しかし、逆鱗はその実、誰にでもあるのである。
触れてはいけないものがあるのだ。
「狼よ」
「は」
「余の、帝国の行く末はいかがなものであろうか」
陛下と二人きり、狼は陛下に嘘をついたことはない。
故にこの質問には何も答えられずにいた。
その沈黙を答えと受け取ったのか、陛下は静かに笑った。
「そうか。余が考えているほど長くはないか」
「・・・・・・」
「どこか、心の中ではそう思っていた。見たくはなかったのかもしれぬな。ここまで反乱、民の蜂起、示し合わせたかのような異民族の動き。流石に、余にも目があり耳がある。大臣はそれを慮ってくれているのかもしれぬ。お主もそうであろう。狼」
「・・・・・・」
「よい。終わらせなければならぬのだろう?九朗殿がそうしようとしたように、余もそうしたいのだ」
「陛下」
「狼よ。お主の楔は解き放たれた。余の忍びである前に、そなたは九朗殿の忍び。そうであるように振舞え。それが余の命である」
「・・・御意」
「願わくは、民に平穏があらんことを。頼むぞ、狼」
狼は何も言わずに影へ消えていった。
「隻狼」
「ここに」
エスデスの急な呼び出しに狼は駆けつけるようにして現れる。
そんな狼を他所に、エスデスは心ここにあらずといった様子で空を眺めていた。
珍しい彼女の様子に狼は訝しみながら跪く。
「インクルシオの本体、鎧の中身がタツミだった」
「・・・・・・」
「知っていたのか」
「はい」
「・・・そうか」
宮殿の中庭で何やらひと悶着があったと狼は聞いている。
その時、狼は陛下と謁見していたため仔細は分からなかったが、エスデスが言うにはワイルドハントのシュラがナイトレイドのタツミとラバックを帝具で引き込み、捕縛したとのことであった。
「笛の音が聞きたい」
「御意」
狼は『泣き虫』の笛を吹く。
悲し気な、それでいて美しい音色が二人しかいない空間に響き渡る。
「ああ。今はこれが心地よい。いかに修羅へ向かおうとも、この心の喜びを妨げる邪魔なものは不要。今は戦いよりもタツミに再会できたことを純粋に喜びたかった」
「・・・・・・」
「隻狼。タツミは私の下へ来てくれると思うか?」
「・・・来ないかと」
「そうか・・・。それほどまでに決意は固いとみるか。だが、私は諦めんぞ。必ず、タツミを私のものにしてやる」
「・・・・・・」
「お前は不思議な奴だ。こうも心を許してしまう。オネストが警戒するのも間違いではないな。お前は殺すべきと決めたのなら迷わないだろ。それが私であれ、かつての仲間であれ」
「己の掟故に」
「そして守るべきものは守る。陛下はお前を随分と信用しているのも頷ける。お前は陛下が守ってほしい民を守ったから信を得た。形は違えど私も同じようなことをしているように見えたから陛下は信用している。決定的な違いは、私は弱者の気持ちが分からず、お前には弱者でありながら強者故に両方の気持ちが分かるということか」
「・・・・・・」
「少し、お前の生き方が羨ましく思える。思うように生きている私はその実、戦いに縛られている。だがお前を縛るものはお前以外にいない」
エスデスは微笑んだ。
純粋な、年相応の笑みだった。
「三獣士がいた頃は奴らを信頼していると思っていたが、本来の信頼とは今のお前との関係のような気がする。私は得難いものを得ていたのだな」
「エスデス様・・・」
「女々しいところを見せたな。これから私はタツミに会ってくる。お前はいつものように為すべきことを為せ」
「御意」
「フッ。私も丸くなったものだ」
エスデスは帽子をかぶると跪く狼の横を通り過ぎ、外へと出て行った。
残された狼は刀を握り、立ち上がる。
為すべきことを為すために。
牢獄。
シュラはようやくつかんだナイトレイドの手掛かりを前に喜んでいた。
これで親父に認められる。
手始めに緑髪の青年、ラバックを痛めつけた。
気分よく、痛めつけていた彼だったが、中々情報を吐かないラバックを見てさらに気分を良くする。
痛めがいのある獲物がいるのだ。
今はそれに集中するのがいい。
ようやく手に入れた玩具の一つ。
どうやって遊んでやろうか。
シュラは暴虐の限りをラバックに刻み付け、疲れたといって最後にタツミの状況を教えて彼に揺さぶりをかける。
タツミはエスデスの恋の相手だから何もされていないと。
理不尽に拷問を受けているのはタツミのせいであると。
そうして出て行った後、ラバックは牢の中へ入れられ、一晩後また拷問を受けると宣言された。
「なんだあいつ。根性ねぇな。怯えまくりじゃねぇか」
牢にいれた拷問官はため息をついてナイトレイドの終わりを悟っていた。
だが、ラバックは決して仲間を売ろうなどとは思っていなかった。
この絶望的な状況下に置かれてもシュラを討ち、脱出する手段を考えているのだった。
そのしばらく後、カチャと音がした。
見れば扉が開いているではないか。
まさかもう次が来たのかと考えていたラバックだったが、その考えは裏切られる。
「・・・・・・」
「狼さん?」
「遅くなった・・・」
狼は傷ついたラバックに傷薬瓢箪を飲ませて傷を治す。
「ゲホ。苦い。臭い」
「耐えろ・・・拷問に比べれば大したことがないだろう・・・」
狼は周囲に誰もいないことを確認するとラバックを立ち上がらせる。
「何で狼さんが・・・」
「為すべきことを為すだけ・・・」
手短に言うと狼はラバックを連れて牢を出る。
ラバックの帝具『クローステール』を彼に返すと、狼はともに脱出するために警備を斬る。
一切の手加減をしない、そして素早い狼の動きにラバックは舌を巻く。
「帝国の味方じゃなかったのかよ」
「己は生涯の主、御子様の忍び。誰の味方でもない・・・」
狼はラバックを外へ連れ出すと、月隠の飴を噛みしめ、警備を欺きラバックを誘導する。
「待ってくれ。まだ中にタツミがいる」
「タツミはお前の警備より厳重だ。今は諦めろ・・・」
そういわれて下唇を噛む彼に手を置いて宥める。
「・・・・・・」
「行けるな・・・」
ラバックは黙って頷いた。
狼は彼を安全圏まで護衛すると、やり残しがあると言って戻った。
「狼さん。気を付けて」
「ああ・・・」
静かに頷くと影へと入り込み、仕留めるべき敵へと向かっていった。
シュラは先ほどまで機嫌がよかった。
先ほどまでだ。
「シュラ。あなたには狼に手を出すなと言いませんでしたか?」
オネストはため息をついて言った。
「ああ。だけどあいつは何もしてこねぇぜ。親父の考えすぎじゃねぇのか」
「今までならばそうでした。しかし、それは彼が政治に疎いからでした。今、彼の側には政治に明るい味方がいます。さらに言えば彼らに手を出すのも悪手でした」
オネストは一冊の報告書をシュラに見せる。
人型危険種を放った犯人がシュラであるという証拠だ。
「これは最悪ですよ。エスデス将軍からのプレゼントですが、この報告はもちろん狼にも聞き及んでいるでしょう。私の立場はもちろん、今、危険なのはあなた自身です。エスデス将軍の要望通り、ワイルドハントは解散とします。しかし、あの飢えた狼がそれだけで済ませるとは思いません」
「そんなバカな!俺はナイトレイドを捕えたんだぞ!」
「その理屈が狼に通ったら私も彼を危険視してはいませんよ。手は尽くします。しばらく大人しくしていなさい。シュラ」
シュラは悪態をつくと外へ出て行ってしまった。
「思ったより厳しい教育方針なんじゃなあ」
ドロテアは大臣とシュラのやり取りを見て呟いた。
「愛の鞭。と言いたいところですが今回ばかりは事情が事情です。まさかよりにもよって狼を相手にするとは」
「ふむ。確かにあ奴は尋常ならざる気配をしておる。特にあの背負っている太刀はやばい。あれは斬る者全てを殺す得物じゃ」
「『不死斬り』と言っていましたね。あれを手にした人間は皆死んでいましたが、狼は何事もないように抜いていました。はあ。後悔ばかりですよ」
とはいってもあなたという稀代の錬金術師招いたことは僥倖でしたとオネストは言った。
シュラはラバックのいる牢に向けて足を運んでいる最中だった。
挽回のチャンスはあると信じての行動だった。
だからこそか、それだけを考えていたからこそ警備がいなくなっていることに気が付いていなかった。
「な、なんだこれ・・・」
そこはもぬけの殻になった牢だった。
つまり脱獄したのだろう。
シュラは思い切り牢の扉を蹴りつけた。
これでは親父に無能扱いされてしまう。
何とか挽回せねば。
そして今度はタツミの牢へ向かおうかとすら考えたが、そちらはエスデスの領域だ。
手が出せない。
そもそも、何故奴が脱獄出来た。
思考がぐるぐる回っている最中、彼はようやくあたりの状況が分かった。
分かってしまった。
まるで誰もいないかのように静寂が広がっている。
いくら牢獄とはいえ、ここまで静かなことはないはずだ。
囚人たちは何かにおびえるように縮こまっており、いるはずの警備はいない。
「!?」
それに反応できたのは奇跡以外の何物でもなかった。
体を咄嗟に動かしてそれをよけようとするが肩に刃が突き刺さる。
「・・・狼・・・」
シュラを突き刺したのは殺意を隠そうともしない狼であった。
狼は自然体のまま近寄って行く。
抜き身の刀にはシュラの血が滴っている。
「お、俺は大臣の息子だぞ」
そんな言葉は通用しない。
親父がそういっていたではないか。
大人しくしていろと。
シュラはここに至ってようやく自分の状況が最悪だということに至った。
親父の言うように狼に手を出すべきではなかった。
狼が言っていた二度目というのは、次はないということだった。
大人しくしていればよかった。
「お、オォォォォォ!」
シュラは震える心を誤魔化すように咆哮。
狼へ向けて突進する。
狼はシュラの攻撃を流水のように流し、反撃する。
それを淡々とこなし、シュラの大ぶりな攻撃に対して『奥義・葦名十文字』を放つ。
シュラの片腕が吹き飛んだ。
狼はそのまま首へ突きを入れ捻る。
「ガ・・・ハァ・・・」
すでに致命傷だろう。
狼は膝をつくシュラに向けて楔丸を大きく振り上げ、そのまま首を刎ねた。
心に息づく類稀な強者との戦いの記憶。
シュラ。
ワイルドハントの隊長であり、大臣の息子。
ラバックは生き残り、シュラは死にました。
忍びとして生きる狼さんは、優しさ故、その業すら背負っていくのでしょう。