなさん、入学式お疲れ様でした。知っている人もいるかもしれないけど、自己紹介をさせてもらいます。黒森峰女学園中等部、戦車道チームの隊長を務めています、磨或レンです。よろしくお願いします」

『よろしくお願いします!!!』

 

 まるで軍隊かと思うような大合唱。示し合わせたわけでもないのに、ほとんど全員が口を揃えて応えていた。

 頭では理解していたつもりではあるが、そこは正に、規律と規範に支配された空間であった。少しだけ気圧される。まるで私の通っていた戦車道クラブがお遊戯だったと思えるほどに大違いだ。

 私は、背筋がぶるりと震えた。そうこなくっちゃ、黒森峰(ここ)に来た意味がない。

 

「さて、さっそく今日から練習を始めるわけだけど、言うまでもなく、ここは伝統ある黒森峰女学園!まさか楽な練習をしたいと思っている人はいないでしょうから、ビシバシ行きます。みなさんも、そのつもりでいるように」

 

 隊長の言葉に、私は密かに笑みを浮かべそうになった。更に気を抜けば、望むところよ、なんて言葉が飛び出したかもしれない。

 ただ、それくらいに、私の選択は間違っていなかったと確信できて嬉しかったのだ。

 ここならきっと、私はもっと上を目指せる。戦車道に邁進できる。他の一年生たちも、同じ気持ちだったに違いない。

 

 そのあとは、一年生にひとりずつ自己紹介をさせる流れになった。

 名前と出身校と、役割(ポジション)を大声で話す。中には、流派やら(何人か西住流の門下生もいた)、所属していたチームやクラブやらの名前を言う者もいた。それが、一定のテンポで淀みなく行われていく。

 私は、と言うと、特に変わったこともなく、無難に自分の番を終えていた。こういうことで緊張する性格ではなかったし、変なことをして目立つつもりもなかった。

 

 そして、このまま恙無く終わるかと思った矢先、突如として壇上に緊張感がはしった。一斉に、視線が動いたのだとわかった。その視線の先は、ただ一点を見つめている。その理由が気になって、私は彼女らの視線を追った。すると、そこには、朝に話した無愛想な顔の女生徒がいた。

 

 入学式に一緒に向かったのだから、一年生ということは知っていたが、まさか、同じ機甲科の生徒だとは知らなかった。クラスが違ったのだろうか。同じ列の中に、見かけた覚えはなかった。

 

 それにしても、先輩方は何故この一年生に注目しているのだろう。

 もしかして、生意気な態度をとったりして、先輩方の不興を買ったりはしていないでしょうね、と思う。

 じっ、と無愛想の顔を見つめ続けたが、一向に表情の変わる様子がない。大した胆力というか、鈍いというのか。

 

 むしろ、表情を変えさせられたのは、私たちの方だった。

 

「西住まほ、役割(ポジション)は車長でした。よろしくお願いします」

 

 その声は、然程大きなものではなかった。しかし、凛然とした口調から、朝のぽやぽやした調子は伺い知れない。まるで、歴戦の軍人か、或いは希代の演説家のようであった。

 

 そして、彼女の言葉は爆弾だった。

 一斉に、一年生たちがざわめきだす。

 

 それも当然だろう。西住。西住だ。

 戦車道に流派はいくつかあれど、日本で最大の流派はどこかと言えば、まず第一に西住流。次に島田流と呼ばれるくらいの名門である。ましてや、黒森峰のある熊本は、西住流の総本山だ。

 

 先輩方の注目の度合いからして、偶さか同じ苗字ということはないだろう。つまり、あの眠そうな目をした女生徒は、西住の家の関係者なのだ。今の師範が確か30代だったはずだから、娘ということもあるかもしれない。

 

「あー、えっとぉ、静かにしてくださーい」

 

 隊長の困ったような声が少しだけ聞こえてきた。しかし、周りの騒音は止んでくれない。その程度で止まれるほど、軽い話題ではないのだ。

 ただ、規律と規範を重視する黒森峰で、この体たらくはまずい。そんな風に思った私は、どうにかこうにか好奇心を抑えつつ、壇上に視線を戻した。尤も、雑談に興じられるほどの友人が周囲にいなかったおかげということもある。もし、ここに戦車道クラブのチームメイトがいたら、私も他の人らに流されていたかもしれない。

 

 そして、すぅ、と息を吸い込んでいる眼鏡の先輩の姿と、苦い顔をして両耳を両の掌で塞ごうとする隊長の姿が見えた。

 

Halt's Maul !(うるさい、静かにしろ)

 

 マイクを使わないで放たれる大音量の怒声。言葉の意味は分からずとも、込められた意思は間違えようがない。全員が、背中に氷柱を突っ込まれたように驚いて、反響音がなくなると同時に一気に静寂が訪れた。

 

「では、隊長。続きを」

「あ、うん。ありがとう」

 

 この人だけは怒らせてはいけないと、一年生の気持ちがひとつになった瞬間だった。

 

 

 




 この小説には、フェイズエリカをはじめ、スピンオフ作品の登場人物が登場することがあります。
 なお、作者は、リボンの武者、リトルアーミー、フェイズエリカ、もっとらぶらぶ作戦しかコミックをもっておりません。あしからず。


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