水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第五章 好敵手 中編1

「エステル様ッ! 姫様が!!」

 

 迷宮に、焦りに満ちた大声が響く。

 

 迷宮の奥……シルフィーヌ姫がいるはずの方角から、大慌てで兵士がやってきた。

 頭に兜、全身に鎧をつけているために分かりづらいが、その声からして女性兵士のようである。

 

「どうした!?」

 

 リリィの腹部に蹴りを叩き込んで間合いを離しつつ、すぐさまその兵士へと一足飛(いっそくと)びに駆け寄るエステル。

 

 蹴られた瞬間に後ろに跳んでダメージを減らしたリリィは、すぐさま体勢を立て直して構えるが、エステルに向かってはこない。

 どうやらこの隙に息を整えようとしているらしく、その証拠にエステルが刻んだいくつもの細かい裂傷が見る間に癒えていく。

 

 兵士は焦りながらもリリィに視線をやると、敵に漏らしてはまずい話だと思ったのか、すぐに「恐れながら、耳をお貸しください」とエステルに頼みこむ。

 

 エステルも戦場で……しかも友好国の姫であり、個人的な友人の危機という緊急事態においてまで、礼儀にあれこれ言うような常識知らずではない。すぐにスッと兵士の口元に耳を寄せる。

 

 

 

「――()()()()()()()()()()!!」

 

 

 

 耳をつんざくようなアーシャの悲鳴。

 それを耳にした瞬間、エステルは全力で地を蹴って後ろへ跳ぶ……が、

 

「ぐっ……!?」

 

 時すでに遅し。

 

 

 ――鎧の隙間を縫うように、エステルの腹からナイフの柄が生えていた

 

 

 まるで焼き(ごて)を当てられたかのような灼熱感に堪えつつナイフを引き抜いて投げ捨て、脂汗を流しながらエステルは兵士を(にら)みつける。

 

「貴様、何者だ!?」

 

「……」

 

 ――ヒュヒュッ!

 

 答えを返さぬ兵士の足元から、2本の短剣(ダガー)(つか)を上にした状態で飛び出る。

 兵士は、まるでそれを知っていたかのように各々の手で短剣(ダガー)をつかみ取ると、スッと腰を落として構えた。

 

(……この構えは……っ!?)

 

 エステルは瞠目(どうもく)する。

 

 先程まで戦っていた睡魔の少女と瓜二(うりふた)つの構え。そして、自分達を妨害していたであろう土使いから武器を受け取ったという事実。

 それが意味することは、目の前の兵士が明確に魔族の味方であるということだった。

 

 間者(スパイ)なのか、洗脳されているのか、それとも服と鎧を奪った別人なのかは分からないが、これがエステルを倒すために練られた策であることは間違いない。

 

 ヒュッ!

 

 地を()うように姿勢を低くして、兵士はエステルへと突っ込む。

 それを迎撃せんと、肩に担ぐように剣を構えたエステルは、腹部の激痛に耐えながら剣を振るうタイミングを計る。

 

 トントンッ

 

(!?)

 

 しかしそんなエステルを嘲笑(あざわら)うかのように、軽やかに兵士は宙を駆け上がり、エステルの上を通過する。

 痛みを(こら)えて集中すれば、そこには透明な階段のようなものが忽然(こつぜん)と姿を現していた。

 

 兵士はそのまま階段を駆け上り、空中を飛び跳ねて水精(みずせい)と戦うアーシャに、背後から襲いかかる。

 そうはさせじと、エステルは闘気の刃を兵士に向かって放とうとするが、突き刺さるような殺気に身体が反応し、反射的にそちらに向かって剣を突き出す。

 

 ジャラッ!

 

「なっ!?」

 

 その瞬間、エステルの両手剣に金属質な音を立てて何かが絡みつく。

 

 

 ――直後、彼女の身体を電撃が貫いた

 

 

「がああああぁぁっ!!」

 

 エステルは痙攣(けいれん)する身体を意思の力で無理やり抑え込みつつ、自らの剣を見る。

 

連接剣(れんせつけん)だと!?)

 

 エステルの剣を封じたものの正体は、リリィの右手から伸びる蛇腹(じゃばら)剣の刀身であった。

 

 

 ――接技(せつぎ) 電撃剣(でんげきけん)

 

 

 電撃の魔術を剣に付与して敵を攻撃する魔法剣(まほうけん)の一種だ。

 連接剣による攻撃の中では基本的な技に位置するものの、リリィの魔力を持ってすれば絶大な威力を発揮する。

 

 なによりいやらしいのは、鎧に剣がかすったり、剣同士を打ち合わせたりするだけで敵にダメージが走る点だ。

 

 今リリィがしているように、敵の武器に絡ませながら電撃を走らせれば、身体が痺れた敵はあっという間に武器を奪われてしまう。

 エステルの桁外れの闘気と膂力(りょりょく)がなければ、とっくにエステルは自分の獲物を奪われていただろう。

 

(こいつ……っ! この歳で双剣だけでなく、大剣に連接剣まで操るだと……!?)

 

 リリィの年齢で、大人以上に武器を操る天才戦士は珍しいが、いない訳ではない。

 だが、それは1つの武器に、それまでの己の人生を賭けて修練を積まなければ、とうてい成し得ないことだ。

 

 ところが異常なことに、この睡魔(すいま)の少女は、双剣以外は二流とはいえ、まったく異なる武器3種を実戦レベルで操っている。ましてやそれが、玄人(くろうと)でも扱うのが非常に難しい連接剣とあれば尚更(なおさら)だ。

 

 その動揺した瞬間を狙って、少女はもう片方の手に握ったままの短剣(ダガー)をエステルの頭部めがけて投げつける。

 

「甘い!」

 

 エステルは短剣(ダガー)を無視してリリィへ真っ直ぐ踏み込み、連接剣が絡みついたままの両手剣を大きく振りかぶる。

 

()った!)

 

 武器を投擲(とうてき)した瞬間の無防備な状態。

 相手に、こちらの攻撃を咄嗟(とっさ)に防御できる武器もない。

 連接剣が絡みついたままではうまく斬撃が放てないが、鈍器としてなら十分だ。頭部を攻撃してやれば確実に殺せる。

 

 この瞬間、エステルは勝利を確信した。

 

 

 

 ――強者が油断する数少ない機会……その一つは勝利を確信した瞬間である

 

 

 

 ……ゴクリ

 

 ()()()()(のど)()()()()嚥下(えんか)()()()()()()()

 

 

 

 ――エステルが気づいたとき、リリィは彼女の懐に飛び込み、兵士のナイフで開けられた腹の穴にその手刀を差し込んでいた

 

 

 

「っ……がっ……」

 

 エステルには理解できない。

 

 

 ――どうして、あの瞬間にカウンターが成立したのか?

 

 

 武器を投げ放ったあの体勢からカウンターを成立させるためには、エステルが踏み込んだ瞬間に重心をエステル側に移動し、腰を(ひね)って手刀を叩き込むという一連の動作が必要になる。

 しかしその動作は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、エステルを超えるスピードが要求されるのである。

 

 今までは()えてスピードを抑えて戦っていた? ……いや、それはない。

 リリィの技量は明らかにエステルよりも格下。手加減して戦える相手ではないし、仮に手加減していたとしたら、その動作のぎこちなさに気づかないはずがない。

 

 では、ねこぱんちの要領で、魔力で自分の背を弾き飛ばした?

 それなら、前兆となる魔力の集中をエステルが感じなければおかしい。

 

 

 バリバリバリバリッ!!

 

 

 エステルの腹の傷口に手を突き入れた部分から、リリィは容赦なく電撃を放つ。

 さすがの姫騎士も体内に直接たたき込まれた電撃には耐えられず、白目を()いて崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「……ふうっ」

 

 なんとか無事にエステルを仕留めたリリィは、安堵(あんど)の溜息をつく。

 

 リリィが仕掛けたタネは簡単だ。

 なんのことはない、ただの“()()()()()”である。

 

 リリィの口内に仕込まれていた薬……その名は“加速の妙薬(みょうやく)”。

 

 服用した者の肉体の行動速度を上昇させる魔法薬である。

 とはいえ、3倍も4倍も速度が上がる訳ではない。個人差はあるが、せいぜい1.2~1.3倍、どんなに良くてもギリギリ1.5倍といったところだろう。エステルであれば余裕で対応できる速度だ。

 

 ――だが、今しがたリリィが使用したように、“ここぞ”という場面で使えば効果は絶大

 

 完全に相手がリリィの速度に慣れ、しかもそれがリリィの全力だと確信していたのならば、突如(とつじょ)として上昇したリリィの速度に相手はついていけなくなり、攻撃をまともにくらってしまう。

 『初見殺(しょけんごろ)し』と言って差支(さしつか)えない、凶悪な攻撃手段である。

 

 

 (……あれ? なんか、思った以上に上手く戦えた……?)

 

 ここ最近、ブリジット相手に負けが込んでいたリリィは、いくつもの策略にはめて弱体化させたとはいえ、明らかにブリジット以上の実力者であったエステルに、あっさり勝てたことを不思議に思う。

 しかし、すぐにその原因に思い至った。

 

 (……そっか。ブリジットと戦ってたとき、私、無理にお姉ちゃん達の技を使おうとしてたから……)

 

 リウラやリューナから得た経験に慣れるため、ブリジットとの模擬戦で、リリィは意識的に彼女達の技を無理にでも使おうとしていた。

 

 しかし、リューナは弓と魔法主体の中~遠距離戦専門。リウラは近距離戦もできるものの、使う技はその都度型を創るというトンデモ武術。そんなものを近距離戦の専門家であるブリジット相手に使おうものなら、ボコボコにされるのは当たり前である。

 最初は引き出しの多さに混乱させることができても、対策されてしまえばそれまでだ。

 

 対して、エステル戦では、リリィの中で最も近接戦に適したヴィアの技をベースに、リリィが感覚で連接剣や手刀といったリウラの技術を使った結果、自分でも驚くほど適切かつスムーズに技を繰り出せた。

 

 おそらくは、魔王によって与えられたリリィの神がかった戦闘センスが、瞬時にその場面で最適な技を判断したのだろう。

 ……これからは、可能な限り、自身の感覚や直感に任せて戦った方がよさそうだ。

 

 

 エステルの頭を軽く蹴飛ばして、完全に気絶していることを確認すると、彼女が出血多量で死なないよう、回復魔術で腹の傷を塞ぎつつ、リリィは未だ戦闘音が響く箇所へ振り向く。

 

「手助けは……必要なさそうだね」

 

 アーシャとの戦闘を繰り広げる姉の姿を見て、リリィはそう(つぶや)く。

 そして、リリィに味方したユークリッド兵がやってきた方角を眺め、機嫌悪く舌打ちする。

 

「……()()()()()……()()()()()()()()()()……!」

 

 そう言うと、リリィは未だ目覚めぬ眠り姫の唇に荒々しく吸いついた。

 

 

***

 

 

 ドオンッ!

 

 腹に響く重厚な音が鳴った瞬間、裏切り者の兵士――に扮装(ふんそう)しているヴィアは吹き飛び、迷宮の壁面に小さなクレーターを作りながら叩きつけられた。

 

(ふっ……ざけんなっ! どんだけ強いのよコイツ!?)

 

 作戦通りであれば、とっくにこちらに来ているはずのブリジット達が、いつまでたってもやってこない……そのことを(いぶか)しんだヴィアが状況を確認し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを理解すると、すぐさまリリィ達に心話で連絡。代案を立てて実行に移したのだった。

 

 大渦に巻き込んで気絶した兵士達の中から、手ごろな背格好の女性兵士を、リウラが水に包んだまま分離し、隠れていたヴィアの元へ移動。

 その衣服と鎧を剥ぎ取り(水分は全てリウラが取り去ったので湿り気は無かった)、兜と鎧で猫耳と尾を隠して兵士に(ふん)し、姫騎士に接近して隠しナイフを叩き込むまでは全て順調に進んだ。

 

 ところが、ヴィアがこのメイドの相手をし始めてから一気に計画が狂い始めた。

 

 代案では、ヴィアがメイドの相手をする間に、リリィとリウラが2人で、腹にナイフが刺さったエステルを倒すはずだったのだが……ヴィアの16年の人生経験・戦闘経験が、このメイドには全く通用しない。苦戦どころの話ではなかった。

 

 ――攻撃の前兆が読み取れず、一方的に攻撃される

 ――こちらの攻撃に対処しながら、あるいはこちらに攻撃を繰り出しながら平気で呪文を唱える

 ――袖からナイフが、鋼線が飛び出し、(ふところ)から呪符が、魔法具(まほうぐ)が、さらには口から毒まで飛び出す

 

 よくもまあ、こんなビックリ人間相手に攻撃を(さば)ききったものだ。アイの援護があったとはいえ、ヴィアはどうやってリウラがこのメイドの相手をしていたのか本気で疑問に思う。

 いや、むしろアイの妨害の中でこれだけの攻撃を繰り出せるメイドの方がおかしいのか。

 

(やばっ……意識が……!)

 

 攻撃を受けた箇所が悪かったのか、急速にヴィアの意識が遠のく。

 

 薄れゆく視界で彼女が最後に見たものは、作戦通りリリィの援護に向かおうとしていたリウラが、ヴィアがやられたことに気づいて慌てて(きびす)を返す光景だった。

 

 

***

 

 

 メイド(アーシャ)は大地に勢いよく片手を叩きつけ、魔術を発動させる。

 

 

 ――純粋魔術 翼輝陣(ケルト=ルーン)

 

 

 高純粋の魔力の渦が()()()()()()()()()()発生する。

 

「――ッ!」

 

 大地が丸ごとミキサーにかけられるのを見たリウラは、使い魔契約を介して瞬時にアイを(かたわ)らに魔術で招聘(しょうへい)、間一髪で地中に潜んでいたアイを救い出す。

 

 しかし、そのダメージはあまりにひどく、鳩尾(みぞおち)から下がすべて失われた上に右肩から先がなく、頭部が右眼ごと半分えぐり取られ、さらには核に魔術的もしくは物理的な負荷がかかったのか、アイは完全に意識を失っていた。

 

 リウラは無残な状態となったアイを見て、唇を噛む。

 

(ごめん……私がメイドさんから離れちゃったから……!)

 

 “狭霧(さぎり)”を使わなければ、攻撃を(さば)ききれない時点で気づくべきだった。

 

 彼女の攻撃は非常に読みにくい。攻撃の()が消されているだけでなく、引き出しが異常に多いのだ。

 どこから何が飛び出してくるかわからず、攻撃の瞬間に取り出す道具や仕掛けの形を魔力を込めた霧で読み取って、攻撃をあらかじめ先読みしておかなければ、とても対処ができない。

 

 自分よりも遥かに実戦経験を積んでいるヴィアならば……と思っていたが、その見積もりは酷く甘かったようだ。

 

(私がなんとかしなきゃ……!)

 

 リウラは空中に張った水床にアイをそっと横たえると、地面に飛び降り、半身(はんみ)になりながら鋭い視線でアーシャを射抜く。

 

 ――相手は完全な格上

 ――リリィも同様に格上の相手をしていて、応援に来れない

 ――援護してくれていたヴィアもアイも戦闘不能……状況は絶望的だ

 

 しかし、リウラの心に焦りはない。

 

()()()()……()()()()()()()()()()……?)

 

 リウラは静かに“狭霧”を再展開した。

 

 

***

 

 

「……そういえばシズク、あなたは、なんでリウラが里を出ることを許したの? あの子は貴女が唯一選んだ後継者ではなかった?」

 

 リウラとリリィの手掛かりを求めて迷宮を探索する(かたわ)ら、ふと気づいた疑問を水精(みずせい)ティアは口にする。

 

 隣で歩く友人のシズクは、自ら独自の戦闘術を生み出した実績を持つ、変わり種の水精だ。

 その戦闘術は、数多(あまた)の戦闘術を水精(自分)に最適化するようアレンジすることで(つく)られたものらしく、レインやレイクなどリウラ以外の水精も護身のために彼女に師事している者はいる。

 しかし、『明確に後継者として育てているのは、リウラだけだ』と以前ぽろっと口にしていたのをティアは覚えていた。

 

「……言ってる意味が分からない」

 

「“魔王復活”なんて世界を敵に回すようなことに首を突っ込んで、リウラが死んだらどうするの? また後継者を探すつもり?」

 

「大丈夫よ」

 

 ティアがそう言うと、シズクは即答する。

 

「……この間、水蛇(サーペント)に殺されかけたばかりなのに、どうして『大丈夫』と言えるの?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「??」

 

 会話が繋がらず、ティアが軽く混乱する。

 妙な会話をした自覚があったシズクが、1から説明しようと口を開く。

 

「……ティア、なんで私がリウラを後継者に選んだか分かる?」

 

「……才能が有ったからでしょう?」

 

「そう、リウラには才能が有った……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ティアは驚きに大きく目を見開く。

 シズクは前を向いたまま、かつてのリウラの訓練を思い起こしながら語る。

 

「リウラは異常な速さで私の技を吸収した。普通なら1年かかる技だろうと、3日もあれば修得してみせた。その時、私はふと思った……“もし、この天に愛された才を持つこの子に、教えた技を練習させないようにしたら、どうなるのだろう?”って」

 

「……(なま)るだけでしょう?」

 

「そうね。普通、誰でもそう考える」

 

「……鈍らなかったの?」

 

 シズクは、ゆっくりと首を横に振る。

 

()()()()()()

 

「……え?」

 

 言われた内容は理解できたものの、聞き間違えかと思いティアは反射的に()き返す。

 

()()()()()()。……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あなたに隠れて、こっそり練習していたとかじゃなくて?」

 

「それをされても気づけるように、あの時はリウラと寝食をともにしていた。もし夜中に起きて練習しようものなら、私は寝ていようとすぐに気づいて起きる……後で訊いたら、イメージトレーニングもしてなかったみたい」

 

 唖然(あぜん)とするティアをよそに、シズクは淡々と説明を続ける。

 

「あの特殊な生まれが関係しているのかは知らないけれど、とにかくリウラは一度学習した技を放置していても磨き続けることができる能力(ちから)がある。そしてそれは、リウラが得た経験が増えれば増えるほどに加速する。……だからこそ、基礎だけとはいえ、百を超える戦闘術の基本をたった1年で修得することができた。そして、私の戦闘術の真髄(しんずい)を、その一部とはいえ私以上に修得することができた」

 

「……シズク、以上……?」

 

「私の使う技……魔闘術(まとうじゅつ)真髄(しんずい)は“変幻自在”。技の本質はそのままに、移ろいゆく水のように、相手や状況に合わせて(かた)を創造し対応する“()(せん)の究極形”。……そして、それを行うためにはあらゆる戦闘術を修め、様々な敵と何百何千と戦い続けることでしか得られない、膨大な経験が必要」

 

 その場の状況と相手に合わせて型を創るには、数多く戦いを経験することによって磨かれる鋭い観察力・洞察力の他に、対応できる技の数々の修得、さらには実際に技をかけた経験が必要になる。

 そしてそれだけの経験を得るためには、人間族の寿命では到底成し得ないほど気の遠くなる歳月が必要だ。

 

 実際、シズクも完全に自分の型を崩しきり、状況に合わせた型を操るまでに数百年の時間をかけている。

 

「でも、それは簡単に言えば経験の質と量にものを言わせて、相手の行動を自分の知るパターンに落とし込み、もっとも適切な対応を取っているに過ぎない……それが私の限界。でもリウラは違った」

 

「あの子は本当に自分で型を創り、技を創った……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()……たぶん、あの異様な学習能力を使って」

 

 本人の無意識に行われる、技の開発と改良。

 シズクが理想とするそれを、リウラはいともたやすく行使する。

 

「だけど、多くの経験を持つ私があの子を鍛えていても、結局のところ、あの子が相手するのは師である私か姉妹(きょうだい)弟子のみ……しかも、リウラは“絶対に殺されない”“あまりに酷い怪我をさせるようなことはされない”と心のどこかで安心していた。だから、いざ本物の実戦を経験した途端、あの子は動けなくなったし、動けるようになった後も、いつもとは比べ物にならないほど動きが悪くなった」

 

 目の前に突如として現れたサーペントに、リウラは固まった。

 サーペントの純粋な殺意と悪意に、リウラの身体は震えて言うことを聞かなくなった。

 自分の身の危険、そして大切な妹の危機に焦り、本来の実力が出せなかった。

 

 

 ――だが、最初から自分に対する悪意が無いと悟っていたリリィとの戦いでは、落ち着いて十全な対応をこなしていた

 

 

 自分の予想の範囲ならば、すさまじい応用力をもって対処できる。

 だが、少しでも予想から外れると、その力を発揮することができない。

 

 本来ならどんな相手にでも対応できる雫流魔闘術だが、それができない理由は単純な“経験不足”。

 それも訓練では決して得ることができない“実戦経験”だ。

 

「だから、私はあの子を里の外へ送り出すことを許した。私では決して与えられない本物の経験、あの子だけの経験。それさえ手に入れることができれば、あの子は本当の意味で私の“魔闘術”を受け継いだことになる」

 

 経験を得れば得るほどに、彼女は強くなるだろう。

 魔王復活にかかわるとなれば、それこそ嫌というほどに実戦を経験できる。強敵との戦いもうんざりするほど経験することができるだろう。

 

「……それでも、戦いの中で死ぬ可能性だってあるでしょう? まさか、『死んだらその程度の器だった』とか言うつもり?」

 

 ティアが眉をひそめながら言うと、シズクは首を横に振る。

 

「そこまで言うつもりはない。でも、リスクを取らずに得られるものが無いのも事実……それに、いくら実戦を経験していないとはいえ、私の鍛え方は甘くない。油断さえしなければ、仮に勇者や魔王が相手だろうと数分は生き延びられるように鍛えた」

 

「数分って――」

 

「数分あれば」

 

 シズクは、ティアの文句を(さえぎ)る。

 

「……あの子は必ず打開策を見出す」

 

 自分の一番弟子を(あなど)ることは許さない、という意思を込めて。

 

 

***

 

 

(……おかしい)

 

 アーシャは(いぶか)しむ。

 

 こう言っては何だが、アーシャの扱う戦闘術は外道上等の殺しの技だ。

 不意打ち・奇襲は当たり前。毒だろうと罠だろうと使えるものは何でも使う、正真正銘の何でもあり(バーリトゥード)だ。当然、初見殺しの技もいくつも持っている。

 

 ――なのに、当たらない

 

 この水精は、まるで一瞬先の未来が見えているかのように、的確にこちらの行動に対処する。

 アーシャの引き出しはまだまだあるが、このまま戦い続ければいずれこちらの手札を丸裸にされることが分かりきっている。そうなれば、今は一方的にこちらが押している状況をひっくり返されかねない。早急に原因を究明しなければならなかった。

 

(……わからない。不自然なところが、どこにも見当たらない)

 

 水精の眼の動き、身体の力み具合、魔力の動き……観察できる箇所の全てにおいて不自然な点が見当たらない。

 ときおり対処が遅れることはあるものの、アーシャの技の初見殺しの特性を(かんが)みれば、決して不自然とは言えなかった。

 

 アーシャは相手に隙を見せないように注意しつつ、右眼に入ろうとしていた汗を手で(ぬぐ)う。

 

 

 

 ……()

 

 

 

(……そういえば、いつの間にか蒸し暑くなって……!?)

 

 

 ――見つけた。不自然な点

 

 

 アーシャはすぐさま精神を集中させ、素早く呪文を詠唱する。

 

≪風よ。悪意ある霧を吹き飛ばせ≫

 

 ゴォッ!

 

 アーシャを中心に激しい風が吹き荒れ、周囲の湿気を吹き飛ばす。

 

 途端(とたん)、水精の顔つきが険しくなる。どうやら()()()のようだ。

 

(……なら、ここで一気にケリをつける!)

 

 あまりにも回避されるので途中から温存していた初見殺しの技……今ならそれが通用するはずだ。

 アーシャはフェイントを混ぜながら右のナイフを突き出し、水精がそれを受け流そうと手を伸ばした瞬間、

 

 

 ――水精の背後へと転移した

 

 

 転移魔術は様々な条件が整わなければ、そう簡単にできるものではない。

 戦闘中に転移を扱えるものなど、霊体(れいたい)系の不死者(ふししゃ)か、空間を感覚的に認識・操作できる歪魔族(わいまぞく)くらいだろう。

 

 だが逆に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

 地中に居る敵の気配に気づいて地面を丸ごと魔術でシェイクした際、アーシャは地中に数枚、転移後の座標を示す魔術札(まじゅつふだ)を埋めておいた。

 後はその位置まで水精を誘導し、対となる転移魔術を封じた魔術札を発動させるだけ。座標認識や複雑な転移魔術の起動にかかる時間・集中力が不要となり、瞬時に転移魔術を使用することができる。

 

 結果、アーシャの攻撃を防御しようと行動していた水精は完全にその隙を(さら)していた。

 やはり、先の湿気がこちらの行動を見破るタネだったのだろう。

 

 アーシャのナイフは、無防備な水精のうなじへと吸い込まれ――

 

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぐっ!?」

 

 爆発の衝撃で手首を(ひね)ったアーシャは、すぐに左手で右手首を握って治癒魔術をかける。

 

(……いったい何が……!?)

 

 素早くこちらを向いた水精が、地面を蹴ってこちらへと突進する。

 

(……いや、何が起こったのか考えるのは後だ。とにかく“アイツに触れたら爆発する”と考えて行動しないと……!)

 

 だが、“触れたもの全てに対して爆発する”という訳でもあるまい。

 それならば、今しがた彼女が蹴った地面だって爆発していなければおかしい。おそらくこちらの攻撃を察知して意識的に爆発させているのだろう。

 

(なら、死角から攻撃すればいいだけのこと!)

 

 アーシャは水精にナイフを叩き込む構えを見せ、水精の視線をこちらに集中させる。

 

 だが、本命は水精の足元。

 今にも足を置こうとしている地面に、小規模の翼輝陣(ケルト・ルーン)を発生させ、彼女の足を奪う。

 

 水精の足が地についた瞬間、純粋魔力の渦がその華奢(きゃしゃ)な足を捕らえ――

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

「なっ……!?」

 

 爆発。

 小型の魔力の渦は、その威力にかき消される。

 

 水精は爆発の勢いでややバランスを崩したものの、すぐに体勢を立て直してこちらへと向かってくる。

 

(……どういうことだ!? 完全に奴の注意はこちらに向いていた。なのに、なぜ死角からの攻撃を防げる!?)

 

 1つのタネを見抜いたと思ったら、さらなる謎が飛び出す。まるでビックリ箱のような敵。

 

 アーシャが抱いたその思いは、()しくもこれまでアーシャが敵対した者達が、彼女に対して抱いた感想と完全に一致していた。

 

 

 

 

 

 

 少し時間は(さかのぼ)り、アーシャが短距離転移でリウラの背後をとった瞬間。

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 なんとか対処が間に合ったリウラは、すぐさま背後を振り返り、そこに手首を抑えてこちらを(にら)むメイドの姿を認めて、胸をなでおろす。

 

(ま、間に合った~~~~っ!!)

 

 きっかり3分。

 

 それが、()()()()()()()()()()()(ひらめ)()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 リウラは今までの経験から、一定時間戦って相手を理解することで、自分が相手に対する有効な型や技を閃くことを知っていた。

 

 その経験則から、目の前のメイドに対する型や技を思いつくのにかかる時間は3分と見込み、そして、その予想通りに彼女は型を編み出した。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 粉々に砕け散る焙烙(=土器)に見立て、水を魔力によって強制的に水蒸気爆発させる、雫流魔闘術の奥義――その対メイド専用の型がこれだ。

 

 このメイドは、リウラの予想もしない攻撃手段をいくつも隠し持っている。

 攻撃の意を隠して放たれるそれらは、リウラの経験則だけでは到底予想・対応できるものではなく、“狭霧(さぎり)”が対処されてしまえば、実質リウラには回避も防御も不可能だった。

 

 そこでリウラは思いついた。

 

 

 ――なら、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を考案したのだ。

 

 もともとリウラは全身に水の膜を(まと)い、不意打ちや対処に失敗した敵の攻撃を予防していた。

 それをやや厚めに展開し、敵の攻撃を受けた瞬間に指向性を持たせて表面の水分を水蒸気爆発させることで、例えどんな奇襲が来ようともダメージを軽減することに成功したのだった。

 

 この1ヶ月の間に“焙烙”を修得し、完全な制御を身に着けたからこそできる技であり、それはリウラの学習速度の異常性を示すものでもあった。

 

 

 

 地面を蹴ってメイド……アーシャに肉薄する。

 奇襲を恐れる必要がなくなった以上、堂々と真正面から攻撃することが可能になったからだ。

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 今度は右足で爆発。

 

 何が起こったのかリウラには分からないが、どうやら右足に何かしようとしたらしい。

 その証拠に、アーシャの表情が驚愕一色に染まっている。

 おそらくこの“焙烙”を意識的に発動させたと思っているのだろう。

 

 だが、それは誤りだ。

 なぜなら――この“焙烙”は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 リウラ自身も気づいていない、彼女の異様な学習速度の根本……それは、彼女の“無意識”にある。

 彼女は一度“こうなったらいいな”“こうしたいな”と思ったことに対し、無意識にその対応を考えて実行することができる、特異な性質を持っているのだ。

 

 ――例えば、技の学習や開発

 

 一度技を教わり、“もっとうまくなりたいな”“この敵に対応できる型を創りたいな”と彼女が思うと、彼女の無意識は自動的にその方法を考案し続け、ある時はリウラに“閃き”という形で技を伝え、ある時は最適化された動作イメージを記憶・保存して技術を向上させる。

 

 ――例えば、水の制御

 

 リウラが水蛇(サーペント)の尾で跳ね飛ばされてダメージを受けようと、リリィに創り与えた水剣はびくともせず、今こうしてメイドとの戦闘に全力で集中していようと、アイを横たえるために空中に展開した水床は崩れる様子を見せない。

 それは、リウラが“形を維持したい”という思いを無意識が()んで、実際に制御を維持しているからだ。

 

 ――例えば、彼女の心

 

 水蛇に(おび)えたとき、リウラの身体は動かなくなった。

 それは、彼女が“リリィを助けなければ”という表面上の思いよりも、心の奥底で思ってしまった“逃げたい”“(そば)に寄りたくない”という思いの方が強かったがために、その思いを無意識が読み取り、彼女の身体を危険から遠ざけようと動きを縛ってしまったからだ。

 しかし、心の奥底から“リリィを助けたい”と願ったとき、その願いを受けた無意識は彼女の身体を解放した。

 

 ブリジットと戦ったとき、目の前で行われた人殺しにリウラはショックを受けて行動不能になったが、心から戦う覚悟を決めた瞬間に、そのショックの影響が全て(ぬぐ)われたのも、リウラの戦う意志を汲み取った無意識が、戦闘に不要な感情を排除したがためである。

 

 今回も、そう。

 

 “攻撃を受けた瞬間に、焙烙を発動させたい”と思ったリウラの意思を汲み取った無意識が、相手の魔術の発動を感知して攻撃と認識、即座に“焙烙”を発動させたのである。

 

 

 ――リウラ固有の特性を前提としているが故に、師であるシズクであろうと真似(まね)することのできない、リウラ専用の型であった

 

 

 リウラは、驚愕に一瞬身体を硬直させたアーシャの腹に掌底を放ち、接触した瞬間に“焙烙”を発動させる。

 

 爆音とともにアーシャが吹き飛ぶ。

 

 しかし、しっかりと地面に着地した彼女の腹は無傷。服にすら傷ひとつついていない。

 その原因は、先程とは桁違いの力強さでアーシャの全身から溢れ出す、信じられないほど強力な魔力にあった。

 

(……凄い魔力。さっきのエステルさん以上かも)

 

 その感じる力強さは、姫騎士エステルの闘気すらも(しの)ぐだろう。あれで全身を強化されたとあってはリウラの魔力では傷ひとつつけられまい。

 なるほど、これならば“焙烙”を気にせずに攻撃できるだろう。

 

 アーシャは地面を踏み砕きながらリウラへと凄まじい速度で接近し、ナイフを失ったほうの手で拳を繰り出す。

 

 

 ――リウラは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 たしかに、その強大な魔力で全身を強化してしまえば“焙烙”を無効化できる。

 しかし、焙烙”を完全に防ぎきるほど強力な魔力を全身に通すなんてことをすれば、その全身から放たれる魔力は凄まじいものになる。

 現に、リウラが“エステル以上”と認識できていることが良い証拠だ。

 

 そして、魔力や闘気をより感じとれるようになればなるほど、その力が使用者の意思を反映し、動作に合わせて流れ、その威力を強化する様子を感知することができる。

 

 つまり、攻撃の()を消しきれなくなってしまったのだ。

 

 リウラは雫流魔闘術の中でも、合気術(あいきじゅつ)を最も得意としている。

 それは彼女の無意識が相手の動きや魔力を認識し、力を受け流す最適な動作を導き出すことができるからだ。それは(すなわ)ち、相手の意を察知することを最も得意としていることを意味している。

 

 この状態では、アーシャがいくら攻撃しようとも彼女に攻撃を当てることはできない。

 奇襲が奇襲としての意味をなさなくなってしまったからだ。

 

 アーシャの頬が少し膨らむ。

 

 口に仕込んだ毒液を吐くときの動作だが、彼女の頬へ流れるはずのわずかな魔力が存在しないため、フェイクと判断。

 両脚と腰に流れる魔力を見る限り、右の中段回し蹴り――!

 

 リウラは一息でアーシャの間合いに踏み込むと、軸足の甲を蹴り砕く勢いで(かかと)を叩きつけ、足の動きを封じる。

 すでに振り上げられた右足の付け根に左腕を添え、全身の力で持ち上げるように蹴りの軌道を上へ逸らす。

 

 そして、滞空している水球の一つが腕へと変化し、アーシャの蹴り足の爪先を握ると、踵を中心に反時計回りに回転させ、彼女の蹴りの勢いを利用して足首を思い切り(ひね)る。

 同時にもう一つの水球に、足を持ち上げられてバランスを崩した彼女の顎を打ち抜かせ、さらには打ち抜く瞬間に“焙烙”を発動させることで衝撃を増加させた。

 

 

 ――雫流魔闘術 水車(みずぐるま)

 

 

 敵の攻撃の勢いを利用して関節を捻り、破壊する技である。

 いくらリウラの攻撃力が劣っていようと、強化された自分自身の攻撃力まで防げるはずもない。アーシャの足はグキリと嫌な音を立てる。

 

 次の瞬間、全身から魔力を放出させてアーシャはリウラを吹き飛ばし、さらに軸足で地面を蹴ってリウラから全力で距離を取る。リウラと近接戦闘することの不利を悟ったのだ。

 

 たしかにアーシャは、リウラ以上の魔力と攻撃の意を消す技術、そして幅広い奇襲の手段を持っている。しかし、単純な体術の腕ならばリウラの方が上なのだ。

 攻撃の意を消せなくなり、奇襲が意味をなさなくなった今、リウラに自分の攻撃のことごとくを返され、彼女は自分の技で自滅しようとしていることに気づいた。

 

 加えて言えば、雫流魔闘術の恐ろしさの一つはその“手数”。水を自在に操る彼女達にとっては、操れる水球の数だけ手足があるようなもの。

 

 今リウラがして見せたように、手足が合わせて4本しかない人間族では絶対にとることができない手足をとって関節技をかけたり、本来なら打てない位置にある箇所に打突(だとつ)を放つことができる。

 ただでさえ相手の方が技量が上なのに、手足が5本も6本もあるような相手に戦うのは流石に無理があった。

 

 だから、アーシャは距離を取って魔術攻撃を仕掛ける作戦に切り替えた。

 魔術合戦になれば、魔力で圧倒的に劣るリウラに勝ち目はない。

 

 そして無事な方の足で地面に着地しようとして、

 

 

 ――アーシャは足を滑らせた

 

 

 見れば、いつの間にか辺り一帯の地面……いや、壁や天井まで含めて周囲一帯が凍りついていた。

 

 これもリウラの閃きである。

 アイの地面操作をことごとくアーシャに回避される様子を見ていたリウラが、無意識に“どうすれば、この人に避けられずに済むのだろう”と考えたときから、彼女の無意識が考え続けて思いついた対策の一つだった。

 

 地面を操作して妨害するのでは、その魔力を感知して操作する場所を先読みされてしまう。

 なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それがこの結果だ。

 

 アーシャと比較すれば少ないものの、リリィの性魔術で強化され続けてきたリウラの魔力は相当なものだ。さらに、水の属性は魔力の方向性を変えることで冷却の属性を持つことができる。

 アーシャが大きく跳び退(すさ)る一瞬の間に辺りを水の膜で覆い、凍りつかせることなど、リウラにとっては造作もないことだった。

 

「……こんなもの!」

 

 何度も繰り返すが、魔力は圧倒的にアーシャが上。動きを封じたつもりかもしれないが、蹴り一発でこんな氷など粉砕できる。

 癒しの魔術ですぐに足首を治癒すると、アーシャはスカートを(ひるがえ)して踵を大きく振り上げる。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 その瞬間、アーシャの座っていた氷が爆発した。

 

 氷は何故滑るのか?

 それは氷の表面に薄く張られた水が、潤滑剤(じゅんかつざい)の役目を果たしているからだ。

 

 リウラは氷を張ると同時に、その表面を水で覆っていた。

 それを“焙烙”で起爆させたのである。

 

 その威力に一瞬身体が宙に浮いたアーシャを次々と水球が襲い、起爆し、どんどん彼女を宙へと押し上げてゆく。

 

 アーシャは焦る。

 

 ――空中では身動きが取れない

 ――襲ってくる水球を足場にしようにも、接触する直前に爆発する

 ――転移の魔術札を使っても、地面に移動した瞬間に氷が爆発し、また宙に押し上げられる……移動手段が完全に封じられていた

 

 しかし、爆発する直前に何とか結界を張ったため、いくら水球が爆発しようとメイドには傷ひとつつけることはできない。

 ならば、この状態のまま魔術を放つのみ――!

 

 アーシャは、周囲の水球ごとリウラを吹き飛ばそうと、広範囲の大規模魔術を使うため、全力で集中を開始する。

 

 

 ――その隙をリウラは狙った

 

 

 一気に“水の羽衣(はごろも)”を操って、アーシャに接近する。

 “水の床を走る”以外に、リウラに空中を移動する手段など無いと思い込んでいたアーシャは、その予想外のスピードに目を見開いた。

 

 先の“水車”で(あご)を打ち抜いたとき、本当はリウラはあれで終わらせる気だった。

 顎は人間族共通の弱点であり、多少強化されようと衝撃を受ければ脳を揺らされ、一時的に行動不能になるはずだからである。

 

 しかし、桁違いの魔力で強化されたアーシャは、その程度の攻撃など歯牙にもかけなかった。

 それは、相手が自分の肉体で攻撃を仕掛けなければ、リウラが普段使用している水術や体術では相手にダメージを与えられないことを意味していた。

 

 決定的な攻撃力不足――それを解決する(すべ)は、既に師より与えられていた。

 

 リウラは自分の右の掌の中に、水の剣を創造する。

 

(大丈夫……自分を信じて……“焙烙”の水粒子操作を制御できた私なら、絶対にできる……!)

 

 その剣はリウラが()び出した水と、彼女自身の魔力の凝縮体。

 それは今も水剣の中に喚び出され続ける水と、込められ続ける魔力によって加速度的に密度を増していく。

 

 かつて師より理論を授けられ、実演を見せてもらったが、再現できなかった奥義。

 それが“焙烙”操作の経験……そしてリリィと共に水蛇(サーペント)に突き刺した水剣を強化した経験が、リウラの無意識により融合・進化することにより、現実のものとしてここに顕現(けんげん)する。

 

 リウラの制御力の限界ギリギリまで密度を高めた水剣をグッと引き絞るように引き、平突(ひらづ)きでアーシャを覆う結界の上に突き立てる。

 

 しかし、その刃は刺さることはない。

 当然と言えば当然。どれだけ水剣が堅く鋭かろうと、アーシャの強大な魔力を貫くだけの力がなければ、貫くことはできない。

 

 リウラは右手首を返して刃を左下に向けると、水剣の先端に極微小の穴を開け、その瞬間に柄の空いた部分を左手で掴んで、大きく両腕を袈裟懸けに振り抜いた。

 

 

 ――ズバンッ!

 

 

「……え?」

 

 アーシャは“信じられない”といった様子で、袈裟懸けに肩から切り裂かれた自分の胸を見る。

 

 そして、傷口から大きく血が噴き出すと同時に崩れ落ち、リウラがすぐさま宙に張った水床の上に倒れた。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 奔流(ほんりゅう)

 

 

 攻撃力とは、単純化すれば重量とスピードの掛け算である。

 例え軽く柔らかい水であろうとも、その速度が音速を超えれば尋常(じんじょう)ではない威力を発揮する。

 

 

 ――では、その音速を超える水をさらに魔力で強化したらどうなるだろうか?

 

 

 その結果がこれだ。

 “焙烙”の要領で一粒一粒を丁寧に魔力で覆い、その頑強さを強化された水の粒子が、極度に圧縮されることによって音速の3倍以上の速度で放たれる。

 

 その驚異的な速度も、()()()()()()()()()()()それだ。

 魔力強化を(ほどこ)された水粒子の速度・強度は、それをさらに上回る。雫流魔闘術の中でも最大の貫通力を誇る奥義である。

 

 リウラは水剣を振り切った状態で残心を続けながら、すぐにアーシャの傷口を水で覆って止血する。

 そのまましばらく様子を伺って彼女が起き上がってこないことを確認すると、慎重に水で縛り上げつつ、水のスカートのポケットから治癒の羽を取り出し、そのまま握り潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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