ボリックの死から数か月、彼の掌握しようとしていた安寧道が帝国に対して武装蜂起した。
これに対して各地の民も呼応、さらには西の異民族まで大群で侵攻してきたのだ。
様々な要因が重なり、帝国領に異民族の侵入を許してしまったのだった。
「なぁ大臣。余の軍がまた西の異民族に負けたそうだが、大丈夫なのか?敵は大勢いるそうではないか」
「おやおや。誰が陛下の耳にそのようなことを?」
「セイギ内政官だ」
その名前を聞いてオネストはセイギ内政官が責任逃れをしているといった。
そして異民族の件はエスデス将軍の部隊を向けたから安心だとも。
「狼よ。この国には内憂も多いそうではないか」
「は」
オネストの側に控えていた狼は肯定を示す。
「お主の事だ。余の知らぬところで働いてくれているのであろう」
「それが陛下の忍びであるならば・・・」
「心強い。これからも余に仕え、民の平穏を守ってくれ」
「御意」
狼は深く頭をたれた。
「ハァァァァァ」
オネストは大きなため息とともに肉にかぶりつく。
「反乱だ侵攻だと最近は面倒くさいですなぁ。なにより、あの狼がイェーガーズの実権を握ったというのがなおのこと面倒くさい」
ストレスで体重が増えてしまいますというオネストに対して、正面に座る顔に十字の傷をつけた青年が笑う。
彼の名前はシュラ。
大臣の息子で今まで旅を続けていたところ、今になって帰還した。
オネストは成長に喜んでいると言ったが、その裏、狼の力が着実に自分に近づいていることに気が気でなかった。
「旅の宿題として出されていた使えそうな人材集めはこなしてきたぜ。もしだったらその狼って奴もやっちまおうか?」
「ほほう。確かに興味深いですが、あの狼に手を出すのはやめておきなさい」
「そんなに厄介な奴なのか」
「殺すという一点ではエスデス将軍を凌ぐでしょう。そして陛下の信も厚い上、エスデス将軍も気に入っている様子。下手に手を出してこちらが不利になる状況はさけたいですからねぇ」
「親父がそういうなんて珍しいな」
「まあ人生楽ばかりではないということですね。では早速見せてもらいましょうか」
少しでも心配事は減らすに越すことはないですからねと。
「先生」
「クロメ、ウェイブか」
狼は雪降る帝都の塔の上にいた。
「何で護衛対象を斬ったんですか。そのせいで隊長は」
報告上、狼が斬ったのではなくナイトレイドによる暗殺となっていたが、実際は狼自身の犯行である。
しかし、エスデスはそれを隠し、護衛の失敗の雪辱と称して異民族の討伐へ向かうことになっていた。
「己は陛下の忍び。陛下は民を想っておられる・・・」
それで十分だろうという狼に対して、クロメとウェイブは半ば諦めの入ったため息をついた。
「今は貴方がイェーガーズの隊長代理なのですよ」
同じく、呆れた様子のランが塔へ上がってくる。
エスデスは立ち去る際に狼を代理として据えると命令してから去って行った。
「やることは変わらぬ・・・」
たったそれだけだが、今までの経験から狼がやるべきことを全て教え込んでいたことを皆が思い出す。
ランは狼に報告をする。
「・・・つい先ほどですが、隊長が異民族討伐に向かったことと、戦力の減った我々の代わりに新たに秘密警察ワイルドハントと呼ばれる組織が立ち上げられました」
「・・・・・・」
「聞くところによると大臣の御子息が筆頭だとか」
「・・・ラン」
「はい」
「調べろ・・・」
「承知しました」
狼はクロメを見る。
未だに体調は優れないのに、こうして無理をおしてきている。
「クロメ・・・お前はしばらく休養しろ」
「先生。私はまだ動けます!」
狼はクロメの目を見た。
焦りに似た目だ。
正気を失っていたクロメであるが、最近はウェイブらの影響もあってか正気へ戻りつつあった。
「・・・ウェイブ、クロメを任せる。無理はさせるな・・・」
「はい」
「行け・・・」
言葉少なく指示を出した狼は全員が去ったことを確認すると、独りため息をつく。
戦が近い。
それを肌で感じているのだ。
さらに新たな組織ワイルドハントはあのオネスト側の組織。
必ず問題が起きる。
エスデスのいない今、隊長というのは非常に動き辛い状況だと思っていた。
しかし、それでも狼のやることは変わることはない。
「九朗様・・・」
狼は人知れず呟いた。
「秘密警察って最高だぜ」
そう嘯くのはワイルドハントの隊長であるシュラだ。
彼はつい最近劇団の取り調べを行い、皆殺しにするという蛮行を行っていた。
「私としてはあまり目立ってほしくはないのですがねぇ。目標はナイトレイドの殲滅。ボリックまで殺しているとなると用心せねば。それにエスデス将軍のいない今、完全に解き放たれた狼があの堅物以上に面倒です」
「堅物とは誰のことだ」
威圧感を持って出てきた人物は大臣に問う。
「おやおや、貴方ほどの人が練兵所から出てくるとは珍しい」
帝国軍最上位ブドー大将軍。
「黙れ大臣。賊軍は必ず打ち破るが、それが終わったら帝都の大掃除だ」
「怖い怖い。あなたを相手にする人間は哀れでしょうな」
「ふん。それよりお前に言いたいことがある人間がいる」
「ほう?それは」
「己にございます」
狼は音もなく大臣の目の前に現れた。
突然のことに驚くオネストだったが、辛うじて表情に出すことを阻止できた。
今までいなかった人物、狼はその場に跪いて言った。
「御子息の組織、ワイルドハント・・・。少々過激な取り調べを為されている御様子・・・」
「・・・それで狼殿はなにをしてほしいと」
オネストは今、緊張の極みにあるといっても過言でもなかった。
政治の話であればオネストの領域であり、のらりくらりこなすことが出来るが、この飢えた狼は間違いなく自分の命を狙っている。
付け入る隙を与えてはいけない人間だ。
彼は隙を見せた一瞬でオネストの命を奪うことだろう。
「ただ、ご自粛していただければと・・・」
静かな言葉だが、その裏にはそうしなければ皆切って捨てるという意志が透けて見えた。
「シュラ。今後は穏便な取り調べをお願いしますよ」
「親父!?」
「狼殿はブドー大将軍や陛下の信も厚い人物。あまり困らせないでくださいね」
「ッ!分かったよ」
「では会議に向かいましょうか」
オネストは内心穏やかならぬ状況のまま歩を進めていった。
数日後。
シュラは狼という人物に対して殺意を抱いていた。
好き放題できると思って立ち上げた組織をたった一人で押さえつけてしまったからである。
必ず狼は殺すと心に決めていた。
「どの店も休みとはしけてやがんなぁ」
シュラはもやもやした気分を晴らすために街へ繰り出していたが、こうまですぐ悪名が轟くとは思っていなかった。
「お前らが張り切って来るたびにきつい取り調べをすっから。皆ビビっちまったじゃねぇーか」
それに対して少女、ドロテアがひまだったから仕方がないだろうと言った。
「それに、今後はしばらくきつい取り調べはやめだ。まさか親父に対抗するような奴がいるとは思っていなかったからな」
改めて狼に殺意を抱くシュラ。
そこへ複数の人間が立ちふさがる。
どうやらワイルドハントへ復讐するために集まった人間たちのようだ。
シュラは丁度いいと思った。
「丁度、鬱憤晴らしがしたかったところだ。お前ら手を出すなよ」
正当防衛ならば問題がないだろうとの判断だった。
その後、一方的に蹂躙したシュラは死体を吊し上げ、見せしめにした。
幾分か気が晴れたところでイェーガーズのウェイブとランがやってきた。
シュラはそれを見ると嗜虐心を燻ぶらせた。
「よう。役立たずのイェーガーズじゃねぇか。お前たちが遅ぇから俺たちで国にたてつくやつを処刑しておいてやったぜ」
「や、やり過ぎでしょう。こんなの見せしめのような」
ウェイブの口答えに気に入らなかったシュラは吠えようとした。
しかし、丁度彼らの中間に位置する場所に鉄の刃を持つ物体が飛んできた。
手裏剣だ。
ウェイブは飛んできた方向を見ると、狼がこちらへやってくるところが分かった。
「チッ。なんだよ。こいつらは襲いかかってきたんだぜ。正当防衛だ」
「知っている・・・」
「狼さん!これは」
「ウェイブ・・・」
狼はスッとウェイブを見た。
それだけで彼を黙らせる。
「ラン。手配しておけ・・・」
「・・・はい」
「随分と物分かりがいいじゃねぇか」
「シュラ殿・・・」
今度はシュラへ眼を向ける。
「っ」
「此度の働き、陛下もお喜びになられましょう・・・」
「シュラ・・・こいつはやばい・・・」
シュラの後ろにいた黒髪の青年、エンシンが顔を青ざめさせて言う。
同じく、侍のような風情の男、イゾウも表情を堅く、刀に手を添えていた。
他の面々も緊張した面持ちだ。
狼は彼らを見ていた。
ただ、どうやって殺そうかという目で、殺気を隠さずに。
「では・・・」
狼は何事もなかったようにシュラの前を通りすぎる。
そしてランとウェイブに指示を出して吊るされている人間の処理を淡々とこなしていたが、シュラ達は居心地が悪くなり、その場を去って行った。
「狼さん・・・」
「ラン・・・報告は・・・」
ウェイブの呟きを無視してランの報告を聞く。
「はい。ワイルドハントは大臣の名を借りて好き放題しているみたいですね。ですが今のところはまだ決定的な証拠を得られていません。狼さんが大臣へ釘を刺したことが効いているのかもしれません」
「そうか・・・」
「狼さん!奴らを放っておいていいのかよ!」
ウェイブはつかみかかりそうな勢いで言い放つ。
「・・・・・・」
「こんな暴虐を許して!俺は!」
「ウェイブ・・・」
狼は彼の肩に手を置いた。
「!」
「奴らは己が殺す・・・忍びである己が適任であろう・・・手出し無用」
その目は恐ろしいまでに冷えていた。
ただ殺すべき存在がいたから殺す。
いつもとは違う狼の、いや、本来の狼の性を見てウェイブは黙ってしまった。
「己は奴らを追う・・・ここは任せる・・・」
狼はそれだけ言い残して素早く去って行った。
帝都郊外。
ボルスとその家族は墓参りにやってきていた。
亡骸なき墓に花を供えて祈る。
セリューの墓。
彼女の最期は自爆であった。
彼女の魂に安らぎがあらんことを。
ボルスたちは静かに祈りを捧げていた。
「むしゃくしゃしていたところに、思いがけない獲物がいたもんだ」
シュラは笑みを浮かべボルスたちに近寄って行く。
「あなたたちは?」
ボルスは家族を守るように立ち上がる。
「秘密警察ワイルドハントだ。お前らを新しい玩具に任命してやる」
「!?一体何を」
「今ちょうど気分が悪かったが、こうして外に出てみるのもいいものだな」
「やめてください!家族に手を出さないでください!」
ボルスもワイルドハントの存在は知っていた。
大臣の息子が組織する秘密警察。
その実態は暴虐を尽くす暴力団。
しかし、大臣の息子故に手を出せない。
大柄な体を折り、地面に頭を擦り付けて乞う。
「邪魔だ」
その祈りは届かなかった。
ボルスを蹴りつけ、彼の愛する家族に近づいていく。
「お願いです!家族には!」
ボルスはシュラの足に縋りつき、許しを乞う。
「だから邪魔だって言ってんだろうが!」
それを振り払い、踏みにじる。
「俺は今気分が悪いんだよ」
しかしボルスは手を離さなかった。
愛する家族に手を出させるわけにはいかない。
そしてそれは叶う。
「シュラ殿・・・」
「!?」
シュラのすぐ脇に立つ忍び、狼が刀に手をかけている。
怖気の走る気配をすぐそばに、シュラは立ち尽くすしかなかった。
「彼は我らの仲間・・・何か疑いでも・・・」
今にも斬るという雰囲気の狼を前にシュラは何も言えずにいる。
「て、帝都郊外に怪しい奴らがいるって聞いたから来ただけだよ」
エンシンは殺気立つ狼に何とか言い訳をする。
狼は斬る理由がなければ何もしないと思っての行動だったからだろう。
昔ならいざ知らず、今はオネストという相手に上手く立ち回らねばならない。
その考えは間違えではなかった。
「これで二度目・・・」
狼はそういってボルスを助け起こす。
彼に傷薬瓢箪を飲ませ、傷を治すと再びシュラ達を見据える。
「では・・・」
狼はボルスと家族を連れて行った。
残された面々は唐突に現れた狼と死の気配に当てられ、肝を冷やしていた。
業を背負い、ボス化した狼さんを止めるにはそれこそ、同じ名を持つ赤狼が必要でしょう。
彼女もまた、この物語の主人公なのですから。