もしも、西住まほが妹だったら   作:青葉白

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 筆が乗ったのはいいことですが、逆に止まらないという事態に。
 すみませんが、前・中・後の3話ということで……。



視点、逸見エリカ_中編

5.

 

「あなた、西住の家の子だったのね」

 

 ぼぉっとした様子で立っている西住まほに、近づいて行って声をかけた。

 ゆったりとした動作で、彼女の顔が私の方を向く。相変わらず、眠そうな目のまんまだ。

 

「ん?…ああ、()()()()()

「だから、それは忘れなさいって言ったでしょ!?」

 

 かっとなって、言い返す。

 相手が「西住流の娘」だろうと、私の性質は変わらないらしい。確かにこれは、将来手痛い失敗を演じそうだ。すると、人を天然で煽ってくる西住まほは、訓練の相手に丁度いいのかもしれない。

 

 さて、一年生の自己紹介が終わると、早速戦車を動かしてみようということになった。

 ずらずらーっと、名前がひとりずつ呼ばれ、そのあとに1号車や2号車といった割り当てがつけられた。つまり、一年生を適当にチーム分けして、4人か5人で1組のチームがいくつか作られるわけだが、私はと言うと、4人1組のチームで、しかも、西住まほと同じチームになった。

 

 5人なら5人、4人なら4人で統一しろ、と思うかもしれないが、こればかりは、学園の保有している戦車の関係もあるから仕方がない。どうしたって、4人でしか乗れない戦車もあるのだ(反対に、乗員が6人や7人必要な戦車もあるが、今回は使わないらしい)。

 

「逸見エリカよ。よろしく、西住さん」

「西住まほだ。こちらこそよろしく、逸見さん」

 

 一度だけゆっくりと息を落ち着けてから、西住まほと握手をする。思ったよりも硬い感触、鍛えてるのだと分かった。

 

「で、あなたたちは、いつまでそこでもじもじしてるのよ」

「だ、だってぇ…」

 

 後ろを振り返ると、そこには、同じチームになった2人がおろおろと突っ立っている。名前は覚えていない。

 彼女らは、どうやら、西住まほ(西住流の娘)にどう接するべきか決めかねているようだった。

 

 無理もない。

 私だって、朝に丁々発止のやりとりをしていなければ、もう少し萎縮するなり、話しかけるのを躊躇うなりしていたはずだ(と思う)。戦車道を志す黒森峰の隊員に対して、西住の名前に先入観を持つなと言うほうが無理である。さらに言えば、先輩方が自己紹介のあとに、彼女に「期待している」、とか話しかけていたり、挙げ句には()()()()()()()()()使()()()()()()()の姿まで見かけたのだから、同級生なら尚更だろう(黒森峰は、上下の意識が強いことで有名である)。

 

 すると、意外なことに先に話しかけたのは、西住まほの方だった。

  

「赤星さんと小島さんだったな。西住です。よろしく」

 

 話しかけられた二人が目を丸くする。そして、慌てた様子で、こちらこそよろしくお願いします、なんて頭を下げた。

 

 だが、驚いたのは二人だけではない。

 二人の様子からして、今日が初対面であることは間違いないだろう。すると、名前を知る機会は、さっきの自己紹介の場くらいなものである。

 

「あなた、全員の名前を覚えたの…?」

「記憶力はいい方なんだ」

 

 西住まほが、事も無げに言う。誇るような仕草でもない。しかし、凄まじいことであった。

 

 機甲科の一年生は、全部で80人だ(難関という割に多く感じられるかもしれないが、熊本県だけでなく、他の県からも有力な戦車道の履修者が集まることを考えると尠少と言っても過言ではない。少なくとも、小学生の頃のクラブ活動で見知った顔は一つもない)。

 それだけの数の自己紹介、前半はまだ聞いていられたが、後半にもなると流石に長く感じられて、私などは右から左だった。それに、前半の人たちだって、名前を覚えてるかと聞かれたら、正直ほとんど覚えていない。辛うじて、隣にいた人が、ええと、佐藤だったか、佐々木だったか。あるいは、鈴木だったかもしれない。

 

 …私の記憶力が悪いとか、他人に興味がないとか、そういうわけではない。断じてない。普通は、そんなものなのだ。80人もぶっ続けで自己紹介を聞いていたら、逆に誰のことも記憶に残らない。それこそ、爆弾が混じっていれば尚更である。

 

 全員分覚えているほうがよっぽどおかしいのだ。

 

「じゃあ、自己紹介も済んだところで」

 

 そう言って、何やら終わったような気になって、次に進めようとする西住まほ。赤星さんと小島さんは、突然放り出されたような感覚だろう。困惑顔だった。

 

 一方的に名前を言い当てただけで自己紹介とは、これ如何に。彼女のコミュニケーション能力というか、()()()()()()()()()()()()が非常に心配になった。能力の非凡さを見せつけるパフォーマンスには十分だったけれども。

 

 もっと、こう、ないのかしら。他人に興味とか。……ないんでしょうね。

 

「早速だが、それぞれの役割を決めよう。わたしたちの戦車は、…38tか」

「それ、確か4人乗りで、車長が砲手も兼任しないといけないっていう扱いづらい戦車よね」

 

 西住まほが、ふらふらと戦車に近づいていった。そこにあるのは、私たちのチームに割り当てられた車輛である。私は、少しだけ沈んだ気持ちになった。

 

 38t戦車。全長4.61m、全高2.26m、重量は約9.5t。ドイツ軍がWW2で使用したチェコ製の軽戦車である(「t」はドイツ語におけるチェコ、「Tschechisch」の頭文字である)。

 軽戦車としては、火力・装甲ともに申し分なく、機動力も悪くないのだが、砲塔が狭いために砲手の乗れるスペースがなく、車長が砲手を兼任しなくてはいけないなど、指揮に集中できないという欠点を抱えていた。そのうえ、砲塔旋回装置は手動式のため、操作性もけっして良いとはいえない。

 

 個人的には、2人乗りの小型砲塔の戦車でなく、たとえ機動力で劣ったとしてもⅢ号戦車のような大型砲塔の戦車の方がよっぽど好みだった。もちろん、38tが大戦初期のドイツを支えた名作機であることに疑いはないのだが(38tの生みの親であるチェコからすると、ドイツは当時敵国であったため、その活躍ぶりは皮肉だったと言わざるをえない)。

 

「そうだ。よく知っているな。…それだと、(車長は、)()()()()()()()()()()逸見さんか小島さんが適任だと思うが」

「へ?」

 

 西住まほの言葉に、私と小島さんが間抜けな声を漏らした。

 すると、西住まほが、こてん、と小さく首を傾げる。

 

「どうした?間違っていたか?」

「いえ、合っているけど…」

「この場合、合っているほうがおかしいというか…」

 

 私たちは、三人して顔を見合わせた。

 

「もしかして、西住さん。みんなの話していた役割(ポジション)まで全部覚えたの?」

「そりゃあ、同じチームになるんだから、当然だろう」

 

 何を今更、そんな副音声が聞こえた気がしたが、私は、彼女とのすれ違いに頭が痛くなった。

 

 私たちが聞いたのは、「どうして(Why)」ではなくて、「どうやって(How)」だ。覚えられるものなら、私だって覚えたい。

 つまり、脳みその出来が、そもそも私たちとは違うようだった。そして、さらに厄介なことに、彼女はその事実に対して無自覚らしい。

 

 これと3年間、いや、順当に高等部まで含めれば6年間同じチームなのだ。…うまく付き合っていけるだろうか。

 

 結局、小島さんも私も車長は辞退して、西住まほが車長ということになった。小島さんの場合は、西住さんを差し置いて自分が車長なんて烏滸がましい、という意思が見えたが(よくそんな性格で黒森峰の機甲科に入れたものだ)、私の場合は、純粋な興味からだった。

 

 私は、西住流の力を見てみたかった。

 私は、これまで西住流の名前や評判を聞いたことはあっても、その実力を自分の目で見たことはない。雑誌だとか、テレビの中継だとかでプロの試合は見たことがあったが、プロというだけあって、どの戦車チームもため息がでるほどうまくて、西住流が突出しているという印象は受けなかった。

 しかし、同年代であれば、流石に自分と比べるくらいのことはできるだろう。

 

 さて、いきなりであるが、戦車とは、その名前の通り戦闘用の車輌である。

 相手を倒すための強力な武装を搭載し、逆に相手にやられないための強固な装甲を持っている。そのうえで、車輌なのだから軽快に走ることができなければ名前負けだ。だったら、固定砲台にでも改名したほうがいいだろう(ただし、そういう運用をされた戦車もある)。

 

 火力、装甲、機動力。そのいずれもが、戦車にとっては重要な性能であるといえる。しかし、小学生でもわかることであるが、何にも妥協せずにすべての要望を叶えた夢のマシンなんて、作れるはずもない。何かがトレードオフされているはずなのだ。

 

 それでは、火力と装甲と機動力を得るために、戦車はいったい何を犠牲にしたのか。

 簡潔に言うならば、それは視界だ。

 

 操縦手は、防弾ガラスの張られた小さな窓(スリット)から、あるいは、潜望鏡(ペリスコープ)を覗き込みながら操縦をするしかない。しかし、想像してほしいが、双眼鏡を覗き込みながら車を運転することが、果たして可能だろうか。断言してもいいが、車線変更してきた車にも気づかず、事故を起こすのが関の山である。

 

 そのために、戦車にはそれぞれの役割(ポジション)に指示を出す車長(コマンダー)が要るのだ。

 

 車長がいなければ、戦車の生存率は極端に下がると言われているが、さもありなん。

 視界を360度確保できるのは、唯一車長だけである(そのためには、キューポラから上半身を出して監視する必要があるが)。

 そのほかには、限られた視界で前方だけを覗いている操縦手と砲手しかいないが、戦場は、横スクロールのゲームではない。前方にだけ敵がいるとは限らないのだ。

 

 車長からの指示がなければ、戦車は動くこともできないし、目標を見つけることも叶わない。こうなっては、ただの動かない的。少し頑丈なだけの棺桶だ。

 

 つまり、車長は戦車の脳であり、耳であり、目である。他の隊員がどれだけ優秀であっても、車長がまともに機能しなければ、戦車としては役立たずになってしまう。

 しかし、逆を言えば、車長さえまともなら、即席のチームでもある程度は動けるということになる。勿論、そうだとしても、動かし方を知っているとか、最低限のマニュアル知識は必要だろうが、今回の操縦手は私だ。指示通りに動けないなんてへまはしない。

 

「車長、指示(オーダー)を」

「あー、うん。できれば、他のことがやってみたかったんだが…」

 

 小声で、何事かをつぶやいた。

 

「何か言った?」

「なんでもない。……戦車前進、『PANZER VOR!(パンツァー・フォー)』」

 

 なかばやけくそ気味な号令のもと、私は戦車を発進させた。

 

 結果から言えば、大して波乱も起きない、普通の訓練だった。彼女の指示は的確であったが、さりとて、私に同じことができないかと言われればそんなこともなく、至極普通としか言いようのない指揮であった。

 

 尤も、まっすぐ走らせたり、先輩の指示通りに止まって射撃をしたりという訓練で、他と変わりようがあっては、それは命令の無視とほとんど同義だ。そういう意味で言うと、今回の訓練では、彼女の真価が図れるはずもなかった。

 

 ただ、黒森峰の訓練は噂通りに(あるいは、噂以上に)レベルが高く、また厳しいものだったことは確かだ。昼前に一旦の訓練を終えたが、すでに私は汗だくで、激しい戦車の挙動に揺られた小島さんや赤星さんもぐったりとした様子だった。正直、今から昼食だと思うと吐きそうだ。

 

 しかし、西住まほは、というと、訓練を終えても、相変わらずの不愛想のままで、疲れたような様子は微塵も見られなかった。そのうえ、昼時の学食に移動すると、彼女は平気な顔で日替わり定食を大盛りで頼み(メインは、男性のげんこつ大はありそうなメンチカツが2つだ)、それをぺろりと平らげた。同じ戦車に乗った私や他の2人は、かけのうどんをさらに小盛にしたというのに、だ。

 

 少なくとも体力と胆力(ついでに食欲)は、真似のできないものを持っているようだった。

 

 

6.

 

 黒森峰に入学してからというもの、ほとんど毎日が戦車道の訓練漬けだった。

 

 戦車道は部活動ではなく、あくまで授業の一環という立て付けだったが、黒森峰の機甲科は、それこそ()()()()()()()()()生徒の集まりだ。日中も戦車道の合間に授業が挟まり(授業の合間ではない)、放課後は日が落ちるまで戦車の整備や訓練に明け暮れた。

 

 最初のうちは、あまりの疲労に、部屋に戻ればシャワーだけ浴びて、ベッドに倒れこみ(梯子を登るのが辛いので、途中で二段ベッドの上下を替わってもらった)、ご飯も食べられずに眠る毎日だったが、1ヶ月も繰り返していると人間はどんな環境にも慣れるようで、そのうち平気になった。

 

 しかし、そんな訓練の日々に加えて西住まほは、毎朝必ず3キロのマラソンを日課にしていて、黒森峰に入学してから一度も欠かしたことがなかった(彼女曰く、もはやルーティンのため、欠かしたほうが調子を悪くするのだとか)。

 訓練に慣れた今でも、彼女ほどの余裕は持てていない。

 

 さて、訓練の量は、流石に名門と呼べるほどだったが、質はというと、それもやはり、名門というのは伊達ではなかった。

 

 一年生だから、訓練の準備や、そもそもの戦車の整備も役割のうちだったが、それで訓練が少ないかというと、そんなことはない。勿論、戦車の保有台数には限りがあるのだから、先輩方が優先して搭乗訓練をするのは当然である。その間は、必然装備の点検であるとか、そうでなければ、砲弾を担いで倒れるまで走らされるような基礎訓練が中心だ。

 しかし、ローテーションで必ず一年生用の車輌も用意されていたので、先輩方のように全員とはいかないが、きちんと搭乗訓練の時間も割り当てられていた。

 

 さて、試合のレギュラーメンバーともなれば話は別だが、一年生のうちは、特定のチームを作らず、役割も交代しながら戦車に乗ることが決まりだった。車長を希望する者も、砲手としてならした者も、通信手や装填手や操縦手を担当した(特殊カーボンで守られているとはいえ、試合中の事故はつきものなので、誰でも役割を代われるようにするというのは道理に適っている)。

 

 ただし、西住まほだけは、必ずと言っていいほど、車長の役割をこなした。本人は、通信手や装填手でも構わないと言ったそうだが、先輩方が許さなかったらしい。

 

 そのうち、西住まほは、一年生にして試合のレギュラーメンバーに選ばれた。当然ながら、役割(ポジション)は車長だった。

 

「流石ね、西住」

「…エリカ」

 

 4月からすでに2か月が経過していた。

 つまり、寮の部屋が一緒の私は、2か月間毎日、彼女と顔を合わせていることになる。おかげで、だいぶ私の沸点も鍛えられた。

 いつからか、私は彼女を呼び捨てで呼ぶようになっていたし、彼女も私を名前で呼ぶようになっていた。

 

「すごいじゃないの。1年生でレギュラーメンバーなんて、ここ数年なかったことらしいわよ?」

「なぁに。()()()()()()()()()()()()()()()

「む」

 

 2か月付き合ってみて分かったことだが、妙に西住は、自己評価の低いところがあった。人に褒められても謙遜をするばかりで、調子にのるということがない。謙虚は美徳であると言うが、私たちはまだ中学生だ。もっと素直になればいいのにと思ったのは、一度や二度ではなかった。

 

「…あんた、いつも仏頂面して、つまらなそうよね。嬉しくないの?もっと喜びなさいよ」

「嬉しいことは嬉しいが、どうにも気を遣われている感じがしてな。据わりが悪い」

 

 西住が肩を竦める。

 その態度が、ますます私のことを苛つかせた。

 

「気に入らないわね。あんたが凄いのは、私たち一年生はよく知っているわ。それを先輩方も認めてくれたってことでしょう?」

 

 最近では、先輩方の車輌に交ざることも増えた西住だが、それでも、この2か月の訓練で一緒の時間が多かったのは、圧倒的に私たち一年生だ。

 だから、西住の実力は、この2か月で嫌というほど思い知っている。

 

 確かに、この女の指揮は、けっして派手なものではない。一回や二回、一緒の戦車に乗ったり、一緒の隊列で訓練をしたぐらいでは、気づくことができないものだった。実際、はじめて彼女の指揮で動いたときは、まったく普通であるとしか感じられなかった。

 ただ、何回か乗ってみると、なんというか、彼女は迷ったり、およそ間違えたりしない、という安心を感じられるようになった。

 

 それでも、彼女の乗った戦車が、負けるということもあった。

 しかし、彼女が指揮を執った部隊が、負けたということはなかった。

 

 私が推測するに、西住まほという奴は、二つの選択肢を突きつけられたときに、『必ず』、より有利な方を選ぶことができるのだ。

 

 例えば、AとBの選択肢があったとして、Aが6割勝てる選択肢だとする。そして逆に、Bが4割勝てる選択肢だったとする。西住まほは、このとき必ずAを引き当てる人間だった。

 尤も、Aを引き当てたとしても、4割の確率で負けるわけなのだが、彼女はこの選択を繰り返したときに、Aを引き続けることができるので、局所的に見れば負けることもあるが、大局的に見れば、おおよそ負けないということができるのだった。

 

 まして、試合(たたかい)の中には、流れというものがある。

 それを一度掴んでしまえば、絶対に逆転させないというのが、西住まほの戦い方であった。

 

 もちろん、それを可能にしているのは、豪運なんて曖昧なものではない。むしろ、単純な運任せだけのギャンブルは、彼女の苦手とするところだった。

 そうではなくて、彼女の、悪魔的なまでに高い精度の予測の賜物であった。

 

 人並み外れた記憶力が過去のデータを蓄積し、これまた人並み外れた観察眼と分析力が、その時の状況と過去のデータとを照らし合わせて、その時に最も適した戦術を引っ張り出す。

 

 言ってしまえば簡単なことだが、それが『常に』できるかと言われたら、私は即座に無理だと答えるだろう。いや、当然、それが理想であることは分かっていて、それができるように知識をつけたり、戦術眼を磨いたりするのだが、その精度が恐ろしく高いのが、西住まほである。しかも、スーパーコンピューターもかくやというほどに早い。

 

 たぶん、私たちの目指す()()()は、西住まほなのだ。

 

 先輩方は、もしかするとこの事実には気づいていないのかもしれない。

 ただ、一年生の中では突出して成績がよく、そのうえ「西住」だからということもあって、レギュラーメンバーに加えられただけなのかもしれない。

 だとすれば、今はまだ西住の言う通りなのだろう。「西住」の跡取りをないがしろにするまいという風潮があって、たまたま西住が、対外的にも言い訳をできるだけの成績(つまり、レギュラーメンバーにしても、疑問を抱かれないだけの成績)を残しているだけなのである。

 

 それでも、いずれ先輩方も気が付くだろう。私だって気づいたのだ。私たちだって気づいたのだ。

 先輩方は聡明だ。だから、きっと私たちのように、2か月なんて時間は要らないだろう。

 そのとき、彼女は実力で選ばれていたのだと、それを疑うような人間は誰もいなくなっているはずである。…他ならぬ、()()()()()

 

 肝心要の彼女だけが、西住まほ本人だけが、自分の実力にひどく懐疑的だった。

 

「日本人は謙虚すぎるのよ」

 

 これは、完全に祖母の受け売りだった。これを言うといつも、お前だって日本人ではないか、と突っ込みを受ける。

 異国からやってきた私の祖母は、とかくプライドの高い人だった。常々、自慢したいと思ったときは、堂々と胸を張りなさい。そんなことを言い聞かせられた。

 

「あなたも、褒められたのだから、素直に受け取りなさい。そりゃあ、中にはおためごかしもあるでしょうけど、全部が全部そうってわけじゃないわ。西住流を継いだりしたら、あなた、そんな情けないこと、言ってられなくなるわよ」

 

 西住師範の言葉は、この時代、ネットで調べればいくらでも出てくるし、インタビューの記事も読んだことがある。とにかく自信に溢れた人というか、強い言葉を使う人だった。それは当然、責任だとか立場から言わざるを得ない言葉でもあるのだろうが、それを抜きにしても、勇ましいとさえ感じられる人である。

 

 しかし、その娘はというと、いつもぽやぽやとしているというか、なんとも煮え切らない奴だった。

 戦車に乗っているときは、確かにはっとするほど勇ましく見えるのだが。録画した映像を、あとで本人に見せつけてやろうか。普段から気を抜くなと。…流石に可哀想か。

 

 ちなみに、他の子たちに言わせると、普段もオーラがあって近づきがたいらしいのだが、こればかりは、私には分からない感覚である。

 いくら私が、西住は案外なにも考えていないだとか、結構抜けている奴だと言ったところで、一向に信じてもらえないので、私も言うのを諦めたほどだ。

 

 閑話休題。

 

「ああ、それなら大丈夫だろう」

 

 あっけらかんとした口調で、西住が言った。

 その言葉に、私は首を傾げざるを得ない。

 

「大丈夫ってなにが?まさか、師範とか家元になれば、勝手に立派になれるとか言いたいの?そりゃあ、立場が人を作るなんて言葉があるけれど。…地位だったかしら」

「野村克也だな。『地位が人を作り、環境が人を育てる』。金言だとわたしも思うよ。ただ、わたしが言ったのは、そういう意味じゃない。そもそも、わたしは、西住流の後継ぎじゃないしな」

「は?」

 

 私は、耳を疑った。

 この女は、今なんと言った?

 後継ぎじゃない?誰が?西住まほが?西住の娘が!?

 

「え、あなた、西住師範の子供じゃないの?」

「いや、子供は子供だが…」

 

 いろいろ言ったが、この女が西住師範の子供だというのは、疑いようがない。見た目は本当にそっくりだ。少しばかり、平時の凛々しさが足りない気もするが、戦車に乗っているときは、文句がない。

 妾、愛妾、側室。いやいや、西住師範は女性である。

 

「簡単な話だ。西住流を継ぐのは、たぶん姉になるだろうから」

「…姉?」

 

 姉と言われて、はぁ、なるほど。と納得しそうになった。

 確かに、姉がいるのなら、家は長女が継ぐものだろう(普通は長男と言うところだが、戦車道は女性の武芸である)。それに、西住の病的なまでの自己評価の低さは、さらに優秀な姉がいたのだとすれば、理解のできないことではない。

 

 しかし、西住師範は確か30代の半ばくらいだったと記憶している。西住まほが長女だったとしても、相当に若くして産んでいることになるのだが、さらに姉がいるとなると、果たしてどんな学生時代を送っていたのだと邪推しそうにもなる。それとも許嫁だろうか。時代錯誤にも思えるが、西住ほどの名家ならばあり得そうな話である。

 

 まぁ、それにしても、2ヶ月一緒に暮らしていて、姉がいるなんてはじめて聞いたのだが。

 

「あなた、お姉さんなんていたのね。え、でも、チームにはいないわよね?…まさか、高等部に?」

 

 その場合、西住師範は、10代で子供を産んでいることになるのだが…。

 人の恋愛観にああだこうだと言うつもりはないが、仮にも由緒ある名家の跡取りだ。そのあたり、厳格そうにも思えるのだが、むしろそういう家ほど、早くに子どもを欲しがるのだろうか。

 すると、西住が首をふるふると横に振った。

 

「いいや、姉は中学生だよ。一つ上だ」

 

 ますますもって、意味がわからない。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。一つ上ってことは、一つ上ってことよね?」

「大丈夫か、エリカ?」

 

 正直に言えば、大変に混乱している。大丈夫ではない。

 だって、おかしい。一つ上ってことは、西住のお姉さんは中学二年生のはずだ。

 だったらどうして、()()()()()()()()()()()()

 

「もしかして、海外に留学してるとか?」

 

 西住は首を振った。

 

「飛び級してるとか?」

 

 またも、西住は首を振る。

 

「他の学校に進学したの?」

「黒森峰だが?」

「いや、そこは首を振りなさいよ!?」

 

 耐えきれずに突っ込んでしまった。

 こいつといると、私の調子は狂わされてばっかりだ。私のキャラクターは、こんなではないはずである。

 

「でも、黒森峰ってことは、やっぱりおかしいわよね。(戦車道チームの)先輩に、西住なんて人はいなかったと思うのだけど」

「そりゃあ、そうだろう。姉が通っているのは、()()()()()()()

「え、なんで?」

 

 完全に素になって困惑した。

 

「だって、普通科じゃあ、戦車には乗れないでしょう?まさか、機甲科に入れないほど下手…ってことはないでしょうね。後継ぎ候補ということだし。でも、そうしたら…」

 

 あとは学力の問題くらいしか思い当たらないのだが。

 黒森峰の普通科はともかく、機甲科の入試は、戦車道の試験を抜きにしても難関だ。

 

 すると、言わんとすることを察したのだろう。西住が、そうではない、と首を振った。

 

「いやいや。入試が突破できなかった、というわけじゃない。実際、定期試験では学年上位をキープしているという話だし」

「じゃあ、どうして?」

「母が、許さなかったからだ」

「はい?」

 

 母。彼女らの母というと、西住師範か。西住流戦車道の師範が、娘の黒森峰での戦車道を禁止する?まったく分からない。

 

 黒森峰の戦車道チームは、戦車道を志す者にとっては、日本で一番の環境だ。

 これで、飛び級をして大学に行っているとか、海外の学校に留学しているということなら、理解もできる。だのに、普通科ということはどういうことだろう。

 

「分からない、って顔だな。無理もない。…理由は、うまくわたしも言えないんだ。ただ、戦車道を禁じられている、というわけではない。学園艦が寄港すれば必ず実家に戻って、門下生たちと訓練をしているみたいだしな」

「それは、私たちみたいな中学生に交じるのが、無駄とか、そういうこと?」

「いいや。そういうわけではないと思うが…。前に聞いたときは、()()()()()()、だったか?そんなことをお母さんは言っていた」

「ふぅん?」

 

 目を離せない?危なっかしいということだろうか。

 

 確かに、戦車道は危険の多い競技と言える。特殊カーボンに守られているとはいえ、本物の砲弾が飛び交うのだ。事故が起きるとき、それは大抵の場合、命にも関わりかねない重大なものである。

 大切な後継ぎが、目を離したところで事故に遭うのが怖いというのであれば、過保護だな、とは思うものの理解できないという程ではない。些か西住師範のイメージとはズレるが、公人と私人の違いだろう。

 

 そんなことを言っていたら、いつまで経っても独り立ちはできないような気もするが。

 

「もし良かったら、今度見てみるか?」

「へ?」

 

 西住の問いかけに、私は間抜けな声を漏らした。

 

「確か、次の週末は寄港する予定だったと思うし、1日がかりになってしまうが、西住流の訓練を見るのも、いい勉強になると思うぞ」

 

 そんなことを、西住は言った。

 

 西住の提案は、非常に魅力的だった。

 私としては、願ってもないことだ。西住流の訓練を見る機会なんて、ほとんどないだろうし、普通は見たいと思っても見られるものではない。なにより、黒森峰の戦車道は、西住流の影響を強く受けている。戦術の多くが、西住流を踏襲したものだ。本家本元を見たとして、得られるものは、きっと少なくはないだろう。

 

 貴重な休日ではあるが、悩む理由はなかった。

 

「ほ、ほんとにいいの?」

「見学くらいなら許してくれるだろう。たぶん」

「たぶん、って。ほんとに大丈夫なんでしょうねっ!?」

「大丈夫大丈夫。菊代さんに言っておけば、だいたい大丈夫だ」

「誰よ、その菊代さんって…」

 

 徐に、西住が携帯を取り出した。そして、かたかたと何か操作しているのが見える。おそらくは、メールを打っているのだろうが、めちゃくちゃ遅い。私の祖母よりも遅い。

 

「えい」

 

 西住が、メールを打ち終えたようだった。掛け声と一緒に送信ボタンでも押したのだろうが、お前は本当に女子中学生かと突っ込みたくなる。

 すると、すぐにぴろんと西住の携帯が鳴る。

 返信が来たようだ。逆にこっちは、めちゃくちゃ早い。菊代さん、待ち構えていたんじゃなかろうか。

 

 すると、西住は届いたメールを一瞥して、私の方を向いた。

 

「うん。いいらしいぞ」

「あ、さいですか」

「ほら」

 

 西住が、携帯電話の画面を見せつけてくる。

 そこには、所狭しとびっしり画面を埋め尽くした文字が見えた。

 中には、友達ができたんですね、よかったですね。とか、そんな心暖まる文面が見えたが(どんなメールを送ったのかしら?)、要約すると、訓練を見せるのは構わないし寧ろ歓迎する、ということだった。

 

 それでいいのか、戦車道の大家。秘伝とか、そういうのはないのだろうか。いや、その方が私としては都合がいいのだけれども。ただ、あっさりとし過ぎていて、なんというか、ありがたみが薄かった。

 勿論、楽しみなことは楽しみだが。

 

「週末、…週末ね。意識すると長く感じそうね。…今日が月曜日なのを恨むわ」

「新しいものの恨み方だな」

 

 斬新だ。と西住が言った。

 

「仕方ないじゃない。小学生が遠足前に眠れなくなるように、私はあと5日も眠れない夜を過ごすのよ。軽く拷問だわ」

「随分とお手軽で、平和的な拷問があったものだ。世界中の軍隊は、軍事教本に採用するべきだろうな」

 

 らしくもなく、軽口が踊る。

 どうやら私は、自分で思っている以上に浮かれているらしい。

 

 すると、ぴんと右手の人差し指を立てて、西住が改まった口調で言った。

 

「…ああ、楽しみにするのはいいが、ただ、ひとつだけ先に言っておくぞ」

 

 本能的に、それは軽口ではないのだと察せられた。

 大事な話をしようとしているのだ。

 西住まほが、本音を話そうとしているのだ。

 私は、身構えた。

 

「私の姉は、天才だ。正真正銘の天才だ。だから、絶対に、()()()()()()()

 

 自信を無くすぞ。そんなことを、西住は言った。

 




 似たようなやり取りを3年後も繰り返す模様……。


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