もしも、西住まほが妹だったら   作:青葉白

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 お待たせいたしました。
 なお、後編だけで2万字を超えそうになったので、キリのいいところで分割しました。
 数日したらもう一話だけエリカ視点の話を投稿させていただきます。



視点、逸見エリカ_後編

7.

 

 週末の朝である。待ちに待った土曜日である。足がけ5日。こんなにも5日間を長いと思ったことはなかった。

 私は、西住に連れられ、西住流の本家へとやってきていた。

 ちなみに、起こされたのは、朝の5時である。

 港へ降りると、予め手配されていたのであろう。用意のいいことに車が待っていた。

 

 いかにもな黒服に案内され、車に乗り込む。

 黒塗りの、所謂高級車というやつだ。映画とかドラマで見たことがある。そう、車には詳しくないが、たぶん、ベンツという車だ。当然ながら、乗ったのは初めてである。

 

「それでは、家までお願いします」

 

 西住が、さも当然のように、運転席に座った黒服へ指示を出した。

 私の家もそれなりに裕福な方だが、これでは全く次元が違う。

 普段の様子から忘れそうになるが、西住はまさしく、お嬢様の中のお嬢様なのだと認識を改めた。

 

 やがて、大きな和風建築の家に辿り着いた。和風建築にも関わらず、三階建てである。まるで、高級な和風の料亭か、温泉宿のような建物だ。

 門をくぐり、心の準備もしないままに、西住が無遠慮に扉を開けた(自分の家なのだから当然のことだが)。

 すると、可愛らしい少女の声に出迎えられた。

 

「わぁ、いらっしゃい!」

 

 少女の顔立ちは、西住によく似ていた。

 しかし、どちらかというとつり目がちな西住に比べて、目の前の少女は、たれ目がちで、穏やかな印象を受ける。髪の色も、少しだけ西住より明るい栗毛色だ。

 なんというか、予想と違って、正統派で可愛らしい人である。普通の女の子、という感じだ。あまり、お嬢様という感じでもない。世間知らずの箱入り娘と言われたら、そう見えるかもしれないが。

 にこにこと笑顔を浮かべているし、西住流はみんな鉄面皮ではなかったのか、と言いそうになった。

 

 だって、こんなにも華やいだ笑顔、2か月も一緒に暮らしているが、西住は一度だってしたことがない。

 もっとも、そんな西住を見つけたら、真っ先に頭の病気を疑うか、次に誰かの変装を疑うだろうが。

 

 呆けていると、とん、と軽く左腕の肘のあたりをつつかれた。

 西住が、肘をぶつけてきたようだ。

 はっ、と挨拶を忘れていることに気がついた。

 

「あ、あの、おじゃましますっ!」

 

 若干、声が上ずったのが分かった。

 完全に呑まれている。

 普段は、あまり緊張する方ではないのだが、5日も前から楽しみにしていたせいだろうか。それとも、西住の名前に臆したのだろうか。或いは、ベンツなんて高級車に乗ったせいかもしれない(ちなみに、普段乗りまわしている戦車の方が、よほど高価なことには気づいていない)。

 

 すると、西住が隣で、涼しい顔をして、ただいま、と言った。

 

「うん。おかえりっ」

 

 西住が、靴を脱いで式台に上がろうとしたところで、機先を制するように少女が靴下のまま土間に下りてくる。

 そして、そのまま西住に抱き着いた。

 西住が目を丸くした。

 

「ね、姉さんっ!?」

「ああ、久しぶりのまほちゃんだよぉ」

 

 ぎゅーっと、西住のことを強く抱きしめる少女。

 気のせいでなければ、すんすんと西住の匂いを嗅いでいるような仕草が見えた。

 …随分と個性的な家族間コミュニケーションね!

 私には、目を逸らすことしかできなかった。

 

 おかげさまで私はというと、完全に置いてけぼりになった。ただでさえアウェーだというのに、ふたりのその様子を、じとーっと見つめていることしかできない。そして、それを喜ぶような趣味もなかった。

 まさか、ふたりを放って、勝手に上がるわけにもいかないし。

 

 それにしても、西住の慌てた顔なんて初めて見たわね。

 こいつにも、人並みの表情筋はあったということかしら。

 自分でも失礼なことを考えているな、という自覚はあった。

 

 やがて、抱きつかれてされるがままになっている西住が、ぽんぽんと少女の体を優しく叩いた。退いてほしいという合図だ。

 

「姉さん。その、学友が見ていますから」

「おっと。そうだった」

 

 ばっ、と勢いよく西住を離したかと思うと、くるりと私の方へ体ごと振り向いた。

 心なし、その顔は先ほどよりもつやつやしているように見える。

 一方で、ようやく解放された西住は、安堵するような表情になっていた。いそいそと、乱れた衣服を直している。

 

 調子が狂うというか、なんというか。挨拶ひとつにこんなに苦慮したことはなかったと思う。だからと言って、気は抜けないのだが。

 

「えっと、にしっ、……まほさんの、ええと、戦車道のチームメイトの逸見エリカです。はじめまして。よろしくお願いします」

 

 まさか、お姉さんの前で苗字で呼ぶのも変だし、かと言って、名前で呼ぶのは慣れていなかった。それに、私と西住の関係性を友人と括るのは、なんだか気恥ずかしい気持ちだったのだ。だから、咄嗟にチームメイトと誤魔化した。いや、嘘ではないのだから、誤魔化すも何もないのだけど。

 

 横目で西住のことをちらりと見る。少しばかり落ち込んでいるようにも見えた。

 

「はい、ご親切にどうも。まほちゃんの姉の、西住みほです。……へえ、まほちゃんが友達を連れてくるって言うから、珍しいなぁって思ったけど。…へぇ」

 

 すすす、とみほさんが近づいてきた。

 目を細めながら、私のことをじぃ、っと観察しているのだと分かる。

 後ろ手に組みながら、上半身を左右に揺らしたり、腰を折り曲げるようにして、私のことを下から覗き込んだりした。そんな、下から見上げようとする視線とぶつかった。

 みほさんが、へにゃ、と破顔した。

 

「な、なんでしょうか?」

「ふふふ。そんな硬くならないで。畏まらないでいいよ。もっと普通に接して、ね?」

「え、ええと。はい」

 

 無理だ。無茶だ。めちゃくちゃだ。観察されるような視線にさらされて、自然体でいろというのは不可能だ。

 なんというか、これまで接したことのないタイプのような気がする。

 西住の姉ということだから、最初はもっと寡黙で、取っつきづらい感じをイメージしていたのだが、全然そんなことはなかった。雑誌で見る西住師範のイメージともそぐわない。いや、これはこれで取っつきづらいことには変わりないか。

 印象としては、距離感の掴みにくい人、だ。遠いのに、近い。近いのに、遠い。

 

「ああ、それでね。エリカちゃん。あ、エリカちゃんって呼ばせてもらうね。エリカちゃんは、その、ずいぶんと大人っぽい格好をするんだなぁ、と」

 

 みほさんは、一通り私の観察をして満足したのか、2歩ほど後ろに下がって、すっと姿勢を正した。

 そんな彼女の放った言葉に、私はさぁ、と青ざめた。

 

「に、似合いませんか!?」

 

 流石に西住流の本家にお邪魔するというのに、学校の制服というわけにもいかないし、ましてやジャージとか着古した普段着というわけにもいかない。だから、タンスに眠っていたおしゃれ着(少し背伸びをして買った)を着てきたのだが、似合っていなかっただろうか。

 

 すると、みほさんが何か楽しいことがあったみたいに声をあげて笑いだした。

 

「あははっ。そんなことはないよ。とっても似合ってるし、ほら、私じゃあそういうのは似合わないから、羨ましくって。でも、そうだね。エリカちゃんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 白いドレスとか。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、みほさんはそんなことを言った。

 

 ちなみに、西住の服装は、いつもの部屋着と一緒だった。

 しまむらだった。

 

「さ、あがってあがって」

 

 たん、と軽快な動きでみほさんが式台の上にあがった。

 すると、西住が小さな声で「靴下」と呟いた。

 

「あ、そうか。靴下のまま降りちゃったね。失敗失敗」

 

 みほさんは、てへ、とかわいらしく舌を出し、その場にしゃがんだかと思うと、よいしょ、と靴下を脱ぎ捨てた。それを拾い上げて、廊下の先に歩いていく。

 

「じゃあ、ちょっとお手伝いさんに汚しちゃった靴下を預けてくるから。まほちゃんは、エリカちゃんをわたしの部屋に案内しておいてくれる?」

「え、いいんですか?その、師範にご挨拶とか」

 

 みほさんの発言に私は、おや、と驚いた。

 

 折角のお呼ばれだし、このあと西住流の演習も見させてもらうのだ。手土産まで用意するのは、中学生にしてはやりすぎだと思ったので止めたけれど(そんな高価なものも用意できないし)、せめて挨拶くらいはしておくべきじゃないかと思った。

 しかし、予想に反してみほさんは、そんなのいいよ、と言った。

 

「どうせ『あの人』は、戦車道以外に興味なんてないんだし。菊代さんに言ってあるんだから大丈夫だって。あ、たぶんあとで菊代さんがお茶とか持ってきてくれると思うから、そのときは挨拶してくれると嬉しいな」

「そ、それは勿論ですっ」

「そ。菊代さんは、家政婦さんだけど、わたしたちもすごいお世話になった人だから。まほちゃんにお友達ができたって聞いて、とっても嬉しそうにしてたらしいよ」

「あ、ははは。メールも見たので、それは」 

 

 全文を読んだわけではないが、すごい喜びようの伝わってくる文章だった。大切に思っている相手でなければ、あんな文章にはならない。ともすれば、実の親子のようなやり取りである。一方的に慕っているとか、お世話になっているというだけの関係でないのは確かだ。

 

 それにしても、みほさん。実の母親のことは、「あの人」だなんて他人行儀な呼び方をするけれど、仲があまりよろしくないのだろうか。……あれかしら。反抗期。中学生だし。

 

「ところで今日、お父さんは」

 

 唐突に、西住が聞いた。

 なんだか、そわそわしているようにも見える。

 みほさんが、ああ、と何かに気づいた様子を見せた。

 

「先に演習場に行ってるんじゃないかな?」

「演習場、ですか?」

「うん。このあと、お昼くらいかな?演習するから。エリカちゃんも、それを見に来たんでしょう?」

「ええと、そうですけど。でも、なんでお父様が演習場に?」

 

 演習を観戦するというなら、移動するのが早すぎる。肝心の選手は、まだ普段着で家にいるというのに。

 すると、西住が少しだけ嬉しそうな口調で答えた。

 

「お父さんは、整備士なんだ」

 

 へえ、整備士。はじめて知った。

 しかし、なるほど。ということは、先に整備をしているのね。

 整備をするなら、それは当然試合や、演習の前でなくてはいけないだろう。整備不良で万一のことがあったら大変だ。

 娘の乗る戦車である。きっと入念に整備をしていることだろう。

 

 それにしても、師範の旦那様が整備士というのも、なんだかなぁ、と思わなくもない。いや、整備士を軽んじるつもりは当然ないのだけれど。ただ、偉い人の旦那様なのだから、もっとこう、偉い役職についていて欲しいと思ったりもするのだ。裏方として支えるのも、それはそれで素敵かもしれないが。

 

 ところで、隣でうきうきとした様子になった西住は一体どういうことだろうか。

 

「……嬉しそうね。西住」

「あはは。まほちゃんは、お父さんのことが大好きだから」

 

 西住は、こくりとうなずいた。

 私は、それに目を丸くして驚いた。

 

「姉さんは羨ましいです。いつもお父さんの整備する戦車に乗れて」

 

 西住が、不満そうな口調を隠さずに言った。

 

「まほちゃんだって、まったく機会がないわけじゃないでしょう?たまに西住の訓練に交ぜてもらうこともあるじゃない」

「たまにじゃないですか。姉さんみたいに、毎回帰ってこれるわけでもありませんし」

「だって、黒森峰の練習って、土日もやることが多いんでしょ?サボったりしてもいいの?」

「…お父さんが黒森峰にいてくれればいいのに」

「もう、無理なことを言わないの。ほら、お客さんを立たせっぱなしにしてるよ。お部屋に案内して」

 

 すると、ようやく私がいたことを思い出したようで、焦った様子で私の方を振り返った。

 

「す、すまない…」

「…いや、いいけど」

 

 こんなに表情を変えて喋る西住を見たのは初めてだった。

 ファザコンって、実在したのね…。

 まるで普通の中学生のようだった。

 

 ちなみに、みほさんの部屋は、腕や頭に包帯を巻いたりした奇妙なクマのぬいぐるみが転がっていること以外は、かわいらしい小物があったり、暖かい色の家具やカーテンで飾られた、普通の女子中学生って感じの部屋だった。私物の少ない西住とは大違いである。

 

 いや、私も人のことを言えないか。

 自分の部屋を思い返せば、飾っているのは、書籍ばかりである。それも、歴史書だったり、戦術書だったり、戦車道に関わるものばかりだった。他には、戦車の模型くらいなものである。年頃の女の子として、いったいどうしてこうなった、と母親が見たら嘆きそうな部屋になっていた。いや、実家に戻れば、可愛らしいぬいぐるみを飾っていたりはするのだけど。

 

 ほどなくして、みほさんが部屋に戻ってきた。

 

「あれ?何でエリカちゃんは立ってるの?」

「え、ええと、どこに座ればいいかわからなくて」

「あはは。どこでもいいよ。あ、クッションあるよ。使って」

「あ、ありがとうございます」

 

 淡いピンク色のクッションを受け取り、床に置く。意を決して、その上に座った。

 どうにも落ち着かなくて、私は部屋を見回す。

 やはり、奇妙なぬいぐるみが視界に入るのが気になった。

 

「どうかした?」

 

 対面になるように、みほさんは、ベッドの上に腰かけた。

 ちなみに、西住は一度自分の部屋に物を置いてくるからと席を外している。

 おかげで私は、所在なさげに立ち尽くすしかできなかったのだが。

 まさか、部屋の主(ホスト)に対して、素直に落ち着かないなんてことは言えなかった。

 

「え、ええと。意外に、その、戦車道関連のものがないんだなぁ、と」

 

 少し苦しいかと思ったが、全くの誤魔化しでもない。気になったというのは本当だった。

 勝手なイメージだが、西住流の後取りと聞いたときには、もっと日常まで戦車道一色って感じなのだろうな、と想像していた。しかし、実際のところ、みほさんの部屋には、それらしいものは何も見つからない。辛うじて、学習机に積まれた冊子の束くらいなものだった。

 

 すると、みほさんは困ったような表情になった。

 

「ああ、うん。部屋には、できるだけ持ち込まないようにしてるんだ。戦車とプライベートは分けたいから」

 

 そう言って、みほさんは笑顔をつくろうとする。あれ?と思った。

 

「みほさんは…」

「ん、なぁに?」

「…あ、いえ」

 

 私は、慌てて言葉を止めた。余計なことを言ってしまいそうだったから。こんなところで、爆弾を放り込むような趣味はない。

 

「にしっ、…妹さんと、仲がよさそうですよね」

 

 苦し紛れに、そんなことを聞いた。

 すると、途端にみほさんは表情を明るくして、そうなの!と声を踊らせた。

 

「でも、学校だと学年は違うし、なにより学科が違うから、全然会えなくって。本当は、今日だってとっても久しぶりなくらいなんだよ。あーあ。午後の演習なんてなくなっちゃえばいいのに…。そうしたら、一日まほちゃんと遊べるんだけどなぁ」

「あ、あはは…」

 

 表情筋がひきつりを起こしそうだった。

 これを言ったのが、(ありえないとは思うが)西住だったり、他の同級生だったりしたら、きっと私は、「はぁ?」と言葉を漏らしたに違いなかった。

 

「まぁ、無理なことを言っても仕方ないし。それに、折角エリカちゃんが遊びにきてくれたからね。午後の演習は、ちょっといいところを見せちゃおうかな」

 

 みほさんは笑って、惚れないでよー、なんて軽口を言った。

 その笑顔には、嘘が見えなかったので、私はすこしだけ安心する。

 私の想像は、先走りもいいところで、どうやら間違っているようだった。

 

 だって、戦車が嫌いなんですか?なんて。

 いくら想像にしたって、『西住』に対して、失礼が過ぎるというものだ。

 

「だから今日は、学校でのまほちゃんのこと、いっぱい教えてねっ」

 

 満面の笑みでそう言った。

 どれだけ妹が好きなんだ、この人。

 

 

8.

 

 ごぉん、と空気が震えた。

 距離はあるはずだが、やはり重戦車の砲撃音は、よく響く。

 着弾した砲弾は、しかし、戦車には当たらずに、豪快に地面の土を巻き上げた。

 

「さて、エリカ。黒森峰と言えば、西住流の影響がとても強いことは言うまでもない。これは、黒森峰の黄金時代を作ったのが、西住流の人間だったから、ということもあるのだが」

「というか、西住師範のことよね。それ。あなたたちのお母さん」

「うん、まぁ、その通りだ」

 

 西住流の演習を見学していると、突如として、西住が解説役のようなことを言い出した。

 黒森峰が西住流の影響を受けていることなんて、私も戦車道チームの一員なのだから、身をもってよく知っている。門下生も少なくないのだし。

 あるいは、らしくもなく、母親の自慢がしたかったのかもしれなかった。だとしたら、可愛いところもあるやつだ、と見直すところなのだが。

 

「それでは、エリカ。黒森峰の得意とする戦術はなんだろう」

「そりゃあ、重厚な装甲を持った戦車に隊列を組ませて、行軍させての()()()()()()()()()でしょう。パンツァーカイルなんかは、その代表ね。前方にも側面に対しても、それなり以上に対応ができる、優秀な陣形だわ」

「そうだ。尤も、あれも速度の違う戦車で隊列を乱さずに行軍する必要があるから、一朝一夕でできるようなものではないがな。中等部の私たちでは、まだまだ訓練が足りていない」

「その点、流石は西住流ね。高台から眺めても、一糸の乱れもないとはこのことだわ」

 

 私たちは、西住流の演習を高台から見下ろすような形で観戦していた。

 西住流の門下生が、二つの部隊に分かれて、それぞれ10両ほどの車両で隊列を組んで向かい合っている。一方の指揮は、みほさんだった。

 眼下で、みほさんの指揮する戦車たちが綺麗な三角の陣形で行進している。互いの感覚がぴっちりと合っていて、まったくズレが見られない。心の底から見惚れた。

 

 さて、パンツァーカイルとは、第二次世界大戦中の東部戦線においてドイツ軍が生み出した装甲戦術のことである。

 戦車の隊列には、大別して3つのバリエーションがあり、それぞれ一列縦隊、一列横隊、傘型隊形に分けられるが、パンツァーカイルは、そのなかでも傘型隊形の発展型とでも言えばよいだろうか。前方に重装甲の戦車を走らせ、その後ろにおよそ三角形を維持するように隊列を組ませる攻撃的な陣形である。これは、一列縦隊や一列横隊のような隊列にくらべると、前述した通り、前方にも側面にも十分な火力を発揮することができる。さらに、装甲の厚い戦車が盾になることで、装甲の薄い戦車を安全に運用できるという利点も持ち合わせている大変優秀な陣形だ。

 

 もっとも、これを運用しようと思ったら、決して簡単なことではない。

 何故なら、戦車を動かしている操縦手の視界は前方にしか広がっていない。それも、小さなのぞき窓か潜望鏡が精々だ。斜め前を走る戦車なら辛うじて、それより前の戦車はもはや見えないだろうし、隣や後ろの戦車は当然見えるはずもない。それでいて、スペックの違う戦車が隊列を組んでいるのだ。走る速度だって違う。それを、操縦手たちは全くの勘で合わせているのだ。

 どれほどの訓練を積めば、あれほどの隊列が組めるようになるのだろうか。見当もつかない。

 

「さて、エリカ」

 

 西住が、私に呼びかける。

 私は、視線を上げて、西住を見た。

 

「姉は、戦車道の天才だ、と前に言ったな。姉は、主に車長を務める。類いまれな戦術眼を持っていることは、間違いない。ただ、姉は、他にも恐るべき資質として、教導の才能があるんだ」

「教導の才能?」

「姉が指揮している部隊、あれのほとんどは、姉が()()()()()()()門下生たちだ」

「…は?」

 

 西住の言葉に、思わず私は苦笑いを浮かべて、嘘でしょ、と言った。

 すると、西住は表情を変えることなく平然と、嘘じゃない、と返した。

 

「事実だとも。通常、戦車を動かして、止まった的に当てられるようになるまで、半年から一年かかると言われている。戦場で動かそうとすれば、さらに1年。隊列を組もうと思えば、そこからさらに年単位の習熟が必要になるだろう。それを、姉は僅かに1年であそこまでにしてみせた。驚くぞ。あれの乗員は、ほとんどが私たちよりも年下だ。その手腕を、驚異的と言わずして、なんと言う?」

 

 西住が小さく笑った。

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 だって、黒森峰で2年以上厳しい訓練に耐えてきた先輩方でさえ、これほどの隊列は作ることができないだろう。もっと歪で、ずっとぎこちない。いや、さらにいえば、彼女らの経験値は2年どころではない。戦車道の最高峰、黒森峰に入学できるほどの人材が、さらに黒森峰での2年の訓練を経て、尚劣るように映るのだ。

 

「それに。驚くのはまだ早い。()()()()で驚いていたら、心臓がいくつあっても足りないぞ」

 

 西住が、脅すような口調で言った。

 

「今度は、何よ」

「見ていれば分かる。」

「見ていればって…」

 

 随分と、勿体つけたような言い方をする。しかし、今日の西住はいやに饒舌だ。普段の西住は、こんなんだったかしら?

 

「さて、エリカ。黒森峰の戦術を、重戦車による長距離からの火力戦だと言ったな。それは、確かにその通りだ。装甲が厚く、火力のある戦車を、高い練度でもって運用する。全く王道で、正道であるように思える。だがな、エリカ。それは、相手よりも装甲と火力、練度の全てで勝ることが前提の戦術だ。その前提のうち、どれかひとつでも崩れれば、常勝の戦術ではなくなってしまう」

「でも、黒森峰は常勝。そうでしょう?」

 

 全国に戦車道の盛んな学校はいくつかあるし、特に高校戦車道で有力なチームは、4強などと言ったりもする。サンダース大付属、聖グロリアーナ、プラウダ、そして、黒森峰だ。しかし、実績からして、黒森峰がその中でも抜きんでているというのは、自他ともに認めるところである。実際、ここ数年の黒森峰は、練習試合を含めてすら無敗を誇る。

 

「それは、同じ中学生や高校生が相手なら、余程のことがない限り負けないだろう。大戦後期のドイツ戦車の性能は、頭ひとつ抜けている。そして、練度で言えば、戦車道にかけている時間が違うんだ。負ける要素のほうが少ないだろう。それじゃあ、エリカ。もし、相手が同じだけの戦力を用意できたらどうだろう。同じくらいの時間を、戦車道にかけてきたらどうなるだろうか」

「それは…」

 

 果たして、あり得るのだろうか。

 

 いや、戦車の質というだけなら、プラウダが怖い。なにせ、プラウダが主力にしているソ連製の戦車は完成度が高い。例えば、T-34/85などは、火力、装甲、機動力、どれをとっても非の打ちどころがない、バランスのとれた大戦を代表する名戦車である。そのうえ3名砲塔だ。しかし、練度という点で言えば、黒森峰には及ばない。これは、単純に訓練に割ける時間の差だと思うが、それが、例えば克服されたらどうだろうか。

 

 あるいは、聖グロリアーナがなりふり構わずに伝統を投げ捨てて、ブラックプリンスやらセンチュリオンやらを導入してきたらどうだろうか。いずれも、ティーガーの装甲すら抜くほどの火力を持っている。練度こそ高いが、火力に問題を抱えていた聖グロリアーナだ。それが克服されるだけで、黒森峰の戦い方では途端に勝つのが難しくなる。

 

 私は、嫌な想像にぶるりと身を震わせた。

 

「西住流は、違うっていうの?」

「言っただろう。見ていれば分かる。さあ、動くぞ。これが、西住流だ。ここからが、本当の西住流だ」

 

 すると、がぁん、と轟音が鳴った。

 私は、音に釣られるようにして、急いで戦場へと視線を戻した。

 そこから、演習が終わるまでの間、私は戦場から目を離すことはなかった。

 いや、()()()()()()

 

 轟音をきっかけに、あれほど美しかった隊形を自ら崩し、戦車がちりぢりにちぎれていく。

 右へ、左へ、前へ。上から見ていると良く分かる。それは、まるでアメーバのように無節操に広がっていった。

 相手を包囲しようと言うのか。しかし、それにしては左右へ展開する車輛の数が少なすぎる。

 

 側面に比較的足の速い戦車が回り込んだ。大きく迂回するようにして、だ。

 進行方向、右側に回り込んだ車輛が、一発、二発と敵の本隊に向けて砲撃をした。

 当然ながら、そんなもので崩れるような西住流ではない。いくつかの戦車が、砲塔をぎぎぎと動かして、砲撃をした戦車の方を向いた。

 すると、違う方向から別の戦車が砲撃を加えた。

 砲撃を受けた側面の戦車らが、砲撃をした戦車の方へ砲塔を向けた。

 

 側面に回り込んだ戦車は走った。

 適度に撃ちつつ、後ろへ、後ろへ。敵の背後に回るように。本隊と挟撃の形を狙っているのか。

 

 すると、()()()()

 

 綺麗だった隊列が、みほさんと相対していた部隊の戦列が歪んだ。

 指揮する戦車を中心に、まったく乱れなく進んでいたはずの群体が、たった2両の戦車に翻弄されていた。

 

 当初は、互いに距離を取って撃ちあうものと思っていた。開けた草原だ。障害物もない。そして、重戦車同士の戦いだ。時間がかかるだろうと思っていた。膠着状態が生まれるだろうと、そう思った。

 しかし、終わってみれば、重戦車と言っても、あっけのないものだった。

 まるで、鎧の隙間にスピアを突き刺すように、みほさんの部隊は、中央をこじ開けて相手の指揮車輛に向かって一気呵成に突撃した。

 

「グデーリアンは言った。『厚い皮膚より早い足』と」

「電撃戦…っ」

 

 西住が引用した台詞は、聞いた覚えのあるものだった。

 

 ハインツ・グデーリアン。第二次世界大戦におけるドイツの名将軍だ。戦車を見事に運用し、ポーランド軍とフランス軍に大勝利を収めてみせたことから、「ドイツ機甲部隊の父」とまで呼ばれた機甲戦術のパイオニアである。

 

 そして、私が驚きとともに口にした「電撃戦」こそが、グデーリアンの得意とした戦術だった。

 その戦術は、当時としては画期的、いや、革新的だったとも言われている。

 もっとも、ソ連のT-34戦車が登場するまでの話であるが。

 

「協調した事前砲撃で敵を撹乱し、強力な敵には囮部隊をぶつけて、快速部隊が側面を気にすることなく、一気呵成に敵の弱所を食い破り指揮車輌を撃滅する。いわゆる、浸透突破戦術こそが西住流の本来の戦い方だ」

「なるほど。それが本当の……。けれどおかしいわ。だったら、何故、()()()()()()()()()()()()?」

 

 だって、おかしいじゃないか。

 黒森峰の戦術は、西住流のそれだ。黒森峰の黄金時代を作った彼女から、脈々と受け継がれているはずでしょう?

 すると、西住はふるふると力なく首を横に振った。

 

「できないからだ。いいや、()()()()()()()()()()。菊代さんに聞いたことがある。お母さんが黒森峰の隊長だったころにはできたが、卒業した後に止めさせたらしい」

「それは、どうして?」

「教えることができないからだ」

 

 それは、事実を淡々と述べるような口調だった。

 

「本来の西住流には、戦術に適した車輌だけでなく、優秀な隊員。それも、小隊の指揮を任せられるような人員が複数必要だ。つまりは、個々の判断。自らが、一人一人が部隊の脳になれなければいけないが、黒森峰はとかくそれが苦手だ。そういった、臨機応変な判断力。それを育成することは、学生の身ではほとんど不可能に近かった」

「なるほど、それは、難しいわね」

 

 何故ならば、黒森峰は上下の意識が強い。それも、学生としては異様なまでに。まるで、軍隊の如しだ。それは、良い面で言えば、絶対の規律を生むし、部隊としての連携には非常に適した性質だといえる。しかし、黒森峰の生徒の多くは、生真面目で、融通がきかない。柔軟性に欠けるというのは、自覚のしているところだった。ましてや、上位者に逆らうとか、勝手に行動するなんて思考が、そもそも醸成されにくい環境である。極論、悪く言ってしまえば、戦術を隊長や副隊長に投げ出して、思考を放棄してしまっているのだ。

 

()()()()。それが必要だ」

 

 西住が言った。

 

「だけどそれは」

「そうだ。黒森峰では難しい。いや、どの学校でも難しいだろう。相当にうまくやらなければ、言うことの聞かない烏合の衆ができあがるだけだからな」

 

 本来、部隊としての行動は、逐次指揮官の命令に応答することで実行されなければならない。そうでなくては、一つの目標に向かって動くことが難しいからだ。

 しかし、戦場が広域であればあるほど、部隊が大きくなればなるほどに、戦場の複雑さは指数関数的に増していく。それはもはや、一人の指揮官では分析が追い付かないほどに、だ。指示が止まっては、現場は動けない。そのたびに、一々指揮官にお伺いを立てていては、戦いにならなかった。

 結果、ドイツで生まれたのが、『訓令戦術』である。

 つまり、現場の指揮官に独自に判断する裁量を与えたのだった。

 しかし、それは諸刃の剣である。

 

「聞かされたら。…いいえ。実際に見せられたら、納得するしかないわね。なるほど。これが、西住流の後継者」

 

 ぽつりと言葉が漏れる。

 それほどに、感嘆するしかなかった。

 西住が、天才であると言ったのが理解できた。決して、家族贔屓の発言ではなかったのだ。

 

 教導の天才。

 明確に、戦術の天才(にしずみまほ)が劣る部分だ。

 

 しかし、西住は首を振った。

 

「いいや。それじゃあ、姉に対しての理解としては、まだ足りない。まだまだ足りない」

「はぁ?」

 

 これ以上何があるというのだ。

 既に十分だ。十二分だ。

 学生の身で、訓令戦術を実用的なレベルで運用する。その手腕は、まさしく天才のそれである。

 しかし、西住は、それは本質ではないと語った。

 

「もうすっかり西住流しかやらなくなったけれど、もともと姉は、西住流をやる人ではなかった」

 

 耳が遠くなったのだ。そう思った。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。西住流の娘が、西住流をしない?じゃあ、何をやるっていうの!それを、誰が教えたっていうのよ!?」

 

()()

 

 西住が、見たこともないような顔で笑った。

 

「本当の意味で、あの人に戦車道を教えられた人はいないんだ。あの人は、誰に教わるでもなく、自分で自分の戦車道を見つけた。見つけてしまった。見つけられてしまった。だから、あの人は天才なんだ。分かるか?エリカ。()()()()()()()()()()

 

 素直に、怖い、と思った。

 自分の身に置き換えたとき、恐ろしいと思った。

 だって、親から、周囲から、『西住みほの妹』であると比較され続けるのだ。

 それは、どんな拷問だ。

 逃げ出したくなるほどに、恐ろしい。

 

 だけど、ひとつ。

 唐突に私は理解した。

 

 西住まほは、そんな彼女を尊敬している。

 凄いだろう?と自慢しているのだ。

 私に自慢しているのだ。

 

 つまりこいつは、諦めたのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 目標とは、達成の見込めるものでなくてはならない。そうでなければ、人は走り続けることもできない。達成しようとあがくことができない。

 しかし、同時に、達成ができると分かるものであってはならない。

 できるかもしれないという、未知が大事なのだ。

 悪魔染みた予測が、あらゆる物事を可能か不可能かに分類できてしまうのだ。

楽しいはずがない。やる気の生まれるはずがない。

そして何より、あいつの悪魔染みた予測は、西住みほに対して、無慈悲にも勝ち目がないという計算の結果をはじきだしたのだ。

 

 だから、あいつは、頑張ることを止めたのだ。

 張り合うことを止めたのだ。

 

 自分は天才でないと嘯いて、一人でステージを降りたのだ。

 

「そっか」

 

 西住まほには、目標がない。

 だから、こんなにもぼんやりとしている。

 何ができても嬉しくないし、楽しくない。

 何かに興味を持つこともない。

 きっと、戦車道をやっているのも、自分の意思ではないのだ。

 親がやっているから。姉がやっているから。そういう家だから。

 

 それが、わけもなく悲しかった。

 

「あんた、お姉さんが好きなのね」

「勿論だとも。尊敬している」

 

 この女は、私に言った。

 自分と比べるな、と。

 まるで、()()()()()()()()

 

 それが、気に入らなかった。

 

「私は嫌いよ。あんたが嫌い」

 

 気が付くと、私は椅子から立ち上がっていた。

 そんな私を見上げて、西住は目を丸くして驚いていた。

 

「勝とうとしないから嫌い。誰のことも嫌いじゃないから嫌い。よく分かった。よぉく分かった。どうしてこんなにもあんたのことが気にくわないのか、ようやく分かったわ。あんたは誰も見ていない。誰のことも見ていない。お姉さんのことだって、見ていない」

 

 こいつの世界は、徹底的に閉じている。

 何もかもを分かった気になって、勝手に諦めている。目をそらしている。

 必要なんだ。誰かが。

 こいつの悪魔染みた予測を覆してくれる誰かが。

 それは、西住みほではダメなのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私を見なさい、西住まほ。私は、あんたを超える。あんたに勝ってみせる。これまで、一度だってあんたに勝ったことはないけれど。それでも、絶対、私はあんたに勝つわ。いつか必ず、あんたに勝つわ。あんたが嫌になるくらい勝負を挑むわ。絶対に、絶対に。私はあんたを諦めない」

 

 その日から、私の目標は、西住まほを負かすことになった。

 天才には、逆立ちしたってなれやしないけれど。

 天才に勝てるやつ(もくひょう)にくらいは、なってやれるかもしれなかった。

 

「…お手柔らかに頼む」

「それは、無茶な相談ね」

 

 ごぉん、と一際大きな音が鳴る。

 フラッグ車から白旗があがったらしかった。

 

 私の、長い長い戦いがはじまった。

 




次回、高等部編。
逸見エリカ大勝利!希望の未来へレディ・ゴーッ!!

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