水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第四章 美少女とオーク 前編

「◆ー%ー&ー#¥~、スティルヴァ~レ~▲□÷、◎~$*~、×ー#~%~、@+■$~●~∞~∀~♪」

 

 夜も()けて酒場と化した水の貴婦人亭の1階に、少女の陽気な歌声が響く。

 金髪猫耳の美少女が、頬をほんのりと赤く染めて、ニコニコと笑いながら歌うその様子は、とても微笑(ほほえ)ましい。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ね、ねえ……リリィ?」

 

「ん? な~に、お姉ちゃん?」

 

「その……良ければ、リリィが悩んでること……お姉ちゃんに相談してみない?」

 

「悩んでること~? そんなの無いよ~」

 

 リリィの右隣から心配そうに問いかける姉に、『悩みなど無い』と酔っぱらい特有のヘラヘラとした笑顔で断言するリリィ。

 酒を飲む直前まで、真っ青を通り越して真っ白な顔色をしていたのだから、悩みが無いはずがないのだが……

 

(ヴィ~ア~さ~~~ん?)

 

 話が違う、と恨めし気な眼で、自分の右隣に(すわ)るヴィアを、リウラは見つめる。

 リリィの歌を聞いて何故か呆けていたヴィアは、その視線とささやき声を受けてハッと気づき、ばつが悪そうな顔をする。

 

 リウラがリリィに謝っている最中に、突然リリィは顔色を失った。

 

 いくら呼びかけても反応せず、虚ろな目で時折なにごとかをブツブツと(つぶや)くばかり。

 ひっ叩こうが、鼻をつまもうが、くすぐろうが、リウラがほっぺにチューしようが全く反応しないリリィに、事態を重く見たヴィアはある物を持ってきた。

 

 ――ヴィア秘蔵のマタタビ酒である

 

 気つけ薬、という意味もあるが、ヴィアの狙いはもうひとつある。

 

 リリィのように猫耳を生やしたタイプの睡魔族(すいまぞく)は、猫獣人と同様にマタタビで酔っぱらう性質を持っている。

 そのマタタビを原料に作られた酒を飲ませれば、リリィが酔っぱらうことは必至。

 

 酔わせることでリリィの口を軽くし、強制的に悩みの内容を聞き出そうと、ヴィアは酒瓶の口をリリィの口に突っ込んで、リリィの頭ごと瓶を逆さまにしたのである。

 

 その結果がこれ。

 

 酔ったリリィは、まるで悩みがなくなったかのように陽気になり、歌を歌いながらカッパカッパと酒瓶を空けてゆく。

 悩みを“一時的に忘れている”のか、それとも“気にしなくなっている”のかは分からないが、このままでは酒が切れたら、また元の状態に逆戻りである。

 

(……リリィの意識がまだしっかりしているから、()()()()()()()()()可能性もあるわ。もっと酔わせてから、もう1回()いてみましょう)

 

(ラジャ―)

 

 ぼそぼそとお互いの耳元で、ヴィアとリウラはやり取りする。

 しっかり丸々1本、ヴィアの秘蔵酒を空けてくれた上に、度数の高い酒を次から次へと空けているにもかかわらず、リリィの呂律(ろれつ)も手元もしっかりしている。信じがたいことだが、いまだ酔いが浅い可能性が高い。

 

「……ずいぶん変わった言語ですのね……いったい、どこの言葉ですの……?」

 

「東方の言葉に響きが似ているけど、僕も聞いたことがないよ……“真実の剣(スティルヴァーレ)”って単語が聞こえたから、たぶん“神殺(かみごろ)し”にまつわる歌だとは思うんだけど……」

 

 リリィが歌う歌は、エルフ姉弟が聞いたことのない独特の言語で歌われていた。

 特にリシアンは商売の都合上、ラウルバーシュ大陸で使われている主要な言語のほとんどをある程度話すことができるにもかかわらず、リリィの歌の内容が全く聞き取れなかった。

 

 ――それもそのはず。彼女は、前世の母国語である()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界でもかつては日本語が存在したが、それは1万年以上前……この世界、二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)が未だ2つの世界に分かれており、それぞれイアス=ステリナ、ネイ=ステリナと呼ばれていた時代の話だ。

 そんな超古代言語を、言語学者でもない2人が理解できようはずもない。

 

「そうなの? リリィ」

 

「そうだよ〜。“神殺し”セリカ・シルフィルの歌〜」

 

 リリィが歌っている歌は、イアス=ステリナの女神であるアストライアを殺し、その肉体を奪ったとされる人間族の男性――セリカ・シルフィルを主人公とする物語(ゲーム)の歌だ。

 

 真実の剣(スティルヴァーレ)とは、セリカが(くだん)の女神を殺す際に振るったとされる、ネイ=ステリナの嵐神バリハルトから授かった神剣の名である。

 彼の物語は、リリィのそれと世界観を同じくするものの、リリィが生まれる何百年も前から続いているため、その名前はかなり広く知られている。

 

 “神殺し”という初めて聞く単語に興味を持ったリウラは、その人物について教えてもらおうと続けて質問する。

 

「ねえ、その“神殺し”って……」

 

 「――どんな人なの?」と()こうとしたところで、ピタリとリウラの口が止まる。

 

 自身の身体にかかる見えない圧力。ドス黒くて、絶えずリウラの身を(おびや)かそうとするそれは、ここ数日で強制的に慣らされてしまったものであった。

 

 ――殺気

 

 見れば、リシアンを除き、テーブルについている全員の眼が鋭くなっている。

 酒をかっ喰らっていたリリィも、完全に戦闘モードだ。

 

 殺気の出処(でどころ)にリウラ達が視線をやる前に、発生源そのものがリウラ達に向かってやって来た。

 

「おい、そこの睡魔のガキ。ちょっとツラ貸しな」

 

 声をかけて来た相手は、下級魔族。数は全部で5人。

 全員人型だが、眼が1つしかなかったり、全身が真っ黒だったり、羊のような角が生えてたりしていて、なかなかに個性的だ。中には、手が5本ある奴までいる。

 

「何よ、アンタ達。ここがどこだか、わかって言ってんでしょうね?」

 

 ヴィアがドスの()いた声で言うと、水の貴婦人亭の従業員達が一斉に殺気を魔族達に叩きつける。

 魔族達が放つ殺気よりも強烈なそれを受けて、魔族達はわずかに怯む。

 

(あ、この人達、ぜんぜん大したことないや)

 

 リウラの警戒が少し緩む。

 

 アルカーファミリーの殺気は確かに強烈だが、その度合いはブリジットやオクタヴィアが放つものよりも遥かに下。この程度で怯むようであれば、その実力はしれている。店員さんにまかせてつまみ出してもらえば良いだろう。

 今、リウラ達はリリィの心のケアに忙しいのだ。……リウラがそう思った矢先、リリィが口を開いた。

 

「良いよ。どこでやる?」

 

「……ちょっと、リリィ」

 

「今はやめた方が良いですの。お酒で感覚が麻痺しちゃって分からないかもしれないけど、リリィは今とても消耗していますの。……お店の人にまかせた方が良いですの。いや、ホントに」

 

 ヴィアとリューナが難色を示す。

 特につい最近、酒で失敗してしまったリューナの台詞には重い実感が込められており、真剣にリリィを止めようとしていることが(うかが)われる……が、リリィはどこ吹く風。

 

「大丈夫だよ。この程度の相手だったら、利き手使わなくたって勝てる。すぐ戻るから待ってて」

 

 そんなリリィの言葉を聞いて、額に青筋を立てて怒りを(つの)らせる魔族達。

 だが、ここで()めごとを起こすつもりはないのか、何も言わずにリリィを連れてさっさと店を出て行った。

 

「……あのバカ、ま~だ()りてねえのか……」

 

 ブランが呆れた声を出す。

 以前、その傲慢さから姉の財布をスられて痛い目を見たにもかかわらず、もう喉元を過ぎて熱さを忘れてしまったらしい。

 この調子だと、もうしばらく天狗になったリリィの鼻をポキポキ折ってやる必要がありそうだ。

 

 リウラが心配して「私も行く!」と席を立とうとするが、ヴィアが「私が行くから、アンタ達は(すわ)っときなさい」と着席を促し、自分は席を立ってポーチや短剣(ダガー)といった装備を身につける。

 

 リリィとヴィアが結んだ使い魔契約は、魔王とリリィの間で結ばれたものを疑似的に再現したもの……つまり、リリィが死ぬ、もしくは死にかけると、使い魔であるヴィアにフィードバックが行くという、シャレにならない副作用がある。

 

 あくまで疑似的なものであるため、フィードバックの割合は本来の契約に比べると遥かに小さく、リリィがオクタヴィアに斬られてもヴィアに影響が出なかった程度のものであるが、リリィがそれ以上のダメージを受けてしまえば、その(かぎ)りではない。

 自分の目でリリィの安全を確かめておかないと、ヴィアが安心できる訳がなかった。

 

 ちなみに、リリィがオクタヴィアに斬られた際、慌てて飛び込んで必死にオクタヴィアの追撃を防いだのも、半分はこれが理由である。

 

「お嬢! 危険ですから、追いかけるのはやめてください! お嬢の疲労も半端じゃないはずです!」

 

 そう言って声をかけてきたのは、濃い青髪の狼犬人(クーヴォルフ)の店員。

 狼獣人(ヴェアヴォルフ)であるヴォルクのような狼そのものの頭部とは異なり、こちらは人間族に狼の耳をつけたような容貌(ようぼう)をしている。

 スラリとした高い身長に引き締まった肉体、整った顔を持つ、ヴィアと同年代の美青年だ。

 

 だが、そんなイケメンの幼馴染に心配されても欠片も嬉しそうな様子を見せず、ヴィアは気だるげな様子で青年に目を向けながら、投げやりに言う。

 

「んじゃ、アンタもついてきなさい。護衛料は後で払うわ」

 

「そんな! 金なんて要りません! 全身全霊をもってお嬢を護らせていただきます!」

 

「そ。あんがと」

 

「ウィン、減給3ヶ月だ」

 

 ヴィアについていくため給仕の仕事をほっぽり出した青年――ウィンにブランが減給を通告するが、ウィンに気落ちした様子はない。それどころか、ヴィアの役に立てることを心の底から喜んでいるようである。

 

 ヴィアの元に向かう途中、ウィンはテーブルについているリシアンに笑顔を向ける。

 その妙に優越感たっぷりの笑顔は明確にこう言っていた。

 

 

 ――“お前のような貧弱なガキには、こんな風にヴィアを護れないだろう?”、と

 

 

 その笑顔を見て、リシアンはムッとする。

 

 自分がアルカーファミリーの一部から良く思われていないことは理解している。

 “ボスの一人娘をたらしこんだだけでなく、貢がせて奴隷の立場から解放してもらった情けない奴”と思われていることも、“そのためにヴィアが危険を(おか)すハメになった”と思われていることも。

 

 それについては非常に申し訳なく思うが、それとは無関係なところでまで馬鹿にされる(いわ)れなどない。

 ましてや、いまだ幼くともリシアンも男であり、ヴィアを愛する想いは誰にも負けない自負がある。ここで退()いては男が(すた)るというものだ。

 

 リシアンは(つと)めて穏やかに、そして余裕に溢れる笑顔で口を開いた。

 

()()()、ちょっと来てください」

 

 玄関へ向かっていたヴィアの足がピタリと止まり、バッと勢いよく振り返る。

 リシアンを見つめるその瞳は“信じられない”と言わんばかりに大きく開いていた。

 

「リシアン……今、私の愛称……」

 

()()()、こっちに来て?」

 

「は、はい!」

 

 ふらふらと蜜に誘われる蝶のようにリシアンへと向かうヴィア。

 その瞳には動揺と、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。

 

「ど、どうしたの……? リシア……ッ!?」

 

 そばに寄ってきたヴィアの手首を(つか)み、グイと引いて無理やり上体を引き寄せる。

 敵意が一切感じられず、ましてや自分が好意を抱いている相手に対し、とっさに抵抗できるわけもない。自分よりも何倍も非力な少年に、ヴィアは軽々と引き寄せられる。

 

 

 ――そして、そのまま……ヴィアの唇はリシアンの唇によって(ふさ)がれた

 

 

 数秒か、あるいは数十秒か……時が止まったように全ての者が動きを止めた酒場で、ゆっくりとリシアンが唇を離す。

 無音となった酒場に、リシアンの落ち着いたボーイソプラノが響いた。

 

「幸運のおまじないです。……気をつけて行ってきてください、ヴィー」

 

「……ふぁ……ふぁい……、いってきまひゅう~~……♥」

 

 王子様のように甘いスマイルで微笑(ほほえ)みかけられたヴィアは、もうメロメロだった。

 

 トロンととろけた眼には目の前の愛しい少年の美しい笑顔しか映らず、初めてのキス(ヴィアの中で同性相手はノーカン)、それも“想い人の方からしてくれた”という多幸感(たこうかん)に、呂律(ろれつ)が回らないほどの陶酔(とうすい)状態に(おちい)っている。

 

 ヴィアは瞳にハートマークを浮かべて、桃色のオーラを振りまきながら、ふらふらと出口へ向かう。

 その後を、死んだ魚のような眼をしたウィンがふらふらと追っていった。どうやら自分の想像以上にヴィアが心とらわれていたことに、はかり知れないショックを受けたらしい。

 ……リリィの様子を見に行かせるには、あまりに頼りない2人組だ。

 

「わ、私もリリィさんの様子を見に行ってきます!」

 

 アイもそう感じたらしく、慌てて2人の後を追う。

 

 後にはクスクス笑うリューナと、ほっぺに両手をあてて(もだ)えつつ「良いな~! 彼氏って良いな~!」と(うらや)ましがるリウラ、そして余裕があるように見せつつも耳まで顔を真っ赤にしているために、ドキドキしていることが全く隠せていない可愛らしいエルフの少年が残されていた。

 

「オメー、よくもまあ父親(この俺)の前で(アイツ)口説(くど)けたもんだなぁ」

 

 呆れた口調でブランがリシアンに話しかける。

 口元は笑っているが、眼は全く笑っておらず、しかも闘気を放って威圧しているため、迫力が尋常ではない。

 

 その証拠に、水の貴婦人亭の従業員たちは、皆そろって顔を青ざめさせている。

 オクタヴィアに迫るかもしれない凄まじい威圧感だが、リシアンはそれを柳に風と受け流す。顔の赤みは引いているが青ざめてはいない。

 リシアンはブランに笑顔を向けて、堂々(どうどう)と言い放った。

 

「その程度の度胸がなければ、ヴィアを(めと)ることなどできないでしょう?」

 

 一瞬、キョトンとしたブランは、一拍(いっぱく)おいて大爆笑した。

 

「だっはっはっ! (ちげ)ぇねえっ! だっはっはっはっはっ!!!」

 

 リシアンの度胸は本物だ。

 本人に大した戦闘力がないにもかかわらず、闘気を放つブランに対して一切震えず啖呵(たんか)を切れるなど常軌を(いっ)している。

 利益のためならばどんな相手とも……自分よりも何倍も強く、粗暴な相手であろうと取引する“ラギールの店”の支店長を任されるだけのことはある。

 

 そして支店長を任されるには、度胸だけでなく商才も必要だ。

 卓越した経済力があれば、例え本人に戦闘力がなくとも、ヴィアを護る力を金で手に入れることができるだろう。

 現時点では少し物足りないが、将来的にはヴィアを幸せにするだけの力を、この少年は手に入れるはずだ。

 

「……リシアン、と言ったか……」

 

「リシアンサス・シャハブレットと申します」

 

 笑みを消して真剣な眼をしたブランに(こた)えるように、リシアンも真剣な眼でブランに向き合う。

 

 

 ――そして、ブランは腹の底から絞り出すようにしてその言葉を(ひね)りだした

 

 

「……アイツを泣かせたら、タダじゃおかねえぞ」

 

「ッ!!」

 

 それは事実上、リシアンとヴィアの婚姻を認める言葉だった。

 

 いまだ下の毛も生えそろっていないような幼い少年に、大切な一人娘の人生を預けるその決断に、いったいどれほどの想いが込められているのだろうか。……親となったことのない今のリシアンには決して分からないだろう。

 

「はい。必ず彼女を幸せにします」

 

 彼にできるのは、自らの全てを懸けてその想いに(こた)えることだけだった。

 

 

***

 

 

「どうしたの? 私に一泡(ひとあわ)吹かせるんじゃなかったの?」

 

 ドスッ!

 

「グッ!」

 

 横たわる下級魔族の腹にリリィが蹴りを入れる。

 

 街から少し離れた迷宮の一角。

 ゴツゴツとした岩がそこかしこに転がる荒れ地のような広場に、5人の下級魔族が横たわっていた。

 

 リリィと彼らの間には隔絶した実力差があるにもかかわらず、魔族達は全員生きているだけでなく、余力が充分にある。

 その証拠に、リリィに蹴られている1人を除いた全員が身を起こし、リリィを(にら)みつけながら戦闘態勢を取り直していた。

 

 ――当然だ。リリィが()()()()()()()()()()()

 

 リリィは苛立っていた。

 前世の自分が思い出せないストレスと、姉に人殺しをさせようとした事を初めとする、数々の罪悪感がリリィを絶えず(さいな)んでいたためだ。

 

 ヴィアに飲まされた酒で一時的に正気に戻ったリリィは、この苛立ちを誤魔化すために酒に溺れた。

 

 ……いや、正確には()()()()()()()

 

 魔王に(つく)られたこの身体が酒に強い体質だったのか、はたまたリリィにかかるストレスが多少の酔いなど()ます程に強かったのか、リリィはほとんど酔うことができないでいた。

 

 いくら飲んでも酔えない。酔って、酔って、酔って、酔いつぶれて眠ってしまいたいのに、一向に酩酊(めいてい)する(きざ)しがない。

 酔ったふりをすることで、のらりくらりとリウラ達の質問を(かわ)し、リリィはただ酔うためだけに、好きでもないアルコールをひたすら喉に流し込み続けていた。

 

 そんなところへ、都合よく“ぶちのめしても罪悪感が湧きにくそうな奴ら”が現れた。

 それを見て、リリィは思った。

 

 ――ちょうどいい。こいつらを使って、私の()さを晴らさせてもらおう

 

 その思考が多分に悪魔的であることは理解していたが、それでも止まれないほどにリリィの精神はまいっていた。

 

 下級魔族達にひと気のない所まで連れて来られたリリィは、自分でも気配を探って、近くに人が居ないことを確認すると、結界を張って彼らの逃げ場をなくし、死なない程度に加減して、魔族達へ殴る蹴るの暴行を加えたのである。

 

 しかし、リリィの気は全く晴れなかった。

 

 当たり前だ。リリィがしているのは、ただの八つ当たり。いくら他人に苛立ちをぶつけたところで、リリィの悩みが解決する訳がない。

 むしろ、苛立ちを解消するために殴れば殴るほど、蹴りを入れれば入れるほど、リリィはよりいっそう自己嫌悪に(おちい)り、さらに苛立ちが増すという悪循環にはまっていた。

 

 しかも不可解なことに、いくらリリィが隔絶した実力差を見せつけ、全身あざだらけになるまで暴力を振るおうと、魔族達は一向に諦めずに立ち向かってくる。

 ケンカをふっかけて来たのは向こうのはずなのに、これではまるで自分が悪役のようだ。それがまた、余計に腹立たしい。

 

(……もう、いいや)

 

 ストレスを解消するつもりが、完全に逆効果になっていることに、いい加減うんざりしたリリィは、この無意味で非生産的な行動を切り上げることに決めた。

 

 殺すつもりはない。精気を吸いつくして気絶させた後、魔術で記憶を操作してリリィ達のことを忘れてもらう。

 リリィは深い疲労感を感じさせる眼で魔族達を睥睨(へいげい)しながら、ゆっくりと右の人差し指を上にあげる。

 

 

 

 ……ぐらり

 

 

 

(……あれ?)

 

 足がもつれて、地面に手をつく。立ち上がろうとするが、足にうまく力が入らない。

 

(今頃になって、酔いが……?)

 

 舌打ちをしたい衝動に()られるリリィ。

 足の代わりに翼を動かして体勢を整えようとするも、こちらもうまく動かせず、浮かぶことができない。

 

「ようやく……ようやく効いてきやがったか……!」

 

 目の前に横たわる魔族が吐き捨てるように(つぶや)く。

 

 “まさか、酔いがまわるのを待っていたのだろうか?”……リリィがそう考えていると、魔族は(ふところ)から小瓶を取り出して(せん)を抜き、ブン! と勢い良く瓶を振って、中身をリリィに浴びせかけた。

 うまく魔力が()れず、障壁を展開できなかったリリィは、腕で顔を(かば)うも、振りかけられた透明な液体をモロに浴びる。

 

 

 

 ――グニャリ

 

 

 

(!?)

 

 強烈な眩暈(めまい)が襲い、全身から力が抜け、リリィは成す(すべ)もなく地面に倒れ込む。

 同時に身体がカッと熱くなって発汗し、(かすみ)がかかったように思考がぼやけ、奇妙な昂揚感(こうようかん)が湧き上がる。

 

 前世の思い出を持たないリリィには分からないことだが、それは泥酔した状態と非常に酷似(こくじ)している症状であった。

 

(うにぃ〜……、これぇー……(ろく)ぅ〜……?)

 

 浄化魔術で解毒しようとするも、簡単な障壁すら張れないほど魔力がうまく練れない状態で、魔術を使うことなどできるわけがない。

 

 ……いや、それ以前に魔術を行使できる精神状態ではない。

 

 その証拠に、窮地に(おちい)っているにもかかわらず、リリィの心には全くと言って良いほど焦りの感情が湧いてこない。

 すぐに心話(しんわ)でヴィアにSOSを出さなければならないのに、それを考えつくことすらできないレベルである。

 

「クソがっ! 『地面に()いておくだけで、すぐに効果が出る』って言ってたくせに、どんだけ時間かかってんだよ! 死ぬかと思ったじゃねぇか!」

 

「『魔力が大き過ぎる相手だと、効きにくいかもしれない』とも言ってただろうが……ご主人様とまともにやりあえんだ。効きにくくて当然だろう」

 

 先程までリリィに蹴りをくらっていた魔族が悪態(あくたい)をつくと、別の魔族に(さと)され、それが面白くないのかチッと舌打ちする。

 

 リリィに殴られると同時に少しずつ(なぶ)るように精気を奪われていたため、まるで全力で泳ぎ続けた後のように全身が重い。

 その気怠(けだる)い身体を、リリィへの憎しみで無理やり動かし、魔族はリリィの前にやってくる。

 

 そして、人外の膂力(りょりょく)で、思いきりリリィの鳩尾(みぞおち)爪先(つまさき)をめり込ませた。

 

 バアンッ!

 

 リリィが酩酊(めいてい)した瞬間に、彼女が周囲に張った結界が解けていたため、リリィは()き出しの岩壁に勢いよく叩きつけられた。

 岩壁に大きくヒビが入り、砕けた小さな岩々と共にリリィが地面にドサリと落ちる。

 

「えへへぇ〜……(いら)〜い♪」

 

 しかし、リリィは何の痛痒(つうよう)も感じることなくケラケラと笑っている。

 その様子を見て、魔族達が表情を苦々しく歪めた。あまりに彼我の実力が離れすぎていてダメージが与えられないのだ。

 

 「目に直接爪をぶっ刺すか?」「いや、口を開けさせて全力で魔術をぶち込んだ方が……」と物騒な相談をする仲間たちを尻目に、リーダーらしき単眼の魔族が言う。

 

「おい、お前ら。アイツの手足押さえろ」

 

 単眼の魔族の発言にピンときたその他のメンバーは、素早くその指示に従う。

 

「ふぇ?」

 

 突然両手足を押さえられたリリィは、魔族達が何をしようとしているのか分からず、ぼーっとした目に疑問の色を浮かべる。

 

 単眼の魔族はリリィのキャミソールドレスの胸元に手をかけて引き裂こうするが、リリィの強大な魔力で編まれたドレスのあまりの強度に裂くことができず、数秒悪戦苦闘した後で、しかたなく下からずり上げて脱がしにかかる。

 

 そこまで来て、ようやくリリィは“自分が何をされようとしているのか”を理解した。

 

「やめ()よ~~!」

 

 力はこもっていないものの、明確に嫌悪感が感じられる声。

 それに気を良くした魔族達は、リリィを裸にしようと張り切るが、

 

「うおっ!?」

 

「こいつ! なんつー馬鹿力してやがる!?」

 

 リリィに抵抗され、うまく脱がすことができない。

 

 薬でほとんど力を封じられているはずなのに、手足1本ずつにそれぞれ1人が全身でガッシリ組みついて、ようやく動きを抑えることができるという信じられない膂力(りょりょく)

 胴を(ひね)って寝返りを打とうとするような動作で、危うく身体ごと持ち上げられそうになり、腹や腕の肉を細い指で握り締められれば、その握力で肉が引きちぎられそうになる。

 

 女性としての本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしたのか、酔って冷静な判断力を失っているにもかかわらず、リリィも必死だ。

 

 “犯されたくない”という単純な思いだけではない。

 “魔力をうまく練れない”ということは“性魔術が使えない”ということと同義。

 そしてそれは、“犯そうとする相手の精気を奪って抵抗することができない”というだけでなく、“避妊ができない”ということも意味するからだ。

 

 魔族達は必死の思いでなんとかリリィの動きを封じ込め、ドレスをずり上げた状態で固定することに成功する。

 未成熟な胸がさらけ出され、下着が丸見えになった状態に、リリィは酔って赤くなっていた顔をさらに真っ赤にさせる。

 単眼の魔族がリリィの下着に手をかけると、リリィは恥ずかしさのあまりギュッと目をつぶった。

 

 その時――

 

 

 バアンッ!!

 

 

 先のリリィが吹き飛ばされた光景を繰り返し見ているかのように、単眼の魔族が岩壁に叩きつけられた。

 

「ガッ!?」

「グッ!?」

「はっ!?」

「へぶっ!?」

 

 そしてリリィの動きを封じていた4人の魔族達が次々と殴られ、叩きつけられ、吹き飛ばされてゆく。

 

 彼らはリリィの動きを封じることに必死になるあまり、気づかなかった。……すぐ傍にまで、何者かが近寄っていることに。

 

 自由になったリリィは急いで服を直し、上体を起こしながら自分を助けてくれた恩人を見上げた。

 

 そこにいたのは、リウラでもヴィアでもない。

 リリィの知る誰でもなかった。

 

 ……しかし、つい最近見たことのある姿。

 

 2メートル近い長身に隆々と盛り上がった筋肉、それを相撲取りのように脂肪で(おお)ったずんぐりむっくりとした体格。

 緑色の体表を惜しげもなく晒し、身に(まと)うものは無骨な兜と腰布1枚……それと、腰に()いた1本の三日月刀(シミター)

 

 

 ――そして何よりも特徴的な、()()()()()()()()()()

 

 

 鬼族(きぞく)の一種――オークである。

 

 

***

 

 

 村一番のオーク族の戦士、ベリークは旅をしている。

 

 旅の目的は、“嫁探し”。

 

 オーク族は種族を問わず女性に人気がない。

 その見目の悪さだけでなく、獣のように三大欲求に忠実であるところや、後先考えない頭の悪さが原因だ。

 

 その性質から無理やり女性を(さら)ってきて嫁にしてしまうパターンも珍しくなく、『オーク』と聞くだけで顔を(しか)める女性すらいる。

 それはベリークの村も例外ではなく、彼の村に居る女性で心からオーク族の男性を慕っている女性は、ほぼ皆無である。

 

 しかし、ベリークは思った。

 

 ――村で最強の戦士である自分がモテないはずがない

 

 ――村の外に出て、この力を見せつけ続けていれば、いずれ美人で心から自分に惚れる女性が現れるに違いない……と

 

 ……しかし、現実は厳しい。

 

 1年近く旅を続け、その腕っぷしで賞金稼ぎを繰り返し、そこそこ名が知られるようになったものの、自分に惚れる女性はついぞ現れなかった。

 

 笑顔で()り寄ってくる女性は、すべてベリークではなく彼の持つ金が目当て。

 金遣(かねづか)いの荒いベリークが金を使い果たせば、潮が引くようにサーッと離れてゆく。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、ようやく頭の悪いベリークでも“腕力だけで女性を魅了することはできない”と気づいたが、“そこからどうすれば良いか”が分からなかった。

 

 ベリークが求めているのは“心から自分に惚れてくれる”女性だ。だから腕力で女性を無理やり(さら)って嫁にしても、まるで意味がない。

 だが、腕力以外にとりえがなく、頭を使うことが苦手なベリークには“どうすれば女性が自分に惚れてくれるか”が分からない。

 ベリークはここ数日悩んでは酒を飲み、悩んでは外に頭を冷やしに行き、といった行動を繰り返していた。

 

 そんなある日の夜、いつものように悩み、いつものように頭を冷やしに外を散歩していたところで、ベリークの(とが)った耳がピクリと動いた。

 

(急に気配が……?)

 

 まるで気配を(さえぎ)るものを全て取っ(ぱら)ったかのように、突如(とつじょ)として現れた6つの気配。

 その特殊な状況から、明らかに厄介ごとの匂いがプンプンする。

 

 しかし、いいかげん嫁のことで頭を使うことに疲れてきていたベリークは“まあトラブルになっても、自分なら大丈夫だろう。むしろ、久々に身体が動かせていい”と考え、興味本位で気配へと足を向けた。

 

 そして(あん)(じょう)、そこで起こっていたのはトラブルだった。

 

 魔族が5人がかりで、1人の幼い少女を犯そうとしていた。

 興奮しているのか、皆、血走った眼で汗をかきながら必死で少女を抑え込み、彼女の服を脱がそうとしている。

 

 それを見てベリークは思った。

 

 

 ――なんて、みっともない

 

 

 嫌がる女性――それも10かそこらの少女に対し、5人もの成人男性が襲いかかる光景は、あまりにも醜悪。

 

 ベリークの村にも女性を(さら)ってくる者はいるが、ここまで酷くはない。

 飢えた狼のように女体(にょたい)に群がる様子は、まるで“腕力で女性を攫えば、自分もアレの仲間入りだ”とベリークに示しているようにも感じられた。

 

 

 だから、ベリークはあまりにも不愉快なその光景をぶち壊した。

 

 

 少女に群がる魔族達を(かた)(ぱし)から殴り飛ばし、蹴り飛ばす。

 三日月刀(シミター)は使わない。使えば、まだ幼い少女に血を見せることになる。

 

 魔族全員を少女から引き離したベリークは、吹き飛んだ魔族達から視線を外さないまま、かたわらにいるであろう少女に尋ねる。

 

「大丈夫か?」

 

 ……返事はない。(おび)えて返事ができないのか、はたまた気絶しているのか。

 “まあ、自分が気にすることではない”、と魔族達を追い払うことに集中しようとしたところで、右足に違和感を感じた。

 

 ベリークが右足に視線をやると、助けた少女が女の子(ずわ)りのままベリークの右足に抱きついてこちらを見上げている。

 

 あらためて見れば、かなりの美少女だ。

 雪のように白く瑞々(みずみず)しい肌、黄金を溶かしたかのように(つや)やかな髪、見る者に保護欲を抱かせつつも、女性として意識させずにはいられない整った顔立ち……年齢的にベリークの守備範囲からは外れているものの、非常に将来が楽しみな逸材(いつざい)である。

 

 このまま少女が張りついていては戦えないため、少女に足から離れるように言おうとすると、少女はベリークの右足をギュッと抱きしめて言った。

 

「助け()くれ()、ありが()う!」

 

 少女がベリークに向けた笑顔、それを見た途端、ベリークの頭の中は真っ白になった。

 

 その笑顔には何の含みもなかった。

 純粋に感謝の想いだけが込められていた。

 

 

 ――美しい

 

 ――笑顔とは、こんなに美しいものだったのか

 

 

 ベリークは知らない。

 

 少女――リリィは本来、非常に警戒心が強く、腹の中で色々考えるタイプであり、純粋な笑顔を向けるのは、本当に心を許した者だけであることを。

 今、リリィがベリークにそれを向けているのは、薬の影響で(ろく)に頭が回っていないがためだということを。

 

 リリィは、もともと恩義に厚い。自分が受けた恩に対してはきっちり感謝し、恩を返す傾向があるのだ。薬によって警戒心が奪われれば、それが前面に出てくる。

 だから、今のリリィは、初対面であるにもかかわらず、なんの裏表もなく、感謝を、好意を、ベリークに向けることができるのだ。

 

 ――幼いとはいえ、美少女が全身で好意を示してくれている

 

 それはベリークにとって、初めての経験であった。

 

 年齢を問わず、彼が今まで出会った女性達でベリークに純粋な好意を示してくれる者はいなかった。

 金に釣られて笑顔を見せてくれる女性はまだ良い方で、大半は嫌悪感を示したり、嘲笑ったり、あるいは無視した。

 それはベリークが悪い訳ではなく、種族に対する偏見が大きかったが、それでもベリークが傷つくことに変わりはなかった。

 

 ベリークは“この少女が幻ではないか”と、恐る恐る彼女の頭に手を伸ばす。

 そして、ゆっくりと頭を()でると、少女は一切嫌がる様子を見せず、「えへへ~」と笑った。

 

 その笑顔を見て、先程までは何の反応も見せなかったベリークの胸が、大きく高鳴った。

 

「……おい、何すんだテメェ……!」

 

 感動に水を差され、少々不機嫌になりながら、声の方向へベリークは視線を向ける。

 気絶する勢いで殴ったはずだが、存外頑丈だったようだ。

 

「……少し、離れていろ」

 

 自分で自分の声に驚いた。

 “自分はこんなにも優しい声が出せたのか”、と。

 

 ベリークに言われてコクンと頷いた少女は、うまく歩けないのか、ズルズルと膝を(こす)るように四つん()いでベリークから離れてゆく。

 

 気配がある程度離れたところで、ベリークは()()()()()()

 

 ベリークの身体から、光り輝く闘気が噴出する。

 

 ベリークが村で最強の戦士になれた、最大の理由がこれだ。彼には闘気を操る才能があり、粗削りながらも、それを自由自在に扱うことができた。

 その力強さは歴然で、彼の闘気を見たリリィは目を丸くし、魔族達は怯み狼狽(うろた)えている。

 

 

 

 その後の展開は一方的だった。

 ベリークの拳にボコボコにされた魔族達は、ひとたまりもなく退散したのである。

 

 

***

 

 

「どう? 何か分かった?」

 

「……数年前に出た睡魔対策用の香水ですね。おそらく、この迷宮で過去にコレを取り扱っていたのは“ラギールの店(ウチ)”だけだと思います」

 

 リリィが襲われた場所に落ちていた瓶――ヴィアが見つけ、拾ってきたそれを見て、リシアンは事もなげにその薬の正体を見破る。

 

 あの後、ヴィア達と合流し、水の貴婦人亭へと戻ってきたリリィ達。

 ベリークから事情を聞き、『お礼がしたい』というリリィの意思を尊重したヴィアは、ベリークを水の貴婦人亭に誘い、好きなだけ呑み食いさせることにした。お代は、もちろんリリィ持ちである。

 

 どうやらベリークはリリィに気があるらしく、先程からほとんどリリィとばかり話している。

 恩人であるためか、リリィも満更(まんざら)ではなさそうで、こちらも明らかにベリークとの会話の比重が大きい。

 

 まあ、それはそれでヴィアにとっては好都合だ。余所者(よそもの)を気にすることなく、リシアンと相談できる。

 

「市場に出回り始めてから数ヶ月で販売禁止になりましたから、ウチがこれを売った顧客を絞ることは可能でしょう。……その人物を探し出せるかはわかりませんが」

 

「販売禁止?」

 

「この香水を作った職人の助手が睡魔族(すいまぞく)の方なんですが……コレを悪用されて襲われたらしいんですよ。……幸い、未遂で済んだようですが」

 

 大体どういうことが起こったかを察し、ヴィアの(まゆ)がグッと中央に寄る。

 

 睡魔族は、みな総じて美人でグラマラスであり、彼女達との性行為は、他の種族では得られない極上の快楽を得られる。

 それらの種族的特徴は、彼女達が“性行為による精気吸収”を主食とするために得たものだ。

 

 

 だが、だからといって“誰でも簡単に彼女達と行為に及べるか?”といえば、それがそうでもない。

 

 

 彼女達、睡魔族にとって、“性行為”とは“食事”であると同時に“愛を確かめる行為”でもある。

 そして、そのどちらに比重が傾いているかは、個人の価値観によって大きく変わるのだ。

 

 リリィのように後者に大きく傾いている者は、自分が愛する者以外との行為に及ぶことは、まず無い。仮に精気を奪う必要があっても、性行為ではなく、淫夢(いんむ)を見せる形で奪う。

 これは原作のリリィも全く同じで、魔王からの命令でなければ、魔王以外との性行為に及ぶことはなかった。

 リウラやヴィア相手の性魔術は、あくまでパワーアップする必要に()られて、仕方なく行ったものなのである。

 

 逆に前者に大きく傾いている者は、性行為の相手を“食料”としか見ていない。つまり、性行為に及べば、その相手は精気を吸い尽くされて死ぬ確率が非常に高いのだ。

 

 本来は、そういった睡魔から襲われないようにするための魔法具なのだろうが……合意なく睡魔(極上の美女)を安全に襲う用途としても、非常に有用だろう。

 その発想に至った男どもの醜い欲望を思うと、そのおぞましさに、ヴィアは軽い吐き気を覚えた。

 

「そう……解毒薬は?」

 

「存在しますが、原産地……大陸南方にある工匠(こうしょう)の国、ユイドラから取り寄せる必要があります。時間経過でも回復しますから、今回は不要でしょうが……“もしも”の時のために取り寄せますか?」

 

「お願い」

 

 出回っている総数が少ないとはいえ、もし万が一同じ薬を持つ敵と出会ってしまえば、リリィという最大の戦力が唯の足手まといに成り下がる。それはヴィア達にとって、あまりに痛い。解毒薬は念のために確保しておくべきだろう。

 

「ベリークさ〜ん、呑むペースが落ちてますよ〜……ほら、こっちのお酒なんてどうです? さくらんぼのお酒ですよ〜」

 

「おお、それもうまそうだな……おっと」

 

 うわばみリリィのペースにつき合わされ、ベリークの手元が怪しくなり始めた。

 ベリークが酒に弱い訳ではない。リリィが強すぎるのだ。

 

 流石にこのままではまずい、と感じたヴィアがストップをかける。

 

「え~と、ベリークさんでしたっけ? 宿はとってるんですか? そろそろ戻らないと、この()に酔い潰されちゃいますよ?」

 

「む……」

 

 最近悩みに悩みまくったせいで、少しだけ回転が良くなった頭でベリークは考える。

 

 酔い潰されること自体は問題ない。ここに泊まってしまえば良いだけだし、これ以上酔いたくなければ呑まなければ良いだけの話だ。

 

 そんなことよりも、ベリークにとってはリリィとの会話を続けたい欲求の方がずっとずっと強かった。

 無邪気で、一心(いっしん)に好意を向けてくれて、それでいて先程からさりげなく気遣いをしてくれる美少女に、ベリークは首ったけになっていた。

 

 だが、リリィは見ての通りの幼子(おさなご)

 いくら睡魔族が夜の種族だとはいえ、今の時間は本来ならば夢の中にいなければならないはずだ。

 

 ならば、ここはいったん自分の宿に帰って、また翌日出直したほうが良いだろう。

 それに、別に酒を()()わすだけでなく、デートしたり何なりとリリィとの時間を作る方法はいくらでもある。

 

「……そうだな、俺もそろそろ自分の宿に戻るとするか」

 

「あ、じゃあ、私、送ります~! ヴィア、いっしょに来て!」

 

 無邪気な笑顔のリリィが元気に手を上げて宣言すると、ベリークはポンとリリィの頭に右手を乗せて首を横に振った。

 

「気持ちは嬉しいが、この時間は危ない。俺は大丈夫だから、今日は早く寝ろ」

 

「でも……いっぱいお酒飲んじゃって危ないですよ?」

 

 リリィが心配そうな顔をすると、ベリークは嬉しそうに笑った。

 当然だ。もともとが嫌悪されやすい種族である上に、高い武力を持つベリークを心配する者は老若男女を問わず、ほぼ皆無だ。

 

 だから、ただ心配して、気にかけてくれるだけでも嬉しいのに、それをしてくれるのが自分が惚れた相手……しかも美少女とくれば嬉しくならないはずがない。

 もっと身長と胸があれば言うことはないのだが、今まで出会った女が女であったので、不満などひとかけらもなかった。

 

「大丈夫だ。俺の強さはリリィも知っているだろう?」

 

 そう言うと、リリィは心配そうな顔を崩しはしないものの、コクリと頷く。

 ベリークは、そんな彼女の頭を優しく()でると、荷物と三日月刀(シミター)を持ち、終始ご機嫌なまま宿を去って行った。

 

 

***

 

 

 バタン……と宿の扉が閉じる。

 扉の方に視線を向けたままのリリィに向かって、壁に背をもたせかけて腕を組んだヴィアは声をかけた。

 

「……で? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 リリィは扉から視線を外さないまま言った。

 

「……いつから気づいてたの?」

 

 先程の間延(まの)びした口調が嘘のように、しっかりとした声――それは、先程までの彼女の酔った様子が演技であることをハッキリと示していた。

 

「ここに帰って来てからよ。……アンタ、最初は呂律(ろれつ)が回らないどころか、姿勢もグニャグニャで、頭も完全にバカになってたじゃない。それが、ある時からちゃんと会話を成り立たせて(しゃく)まで始めれば、そりゃ“治ったな”って分かるわよ」

 

「……」

 

 リリィは無言のままヴィアに背を向け続ける。

 そんなリリィの様子を見て、ヴィアは(ひと)つ溜息をつく。

 

「私はリウラやリューと違って、別に“アンタの悩みがどう”とかわざわざ詮索(せんさく)する気はないわ。1人で悩みたいなら、好きなだけ悩めば良い。……でも、それってアンタのことを何にも知らない赤の他人にチヤホヤさせて、ストレスを解消させてまで黙っているべきことなのかしら?」

 

 リリィは拳を握り締めて、唇を噛む。耳が痛い。

 

 ヴィアには完全に見透かされていた。

 

 幾人もの命を手にかけ、姉を人殺しにしようとして……その他いくつもの罪状を抱えていることを知らず、見た目通りの“庇護(ひご)すべき子供”としてリリィを扱うベリークは彼女にとって非常に都合の良い存在だった。

 

 まるで、自分が本当に何の(けが)れもない存在のように感じられる……これは、リリィの内面も、リリィがこれまで行ってきたことも知っているリウラ達では成せないことである。

 

 しかし、それはあくまでも現実逃避に()ぎない。ヴィアが言うとおり、ただのストレス解消の手段でしかないのだ。

 それは、つまるところ“リリィのストレス発散のためだけに、ベリークの気持ちを利用した”ともいえる。

 

 こうして自分のためだけに他人を利用したことで、またリリィの心に自己嫌悪という名の(おも)しがかかる。

 ……ヴィアはこう言っているのだ、『その負の連鎖を断ち切りたいなら、さっさと話してしまえ』、と。

 

 肩を震わせながら黙り続けるリリィに、ヴィアは思う。

 

(……いったい何してんのよ、リウラ。こういうのは、アンタの役割でしょうが……)

 

 ヴィア達が宿に帰ってきたとき、リウラは既にリューナを(ともな)って2階に消えていた。彼女達を呼びに行ったはずのアイも、なぜか戻ってこない。

 いったい何の話をしているのかは分からないが、どうやらもうしばらく、この面倒くさいご主人様のカウンセリングを続けなければならないらしい。……ヴィアは顔には出さずにうんざりした。

 

 ――ピクリ

 

 リリィの猫耳が動き、まとう雰囲気が戦闘時のそれに塗り替わる。

 

「……ヴィア、ついて来て」

 

「? いったいどうしたってのよ? 別に殺気もヤバそうな気配も感じないけど?」

 

 少なくとも宿の周辺、半径50メートル以内には、それらしきものを感じない。

 

「もっと先、私から見て前方300メートルくらい。ベリークさんの気配を追って」

 

 (いぶか)しげな様子でリリィの指示に従い、自分も猫耳を震わせながら気配を探る。

 

 そこで、ようやく何が起こっているかを悟った。

 

 ベリークの気配の周りに多数の気配。その気配の質からしておそらくは魔族の集団。うち1つは明らかにベリークよりも気配が大きい。

 どうやら、ベリークに殴り飛ばされた奴らが仲間を引き連れてお礼参りに来たらしい。つい数時間前のことだというのに、ずいぶんと仕事が早いことだ。

 

「早く行くよ。ベリークさんが危ない」

 

「……」

 

 ヴィアはガシガシと頭を()いて言った。

 

「アンタ、ついさっきどんな目にあったか、もう忘れたの? 私が行っとくから、アンタはサッサと寝てなさ……」

 

 ――バタン

 

「……」

 

 ヴィアの小言を聞き流し、サッサと出て行くリリィ。

 

 悩みによってリリィの心情が荒れに荒れていることが原因だろうし、それをヴィアも理解してはいるのだが……おざなりとはいえ、自分が心配して言った言葉を聞き流すどころか、扉を閉める音で(さえぎ)った彼女の行動は、地味に腹立たしいものがあった。

 

「……ああっ、もうっ!」

 

 腹立たしくも後を追わないわけにはいかず、怒りのあまりドスドス大きな足音を立ててヴィアも宿を出て行こうとする――

 

 ギュッ!

 

「リ、リシアン?」

 

 ――直前、リシアンが背後からヴィアの腰に抱きついた

 

「ヴィー、落ち着いて」

 

 そう言いながらヴィアを見上げるリシアンの瞳に心配の色を見て、ヴィアは(ひと)つ深呼吸をする。

 途端、自分の心のざわつきを感じ取った。どうやら自分の心が乱れていることにも気づかないくらい苛立っていたらしい。

 

「……うん、もう大丈夫よ。ありがとうリシアン」

 

「……どういたしまして。気をつけてね」

 

「うん」

 

 リシアンがスッとヴィアの首に手をかけ、背伸びして彼女の頬に唇を落とすと、ヴィアは顔を真っ赤にしつつ嬉しそうに微笑(ほほえ)み、2本の尻尾をゆらゆらと揺らしながら元気いっぱいに出発する。

 

 彼女が去った後も扉を見つめていたリシアンが、背後から自分に近づく足音を聞き取る。

 体重の軽そうな足音から女性だと推測し、複数の足音からそれがリューナ達だと悟ると、リシアンは振り返りつつ、ヴィアへの助っ人を依頼しようとする。

 

「姉さん、お願い……が……」

 

 リシアンの声が止まる。

 

 その理由は、リシアンの瞳に映る、姉と土精(アイ)のとても心配そうな表情と、

 

 

 

 

 ――いつもの明るさはどこに行ったのか……終始(けわ)しい表情を崩さない、リウラのただならぬ様子にあった

 

 

 

 

 

 




 冒頭(ぼうとう)でリリィが歌っている歌は、「戦女神2」の主題歌「魂の記憶」です。2番を通り過ぎた、本当に最後の方のフレーズになります。




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