ユークリッド軍の部隊は、大きく2つに分かれている。
シルフィーヌ及びその
この2つの部隊は、リリィ達から見てどんな理由からかは分からないが、部隊間の意思疎通に伝令を必要とするほどに大きく間を空けて迷宮を進軍している。
この状況は、ブリジット達にとって非常に都合がよかった。
リリィとブリジットは、魔王の解放に向けて協力関係を結んだものの、その関係は決して良いとは言えない。絶えずいがみ合いを続ける2人にとって、お互いを支え合うチームプレイは非常に厳しく、それぞれが邪魔にならないようチームを分けて行動する必要があった。
しかし、かといってそれぞれのチームが別々の相手とぶつかってしまえば、戦力が分散し、各個撃破されてしまう可能性が高い。
――ならば、ターゲットの部隊に対して
シルフィーヌの部隊から大きく離れているエステルの部隊に対し、リリィのチームとブリジットのチームが挟み撃ちを仕掛ければ、お互いの邪魔をせずに戦力を集中して運用することができる。
シルフィーヌの部隊に伝令を飛ばされて加勢に来られては困るため、私設の軍隊を持つブリジットが転移門を経由してエステルとシルフィーヌを分断する形で間に割り込み、エステル側の部隊へ強襲を仕掛け、その反対側からリリィのチームが攻撃を仕掛ける。
こうすることでエステルを討ち取った後、リリィと合流して改めてシルフィーヌの部隊を攻略する……それが当初の作戦
――その
「くっそ! 人間ごときが調子に乗るなぁっ!!」
ブリジットが吠えて宙から闇の魔弾を放つ。
彼女の両手から1発ずつ放たれたそれは、人間族の軍の中に飛び込み、クレーターを作りながら周囲の人間族の兵士達をゴミくずのように吹き飛ばす。
ブリジットは舌打ちする。
鎧を見ればわかる。彼らは間違いなくユークリッド兵だ。
ということは、“シルフィーヌの軍が引き返してきた”と考えるのが自然である。
だが、何故?
いったい、どうやってそれを知った?
独自の通信魔術でも持っていたのかもしれない。はたまた、シルフィーヌが神託を受けて襲撃を知ったのかもしれない。
理由は分からないが、襲撃を察知され、迎撃されていることだけは事実だ。ならば、なんとかするしかない。
戦線は、かろうじて今は拮抗している。
しかし、それはあくまでも迷宮の道幅により、一度に戦える人数が制限されているが故に過ぎない。リリィとの戦いで大きく数を減らしたブリジット軍は、ユークリッド軍に総数で劣るため、本来、策をもってあたらねば勝つことはできない。消耗戦に陥れば、敗北は必至である。
だが、だからといって逃げることはできない。
ブリジット自身は絶対に認めないが、
それは、ブリジットにとって魔王を失った時に近い想いを、もう一度味わうことと同義だ。それだけは絶対にできない。
では、どうするか?
その解答の一つが、今のブリジットの行動である。
――量で勝てないのならば、質で勝てば良い
一騎当千の力を持つブリジットとオクタヴィアが自ら最前線で戦い、
シンプルで効果的。さらには味方の士気も向上する、この世界では王道の戦法である。
しかし、その手段は王道であるが故に、対処もまた容易。
――ブリジットの背筋を寒気が襲う
「――くっ!?」
「ご主人様!?」
必死にブリジットが身体を
「……よく
「! ……オマエっ!?」
ブリジットの眼前で槍を構えつつ軽やかに着地したのは、黒髪のメイドの女性。
シルフィーヌ姫の
視野の端で見れば、オクタヴィアの前には桃色の髪の王宮メイド、ナイフ使いのサスーヌが両手にそれぞれ3本のナイフを指に挟んだ状態で対峙している。
――敵の将に対して、より優れた将をぶつければいいのである
ブリジットは冷や汗を垂らす。
ユークリッド王国最高責任者を護る最高峰の王宮メイドの実力は伊達ではなく、目の前の2人はそれぞれが
前回の戦いでは、エステルに対して2人がかりで蹴散らされたのだ。それが倍になれば勝てる訳がない。
だが、勝たねばならない。
勝たねば、ブリジットは魔王を除いて初めてできた“対等の相手”を失うことになる。
ブリジットは翼を広げ、空中から眼下のヴィダル達を
――
「っ!? 待てっ!」
ヴィダルが槍を一閃し、闘気の斬撃を飛ばす。
それを予想していたブリジットは、ヴィダルの闘気が高まるのを感じた瞬間に急降下して斬撃を回避し、ユークリッド兵達の中に突っ込んだ。
「お、おい。あの魔族どこに行った!?」
「探せ! 早く見つけろ!」
リリィとの戦いを通じて、ブリジットは1つの教訓を学んだ。
――それは、“
リリィの戦い方は非常にいやらしく、ブリジットの知らないあの手この手で惑わせ、隙ができた瞬間に容赦なく攻め込んで、ブリジットから勝利をもぎ取っていた。
ブリジットがどんなに『卑怯だ』『反則だ』とわめこうが
彼女に勝つためには、ブリジットもリリィの“いやらしさ”を学ぶ必要があった。
――
ブリジットは兵士達の足の隙間を縫うように低空を飛翔し、ヴィダルの気配へ向けて魔弾を放つ。
「なっ!?」
ヴィダルの目の前でユークリッド兵が吹き飛び、彼らの後ろから魔弾が飛んでくる。
ヴィダルは驚愕しつつも軽々とそれを槍で弾くが、その後ろから次々と
「貴様ぁっ!」
ヴィダルは部下を盾にされた怒りに震え、兵士に紛れて姿が見えないブリジットの気配へ向かって突進する。
「そこをどけぇ!」
「は、はいっ!?」
兵士達は慌ててヴィダルに道を譲るが、彼女達がもたつく間にブリジットは移動を済ませ、またもや兵士を吹き飛ばしながら魔弾を放ってくる。
(まずい……このままでは姫様から預かった兵士達を無駄に消耗してしまう……!!)
ブリジットの強み――それは高い飛翔技術に基づく高速近接戦闘と、小柄な
ブリジットは相手の死角を直感的に察し、そこに潜り込む天性の才能が有る。
それは相手の体格が大きければ大きいほどに威力を発揮し、さらにはあちこちに死角が存在する密集地帯、それも足元ともなれば潜り込み放題となる。
ブリジットとの戦闘に慣れたリリィですら未だに見失うことがある彼女を、一般兵程度の能力で
ヴィダルは味方であるユークリッド兵に攻撃できないが、ブリジットからは攻撃し放題。まさに一方的な展開である。
そして、やや
それに気づいた姉のサスーヌが慌てて彼女を呼び止めようとするが、オクタヴィアがわざと攻撃魔術で爆音を発生させることで、ヴィダルの耳に届かないよう妨害する。
瞬間、ブリジットの気配が消える。
ヴィダルはその場に立ち止まり、腰を落としてどっしりと槍を構える。彼女の闘気の高まりに、この場で戦うつもりだと気づいた周囲の兵士達が慌てて巻き込まれないよう下がろうとした瞬間――
――ヴィダルの背後の兵士達の足元から現れたブリジットが、足元を払うように水面蹴りを放つ
タンッ
軽やかな音を立ててヴィダルが地を蹴り、ブリジットの足払いを
人間族は基本的に空を飛べないため、なるべく空中にいる時間は少ないほうが良い。
ブリジットの蹴撃を
だが、ブリジットは蹴りの専門家だ。ヴィダルの蹴りは確かに速さも力強さも大したものだが、技術はブリジットよりも下の水準にある。
ヴィダルの槍は捉えられられないが、この程度の蹴りならば対処は可能だ。
ブリジットは、蹴り足の膝を自分の平らな胸に叩きつけるように勢いよく折り畳むことで、蹴りの勢いを自分が動くための推進力に変更。
翼の推力を加えて、ヴィダルから見て右前方へと移動し、蹴りを回避しながら再び兵士の中に紛れ込む。
「くそっ!」
ヴィダルは苛立つ。
ヴィダル達とブリジット達では、部下に対する立場や価値観がまるで違う。
ヴィダル達は“姫から預かった大切な部下”。ブリジット達は“使い捨ての駒”。ブリジットは平気で部下を切り捨てることができるが、ヴィダルやサスーヌにはそれができない。どうしてもブリジットを引きずり出さない事には戦いようがなかった。
サスーヌも同様。
実力では遥かにオクタヴィアを上回っているものの、上空からユークリッド軍を巻き込むように攻撃魔術を乱発され、その妨害や防御にかかりきりとなって、攻めきれないでいる。
長年ブリジットと連れ添い、彼女をサポートしてきたオクタヴィアにとって、主の行動予測などお手のもの。ブリジットの移動するであろう範囲を綺麗に避け、肉壁を減らさないようにサスーヌの行動を妨害する魔術の展開は芸術的とさえ言えた。
飛びかかって一気に
(まずい……! このままでは……!)
サスーヌとヴィダルの焦りが頂点に達しようとしたその時、
――神に祝福された光り輝く
「ぐあああああっ!?」
神聖なる光炎に体表を焼かれたブリジットが、たまらず悲鳴を上げる。
しかし、
足元で
――神聖魔術
神聖なる焔によって神敵を焼く、神罰の力。
この聖なる焔は術者が敵とみなした者のみを焼き払う“意思ある炎”だ。この焔の前では、例え人質を盾にしようが、霊体となって
「ご主人様!?」
主が瀕死に追い込まれたことによるフィードバックで苦痛に顔を歪ませながらも、オクタヴィアは翼を大きく羽ばたかせ、必死に主の下へ駆けつけようとする。
しかし、その前にブリジットを襲ったものと全く同じ聖なる光がオクタヴィアを襲い、彼女は主の軍ごと膨大な光の
その輝きが消え去った後、そこには誰もいなかった。あるのは魔族達が持っていた武器などの
オクタヴィア握っていた連接剣も、そこに突き立っていた。
地に倒れ伏したブリジットは絶望感に包まれながら、これを成したのが誰かを悟る。
――魔族でも高い実力を持つブリジットを一撃で瀕死に追い込み、
――オクタヴィアごと何千といた魔族をまるごと消滅させる
人間族でそんなことができる膨大な魔力の持ち主なんて、ブリジットは1人しか知らない。
「2人とも、大丈夫ですか?」
――ユークリッド第三王女 シルフィーヌ
「姫様……どうし……」
「……おまかせ……さいと……はずで……」
「……嫌な予感が…………感覚を信……に、と姉様が……」
意識が遠のき始めたのか、シルフィーヌ達の声がうまく聞き取れなくなってゆく。
そして、とうとう槍を持つ王宮メイドが、ブリジットに死を与えるために近づいてきた。
(くそっ……こんなとこで終わるなんて……)
悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。
人間なんかに負けたこと……そして何より、大切な幼馴染を救えなかったことが。
本気の殴り合いもしたし、嫌いなところも色々あったけど、上から目線で何か言う訳でもなく、媚びへつらう訳でもなく、常に対等の立場で真正面から向き合ってくれたのはアイツだけだった。
それがどれだけブリジットにとって大切で価値のある時間であったか……とても言葉で表すことはできない。
彼は、当時のブリジットにとって唯一の“友”と呼べる存在だったのだろう。
いつの間にかメキメキと力をつけ、彼はブリジットを置き去りにしてあっという間に魔王なんてものになってしまったが、それでもその関係は変わらなかった。
ブリジットなんか指先1つで殺せるくせに、ギャーギャーとわめいて突っかかる自分を、嫌そうな顔をしながらも、今までと同じように相手をしてくれた。
……そんな彼に、いつの間にか惹かれていた。
もっともっと強くなって、いつかは隣に立てる自分になるのだと心に決めていた。
でも、あれほどの力を誇っていた彼は、見下していた人間族ごときに封印されて、自分は彼に並び立つどころか、彼を助けることもできずにここで地べたに這いつくばっている……あまりの情けなさに涙が出そうだ。
……ジャリッ
靴が砂を噛む音に目を上げると、先程まで戦っていた槍使いのメイドが鋭い目つきでこちらを見下ろしながら、槍を構えている。最後の引導を渡すつもりだろう。
――いいだろう、だがタダでは死んでやらない
――例え
……必ず。必ずだ。
既に瀕死の相手から放たれてるとは思えないほど強烈なそれを受けて、ヴィダルの顔つきが引き締まる。
(……こいつは、ここで確実に殺しておくべきだ。生かしておけば、必ずや姫様の障害になる)
一切の油断を排し、ヴィダルはブリジットの首へと向けて全力の一撃を放った。
――甲高い金属音が辺りに響く
「アイ!」
「はいっ!」
ブリジットの横たわっている地面から急速に精気が湧き上がり、ブリジットの身体へと流れ込む。
大地の包容力を感じさせる、力強くあたたかなエネルギーが自分を包み込んでいくのを感じた瞬間、ブリジットの全身から焼けつくような痛みがさっと引いてゆき、全身に精気が満ち溢れてゆく。
しかし、ブリジットはその事に気づくことはなかった。
自身の身体が癒されたことにも気づけない程に、信じられない光景を見たからだ。
ヴィダルから己を護るように立つ、小柄さを一切感じさせない堂々とした背中。
それは常にブリジットを苛つかせる存在であり……同様にブリジットのことを苛立たしく思っているはずの存在。
――そう、ブリジットを命の危機から救った人物……それは、“決して相いれることはない”と思っていた睡魔の少女であった
己の槍を連接剣で弾き飛ばした目の前の少女に、ヴィダルは
「……貴様、何者だ? そいつの仲間か?」
その問いに、彼女はこう答えた。
「私は
なんともいえない中途半端な答え。リリィ自身、ブリジットの事を自分にとってどういう存在であるのか、よくわかっていないようだ。
「まあ、あなた達の敵ってことには変わりないよ」
そうリリィが言った瞬間、彼女の身体から凄まじい魔力が溢れ出した。
「なっ!?」
絶句する人間族たち。
性魔術でエステルとアーシャから精気を奪ったリリィの魔力の力強さは、シルフィーヌの魔力には及ばないものの、ヴィダルやサスーヌの闘気量を大きく上回るものだった。
しかし、この場に居る誰よりもショックを受けていたのは、敵である人間族ではなく、仲間であるはずのブリジットだった。
(……こいつ、いつの間にこんなに強く……!?)
つい先程までほぼ互角……いや、自分の方がわずかに強かったはずだ。
それは実際に彼女と手合わせした自分が一番よく知っているし、彼女が手加減していた様子も、する理由もない。ならば、彼女はエステルとの戦いの中で爆発的に強くなったと考えるべきだろう。
実際、リリィと出会ったときの戦いで、当初圧倒していたブリジットを1日
……それに何より、ブリジットは似たようなことをやってのけた人物を、もう1人知っていた。
リリィの背中に、ある人物の背中が重なる。
――
ある時まではブリジットと全く互角であったにもかかわらず、急速に力を付けて自分を置き去りにしていった彼。
その彼が創造した
悔しさと怒りで燃えていたブリジットの胸から、急速に熱が冷め、そして代わりに
リリィがこちらを振り向こうとするその瞬間、ブリジットはふと思った。
……彼女の眼には自分はどう映るのだろうか?
見下されるのか、
リリィと眼が合う。
――彼女の眼は……
「え?」
リリィはグイと
「なにボーっとしてんの! さっさと構えなさい!」
そう言って鎖を離してブリジットを立たせると、リリィはブリジットに背を向け、ヴィダル達に向けて連接剣を構える。その態度はブリジットを上から見るものではなく、
「オマエ……そんなに強くなったのにボクを見下さないのか?」
ショックな光景を見て、気弱になっていたのだろうか。
いつもだったら絶対にブリジットのプライドが許さない、自分を下に見た質問をしていた。するとリリィはブリジットに背を向けたまま、フンと鼻を鳴らしてこう言った。
「
……………………。
腹の底から笑いの衝動がこみ上げてくる。そして、ブリジットはそれに逆らわず、大笑いした。
嬉しかった。
その言葉は、ブリジットが強くなることを、再びリリィと同じ強さを身につけることを心の底から信じていなければ出ない台詞であり、未だリリィとブリジットが対等であることを示す言葉だったからだ。
――そうだ、何を気弱になっている。もともと自分は
リリィの魔力など、魔王と比べれば赤子も同然だ。この程度、軽く超えて見せなくては“魔族姫ブリジット”の名が
ブリジットが腰を落として構えると同時、彼女の眼にいつもの勝気な色が
その中にはほんのわずかにだが、リリィへの感謝の色も混じっていた。
――心地良い
追い越し、追い抜かれ、
このような関係を何と言っただろうか?
ブリジットは思い至らなかったが、もしもオクタヴィアがその問いを聞いていたら、きっとこう答えていただろう。
――『ご主人様、それは“
リリィとブリジットは示し合わせたように宙に舞いあがり、眼下の敵たちを
「ブリジット! 援護するから突っ込みなさい!」
「ボクに命令すんなっ!」
そう言いつつも、思い切りよく全速力でヴィダルに突っ込むブリジット。
リリィはこれまで戦った経験からブリジットがどう動くのかを予測し、魔法陣を操作した。
――純粋魔術
リリィの周囲の魔法陣が輝き、ブリジットの道を切り
「はあぁっ!」
「舐めるな!」
ブリジットがヴィダルの懐に潜り込もうと飛び込むが、そうはさせじと高速で刺突を放つ。真っ直ぐブリジットの顔に向かうそれを、頬に紅い線を刻みながら
2撃目――
「来い! オクタヴィア!」
主の体内で戦闘ができる程度に傷を癒したオクタヴィアがブリジットの眼前に現れ、結界で覆った右手の甲で槍撃を受け流す。
「なっ!?」
ヴィダルが驚愕した瞬間、一瞬だけ槍の動きが止まったのを見逃さず、オクタヴィアは右手の結界を解除。そのまま手首を返して槍の柄を握り、引き戻されるのを妨害する。
その隙に、ブリジットはヴィダルの
「させません!」
それを黙って見ている姉ではない。サスーヌが闘気を込めたナイフをブリジットに投げつける。
しかし、ブリジットはそれを
ギィンッ!
ブリジットの前に魔法陣の障壁が現れ、いとも容易く彼女のナイフを弾き返した。
ブリジットやオクタヴィアの張る障壁ならば、例え貫通しなくとも
ヒュヒュヒュンッ!
「!!」
だが、それに対処する間もなく、彼女は複数の魔法陣に囲まれ、慌てて地を蹴って後方に跳んだ瞬間、魔力の光線が先程までサスーヌがいた空間を貫いてゆく。
回避できたからといって、安心はできない。
魔法陣はくるりとサスーヌに振り向くように向きを変えると、再度彼女を取り囲もうと、魔力光線を連射しながら
リリィは、リウラがアーシャと戦うところを見ていて気づいた。
――
結論としては可能だった。
ただし、あくまでもリウラから吸収した経験は
だが、その3次元的に空間を把握し、水弾を配置する技術については、水操作そのものとは無関係であったため、そのまま応用可能だった。
その発射口たる魔法陣は基本的に術者の周囲に配置されるが、やろうと思えば敵の近くにも設置は可能だ。
ただし、それをするには3次元的に空間を把握し、正確にその位置から敵を射抜く技術が必要となる。実戦でそれを使いこなす技術を身につけるならば、その分の時間で別の魔術を学んだ方がよほど強くなれると断言できる難しい技術であった。
しかし、リウラは違う。
それをするには、視界に収めた相手全ての動きを把握し、それに対応するように水を操作する、神がかった空間把握力が必要だ。
――その経験を、魔王から神がかった戦闘センスを与えられた、リリィが手に入れたのだ
これは非常に
ただでさえリリィの魔力は強大で、いくらサスーヌといえど、一撃もらえば行動不能にはならずとも確実に大怪我をする。そんな強力な攻撃が四方八方から完璧なコンビネーションで放たれるのだ。
リウラのような神がかった空間把握力を持たないサスーヌでは、数分もたずに撃墜されてしまう。
これまでに
――しかし、それを
リウラである。
リリィが使う3次元的な魔法陣の配置は、リウラが過去に扱った水弾の配置を応用したもの。
もともと自分が使っていた技なのだ。魔法陣と水弾の差異はあるが、どこにどのように配置されているのか、どんなタイミングでそれらが攻撃を仕掛けてくるかなど、手に取るようにわかる。
サスーヌは
(この人の動き、わかりやすい!)
サスーヌは目の前の敵に集中できない。
なぜなら、
さらには、リウラはつい先程サスーヌとほぼ同格の実力を持ち、種類は異なるものの同じナイフ使いのアーシャを相手に戦った経験がある。
そして奇襲上等の暗器使いであるアーシャと異なり、サスーヌは正統派の戦士だ。もちろんフェイントは上手いし、動きの洗練さはサスーヌの方が上だが、
相手の動きを読む合気を得意とするリウラにとって、その
――雫流魔闘術
リウラの表面を
半透明のそれは本体ではないにもかかわらず、達人そのものの動きでサスーヌが繰り出すナイフを
その隙をリウラは見逃さなかった。
――雫流魔闘術 奥義
一条の水がサスーヌを裂く。
自分の腹から飛び散る鮮血を目にした直後、サスーヌの意識が闇に沈む。
(姫……様……)
サスーヌとリウラでは、総合的な戦闘力はサスーヌの方が上である。
正面からリウラと戦ったのなら、この結果は無かっただろう。
リリィとの連携がピタリと
もしサスーヌに勝たせるならば、魔術を使えるシルフィーヌが魔法陣を破壊するか防ぐかして援護しなければならなかった。
では、シルフィーヌは何故それをしなかったのか?
――
「ヴィア! ブリジット達より早くお姫様を沈めるよ!」
「張り合ってんじゃないわよ! ガキかアンタは!?」
サスーヌに放った
あれを撃った瞬間には、リリィはシルフィーヌへと突っ込んでいた。
この場で唯一シルフィーヌの強大な魔力に対抗できるのはリリィだけである。
それでもリリィとシルフィーヌの魔力には大きな差があるため、ヴィアの援護が有ろうと厳しい相手であることに変わりはない。
その厳しい状況は、ヴィダルを相手にするブリジットも同じ。
だが、リリィは根拠もなしに確信していた。
――『アイツは必ずヴィダルを倒す』と
ならば、自分が負けるわけにはいかない。いや、
どうしてかは分からないが、リリィはブリジットに対してだけは異様なまでに対抗心を
リリィは連接剣を投げ捨てると、転送魔術で虚空から双刀を
ヴィアは主に合わせるように後ろ腰から2本の
「……っ!」
シルフィーヌは、魔王という他を隔絶した強者と戦った実戦経験こそあるものの、その戦闘スタイルは
戦士の、それも素早さに特化した2人の動きを読めるような動体視力は持っていない。その実戦経験ですら、他国の勇者達が前衛に立って彼女を護ることを前提にしたものだ。
――結果として、彼女はリリィ達の攻撃を結界で防御する以外に選択肢がなかった
ガギギギギギギギギギギッ――!
球状に展開された結界の上を舐めるように斬撃の嵐が襲う。
リリィが連接剣を捨てて双剣を選んだ理由は単純。ヴィアと連携するならば、ヴィアが持っている技術を使う方が呼吸を合わせやすいからだ。
ヴィアの双刀術は、猫獣人特有の俊敏さとしなやかさを存分に活かした高速連撃。
マフィアらしからぬその洗練された剣技は、その使い手の数が倍になったことで斬撃の結界と化してシルフィーヌを閉じ込める。
さらには、リリィが隠蔽魔術を施したことにより、斬撃を放ちながら高速移動するリリィとヴィアの気配・魔力が掻き消える。
これでは、結界越しに魔術で狙い撃つことは不可能だ。
しかし、シルフィーヌの表情に焦りはない。
理由の一つはサスーヌとヴィダルを信じていること。
彼女達は現ユークリッド王国で最強の戦士である。多少シルフィーヌの援護が遅れようと、彼女達が負ける光景などシルフィーヌには想像もつかない。
そしてもう一つの理由……それはリリィ達の攻撃が、絶対に自分の結界を超えることはないと確信しているからである。
シルフィーヌの膨大な魔力が込められた結界はまさに“堅牢”の
結界の外は斬撃の膜に覆われているために分からないが、逆に言えば敵は必ず結界の近くにいるということ。
――ならば、
わざわざ高速で動き回る彼女達を狙う必要などない。
シルフィーヌが操る
魔術攻撃のために集中に入ったシルフィーヌは気づかない。
斬撃と、それが結界に叩きつけられる異音によって、目と耳が潰されたシルフィーヌは気づけない。
――いつの間にか、
***
リウラによってサスーヌの妨害が未然に防がれたため、ブリジットはヴィダルの懐に潜り込むことに成功した。
「らあああああっ!!」
全身から魔力を
脚に込められた魔力の輝きが蹴りの軌跡を鮮やかに
(くそっ!
懐に潜り込まれた相手に対処するのは非常に難しい。
なんとか肘や膝を駆使して防御し、追い返そうとしているが、槍を使った中距離戦を得意とするヴィダルと、こうした超接近戦を得意とするブリジットでは経験の量が違う。
ヴィダルの防御や攻撃をすり抜けて次々とブリジットの蹴りが突き刺さってゆく……にもかかわらず、ヴィダルは全く倒れる様子を見せない。
ヴィダルとしては全身の闘気を爆発させて吹き飛ばすなどして、ブリジットと距離を取りたいところだ。彼女の得意分野である中距離戦にさえ持ち込んでしまえば、ブリジットなど物の数ではない。
しかし、それをすると、またブリジットがユークリッド兵達の中に隠れてしまう可能性が高い。新手が現れた今、先程のようにシルフィーヌの援護があるかも分からない。それを恐れるため、微弱なダメージを受けながらも彼女は戦局を好転させることができない。
両者ともにジリ貧の状態であった。
――ただし、それは
シュンッ!
「っ!」
地を蛇が
オクタヴィアが主の援護に入ったのだ。
経験上、地に倒されてしまえばさらに防御が困難になることを良く知っているヴィダルは、反射的に足を一歩引いて連接剣を回避し、ほんのわずかに隙を作ってしまう。
そして、そのわずかの隙でブリジットには充分だった。
「はあぁっ!」
己が片腕が作り出したわずかな時間で、瞬時に魔力を練り上げて蹴り足に集中させる。
自身よりも闘気量・魔力量が上回る相手を打ち倒す際に必ずネックとなるのが、“
急所への攻撃は入ってないとはいえ、これだけブリジットが蹴りを叩き込んでもヴィダルの動きが全く鈍らないのは、彼我の闘気量・魔力量に差が有りすぎてダメージが通らないためだ。
リウラ対アーシャならばもっとひどく、リウラが急所に通常攻撃を叩き込んですらダメージが通らない。一定以上の戦闘技能を持つ者はこうした状況を打破するため、なんらかの切り札を持っているものだ。
ブリジットも例外ではない。
彼女にはリリィのように、強力な電磁力場を築く魔術の知識も技量も無い。
リウラのように、水を超圧縮する水操作の技量も無い。
――しかし、相手の防御をすり抜けて蹴りを叩き込む技量と、その蹴り足から魔術を放つという器用さを持っている
ブリジットの足に集中した魔力が、彼女の意思によってある魔術へと変化してゆく。
この時、決して全身の魔力を減らし過ぎてはいけない。
体術は全身運動。拳や足だけ強化したところで、強力な威力は発揮できないからだ。
ブリジットの絶妙な魔力配分によって、最大限の威力を発揮するよう調整された
――体術
彼女が蹴り足に込めた魔術は“戦意消沈”。
本来であれば、敵軍全体にかけることで戦う意志を強制的に失わせ、戦力を
ブリジットはそれを極めて高密度に圧縮し、蹴りの衝突の瞬間に相手の体内に流し込んだのだ。
闘気とは文字通り“闘う意志を込めて練り上げた精気”のことを言う。
精気はそのままでは唯の生命エネルギーであり、生物が活動するためのエネルギーとして消費されるだけだ。
しかし、ここに闘う意志を込めることで、精気はその生物の肉体をより戦闘に適した状態へと変化させる。
身体能力を強化し、自己治癒力を強化し、敵から掛けられた魔術
ブリジットの蹴りは、その“
ブリジットが蹴りを叩き込んだ箇所の肉体に込められた闘気から、一瞬にして闘志が
本来なら攻撃した相手の全ての闘志を奪うはずの技だが、ヴィダルの闘志・闘気量が並外れていたために、闘志を奪う……いや、薄められたのは蹴りを叩き込んだ箇所――
――しかし、それで充分
「ガハッ!?」
内臓を傷つけられたヴィダルが血を吐いて崩れ落ちる。
闘気の強化が薄まった状態では、いくらヴィダルといえどもブリジットの蹴りには耐えられず、一瞬にして意識を失ってしまう。
――ブリジットの勝利だった
***
アイと、サスーヌを倒したリウラが周囲のユークリッド兵達から護ってくれる中、シルフィーヌから大きく距離をとったリリィは、彼女達を信じて背中を任せ、精神を集中させる。
リウラから吸収した空間把握経験を基に、自身の魔力で直接自身の周囲に積層型魔法陣を展開。一瞬にして電磁場の見えざる砲身を形成する。
あらかじめスカートの下に装備していた鞘に両手の
そして、未だヴィアが斬撃の乱れ打ちを叩きつけるシルフィーヌの結界を真っ直ぐ見据え、そちらに向けて矢を
――瞬間、バチィッ! という雷音とともに、リリィの番える矢が、先端から高濃度の雷属性の魔力で
リューナの経験をもらったリリィは、その卓越した弓術を偽・超電磁弾に利用する方法を思いついていた。
エステルやアーシャの魔力を奪った今のリリィならば、偽・超電磁弾を撃っても自身がダメージを受けることはないだろう。しかし、仮にダメージが発生するとしても、この方法ならば、偽・超電磁弾を撃つ際の摩擦ダメージをリリィの指1本で済ませることができる。
(……慎重に、慎重に……絶対にお姫様に直接当てないようにしないと……)
薄々予想はしていたものの、実際に撃つ段階になってリリィは確信した。
――
ゴーレムだった頃のアイに放ったときよりも、はるかに強化されたリリィの魔力。
それによって形作られた電磁力場と
……それこそ、
もちろん、生粋の魔術師タイプであるシルフィーヌの肉体が、彼女の張る障壁よりも丈夫なはずもなく、リリィの矢が直撃すれば、矢が
そうなれば、もう人間族との交渉など絶望的だ。
原作では、魔王がシルフィーヌ姫を倒そうが犯そうが、
例えリリィが計画を完遂して命が助かろうとも、そのあとは人間族から指名手配されるお尋ね者だ。各国の勇者から命を狙われることになるかもしれない。それでは本末転倒である。
……リリィの右手が矢羽から離れた。
――
バンッ!
大きな破裂音を立てて、シルフィーヌの結界
驚愕に大きく目を見開くシルフィーヌの背後に、矢羽まで深々と壁に埋まった矢の姿が現れた。
そして、その隙を逃さず彼女の背後に回ったヴィアが、彼女を気絶させんと、右の
――
「え……?」
――
何が起こったのか分からない、といった表情でヴィアが崩れ落ちる。
それはシルフィーヌやリリィをはじめとする、周囲の全ての者に共通の反応だった。
――たった1人、リウラを除いて
「な、んで……?」
リウラには
あの一瞬の間にヴィアの周囲に極薄の
――それは、
ヴィアが倒れ伏す音が響くと同時、シルフィーヌ達の後方に突如として気配が2つ出現する。
1人は、東方諸国の者が身に着けるような水の
リウラにとっての戦闘の師――シズク。
そして、もう1人は……
「なんで、ここにいるの……!? ティア!! シズク!!」
生まれた時から共に暮らしてきた水精――ティア。
リウラにとって姉にも等しい大切な家族が、いったいどういうわけか、
――