水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

12 / 40
第四章 美少女とオーク 中編

 2メートル近いベリークですら、見上げなければ顔をうかがうことができない巨体。

 山羊のような大きな2本の角を頭部に備え、毛深い表皮を力強い筋肉が押し上げる。

 

 その迫力ある肉体に見劣りしない強力な魔力が全身から溢れ、持ち主の意思に従って炎へと変化し、辺りを煌々(こうこう)と照らしている。

 彼がこの迷宮で上位から数えた方が早いであろう実力者であることは、ベリークにもすぐに分かった。

 

 片膝をつき、息を荒らげて山羊魔族を見上げるベリークは、無事である箇所を探す方が難しい程に満身創痍(まんしんそうい)

 三日月刀(シミター)も、それを握っていた右腕も折れ、頭部からは際限なく血が溢れ出し、腹の肉が一部えぐれ、左足の甲は炭化している。

 

 まさに“絶体絶命”と呼ぶに相応(ふさわ)しい有様であった。

 

 にもかかわらず、ベリークの眼だけは死んでいなかった。

 彼の眼には強い意思の輝きが宿り、声高に叫んでいた――“ここで死んでなるものか。自分は村で最強の戦士。必ず生きてリリィと添い遂げるのだ”と。

 

「……そろそろ、この豚で遊ぶのも飽きてきたな……」

 

「……何?」

 

 巨体の魔族がボソリと(つぶや)いた次の瞬間、脂肪で膨らんだベリークの腹に、その毛深い巨腕がめり込んでいた。

 血反吐を吐きながら吹き飛んだベリークは、石造りの家に頭から突っ込み、倒壊させる。

 

 ベリークは仰向けに倒れたまま、起き上がることができず、うめき声を上げた。

 

「ほらよ。動けなくしてやったから、あとはオメエらの好きにしな」

 

 そう重く迫力のある声で山羊魔族が言うと、ばさりとコウモリの翼を広げて飛び立つ魔族がいた。

 リリィを襲った単眼の魔族である。

 

「ありがとうございます! テメエら、コイツは俺が()る! 手出しすんなよ!」

 

 そう叫ぶと、単眼の魔族は両手をベリークへと向け、彼の身の丈ほどもあろう大きさの魔力弾を作り出してトドメを刺そうとする。

 

 本当ならばもっと甚振(いたぶ)ってから殺してやりたかったが、本命は、あの憎たらしい睡魔の小娘だ。あまりダラダラとこの豚を(なぶ)り殺しにしていたら、飽きた山羊魔族が帰ってしまう可能性がある。

 一度薬の被害にあった以上、あの小娘は同じ誘いにのらないだろうし、仲間も彼女を1人にすることはないだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……再びリリィに薬をかけるための()()()として。

 

 

 

 単眼魔族はブリジットの部下だ。彼は友とともにリリィへと襲いかかったのだが、彼自身は生き残り、友はリリィの斧槍(おのやり)に身体を真っ二つにされて殺された。

 

 

 ――しかし、あろうことか、主はリリィ達と同盟を結び、主やその部下達がリリィを殺すために動くことはなくなってしまった

 

 

 復讐心に囚われた彼は、自身の破滅も(かえり)みず、ただ友の仇を討つためだけに、ブリジットの元を離れて動き出したのである。

 他の4人も、彼と同じ思いを持って動く同志であった。

 

 主であるブリジットとリリィの戦いを見ていた単眼魔族は、まともにやれば山羊魔族であろうとリリィには敵わないことを知っている。

 だが、所用でブリジットの元から一時(いっとき)離れていた山羊魔族は、そのことを知らない。それを利用して舌先三寸で丸め込み“リリィ達は、卑怯な手を使って、ようやくブリジットから逃げ切った”と思いこませたのだ。

 

 リリィが山羊魔族と戦闘を開始し、彼を倒すまでの間に、上空から手持ちの薬を全てばら撒けば、一滴はリリィに触れるだろう。そうなれば、こちらの勝ちだ。

 

 性魔術は、別に睡魔族(すいまぞく)の専売特許というわけではない。精神的に無抵抗な相手であれば、単眼魔族のつたない性魔術であろうと、リリィの精神を支配できる。そうすれば、リリィを奴隷にすることも、リリィに自害を命じることも、思いのままだ。

 

 単眼魔族が、魔力弾を眼下のベリークへ向けて撃ち込もうとしたその時――

 

 

 

 ――遠方から回転しながら飛来した斧槍が、彼の身体を2つに断ち切った

 

 

 

「……は?」

 

 それが彼の最後の言葉。

 亡くした友と同じように、上半身と下半身が泣き別れになった彼は、“何が起こったのか理解できない”という表情のまま、力を失って落下する。

 

 バシィッ!

 

 単眼魔族の身体を通過した斧槍が、いつの間にか現れて空中で静止するリリィの右手に収まった。

 冷ややかにこちらを見下ろすリリィを見て、山羊魔族は面白そうに笑う。

 

「……へえ? お前が“リリィ”ってガキか?」

 

「……誰?」

 

「俺はカズィローク。ブリジット様の臣下だ。ご主人様の宝を奪って逃げたっていうテメェを()らしめに来たんだが……どうやら唯のコソ泥ってわけでもなさそうだな?」

 

 今の一撃――あれはリリィ自身が放ったものだ。

 

 宙を飛びながら斧槍を()び出して投擲(とうてき)し、敵を切り裂いた斧槍を追い越してキャッチしたのである。

 それを成し得る速度と器用さを見て、彼女が、先ほど遊んでやった豚(ベリーク)とは比べものにならないほどの実力者であることを理解し、“面白い戦いになりそうだ”と考えたのだ。

 

 対して、リリィは事情をようやく理解した。

 まがりなりにも協力関係を結んだブリジットが、このような手合いをリリィに差し向けるはずがない。おそらくブリジットの部下達に情報が誤って伝わり、独断専行を起こした結果がこれなのだろう。

 

 ブリジットにとって、オクタヴィア以外の部下など、単なる“駒”でしかない。“プライドを刺激されたから”とはいえ、あれだけ大量に部下を殺したリリィとあっさり同盟を結べるのが良い証拠だ。

 主の判断を(あお)がずに勝手に動く者など、傲慢(ごうまん)なブリジットにとって邪魔でしかないだろう。自分が殺してしまっても、なにも問題はない――リリィはそう判断した。

 

「リ、リィ……、俺に、かまうな……逃げ……」

 

 身体を起こしながら、苦しそうにリリィに撤退を促すベリークの声。

 彼の声を聞いたリリィは、空中から申し訳なさそうな視線をベリークに向ける。

 

「ごめんなさい、ベリークさん。この人達を片づけた後、すぐに治療しますから……もう少しだけ待っててください」

 

 そう言った後、リリィはまだ何かを言おうとしているベリークから視線を切り、山羊魔族やその配下達を厳しいまなざしで視界に収める。

 そして、スッと斧槍を後ろに引き、わずかに腰を落として脇構(わきがま)えに構えた次の瞬間、

 

 

 ――ベリークは彼女の姿を見失った

 

 

 山羊魔族を除いた全ての魔族が、血飛沫(ちしぶき)をあげて地へと沈む。

 

 ベリークが気づいた時には、リリィはいつの間にか地に降り立ち、山羊魔族の真正面に斧槍を向けた状態で立っていた。

 その小さな体躯(たいく)からは、己が闘気の何倍もの力強さで、すさまじい魔力が(ほとばし)っている。

 

 唖然(あぜん)とした表情で大きく口を開け、ベリークは呆ける。

 己が“護りたい”、“庇護(ひご)しなければならない”と思った存在が、まさか自分が足元にも及ばないほどの武力を持っていたことを知り、理解が追いつかなかったのだ。

 

「……やるなチビ。『ブリジット様から逃げ切った』ってのはダテじゃねぇってことか……おもしれぇ! だが、俺はあんな雑魚どもとは違うぜ! さあ、始めようか!」

 

 

 

 

 

「ううん、終わりだよ」

 

 

 

 

 

 その声が山羊魔族の背後から響き、彼の気が背後へと向いた瞬間、彼の口の中に一滴の(しずく)が飛び込んだ。

 

 やや大きめのその雫は、彼の喉を通り、気管を通過し、肺へと至ると、術者の魔力によって粉々に……目に見えないほど小さな粒にまで砕け散った。

 水蒸気へと強制的に分解・気化された水滴は、急激にその体積を約1700倍にまで膨張させ……魔力強化された水分子たちは、いともたやすく彼の肺を破裂させた。

 

 

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 

 バンッ!

 

 未熟なリウラの腕では、たった一滴分しか再現できなかったシズクの奥義は、山羊魔族を黄泉(よみ)に送るまでには至らなかったが、彼を硬直させ、その爆圧でもって、大きく口を開かせるには充分なものだった。

 

 直後、宙に召喚された水球が山羊魔族の口から侵入し、内臓をズタズタに引き裂いてゆく。

 眼を大きく見開いてその様子を見ていたリリィは、あっけなく命を散らし、どう、と倒れる山羊魔族の背後から現れた姿を見て、声を失った。

 

「お……ねえ、ちゃん……」

 

 現れたのは、いつも傍にいる姉の姿。

 しかし、今までの姉とは決定的に違う箇所があった。

 

 それは……眼。

 

 その眼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()………………()()()()()()()()()

 

 

 

 ――人を殺した経験のある、()()()()()

 

 

 

 今までは存在しなかった(くら)い輝きが、その眼に確かに宿っていた。

 

 リリィは知った。

 

 

 山羊魔族を殺したことで、たった今、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 動揺するリリィに向かってリウラが歩き出す。その後ろから、リューナとアイが姿を現した。

 呆然とした様子のリリィを、リウラはギュッと抱きしめると、彼女の耳元で懺悔(ざんげ)した。

 

「……今まで辛いことを押しつけて、ごめんね」

 

「……え?」

 

 何を言っているのか分からず、リリィは戸惑(とまど)う。

 

「私、ブリジット達と戦ったとき、リリィにばっかり人殺しをさせてた……」

 

 リリィが単眼の魔族達とケンカをするために宿を出て行った後、リウラはふと思い至った。

 

 

 ――リリィが悩んでいるのは、“自分が殺人を犯した罪悪感を自覚したからではないか?”……と

 

 

 リウラ自身、あれほどの罪悪感を覚えていたのだ。“リリィが人を殺しても平気だった”と考えるよりも、“自分達が生き残ることに精一杯で、罪悪感を感じる余裕がなかった”と考える方が自然である。

 

 あの会話の流れでリリィが青ざめたのも、“リウラが指摘することで、無意識に目を逸らしていた罪悪感と、強制的に向き合うことになったから”であれば、筋が通る。

 

 もし、このリウラの推測が当たっていたのならば――

 

「本当は、私も……! それを背負わなきゃいけなかったはずなのに……!」

 

 ――その苦痛、負担、そして罪は、リリィにばかり負わせて良いものでは決してなかった

 

 なぜなら、リウラが水精(みずせい)の隠れ里を出た目的は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったのだから。

 

 だから、リウラは殺した。

 

 だから、リウラはリューナとアイに()()()した――『()()()()()()()()()()()()()()()()』、と。

 

 (さき)のブリジットとの戦いで、自分が人を殺すことに多大な抵抗感があることをリウラは知った。その後、なんとかオクタヴィアと戦闘することはできたが、結局、彼女は1度も人の形をしたものの命を奪うことはできていない。いざ自分が完全に命を奪う瞬間が訪れれば、隙だらけになってしまうであろうことが簡単に予想できた。

 

 だからリウラは頼んだのだ――『殺人に全神経を集中することで無防備になった自分を、あらゆる攻撃から護って欲しい』と。

 

 彼女達は了承した。

 それはリリィを護り続ける上でどうしても避けては通れない道であり、大切なものを護りたい想いを持つ2人にとって、その気持ちは痛いほどに理解できたからだ。

 

 そしてリューナは気配と魔力を隠蔽(いんぺい)する魔術を、リウラを含めた自分達に施し、そしてアイは万が一敵に気づかれた場合に備えて、彼女達を護る役割を引き受けた。

 

 だからこそ、リウラは全力で技に集中し、たった一滴(ひとしずく)であるにせよ“眼に見えないほど細かな水の粒子を分解・操作する”というシズクの奥義を放つことができたのだ。

 

 

 

 ――リウラの推測は、“罪悪感に関すること”という意味で、ほんの少しだけ当たっていた

 

 

 リリィは“自分が何者であるか”を悩んでいたのではない。

 “自分が殺人を犯しても何も感じないような人格破綻者であること”を否定したくて、その理由を過去(前世)に求めていただけなのだ。

 

 彼女は“罪悪感を自覚した”のではない。“罪悪感を自覚()()()()()”のである。

 

 その原因は、彼女が(けが)れのないリウラを見て無意識に抱いていた“姉にふさわしい自分でありたい”という望み。“平気で人を殺せる自分は、リウラの妹にふさわしくないのではないか”という恐れ。

 

 それが……リリィの悩みが、リウラを、愛する姉を追い込み……結果、彼女に“殺人”という大罪を犯させてしまった。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……しかし、リリィは謝らなかった。いや、()()()()()()

 

 ――謝れば、姉の決意や想い、覚悟を侮辱(ぶじょく)してしまうから

 

 だから、代わりにリウラを抱きしめ返し、右眼から一筋だけ涙を流しながら、こう言った。

 

「ありがとう……お姉ちゃん……」

 

「……どう、いたしまして」

 

 

***

 

 

 リリィの両手に淡い紫色の灯りが(とも)る。すると、ベリークの身体に刻まれていた傷や火傷が、見る見るうちに癒えはじめる。

 回復魔術を初めて受けたベリークは横たわったまま首を起こし、ものめずらしげに治りつつある自分の傷口を、しげしげと見続けていた。

 

「……ごめんなさい」

 

「む?」

 

 頭に疑問符を浮かべて、ベリークはリリィに顔を向ける。

 リリィはベリークの傷に視線を向けたまま、彼と目を合わせずに言葉を()いだ。

 

「……ベリークさんを……巻き込んでしまって」

 

「気にするな。こんなのはよくあることだ」

 

 実際、そう珍しいことではない。盗賊を初めとして、他人が身勝手な理由で襲いかかってくるなんて、この世界では日常茶飯事である。

 

「それだけじゃありません……私、ベリークさんを(だま)してました」

 

「……」

 

「本当の私は、あなたのイメージしているような“私”ではないんです。か弱くもなければ、無垢(むく)でもない……腹の底で打算を働かせて、私の都合のために動く。必要だったら人殺しだってする。それが“私”なんです」

 

「“私”は……あなたが想像しているような女性ではないんです。酒場での“私”は、演技だったんです」

 

 うつむくリリィの表情はベリークからは見えない。だが、ベリークにはなんとなく彼女が泣いているように思えた。

 ベリークは言った。

 

「今のリリィも演技なのか?」

 

「え?」

 

 思わず顔を上げるリリィ。

 

「今こうして俺を心配してくれていることも、申し訳なく思ってくれていることも、全て演技なのか?」

 

「違います! それは……!」

 

「なら、問題ない」

 

「へ?」

 

 ようやく視線があったリリィに向かって、ベリークは言う。

 

「俺は、お前を愛している」

 

 

 

 

 …………………………。

 

 

 

 

「……え、えええぇぇぇっ!? ちょっ!? いきなり何を言って!?」

 

 首筋まで顔を真っ赤に染めて、リリィは仰天(ぎょうてん)する。

 

「頼む。最後まで話を聞いてほしい」

 

「は、はい……」

 

 ベリークは語る。

 

 ――ずっと自分を心から愛してくれる女性を探していたこと

 

 ――“オークである”というだけで、ほとんどの女性が自分に見向きもせず、誰も自分を見てくれる人はいなかったこと

 

 ――……そして、ようやく自分と正面から向き合い、心から自分のことを考えてくれる女性――リリィに出会えたこと

 

「たしかに、俺はリリィのことを勘違いしていた。リリィは決してか弱くはない。無垢でないのも、たぶん本当だろう」

 

「だが、俺に感謝してくれたこと、俺に恩を返そうとしてくれたこと、俺を心配して助けに来てくれたこと……こうして俺を癒してくれることは、全部嘘じゃない。リリィが俺を“ただの醜いオーク”ではなく、“ベリーク”として見てくれていることは嘘じゃない」

 

「俺は、お前のそういうところに惚れた。“お前が俺のことを真剣に考えてくれている”ということが一番重要だった。それ以外のところなんて、どうでもよかった」

 

「だから、何も問題はない。俺は、リリィと出会えた幸運に、心から感謝している」

 

 リリィは理解した。

 

 あの時、泥酔状態から()めたリリィは、可能な限りベリークの好みに合うであろう自分を演じていた。思わず護ってあげたくなるような、可愛らしくて庇護欲(ひごよく)をくすぐる女の子を。

 

 しかし、ベリークが本当に見ていたのは、そこではなかった。

 

 リリィがより良く見せようとしていた“態度”や“しぐさ”といった(うわ)(つら)の部分ではなく、リリィの“心”……“想い”を見ていたのだ。

 そして、下心があったにせよ、リリィの“ベリークに恩を返そう” とする想いそのものには嘘がなかった。だから、ベリークは『問題ない』と言ったのだ。

 

「でも……私はベリークさんに恩を返そうとするだけじゃなくて……私は、ベリークさんに優しくしてもらいたくて。だから、可愛い女の子を演じて……」

 

 『純粋な恩返しだけでなく、自分の欲も混じった不純な想いだったのだ』とリリィは懺悔(ざんげ)する。

 それを聞いて、ベリークは不思議そうな表情を浮かべた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……え?」

 

 ベリークが何を言っているのか分からず、リリィは戸惑(とまど)う。

 

「俺は言ったはずだ。『俺と真正面から向き合ってくれたのは、リリィだけだった』と。俺に恩を感じ、返そうとしてくれたリリィは、まちがいなく今まで出会ったどの女達よりも良い女だ。それを、なぜ否定する?」

 

「お前の知っている“誰か”は、純粋に相手のことだけを考えられるのかもしれない。だが、そいつとリリィを比べる必要がどこにある?」

 

 ――リリィの脳裏に、リウラの姿が()ぎる

 

 リリィは今までずっとリウラと自分を無意識に比較し続けていた。

 優しく、純粋で、(けが)れを知らない姉。対して、平気で他人を傷つけ、自分の利を追及し、あまつさえその姉に対して無自覚に殺人の指示を出す自分……リリィは知らず知らずの内に、リウラに対して劣等感を抱いていた。それを(くつがえ)すための理由を、前世の記憶を(あさ)ってまで必死に探していた。

 

 だが、ベリークは言ってくれた。『誰かと自分を比べる必要はないのだ』と。

 『たとえ、その行動に下心があろうと、平気で人を殺すことができようと、()()()()()()()()()()』、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と。

 

「誇れ。胸を張れ……俺の惚れた女は、思いやりのある良い女だ」

 

 リリィの中で確固とした自信が、“自分”が形作られてゆく。

 呆けていたリリィの顔が、ゆっくりと(ほころ)びていった。

 

「……はい」

 

「……いい顔だ」

 

 ベリークと見つめ合うリリィの笑顔――今までどこか危うく揺れていたリリィの瞳に、たしかな自信が宿っていることが、ベリークには分かった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()禍々(まがまが)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……まいったな、簡単には返せない恩ができちゃった)

 

 リリィは心の内で苦笑する。

 

 ――“前世の記憶”という根拠を失い、あやふやになった“自分”という存在

 ――原因は分からないが、非道なことを罪悪感なしに平気で行える自分に対する嫌悪感

 

 こうした自分を否定する感情を、ベリークはあっさりと取り払ってくれた。この恩は、ちょっとやそっとじゃ返せそうにない。長い時間をかけて少しずつ返していくしかないだろう。

 

「……リリィ」

 

「……はい」

 

 ベリークはリリィから視線を外し、迷宮の天井へと視線を向けながらリリィに()いた。

 

「お前は、狙われているのか?」

 

「……はい」

 

 正確には、今しがた襲ってきたブリジットの部下たちではなく、ディアドラや怪しげな黒ずくめの女に狙われているのだが、リリィが狙われていることに違いはない。

 

「今の俺では、太刀打ちできない相手か?」

 

「……はい」

 

 ベリークの実力は確かに高いが、リリィと契約する前のヴィアにすら劣る程度でしかない。闘気の出力はなかなかのものだが、それを操る技術は荒く、つたない。

 水蛇(サーペント)を使い魔として使役(しえき)するようなディアドラや、ヴィアに何もさせずに気絶させることができるクロ相手に戦えるとは、とても思えない。

 

「……そうか」

 

 すでにリリィの両手から光が消え、完全回復していたベリークは立ち上がると、リリィに背を向ける。

 

「待っていてくれ」

 

「え?」

 

「俺は、必ずお前を護れるだけの実力を身につけて帰ってくる。そして、お前をつけ狙う奴らからお前を護って見せる。……だから、それまで待っていてほしい」

 

 リリィは『危ないからやめてほしい』と言おうとして……結局、言えなかった。

 

 首だけ振り返ってリリィを見つめるその瞳には、強い意志を感じた。それは、“惚れた女を護りたい”という男のプライドの表れなのであろうか? ……リリィにはその想いを否定することがどうしてもできなかった。

 

 だから、リリィはただ一言(ひとこと)だけ、こう返した。

 

「……はい」

 

 リリィの返事を聞いたベリークは無言で去って行った。

 

 去りゆくベリークの背を見ながら、リリィは思う。

 恩人である彼を、半端ではなく危険な自分達の事情に巻き込みたくはない。しかし、おそらくは大丈夫であろう。今のリリィに追いつくためには数か月やそこらの鍛錬ではまず無理だ。

 

 それでも追いつかせるには、他者から精気を奪うなどの外法(げほう)の技が必要となるが、オークである彼にそのような知識も、扱う頭も、魔力もあるまい。彼の実力が今のリリィに追いつくころには全てが終わっているはずだ。……そのとき、リリィが生きているか、死んでいるかは別として。リリィは、そう自分に言い聞かせた。

 

「……へぇ~、いい男じゃない。リシアンには負けるけど」

 

「……ヴィア、今まで何してたの」

 

 リリィがジト目で振り返れば、そこにはニヤニヤと笑う猫獣人(ニール)の姿。

 

「何してたも何も、手伝う間もなくアンタがあっさり片づけちゃったじゃない。その後は、なんか入りづらい雰囲気作っちゃうし。だから、リュー達の掃除を手伝うために道具を取りに行ってたのよ」

 

 そう言って右手に持ったバケツを持ち上げて見せる。中には雑巾や“究極の洗剤”と書かれた箱が入っていた。

 

 リリィのように精気で肉体を構成するタイプの魔族の死体や血痕(けっこん)は消滅したが、そうでない者の亡骸(なきがら)無残(むざん)に転がっている。

 翌朝、衛兵団が片づけるのを待ってもいいが、この近辺の住人のことを考えれば、自分達で片づけておくべきだろう。

 

 リウラ達3人は、ベリークとリリィが2人きりで話している間、せっせとそれらの死体を片づけていたのである。死体を埋めるためのスコップや、血を洗い流すための水などがヴィアの持ち物に無い理由は、地面を操るアイと水を操るリウラがいるためだろう。

 

 (わる)びれなく話すヴィアに、リリィは溜息をつこうとして……ふと気づいた。

 

(……あれ? 私、罪悪感が戻ってる?)

 

 ベリークに対する懺悔、あれはリリィに罪悪感がなければ有り得ない行動だ。

 今まで人を殺す時にさえ感じていなかった罪悪感を、ある時からずっと感じていた。

 

 “いつからだろう?”と考えて……思い至る。

 

 ――ヴィアに飲まされた時からだ

 

 無理やり飲まされたアルコールが、リリィのストレスを緩和し、リリィの心の奥底に眠っていた罪悪感を表面に引っ張り出してくれたのかもしれない。

 “酔っていない、酔っていない”とずっと思い込んでいたが、どうやら、最初からリリィは酔っていたらしい。

 

 今まで罪悪感が出てこなかった理由は未だ不明なままだが、リリィの心の芯となる部分は変わっていなかったようだ。

 自分の中に良心がきちんと存在していたことに、リリィは少し安堵(あんど)した。

 

 リリィはフッとヴィアに笑顔を浮かべる。

 その笑顔の意味が分からず、怪訝(けげん)な表情になるヴィアに、リリィは言った。

 

「ヴィアには、お礼を言わないとね」

 

「お礼?」

 

「お酒、ごちそうさま」

 

 そのどこか含みを持たせた言い方と、重荷を下ろしたようなすっきりとした表情の笑顔に、どうやらリリィの悩みが完全に晴れたらしいことをヴィアは知る。

 ようやく面倒事が片づいたことに安心したヴィアは、“やれやれ”といった表情でリリィに言う。

 

「……あれ、高かったんだから。今度なんか(おご)りなさいよ」

 

「うん、考えとく」

 

 リリィとヴィアは掃除の手伝いをするため、肩を並べてリウラ達のところへ向かって歩き出す。

 ……と、そこでリリィの足が止まった。

 

「……あ」

 

「今度は何よ?」

 

 リリィは重大なことに気づいた。

 

 

 

 

「……私、ベリークさんに告白の返事してなかった」

 

 

 

 

***

 

 

 ――カランコロン

 

「いらっしゃい、リリィさん」

 

「いらっしゃいませ~、リリィ様」

 

「こんにちは、リシアンさん、ヨーラさん」

 

 一夜明けた翌日の昼、リリィは“ラギールの店”へと(おもむ)いた。

 カウンターには、店主であるヨーラと前店主であるリシアンがおり、営業スマイルとは少し違った、知り合いならではの親し気な笑顔で迎えてくれる。

 

 リリィは店に入るや否や、並べられている商品には目もくれず、まっすぐにリシアンに向かって歩き、カウンターに身をのり出して言った。

 

「リシアンさん。“ラギールの店”って、ちょっと特殊な物でも取り寄せられますか?」

 

「……物によりますけど、大抵(たいてい)の物はできますよ?」

 

 リリィの言う“ちょっと特殊な物”がどういったものかは分からないが、利益のためならば客も商品も選ばないのが、商会の主であるラギールだ。

 お金さえあれば、よほどのものでない限り、まず間違いなく手に入る。それこそ育児用品から人身売買まで、なんでもござれだ。

 

 リリィはその答えに一つ頷くと、まっすぐにリシアンの眼を見て、望む品を口にした。

 

「魔王の魔術すら無効化するという“女神の指輪”が欲しいんですが……」

 

 

 ――絶句

 

 

「……具体的に何を指しているのかは分かりますが、さすがにそれは無理ですよ」

 

「いくら払っても?」

 

「無理です」

 

 「国宝ですよ?」とリシアンは肩をすくめる。

 

 リリィが言っているのは、レルン地方西部にある国の国宝の一つ。

 ユークリッド王国から真っ直ぐ南下し、セアール地方を越えたところにあるその国では、今から16年ほど前に国を揺るがす騒乱が起こっており、その際に使用されたことで広く知られるようになったのが、リリィの言う“女神の指輪”である。

 いくらなんでも、国の宝を売ってもらうのは流石に無理がある。

 

「じゃあ、触れた物の魔力を吸収するという伝説の箒を……」

 

「だからそれも国宝ですって」

 

 こちらも同じ国の勇者が振るったとされる伝説の武器(?)である。当然こちらも国宝だ。手に入れられる訳がない。

 

「そう、それは残念……“ラギールの店”だったら、盗んででも仕入れてくれると思ったのに」

 

「……リリィさん、ウチを犯罪組織か何かと勘違いしてません? ……いや、密輸商ではあるんですけれど」

 

 冷や汗を流すリシアンを見て、クスクスと笑うリリィ。その様子に、どうやら冗談を言っていたらしい、とリシアンは気づく。

 

 ……そして安心する。昨夜リリィの悩みが解決したことを想い人(ヴィア)から聞かされてはいたが、こうして笑顔で冗談を言えるリリィを見て、それを実感したのだ。

 

 だが、冗談半分ではあったものの、『残念である』と言ったリリィの気持ちは本音だった。

 

 ――極端な話、リリィの危機はディアドラさえいなければ簡単に回避できる

 

 魔王の封印は一定以上の魔力と、魔王の知識さえあれば無理やり解除できる。

 リリィの精気を狙う彼女さえいなければ、リリィは魔物を倒しながら最低限封印を解除できるだけの精気を蓄えて、こっそり人間達にばれないように封印を解くだけで良いのだ。

 

 そうすれば、魔王の肉体に残った莫大な魔力を使って、魔王の魂をリリィから切り離し、魔王の新しい肉体を(つく)って、さっさとおさらばできる。

 “人間族による封印強化が完成するまで”という時間制限はあるものの、難易度は桁違いに低下するはずだ。

 

 ディアドラは魔術師。ならば、彼女の持つ手札の多くは魔術によるものだろう。

 となれば、魔術を封じる指輪があればその脅威の大半が消える。今のリリィ達でもディアドラに勝てる確率がグッと上がるのだ。魔力を奪う箒を求めた理由も同様である。

 

 リリィの笑いが治まると、今度は真剣なまなざしでリシアンと眼を合わせる。

 今度はきちんとした商談のようだ。リシアンも居住まいを正す。

 

 リリィはそれを見た後、あらためて本題となる依頼を述べた。

 

 

「“ザウルーラ”という剣を手に入れてください」

 

 

***

 

 

 ――暗黒剣 ザウルーラ

 

 原作に“最高ランクの武器”として登場する闇属性の長剣だ。

 

 魔王の封印を解く過程で、封印を強化しに訪れる姫や、その護衛と戦闘になる可能性は決して低くはない。

 魔王を封印できるほどの魔力を持つ姫や、それに準ずる力量を持つ護衛達とリリィが戦った場合、並の武器では彼女達に歯が立たないことも充分に考えられる。……場合によっては、さらなる成長をとげるであろうリリィ自身の力に武器が堪えられないことも。

 

 武器使いであるリリィにとって、それは致命的だ。“ラギールの店”には英雄が使ってもおかしくない逸品(いっぴん)(そろ)ってはいるが、相手が勇者クラスと考えると少々心許(こころもと)ない。

 そのため、リリィはどうしても……それこそ莫大な借金を背負ってでもこのクラスの武器を最低1つは手に入れておきたかった。

 

 同クラスの武器の中でこの剣を選んだのは、“斬ったものの魔力を奪う”という先ほど話題に上がった伝説の箒と同様の特殊能力を持つためである。

 

 メリットは“ディアドラに対抗できる武器”というだけではない。

 睡魔族(すいまぞく)であるリリィは精気吸収を得意とするため、剣が奪った魔力をスムーズに吸収・運用できる。そのうえ、闇属性であるこの剣は、魔族であるリリィとの親和性が高い。

 

 つまり、“リリィに最も相性がいい武器”と言えるのだ。

 

 原作では魔王が自身で錬金・合成して創造するこの武器は、その作成方法を得る過程が全く描かれておらず……魔王がどこかからレシピを手に入れるのか、はたまた魔王自身が研究してレシピを(つく)り上げるのか、リリィが魔王の魂を検索しても、彼の知識の中にこの剣の作成方法は存在しなかった。

 

 しかし、この剣は“姫狩りダンジョンマイスター”と同じ世界の別作品でも登場する。それも、リリィの物語とほぼ同時期に起こった作品の中で。

 それに気づいたリリィは、朝のうちにヴィアを通じてアルカーファミリーお抱えの情報屋に、こう()いた。

 

 

 ――『()()()()()()()()()()()()()()()工匠(こうしょう)()()()()()()()?』と

 

 

 答えは――『YES』。

 

 “神採(かみと)りアルケミーマイスター”の主人公 ウィルフレド・ディオンは、魔神アスモデウスから授けられた先史文明期(せんしぶんめいき)の科学技術を基に、3つの発明をする。

 

 1つ目は手術台。2つ目が培養槽(ばいようそう)

 

 

 ――そして最後の1つが、“ザウルーラ”なのである

 

 

 国宝である指輪や箒は、まず手に入らない。

 

 ――だが、職人が自身の手で(つく)り上げたものなら?

 

 交渉次第だが、入手できる可能性は充分にあった。

 

「ユイドラの工匠……それも次期領主候補の方の作品ですか……」

 

 リシアンの紫の瞳が宙を泳ぎ、眉間(みけん)にグッと(しわ)が寄る。

 

 国宝よりはまだ入手できる可能性があるとはいえ、それでも入手は困難。

 剣として最上級の代物(しろもの)……つまり“扱いに注意を要する危険物である”というだけでも滅多な相手には渡ないうえ、仮に渡すとしても、眼の色を変えて手に入れようとするライバル達が星の数ほど現れるだろう。

 

 なにしろ、工匠の都市国家 ユイドラの次期領主候補 最有力と評される人物の作だ。その切れ味、威力、頑丈さが並であるはずがない。

 

 そもそもリリィの話を聞く限り、売りものでない可能性の方が高い。

 

 リリィ(いわ)く、『ザウルーラの情報は未だ出回っていない』。

 情報屋によると、ウィルフレドの作品の中に該当する剣は存在せず、当時の発明はあくまで“手術台のみ”とされているらしい。なのに、どうやってリリィがザウルーラの情報を入手したのか……。

 “原作知識がソースである”など知りようはずもないリシアンには分からないが、製作者が|公表していない以上、そこには“公表したくない理由”があるはずである。

 

 そこまで考えたリシアンは、ひとつ頷いて言った。

 

「わかりました。私が直接ウィルフレド氏と交渉いたしましょう」

 

「え?」

 

 リリィは驚く。

 てっきり、“現地付近の店の者が交渉してくれる”と考えていたからだ。そのことについて()いてみると、リシアンは苦笑する。

 

「大陸南方には、“ラギール(ウチ)の店”は無いんですよ」

 

「え……? でも、昔、“誘惑の香水”を取り扱ってたことがあるって……」

 

「仕入先は有りますよ? けれど、彼らに交渉力は期待できません」

 

 リリィが“ユイドラ近辺にもラギールの店がある”と誤認していた理由は、リリィを無力化した魔法具 “誘惑の香水”を、この店で一時期取り扱っていた、という点にある。

 

 というのも、この薬を発明したのも、なにを隠そうウィルフレドその人なのである。

 

 例の事件によって、その危険性から製法が秘匿(ひとく)されているため、他の国でも製造されているとは考えづらく、てっきり密輸商である“ラギールの店”の商人が、ユイドラで直接仕入れているものと勘違いしていたのだ。

 

 ところがリシアンによると、実際にはそうではなく、ユイドラ近辺に居を構える複数の仕入先から仕入れているのだという。

 “ラギールの店”の直接の関係者ではないため能力にバラつきがあり、重要な交渉を任せることはできないらしい。それならば、直接リシアンが交渉に(おもむ)いたほうが、よほど入手の可能性がある。というのも……

 

「実は、一度経験があるんです。……お客様のプライバシーに関わるので、あまり(くわ)しくは話せないのですが、“()()()()()()()()魔導鎧(まどうよろい)()()()()()()()()()()()奇特(きとく)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――リリィの頬が引きつった

 

 

「当然、そんな変わったものを造ってくれるような方は、なかなか見つからなかったんですが……大陸南方の方まで調査して、ようやく引き受けてくださったのがウィルフレド氏のところで働いている助手の方だったんです」

 

「ところが、その方が出された条件がかなり難しいものでして……しかたなく、当時、私を指導してくださっていた先輩と、私が直接交渉にうかがったんですが……リリィさん、どうされました?」

 

 リリィは、頭を抱えてカウンターに()()していた。

 

(……まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ほぼ間違いなく、ゴーレムだった頃のアイが身に(まと)っていたトンデモ鎧の話である。あんなものが2つも3つもあるとは思えない。リシアンの『なかなか見つからなかった』という言葉も、それを証明している。なんだか、ドッと疲れた気がしたリリィであった。

 

 それはさておき、先程のリシアンの話にはリリィにとって気になる点があった。

 

「その“助手”というのは、どんな方なんですか……?」

 

「メルティさんという睡魔族(すいまぞく)の女性です。人間族ではないので、人間族の都市であるユイドラでは正式な工匠として認められていませんが、鎧に関してはかなりの腕前を持った職人のようです」

 

 

 ――誰?

 

 

 聞いたことのない……いや、()()()()()名前。

 

 リリィの知るかぎり、()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 登場する睡魔族もたった1人……“シャルティ”という名の女性で、職人どころか、働かず自由気ままにふらふらするような人物だったはずだ。

 

(……いったい、どういうこと?)

 

 リリィの知る原作知識との差異……それは、いったい何を意味するのか?

 リシアンに続けて質問するも、結局答えは得られなかった。

 

 

 ――翌日、彼はわずか1日で店を辞めて、護衛代わりの姉と共に、“ザウルーラ”を求めてユイドラへと旅立つのであった

 

 

***

 

 

 ――それから、約1ヶ月の月日が()った

 

 リリィ、リウラ、ヴィア、アイの4人は、その間に考え得るかぎりの準備を進めた。

 

 なんの準備か?

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 リリィ達が姫を襲う理由は3つ。

 

 ――1つめは、封印の儀式そのものを止めること

 

 ヴィアと出会った際にリリィが胸の痛みを感じたことから、封印は既にリリィの体調にわずかでも影響を与えるレベルにまで達していることが分かる。

 

 仮に次の儀式が行われた場合、リリィにどの程度の影響を与えるかは完全に未知数。ひょっとしたら前回のように“少し胸の痛みを感じる”程度で済むかもしれないが、へたをすればリリィの命に関わるかもしれない。

 リリィ達は一刻も早く、これ以上の儀式を阻止する必要に迫られていた。

 

 ――2つめは、魔力の確保

 

 水蛇(サーペント)の魔力を吸収し、ブリジットの軍勢の魔力を奪ったリリィの魔力は、ちょっとやそっとの魔力ではパワーアップできないほどに強化されてしまった。

 

 リリィがさらに成長するためには、最低でもブリジット級の魔力を吸収する必要がある。

 しかし、彼女とは同盟を結んでしまった以上、その魔力を奪うことはできないし、魔力の提供を呼びかけても彼女の性格から断られることは必至。

 

 迷宮をより深く(もぐ)り、探索すれば、それなりの強者がいるかもしれないが、封印強化の儀式は1ヶ月周期。1ヶ月の間に、封印を解けるレベルにまでリリィが成長できなければ、その時間が丸々ムダになる。

 それならば、その1ヶ月の間に姫たちを襲う準備を済ませておき、魔王を封印できるほどの強大な魔力を持つ姫や、彼女を護る護衛達の精気を奪う方が、確実性が高いと判断したのだ。

 

 ――3つめは、魔王が封印されている場所の把握

 

 原作で、いちおう魔王の封印場所は判明しているものの、あくまでも原作はゲーム。現実の複雑な迷宮が完全再現されている訳ではなく、ゲームを楽しめるよう極めて簡略化されている。

 つまり、原作知識を持つリリィであろうと、魔王が封印された場所を正確には把握していないのだ。

 では、どのようにして場所を把握すればよいだろうか?

 

 ――簡単だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、魔王を封印した張本人――ユークリッド第三王女 シルフィーヌならば、確実に魔王を封印した場所を知っている。

 

 ならば、シルフィーヌを襲い、魔術でその記憶を確認すれば、確実に正確な魔王の肉体の在処(ありか)が分かる。

 これは、ディアドラに(さき)んじて魔王の肉体を確保するために、絶対に成さねばならないことであった。

 

 

 ――リリィは頑張った

 

 恋人(リシアン)親友(リューナ)からの手紙を片手に『さみしい』と愚痴(ぐち)使い魔(ヴィア)(なだ)めながら、これからの作戦を立て――

 

 寝物語に“神殺し”の話をせがむ(リウラ)に、彼女が満足するまで語った後、性魔術で昇天させて姉の魔力を強化し――

 

 周囲に比べて明らかに戦闘力が低いことに悩む土精(アイ)に、とりあえず性魔術でリリィの経験を転写してみる。

 

 

 ――休む暇もない密度の濃い毎日

 

 

 そうした作業の合間を縫い、倒して精気を奪った魔物は数知れず。少しずつではあるが、リリィの魔力は天井知らずに上がってゆく。

 リリィから魔力が供給されるヴィアも、その恩恵にあずかって、少しずつパワーアップ。

 

 “これなら、まあ大丈夫だろう”と思えるだけの魔力を手に入れたリリィは、以前、水の貴婦人亭の告知板に貼られていた、例の蜥蜴人族(リザードモール)一族を配下に加えようとその住処(すみか)を訪れるも、中はわずかな留守番を残してもぬけの殻となっており、肩すかしをくらった。

 

 どうやら、“迷宮に出現した巨人族の女性がブリジットの軍を壊滅させた”という噂を聞いて、戦闘狂(バトルマニア)の血が騒ぎ、捜索&討伐に向かったらしい。

 “具体的にどこに向かったか”、“いつ帰ってくるか”は分からないようだ。

 

 心当たりのありすぎる(誤って伝わった)噂に、思わずアイを見つめるリリィ達の視線から、アイは冷や汗を垂らして眼を逸らした。

 

 ()の一族は“自分より強い者に付き従う”という、単純(シンプル)で野性的な性格の持ち主ばかりだったので、倒す実力さえあれば簡単に手に入る即戦力だったのだが……なんともはや、残念なことである。

 

 迷宮の地理についても、姫たちが通るであろうルートを絞り込み、可能な限り頭の中に叩き込んだ。

 周辺の地理に詳しく、さらには優秀な情報屋を抱えるヴィアと、大地と感応することで迷宮の構造を把握できるアイ……そして迷宮内を走る水流を感知できるリウラがいるからこそ、ほんの一部とはいえ広大な迷宮の調査を、この短期間で完了することができた。

 

 この他にも、できる限りの準備を進めてきた。

 

 

 

 

 ――リリィが、今こうしてユークリッド王宮の庭園に居るのも、その一環(いっかん)である

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。