4.
「それから…って、聞いていますの?」
場所は、我が校の敷地内にある紅茶の園というクラブハウス。
西住みほをお招きしてのティータイムの真っ最中だった。
「ええ。ええ。勿論、聞いていますよ。何せ、大好きなわたしの妹のお話ですから」
にこりと笑って、ペコの淹れた紅茶に口をつける。
旨そうに飲んでいるが、さて、それもどこまで本当のことか。
「ですから、ふざけた色合いの戦車が出てきてですね」
「それは、もう何度も聞きました」
「…あら、そうだったかしら」
私は大洗との練習試合があまりに楽しかったものだから、これを誰かに自慢したくてしょうがなかった。…子供みたいと思うかしら。
けれど、仕方ないわね。ペコもアッサムも、私が大洗の話をするとうんざりとした顔をするんですもの。たかだか10回ばかり話題にあげただけだというのに、興味を無くすのが早すぎる。
他の娘たちもだいたい一緒ね。この前は、私が大洗という単語を発しただけで、露骨に話題を変えられたこともあった。違うのはローズヒップくらいですけど、彼女は話し相手には面白くないのよね。いつだって、人の話を聞いているのか聞いていないのか分からない娘だから。見ている分には面白いのだけど。
「ええと、それで、どこまで話したかしら」
「大洗の囮作戦が失敗したところですね。38tの履帯が外れて、他の戦車は市街地へ逃げていったと」
「ああ、そうでしたわね」
話が行ったりきたりしてしまうのは、私の数少ない悪癖のひとつだ。
けれど、それくらい衝撃的だったし、面白かったのだから、何度でも語りたくなってしまうのも許してほしい。
ああ、今思い出しても馬鹿げたカラーリング。ピンクや赤や黄金色なんて、アニメーションじゃあないんだから。
事実は小説よりも奇なり。
ええ、まったくだわ。彼女たちの頭は、
「結局、仕留められたのはM3リーだけで、他には逃げ切られてしまいましたわ。撤退の判断はお見事。Ⅳ号を殿に、見事に時間も稼がれてしまいましたし」
「…38tは?」
「あら、気づかれました?実は、その…」
これは明確に私のミスよね。
履帯が外れただけで撃破判定の確認を忘れていたなんて。
いえ、言い訳ができないわけでもないんだけど。
「まぁ、素人集団に履帯の修理ができるとも思えませんし、砲弾が勿体無かった、というのが、尤もらしい言い訳でしょうか。あとは、動けない相手を撃つのは、騎士道精神がどうとか。どちらも後付けでしょうけどね」
「うぐっ」
流石はみほさん。おやりになるわね…。
後付けというところまで、ぴったりその通りですわ。
「そして、市街地戦の終盤で、最大のピンチを助けに入る、なんて展開は劇的かもしれませんね。最後の一輌を囲んで追い詰めたタイミングだったら最高です」
「みほさん、誰かに聞きましたの…?」
そうじゃないと説明がつかないくらいシチュエーションまでぴったりだ。
或いは、どこかで見ていたか。
西住流は、監視衛星でもジャックしてるのかしら…。
「そうだったら面白いな、と思っただけですよ。ダージリンさんがとても楽しかった、とお話ししてくれているわけですし。一番面白そうな展開を想像してみたまでです」
「でしたら、想像の中だけに留めておいていただけると嬉しいですわ。話す楽しみが無くなってしまいますもの」
「人の話の腰を折ってはいけない。人の話題を横取りしてもいけない。ええ、気を付けますね」
「ジョージ・ワシントン。…人のお株も奪わないで欲しいものですわ」
じとー、っとした目を向けると、みほさんはころころと楽しそうに笑った。
これでは、私がいつものペコの役目になってしまう。
「すみません。ダージリンさんと話すのは楽しくって、つい」
「ずるい人ね。そんなことを言われてしまったら、怒る気が失せてしまいますわ」
「ふふ、狙い通りです」
まったく、これだから。みほさんとのおしゃべりは本当に楽しい。こちらの好むところを的確に刺激してくれる。
「それで、ええと。そう、市街戦の話でしたわね。これは、まだ話していなかったかしら。幟をつけた三突が――」
私の舌は、回る回る。
それからというもの、あっちにいったりこっちにいったり。行ったり来たり戻ったりを繰り返して、ようやく試合の終わりまでを語り終えた。
改めて語ってみて思うが、本当に大したものだ。
三突に一輌、
まるで上段からの物言いになるが、まさか、私の乗るチャーチル一輌になるまで追い込まれるとは思わなかった。それも、戦車道をはじめたばかりの学校に。
さすがに最後の
実のところ、みほさんとの試合よりも楽しかったというのは秘密だ。
いや、この語り口では、察しのいいみほさんには筒抜けかもしれないけれど。
挑む、ということはけして悪いことではないが、競う、というのも、また別種の楽しさがある。
ライバルが強くなければ自分も強くならない。
自分が強くなるためには、一緒に強くなる相手がいないと、心がどこかでだらけてしまう。
実際、うちの隊員たちにとっても、いい刺激になったようだった。約1名、トラウマを負った娘もいるみたいだが。
「本当に、あなたの妹は強かったですわ。いえ、強くなっていた、というのが正しいのかしら」
「へぇ、それはそれは。ダージリンさんがそんな風におっしゃるなんて、よっぽどだったんですね。姉として、わたしも鼻が高いですよ」
嘘か本当か、そんなことをみほさんが言う。
ぱっと見、みほさんの表情は笑顔だが、実のところは分からない。彼女ほど仮面の被り方がうまい高校生を、私は他に知らなかった。彼女と言葉を交わした回数も随分と多くなったものだが、その本心が窺えたことなんて一回か二回、あるかないかといったところだ。
尤も、似たようなことを私も他人から言われるので、似た者同士といえば似た者同士なのかもしれない。
…こうして見ると、
いえ、見た目の話ではなく、中身の話ですけどね。見た目は、まぁ、似ていないということもないのでしょう。たぶん。
みほさんとまほさんと、それとしほさん。この3人しか知らないから、そう思うのかもしれないけど。この中で浮いているのは、寧ろみほさんかしら。
ふと、気になることがあった。
「ねえ、みほさん。私、思うのよ。まほさんが強くなったのは、黒森峰を出たからなんじゃないか、って」
ぴくっ、とみほさんが反応した。…ような気がする。
あのみほさんが、そんな分かりやすい反応をするかしら。とは思うが、こと妹に関する話題には、リアクションも本物らしいことが多い。
それは爆弾かもしれないが、見られるものなら、みほさんが本音で語るところを見てみたかった。
「あなたなら、分かったはずではなくて?西住流が、いえ、黒森峰の戦車道がまほさんに合っていないと。あなたほどの人なら、彼女が窮屈そうにしていたのを感じ取れたと思うのだけど」
すると、みほさんはすっかり冷えてしまった紅茶に口をつけて、残りをすっかり飲み切るようにカップを一気に傾けた。ぷはっ、という声が鳴る。わざとらしく、かちゃかちゃと音が鳴らされて、粗雑な所作でカップがソーサーの上に戻された。
いつものみほさんなら、音をたてないようにゆっくり置く。何か違和感があった。
「そうですね。ダージリンさんが言い直した通り、西住流が合っていないとはわたしも思いません」
口調は、いつもの如く丁寧だ。
ただ、いつもよりも言葉に『色』があった。
その色を、果たして何色と定義すればいいのか。私には表現する言葉が見つからない。
「何十年も研鑽を重ねただけあって、
「…お人形遊び?」
「ダージリンさんだと、やったことありませんか?お人形をいくつか用意して、舞台とか、設定を決めるんです。この子はお父さん、この子がお母さんで、こっちが子供。女の子がいいかな。それで、お父さんは普通の会社員で、お母さんは専業主婦。まぁ、ひとりでやれるごっこ遊びのようなものですよ。おままごとみたいなものです。お恥ずかしながら、わたしはあれが大好きでして。まぁ、誰かに台本を強いられるのは、ちょっと大嫌いなんですけれど」
耐え切れなくなって、私は言葉を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。みほさん、何をおっしゃっているの?」
「
ダージリンさんは、お友達ですから。特別ですよ。そう言って、いつも通りみほさんは笑った。
いえ、それは本当にいつも通りだったかしら。
果たして、いつも通りの笑い方だったかしら。
みほさんは、こんな風に笑ったかしら。
口元が、三日月の形に歪んでいる。
「…そんなことを、私はお願いしたかしら」
「あはは。言わなくたって分かります。そういうものでしょう、淑女のお茶会って。けれど、わたしはそういうまだるっこしいものがあまり好きではないですから、時には本音で話したくなるときもあります。当然、相手にもよりますけどね」
「それは、光栄なことですわ」
口調が丁寧ということは変わらない。けれど、幾分、いつも以上に気安い雰囲気を感じられた。壁がない。薄く張り付いた、膜のようなものが取っ払われている。だというのに、いつも以上にみほさんの意図が読めなかった。
いや、いつだって、分かったつもりというだけで、それはてんで見当違いだったのかもしれないが。
「けれど、それじゃあ、あなたにとって戦車道は、お人形遊びと一緒だということかしら。あなたの言う、まだるっこしいことを抜きでお聞きしますけれど。…私もお人形だと?」
「いいえ。あなたは、お人形遊びをする側の人間です」
ピンときませんか?
そんな風にみほさんが尋ねた。
「覚えがありませんか?こっちはこんな風に部隊を動かして、向こうはこんな風に対応するだろう。それで、こんな風に進行するだろうっていう、試合の流れをコントロールするような感覚。戦場が盤面に見えて、敵も味方も、自分が全部操っているような感覚。覚えがありませんか?」
覚えがない、と言えば嘘になる。けれど、高校戦車道ほどのレベルになれば、それは理想論でしかなかった。その理想に、どれだけ近づけるか、というのが腕の見せ所なのだけれど。
しかし、なるほど。ようやく合点がいった。
「それが本当にできるなら、確かに戦車道もお人形遊びと一緒なのでしょうね。そして、そういう意味では、大洗はさしずめ、『トイ・ストーリー』ですか」
「自由で、勝手で、予測ができない。そういうところが、まほちゃんの琴線に触れたのかな。わたし個人としても、たぶん好みの人が多いでしょうね。とっても扱いづらくて、黒森峰では、
それは、ともすれば、散々な言いようにも聞こえるけれど、語っているみほさんの口ぶりからは、まほさんのことを羨んでいるように感じられた。
「ねぇ、みほさん。やっぱり思うのですけど、あなたはどうして西住流なんてやっていますの?聞いていると、あなたにとっても、西住流は窮屈なんじゃないかって。そう思うのだけど」
彼女の場合は、黒森峰ではなく、西住流が。
西住流そのものが、窮屈そうに見える。
彼女の戦術論を聞いていれば、いつだって西住流は合っていないように感じられてしまう。
こんなこと、
「ああ、うん。そうですね」
すると、みほさんは中空に視線をやって、一瞬どうしたものかと悩むようなそぶりを見せた。そして、徐にカップへ手を伸ばす。
カップには、気を利かせたペコがお代わりを注いだ後だった。
湯気のたちのぼるオレンジ色のそれに、みほさんは、今度は静かに口を付けた。
「熱いけれど、とても美味しい。わたしは紅茶に詳しくないので銘柄はよく分かりませんが、ペコさんの淹れてくれる紅茶はいつも美味しいですね」
「きょっ、恐縮ですっ!」
まさか、声をかけられるとは予想もしていなかったのだろう。
ペコの声が裏返っていた。
くすくすとみほさんが笑った。
「紅茶の淹れ方って、やっぱり何かコツがあるんでしょうか。頂いたティーセットを使おうにも、ペコさんが淹れたようには、美味しくできなくて。いつか教えてくださいますか?」
「も、勿論ですっ!」
背筋をぴんっ、と伸ばしてペコが答える。
ああ、まったく初々しくて、可愛らしい。
わざわざ振り返らなくても、ペコの顔は茹った蛸のように真っ赤なことでしょうね。
頭が痛い。
それにしても。それにしても、だ。
みほさんにしては、唐突すぎる話題の転換ではないかしら。
それほどに触れられたくない話題だった?まさか。
西住みほに限って、ありえない。
「黒森峰では、紅茶は飲まれないのかしら」
「ほら、聖グロとは違って、黒森峰はドイツ贔屓の学校ですから。普段は、専らコーヒーです」
そう言って、みほさんはゆっくりとカップを置いた。
まったく文句のつけようもないくらい完璧な所作である。まさしく、礼節やマナーを叩きこまれた淑女のもの。ローズヒップなどとは較べものにならないほど、これが様になっていた。
マナーが人をつくる。
確か、映画の台詞だったかしら。
改めて、彼女が本物のお嬢様だということを思い知らされた。
「つまり、そういうことですよ」
「そういうこと?」
見惚れていると、やにわにみほさんが言い放った。
ソーサーに置かれたカップの縁を、ぴんと指で弾く。
「聖グロであれば、紅茶。黒森峰であれば、コーヒー。まぁ、黒森峰はそれほどではありませんが。聖グロでコーヒー党が隊長になることは難しいでしょう?少なくとも、
正直に言って、意外だった。
「あまり、そういうことには頓着をされない方だと思っていたのですけど」
「まさか、まさか。将来は家元になろうというのです。まったく無頓着ではいられませんよ。使えるということも、アピールしないといけませんし」
「それもそうですけど。家元になりたいということも、意外に思いましたわ」
実際のところ、西住流の後継は、みほさんでほとんど決まりだろう。まほさんには悪いが、才能が違う。実績が違う。けれど、みほさん本人はあまり家との関係もよくないと聞いていたし、てっきり、そういう立場みたいなものを煩わしいと感じているのではないか、そんな風に疑っていた。
西住流の後継者問題。それも、彼女の気持ちひとつと思っていたのだけど。
「ええ、まぁ。そうですよね。正直、家元なんてものに、興味はないですよ」
あっさりとした言いようだった。
本当に、欠片ほども価値を見出していないのだと分かる。吐き捨てるようだった。
「では、なぜ?」
「だって、わたしが家元でなくなったら、あの人はまほちゃんを後継ぎにしようとするじゃないですか。そんなこと、とてもとても。ねぇ?」
眦を伏せて、そんなことを言う。
それではまるで、妹のことを心配する優しい姉のようだった。
「ふふ、妹にそんな重責は負わせられない、ですか?相変わらず過保護ですわね」
やはり彼女は、本当に妹のことを大切に思っているらしい。
そんな理解は、勘違いだった。
一瞬、みほさんはきょとん、という表情を浮かべた。そしてすぐに、ああ、という何かを察した表情に変わる。いたずらっぽく、くすり、と笑った。
「…へぇ、そういう見方もできるんですねぇ。なるほど。次からは、そういう言い訳を使うことにしましょうか」
良いことを聞いた。そんな風に満足げな様子だ。
「あ、あら?違いましたか?」
「全然。ダージリンさんでも、的はずれなことを言うときもあるんですねぇ」
「ええ。ええ、それは勿論。私はまだ学生ですもの。高校生ですもの。参謀家きどりの小娘に過ぎませんわ」
「ふふふ。そんなこと、欠片も思っていない癖に」
それは、正解。
お見通しですわね、流石に。
少しの沈黙があった。
「…ねぇ、ダージリンさん。わたしは、妹のことが好きなんですよ」
「ええ。存じていますわ」
何を今更。そんなこと、分からないほうがどうかしている。
しかし、みほさんは小さく首を横に振った。
「いいえ。いいえいいえ。きっとあなたは知りません。わたしが、どれほど彼女のことを愛しているか。きっとあなたは知りません」
すぅ、と息を吸った。そして、小さく吐いた。
みほさんの指はかちゃかちゃと、カップの取っ手を突っついたり、弾いたり、落ち着きのない様子で遊んでいる。何やら、背筋がぞわっとするのを感じた。
目が合った。
「わたしはね、あの子に嫌われたら、たぶん生きていけないんです。
生きていないんです。
それくらい愛している。愛してしまっている。大好き。
わたしの世界には、あの子だけでいい。あの子だけがいい。それくらい、わたしはあの子に首ったけなんです。
「幼い頃、誰かが言いました。まほちゃんは、お姉ちゃんにべったりだね、って。
親戚の誰かだったかな。お手伝いさんだったかな。もしかしたら、門下生の誰かだったかもしれません。
だけど、それ、本当は逆なんです。
手を握っていたのは、いつだってわたしだったんです。
放したくなくて、離れたくなくて。まほちゃんの手をずぅっと握っていたのはわたしだったんです。
わたしだけだったんです。
「前にも言いましたっけ。あの子は、わたしが戦車道で活躍する姿を見ると、すごいって褒めてくれるんですよ。
お姉ちゃんすごい、って。かっこいいって。いつも静かなまほちゃんが、はしゃぐんです。普通の子供みたいに。
そして、尊敬の目で見てくれるんですよ、わたしのこと。
「わたしは、それが嬉しくって。
はじめてまほちゃんが褒めてくれたとき、そのことに気がついたんです。
心臓が大きく跳ねて、どくんどくん、って血が巡っていくのを感じました。
手の先、足の先。じんわりと温かくなっていくのを感じました。
ああ、わたしは生きているんだな。ちゃんと、心が動くんだな、って。
「わたしは、ちゃんと心がある人間なんだな、って。
「だから、あの子は、あのままでいいんです。あのままがいいんです」
「え、ええと、それは、つまり?」
「分かりませんか、
堰を切ったようにあふれ出す、感情の奔流。私は溺れてしまわないよう、笑顔の仮面を必死でかぶり続けた。
「私は、ずっとあの子に見上げていて欲しいんですよ。わたしのことを。ずっと。あの目で見てほしいのです。尊敬していて欲しいのです。だから、西住流家元なんて名前、『かっこう』でしょう?」
彼女の目は、笑っていた。
「あなたは…」
「だから、本当にあれは失敗でした」
途端に、声の調子が変わった。
先ほどまでは、本当に楽しいことを語っている調子だった。好きなことを語っているときの調子だった。
けれど、これは、『怒り』かしら?
「まさか、あの人がここまで手段を選ばないなんて。うまくいくと思っていたんですよ。まほちゃんがいなくても、勝つくらいのことはできると思っていたんですけどね。そうしたら、きっと、まほちゃんはいっぱい褒めてくれるって思ったんですけどね。そのための準備もして、うまく、やったと思ったんですけどねぇ…。だけど、あの人の介入を許してしまいました。失敗です。台無しです」
「それは、もしかして、西住師範。あなたたちのお母様のことを言っているのかしら」
「ええ。あの人は、本当に余計なことをしてくれました。まさか。まさかまさかまさか、まほちゃんを戦車道のない学校に転校させるなんて。手段を択ばないにも程がある。そんなにわたしから、まほちゃんを取りあげたいかっ」
がしゃん!
大きな音が鳴って、私は身を震わせた。
それは、みほさんが拳をテーブルに叩きつけた音だ。
テーブルの上のカップやら、お菓子を載せた皿たちが飛びあがった音だった。
ころころとお菓子が、特に、みほさんが好物としているマカロンが皿から落ちて、テーブルの上を転がった。
そのうちのひとつを、みほさんが手を伸ばして口へと運ぶ。ひとつを丸々口の中へ放り込んでしまった。
何度か咀嚼をして、呑み込んだ。
それですっかり元通りだ。
「まぁ、すべては考え方次第です。幸い、転校先で戦車道を復活させるようですし。これは、あの人も計算違いでしょう。わたしの
彼女が黙ってしまえば、クラブハウスの中は沈黙に支配されるしかなかった。
尤も、今クラブハウスの中にいるのは、みほさんの他には、私とオレンジペコのふたりだけである。
きっとペコは、顔を真っ青にして震えていることだろう。無理もない。私だってそうだ。感情を荒げる西住みほなんて、はじめて見たのだから。気を抜けば、手に持ったカップも落としてしまったかもしれない。
けれど、そんな無様は晒せない。
私はダージリンだ。
名誉ある聖グロリアーナの戦車隊の隊長だ。
そして、西住みほの友人だ。
「悪党とつきあうのもいいものだ。自分の良さが分かる」
みほさんが一瞬、呆けたような顔になった。
「ええと、それも誰かの格言ですか?」
「映画ですよ。昔の、古い映画です。流石にご存知ではなかったみたいですわね」
おそらく、ペコでも守備範囲の外だろう。そして、アッサムがネットか何かで出典を調べるのだ。
「悪党ですか、わたしは」
「悪党でしょう。少なくとも、全うな姉妹関係とは言い難い。正直に感想を言わせてもらうならば、少し、『気持ち悪い』」
ずずず、と手に持ったカップで紅茶を啜る。
ことん、とテーブルの上のソーサーにカップを置くと、途端にみほさんが笑いだした。
「
それは、淑女らしさの欠片もない、子供のような笑い方だった。
さて、楽しそうに笑っているところに恐縮だけれど、水を差すと致しましょう。
それは、我が校の誇る諜報部隊、情報処理学部第6課。通称GI6の手に入れた『とっておき』よ。
「まぁ、あなたが彼女に執着するのは勝手ですけどね。それ、うまくいきませんわよ」
「へぇ、どうしてですか?」
こてん、と首が折れた。
いや、実際には傾げただけですけど。ただ、そう思ってしまうくらいには、勢いがついていた。
「大洗は、この大会で負けてしまうと廃校になってしまうらしいの。どうやら、戦車道を復活させた背景には、文科省との取引があったみたいね。だから、もしもあなたの思惑通りに『こと』が運んだとしたら、彼女たちに引導を渡すのは、あなたということになるわね。みほさん」
まほさんは、転校先の大洗で随分と楽しくやっているようだし、多分、愛着のようなものが芽生えている。追放のような形で黒森峰を転校していった彼女が、再び戦車道をやっているあたり、廃校のことは聞き及んでいると思って間違いない。
それを、他ならない姉によって、邪魔されたとしたらどうだろう。果たして、みほさんの想定するように尊敬などするかしら。
しかし、予想外にみほさんは、穏やかな笑みを浮かべた。嬉しそうに笑ってみせた。
「へぇ、それはそれは。いいことを聞きました。
「エリカ?」
それは、ええっと、誰の事かしら。
「エリカは、うちの隊員です。まほちゃんとはとても仲がよくって、いつも一緒に遊んでいました。まほちゃんがいなくなって、あの子も随分と寂しそうにしていますよ。…それにしても、そうですか。大洗が廃校に。わたしも、てっきり転校した先に根を張ってしまうかと思っていましたから。学校がなくなってしまっては、戻ってくるしかありませんよね」
よかったよかった。そんな風にみほさんが頷いた。
「まさか。黒森峰に戻るとお考えですか?あり得ないでしょう。それなら、他の学校に転校する方がよっぽど可能性が高い」
こんなこと、わざわざ言わなくたってみほさんなら分かりそうなものだけど。
しかし、それでもみほさんの笑顔は崩れない。
ああ、そういえば、結局。笑った顔、怒った顔。いろいろと新しい顔は見れたけれど、ついぞ悔しがる顔は見られなかったわね。
練習試合を受けた理由のひとつに、そんな理由があったことを思い出した。
「…私、この前の試合で、彼女が欲しくなってしまいましたの。ねぇ、みほさん。私、まほさんのことをスカウトしようと思うのよ」
「…へぇ」
「来年、ペコだけでは大変だと思って。名前も考えているのよ。シルバーティップ。ねぇ、ぴったりだと思いません?」
笑いかける。こんなもの、藪を突っつくような行為だ。
けれど、それくらいしないと、彼女の顔は見えないと知ってしまった。
すると、
「ふふふ、ダメですよぉ、ダージリンさん」
地の底から響くような、なにかを呪うような、そんな、低い声が聞こえた。
「あの子は、わたしのです」
汗が吹き出る。
喉が渇く。
頬を撫でられ、喉を掴まれたような感覚があった。
当然、みほさんは一歩だって動いていない。椅子に座ったままだ。届くはずもない。
錯覚だ。脳が誤認識を起こしているんだ。
分かっている。分かっているのに、
ごくり、と生唾を飲み込む。
突然、みほさんが立ち上がった。
「今日は、本当にいいお話を聞かせてもらいました。ああ、テーブルはごめんなさい。汚したり、壊したりしていたら、請求書を寄越してください。それでは、少しやることができてしまったので、お暇させてもらいますね。見送りは結構ですので」
そう言って、扉の方へ向かって歩いていく。
圧迫感のようなものが、一緒になって離れていった。
その後ろ姿に、私は、待ってください。と声をかけた。
「なんでしょう」
振り返らずに、足を止めた。
からからになった喉で、言葉を紡ぐ。
「こんな格言を知っている?『4本足の馬でさえつまずく』」
「…覚えておきましょう。他でもない、お友達の忠告ですから」
ぱたん、と扉が閉じられる。
後ろから、どさり、と音がした。
ペコが膝から頽れる音だった。
振り返れば、ペコは胸を押さえている。
ぜぇ、はぁ、と荒い息を吐いている。
顔色は、やはり真っ青だ。
きっと、私も似たような色をしているのだろう。
「ダージリン様っ…!あれは、っ、…あれは一体何ですか!?」
息も絶え絶えに、オレンジペコが問いかける。
何。
何と聞かれても、答えに困った。
あれの正体など、私にも分からない。
いや、分からなくなった。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
「敵よ。私たちの前に、立ちはだかる敵。彼女を倒せなければ、私たちの優勝はないわ」
大会がはじまる。
Q:つまり、どんな話?
A:
ダー様「まぽりんとの試合楽しかったなぁ。そうだ、みぽりんに自慢しよう!きっと悔しがるぞー(わくわく)」
みぽりん「まほちゃん大好き。好き好き愛してる(ハイライトオフ)」
ダーペコ「「ひえっ…」」
美しい姉妹愛だなぁ…。