「いいいいいいやあああああああああああっ!! 私、こんなのばっかりいいいいいぃいいいいっ!?」
「ハッハッハ! お嬢ちゃん、本当に足が速いな! まさか、この俺の足についてこれるとは思わなかったぞ!」
「そんなこと言ってる場合ですか!? 後ろ! 後ろからニュルニュルが! グネグネズルズルウゾウゾってええええええっ!!」
陽気に、軽快に走る銀毛の
その触手の造形たるや、“捕まったら間違いなく
本当は視界にすら入れたくないのだが、追いつかれていないか確認せざるを得ないことと、怖いもの見たさのために、“後ろを振り返って見ては後悔し”、を繰り返してしまっている。
「大丈夫だ! 俺についてこれるんなら、アイツは絶対に追いつけん!」
「体力が持ちませんよっ!?」
あんたら獣と同じにするな、とコレットは手足を必死に回転させながら
……いや、コレットに
――コイツは、コレットが慌てふためいている様子を心底楽しんでいる、と
「もう少し我慢しろよ! もうすぐアイツを
そう彼が言った後、すぐに曲がり角を曲がった瞬間に現れた光景に、コレットは
「崖ぇえええええぇえええっ!?」
2人の前に現れたのは、まるで魔神が剣を振るってできたかのような巨大な断崖絶壁。
軽く見積もっても10メートルは有りそうな幅のそれには、パッと見てどこにも橋などかかっておらず、転落死を避けるためにコレットは慌てて急ブレーキをかけようとして――
「止まるな、走れ!」
今まで陽気に話していた彼の、急な厳しい口調に、思わず身体が本能に逆らって前へと飛び出す。
グッと何かがコレットの腰を
「ひょわああああああああっ!?」
――コレットは、跳んだ
正確には、一瞬足を止めた狼獣人が、自分を追い越さんとするコレットの腰に片腕を回し、再度前方へ駆けてコレットを追い抜きつつ、抱きかかえて高々と跳躍したのだった。
獣人族の並外れた身体能力で繰り出された跳躍は、軽々と向こう岸へコレットを送り届けるに余りあるもので、それに
スタンッ!
「よしっ、もう大丈夫だ。嬢ちゃん、大丈夫か?」
狼獣人のその言葉に、呆然としていたコレットはハッと我に返る。
空中で抱え直したのだろうか、いつの間にか姫抱きにされていたことに気づき、コレットは恥ずかしさに頬を真っ赤に染め、手足を振り回しながら猛然と彼に抗議する。
「下ろして、下ろしてください! 早く!!」
「おいこら暴れるな! すぐ下ろすから!」
先程まで全身全霊で走っていたからだろう、ドキドキと痛いほど高鳴る胸を抑えつつ、彼女は言った。
「あ、ありがとうございました……」
「気にすんな。お前さんを安全に届けることも料金のうちだ」
そう言って左の手のひらを上に向けつつ、軽く肩をすくめる狼獣人……ヴォルク。
その雰囲気と仕草、そして瞳がわずかに細められた様子から、おそらく微笑んでいるのだろうとコレットは解釈し、彼に合わせるように彼女も笑顔を返した。
今までコレットは、ヴォルクのような頭部を持つ獣人族が少々苦手だった。
いかにも肉食獣といった容姿は、猛獣の恐ろしさを知る狩人であるコレットにとって恐怖の象徴でしかなかったし、さらにはそれが知恵と人間族以上の身体能力を持っているというのだから、いざ敵対すれば、少々狩りで鍛えている以外にとりえのないコレットなど、ひとたまりもない。コレットが苦手意識を持つのも、当然と言えば当然だった。
もしこの2人が普通に顔を合わせていたのならば、コレットはなるべく関わり合いにならないようそそくさと去り、二度と2人の道が交わることはなかっただろう。
しかし、2人の出会いはそうではなかった。
いくら狩人としての技術を活かしていても、あくまでそれは森で猛獣を相手に最大限の効果を発揮する技術。迷宮で魔物を相手に
ましてや、コレットは迷宮探索は人生初の初心者だ。誰かから訓練を受けた訳でもない。
迷宮に潜れば、いずれ魔物に
そんな彼女を助けたのが目の前の狼獣人だった。
魔物に喰われる寸前まで追い詰められた彼女の前で、今しがた倒した魔物の血が付いた
――『よく頑張った』
“魔物に襲われても、その護身用の短剣でよく必死に抵抗した”……おそらくはその程度の意味だったのだろう。しかし、その何気ない一言がどうしようもなくコレットの心に響いた。
コレットが迷宮に潜る目的である、魔族の友人の事を知っているのはエミリオのみ。
体力が致命的に足りない彼に同行してもらうことはできない以上、必然的に彼女はたった1人で凶悪な魔物が
――怖い、恐ろしい、嫌だ、辛い、疲れた、やめたい、帰りたい……どうして私がこんなことをしなければならないんだ
心中に次々と浮かぶ苦悩と後悔……そして孤独感。しかし、それを無理やり友情と使命感で抑え込みながら1歩1歩前に進んだ1日半。
その苦難・困難に屈さず進んだ努力を認めてもらえたように感じられ、コレットは泣いた。うれし涙だった。
しかし、そのコレットの涙を“魔物が恐ろしかったから泣き出した”と思い込んだ彼は、慌ててコレットを慰め始めた。
その様子が、先程のあっという間に魔物を倒した堂々たる姿や、頭を撫でていた時の落ち着いた姿とあまりに解離していたため、今度はおかしさのあまりコレットは泣きながら笑い出してしまった。
その後、ヴォルクと名乗った彼が情報屋を営んでいることを知ったコレットは、すぐにリリィの情報を購入した。
この迷宮で一二を争う質の良い情報屋であるヴォルクの持つ情報は決して安くはなかったが、王宮専属庭師として幅広い草花の知識を持つ、エミリオから渡された希少な薬草(なぜか、少し虫にかじられていた)のおかげで問題なく購入はできた。
しかし、コレットが最も欲しかった情報――現在の彼女の居場所についての手がかりはなかったため、ヴォルク自身が調査することになった。
ヴォルクは『嬢ちゃんには危険な場所もあるから宿屋で待っていろ』と言われたが、じっとしていることが性分ではない彼女は同行を強く求め、こうして“2人で共にリリィを探す”という今の体制に至ったのだった。
一般人であるコレットの
迷宮を良く知り、また情報屋として様々な情報を持っている彼の案内は、とてもスムーズで安心できるものであり、また博識な彼が時折案内の過程で紹介する各所の見どころや、めずらしい草花の知識はとても興味深く、これまで辛いだけだった迷宮探索に鮮やかな彩りを与えてくれた。
ときに危険な魔物に出会うこともあったが、半分は彼が軽々と斬り捨て、半分は今のように深い知識と経験を活かした対処で危険を回避した。
どんなことがあろうと必ず自分を護り切ってくれるヴォルクに、頼もしさと信頼感を覚えるのは必然だったのだろう。いつの間にか2人の間の距離は自然と縮まり、今やヴォルクの狼顔が浮かべる表情がなんとなく分かるようになってしまった。
……そして、彼と2人でリリィを探すこの時間が、今までの彼女の生活とは比べ物にならない程スリリングで楽しく、そして大切に感じてしまっている。
――この時間が、もっと続けばいいのに
リリィやエミリオの気持ちを考えず、一瞬そんな考えを思い浮かべた自分にわずかな罪悪感を覚えたコレットは、慌ててその考えを頭から追い出し、ヴォルクに先を
「さあ、早く次に行きましょう! ……今度はもっと安全なルートでお願いしますよ?」
この言葉は半分嘘だ。“どんなに危なくなってもヴォルクが助けてくれる”と信じているコレットにとって、少々の危険はこの探索を彩るスパイスになってしまっている。
怖いのは嫌だが、“ヴォルクと共にスリルを味わいたい”とも思ってしまっているのだ。
「俺は可能な限り安全なルートを選んでるぜ? 昨日の
「あ、あれはっ! そもそも、あんなに足場が悪いなら手を引くぐらいしてくれたら――」
不意にコレットの発言が
「――静かに……どうも様子がおかしい」
ヴォルクは音を立てぬよう、静かに鼻から息を吸い込む。微かに感じる独特の鉄臭さ。
――
ヴォルクは眉をひそめる。
そして、懐から翼の
「これは……?」
男性でも女性でも使えるユニセックスのデザインの耳飾りで、女性であるコレットから見てもなかなかおしゃれなセンスのいい装飾品である。
しかし、突然それをコレットの両耳につけるという訳のわからない行動に、コレットは戸惑いを隠せない。彼女の頭の中は大量の疑問符でいっぱいだ。
だが、その行動の答えはすぐにヴォルクから告げられる。
「そいつは迷宮を脱出する効果を持つ魔法具だ。その耳飾りに精神を集中して“脱出したい”と念じれば一瞬で迷宮の外まで転移させてくれる。……魔力の無い嬢ちゃんでも問題なく使えるが、相当な集中力がいるから、落ち着いて集中できる状況でないと使えん。それだけは注意しろ」
(……あれ?
一瞬、コレットの頭に更なる疑問が
「俺は少しこの辺りを調べてくるから、嬢ちゃんはここで待ってろ……300数えて俺が戻らなかったら、俺の事は無視してすぐにその耳飾りで跳べ。いいな」
「……え、でも――」
「
「――はいぃっ!!」
牙を
質問する気も反論する気も、一瞬で失せるド迫力である。
彼女の返事を聞くや否や、ヴォルクは瞬時にコレットの元を離れ、慎重に気配、音、そして匂いを探りつつ、気配も音も消し去ってなるべく風下から近づくルートを通って素早く目的地へ、匂いの元へと近づいてゆく。
そして、彼は目にした。
「……」
再び眉をひそめるヴォルク。
――そこにあったのは、半壊した城
――そして、その城にいたのであろう、多くの者の
***
リウラの叫びに答えず、ティアは以前とは比べものにならない……それこそシルフィーヌに匹敵する大魔力を全身から溢れさせながら、彼女達が見せた心の隙を突くかのように、さりげなく右の
――トンッ
「「!?」」
ティアの足元から、2つの強力な魔力の
そのあまりの力強さに危機感を感じたブリジットは、とっさに地を蹴って魔力の進行方向から退避する。
しかし、戦場にかつての仲間が現れて、さらには自分に攻撃してくるというあまりにも予想外の状況に呆然としていたリウラは、反射的に回避行動を起こすことができず……彼女の無意識も
……そして、
「ッ! 迎撃してください!」
「へ?」
何かに気づいたように目を見開いたオクタヴィアの指示。その言葉に、既に回避動作に入っていたブリジットは疑問の声を上げることしかできない。
しかし、
――
ドンッ!
まるでアイが放つ土杭のように、大地から巨大な氷の棘が突き出し、地中を進む魔力を串刺しにして地上へ打ち上げ、その姿を暴き出した。
――キラキラと輝く神聖属性の魔力。それは、
「癒しの風!?」
リリィが驚愕の声を上げて敵の狙いを悟ると同時、リウラが焦った声を上げる。
「1つ撃ち漏らした!」
雫流魔闘術は、
その基本は、周囲に滞空させた水球、あるいは密かに大地などに潜り込ませた水分を操作し、己の武器や防具、時には特殊な効果を持つ道具として扱うことにある。
そして、その水球や水分は大抵の場合、
当然と言えば当然だ。なにしろ、あまりに水球や水分が術者から離れすぎていては、いざという時に自分を護ることができないのだから。
今回はそれが裏目に出た。
ブリジットの居る場所の近くには、リウラが支配する水分は一切存在しなかった。かといって、リウラの力量ではブリジットのすぐ
したがって、リウラは自身の目の前に展開した“霜柱”を延長させる形で、ブリジット側の魔力を迎撃するしかなかったのだが……結果としてそれでも間に合わなかった。
ブリジットを無視するように地中を直進した魔力は、追いすがる氷の巨杭を置き去りに、倒れ伏すヴィダルの真下で急上昇し、大地を突き破ってヴィダルを直撃した。
一瞬、ヴィダルの身体が浮き上がり、そしてそのまま大地に打ちつけられる。
次の瞬間、彼女はバンッ! とバネ仕掛けのように跳ね起きた。
「姫様!? ご無事ですか!?」
ブリジットを
リリィ達は
内臓破裂を起こしていたかもしれないあの重傷を一瞬で治療したこともそうだが、なによりも評価すべきは“遠距離に居る相手に対して
味方を癒すことができる魔術師や神官は星の数ほどいる。
しかし、“遠距離で倒れている相手に対して気つけを行おう”などと発想し、さらにはそれを実際に行うことができる者となると、その数はガクンと減る。ましてや、
そして“それ”ができるということは、ティアが非常に“戦闘慣れ”……いや、“
そして、ティアはリリィ達が呆然としている間に更なる行動に移る。
「
(……しまった!)
リリィは己の不覚を悟り、急速に顔が青ざめる。
今の一言を許してしまったことで、明確にティア達の立ち位置が決まってしまったことに気づいたためだ。
リウラがティア達の名前を叫んだことにより、ティア達がリウラの知り合いであることはこの場の全員が理解している。
しかし、彼女達がシルフィーヌを護り、ヴィアを倒し、ヴィダルを癒したことで“リウラ達の邪魔をしようとしている”ことも同時に理解しているのだ。ユークリッド王国側から見た彼女達は、まるで敵が仲間割れをしているように見えるだろう。
つまりは“リウラ達もティア達も相争っている間に、どちらもまとめて攻撃しても良いかもしれない”、“いや、後から来た側はこちらの味方かもしれない”と、判断がつきかねる状況にあったのだ。
そんな状況で、明確に『ユークリッドの味方』と宣言したのだ。
その言葉を信じるにしろ信じないにしろ、『あなた達には敵対しない』ということを明言したのだ。
仮にも国に残った唯一の王族を救ってくれた恩人である。何が起こっているのか事情を
――この瞬間、リウラ達はただでさえ強力なシルフィーヌに加えて、彼女と同等の魔力を操る凄腕の魔術師と、リウラの師である武術家を同時に相手しなくてはならなくなったのである
(みんな、撤退するよ! アイ、退路を!)
(わかりました!)
流石にこれは勝ち目がない。そう判断したリリィの行動は早かった。
アイの真価は戦闘力ではなく、その支援性能にある。
大地の精霊そのものであり、さらには魔術も操れる彼女にとっては、先程ブリジットに
特殊な結界でもなければ、触れるだけで石や土の続く場所が分かるため、いかに入り組んだ迷宮であろうとも彼女にとっては庭のようなものであるので、決して迷うことのない水先案内人でもある。
例え今のように周囲を囲まれていても、彼女さえいれば撤退は充分可能である。
――はずだった
「うぐっ!?」
ドンッと唐突にアイの身体が吹き飛ばされる。退路の作成を邪魔された……とアイが思うのも
ゴガアッ!
「……え?」
「アイちゃん、大丈夫!?」
「は、はい!」
リウラがこちらを案じる声を出したことで、アイはようやく今の衝撃が“アイを助けるために、リウラが空気中の水分を操作することで放った突風”であることを理解した。
そして、改めて慎重に己の立つ大地の下を、地の精霊としての感覚で探り、何が起こったかをようやく悟った。
(す、水脈ができてる……!? そんな、いつの間に……!?)
大地の、そして岩でできているはずの壁面や天井のその奥に、いつの間にか葉脈のように水流が張り巡らされていた。
そして、それらには強力な魔力が込められており、さらに集中して感知してみれば、土にまで魔力のこもった水が浸透している。これでは、アイが土を操作しようとしても、魔力を弾かれてしまって、退路を造ることができない。
下手人はもちろんシズク………………そしてリウラである。
リウラは、シズクがそれらを張り巡らせ始めた瞬間に対抗して、自分も周囲の地面や壁面に水脈を張り巡らせ始めたのである。
大地に接触していないため、アイは気づいていないが、実際には空気中の水分の奪い合いも発生している。
静かで
既に戦闘は始まっていた。
「シズク……本気、なんだね」
「……リウラ」
――瞬間、リウラの構えが変化する
ズンッ!
軽く大地が揺れる。
リウラの
腰は深く落とし、
普段の、後の先を取る合気の構えとは真逆の思想で
視線は真っ直ぐシズクの瞳を射抜き、その頬を冷や汗が流れ落ちる。
リウラがこのような攻撃的な構えを取った理由はただ一つ。
「……最終試験よ」
表層意識でも、無意識でもリウラは感じ取ったのだ。
「あなたが
――後手に回ったら、自分は死ぬ……と
***
リリィは焦っていた。
突如として現れた増援。
片方はシルフィーヌ級の魔力を持ち、さらにもう片方は、その研磨したナイフのように鋭い殺気から、魔力量はまだしも、戦闘技術においてはエステルを超える技量を持つ相手であると推測できる。
シルフィーヌを相手にする以上、どちらか片方でも敵に回られただけで戦力的に厳しいのに、それが両方とも敵なのだから完全に勝ち目がない。
加えて言えば、両方ともかつての仲間なのだ。家族であったリウラはもちろん、彼女達に恩が有るリリィにとっても、心理的にやりにくいことこの上ない。
そして、先程アイから
正直に言おう――状況は、ほぼ詰んでいる。
(何かないか……何か……!)
リリィの頭が、かつてないほどに高速で回転するも、打開策が浮かばない。
ならば、打開策が浮かぶまでの時間を稼ぐ必要がある。可能ならば、そのための情報も収集するべきだ。
「ティアさん……その魔力は、いったい何ですか?」
ティアの急激に上昇した魔力……これは明らかな異常だ。もし以前からこれだけの魔力を持っていたのなら、そもそもあの時、
「時間稼ぎにつきあうつもりはないわ」
ティアはリリィの問いを切って捨て、巨大な光の槌を具現化する。
容赦がなさすぎる――リリィは内心で舌打ちした。
そこに、リリィにとって予想外の人物から、予想外の言葉がもたらされた。
「……
リリィの猫耳がピクリと跳ねる。
「
ティアを見ながら呆然と言葉をこぼしたシルフィーヌを、ブリジットが“信じられない”と言わんばかりの目で見る。
水精が人間の……それも王族であるということ自体意味がわからないが、そもそもそんなことよりも信じられないことがある。それは――、
「
ブリジットの
そう、ユークリッド第一王女 サラディーネは魔王との戦いで戦死しているのだ。
盛大に国葬が行われているが故に誰もが周知している事実であり、実際、リリィが魔王の記憶を検索してみたところ、サラディーネと思われる、ティアそっくりの人間族の女性が、魔王の攻撃で死亡する瞬間が映像としてくっきりと残っていた。
ティアはリリィに視線を合わせたまま、シルフィーヌの声に
「……シルフィーヌ、私の事は後で話すわ。今はこの
フッ――
言うや否や、光の槌が振り下ろされる。
どうやら徹底的にこちらに時間を与えたくないらしい。
ティア
――即席の
――転移……
――魔術障壁……事前に準備しておくならともかく、こんな一瞬で張れる障壁など、このバカ魔力相手には紙1枚ほどの防御力もあるまい
(あ、これ終わった……)
打つ手がない。泣こうがわめこうがどうしようもない。
諦めの感情を抱く間もなく、リリィは光の大槌が迫り来るのを呆然と見続け――
――そのリリィの視界を、何か黒いものが横切った
リリィが、ティアが、その弾けた原因へと視線を向ける。
――そこにあったのは、大地に突き立つ漆黒の剣
シックで上品な造りでありながら、どこか恐ろしく、そして
リリィは目を大きく見開き、ぽかんと口を開いたまま、まじまじとその剣を見つめる。
(まさか……アレを貫いたの? あんな、いとも簡単に……?)
トン、とその
リリィを背に
20代後半くらいだろうか、
凛とした瞳は青玉のように輝き、ティアをその強烈な視線で射抜いている。
左腰には先程の剣が収まっていたのであろう空の鞘、右腰には
「!」
銃と魔術――攻撃速度は引き金を引くだけの銃の方が圧倒的に上。
だが、常に一定の威力しか出せない銃と異なり、魔術は術者の力量によってその威力が大幅に変化する。ならば、あえて
そう考えたティアは、相手の銃撃を一般的な魔導銃よりもワンランク上と想定し、余裕を持って迎撃できる攻撃魔術を選択、発動させようと魔力を集中させる。
――しかし、すぐにその選択を変更せざるを得なくなった
「なっ!?」
「えっ?」
黒髪の女性は抜き放った銃の銃口を、
間髪入れずに引き絞られる引き金。
放たれたものは銃撃ではなく、
「ッ……!?」
殺到する魔力の
ところが、一般的な魔導銃の常識を無視して、
「くぅっ……! シルフィーヌ!」
「は、はいっ!」
「!? 違う、そうじゃないっ!」
「え、え!?」
ティアは自分が障壁で支えている間に女性を攻撃してもらい、ひるませることで攻撃を中断させようとシルフィーヌに声をかけた。
しかし、シルフィーヌはそれを『支えきれないから障壁を張るのを手伝え』と言われたと
これはどちらかといえば、シルフィーヌではなくティアのミスである。
元来、身体が弱いシルフィーヌの戦闘経験はお世辞にも多いとはいえず、実質的に魔王との戦闘も含めた数回しかない。
その際も、基本的にシルフィーヌに求められたものは補助・防御・回復であり、攻撃は勇者を含めた各国の猛者たちが請け負っていた。そのため、とっさに声をかけられれば、反射的に攻撃ではなく防御に意識が行ってしまうのである。
知識についても、軍略や指揮といったものはある程度学んでいるが、素人に毛が生えた程度。
これは、王・王妃・第一王女が次々と亡くなり、さらには第二王女がゼイドラム王子と電撃結婚して他国へと嫁に出たがために、本来病弱であるが故に王家を継がず嫁に出されるはずだったシルフィーヌが、いきなり国のトップに祭り上げられたこと……そして、その事が原因で、慌てて政治・外交を中心に知識を詰め込んだことで知識が
ティアはそのあたりの事情を全く把握しておらず、とっさに“かつての自分だったらこうするだろう”と思い込んで言葉を
(あの王宮メイドは……!)
ティアは視線を横に走らせてヴィダルが動けるか確認するも、これを好機と判断したオクタヴィアが、魔導銃の女性や
ヴィダルの動きがややぎこちないことから、どうやら怪我は完治していないのだろう。本来なら格下の相手にもかかわらず、なかなか倒すことも押し通ることもできないでいる。
自分もシルフィーヌも、この攻撃を支えながら他の事をする余裕はない。完全なこう着状態に
その一方、リリィは……
(この、砲撃は……)
リリィはこの砲撃とそっくりの攻撃を見たことがあった。
――それは、かつてゴーレムだったアイが放っていた魔導砲撃
そのことに気づくと同時、この女性の正体について思い至った。
「あなたは……ひょっとして、メルティさん?」
「……の、師です。はじめまして、リリィさん。ユイドラ
女性は、いつの間にか地べたに女の子座りでへたりこんでいたリリィに視線を向けて言った。
以前、リリィがリシアンに入手を依頼した暗黒剣ザウルーラ……それを作成したであろう工匠の、助手の、先生。それが彼女――セシルであった。
(匠、貴……ユイドラ工匠会の、実質的な最高位の工匠……!)
リリィは、大きく目を見開いて驚く。
工匠の国 ユイドラの工匠職には、全部で10の地位がある。
最低位の
もちろん、そこに至るまでには様々な工匠としての実績・功績が必要だ。その基準は非常に厳しく、中工匠ともなれば、大体が何らかの名誉称号を持っているほどである。
誰も至ったことのない幻の
「さて、リリィさんに一つ申し上げなければいけないことがあります」
「……ザウルーラのことですか?」
はるばるユイドラからやってきたであろう工匠が、リリィに伝えなければならない案件など、それ以外に思い浮かばなかった。
実際、それは間違いではなく、セシルはコクリと頷いて口を開く。
「残念ながら、
「……え?」
“今、何と言った?”と、リリィは自分の耳を疑い、一瞬呆然とする。
「
そこでセシルは、視線をリリィの眼の前に突き刺さる漆黒の剣へと移す。
「代わりの剣を私が用意しました」
そこでリリィも目の前の剣へと吸い寄せられるように焦点を合わせる。
……美しい、とても美しい剣だった。
紫がかった黒色の、宝石のように美しい刀身は睡魔のように見る者を魅了し、わずかに宝石や細工が
だが、とても危険な剣でもあった。
その
“
「あなたは、できるだけ強力な剣が欲しいのですよね? ですが、私は誰彼かまわず強力な武器を渡すつもりはありません。その条件に、“あなたが善人であるか、悪人であるか”は問いません。私が
だが、それでも――
「“その子”を握り、従えてみせてください。もし、それができたのなら、無償で“その子”をお譲りしましょう」
それでも、やらなければならない。
このような危険な試練を強制するこの女性が、試練から逃げたリリィ達を救ってくれるとは思えない以上――
――これを自分が手に取らなければ、自分も、リウラもただ死ぬことしかできないのだから
***
ドンッ!
リウラの背が、蹴り足が爆発する。
“
大きく足を前へと開きながら繰り出される右の縦拳は、例えヴィア級の闘気の持ち主であろうとも、無防備に喰らえば、そのまま
しかし、シズクはまるでリウラの行動を
そして、無防備に
――ようとして、すぐに引っ込める
ドンッ!
今まさに触れようとしていたリウラの鳩尾が爆発した。
(“焙烙”を用いた攻性防御……確かに素晴らしい成長だけれど……)
攻性防御型の“焙烙”の弱点――それは、爆発が自身と密着した箇所で発生するが故に、爆発の反作用でほんの一瞬行動が止まってしまうことにある。もう少しリウラの腕が上がり、爆発の指向性を完全に制御できればなくすことができる隙だが、今、この瞬間に晒してしまうのは致命的だ。
たしかにここでシズクに鳩尾を打ち抜かれればそれで終わりであったものの、だからといってこのような隙を晒せば、その瞬間に“詰み”である。
パシィッ!
リウラが己の伸びきった右腕を引き戻しきる前に、シズクが
相変わらず凄まじい水の召喚速度である。
そのスピードと滑らかさは、リウラをしていつ召喚したのか気づかせない程だ。繊細な水の操作技術は負けてはいないが、これだけは段違いである。
――魔闘術
(……まずっ!)
右腕を取られて投げられたリウラは、地面に叩きつけられる前に空中で受け身を取るべく、自らも水の床を召喚しようとする……が、それよりもシズクの行動の方が早かった。
――魔闘術 奥義
凄まじい勢いで地面から飛び出し、リウラを貫かんと迫るのは、
リウラたち水精の操る水の精霊魔術は、“冷却属性”に分類される。魔力を属性の強化に回せばリウラ達は自分の操る水を氷へと変え、水の刃をより
これを利用して、地中に仕込んだ水を氷の杭へと変えて敵を貫く技が、“雫流魔闘術 霜柱”である。
だが、それは同時に、彼女達は火炎属性と非常に相性が悪いことも意味する。そのため、通常であれば、何らかの道具を事前に用意しておかない限り、彼女達は“熱”に関する攻撃手段を使うことはできない。
しかし、とある方法を使えば、無手の状態から、
――それは、極めて高温の環境下で、水を“雫流魔闘術
通常、水は100℃を超えると蒸発してしまう性質がある。
しかし、水が簡単に蒸発する高温下においても、何十万、何百万気圧もの圧力で超圧縮すると、水は氷へと相変化を起こし、蒸発することなく数百度、数千度という“熱い氷”が生まれるのだ。
雫流魔闘術において、術者が操作する水分は、
――だが、中には例外も存在する。
この地下迷宮には様々なフロアが存在する。罠や仕掛け、転移門が仕掛けられているフロアがあれば、逆に唯の洞窟でしかないような自然そのままのフロアもある。
――そして、その中には
その溶岩流の底に水を召喚し、蒸発することを許さず、魔力で無理やり超圧縮することにより創造されるのは、“マグマの熱さを持った氷”。
溶岩は元が岩である以上、水精が直接
それが、“雫流魔闘術 奥義 氷焔”。
超遠距離で“超高温の氷”を創造し、武器として喚び出し、敵を攻撃する――周囲の環境すら自身の型へと落とし込んだ奥義。
この超高温の氷杭で貫かれれば、生半可な鎧は融解し、衣服は燃え上がり、さながら火あぶりのような様相で肉を焦がされつつ死に至るだろう。
そして、この熱い氷による攻撃はリウラにとって致命的であった。
先に述べたとおり、水の精霊魔術は冷却属性。当然、水の精霊の
そして、冷却属性と火炎属性は
つまるところ、水精であるリウラにとって、高熱を伴う攻撃を受けると通常より遥かに大きなダメージを負ってしまうのである。
(だめ! 抜けられない!)
シズクはリウラの手首と肘の関節を極めるようにして“戦槌”を仕掛けていた。これは
リウラの喚びだす水の床や盾では、シズクの“氷焔”など防げようはずもない。つかまれた箇所を“焙烙”で爆破してもシズクなら一瞬で掴み直すくらいはやってのけるだろう。
(――それならっ!)
シズクは瞬時に覚悟を決めると、思いついた対処を
ボンッ!
次の瞬間、捕らえられていたリウラの右腕が
「ギッ!」
水精は自身の身体を一時的に液状化させることができる。
この状態の時は物理攻撃を無効化することができる上に、自在に形状を変化させることで攻撃の回避も容易……と一見非常に便利なように見えるが、実は重大な弱点がある。
――それは、魔力や闘気などの攻撃に対する防御力が“0”であること
人間で例えるならば、筋肉と骨を抜き取って、皮と内臓だけになったような状態なのである。
そんな状態で攻撃を受けたならば、通常ならかすり傷で済むような
現に、今リウラは右腕だけ液状化させてシズクの
水精がわざわざ人の形を保って戦闘するのは、それが最も安定して防御力が高い状態であるからなのだ。
歯を食いしばって悲鳴を
体勢を立て直して着地する瞬間、リウラの水の
リウラが自身の水の衣を操作して、ポケットで“癒しの羽”を握り潰したのだ。吹き飛んでなくなったリウラの右腕が、神聖な白光と共に復活する。
――ゾクリ
リウラの無意識が
リウラの表面意識はまだ感じ取れていない“それ”は、シズクが放つ斬撃の奥義。
――魔闘術 奥義
牽制ではない渾身の水の刃による斬撃を、相手を囲むように、逃げ場をなくすように時間差で複数放つ技である。
その水の刃は、召喚されたときには既に刃の形状で、しかも斬撃を放つ軌道にあるが故に、通常ならあるはずの召喚から攻撃までのタイムラグが全くない。
また、召喚された水の刃は紙のように極薄であるため必要な水の量が少なく、よって召喚する時間そのものもごくわずか。魔力も感じ取りにくいから、察知も非常に難しい強力な初見殺しである。
シズクが現時点で放つことができる水の刃は全部で九つ。
その一つ一つが、現在のリウラの実力では回避不能・防御不能の一閃だ。
“このままではリウラが死ぬ”と認識したリウラの無意識は、リウラの人生を総ざらいして対処法を探すも、たった3年余りの人生の中にこの凶刃への対処方法など、見つかるはずもなく……
――追い詰められたリウラの無意識は、さらに
次の瞬間、リウラの中で何かが弾け、雰囲気がガラリと変わる
クリアになる思考、溢れる全能感、鋭敏になった感覚、ゆっくり流れているように感じられる時間、苦痛や疲労の消滅……
(……なんだろう……これ……)
――
はるか格上のはずのシズクに対してそう思えるほど、突如としてリウラは
先程は感じ取れなかった九つの水刃。
それが今では、どこからどのように振るわれるのか、手に取るように分かる。
――右足の
――右から迫る首狙いの
――その移動を
――着地を狙って放たれる前後左右上下からの同時斬撃……一瞬だけ足の裏に隠れるほどの小さな水床を呼び出して前に飛び出しつつ、前から迫る唐竹割りを右手で反らしながら、できるだけ小さくするように身体を丸めて、空中を転がるように攻撃範囲から逃れる
今までとは比べ物にならないほど滑らかで、的確な動作。
いっそ芸術的とすらいえるそれは、今のリウラでは決してできないはずの動きであった。
(……これは……)
シズクはリウラに起こった変化を敏感に、そして正確に察知していた。
――極限集中
命の危機に
この状態になった瞬間、その生物のあらゆるリミッターが外れ、通常では考えられない力を発揮する。
リミッターの外れ具合は、発現した時の状況や本人の資質によって大きく変化するが、自身の命の危機をトリガーに、シズクを超える資質を持つリウラが発現した極限集中だ。その上昇幅が低い訳がない。
――少なくとも、今のシズクを倒すには充分なはずである
リウラの状態を見て、そう結論を出したシズクは、細く鋭く息を吐き出す。
次の瞬間、シズクの雰囲気がガラリと変わった。
――
――魔闘術 奥義
自分自身の意思で極限集中状態に入る技である。
何十年もの
向かってくるリウラが放つ右の下段回し蹴りを膝で受けつつ、霧を目に当てて
シズクの経験が警鐘を鳴らし、反射的に頭をグッと後ろに反らした瞬間、逆S字を描くように下段回し蹴りから上段の足刀へと変化したリウラの踵が
――信じられない
ほんの一瞬だけ見開かれたシズクの眼は、そう語っていた。
極限集中状態で、さらには自分が教えた技を読み違える……? それも、自分よりも何倍も経験が劣る相手に……!?
その瞬間、彼女の水の制御がほんの一瞬だけ緩んだ。
(――今!)
リウラとシズクの戦闘を見守りつつ、機会を今か今かと伺っていたアイが仕掛ける。
――一瞬だけでいい。シズクに隙を作る
それが攻撃力に欠ける自分が今できることであり、やらなければならないことであると理解していたアイは、シズクの足下の地面に全力で魔力を注ぎ、左右に揺らしてバランスを崩そうと――
「あっ!?」
――したのだが、状況が悪かった
極限集中状態にある相手の動きは非常に読みにくい。
それは、
そして、今や師であるシズクですら読みきれないリウラの動きをアイが読めるはずもなく、結果としてアイが放った
恩人を命の危機に
「避けっ……って、ええっ!?」
アイは目を
左右に揺れる足場に合わせてシズクとリウラの足が動き、アイの微震をものともせず、当たり前のように2人が戦闘を続けていたからである。
雫流魔闘術はあらゆる状況を想定して技を学ぶ。
その中には水術を封じられた状態で、
この程度の横槍など、雫流魔闘術の使い手にとっては何の妨害にもならないのである。
一方シズクは、リウラの攻撃を
(……この
3年に渡ってリウラを鍛え、観察してきたシズクは、リウラの異常な才能の原因について、ある程度の目星をつけていた。
それは、“潜在意識へのイメージ浸透速度が、一般的な生物の何十倍も高い”こと。
通常、潜在意識へ特定のイメージを伝えるには、大きく分けて2つの方法がある。
――1つは、大きく感情が揺れ動くこと
大きな感情を伴ったイメージは、その感情が強烈であればあるほど、たやすく潜在意識にその時の出来事のイメージを刻み込む。
――もう1つは、何度も繰り返すことだ
イメージだろうと、言葉だろうと、動作だろうと、繰り返せば繰り返すほどにそれらは潜在意識に刻み込まれてゆく。
ところがリウラは、自分の潜在意識に何かを刻み込む際に、それらの条件を必要としない。
潜在意識は、一度刻み込まれた思考やイメージについて、ずっとそのテーマを考え続け、繰り返し続ける性質がある。ずっと特定のことを繰り返し考えていた人が、ある時ふとアイデアを
リウラが状況に合わせた様々な技を思いつくのは、常に潜在意識がその事を繰り返し考え続けているためである。
しかし、今目の前で現れている彼女の力は、この現象には当てはまらない。
――それは、シズクの行動の先読み
潜在意識でシズクとの戦い方を考えていた? もちろんそれもあるだろう。だが、それだけで行動を読みきれるほど、何百年と積んだシズクの
シズクの行動を読める、何らかの仕掛けか能力があるはずだった。
そして、そのシズクの推測は当たっていた。
(……なんだろう……“シズクがどうしたいのか”、“どうしようとしているのか”が何となくわかる……)
リウラは感じていた。
シズクが行動を起こす直前の“
通常、行動を起こす前の“意”というものは感じ取れはするものの、酷く
“自分を殺そうと考えているな”、“大体ここら辺を狙っているな”といった程度のもので、具体的な行動は相手の視線や体勢、状況などから総合的に推測するものなのである。
ところが現在のリウラは、“どこに”、“どんな攻撃が”、“どのように”、“どんな意図を持って”放たれるかが、推測するまでもなく、
ここまで明確に攻撃が“予知”できるのならば、この隔絶した技術差や経験の差を埋めることはそう難しくない。大まかにとはいえ、相手の心を読んでいるようなものなのだから。
リウラのその超感覚が、シズクがこれから繰り出そうとする技を伝えてくる。
“雫流魔闘術 水の羽衣”と、“奥義 焙烙”を組み合わせた複合技。
どうやら急に動きを読みきれなくなったリウラに対応する技を編み出すため、いったん距離を置いて中・遠距離戦でジックリとリウラを観察するつもりのようだ。
それをされたらまずい。いつ、この絶好調状態がきれるか分からないのだ。今のうちに
決断は一瞬。
次の瞬間、師弟はまったく同時に同じ奥義を発動した。
――(雫流)魔闘術 奥義
***
(……あれ?)
魔剣の柄を握ったリリィは、きょとんと大きなお目々をパチクリ開いて、頭上に疑問符を浮かべていた。
確かに握った瞬間に身体の異常は感じた。妙に身体が熱っぽくなり、頭が風邪にかかったかのようにぼーっとする。
今やちょっとした上級悪魔並みの魔力を持つリリィに対して、このような状態異常を起こせるのだから、凄いといえば凄いのだろう。
――だが、それだけだ
頭に
“握った瞬間にどんな苦痛にさらされるのか”、はたまた“自分の意思を乗っ取られるのではないか”と
この程度のデメリットで、これだけの魔力を秘めた魔剣を振るえるのならば、破格も破格。大サービスである。
“おそらく、急激に成長した自分の魔力が、この魔剣の魔力を上回っていたのだろう”、と推測したリリィは、急ぎこの魔剣を使ってシルフィーヌ達を制圧し、リウラの救援に向かわんと、地面から剣を抜き、顔をシルフィーヌに向けて――
「お、おい。大丈夫かよ?」
心配そうにしているブリジットと顔を付き合わせることになった。
リリィがセシルと話している間に近づいていたのだろう。そしてセシルの話を横で聞いていたために、リリィの身体を心配している、といったところか。
しかし、リリィは疑問に思う。
――はたしてブリジットは、こんなあからさまに自分を心配するような性格をしていただろうか?
よほど自分の様子がおかしくなったのならまだしも、大して異常がみられない今の自分の状態なら、“心配していない”スタンスは意地でも崩さずに“とりあえず
(
そんなリリィの疑問は、しゃぼん玉のように
そんな疑問がどうでもよくなるほどに、リリィの興味を引くものが目の前にあったからである。
(……意外。全然気づかなかった……
先程から必死に自分の名を呼ぶ、可愛らしい声。
自分の肩を揺さぶってくるその
心配そうに歪められた眉……彼女の全てが愛おしい。
――鳴かせたい
――乱れさせたい
――その小柄な身体にむしゃぶりついて極上の快楽を教え込み、自分なしではいられない身体にさせたい
(……別にいいよね? 今シルフィーヌ達は動けないし、私は性魔術でパワーアップするし、ブリジットは気持ちいい思いをするし……………………よし、やっちゃおう)
リリィは気づかない。
――自分が今、どれほど異常な思考をしているか
――なぜ、必死になってブリジットが自分に呼びかけているのか
熱に浮かされたような彼女の眼は、いやらしくブリジットの身体を視線で舐めまわし、その表情は発情期の獣の如く色欲一色に染まった笑みを浮かべている。
いつの間にか右手に握っていたはずの魔剣が、刀身の連結を解除してまるで蛇のように右腕に絡みついていることにも気づかずに、彼女は両手でブリジットの肩を
――そして、強引に押し倒した