「◆ー%ー&ー#¥~、スティルヴァ~レ~▲□÷、◎~$*~、×ー#~%~、@+■$~●~∞~∀~♪」
夜も
金髪猫耳の美少女が、頬をほんのりと赤く染めて、ニコニコと笑いながら歌うその様子は、とても
……
「ね、ねえ……リリィ?」
「ん? な~に、お姉ちゃん?」
「その……良ければ、リリィが悩んでること……お姉ちゃんに相談してみない?」
「悩んでること~? そんなの無いよ~」
リリィの右隣から心配そうに問いかける姉に、『悩みなど無い』と酔っぱらい特有のヘラヘラとした笑顔で断言するリリィ。
酒を飲む直前まで、真っ青を通り越して真っ白な顔色をしていたのだから、悩みが無いはずがないのだが……
(ヴィ~ア~さ~~~ん?)
話が違う、と恨めし気な眼で、自分の右隣に
リリィの歌を聞いて何故か呆けていたヴィアは、その視線とささやき声を受けてハッと気づき、ばつが悪そうな顔をする。
リウラがリリィに謝っている最中に、突然リリィは顔色を失った。
いくら呼びかけても反応せず、虚ろな目で時折なにごとかをブツブツと
ひっ叩こうが、鼻をつまもうが、くすぐろうが、リウラがほっぺにチューしようが全く反応しないリリィに、事態を重く見たヴィアはある物を持ってきた。
――ヴィア秘蔵のマタタビ酒である
気つけ薬、という意味もあるが、ヴィアの狙いはもうひとつある。
リリィのように猫耳を生やしたタイプの
そのマタタビを原料に作られた酒を飲ませれば、リリィが酔っぱらうことは必至。
酔わせることでリリィの口を軽くし、強制的に悩みの内容を聞き出そうと、ヴィアは酒瓶の口をリリィの口に突っ込んで、リリィの頭ごと瓶を逆さまにしたのである。
その結果がこれ。
酔ったリリィは、まるで悩みがなくなったかのように陽気になり、歌を歌いながらカッパカッパと酒瓶を空けてゆく。
悩みを“一時的に忘れている”のか、それとも“気にしなくなっている”のかは分からないが、このままでは酒が切れたら、また元の状態に逆戻りである。
(……リリィの意識がまだしっかりしているから、
(ラジャ―)
ぼそぼそとお互いの耳元で、ヴィアとリウラはやり取りする。
しっかり丸々1本、ヴィアの秘蔵酒を空けてくれた上に、度数の高い酒を次から次へと空けているにもかかわらず、リリィの
「……ずいぶん変わった言語ですのね……いったい、どこの言葉ですの……?」
「東方の言葉に響きが似ているけど、僕も聞いたことがないよ……“
リリィが歌う歌は、エルフ姉弟が聞いたことのない独特の言語で歌われていた。
特にリシアンは商売の都合上、ラウルバーシュ大陸で使われている主要な言語のほとんどをある程度話すことができるにもかかわらず、リリィの歌の内容が全く聞き取れなかった。
――それもそのはず。彼女は、前世の母国語である
この世界でもかつては日本語が存在したが、それは1万年以上前……この世界、
そんな超古代言語を、言語学者でもない2人が理解できようはずもない。
「そうなの? リリィ」
「そうだよ〜。“神殺し”セリカ・シルフィルの歌〜」
リリィが歌っている歌は、イアス=ステリナの女神であるアストライアを殺し、その肉体を奪ったとされる人間族の男性――セリカ・シルフィルを主人公とする
彼の物語は、リリィのそれと世界観を同じくするものの、リリィが生まれる何百年も前から続いているため、その名前はかなり広く知られている。
“神殺し”という初めて聞く単語に興味を持ったリウラは、その人物について教えてもらおうと続けて質問する。
「ねえ、その“神殺し”って……」
「――どんな人なの?」と
自身の身体にかかる見えない圧力。ドス黒くて、絶えずリウラの身を
――殺気
見れば、リシアンを除き、テーブルについている全員の眼が鋭くなっている。
酒をかっ喰らっていたリリィも、完全に戦闘モードだ。
殺気の
「おい、そこの睡魔のガキ。ちょっとツラ貸しな」
声をかけて来た相手は、下級魔族。数は全部で5人。
全員人型だが、眼が1つしかなかったり、全身が真っ黒だったり、羊のような角が生えてたりしていて、なかなかに個性的だ。中には、手が5本ある奴までいる。
「何よ、アンタ達。ここがどこだか、わかって言ってんでしょうね?」
ヴィアがドスの
魔族達が放つ殺気よりも強烈なそれを受けて、魔族達はわずかに怯む。
(あ、この人達、ぜんぜん大したことないや)
リウラの警戒が少し緩む。
アルカーファミリーの殺気は確かに強烈だが、その度合いはブリジットやオクタヴィアが放つものよりも遥かに下。この程度で怯むようであれば、その実力はしれている。店員さんにまかせてつまみ出してもらえば良いだろう。
今、リウラ達はリリィの心のケアに忙しいのだ。……リウラがそう思った矢先、リリィが口を開いた。
「良いよ。どこでやる?」
「……ちょっと、リリィ」
「今はやめた方が良いですの。お酒で感覚が麻痺しちゃって分からないかもしれないけど、リリィは今とても消耗していますの。……お店の人にまかせた方が良いですの。いや、ホントに」
ヴィアとリューナが難色を示す。
特につい最近、酒で失敗してしまったリューナの台詞には重い実感が込められており、真剣にリリィを止めようとしていることが
「大丈夫だよ。この程度の相手だったら、利き手使わなくたって勝てる。すぐ戻るから待ってて」
そんなリリィの言葉を聞いて、額に青筋を立てて怒りを
だが、ここで
「……あのバカ、ま~だ
ブランが呆れた声を出す。
以前、その傲慢さから姉の財布をスられて痛い目を見たにもかかわらず、もう喉元を過ぎて熱さを忘れてしまったらしい。
この調子だと、もうしばらく天狗になったリリィの鼻をポキポキ折ってやる必要がありそうだ。
リウラが心配して「私も行く!」と席を立とうとするが、ヴィアが「私が行くから、アンタ達は
リリィとヴィアが結んだ使い魔契約は、魔王とリリィの間で結ばれたものを疑似的に再現したもの……つまり、リリィが死ぬ、もしくは死にかけると、使い魔であるヴィアにフィードバックが行くという、シャレにならない副作用がある。
あくまで疑似的なものであるため、フィードバックの割合は本来の契約に比べると遥かに小さく、リリィがオクタヴィアに斬られてもヴィアに影響が出なかった程度のものであるが、リリィがそれ以上のダメージを受けてしまえば、その
自分の目でリリィの安全を確かめておかないと、ヴィアが安心できる訳がなかった。
ちなみに、リリィがオクタヴィアに斬られた際、慌てて飛び込んで必死にオクタヴィアの追撃を防いだのも、半分はこれが理由である。
「お嬢! 危険ですから、追いかけるのはやめてください! お嬢の疲労も半端じゃないはずです!」
そう言って声をかけてきたのは、濃い青髪の
スラリとした高い身長に引き締まった肉体、整った顔を持つ、ヴィアと同年代の美青年だ。
だが、そんなイケメンの幼馴染に心配されても欠片も嬉しそうな様子を見せず、ヴィアは気だるげな様子で青年に目を向けながら、投げやりに言う。
「んじゃ、アンタもついてきなさい。護衛料は後で払うわ」
「そんな! 金なんて要りません! 全身全霊をもってお嬢を護らせていただきます!」
「そ。あんがと」
「ウィン、減給3ヶ月だ」
ヴィアについていくため給仕の仕事をほっぽり出した青年――ウィンにブランが減給を通告するが、ウィンに気落ちした様子はない。それどころか、ヴィアの役に立てることを心の底から喜んでいるようである。
ヴィアの元に向かう途中、ウィンはテーブルについているリシアンに笑顔を向ける。
その妙に優越感たっぷりの笑顔は明確にこう言っていた。
――“お前のような貧弱なガキには、こんな風にヴィアを護れないだろう?”、と
その笑顔を見て、リシアンはムッとする。
自分がアルカーファミリーの一部から良く思われていないことは理解している。
“ボスの一人娘をたらしこんだだけでなく、貢がせて奴隷の立場から解放してもらった情けない奴”と思われていることも、“そのためにヴィアが危険を
それについては非常に申し訳なく思うが、それとは無関係なところでまで馬鹿にされる
ましてや、いまだ幼くともリシアンも男であり、ヴィアを愛する想いは誰にも負けない自負がある。ここで
リシアンは
「
玄関へ向かっていたヴィアの足がピタリと止まり、バッと勢いよく振り返る。
リシアンを見つめるその瞳は“信じられない”と言わんばかりに大きく開いていた。
「リシアン……今、私の愛称……」
「
「は、はい!」
ふらふらと蜜に誘われる蝶のようにリシアンへと向かうヴィア。
その瞳には動揺と、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。
「ど、どうしたの……? リシア……ッ!?」
そばに寄ってきたヴィアの手首を
敵意が一切感じられず、ましてや自分が好意を抱いている相手に対し、とっさに抵抗できるわけもない。自分よりも何倍も非力な少年に、ヴィアは軽々と引き寄せられる。
――そして、そのまま……ヴィアの唇はリシアンの唇によって
数秒か、あるいは数十秒か……時が止まったように全ての者が動きを止めた酒場で、ゆっくりとリシアンが唇を離す。
無音となった酒場に、リシアンの落ち着いたボーイソプラノが響いた。
「幸運のおまじないです。……気をつけて行ってきてください、ヴィー」
「……ふぁ……ふぁい……、いってきまひゅう~~……♥」
王子様のように甘いスマイルで
トロンととろけた眼には目の前の愛しい少年の美しい笑顔しか映らず、初めてのキス(ヴィアの中で同性相手はノーカン)、それも“想い人の方からしてくれた”という
ヴィアは瞳にハートマークを浮かべて、桃色のオーラを振りまきながら、ふらふらと出口へ向かう。
その後を、死んだ魚のような眼をしたウィンがふらふらと追っていった。どうやら自分の想像以上にヴィアが心とらわれていたことに、はかり知れないショックを受けたらしい。
……リリィの様子を見に行かせるには、あまりに頼りない2人組だ。
「わ、私もリリィさんの様子を見に行ってきます!」
アイもそう感じたらしく、慌てて2人の後を追う。
後にはクスクス笑うリューナと、ほっぺに両手をあてて
「オメー、よくもまあ
呆れた口調でブランがリシアンに話しかける。
口元は笑っているが、眼は全く笑っておらず、しかも闘気を放って威圧しているため、迫力が尋常ではない。
その証拠に、水の貴婦人亭の従業員たちは、皆そろって顔を青ざめさせている。
オクタヴィアに迫るかもしれない凄まじい威圧感だが、リシアンはそれを柳に風と受け流す。顔の赤みは引いているが青ざめてはいない。
リシアンはブランに笑顔を向けて、
「その程度の度胸がなければ、ヴィアを
一瞬、キョトンとしたブランは、
「だっはっはっ!
リシアンの度胸は本物だ。
本人に大した戦闘力がないにもかかわらず、闘気を放つブランに対して一切震えず
利益のためならばどんな相手とも……自分よりも何倍も強く、粗暴な相手であろうと取引する“ラギールの店”の支店長を任されるだけのことはある。
そして支店長を任されるには、度胸だけでなく商才も必要だ。
卓越した経済力があれば、例え本人に戦闘力がなくとも、ヴィアを護る力を金で手に入れることができるだろう。
現時点では少し物足りないが、将来的にはヴィアを幸せにするだけの力を、この少年は手に入れるはずだ。
「……リシアン、と言ったか……」
「リシアンサス・シャハブレットと申します」
笑みを消して真剣な眼をしたブランに
――そして、ブランは腹の底から絞り出すようにしてその言葉を
「……アイツを泣かせたら、タダじゃおかねえぞ」
「ッ!!」
それは事実上、リシアンとヴィアの婚姻を認める言葉だった。
いまだ下の毛も生えそろっていないような幼い少年に、大切な一人娘の人生を預けるその決断に、いったいどれほどの想いが込められているのだろうか。……親となったことのない今のリシアンには決して分からないだろう。
「はい。必ず彼女を幸せにします」
彼にできるのは、自らの全てを懸けてその想いに
***
「どうしたの? 私に
ドスッ!
「グッ!」
横たわる下級魔族の腹にリリィが蹴りを入れる。
街から少し離れた迷宮の一角。
ゴツゴツとした岩がそこかしこに転がる荒れ地のような広場に、5人の下級魔族が横たわっていた。
リリィと彼らの間には隔絶した実力差があるにもかかわらず、魔族達は全員生きているだけでなく、余力が充分にある。
その証拠に、リリィに蹴られている1人を除いた全員が身を起こし、リリィを
――当然だ。リリィが
リリィは苛立っていた。
前世の自分が思い出せないストレスと、姉に人殺しをさせようとした事を初めとする、数々の罪悪感がリリィを絶えず
ヴィアに飲まされた酒で一時的に正気に戻ったリリィは、この苛立ちを誤魔化すために酒に溺れた。
……いや、正確には
魔王に
いくら飲んでも酔えない。酔って、酔って、酔って、酔いつぶれて眠ってしまいたいのに、一向に
酔ったふりをすることで、のらりくらりとリウラ達の質問を
そんなところへ、都合よく“ぶちのめしても罪悪感が湧きにくそうな奴ら”が現れた。
それを見て、リリィは思った。
――ちょうどいい。こいつらを使って、私の
その思考が多分に悪魔的であることは理解していたが、それでも止まれないほどにリリィの精神はまいっていた。
下級魔族達にひと気のない所まで連れて来られたリリィは、自分でも気配を探って、近くに人が居ないことを確認すると、結界を張って彼らの逃げ場をなくし、死なない程度に加減して、魔族達へ殴る蹴るの暴行を加えたのである。
しかし、リリィの気は全く晴れなかった。
当たり前だ。リリィがしているのは、ただの八つ当たり。いくら他人に苛立ちをぶつけたところで、リリィの悩みが解決する訳がない。
むしろ、苛立ちを解消するために殴れば殴るほど、蹴りを入れれば入れるほど、リリィはよりいっそう自己嫌悪に
しかも不可解なことに、いくらリリィが隔絶した実力差を見せつけ、全身あざだらけになるまで暴力を振るおうと、魔族達は一向に諦めずに立ち向かってくる。
ケンカをふっかけて来たのは向こうのはずなのに、これではまるで自分が悪役のようだ。それがまた、余計に腹立たしい。
(……もう、いいや)
ストレスを解消するつもりが、完全に逆効果になっていることに、いい加減うんざりしたリリィは、この無意味で非生産的な行動を切り上げることに決めた。
殺すつもりはない。精気を吸いつくして気絶させた後、魔術で記憶を操作してリリィ達のことを忘れてもらう。
リリィは深い疲労感を感じさせる眼で魔族達を
……ぐらり
(……あれ?)
足がもつれて、地面に手をつく。立ち上がろうとするが、足にうまく力が入らない。
(今頃になって、酔いが……?)
舌打ちをしたい衝動に
足の代わりに翼を動かして体勢を整えようとするも、こちらもうまく動かせず、浮かぶことができない。
「ようやく……ようやく効いてきやがったか……!」
目の前に横たわる魔族が吐き捨てるように
“まさか、酔いがまわるのを待っていたのだろうか?”……リリィがそう考えていると、魔族は
うまく魔力が
――グニャリ
(!?)
強烈な
同時に身体がカッと熱くなって発汗し、
前世の思い出を持たないリリィには分からないことだが、それは泥酔した状態と非常に
(うにぃ〜……、これぇー……
浄化魔術で解毒しようとするも、簡単な障壁すら張れないほど魔力がうまく練れない状態で、魔術を使うことなどできるわけがない。
……いや、それ以前に魔術を行使できる精神状態ではない。
その証拠に、窮地に
すぐに
「クソがっ! 『地面に
「『魔力が大き過ぎる相手だと、効きにくいかもしれない』とも言ってただろうが……ご主人様とまともにやりあえんだ。効きにくくて当然だろう」
先程までリリィに蹴りをくらっていた魔族が
リリィに殴られると同時に少しずつ
その
そして、人外の
バアンッ!
リリィが
岩壁に大きくヒビが入り、砕けた小さな岩々と共にリリィが地面にドサリと落ちる。
「えへへぇ〜……
しかし、リリィは何の
その様子を見て、魔族達が表情を苦々しく歪めた。あまりに彼我の実力が離れすぎていてダメージが与えられないのだ。
「目に直接爪をぶっ刺すか?」「いや、口を開けさせて全力で魔術をぶち込んだ方が……」と物騒な相談をする仲間たちを尻目に、リーダーらしき単眼の魔族が言う。
「おい、お前ら。アイツの手足押さえろ」
単眼の魔族の発言にピンときたその他のメンバーは、素早くその指示に従う。
「ふぇ?」
突然両手足を押さえられたリリィは、魔族達が何をしようとしているのか分からず、ぼーっとした目に疑問の色を浮かべる。
単眼の魔族はリリィのキャミソールドレスの胸元に手をかけて引き裂こうするが、リリィの強大な魔力で編まれたドレスのあまりの強度に裂くことができず、数秒悪戦苦闘した後で、しかたなく下からずり上げて脱がしにかかる。
そこまで来て、ようやくリリィは“自分が何をされようとしているのか”を理解した。
「やめ
力はこもっていないものの、明確に嫌悪感が感じられる声。
それに気を良くした魔族達は、リリィを裸にしようと張り切るが、
「うおっ!?」
「こいつ! なんつー馬鹿力してやがる!?」
リリィに抵抗され、うまく脱がすことができない。
薬でほとんど力を封じられているはずなのに、手足1本ずつにそれぞれ1人が全身でガッシリ組みついて、ようやく動きを抑えることができるという信じられない
胴を
女性としての本能が
“犯されたくない”という単純な思いだけではない。
“魔力をうまく練れない”ということは“性魔術が使えない”ということと同義。
そしてそれは、“犯そうとする相手の精気を奪って抵抗することができない”というだけでなく、“避妊ができない”ということも意味するからだ。
魔族達は必死の思いでなんとかリリィの動きを封じ込め、ドレスをずり上げた状態で固定することに成功する。
未成熟な胸がさらけ出され、下着が丸見えになった状態に、リリィは酔って赤くなっていた顔をさらに真っ赤にさせる。
単眼の魔族がリリィの下着に手をかけると、リリィは恥ずかしさのあまりギュッと目をつぶった。
その時――
バアンッ!!
先のリリィが吹き飛ばされた光景を繰り返し見ているかのように、単眼の魔族が岩壁に叩きつけられた。
「ガッ!?」
「グッ!?」
「はっ!?」
「へぶっ!?」
そしてリリィの動きを封じていた4人の魔族達が次々と殴られ、叩きつけられ、吹き飛ばされてゆく。
彼らはリリィの動きを封じることに必死になるあまり、気づかなかった。……すぐ傍にまで、何者かが近寄っていることに。
自由になったリリィは急いで服を直し、上体を起こしながら自分を助けてくれた恩人を見上げた。
そこにいたのは、リウラでもヴィアでもない。
リリィの知る誰でもなかった。
……しかし、つい最近見たことのある姿。
2メートル近い長身に隆々と盛り上がった筋肉、それを相撲取りのように脂肪で
緑色の体表を惜しげもなく晒し、身に
――そして何よりも特徴的な、
***
村一番のオーク族の戦士、ベリークは旅をしている。
旅の目的は、“嫁探し”。
オーク族は種族を問わず女性に人気がない。
その見目の悪さだけでなく、獣のように三大欲求に忠実であるところや、後先考えない頭の悪さが原因だ。
その性質から無理やり女性を
それはベリークの村も例外ではなく、彼の村に居る女性で心からオーク族の男性を慕っている女性は、ほぼ皆無である。
しかし、ベリークは思った。
――村で最強の戦士である自分がモテないはずがない
――村の外に出て、この力を見せつけ続けていれば、いずれ美人で心から自分に惚れる女性が現れるに違いない……と
……しかし、現実は厳しい。
1年近く旅を続け、その腕っぷしで賞金稼ぎを繰り返し、そこそこ名が知られるようになったものの、自分に惚れる女性はついぞ現れなかった。
笑顔で
そんなことを繰り返しているうちに、ようやく頭の悪いベリークでも“腕力だけで女性を魅了することはできない”と気づいたが、“そこからどうすれば良いか”が分からなかった。
ベリークが求めているのは“心から自分に惚れてくれる”女性だ。だから腕力で女性を無理やり
だが、腕力以外にとりえがなく、頭を使うことが苦手なベリークには“どうすれば女性が自分に惚れてくれるか”が分からない。
ベリークはここ数日悩んでは酒を飲み、悩んでは外に頭を冷やしに行き、といった行動を繰り返していた。
そんなある日の夜、いつものように悩み、いつものように頭を冷やしに外を散歩していたところで、ベリークの
(急に気配が……?)
まるで気配を
その特殊な状況から、明らかに厄介ごとの匂いがプンプンする。
しかし、いいかげん嫁のことで頭を使うことに疲れてきていたベリークは“まあトラブルになっても、自分なら大丈夫だろう。むしろ、久々に身体が動かせていい”と考え、興味本位で気配へと足を向けた。
そして
魔族が5人がかりで、1人の幼い少女を犯そうとしていた。
興奮しているのか、皆、血走った眼で汗をかきながら必死で少女を抑え込み、彼女の服を脱がそうとしている。
それを見てベリークは思った。
――なんて、みっともない
嫌がる女性――それも10かそこらの少女に対し、5人もの成人男性が襲いかかる光景は、あまりにも醜悪。
ベリークの村にも女性を
飢えた狼のように
だから、ベリークはあまりにも不愉快なその光景をぶち壊した。
少女に群がる魔族達を
魔族全員を少女から引き離したベリークは、吹き飛んだ魔族達から視線を外さないまま、かたわらにいるであろう少女に尋ねる。
「大丈夫か?」
……返事はない。
“まあ、自分が気にすることではない”、と魔族達を追い払うことに集中しようとしたところで、右足に違和感を感じた。
ベリークが右足に視線をやると、助けた少女が女の子
あらためて見れば、かなりの美少女だ。
雪のように白く
このまま少女が張りついていては戦えないため、少女に足から離れるように言おうとすると、少女はベリークの右足をギュッと抱きしめて言った。
「助け
少女がベリークに向けた笑顔、それを見た途端、ベリークの頭の中は真っ白になった。
その笑顔には何の含みもなかった。
純粋に感謝の想いだけが込められていた。
――美しい
――笑顔とは、こんなに美しいものだったのか
ベリークは知らない。
少女――リリィは本来、非常に警戒心が強く、腹の中で色々考えるタイプであり、純粋な笑顔を向けるのは、本当に心を許した者だけであることを。
今、リリィがベリークにそれを向けているのは、薬の影響で
リリィは、もともと恩義に厚い。自分が受けた恩に対してはきっちり感謝し、恩を返す傾向があるのだ。薬によって警戒心が奪われれば、それが前面に出てくる。
だから、今のリリィは、初対面であるにもかかわらず、なんの裏表もなく、感謝を、好意を、ベリークに向けることができるのだ。
――幼いとはいえ、美少女が全身で好意を示してくれている
それはベリークにとって、初めての経験であった。
年齢を問わず、彼が今まで出会った女性達でベリークに純粋な好意を示してくれる者はいなかった。
金に釣られて笑顔を見せてくれる女性はまだ良い方で、大半は嫌悪感を示したり、嘲笑ったり、あるいは無視した。
それはベリークが悪い訳ではなく、種族に対する偏見が大きかったが、それでもベリークが傷つくことに変わりはなかった。
ベリークは“この少女が幻ではないか”と、恐る恐る彼女の頭に手を伸ばす。
そして、ゆっくりと頭を
その笑顔を見て、先程までは何の反応も見せなかったベリークの胸が、大きく高鳴った。
「……おい、何すんだテメェ……!」
感動に水を差され、少々不機嫌になりながら、声の方向へベリークは視線を向ける。
気絶する勢いで殴ったはずだが、存外頑丈だったようだ。
「……少し、離れていろ」
自分で自分の声に驚いた。
“自分はこんなにも優しい声が出せたのか”、と。
ベリークに言われてコクンと頷いた少女は、うまく歩けないのか、ズルズルと膝を
気配がある程度離れたところで、ベリークは
ベリークの身体から、光り輝く闘気が噴出する。
ベリークが村で最強の戦士になれた、最大の理由がこれだ。彼には闘気を操る才能があり、粗削りながらも、それを自由自在に扱うことができた。
その力強さは歴然で、彼の闘気を見たリリィは目を丸くし、魔族達は怯み
その後の展開は一方的だった。
ベリークの拳にボコボコにされた魔族達は、ひとたまりもなく退散したのである。
***
「どう? 何か分かった?」
「……数年前に出た睡魔対策用の香水ですね。おそらく、この迷宮で過去にコレを取り扱っていたのは“
リリィが襲われた場所に落ちていた瓶――ヴィアが見つけ、拾ってきたそれを見て、リシアンは事もなげにその薬の正体を見破る。
あの後、ヴィア達と合流し、水の貴婦人亭へと戻ってきたリリィ達。
ベリークから事情を聞き、『お礼がしたい』というリリィの意思を尊重したヴィアは、ベリークを水の貴婦人亭に誘い、好きなだけ呑み食いさせることにした。お代は、もちろんリリィ持ちである。
どうやらベリークはリリィに気があるらしく、先程からほとんどリリィとばかり話している。
恩人であるためか、リリィも
まあ、それはそれでヴィアにとっては好都合だ。
「市場に出回り始めてから数ヶ月で販売禁止になりましたから、ウチがこれを売った顧客を絞ることは可能でしょう。……その人物を探し出せるかはわかりませんが」
「販売禁止?」
「この香水を作った職人の助手が
大体どういうことが起こったかを察し、ヴィアの
睡魔族は、みな総じて美人でグラマラスであり、彼女達との性行為は、他の種族では得られない極上の快楽を得られる。
それらの種族的特徴は、彼女達が“性行為による精気吸収”を主食とするために得たものだ。
だが、だからといって“誰でも簡単に彼女達と行為に及べるか?”といえば、それがそうでもない。
彼女達、睡魔族にとって、“性行為”とは“食事”であると同時に“愛を確かめる行為”でもある。
そして、そのどちらに比重が傾いているかは、個人の価値観によって大きく変わるのだ。
リリィのように後者に大きく傾いている者は、自分が愛する者以外との行為に及ぶことは、まず無い。仮に精気を奪う必要があっても、性行為ではなく、
これは原作のリリィも全く同じで、魔王からの命令でなければ、魔王以外との性行為に及ぶことはなかった。
リウラやヴィア相手の性魔術は、あくまでパワーアップする必要に
逆に前者に大きく傾いている者は、性行為の相手を“食料”としか見ていない。つまり、性行為に及べば、その相手は精気を吸い尽くされて死ぬ確率が非常に高いのだ。
本来は、そういった睡魔から襲われないようにするための魔法具なのだろうが……合意なく
その発想に至った男どもの醜い欲望を思うと、そのおぞましさに、ヴィアは軽い吐き気を覚えた。
「そう……解毒薬は?」
「存在しますが、原産地……大陸南方にある
「お願い」
出回っている総数が少ないとはいえ、もし万が一同じ薬を持つ敵と出会ってしまえば、リリィという最大の戦力が唯の足手まといに成り下がる。それはヴィア達にとって、あまりに痛い。解毒薬は念のために確保しておくべきだろう。
「ベリークさ〜ん、呑むペースが落ちてますよ〜……ほら、こっちのお酒なんてどうです? さくらんぼのお酒ですよ〜」
「おお、それもうまそうだな……おっと」
うわばみリリィのペースにつき合わされ、ベリークの手元が怪しくなり始めた。
ベリークが酒に弱い訳ではない。リリィが強すぎるのだ。
流石にこのままではまずい、と感じたヴィアがストップをかける。
「え~と、ベリークさんでしたっけ? 宿はとってるんですか? そろそろ戻らないと、この
「む……」
最近悩みに悩みまくったせいで、少しだけ回転が良くなった頭でベリークは考える。
酔い潰されること自体は問題ない。ここに泊まってしまえば良いだけだし、これ以上酔いたくなければ呑まなければ良いだけの話だ。
そんなことよりも、ベリークにとってはリリィとの会話を続けたい欲求の方がずっとずっと強かった。
無邪気で、
だが、リリィは見ての通りの
いくら睡魔族が夜の種族だとはいえ、今の時間は本来ならば夢の中にいなければならないはずだ。
ならば、ここはいったん自分の宿に帰って、また翌日出直したほうが良いだろう。
それに、別に酒を
「……そうだな、俺もそろそろ自分の宿に戻るとするか」
「あ、じゃあ、私、送ります~! ヴィア、いっしょに来て!」
無邪気な笑顔のリリィが元気に手を上げて宣言すると、ベリークはポンとリリィの頭に右手を乗せて首を横に振った。
「気持ちは嬉しいが、この時間は危ない。俺は大丈夫だから、今日は早く寝ろ」
「でも……いっぱいお酒飲んじゃって危ないですよ?」
リリィが心配そうな顔をすると、ベリークは嬉しそうに笑った。
当然だ。もともとが嫌悪されやすい種族である上に、高い武力を持つベリークを心配する者は老若男女を問わず、ほぼ皆無だ。
だから、ただ心配して、気にかけてくれるだけでも嬉しいのに、それをしてくれるのが自分が惚れた相手……しかも美少女とくれば嬉しくならないはずがない。
もっと身長と胸があれば言うことはないのだが、今まで出会った女が女であったので、不満などひとかけらもなかった。
「大丈夫だ。俺の強さはリリィも知っているだろう?」
そう言うと、リリィは心配そうな顔を崩しはしないものの、コクリと頷く。
ベリークは、そんな彼女の頭を優しく
***
バタン……と宿の扉が閉じる。
扉の方に視線を向けたままのリリィに向かって、壁に背をもたせかけて腕を組んだヴィアは声をかけた。
「……で?
リリィは扉から視線を外さないまま言った。
「……いつから気づいてたの?」
先程の
「ここに帰って来てからよ。……アンタ、最初は
「……」
リリィは無言のままヴィアに背を向け続ける。
そんなリリィの様子を見て、ヴィアは
「私はリウラやリューと違って、別に“アンタの悩みがどう”とかわざわざ
リリィは拳を握り締めて、唇を噛む。耳が痛い。
ヴィアには完全に見透かされていた。
幾人もの命を手にかけ、姉を人殺しにしようとして……その他いくつもの罪状を抱えていることを知らず、見た目通りの“
まるで、自分が本当に何の
しかし、それはあくまでも現実逃避に
それは、つまるところ“リリィのストレス発散のためだけに、ベリークの気持ちを利用した”ともいえる。
こうして自分のためだけに他人を利用したことで、またリリィの心に自己嫌悪という名の
……ヴィアはこう言っているのだ、『その負の連鎖を断ち切りたいなら、さっさと話してしまえ』、と。
肩を震わせながら黙り続けるリリィに、ヴィアは思う。
(……いったい何してんのよ、リウラ。こういうのは、アンタの役割でしょうが……)
ヴィア達が宿に帰ってきたとき、リウラは既にリューナを
いったい何の話をしているのかは分からないが、どうやらもうしばらく、この面倒くさいご主人様のカウンセリングを続けなければならないらしい。……ヴィアは顔には出さずにうんざりした。
――ピクリ
リリィの猫耳が動き、まとう雰囲気が戦闘時のそれに塗り替わる。
「……ヴィア、ついて来て」
「? いったいどうしたってのよ? 別に殺気もヤバそうな気配も感じないけど?」
少なくとも宿の周辺、半径50メートル以内には、それらしきものを感じない。
「もっと先、私から見て前方300メートルくらい。ベリークさんの気配を追って」
そこで、ようやく何が起こっているかを悟った。
ベリークの気配の周りに多数の気配。その気配の質からしておそらくは魔族の集団。うち1つは明らかにベリークよりも気配が大きい。
どうやら、ベリークに殴り飛ばされた奴らが仲間を引き連れてお礼参りに来たらしい。つい数時間前のことだというのに、ずいぶんと仕事が早いことだ。
「早く行くよ。ベリークさんが危ない」
「……」
ヴィアはガシガシと頭を
「アンタ、ついさっきどんな目にあったか、もう忘れたの? 私が行っとくから、アンタはサッサと寝てなさ……」
――バタン
「……」
ヴィアの小言を聞き流し、サッサと出て行くリリィ。
悩みによってリリィの心情が荒れに荒れていることが原因だろうし、それをヴィアも理解してはいるのだが……おざなりとはいえ、自分が心配して言った言葉を聞き流すどころか、扉を閉める音で
「……ああっ、もうっ!」
腹立たしくも後を追わないわけにはいかず、怒りのあまりドスドス大きな足音を立ててヴィアも宿を出て行こうとする――
ギュッ!
「リ、リシアン?」
――直前、リシアンが背後からヴィアの腰に抱きついた
「ヴィー、落ち着いて」
そう言いながらヴィアを見上げるリシアンの瞳に心配の色を見て、ヴィアは
途端、自分の心のざわつきを感じ取った。どうやら自分の心が乱れていることにも気づかないくらい苛立っていたらしい。
「……うん、もう大丈夫よ。ありがとうリシアン」
「……どういたしまして。気をつけてね」
「うん」
リシアンがスッとヴィアの首に手をかけ、背伸びして彼女の頬に唇を落とすと、ヴィアは顔を真っ赤にしつつ嬉しそうに
彼女が去った後も扉を見つめていたリシアンが、背後から自分に近づく足音を聞き取る。
体重の軽そうな足音から女性だと推測し、複数の足音からそれがリューナ達だと悟ると、リシアンは振り返りつつ、ヴィアへの助っ人を依頼しようとする。
「姉さん、お願い……が……」
リシアンの声が止まる。
その理由は、リシアンの瞳に映る、姉と
――いつもの明るさはどこに行ったのか……終始