水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第五章 好敵手 前編

「シルフィーヌ」

 

 かけられた凛々(りり)しい声に、(ふみ)に落としていた視線を上げる。

 

 色とりどりの美しい花が咲き乱れる庭園を、ガチャガチャと白銀の鎧を鳴らして1人の美しい女性がやってくるのが見えると、ユークリッド王国第三王女 シルフィーヌは庭園の中央に(もう)けられた椅子の1つから立ち上がり、空色の髪を揺らしながら笑顔で友人を迎える。

 

「エステル様」

 

 彼女は隣国ゼイドラムの姫にして、魔王を倒した勇者の血縁たる騎士――エステル・ヴァルヘルミア。若くして“姫騎士”の名で呼ばれるほどの実力者だ。

 

 彼女の視線が、ふと机の上に置かれた手紙へと動く。

 

「……義姉上(あねうえ)からの手紙か?」

 

「はい。相変わらず心配性で、わたくしの心配ばかり(つづ)られております」

 

 シルフィーヌは苦笑いとともに答える。

 

 彼女の姉――ユークリッド第二王女 セリハウアは、(しと)やかなのに朗らかで気さくという、淑女らしさと付き合いやすさを兼ね備えた人物だ。常にぶっきらぼうで愛想がないエステルに対しても、気軽に声をかけてくれる、とても聡明(そうめい)で思いやりの深い女性である。

 

 母ゆずりの金髪・碧眼が美しい美女で、政略結婚ではあるものの、ゼイドラムの王子にしてエステルの兄――勇者リュファス・ヴァルヘルミアとの夫婦関係も非常に良好。さらには外交の手腕も高く、ゼイドラムとの融和にも理解があると、エステルの目から見て一国の姫として非の打ち所がない人物である。

 

 玉に(きず)があるとすれば、妾腹(しょうふく)の子であるということ……そして、よりにもよってゼイドラムの第一王子の心を見事に射止め、しかも周囲に認めさせてしまったことであろうか。本来ならば、ゼイドラム貴族の誰かをあてがうよう、政略結婚をゼイドラム側から申し込む予定だったのだが、大誤算である。

 しかし、逆に言うならば“それほどに魅力的で人望がある人物を、ゼイドラム王家に迎え入れることができた”ということでもある。“損か得か”で言えば、間違いなく得をしていよう。

 

 このようにゼイドラムの王子を射止めることができるほど魅力的な人柄を持つ第二王女だが、彼女にもたった1つだけ困ったところがある。彼女の姉――ユークリッド第一王女 サラディーネが魔王との(いくさ)で亡くなって以降、その思いやりの深さが心配性へと変化してしまい、少し何かあるとすぐに心配してしまうようになってしまったのだ。

 それは彼女の家族だけでなくユークリッド国民、ひいては嫁入りしたゼイドラム王家やその民に対してまで発揮されてしまっている。

 

 例えば、シルフィーヌの背後に(ひか)えているメイド服の女性。

 

 美しい金の短髪と(りん)とした青い眼を持つ、凛々しさと可愛らしさが同居した女性だ。

 その落ち着いた(たたず)まいと呼吸、ピシッと伸びた背筋から、彼女が王族の護衛すら務まる一流の王宮メイドであることがわかる。

 だが、彼女はシルフィーヌの王宮メイドではない。現に、彼女専属のメイド2人は、シルフィーヌのすぐ(そば)に控えている。では、彼女はいったい誰の専属メイドなのか?

 

 

 ――決まっている。()()()()()()専属メイドだ

 

 

「アーシャ、貴公(きこう)は何故ここに居る。単に手紙を届けに来ただけではあるまい」

 

 エステルがそう問いかけると、アーシャと呼ばれた王宮メイドは苦笑しながら腰を折って答える。

 

「ご機嫌(うるわ)しゅう、姫様。お察しの通り、エステル様の補佐を務めるよう、我が主より言付(ことづ)かっております」

 

 それを聞いて瞑目(めいもく)し、大きく溜息をついたエステルは言う。

 

「不要だ……と言いたいところだが、義姉上の事だ。一度言い出したら聞くまい」

 

「大変申し訳ございません」

 

「貴公が謝ることではない。……それに、義姉上の気持ちが嬉しくない訳でもない……もう少し自分の力を信用してほしいものだが」

 

 自分のことを心から心配してくれるのは嬉しいのだが、エステルは誰もが一流と認めるほどの騎士である。まるで幼子(おさなご)を相手にするかのように心配されるのは望むところではない。

 だが何度言っても義姉は聞いてくれず、こうしてエステルもアーシャも彼女の気の済むようにさせてやる結果となっている。溜息のひとつも出ようというものだ。

 

「まあ、それはいい。だが義姉上の心配は、こと貴公に関しては誤りではないだろう? シルフィーヌ」

 

「それは……」

 

「魔王を封じてから、(いちじる)しく体調を崩していると聞く。もともと貴公は身体が弱い方ではあったが、今はその比ではあるまい……本当に、明日儀式に(おもむ)いて大丈夫なのか?」

 

「……」

 

 エステルの言うことは事実であった。

 

 シルフィーヌは確かに不完全ながらも魔王を封じた。だが、不完全であるが故に(いびつ)となった封印の影響は、すべてシルフィーヌ自身の肉体へと襲いかかった。

 それは、ただでさえ身体の弱いシルフィーヌを追い込み、今では毎日薬草の世話にならねば日常生活に支障が出る水準にまで落ち込んでいた。……こうしてエステルが、たびたび様子を見に来てもおかしくないほどに。

 

 だが、そんな彼女の言葉に、シルフィーヌは申し訳なさそうな笑顔を浮かべて答える。

 

「ご心配をおかけして申し訳ございません。でも、大丈夫ですよ。……それに、封印を完全なものにしなければ治らないことはご存知でしょう?」

 

「それは……」

 

 エステルが苦々しげに(まゆ)を歪める。

 

 そう、不完全であるが故に身体に負担をかけるというのならば、完全なものにしてしまえば良いのだ。解決策は明快である。

 だが、問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。シルフィーヌ級の莫大な魔力の持ち主でなければその作業は完遂(かんすい)できないため、結果、封印が完成するまで、さらにシルフィーヌに負担をかけるという負の循環ができあがっていた。

 

「……自分にできることは何でもしよう。だから無理はするな」

 

 一国の姫とはいえ、政治家ではなく騎士として生きてきたエステルの権力はそう大きくない。彼女がシルフィーヌに対してできることなどたかが知れているのだが、それでも言わざるを得なかった。

 なぜならエステルは、(たみ)のために身を削って奉仕するこの健気な姫のことを、心の底から友人として愛しているからだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 その事を理解しているシルフィーヌは『はい』とも『いいえ』とも答えず、ただエステルに対して心からの感謝を述べる。

 

 両国の姫がお互いを理解し、思いやる光景。

 国の垣根を超えた友情のその美しい光景を――

 

「……」

 

 ――なぜか(かたわ)らに立つアーシャは、笑顔を崩さぬまま冷ややかな視線でそれを眺めていた

 

 

***

 

 

「はぁっ!」

 

「んなろっ!」

 

 リリィの放った上段後ろ回し蹴りを、ブリジットが同じ技で返す。

 両者の足が交差するように接触し、ドオンッ! と腹に響く音を立てて空間全体がたわむような衝撃波が走った直後、リリィの足がブリジットの足に押し負け、勢いよく弾き飛ばされる。

 

 リリィは、その勢いに逆らわず、軸足で地を蹴ってブリジットから距離を取り、空中で独楽(こま)のように回転しながら左手に持った連接剣(れんせつけん)を振るう。

 勢いよく伸長(しんちょう)した蛇腹(じゃばら)状の刃が、その鋭く(とが)った切っ先をブリジットの首に突き立てんと迫る。

 

「おらっ!」

 

 しかし、それを見てもブリジットは慌てず闇属性の衝撃波を放ち、刃ごとリリィを吹き飛ばす。

 連接剣が衝撃でたわみ、すぐには手元に引き寄せられなくなったリリィは連接剣を捨て、地に両足を付けつつ新たな武器を取り出そうとするが、

 

「させるかよ!」

 

 衝撃波を追うように追撃してきたブリジットの蹴撃に(はば)まれ、転送魔術を中断させられる。

 

 (あご)を狙ってくる右の突き蹴りを連接剣を捨てた左手の甲で逸らし、そのまま手首を返してブリジットの足首を(つか)みつつブリジットに背を向け、蹴りの勢いに逆らわないようブリジットの脚を右肩に背負いながら、巻き込むように地面へと振り下ろす。

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 戦槌(せんつい)

 

 地面へと叩きつけられる瞬間、ブリジットは腕立て伏せをするように両手で柔らかく地面を受け止めて受け身を取り、直後、バネのようにその腕を伸ばしながら、リリィに掴まれていない左足の(かかと)でリリィの(あご)を打ち抜いた。

 

「ッ!?」

 

 脳を揺らされて一瞬前後不覚(ぜんごふかく)(おちい)ったリリィの鳩尾(みぞおち)に、容赦なくリリィの拘束(こうそく)から逃れたブリジットの右の爪先が弧を描くようにして突きこまれる。

 

 リリィの身体が岩壁に叩きつけられる瞬間、彼女の背後に巨大な水球が突如(とつじょ)現れ、柔らかく彼女の身体を受け止めた。

 

「それまでっ!」

 

「よっしゃっ! ボクの勝ちぃ~っ!」

 

 リウラの声が響いた瞬間、ブリジットは満面の笑みで勝鬨(かちどき)をあげた。

 

 

 

 

 

 

「……ウチのご主人様もデタラメだけど、アンタのとこも大概(たいがい)ね」

 

「……」

 

 呆れた様子のヴィアの言葉に対し、オクタヴィアは静かな微笑(ほほえ)みで返す。

 

 目的を同じくするブリジットと組んで以来、リリィ達はブリジット達とこうして限りなく実戦に近い訓練をするようになった。理由は簡単で、今のままではシルフィーヌ姫どころかその護衛騎士――姫騎士エステルにすら勝つことができないからだ。

 事実、リリィと出会う少し前、実際にブリジットはエステルにぼっこぼこにされた上で見逃されるという、非常に屈辱的な敗北を味わっている。

 

 リリィから共同訓練を提案されたブリジットは、『なんでこのボクが、お前とそんなことをやらなきゃいけないんだ!』と当初は反発したものの、強くならなければ魔王を助けられず、同格に近い戦闘力を持つリリィとの訓練は、間違いなく自身のレベルアップに繋がるため、最終的にはこの提案を呑んだ。……決して『また私に負けるのが嫌なの?』というリリィの挑発にのった訳ではない。

 

 訓練が始まってからしばらくは、リリィがブリジットを圧倒していた。というのも、ヴィアの戦闘経験吸収に味を()めたリリィが、リウラやリューナの経験までも吸収したため、経験の量も引き出しの数もブリジットを大きく上回っていたからだ。むしろ、リリィからすれば自分が吸収した経験を実戦で馴らし、使いこなせるようにするために、この訓練を提案したつもりだったのだろう。

 

 特に強力だったのがリウラの訓練経験で、意外なことに、彼女は古今東西ほぼ全ての武器の扱い方や体術の基本を修めていた。

 隠れ里でリリィから『水で大きな剣を(つく)れますか?』と言われてあっさり創ることができたのも、そうした武器を修練するために、様々な武器を水で創った経験があるからだという。

 

 雫流魔闘術を修めるための必須項目だったらしいが、そんな経緯はともかく、これによりリリィはあらゆる武器の基本を労せずして習得することができ、今までとは違うリリィの行動パターンに適応できないブリジットは、終始翻弄(ほんろう)されっぱなしだったのだ。

 

 ――ところが、そんな日が何日か繰り返された後、だんだんとリリィは苦戦するようになっていった

 

 ブリジットがリリィの行動パターンを学習したのである。

 もともと彼女は、魔王と共に戦えるよう、厳しい訓練を自身に課してきた努力家である。これまでは単純に自分を鍛えるだけだった彼女は、リリィに対し負けに負けを重ねた(すえ)、ついに反省することを覚えた。

 そして、これまでのリリィの様々な戦闘行動を思い起こし、対策を考え、ついにはそれを実践するに至ったのである。

 

 こうなると、器用貧乏と化していたリリィは、体術と魔術に絞って特化しているブリジットには(かな)わない。先ほど同じ後ろ回し蹴りを放ったにもかかわらず、ブリジットに競り負けたのがその良い証拠だ。

 追い詰められたリリィは、武器の中でも飛び抜けた応用力を誇る連接剣など、一部の武器に絞って修練を積んでいるようだが、どんどんと勝率が下がり、現在では5割を下回ってしまっていた。今ではリウラの方が勝率が高いありさまである。

 

「リリィ、今の“戦槌”は良くないよ。ブリジットさんの武器は脚なんだから、もう片方の脚がフリーの時に使ったら反撃を受けるのは当たり前だよ」

 

「……でも、お姉ちゃんの経験の中に、今の技を使ったのがあったから……」

 

「その時の相手がどんな状態だったか、リリィは知ってる?」

 

「……知らない」

 

 リリィがもらったのは、あくまで感覚的な経験のみだ。プライバシーの観点から、記憶まではもらっていない。

 

「私が相手の足の骨を折った後、動けなくなった相手が魔術だけで攻撃してくる状態だったの。私が突撃して一気に決めようとした時に、その機先(きせん)を制して、相手が無事な方の脚で飛び蹴りしてきたから……私は、あの技を使った」

 

 リウラの対人・対獣訓練は、主に、シズクがそれらを模して創った水人・水獣を相手に行われる。

 もちろん、水でできた人の足の骨が折れる訳はなく、リウラが技を仕掛け、シズクがそれを“成功”と判定したら折れた状態にする、という形だ。

 

 すでに相手のもう片方の足が使用不能の状態でのみ、あの技は使える……それがリウラの言いたいことなのだろう。リリィは(まゆ)を寄せて不満そうな顔をする。

 

「そんな状況が限定された技、いったい何の役に立つの?」

 

「リリィ、雫流魔闘術は決まった(かた)が無い、()()()()()()()()()()()()。私がシズクから習った型は全部“技の本質を学ぶため”()()のもので、それを修得できたら、次はその技を()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()。今の“戦槌”だって色んな型があったよね? リリィは、ただ私が使ったことのある型をなぞってるだけだから、そんなことになっちゃうんだよ?」

 

 ――リリィは絶句した

 

 たしかにリウラから吸収した経験の中には、同じ技の名前がついているにもかかわらず、まったく異なる型の技が3つも4つも存在していた。

 

 例えば、“戦槌”。

 先程リリィがブリジットに対して使ったように、自分の肩を支点にして相手の脚を背負い投げる技があると同時に、リウラがオクタヴィアに対して使ったように、相手の腕を体重移動で引き込んで水壁にぶつけるという技がある。一見まったく異なる技のように見えるが、その本質――“相手の突進の勢いを利用して相手の身体を振り回し、何かにぶつける”という点は全く同じである。

 

 その要点を理解し、相手や周囲の状況を照らし合わせて、その場で最も適した技や型を開発し、即座に実行する……言うのは簡単だが、するのは難しいどころかほぼ不可能である。

 そもそも“型”とは、“繰り返して身体に染み込ませることで、反射的にその技を出せるようにするもの”ではなかっただろうか?

 

「……どうやったら、そんな離れ(わざ)ができるの? まさか常に創る型を考えながら戦ってるわけじゃないよね?」

 

 そんな余計なことに気を散らしていたら、命がいくらあっても足りないはずだ。

 

「それはn「どうよ、ブリジット様の実力は! ボクがちょっと本気出したら、オマエなんかこの通りチョチョイのチョイだ!」」

 

 ――イラッ

 

 リリィの感情が乱れ、雰囲気が荒々しくなる。今のリリィを絵に起こしたら、間違いなくでっかい怒りの()(かど)が頭に描かれることだろう。

 

「ひとつ前の試合で、私にボコボコに負けてたくせによく言うね、この恥知らず。所詮(しょせん)、あなたは私の武器の実験台。ひと通り試し終わったら、あなたに勝利が(おとず)れることはないから、せいぜい今のうちに調子に乗ってなさい」

 

「な、なにおう!」

 

 憤慨(ふんがい)したブリジットと刺々(とげとげ)しいリリィが(にら)み合い、視線が火花を散らす。

 

 リリィの言っていることは強がりではあるが、決して嘘を言っている訳ではない。リウラ達のもたらした膨大な経験をリリィは未だ消化しきれておらず、試行錯誤(しこうさくご)して戦っているのが現状だ。先ほど不適切な技の選択をしてしまったことも、それを裏づけている。

 

 そして、今回の敗北でリリィは“雫流魔闘術”を自分の手札から捨てることを決めた。

 もともと水精(みずせい)向けに考案された武術だったのか、水を扱う術のレパートリーが異常に多く、しかも非常に繊細かつ素早い操作が要求される。水を感覚的に直接操作できる水精ならまだしも、魔術を使って水の精霊を介して間接的に使役(しえき)しなければ水を扱えないリリィにとって、とうてい扱える技ではない。

 

 では、“残った体術なら、なんとかなるか”と思えば、さにあらず。リウラが言うには、決まった型が無く、常にその場で型を創って戦わなければならないという。

 

 リリィの経験吸収は、吸収した相手と同じ技を繰り出すことはできても、それだけで新しい技を生み出すことはできない。新たな技を開発・修得するには、リリィ自身が考え、工夫する必要があるのだ。

 

 リウラが修得している以上、リリィもこのトンデモ武術を修得できる可能性はある。だが、このデタラメな難易度の武術を修得するためには、人並み以上に器用なリリィであっても数ヶ月単位、へたすれば年単位の鍛錬が必要になるだろう。それでは封印解除の決行日までに、とても間に合わない。

 リリィは、おとなしく“武器の扱いの基礎”だけを利用させてもらうことにしたのだった。

 

 ぎゃーぎゃー(かしま)しく言い争う少女たちを見ながら、オクタヴィアは微笑(ほほえ)ましそうに……そして、懐かしそうに目を細める。

 

「……」

 

「ずいぶんと嬉しそうね?」

 

「……はい。ご主人様がとても嬉しそうなので」

 

「……あれで?」

 

 どう見ても本気で言い争っているようにしか見えないヴィアにとって、彼女達の関係は険悪(けんあく)そのものだ。実際、目の前で試合を名目にしたガチのどつきあいが始まっている。殺気こそ無いものの、その怒りの波動はこちらにまでひしひしと伝わってくるほどだ。

 

「……かつてのご主人様と魔王様も、あのようによくケンカしておられました」

 

「魔王と?」

 

 ヴィアが驚く。

 ブリジットは確かに、そんじょそこらの戦士が束になっても敵わない猛者(もさ)ではあるが、魔王と比較すれば足元にも及ばない。そんな相手とあんな子供のようなケンカをしていたなど、ヴィアには想像もつかなかった。

 

「……ご主人様と魔王様は幼い頃からのつきあいで、ケンカしては仲直りする毎日でした」

 

「へぇ……」

 

(幼い頃の魔王、ねぇ……)

 

 ヴィアはリリィを見て思う。

 

 リリィは、本来、あんな幼稚(ようち)な挑発に乗るような性格ではない。

 最初はわざと挑発に乗っているのかとも思っていたが、そんな様子でもない。だからリリィがブリジットとケンカするたびにヴィアは不思議に思っていたのだが……

 

(子は親に似るってこと? よっぽどブリジットと相性が良いのかしら……?)

 

 いまだ()に落ちずひっかかるところはあるが、まあオクタヴィアの様子を見る限り気にするほどの事でもないのだろう。ヴィアがそう自分を納得させた時だった。

 

「ブリジット様! 人間族が迷宮内に侵入を開始いたしました!」

 

 大急ぎで飛び込んできたブリジットの配下の魔族から、開戦の知らせが告げられたのだった。

 

 

***

 

 

(どうやら自分の心配は無用だったようだな)

 

 儀式当日。

 先程、エステルの配下として割り当てられたユークリッド兵の伝令で、シルフィーヌが無事に儀式を開始した旨の連絡が入った。病弱病弱と言われながらも、なんだかんだで魔王と戦い、そして封印した姫だ。そのタフさには定評がある。

 

 儀式にはそれなりに時間がかかるため、見張り役の兵以外に休憩の指示を出すと、エステルはすぐ傍の手ごろな岩に腰を下ろす。そばに控えていたアーシャはメイドとしての作法に反するためか、腰を下ろすことなく、そのまま手を腰の前で組んだ状態で直立している。

 

 

 ――それから四半時(しはんとき)()たないうちに、彼女は現れた

 

 

「むっ!?」

 

「!?」

 

 まるで爆発したかのように膨れ上がる巨大な魔力。

 感じられる性質は明らかに闇寄り――間違いなく強力な魔族。

 

 エステル達の正面から堂々と気配は近づき、そしてその姿を(あら)わにした。

 

「また子供……だと……?」

 

 警戒しつつも戸惑(とまど)うエステルの声が漏れる。

 

 現れたのは、先日追い払った魔族と同じくらいの年頃(としごろ)睡魔(すいま)だった。

 だが、その膨大な魔力と真っ直ぐにエステルを見据える意志のこもった目つきが、決して侮ってはならない相手であることを否応(いやおう)にも認識させられる。

 

 周囲の兵達は、そのほとんどが相手の魔力の大きさに萎縮(いしゅく)してしまっており、(くだん)の睡魔の少女に向かって制止の声を上げるも、少女に無視されている。

 

 中には勇気を振り絞って剣を、槍を少女に向けて振るう者もいたが、それらは全て少女の周囲に張られた結界に呆気なく弾かれ、エステルに向けられた少女の視線を逸らすことすら叶わない。

 

 エステルは岩から腰を上げて少女がこちらに来るのを待つ。

 少女は、あと1歩でエステルの剣の間合いに入る、という絶妙な位置でその歩みを止めた。

 

「……あなたがゼイドラムの姫騎士 エステル・ヴァルヘルミアですか?」

 

「いかにも。……貴公(きこう)は何者だ?」

 

「私は睡魔のリリィ。ひとつ貴女に聞きたいことがあります」

 

「……なんだ?」

 

 『聞きたいことがある』と言われて、真っ先に思いついたのは、“自分はこの少女の家族の(かたき)なのではないか”という推測だ。

 エステルは騎士として人間族を守るために多くの魔族を斬ってきたので、充分にあり得る話である。

 

 しかし、それにしては、こちらに向けられる念に怨みや憎しみといった負の感情を感じない。

 いくら魔族とはいえ、見た目(おさな)い子供に対して剣を向けるのは気が引けることもあり、とりあえずは話を聞くべきか、とエステルはリリィと名乗る少女に話の続きを(うなが)した。

 

「『今、魔王の封印を解かなければ、私も人間族も大変なことになる。だから、すぐに封印を解いてほしい』……と言われて、あなたは話を聞く用意がありますか?」

 

 エステルは眉をひそめる。

 

 彼女は知らない。

 今すぐ魔王の封印を解いて、リリィが魔王の魔力を手に入れなければ、ディアドラが新たな魔王となる可能性があることを。

 原作においてディアドラが魔王となった場合、ゼイドラムのみならず、人間族すべてに対して牙を()く、ということを。

 

 だから、彼女は己が信念に従って、こう答えた。

 

「……愚問(ぐもん)だ。自分は民を守る騎士。民の命を(おびや)かす魔王を復活させるなど、あり得ない」

 

「事情を聞く気は?」

 

「無い。『例えどんな理由が有ろうと、それだけは絶対にしない』と断言できるからな」

 

「……なら、仕方ありません」

 

 リリィが右手をスッと横に伸ばすと、どこからともなく刃から(つか)まで透き通るように透明な大剣が現れ、その手に握られる。

 

(……妙な剣だな。警戒しておく必要があるか……)

 

 剣から強力な魔力が感じられる。おそらく、なんらかの呪鍛(じゅたん)魔術がかけられているのだろう。単に間合いが取りづらいだけの剣ではないはずだ。

 

 スラリと(さや)から愛剣を抜く。

 姫騎士エステルのために独自の装飾が(ほどこ)されたその美しい両手剣は、迷宮の壁面に(とも)燐光(りんこう)を反射し、その鋭さを伝えるかのようにギラリと輝く。そして次の瞬間、

 

 

 ――闘気が爆発した

 

 

 エステルの身体から莫大な闘気が立ち昇る。その(さま)は、さながら龍が滝を登るが(ごと)し。

 リリィを遥かに上回るデタラメな闘気量に、思わずリリィの表情が引きつっている。

 

「……逃げるなら今の内だ。敵として向かってくる以上、例え女子供といえど容赦はしない」

 

「……できません。私は私の大切なものを護るため、あなたを倒さなければならない」

 

 スッとリリィが大剣を大上段に構える。

 それを見て、エステルは眉をひそめた。

 

(……未熟すぎる)

 

 リリィの構えは大剣の基本にのっとったものであったが、あくまでそれだけ。平均的な一般兵士に毛が生えた程度であり、到底エステルと戦える水準には達していない。

 この程度で姫騎士と(うた)われた自分の前に立とうとするとは……おそらくは彼女の持つ魔力の大きさから“力押しで何とかなる”と考えているのだろうが、『浅はか』と言う他ない。

 

 エステルは、ゼイドラム王家に伝わる由緒(ゆいしょ)正しい構えでリリィに向き合う。

 実戦の中で磨きに磨き抜かれた、無駄のない美しい構え。ヴィアやリウラの戦闘経験を吸収したリリィであっても、わずかな隙も見つけられない見事な立ち姿だ。

 

 しかし、リリィは(おく)することなく地を蹴ってエステルへと突撃する。

 

 爆音とともに地が弾け、リリィの身体が瞬時にエステルに迫る。その速度は、アーシャを除いた周囲のユークリッド兵がその姿を見失う程に速い。

 

 だがこの程度の速度、エステルにとってはまだまだ生温(なまぬる)い。

 彼女の兄は、この何倍もの速度で地を駆け、剣を振るう。エステルは余裕を持って剣を袈裟懸(けさが)けに振り下ろす。

 

 

 ――エステルの斬撃が止まった

 

 

(なっ……!?)

 

 いや、斬撃を止めたのは()()()()

 

 突然足があらぬ方向へ(すべ)り、反射的にバランスをとるため、手が斬撃を中止したのだ。

 

(いったい、何が……!?)

 

 とっさにリリィが振るう剣を受け止めようと、自分の剣を眼前に配置する。リリィの剣がエステルの剣に触れるその瞬間、

 

 

 ――今度は、()()()()()()()()()

 

 

(!!?)

 

 続けざまに起こった未知の現象に混乱し、思考が一瞬停止する。

 その隙に、液状化したリリィの剣は、先端を鋭く尖らせた(いく)つもの槍の穂先のような棘と化し、鎧に覆われていないエステルの首へ頭へと襲いかかる――!

 

「エステル様!」

 

 その様子を見たアーシャが援護に入るために駆け出そうとした瞬間、自分の足元から前方にかけて何者かの魔力を感知し、とっさに右へと跳ぶ方向を変える。

 

 

 ()()()()()()()()()――その異様な光景をアーシャは目にした。

 

 

(なんて、いやらしい魔術……! エステル様が足を滑らせた理由はこれか!)

 

 翼を持たない人間族にとって、大地は文字通り自らを支える基盤である。当然、彼らの使う武技は、そのほとんどが不動の大地に足を置くことを前提としており、そこを崩されるということは闘うことそのものを封じられたに等しい。

 

 ――だが、その程度でやられるほど、ユークリッドの王宮メイドは甘くない

 

 アーシャの足が再び地に触れた瞬間、彼女の姿は既にそこになく、エステルの真上――迷宮の天井に足を置いていた。

 

 こちらの足を(すく)おうとする以上、敵は必ずこちらの足元の地面に魔力を浸透させ、支配下に置く必要がある。つまり、どうしてもワンテンポ遅れてしまうのだ。ならば敵が魔力を込め切る前に動いてしまえばいい。

 

 しかし、言うは(やす)し行うは(かた)し。

 敵が魔力を込めるのは一瞬。その間に周囲の状況を把握し、移動先を選択してアクロバティックに飛び跳ねながら、さらに戦闘までこなすのは至難の技だ。

 

 ――ましてや、味方のフォローまでするとなれば、さすがのアーシャも不可能なレベルである

 

(エステル様は!?)

 

 アーシャが視線を向ければ、なんとか手甲で全ての水槍を弾き、双刀を振るう睡魔の少女と斬り結ぶエステルの姿があった。おそらく、水槍の狙いが甘かったのだろう。そうでもなければ、とうてい防御が間に合うタイミングではなかった。

 

(――!?)

 

 突如として感じる膨大な魔力。

 睡魔の少女でも地面を操る何者かでも、もちろんエステルでもない。さらなる新手(あらて)の登場に、少なくない焦燥感がアーシャを襲う。

 

(あれは……!?)

 

 反射的に魔力を感じた方向に視線を向ける。そこにあったのは――

 

 

 

 ――湖から押し寄せる、巨大な()()であった。

 

 

 

***

 

 

 近隣の住民から“聖なる地底湖”と呼ばれる湖の中……ゆらゆらと揺れる水生植物(エルファス)に囲まれた水底(みなそこ)で、感覚共有の魔術によってリリィと視界を共有していたリウラは、己が操る水槍がエステルに防がれたことを知ると、すぐさま次の行動に移る。

 

 共有する視界をアイのものに切り替える。

 

 土塊(つちくれ)に“人としての機能”を与えられて生まれたアイは、その気になれば魔力を通した土・岩・地面の全てから視覚・嗅覚・聴覚情報を取得することができる。

 彼女の魔力が浸透している天井の一部の感覚から全体を俯瞰(ふかん)する視界を得ると、勢いよく両手を合わせ、精神を集中させる。1ヶ月近くにわたりリリィから性魔術によって魔力を供給され、成長し続けてきたリウラの莫大な魔力が、瞬時に湖の水の9割を支配する。

 

 そして次の瞬間、それらは巨大な一枚岩(モノリス)(ごと)(そび)え立ち、雪崩(なだれ)を打ってエステル達に襲いかかった。

 

「くっ……!」

 

 しかし、現在進行形でリリィと剣を合わせているエステルには、この攻撃を回避する(すべ)がない。

 

 キャミソールドレスのスカートの下……太ももに巻いたベルトから素早く抜いたリリィの本来の獲物である双刀が、まるで先程の大剣の未熟な剣技が嘘のように、怒涛(どとう)の連撃を叩き込み続けているが故に、それ以外の行動を取ろうものなら、その瞬間に小さくない怪我を負ってしまう。

 

 

 ――そして、津波がリリィごとエステルを飲み込んだ

 

 

 ……ように、エステルは感じていることだろう。

 実際には、津波は綺麗にリリィを避けて降り(そそ)いでいる。

 

 全力全開で魔力を高めている戦闘状態のリリィの位置を避けて津波を振り下ろすことなど、リウラの水操作技術をもってすれば朝飯前である。

 

(……あのメイドには避けられたか……やっぱり彼女は無視できないイレギュラーだね)

 

 滝のように雪崩落ちる水壁の先のエステルから視線を外さないまま、リリィはアーシャの位置を気配で感じ取り、リウラの津波が(かわ)されたことを悟る。

 

 エステルの(そば)に控えていた金髪メイドの少女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リシアンから原作知識に存在しない睡魔の少女――メルティの存在を聞いた時から、リリィはこう考えていた。

 

 

 ――おそらく、この世界は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その理由が“ゲームと現実の違い”なのか、リリィのように“他世界からの転生者がいるため”なのか、はたまた“原作とよく似た平行世界である”のかは分からないが、原作とは異なる様々な可能性を想定しなければならないとリリィは心構えをしていた。

 

 そして、(あん)(じょう)。リリィの知識に存在しない人物がここに居る。

 

 リリィの知識では、迷宮に潜る王宮メイドは2人。シルフィーヌつきの姉妹メイド――短剣使いのサスーヌと槍使いのヴィダルだけである。

 しかも、彼女達は常にシルフィーヌの傍に控えており、敵を迎撃する際にしかその傍を離れないはずだ。

 

 さらに言えば、金髪メイドの少女は、リリィの眼から見てもハッキリ『美しい』と言える容姿であり、その洗練された動作から、姫騎士エステルに劣らない実力を持っていると感じられる。

 つまりは、非常に魅力的で個性的なキャラクターなのだ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女に関しては、まったく情報がない。

 どのような思想を持ち、どのような戦闘手段を持っているのか分からない以上、説得するにしろ、叩きふせるにしろ、すべて手探(てさぐ)りで行う必要がある。

 

(……頼んだよ、ヴィア)

 

 原作知識が通用しない以上、生まれて間もないリリィよりも、交渉においても戦闘においても桁違いの経験を誇るヴィアの方が適任。こうしたイレギュラー対策のため、エステル以外の強敵に対する対応はヴィアに一任してある。自分はエステルを倒すことだけに集中すればいい。

 

(リリィ!)

 

 リリィの頭の中にリウラの声が響き、ピクリとリリィの猫耳が跳ねる。

 

 リリィの主である魔王が扱う魔術の中には、彼が独自に編み出したオリジナルの魔術がいくつか存在する。

 

 例えば、回復魔術。

 一般的に回復魔術と言えば、光であれ闇であれ、神の力を借りる神聖魔術が一般的だ。

 エルフなど精霊との関わりが深い種族は、大地の精霊の力を借りることで癒しの力を行使できる場合があるが、いずれにせよ超常の存在に力を借りることで癒しの力を発動させることが多い。

 

 ところが、魔王はそれらの例に当てはまらず、自らが保有する精気によって自身・あるいは他者を癒す魔術を組み上げている。この魔術があるからこそ、リリィは特に信仰する神がいないにも関わらず、癒しの力を行使することができる。

 

 今回、リウラからの合図を受け取ることができたのも、そうした魔王独自の魔術の恩恵(おんけい)だ。

 

 彼が扱う使い魔契約は、心話(しんわ)によって使い魔との意思疎通を可能とする。

 原作の魔王はこれを利用し、遠距離に居る使い魔からの偵察情報を瞬時に手に入れることに利用していたが、今回リリィはそれを戦闘時の意思疎通の手段として利用したのだ。

 

 すでに使い魔契約を結んでいる“リリィ――ヴィア”の組み合わせを除いた全ての仲間同士で、リリィ達は使い魔の仮契約を結んでいる。これにより、リリィ達は意識さえはっきりしていれば、いつでも味方と意思疎通できるという大きなアドバンテージを得ている。これを利用すれば、作戦の立て直しだろうと、コンビネーション攻撃だろうと思いのままだ。

 

 

 ――例えば、こんな風に

 

 

 リリィは、心話によってリウラから合図をもらった瞬間、すぐに短刀(ダガー)を握った左の拳を真横に突き出し、その先にある水塊へと雷撃を放った。

 

 バリバリバリバリ……ッ!!

 

 目も(くら)むような稲光とともに、弾けるような電撃音が辺りを包む。水を通してエステルに雷撃を叩き込んだのだ。

 手加減の必要はない。相手は自分よりも格上の相手だ。殺す気でやらねば、こちらがやられる。

 

 ――ゾクッ!

 

 リリィの第六感が最大級の警鐘を鳴らす。

 頭で考えるよりも先に身体が左へと跳ねると、リリィの足先を(かす)めるように前方から闘気の刃が通り抜けた。

 

 直後、轟音と共にリリィが(にら)む先の水壁が吹き飛ぶ。まるで爆弾が爆発したかのように勢いよく飛び散った水の中から現れたエステルは、獅子の如き強烈な咆哮(ほうこう)と共に飛び出し、リリィに唐竹割(からたけわ)りを叩き込む。

 

 リリィはそれを左の短刀(ダガー)で一瞬だけ柔らかく受け止め、その威力に肘が破壊される直前に左――リリィの身体の外側へと斬撃を受け流す。

 

 本来なら同時に右の短刀(ダガー)で攻撃するところだが、()えてそれをせずに後ろに退()く。

 すると案の定、リリィの斬撃速度を軽く上回るスピードで切り返されたエステルの両手剣がリリィの首に迫り、リリィはそれを(あらかじ)め構えていた右の短刀(ダガー)で素早く剣先を弾きとばす。

 

 ――ガギギギギギギギッ!

 

 嵐のようなエステルの連撃を、リリィは流れるように双剣を振るって(ことごと)く受け流してゆく。一見互角の勝負をしているように見えるが、リリィの険しい表情を見れば、それが誤りであることがわかる。

 

 両手剣と片手剣……より取り回しづらく重いのは、当然両手で扱うことを前提にして造られた両手剣の方だ。

 にもかかわらず、攻撃速度はエステルの方が上。つまり、それだけリリィとエステルの膂力(りょりょく)に差があるということである。

 

 そのパワー・重量・速度が掛け算された攻撃力は半端(はんぱ)ではなく、今や水蛇(サーペント)を超える魔力を持つリリィが全身全霊、細心の注意を持って攻撃を受け流しているのに、手が(しび)れて短刀(ダガー)が今にもすっぽ抜けそうなのを必死に耐えなければならない程である。

 

 先程、リリィの全力の雷撃をもろに受けて全身が痺れているはずなのに、この強さ……“姫騎士”という(ふた)つ名で呼ばれるだけのことはある。

 

 だが、そんな事は最初から想定済みだ。

 原作において、ブリジットとオクタヴィア、さらには魔王とリリィまで加えた4人がかりでも簡単にエステルに蹴散らされたことを、リリィは知っている。その差を埋めるための策は、いくつも用意している。

 

 

 ――雫流魔闘術 驟雨(しゅうう)

 

 

 その時、天から水の弾幕が降り(そそ)いだ。

 

 

 ――水精(みずせい) リウラの登場である

 

 

***

 

 

 リウラに与えられた役割は、大きく分けて2つ。

 

 ――1つは、リリィのサポート

 

 いくら強大な魔力を誇るリリィといえども、姫騎士エステル相手に単独で立ち向かうのはあまりに無謀であり、必ず誰かのサポートを必要とする。

 近接戦の専門家であるエステルと相対(あいたい)する以上、簡単に討ち取られないよう、後衛を得意とし、応用力の高い変幻自在の水術を駆使するリウラが、この役割を与えられたのは必然であった。

 

 ――もう1つの役割は、雑魚の掃討(そうとう)

 

 この世界では個人が数を凌駕(りょうが)することは珍しくないが、それでも数が力であることには変わりない。仮に数に物を言わせてリリィに対して妨害を仕掛けられたり、あるいは電撃で動きが(にぶ)っているエステルに治癒の魔術か魔法具(まほうぐ)でも使われたら、それだけでリリィがギリギリで保っていた均衡(きんこう)が崩れ、この戦いの敗北が決定する。

 雑魚であるが故に排除すること自体は簡単だが、排除するスピードが仲間の命すべてを左右する重要な役割であった。

 

 リウラは水の足場の上に立って、迷宮の天井付近から全体の状況を把握しながら、津波で一般兵を押し流すと、素早くエステルを飲み込んだ水の塊と切り離し、心話(しんわ)でリリィに合図を送る。

 

 

 ――直後、エステル側の水塊が、連続する破裂音と共に、目を貫かんばかりの稲光(いなびかり)(まと)った

 

 

 電撃というものは、相手が弱ければほんのわずかな電力でも命取りになる、極めて殺傷力が高い攻撃手段である。

 

 エステルほどの闘気の持ち主であれば、リリィの全力だろうと動きが鈍る程度で済むだろうが、一般兵はそうではない。ここでいたずらに死者を増やしてしまえば、のちのち人間族と和解したり交渉したりする際に悪影響が出てしまう。

 今後の行動の選択肢を増やすため、どうしてもリリィの電撃の範囲から彼らを外さなければならず、リウラは可能な限り迅速(じんそく)に水の塊を分ける必要があった。

 

 リウラは、押し流した一般兵が体勢を立て直す前に水塊を操作して、巨大な渦潮(うずしお)を創造する。

 

 エステルのような規格外の膂力(りょりょく)や闘気を持つか、あるいは特殊な魔術・魔法具を用いない限り、人間族は水中では行動力が激減する。

 特に鎧を着ていればそれが顕著(けんちょ)に現れ、専用の泳法を学んでいなければ浮かぶことすらままならない。

 

 そこに激しい流れを加えられては、最早(もはや)どうすることも出来なくなる。

 リウラはユークリッド兵達が死なないよう注意しながら、ある程度消耗したところで全ての水を宙に引き上げ、兵達を解放する。そのほとんどがグッタリと地に身体を横たえていたが、屈強な者は剣や槍を杖にして立ち上がろうとしている。

 

(――!)

 

 リウラの感覚が、エステル側の水塊の拘束が破られたことを彼女に伝える。リウラはすぐさまそちらの水塊も宙に引き上げ、精神を集中させた。

 

 

 

 ――雫流魔闘術 驟雨(しゅうう)

 

 

 

 空が無いはずの迷宮内に、局地的なスコールが発生する。

 

 だが、ただの豪雨ではない。その小さな雨粒一つ一つはリウラの魔力が込められた水の魔弾だ。

 死なないよう貫通力はなくしてあるが、代わりに、接触した瞬間に変形することで余すことなく伝えられた衝撃が、例え鎧の上からだろうと容赦なく兵士の肉体を貫き、その意識を奪ってゆく。

 

 ――パンッ!

 

(!?)

 

 リウラが、自身の周囲に張っていた水の結界が破られたのを感知した瞬間、リウラは素早くその場から飛び退(すさ)る。リウラの頬に線を刻むように、あふれんばかりの闘気が込められた投げナイフが通り過ぎた。

 

 リウラは戦慄(せんりつ)の表情で、ナイフが飛んできた方向を見やる。

 

(……()()()()()()()()()……)

 

 通常、生物は行動する前に、必ず何らかの()を放つ。生物が、まず心で行動を決めてから動く仕組みである以上、それは決して避けられないことだ。

 雫流魔闘術は、その相手の意を察知することで行動を先読みし、その行動を妨害することを基本のひとつとしている。特に相手を害するような攻撃的意識――俗に殺気と呼ばれるそれは、生存本能も敏感に反応するため、非常に感知しやすい。

 

 なのに、結界にナイフが接触するまでリウラは攻撃に気付けなかった……それも、あれだけしっかりと闘気が込められたナイフを。

 

 リウラの頬の上の傷痕(きずあと)が瞬時に消える。

 傷を癒した訳ではない。頬の上に展開していた水の膜を修復したのだ。

 

 リウラ達の相手は、あの魔王を封じた姫君とそれを護る従者たち。どんな強力な攻撃手段を持っているか分からない以上、どれだけ備えても備えすぎるということはない。

 そこで、リウラは(あらかじ)め水の結界を周囲に展開するだけでなく、全身に水の膜を纏うことで防御力を上げておいたのだ。

 

 リウラはナイフを投げたであろう人物――メイド服の女性に向き直り、その姿を見て違和感を覚える。

 

(あれ……? この人、どこかで見たような気が……?)

 

 初対面であることは間違いない。だが、その顔立ちが、そして纏う気配が、リウラの知る誰かに似ている。

 

(あ、そうか。ヴィアさんと少し似てるんだ、この人)

 

 数瞬後、それが仲間の猫獣人(ニール)であることに気づく。そうした余計な思考を(はさ)みつつも、リウラの身体は染みついた師の教えに無意識に従い、半身(はんみ)に構えてゆっくり静かに息を吐いた。

 

 

 ――直後、急速に空間内の湿度が上昇する

 

 

 心持つ生物である限り、行動前に意を放つことは避けられない。だが、それを修練によって限りなく“薄く”することは可能だ。リウラが感知できなかった以上、目の前のメイド服の女性は少なくともその技術においては、師であるシズクと同等かそれ以上だと想定した。

 

 そして、その想定は間違っていなかった。

 

 弓を使っても問題ないほど開いた距離を一瞬にして詰められ、有効射程に入ったナイフがリウラに迫る。

 

 気がついたらそこにいた、と言わんばかりの完璧な無拍子(むひょうし)

 ふわりとしたロングスカートが足の動きを隠していることも災いし、その動作から動きを予測することがリウラにはできなかった。闘気や魔力も()いだかのように静かで、気配察知で予測することもできない。

 

 ――スッ

 

 しかし、リウラは極めて的確に彼女のナイフを回避した。

 

 

 ――雫流魔闘術 狭霧(さぎり)

 

 

 自身が魔術的に支配する霧を発生させることで、その霧の動きを通して周囲の状況を知覚する技である。

 霧の密度が濃ければ濃いほど探知精度が上がり、薄ければ薄いほど敵がカラクリに気づきにくくなる特徴を持っており、“少し蒸し暑い”程度の湿度で展開したそれに、このナイフ使いの女性は気づいていないようだった。

 

 だが、技量そのものは相手の方が遥かに上。

 高精度の探知技を駆使しているにもかかわらず、反撃の糸口がつかめないどころか距離を離すことすら許されず、リウラは相手の攻撃を防ぎ、かわすことだけで手一杯になってしまっている。

 

 アイも先程から土槍や地滑(じすべ)り、岩弾を駆使してリウラの周囲を跳び回るアーシャを邪魔しようとしているのだが、すべて易々(やすやす)(かわ)されてしまっていた。

 

 このままでは、いずれ隙を突かれて殺される。

 

 リリィの方も、リウラの援護が途切れた所為(せい)で徐々に追い詰められている。

 

 圧倒的に不利な状況。なのに、リウラの眼から希望の光は消えていない。

 

 

 

 ――そして、リウラ達が待ちに待った声が聞こえてきた

 

 

 

 

「エステル様ッ! 姫様が!!」

 

 

 

 

 ――1人の兵士の焦燥に満ちた声が辺りに響いた

 

 

 

 

 

 

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