水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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はじめまして。ぽぽすと申します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

※週1更新予定です。
※カッコの内容は以下の通りになります。
 「」:発言
 『』:過去の発言等
 ():思考、考え等
 ≪≫:詠唱
 "":その他


第一章 家族 前編

 ――溶ける、融ける。身体が、全身が解けてゆく

 

 痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。

 

 ただの学生でしかない私がそんな恐怖に耐えられる訳もなく、私は必死に泣き叫ぼうとする。

 

 助けて、と。たった一人の家族へ向かって。

 

 叫んだつもりの私の(のど)から、ごぽり、と温かいものが溢れる。きっと、私の救いを求める声はまともに届いてはいないだろう。声の(てい)を成しているかも怪しい。

 

 だけど、涙で歪む視界に映る姉は、機能を失いつつある耳には届かない“何か”を必死に叫びながら私に向かって駆けだそうとしてくれていて、それを周りの人たちが必死になって止めている。

 

 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう

 

 私はとても大きな未練を抱えながら、

 

 ――私はただ、家族と、友達と何気ない日常を過ごしていたかっただけなのに

 

 その日、液状の化け物に喰われて命を落とした。

 

 

***

 

 

 青く澄み渡った空を悠々と飛ぶ、巨大な竜。緑豊かな大地には色とりどりの花々が咲き乱れ、その周りを、人形のように小さく可愛らしい風の妖精が、笑顔で楽しそうに飛び回る。

 エルフは竪琴(たてごと)を奏で、ドワーフは(つち)を振るい、猫や犬の耳を持つ人々が、弓や槍を手に狩りをする。

 

 そんな幻想的(ファンタジック)な生き物や魔物、種族が生きる世界――それが、ここ……ディル=リフィーナ。

 

 そのラウルバーシュ大陸北西部、ユークリッド王国近郊にある巨大な地下迷宮の一角に、大きな湖がある。

 

 その周囲は岩壁で覆われており、(あり)()い出る隙間も無いが、決して暗くはない。光の精霊を宿らせた特殊な鉱石が、周囲の岩壁に設置されているためだ。

 鉱石が放つ柔らかな光が地底湖を優しく照らし、幻想的な光景を作り出している。

 

 その地底湖にいくつかある岩礁(がんしょう)の一つに、頬を膨らませて座り込む1人の少女の姿があった。

 

「……う~っ! みんなのケチ~っ! 心配性~!!」

 

 年の頃は15~16といったところだろうか。

 サイドポニーをリボンで結び、可愛らしいフリルのついたワンピースを(まと)っている、とても快活そうな少女だ。

 袖の部分が分かれており、少女の細く柔らかそうな二の腕が(さら)されているところが特徴的である。

 

 だが、何より特徴的なのは、彼女の“色”。

 髪・瞳・肌……そして服に至るまで、その全てが半透明の水色なのだ。よくよく目を凝らせば、それらが本当に()()()()()()()ことが分かるだろう。

 

「あ~っ! 早く外に行きた~いっ!! ……可愛い服とか魚じゃない生き物とか美味しいものとか着たい見たい飲みた~い!!!」

 

 眉を吊り上げ、早口言葉のように大声で欲求不満を吐き出す少女。

 一通り叫んで気が済んだのか、少女はピタリと口を閉じると、わずかに間をあけて大きく溜息をついた。

 

「……はぁ……みんなが言っていることはわかるし、心配してくれてるのは嬉しいけど……それでも心配しすぎだよ……私、もう充分自分の身を護れる力を身につけたと思うんだけどなぁ……」

 

 少女がそう(つぶや)いた直後、少女の周囲――地底湖の水面が一斉(いっせい)に持ち上がり、まるで生き物のようにバラバラに動き出す。

 

 ――あるものは、刃を形作って空気を斬り裂き

 ――あるものは、無数の触手へと変わり、鞭のようにしならせ

 ――またあるものは、(えら)(うろこ)に至るまで精緻に魚を描き、宙を泳がせる

 

 それらは、水を(つかさど)る彼女の意思によって生まれ、操られていた。

 

 少女は人ではなかった。水精(みずせい)と呼ばれる、水の精霊の1種だったのである。

 

 

***

 

 

 少女――水精リウラは、この地底湖で生まれた。

 この地底湖で最年少であるリウラは、同じ水精である姉達に囲まれ、日々、何不自由なく幸せに暮らしていた。

 

 ある時、そんな彼女に転機が訪れた。

 

 地底湖の外が出身の水精達が、外の世界のことをリウラに話してくれたのだ。

 

 木々や草花……街や村……城や店といった建物……様々な種族、精霊、動物、魔物……そして、彼らが作り出した美しい衣服や装飾品、美味しい飲み物……彼女達が語る話は、瞬く間にリウラを魅了した。

 

 話を聞いたリウラはすぐにでも外の世界に行きたがったが、姉達全員が必死にリウラを止めることになった――なぜか?

 

 地底湖の外は、人間族と魔族が戦争を繰り広げていたからだ。

 

 近年急速に力をつけた1人の魔族が数多(あまた)の魔族・魔物を従えて、小国を1つ滅ぼし、そのまま隣の人間族の国家へと侵攻。

 現在は、(くだん)の魔族――世間では“魔王”と呼ばれている――側が劣勢で、迷宮の下層に押し込められているようだが、決してリウラ達の住処がある上層が安全という訳ではない。

 

 リウラはそれを聞いて思った。

 

(じゃあ、自分の身を守れるだけの力を身につければいいじゃない)

 

 以来2年半、外出許可を得んが為、隠れ里一の実力者たる水精を師に仰ぎ、彼女の開いた口が塞がらない程の凄まじいスピードでリウラは自身の戦闘力を高め続けているが、成果は芳しくない。

 比較的安全な地底湖の外周……それも水辺限定で外に出る許可を、つい最近、ようやくもぎ取ってこれたところである。

 

 しかし、それも無理からぬこと。そもそもこの地底湖は、この戦争を回避するために造られた“水精の隠れ里”なのだ。

 

 迷宮を流れる川底から、水を操って岩盤をくりぬき、分厚い岩盤で覆われた地底湖を築くのは、想像以上に大変なことだ。

 多くの水精達が“戦争に巻き込まれたくない”、“戦争から仲間を護りたい”という強い意志を持ち、力を合わせたからこそ成し遂げたのだろう。

 

 そんな姉達からすれば、戦争真っただ中に大切な妹を放り込むなど、できる訳がない。

 リウラもそういった背景は理解しているし、姉達が自分を大切にしてくれていることはとても嬉しいと思う。

 

 しかし、それでも……それでも、リウラは外に行きたかった。

 胸の内から湧き出る衝動を抑えることが、どうしてもできなかったのだ。

 

 “色々なところを見て回りたい”、“可愛らしい服や装飾品を身につけたい”、“美味しいものを口にしてみたい”――外の世界を求める情熱は治まるどころか、時が経つにつれてより強く激しくリウラの中で燃え上がる。

 その思いは、もはや“決意”と呼んでも差しつかえないほどに強くなっていた。

 

 

 ――ドボォン!!

 

 

 リウラがひとしきり訓練がてら水を操作して遊んでいると、突如(とつじょ)水に岩でも放り込んだかのような大きな水音が聞こえた。

 

 リウラは驚きに目を大きく開くと、音のしたほうに振り向く。

 その眼には何も変わったものは映ってはいないが、リウラの感覚に引っかかるものがあった。

 

 地底湖を覆う岩壁の外側……位置からして水面下に、リウラよりも遥かに小さな魔力を感じる。

 その激しく乱れている様子から、魔力の持ち主が溺れていることに思い至ったリウラは、考える間もなく地を蹴って地底湖へ飛び込み、水面下にある出口から外へと飛び出していた。

 

 ものの数秒で魔力の近くまで泳ぐと、そこには激しくもがく人型の生物がいた。

 背丈はリウラよりも10cmは低いだろう。どうやら幼い子供のようだ。

 

 リウラは子供の真正面から近づき抱きかかえようとするが、子供は溺れるあまり、必死に両手両足を使って、がっしりとリウラの両腕ごと胴を抱え込んだ。

 火事場の馬鹿力でも出ているのか、リウラがどんなに力を入れても子供の手足は外れる様子がない。

 

 だが、水の精霊であるリウラに呼吸は不要なので溺れることなどあり得ないし、例え手足が動かなくても、水を操れば泳ぐことは造作もないことである。

 リウラはしがみつかれたまま、周囲の水を操って急上昇し、水面まで一気に泳ぎきる。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 子供は水面に出ると同時に必死に呼吸を始めた。

 リウラはそれを見て目の前の子どもが助かったことを理解すると、ほっと息をついた。

 

 突如訪れたトラブルが落ち着いたことで、目の前の子どもを観察する余裕がリウラに生まれる。

 

「女の子……?」

 

 リウラが助けた人物は、美しい金髪を頭の両脇で結び、短めのツインテールにした10歳くらいの女の子だった。

 先程まで溺れていたことで苦しそうに表情が歪んではいるものの、それでも顔立ちが整っていることがはっきり分かるほどの美少女だ。

 

(獣人族かな……?)

 

 少女の頭頂部からは三角形の耳が飛び出し、背にはコウモリのような翼がある。

 また、リウラの胴には少女のものであろう尾が巻きついている感触があった。

 

 姉達の話だと、“獣のような耳や羽・尻尾が生えている人型の生物”が獣人族のはずだった。

 リウラが見たことのある“獣”など、魚かコウモリぐらいだが、特徴には当てはまっているように見える。

 

 少女は息が整い落ち着いてきた様子を見せると、ギュッと(つむ)っていた目をゆっくりと開く。

 美しい紅の瞳がリウラに焦点を結んだ。

 

「大丈夫?」

 

 リウラが心配そうに問いかけるが、少女はリウラをじっと見つめたまま反応を示さない。

 

(うっ……こういうときはどうすれば……)

 

 想定していたものとは異なる反応を返され、リウラは戸惑う。

 外の世界では奇妙に思われることを自分はしてしまったのでは……そんな心配がリウラの心の中で鎌首をもたげる。

 

 長い時間が経ったかのようにリウラには思われたが、実際には数秒程度だっただろう。

 しばらくリウラの瞳を見つめていた少女は、急に瞳に涙を浮かべ、顔を歪ませると、リウラの胸に顔を埋めて大声で泣き出した。

 

「ちょっ……!? ちょっと、どうしたの!?」

 

 問いかけるも、少女は答えずに、ただわんわんと涙を流すだけだ。

 

 “溺れかけたことが、よほど怖かったのだろう”と、あたりをつけたリウラは少女が落ち着いて座れる場所を探すため、近くの岸を目指してゆっくりと泳ぎ始めた。

 

 途中、リウラは水を使って自分のものとそっくりな腕を1本作り上げると、おそるおそると、だが優しくゆっくりと慰めるように少女の頭を撫でた。

 

 

 ――少女は、より強くリウラにしがみついた……まるで、親を亡くした子供のように

 

 

 リウラが助けた少女は、いったいどこから来たのか。

 そして、何故こんな人里から遠く離れた辺鄙(へんぴ)な場所で溺れていたのか。

 

 話は、数日前にさかのぼる……。

 

 

***

 

 

 ――まおーさまの魔力が消えた

 

 少女の整った顔が瞬時に青ざめる。

 

 輝くような金髪から飛び出た、濃い焦げ茶色の猫耳は、少女の心の乱れを表すかのように忙しなく震え、背から生える小柄な蝙蝠の翼は、その緊張を表すかのようにピンと広げたまま動かない。

 

 その紅い瞳は主人を失う恐怖に慄いており、スカートの下から伸びた猫のような尾は、本来ならば柔らかくなだらかであったであろう、耳と同色の毛を逆立てていた。

 

 魔王がその強大な魔力を用いて、手ずから魂と肉体を創り上げた使い魔……それが彼女だった。

 生まれて間もないが故に未だ脆弱(ぜいじゃく)ではあるものの、魔王の娘とも呼べる彼女の潜在能力は測り知れない。

 本来ならば、彼女はすくすくとその身を成長させ、魔王の(かたわ)らでその絶大な能力を振るい、人間達を絶望の底に叩き落としていたはずだった。

 

 しかし、状況は彼女が育つまで待ってはくれなかった。

 人間族の国家が連合を組んだことで戦争は急速に激化し、魔王は彼女に(かま)う余裕もなく追い込まれることとなったのである。

 

 その辺をうろつく魔物にすら戦闘力で劣る今の彼女は、前線から遠く離れた浅い階層で、ただ主の無事を祈ることしか許されなかった。

 

 そして今、主人と魂で繋がっている彼女は、その独自の感覚から明確に魔王の異常を察知した。

 いつも感じることができた絶大な魔力が、まるで何かに遮断されたかのように急に感じることができなくなってしまったのだ。

 

 魔王が死ねば彼女も生きてはいられないため、魔王が存命であることだけは確かだが、このまま何もしなければ、本当に魔王が命を落としてしまうかもしれない。

 

 かつてない危機感を覚えた少女は慌てて立ち上がると、藍色でシンプルなデザインのキャミソールドレスを(ひるがえ)し、今にも消えてしまいそうなほど弱々しくなってしまった主との繋がりを辿(たど)りながら、魔王がいるであろう場所を目指して必死に走り出した。

 

 自分が魔王を助ける、という使命感を胸に宿して。

 

 

***

 

 

 ――地下530階

 

「……覚えて、おくがいい。私は、滅びるわけでは、ない。いつか必ず(よみがえ)り、復讐を……果たすであろう」

 

 凄まじい恨み、憎しみが込められたどす黒い怨念。

 それを、地の底から響くような声で目の前に群がる人間達に叩きつけた後、人間族から“魔王”と呼ばれ、恐れられた1人の魔族は(まぶた)を閉じた。

 

 深い沈黙が下りる

 

 各国から集められた人間族の精鋭達は動かない……いや、()()()()

 凄絶な呪いの予言を放った魔王の、人間族よりも何倍も大きな巨体を見つめ、構えたまま、彼らはまるで石の彫像にされたかのように動けなかった。

 

 それ程までに、魔王が言い残した不吉な予言が恐ろしかったのだ。

 

 やがて、1人の端正な面持ちの金髪の青年――ゼイドラム王国の勇者 リュファス・ヴァルヘルミアが剣をブンと振るって血糊(ちのり)を落とし、高々と剣を掲げて大音声(だいおんじょう)を上げた。

 

「勝利の(とき)を上げよ!! 我ら、人間族の勝利である!!」

 

 一拍(いっぱく)の間をおいたのち、その場に音の暴力とでも言うべき歓声が上がった。

 

「勝った~!! 勝ったぞ~!!!」

 

「生きて、生きて……帰れる~~ううぅぅぅぅ…………!!」

 

「勇者様、ばんざーい!!!!」

 

 兵士達は涙を流し、抱き合って自分達の勝利を噛みしめている。

 その様子を確認した後、リュファスは共に最前線で魔王と戦った各国の勇者、そして彼らに準ずる実力を持つ者達を集め、厳しい面持(おもも)ちで会話を切り出した。

 

「まさか、最悪の予想が当たるとはな」

 

「『いくら倒しても転生し、回遊する魔神がこの迷宮に出現する』という噂を聞いていたから、ひょっとしたら、とは思っていましたが……まさか、本当にこの魔王がそうだったとは……」

 

「この場所に追い込んだのは大正解だったということか……なら、予定通り魔王を此処(ここ)に封印することにしよう。シルフィーヌ、頼めるか?」

 

「構いません。この迷宮に最も近いのは我が国ですし、なにより、魔王を封印できるだけの魔力を持つのは私だけですから」

 

 そのやり取りを見た仲間の1人が、何とも言いがたい微妙な表情になる。

 

(……まぁ、ほとんど属国に近い立場からすれば、頼まれれば断れないよねぇ……)

 

 魔王を倒すために一致団結したとはいえ、各国家の協力の()り方は複雑だ。

 魔王を封印した後は、より一層、そうした関係構築に気を()むことになるのだろう。

 

 大いなる魔力を秘めた姫……ユークリッド王国第三王女シルフィーヌは、魔王封印の儀式を準備するため、周囲の兵に指示を出し始めた。

 

 

 

 

 こうして、人間族は魔王を封じ込めることに成功し、それぞれの国へ意気揚々(いきようよう)凱旋(がいせん)した。

 

 ――しかし、人間達は最後まで気づかなかった……封印される直前、魔王が自身の魂を肉体の外に逃がしていたということを

 

 

***

 

 

 あれから数日、迷宮を徘徊(はいかい)する危険な魔物を何とかやり過ごしながら、少女は魔王の位置を目指して走り続けた。

 

 そして、とうとう彼女は見つけた。

 

 極めて浅い階層でゆらゆらと彷徨(さまよ)う薄青い光の玉――その、今にも消えそうな(はかな)篝火(かがりび)が、自分の主であることを、少女は使い魔としての感覚で理解した。

 

(早く! ……早く魔力をあげないと……!)

 

 むき出しの魂となって迷宮を彷徨い続けていた魔王は、魔力が尽き、既に意識がなく消滅寸前であった。

 少女は慌てて走り寄ると、自らの魔力を与えるため、魔王の魂に向かって必死に両手を伸ばす。

 

 ――しまった……そう思った時には遅かった

 

 洞窟のように荒れた地面に足を取られ、少女の体が傾く。

 魔王の魂は、倒れこむ少女の胸に触れた途端、すぅっと砂に染み込む水のように吸い込まれていった。

 

 まるで金槌(かなづち)で思い切り殴られたかのような衝撃が胸に走る。

 

 そのショックに耐えられず、少女はあっさりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 (まぶた)を開くと、そこにはゴツゴツとした岩の天井。

 寝起きの為か、頭がボーっとした状態でむくりと上体を起こすと、まるで人形のようにスラリとした真っ白な手足と、身に(まと)う紺のキャミソールドレスが目に入った。

 

(あれ? ……小さい?)

 

 人間族で言えば10歳相当の自分の身体。生まれてからずっと一緒だったはずの自分の手足に、何故か違和感を覚えた。

 まるで、急に自分の身体が縮んだかのような……

 

 じっと自分の両手を見つめていた少女は、ふと我に返る。

 

 

 自分は、何かとても大切なことをしていなかったか?

 

 

 ――カチリ

 

 少女の頭に“魔王”の2文字が浮かんだ瞬間、少女の中にある情報が連鎖的に紐づけられ、少女は全てを()()()()……見る見るうちにその表情を青ざめさせた。

 

 

 

「私……ゲームの世界に来ちゃった……」

 

 

 

 

 

 ――姫狩りダンジョンマイスター

 

 プレイヤーが魔王となって配下の魔族を率い、迷宮を制覇していく陣取り型シミュレーションゲームである。

 

 人間族の勇者に倒され、魂だけの存在となった魔王が新たな肉体を手に入れるも、その体が脆弱な人間族のものであったため、唯一残った配下である魔族の少女“リリィ”を鍛え上げながら、配下を増やし、元の肉体を取り戻すまでを描いた、R-18の男性向けゲームだ。

 

 もう、お分かりであろう。

 その“リリィ”こそが、今途方(とほう)に暮れている、この猫耳少女である。

 

 本来ならば、虚弱な人間族の少年に放り込まれるはずだった魔王の魂……それを自らが受け入れてしまった際のショックの為か、少女――リリィは、かつてこのゲームを遊んでいた前世の記憶を取り戻してしまっていた。

 

 では、何故リリィはこんなにも顔色を悪くしているのだろうか?

 

 実は、このゲームの舞台となる世界……前世で暮らしていた世界とは比べ物にならないほど危険なのである。

 

 奴隷にされたり凌辱されたり殺されたりするのはザラで、洗脳されることもあれば、魔物の苗床(なえどこ)となることもあり、果ては魔物と合成させられ、化け物となってしまうことさえある。

 

 殺され方も実にバリエーション豊富で、生贄、呪い、悪霊に()り殺される、魔物に生きたまま食われる、通りすがりの魔神に町や村ごと滅ぼされる、etc……と()()()()りだ。実に嬉しくない。

 

 そして、さらに嬉しくないことに、現在リリィが置かれている状況の危険性は、この世界に住む一般的な人間よりも(はる)かに高かったりする。

 

 まず、見たまんま10歳児相当しかない戦闘力と、庇護者(ひごしゃ)を失ったこの状況。

 

 そこらを当たり前のように魔物が闊歩(かっぽ)するこの世界では、リリィは美味しく頂かれてしまうご飯でしかない。

 早急に護ってくれる人物を見つけなければ、いつか魔物に頭からバリバリ食べられてしまうだろう。

 

 次に、彼女の種族が睡魔族(すいまぞく)であること。

 

 睡魔族とは、前世の世界で言う夢魔(むま)淫魔(いんま)のことであり、性的行為や淫夢(いんむ)を見せることで他人の精気を奪い、(かて)とする悪魔の一種である。

 

 その特性上、異性を誘う必要があるため、他の種族とは段違いに高い容姿、そしてこの世のものとは思えぬ性的快楽を与えられる肉体を、彼女達は持っている。

 そしてそれは“性的に襲われる可能性がめちゃくちゃ高い”という意味と同義である。

 

 そして何より決定的なのが、リリィが魔王に創造された使い魔だということだ。

 

 魔族というだけで、まず、この大陸で最も繁栄している種族である人間族から敵視される。

 何しろ、本来“悪魔族全般”を指すはずの“魔族”という単語が、人間族の間では“()()()()()()()()()()()”を意味するのだから、その敵対意識は半端(はんぱ)ではない。

 

 それが、人間族の国家を丸々1つ潰した魔王が生み出した使い魔ともなれば、もはや彼女に対して抱く感情は殺意以外に無いだろう。

 

 さらに悪いことに、魔王の魂と密接に繋がるリリィは、魔王の肉体や魂に一定以上の負荷がかかった時、その影響をもろに受けてしまう特性を持っている。

 それによって生じる問題は様々だが、中でも一番切迫している問題が“魔王の肉体へかけた封印”である。

 

 実は、シルフィーヌ王女が施した魔王への封印は不完全なものであり、それを完成させるため、シルフィーヌ王女は定期的に封印を強化しに、この迷宮を訪れるようになる。

 

 そして、封印が完成してしまうと、リリィは光に包まれて消え去ることになってしまう。

 原作ではそれ以上の描写が無いため、具体的にどうなったのかは分からないが、おそらく(ろく)なことになってはいまい。

 

(どうすれば良い……!? どうすれば、私は五体満足で生き残ることができる……!!?)

 

 前世の記憶が甦ったからといって、今世の記憶がなくなる訳ではない。

 

 創造されてから1年にも満たない人生で見た、魔王が支配する魔物達や、それらが人を襲っている光景はリリィの中に生々しく残っている。

 それらの記憶が、まるで“次はお前だ”と自分に告げているように感じられた彼女は、文字通り死に物狂いで“いかに生き残るか”に全思考力・精神力を集中させていた。

 

 ――何かに集中して周りが見えなくなってしまうこと……それは、魔物が徘徊(はいかい)する迷宮で最もしてはならない事の1つである

 

 

 突然、リリィの背後から大量の液体がのしかかってきた。

 

(っ!? 何!?)

 

 液体は粘性の高いゲル状で、やや濃い目の空色をしている。

 液体は瞬く間にリリィの身体を押し倒し、全身を包み込むと、リリィの身体が逃げ出さないよう、内部への圧力を高め始めた。

 

 それは“プテテット”というアメーバ状の魔物だった。

 

 彼らは自らに接近した物質にとりつき、それが食べられるものならば溶かして養分を吸い取るという、細菌とほぼ同様の生態を持っている。

 その生態から推測できるように、知性というべきものを持たず、また、種類や個体差にもよるが、液状の身体を持っていることから、耐久力もさほど無い。

 “魔物”というくくりの中では、間違いなく最弱の部類と言って良いだろう。

 

 だが、決して(あなど)ってはならない。

 個体によってかなりの差があるが、大きなものは人間族の成人男性を丸々2~3人包み込める質量をもつ。

 のしかかられたら骨折する可能性があるし、取り込まれて全身の動きを止められたら窒息死は(まぬが)れない。

 

 そして、今まさにリリィは窒息死の危機にさらされていた。

 

(息が……! 息ができない!! 身体も動かない!!?)

 

 リリィは必死にもがこうとするが、全身にまんべんなく圧力をかけられた身体はピクリとも動かない。

 

(誰か……! 誰かたす……け……)

 

 息が続かなくなり、意識を失いかける寸前、リリィの――睡魔族の肉体は、突如訪れた生命の危機から逃れるため、リリィの意思とは無関係に本能で活動を開始した。

 

 リリィの体内の魔力が活性化し、淡い紫色の魔力光(まりょくこう)がリリィの身体を覆う。

 すると、プテテットの体から白いもやのような光が湧き出し、急速にリリィの身体に吸い込まれ始めた。

 

 ――反応は劇的だった

 

 ビクン!! とゲル状の身体が揺れると、すぐさまプテテットはリリィを吐き出しながら飛び離れた。

 リリィはせき込みながら必死に空気を取り込みつつ起き上がると、恐怖にひきつった表情で自分を襲った相手に顔を向けた。

 

 リリィが無意識に行った行動……それは、精気の吸収だ。

 

 通常、睡魔族は淫夢を見せるか、性行為を行うことで精気を吸収する。

 しかし、必ずしもそうした行為を必要とするわけではない。

 

 そうした行為は、精気を吸収しやすくする、あるいはより質の高い精気を生み出すための魔術的な儀式の意味合いが強く、魔術的抵抗力が低い相手……すなわち、精神力の低い相手から単に精気を奪うだけならば、無理に行う必要はない。

 

 プテテットのように精神力以前に知性すらない相手であれば、今リリィがして見せたように指一本動かすことなく吸収することも可能なのだ。

 

 しかし、まだ幼いリリィが行った反撃はせいぜい相手を(ひる)ませる程度の効果しかなかったようで、プテテットは反撃を行ったリリィを警戒するように距離を取りながらも、再度リリィに襲いかかる為にじわじわと距離を詰めている。

 

 10歳児の戦闘力云々(うんぬん)以前に、今まさに魔物に食べられそうになったリリィにとって“戦う”という選択肢は初めから存在しない。

 

 リリィは恥も外聞(がいぶん)もなくみっともない悲鳴を上げながら、必死になって最弱の魔物から逃げ出した。

 

 

***

 

 

 息が苦しい……足が痛い……お腹も痛い……頭が朦朧(もうろう)とする……

 

 それでもリリィは走り続けた。

 “食べられたくない”という原始的な恐怖に背中を押され、とにかく感じる気配の少ない方へ少ない方へと走り続けた。

 

 命の危機に限界以上の力を発揮してくれたリリィの身体は、10歳児とは思えないほど遠くへとリリィの身体を移動させてくれたが、とうとうエネルギーを使い果たしたようで、今のリリィはふらふらと足元がおぼつかず、“歩くよりはマシ”程度のスピードでひたすら足を前に運んでいる。

 

 ――ガクンッ

 

 ついに限界を迎えたリリィの膝から力が抜ける。

 意識を朦朧とさせつつも、反射的に手を突こうとするリリィ。……しかし、そこに床は無かった。

 

「……ぇ?」

 

 かすれた声で疑問の声を上げた時、リリィは宙に投げ出されていた。

 

 ――ドボォンッ!

 

(!!?? ……!!、!!)

 

 全身を包む水の感触――それは、先程襲われたプテテットを想起させるには充分で、リリィは一瞬でパニック状態に陥った。

 

 わずかに残された力を使って必死にもがくが、混乱した頭はどうしても“泳ぐ”という行為を身体に命令できず、彼女は徐々に徐々に水底(みなそこ)へと沈んでいった。

 

 その時、リリィの胴体に何かが触った。

 

 リリィは反射的に両手両足で“それ”に思い切りしがみつく。

 すると、リリィがしがみついた“何か”はグンと勢いよく上昇し、水面を突き破った。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 リリィは周囲に空気があることに気付くと、必死に呼吸を始める。

 そして、ある程度呼吸が落ち着くと、思い切り(つむ)っていた眼をゆっくりと開く。そこには、溺れる彼女が必死になって(つか)んだものの正体があった。

 

(水……精……?)

 

 リリィの顔を心配そうにのぞき込む、髪も肌も瞳も半透明に透き通った少女……ティエネーと呼ばれる水の精霊の一種だ。

 

「大丈夫?」

 

 (かすみ)がかかったようにうまく働かないリリィの頭の中に、じわじわと少しずつ水精の言葉がしみ込んでくる。

 そして、ある程度の時間が経ってようやく理解した。

 

 ――自分は、助かったのだと

 

 目が熱くなり、体が震え、表情が歪んでいくのが止められない。

 リリィは、自分の視界がぼやけたことに気づくと同時に少女の胸に顔を押し付け、大声で泣き出した。

 

 ――嬉しかったのだ。ただ“この命がある”ということが、何よりも嬉しかったのだ

 

 “みっともない”だとか、“迷惑をかけてしまっている”だとか、そんなことは思いつきもしなかった。

 只々(ただただ)、恐怖から解放された嬉しさに涙を流し続けた。

 

「怖がっだ……怖がっだぁぁあああ~~~!! いぎっ、だり、プデデッ、ド、でぃっ、おぞわれっ、でっ、あ゛あ゛あ゛ああああぁああああ~~~~!!!」

 

 水精の少女は慌てている様子を見せていたが、すぐにリリィをしがみつかせたまま泳ぎ始めた。

 

 途中、水精が魔力を操作するのを感じる。水を操って手でも作ったのか、ひんやりと柔らかい何かが自分の頭を優しくなで始めた。

 

 もうリリィには何も考えられなかった。

 優しく自分を抱き締め、撫でてくれる水精に感謝し、ひたすら大声をあげて涙を流すことしかできなかった。

 

 目の前の水精を求めて、より強くギュッと抱きしめる。

 リリィが水精に顔を押し付けて流す涙は、水でできた衣服の表面を輝きながら流れていった。

 

 

***

 

 

 ――あれから、1週間後

 

 水精の隠れ里――岩盤に囲まれた地底湖の岸辺にリリィの姿があった。

 彼女は(まぶた)を閉じ、猫耳をピクピク震わせている。周囲の気配や魔力を探っているようだ。

 

 ピクリ

 

 リリィの猫耳が一度大きく震えた。

 リウラの魔力が地底湖の外から戻ってきたのを感じる。

 

 気配は1つではなく、彼女が追い立てているのであろう、今回の“獲物”の気配も感じた。だが……、

 

(……?)

 

 その気配は、いつもよりもちょっと……だいぶ……いや、()()()大きい。

 

「リウラさん、いったい何を追い込んで……?」

 

 そう言って眼を開いた瞬間、湖の中央の水面が爆発した。

 

「……ふぁい?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

 水面から凄まじい勢いで現れたのは奇妙な“魚”だった。

 

 (うろこ)は灰色、ヒレは緑色でどちらもかなり暗い色をしている。

 エラの部分からはまるで人間族の男性の腕のような太く長い器官が飛び出し、その先は大きな水かきのついたヒレになっている。

 眼がある部分にも、やや小さく短めだが、同様の器官が眼を覆い隠すように存在していた。

 

 だが、特筆すべきはそこではない。

 

 

 ――でかい

 

 

 人間族の成人男性よりもでかい。体長は軽く3メートルくらいは有りそうだ。

 おまけにリリィを一飲みにできそうなほど大きな口の中には、やたら鋭くて大きな牙がズラリと並んでいる。あれに噛みつかれたら、間違いなく骨ごと食いちぎられるだろう。

 

(……え……? ……“アレ”を狩れと……? ……私の何倍も体が大きくて、いかにも『お肉大好きです』って言わんばかりの“アレ”を狩れと……?)

 

 “魚”はすぐに水に潜ったが、リリィは視線を“魚”が潜った水面に釘付けにしたままピクリとも動かない。

 リリィがダラダラと冷や汗を垂らしながら硬直していると、チャプンと遠くの水面からリウラが顔を出した。

 

 リウラは、まばゆく輝かんばかりの満面の笑顔で口を開く。

 

「リリィ~~! 今日の獲物は大物だよ~~!!」

 

「……大物すぎるわああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 リリィは敬語を忘れた。

 

「何ですかアレ!? バギルじゃないですか! あんなん勝てるわけないじゃないですか!!」

 

 バギルとは、大陸西方から南方の穏やかな淡水に生息する大型の肉食魚だ。

 それも、ただの凶暴な肉食魚ではなく、下位で末席(まっせき)ではあるものの幻獣の一種に分類されている。

 

 つまり、強い。とっても強い。

 

 この魚の亜種が、溶岩や岩を()()()()デタラメなパワーと頑強な肉体を持つといえば、その強さが少しでも伝わるだろうか。

 

「でもぉ~~!! こんぐらい大物じゃないと~~!! いつまでたっても隠れ里(ここ)から外に出られないんじゃない~~!?」

 

「………………」

 

 事実だった。

 あまりに正論すぎて、リリィは言い返せない。

 

 リウラに助けられて以来、リリィは地底湖でリウラのお世話になりながら暮らしていた。

 

 水精であるリウラは食事をしなくても生きていけるが、リリィはそうはいかない。

 睡魔族は食事の代わりに他者の精気を摂取することも可能(というか、本来はそちらが主食だ)だが、恩人である水精達から精気をもらうのも気が引ける。

 

 そこで、リリィはリウラに魚を取ってもらって、生臭さに半泣きになりながら食べていたのだが、その時、リリィはふと気付いた。

 

 ――大きな魚なら、たくさん精気を持っているかもしれない

 

 精気は、日々の糧としてだけでなく、基礎的な魔力を向上させることに使うこともできる。

 簡単にいえば、レベルアップできるのだ。

 より多くの精気を吸収すればするほど、リリィは今の何倍も速く、力強く、頑丈になることができる。

 

 何もしなければ自分が死んでしまうかもしれない現状、いつまでもこの地底湖で暮らすわけにもいかない。

 だが、外には危険な魔物や人間がわんさかおり、弱いままふらふら出ていくわけにもいかない。

 リリィにとって強くなることは急務であった。

 

 そこで、リウラに頼んでリリィの身の(たけ)ほどもある大きな魚を取ってきてもらい、精気を吸収してみたところ、これがうまくいった。

 リリィの魔力が確実に強くなった手ごたえがあったのだ。

 

 精気を1日の活動エネルギーとして消費するのはもったいなかったので、その分は黙々(もくもく)と生魚を食べて補いながら、次々と魚を狩り続けた結果、今ではリウラが水で(つく)った大ぶりの剣だろうと片手で軽々振り回せるようになり、簡単な魔術まで発動できるようになった。

 今では潜水魔術を使って水中で剣を振り回し、リウラと一緒に魚を狩って生活しているほどだ。

 

 しかし、強くなればなるほど、より強くなるためには多くの精気が必要になる。

 今まで狩ってきたような魚では、リリィの魔力がほとんど上がらなくなってしまったのだ。

 

 ならば、より多くの精気を持つ……つまり、より強い獲物を狩る必要があるのは当然であった。

 リウラの判断は間違ってはいない。間違ってはいないのだが……

 

「無理いいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」

 

 だからといって『サメなんか比較にならない程、危険な猛獣がいる湖に飛び込めるか?』といえば、それは別問題だ。

 

(魔王様!! こんなとき魔王様ならどうしたんですか!!??)

 

 リリィは(わら)にもすがる思いで、己の内にある魔王の魂へと問いかける。

 

 リリィの中に入った魔王の魂、彼は少々特殊な状態にあった。

 

 通常、他人の肉体に入った魂は“元の魂と融合する”、“元の魂をかき消す”、“元の魂を肉体から追い出す”のいずれかの反応を示すのだが、リリィの場合にはそれが無い。

 その原因は魔王とリリィの関係性にある。

 

 リリィは魔王の魔力によって魂・肉体を創造された使い魔である。

 彼女はその特性として致命傷を受けると主の体内に戻り、主の魔力を使って肉体を再構成することで傷を癒すことができるのだが、その際に“主の魂と混ざり合う”なんてことは起こらない。

 主と使い魔を結ぶ魔術的なラインがお互いの魂を分ける壁の機能を果たしているためだ。

 

 そしてリリィの中にいる魔王の魂は昏睡(こんすい)状態にある。

 どうやら魔力が欠乏した状態のままリリィの中に取り込まれてから、未だに魔力が回復していないらしい。

 どうやらリリィが意図的に魔力を流さない限り、魔王の魂へ魔力は流れないようだ。

 

 これは不幸中の幸いだった。

 たとえそれが魂だけの存在であっても、リリィは魔王には逆らえない。そういう契約をリリィが創造された時から結ばれているからだ。

 もし魔王の魂が目覚めていたら、リリィは魔王の命令に従って復活のために周りの人々に迷惑をかけていたことだろう。人間としての意識が芽生えたリリィにとって、それは地獄だ。

 

 そしてもう一つの幸いが、先のリリィの“問いかけ”である。

 昏睡状態の魔王の魂にリリィが問いかけると、必要な知識や経験をリリィに返してくれるのだ。

 

 どうやら意識不明……つまり無抵抗であれば、体内にある魂はリリィが自由に操れるらしい。

 今、リリィが曲がりなりにも剣を振るえるのも、魔術を扱えるのも、魔王の知識や経験をもらっているおかげである。

 

 この特性は非常に便利で、今回のような非常事態でも“魔王だったらどう対応していたのか”という過去の経験が返ってくる。“苦しいときの神頼み”ならぬ“魔王頼み”である。

 

 リリィは、今の状況に近いような経験がないか、魔王の魂から引き出そうと眼を閉じて必死に集中するが、経験を引き出し終わって再び眼を開いた時には愕然(がくぜん)とした表情に変わっていた。

 

(……も……元々の地力(じりき)と才能が違う……!)

 

 魔王の答えは非常にシンプルだった。

 

 ――レベルを上げて物理で殴れ

 

 まず元々の能力が非常に高いせいで、ほとんど苦戦というものを経験していない。

 その上、少し訓練しただけで大幅に能力が上がるため、難敵(なんてき)に当たってもあっという間に敵の能力を追い越してしまう。

 こんな経験、今のリリィの置かれている状況の役に立つはずがない。

 

 リウラは泳いでリリィに近づきながら、気楽な調子で言う。

 

「私がサポートしたげるから、大丈夫大丈夫!」

 

「じゃあ、リウラさんが狩って下さいよ! 私には無理です!」

 

「それじゃあ、リリィの経験になんないじゃん」

 

「私は精気だけもらって強くなったら、もう少しレベルの低い相手からチャレンジします!」

 

「……言いたいことは分かるけど、外はもっと危険らしいよ~。こんなのじゃ相手にならないのがわんさかいるってみんな言ってるし」

 

 これも事実である。

 リリィの前世の常識からすれば有り得ないほど恐ろしい力を持つバギルだが、この世界では雑魚も同然だったりする。

 この程度、簡単に倒せるようにならなければ、隠れ里から外には出られないのだ。

 

 また、強力な相手とぶつかる(たび)にもたもたしていたら、封印が完成してしまうかもしれないし、格下とばかり戦っていたら、いざ格上と出会った時にあっさり死にかねない。

 リウラの意見はどこまでも正しかった。

 

 ちなみに、リウラがバギルを見ても怖がらないのは、別に彼女の度胸が優れているから、という訳ではない。

 単純に()()()()()()()()のだ。

 

 バギルに限らず水棲(すいせい)生物は基本的に水精を襲わない。

 周囲の水を自在に操るだけでなく、一時的に自身を液状化できる彼女達を襲うことは、水中を生活圏とする彼らにとって困難極まりなく、他の獲物を探して襲うほうが何倍も簡単だからだ。

 

 加えてリウラ達水精はこうした巨大な肉食魚を絶えずよく目にしているため、それが恐ろしいものだという意識が彼女には無い。

 猫が共に育った大型犬を見ても恐れないようなものである。

 

 リリィはリウラの言葉に(うな)りながら頭を抱えている。

 恐怖をこらえて戦うことが正しいと理解しつつも、どうしても怖くて足が踏み出せないようだ。

 

 そんなリリィを見ながら、リウラはリリィと出会った時のことを思い出す。

 

 

 

『……私は、強くならなくちゃいけないんです……!』

 

 

 

 リリィの親は魔王軍に属していたが、戦争に行ったきり帰ってこなくなり、現在彼女を保護してくれる人はいないらしい。

 詳しくは教えてくれなかったが、すぐに強くならなければ、彼女自身の命が危ないという事情も話してくれた。

 

 それはおそらく事実だろう。

 でなければ、こうして半泣きになりながらリリィが恐怖心と戦っているはずがない。

 

 そして、その事実は何故か深くリウラの心を絞めつけた。

 

 “親がいない”という彼女の不幸に、深く同情した。

 “強くなりたい”という彼女の想いに、深く共感した。

 

 リリィの想いが、まるで自分の想いであるかのように感じられた。

 

 これは初めての経験ではない。

 姉達から“外”の情報を得る際に、こうした他人の不幸話を聞くこともある。

 その中でも、“親がいない”、“強くなりたい”といった内容に、異常なほどリウラは涙もろかった。

 

 いったい彼女に何があったのか……リウラはそれを知りたいと思う。

 そして、この愛らしい隣人(りんじん)の心を支えてあげたいと思う。

 それは、同情心以外の何物でもなかったが、リウラの心の底からの願いであった。

 

(……いつか、全部話してほしいな……)

 

 リウラは岸に上がると、リリィを背後からそっと抱きしめる。

 

「リウラさん……」

 

 リウラに抱きしめられたリリィは少しずつ落ち着いてゆき、こわばっていた全身から力が抜けてゆく。

 

 明るくて、元気で、優しくて……親を亡くして辛い思いをしているはずなのに、そんな様子を微塵(みじん)も見せず、前を向いて一生懸命頑張っている、そんな彼女がリウラは大好きだった。

 

 容姿も反則なまでに可愛いし、抱きしめたら甘えてくれるところなんて、身悶(みもだ)えするほど愛らしい。

 

 わずか1週間程度の付き合いだが、リウラはリリィの事を家族のように感じていた。もはや、リリィの居ない生活など考えられない。

 

 だからリウラは、リリィのために全力を尽くす。

 具体的には……、

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギュッ!!

 

「へっ?」

 

 背後からリリィの両腕ごと抱きしめる体勢になっていたリウラ。

 突如、彼女の抱きしめる力が強くなる――それも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……リリィ……一緒に頑張ろう!」

 

「……えっ? ……いったい何をで……!?」

 

 ドボオオオオォン!!

 

 リウラは、リリィが逃げられないようにしっかり魔力をこめた腕で思い切り抱きしめたまま、リリィもろとも猛魚の待つ湖へと飛び込んだ。

 

 ――それは、リリィにとって()()()()()()()()が如き暴挙(ぼうきょ)であった

 

 

***

 

 

「いいですか? しっかり押さえておいてくださいよ? 絶対ですよ? もし放したら許しませんからね?」

 

「……うん、大丈夫。しっかり押さえてる」

 

「……」

 

「……その……ごめん。本当にごめんなさい……」

 

「……」

 

 今、リリィ達がしているのは、バギルの治療だ。

 

 リリィが毎日魚を食べているとは言っても、精気を奪った魚を(かた)(ぱし)から全て食べているわけではない。

 必要な分以外の魚は、精気を奪った後、狩る際についた傷を癒してから元の場所にリリースしていた。

 

 リリィはバギルの体表に淡い紫色の魔力光がともった両手をかざしている。

 リリィの治癒魔術を受けたバギルは、傷が薄くなるにつれて次第にビチビチと力強く暴れ出すが、リウラが作った水の鎖でぐるぐる巻きにされているため、その力強い尾びれでリリィを跳ね飛ばすようなことにはならなかった。

 

(…………嫌われちゃったかな……)

 

 リウラの眉は先程からハの字に下がったままだ。

 

 あの後、リウラのフォローを受けながらなんとかバギルを仕留(しと)めたリリィ。

 リウラの予想通りバギルの精気はリリィをレベルアップさせるには充分で、リリィの魔力は先程までとは比べ物にならないほど強くなった。

 方法は間違ってはいなかったのだろう。だが、そこにリリィを送り出す過程がまずかった。

 

 リウラはリリィを怒らせるつもりも不必要に怖がらせるつもりもなかった。

 ただ、リリィを戦わせてあげることがリリィの為になると思い、その考えに至った瞬間、思いつくまま行動に移っていただけなのだ。

 

 しかし、その行動はリリィにしてみれば“自分の命を脅かすものがいる場所へ、身動きを封じられたまま突き落とされた”こと以外の何物でもない。怒らないほうがおかしい。

 陸に上がったリリィから怒鳴(どな)られるまで、そのことに思い至らなかった自分が嫌いになりそうだった。

 

「……はい、終わりましたよ」

 

「……あ、うん……」

 

 リウラが悩んでいるうちに、バギルの治療は終わっていた。

 

(……とりあえず、これを放してこよう……)

 

 リウラは、その華奢(きゃしゃ)な肩を落としながら、湖へと歩いていく……激しく暴れる体長3メートルの怪魚を引きずりながら。

 

 とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……

 

 ――シュールだった。そして意外と力持ちであった

 

 リリィはそんなリウラの様子を見て、自分の怒りが霧散し、頭が冷えていくのを感じていた。

 

 リウラがリリィの事を思って先の行動に出たことは理解している。

 その後の狩りでも、しっかりとリリィのフォローをしてくれていたし、そこは疑いない。

 

 リウラの思い込みの激しい行動は、たしかにリリィにショックを与える思いやりに欠ける行動ではあったものの、その動機はリリィの将来を心配してのものだ。

 

 そもそも、リウラが魚を追い込んでくれるのも、湖に住まわせてくれるのも、リウラの好意であって義務ではない。何から何までリウラの世話になっておきながら、さっきの態度はなかったのではないか……リリィの心に少しずつ罪悪感が湧いてくる。

 

 すぐにその罪悪感に耐えられなくなり、リリィは衝動的にリウラに声をかける。

 

「……リウラさん!!」

 

 ピクリとリウラの肩が動き、振り返る。

 リリィは、気まずさにリウラから視線をそらしつつ、続ける。

 

「……その……さっきは言いすぎました……ごめんなさい」

 

「それと……ありがとうございます。怖がっている私の背中を押してくれて……一緒に戦ってくれて……いきなり湖の中に飛び込んだのは怖かったし、ショックだったけど……でも、私の事を考えてくれたのは、うれしかったです」

 

 リリィの(そば)にリウラがいてくれるだけで、リリィは心から安心することができた。

 それは先のバギルとの戦闘でも変わらない。

 

 震えあがるほどに恐ろしかったが、最後まで向き合って戦えたのはリウラが傍にいてくれたおかげだ。

 もしリウラが一緒に戦ってくれなければ、リリィは脇目も振らずに一目散(いちもくさん)に陸上へと逃げていただろう。

 

「それと……その……」

 

 リウラが“リリィに嫌われたかもしれない”と思っているのは、そのわかりやすく落ち込んだ表情を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。

 ならば、その不安を取り除くため、リリィの正直な思い……リウラへの好意を伝えなければならない。

 

 リリィは、ついこの間の出来事を思い出す。

 

 

 

『……大丈夫! 私がリリィを護ってあげるから!!』

 

 

 

 リリィがリウラと暮らして2~3日経った頃、自身の置かれた状況をリウラに話すと、彼女は真剣な瞳でそうリリィに言ってくれた。

 

 その自信に満ちた笑顔と、なんの疑いも躊躇(ためら)いも無く『リリィを護る』と言いきってくれたリウラを見て、リリィがどれほど安心したか。どれほど心強かったか。どれほど……うれしかったか。

 

 あの瞬間、リリィにとって、リウラはかけがえのない大切な人になったのだ。

 

 それを率直に口に出そうとして……気恥ずかしさに言葉が止まった。

 リリィの頬が徐々に赤みを()びていき、真っ赤になってゆく。

 ややあって、恥ずかしさを振り切り、リリィは再度口を開く。

 

「いつも傍にいてくれて……ありがとうございます。私……リウラさんのこと、大好きです」

 

 リリィが沈黙すると、静寂が訪れた。

 二人の耳に届くのは、ビッチンビッチンという、怪魚の跳ねる音だけだ。

 

 少し不安になったリリィが視線をリウラに戻すと、リウラは肩を震わせていた。

 顔を(うつむ)かせているため、その表情は読めない。

 

「……か……」

 

「か?」

 

「……可愛いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃイイイイイイイイイ!!!!!」

 

「うわきゃぁぁああああああ!?」

 

 リウラは勢いよくリリィに抱きついた。

 ものすごく良い笑顔で、リリィの胸にこれでもかというほどグリグリ頭を擦りつけている。

 

「こっちこそごめんね! リリィの気持ちを考えずに、あんなことしちゃって! 私も、リリィの事大好きだよ!」

 

「わ、わかりましたから! 充分伝わりましたから! だから離れてください!!」

 

「リリィ~~! 好き~~!!」

 

「リウラさ~~ん!?」

 

 リリィは困っているものの、その表情はまんざらでもなさそうだ。

 猫耳もぴくぴくと嬉しそうに動いている。

 

 リリィは途中から説得することを諦め、身体から力を抜くと、リウラが満足するまで彼女の好きにさせることにした。

 

 

***

 

 

「じゃあ、これ、元の所に戻してくるね!!」

 

 リウラはほっぺをつやつやとさせながら、笑顔でバギルを引きずりつつ、湖へと飛び込んでいく。

 

 バギルは長時間陸上で放置された結果、酸欠を起こしたらしく、口をパクパクさせながら時折力無くエラを動かすばかりだ。もう、跳ねる元気も無いらしい。

 それでも何とか生きていられるのは、幻獣の面目躍如(めんもくやくじょ)といったところか。

 

「はは……行ってらっしゃい……」

 

(元気だなぁ……それが良いところなんだけど)

 

 リウラのハイテンションな行動と言動に、リリィは少し疲労を感じていた。

 だが、ここでだらけるわけにはいかない。すぐに、リウラが次の獲物を追い込んでくれるからだ。

 

 リリィは左手で水の大剣を拾い上げると、気を引き締める。

 

「え?」

 

(……これは……魔術の気配?)

 

 リリィが魔力の異常を感知した瞬間、泳いでいるリウラの前方に巨大な魔法陣が現れた。

 輝きを増しつつあるその魔法陣を読み解き、その内容を理解したリリィの背筋がぞわりと震える。

 

「えっ!! えっ!? 何これ!?」

 

 リウラは驚いてはいるものの、その危険性にまるで気付いていない。あれは……

 

 

 ――あれは、大型の魔物を召喚するための魔法陣だ

 

 

「リウラさん逃げて!!」

 

 リリィが叫ぶ。

 すると、リウラの眼前で魔法陣の輝きが爆発するように溢れ出し、光と共に巨大な龍のような魔物が現れた。

 

(サーペント!!)

 

 それは、“サーペント”と一般に呼称されている、東洋の竜とヤツメウナギの合いの子のような姿をした、大型の水棲生物。

 

 水蛇(すいだ)とも呼ばれるこの生物は、水竜の一種としても扱われることがある程の強力な魔物だ。

 バギルはリウラのサポートがあれば余裕を持って狩ることができたが、この魔物の強さはケタが違う。

 リリィとリウラが力を合わせたところで、絶対に勝てない。選択肢は“逃走”以外にあり得ない。

 

 リリィが叫ぶも、リウラは何が起こったのか分かっていない様子で、ぽかんと静止したままだ。

 あまりにも突飛(とっぴ)な出来事が突然起こったことで、頭が真っ白になっている。

 

 そんな彼女に、水蛇は容赦なく襲いかかった。

 

(……あれ?……)

 

 リウラの目の前に大きく口を開いた大蛇が迫る。

 バギルであろうと軽々と一飲みにできるであろう巨大な口に、ズラリと生えている牙が、やけにスローモーションに見える視界で徐々に彼女へと近づいてくる。

 

(……私……もしかして……死、)

 

 リウラが自分の“死”を意識しかけたその時、

 

「ぅ………………わぁぁあああああああああああアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 水蛇の頭が大きく後ろに吹き飛んだ。

 

 気がつくと、リウラの目の前に翼を大きく広げたリリィが居た。

 全身の魔力をこめた右の拳を振りぬいた彼女の姿勢を見て、“水蛇の鼻先を殴りつけたのだ”と、後から状況を理解する。

 

 水蛇は片方にそれぞれ2つずつある大きな丸い目玉でギロリとリリィを(にら)むと、すぐに標的をリリィへと変えて牙をむく。

 

 リリィはすぐに魔術を使って自身の前面に防御用の障壁を展開する。

 リリィが前方に手をかざすと、その先にリリィよりも二回りは大きい、紫に輝く魔法陣の壁が現れるが、

 

(!? 重っ!!)

 

 展開した障壁ごと湖の中へ押し込まれた。

 

「リリ……がっ!!??」

 

 リリィを湖に押し込んだ際に、うねらせた水蛇の胴体が、リウラを大きくはね上げ、岩壁へと叩きつけた。

 

 そのまま地面へと叩きつけられた彼女は肘をついて、なんとか立ち上がろうとする。

 

「っ!! ……くぅっ!! ……リ……リィ……」

 

 だが、立ち上がれない。

 

「早く……!! 早く助けないと!!」

 

 立ち上がれない。

 

「なんで!? なんで、立てないの!!??」

 

 立ち上がれない理由は叩きつけられたダメージだけではなかった。

 リウラの全身が、ぶるぶると音がするのではないかと思えるほど大きく震えていたのだ。

 

「う……ごいてぇ……!!」

 

 リウラが必死に願うも、彼女の身体は言うことをきかない。

 ならば、と周囲の水を操作して湖の中に自身を放りこもうとするが、乱れ切ったリウラの精神は、自身の魔力を思い通りに操作させてくれない。

 

「なんでぇ……、なんでできないの……?」

 

 リウラの瞳から涙がこぼれる……本当は理解していた。

 

 ――恐怖心

 

 それがリウラの行動を縛る強力な(かせ)となっていた。

 

 リウラは、リリィを助けよう、助けに行かなければ、と必死にもがき続ける。

 リウラは、猛魚(もうぎょ)のいる湖に落とされたリリィの気持ちを、今、ようやく理解した。

 

 

 

 


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