水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第五章 好敵手 後編

「おい、何やってんだバカ!? 目を覚ま――むぐぅっ!?」

 

 エステル達の魔力を吸収したが故に、現在のリリィの魔力はブリジットを大きく上回っている。押さえ込まれれば、逃げ出すことは難しい。

 あっさりと唇を奪われ、性魔術戦に持ち込まれてしまった。

 

 唇だけではない。リリィの手が優しくブリジットの肌の上を這いつつ魔力を流し込み、ブリジットの性感を一気に引き出してゆく。

 

 そしてそれらは、ブリジットが今までに経験したことがない、絶大な快感を彼女にもたらした。……ともすれば、そのまま流されてリリィとの情事に(おぼ)れかねないほどに。

 

「こっ……のヤロウ!」

 

 グッと自身の腹に膝を引きつけるようにして、リリィの腹に膝を叩き込む。

 しかし、たしかに腹に叩き込んだ手応(てごた)えがあったにもかかわらず、せき込むことすらなく、何事もなかったかのように、リリィは無心にブリジットの身体をむさぼり続けている。

 

「うぐっ!?」

 

 さらに悪いことに、膝を叩き込むことに気を取られたせいで、急速にリリィの魔力にブリジットの身体が浸食される。

 性魔術の本質は精神戦。精神力の弱い者、集中力の無い者ほど相手の魔力の浸食を受けやすくなる。今のブリジットのように、快楽に耐えることから気を逸らしてしまえば、あっという間に主導権を握られてしまうのである。

 

 ――頭の半分が桃色になったかのような感覚

 ――急速に高まる性感

 ――そして、相手が同性である上に、()()リリィであるにもかかわらず、こんこんと無限に湧き出す性欲

 

 魔力は、リリィが上。

 性技も、睡魔族であるリリィが上。

 そして、リリィの様子が突如(とつじょ)おかしくなったことにより動揺したブリジットの精神……性魔術戦でブリジットが勝てる要素は、何ひとつ存在しない。

 

 リリィの舌が、指先が動くたび、ブリジットの眼から徐々に意思の光が失われ、代わりに色欲の色に染まっていく。

 

「ご主人様!? ……ッ!」

 

 異変に気づいたオクタヴィアがブリジットに気をやるも、その隙を逃さずヴィダルの槍が(はし)ったことで、視線を向けることすらままならない。

 いくらヴィダルが完全回復していない上に、防御に全力を注いでいるとはいえ、オクタヴィア1人でヴィダルを押しとどめるには、全力で彼女に集中する必要があった。

 

 セシルは、一向に途切れることのない魔導砲撃をシルフィーヌ達に向かって放ち続けながら、リリィ達の様子を見つめている。

 それは、まるで千尋(せんじん)の谷に突き落とした我が子を見守る獅子のように、真剣で真摯(しんし)なものであった。

 

(ボ……クは……)

 

 ブリジットに残った、最後の意思の欠片が消えようとしたその時だった。

 

「そこぉっ!」

 

 擬死反射(死んだふり)を意図的に起こすことで、行動する機会をうかがっていたヴィアが、“治癒の羽”を握りつぶしたことによる癒しの風を(まと)いながら、ブリジットとの性行為に夢中になっているリリィの背後から襲いかかる。

 

 狙いはリリィの右肩。

 ヴィアはリリィから力を分け与えられた使い魔だ。リリィがパワーアップすればするほど、ヴィアもまたパワーアップする。

 操り人形となり、性魔術に集中している今のリリィ相手ならば、魔剣が巻きついた右腕を切り落とすくらい何とかなる。

 

 

 

 ――はずだった

 

 

 

 バシィッ!

 

「……なっ!?」

 

 完全に不意を突いたはずだった。現に、()()()()()()リリィの意識は目の前のブリジットに集中している。

 しかし、まるで()()()()()()()()()()()()()()()、ヴィアの手首を(つか)み止めた。万力に捕まれたかのように、固定されたヴィアの手首はびくともしない。

 

 そして、リリィがゆっくりと身を起こし、ヴィアへと振り向く。

 

 ――ゾクッ!

 

 そのリリィの眼を見て、ヴィアの背筋が凍る。

 人を人とも思わない眼……それ自体はいくらでも見たことがある。女である自分を“犯す相手”としか見ないぶしつけな視線を感じた経験も、数える気が起こらない程ある。

 

 

 ――だが、()()()()()()()()()()()()。これは経験したことがなかった

 

 

 一見、ただの好色そうな視線に見えるが、リリィの使い魔であるヴィアには分かる。

 これはヴィアの精気を吸い殺し、己が(かて)としようとする眼だ。

 

 “喰われる”という原始的な恐怖がヴィアの獣の本能を刺激し、反射的に撤退しようと、固定されていないヴィアの左腕が後ろ腰のポーチに走る。

 しかし、それよりもリリィが(つか)んだ腕を引っ張り、ヴィアの唇を奪う方が早かった。

 

(ッ!)

 

 生粋(きっすい)の睡魔族であり、自分よりも数段上の魔力持ち相手に性魔術戦で勝ち目など有るはずがない。

 だが、すんなり諦められるほど育ちが良くない自覚があるヴィアは、最後の最後まで抵抗するつもりで、リリィによる魔力の浸食を待ち構えた。

 

 

 

 ――ピタリ

 

 

 

(……?)

 

 ところが、突如としてリリィが動きを止める。

 先程まで虚ろながらも妖艶(ようえん)な表情を浮かべていたリリィが、人形のように無表情になり、ヴィアに口づけた状態で完全に停止した。その様子はまるで……

 

(……戸惑(とまど)ってる……?)

 

 直後、ヴィアの身体を舐めるように魔力が浸食した。

 

「んぅうっ!?」

 

 リリィの魔力ではない。

 リリィに2度にわたり性魔術を受けたヴィアは知っている。リリィの魔力は“相手を気持ち良くしよう”という思いやりがこもった、どこか暖かな印象を受ける魔力である。

 ところが、今ヴィアを覆うこの魔力は直接本能……いや、魂に刻み込まれた根源的な性的欲求を無理やり引きずり出すような、うまく表現できない魔力だ。

 

 発情期、というものが自分に有れば、きっとこんな感じなのだろう。そうぼんやりした頭で熱病のような性欲に(もだ)えながら、ヴィアは必死に耐え、この危機を(くつがえ)す手を必死に考えようとあがきながら、チャンスがくるのをじっと待つ。

 

 

 そんな彼女達の様子を見て、セシルは眉をひそめた。

 

 

 (……何、今の反応……? なぜ、“この子”は、リリィさんを使わずに、直接自分でこの猫獣人を支配しようとしているの? あれでは、まるで……)

 

 ――まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな反応を示すとすれば、それは――

 

 (“この子”が、リリィさんとこの猫獣人を“同一の存在”と認識した……?)

 

 ()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔剣が示す、この奇妙な反応に考え込むセシルは気づかなかった。

 

 

 ――魔剣の放つ色欲の魔力がヴィアを覆った時に、リリィに対する魔剣の支配が緩み、リリィの眼にほんの(わず)かに理性の(ともしび)(とも)ったことに

 

 

(……あれ……? 私、何してたんだっけ……?)

 

 睡魔の本能の命ずるままにヴィアの唇を舌でかき分けながら、リリィはぼんやりとそんなことを思う。

 未だハッキリとしない頭で状況を把握しようとしたその時、

 

「……ょ……」

 

 

 ――小さな……本当に小さな声が聞こえた

 

 

 猫の耳を備えるだけあって、睡魔族の聴力は動物並みに鋭い。普通なら聞き取れないであろうその声を、ぼやけた頭でもリリィは聞き取ることができた。

 

「……なんで、そんなにあっさり支配されてんだよ……」

 

 

 ――それは、彼女の悲しみ

 

 

「……『オマエには、絶対負けない』って誓ったボクが……馬鹿みたいじゃないか……」

 

 

 ――性魔術によって精神の大部分を支配され、理性のほとんどを失ったからこそ漏れた彼女の本心

 

 

「……『追いついてこい』ってボクに言ったんだろ……」

 

 

 ――声に反応して彼女に向いたリリィの虚ろな紅い瞳を、同じく虚ろな瞳でありながらも、真っすぐに見つめ返して、彼女は……ブリジットは言う

 

 

「……追いつくから、絶対に追い越してやるから……」

 

 

 なんだろう、この感情は?

 

 常に自分を意識してくれて、しかし決して馴れ馴れしいものでもない。

 

 リウラが自分に与えるものとは違う。

 ヴィアが自分に向けるものとも違う。

 

 だが、彼女達に負けない、この絶対的な信頼感――

 

 

「……そんな駄剣なんかに負けてんじゃねぇ……!!」

 

 

 “リリィなら何とかする”――そう確信していることが分かる声。

 

 信じている。信じられている。

 最も負けたくない相手。表面上は決して認めなくとも、心の底では誰よりもその力・その可能性を認めている相手が、自分の事を信じている。

 

 

 ――自分が認めるリリィは、決してこんなものに支配されたりなんかしない、と

 

 

 (ああ……そっか。私にとってブリジットは……)

 

 今まで(さだ)かでなかった、リリィにとってのブリジットの立ち位置……それを、彼女は今、ハッキリと理解する。

 

 

 

 

 (……好敵手(ライバル)……だったんだ……)

 

 

 

 

 ――その瞬間、奇跡が起こった

 

 

 

「な、なんだこれ……力が、溢れてくる……!?」

 

 ブリジットの身体から光が溢れ出す。

 途端(とたん)、ブリジットの身体を、心を浸食していたリリィの魔力が一気に押し流され、頭の中がクリアになる。

 それに戸惑いながらも、自分のするべきことを思い出したブリジットはグッと拳を握りしめた。

 

「いい加減に……目ぇ覚ませバカ!」

 

 ゴッ! ガチィン!

 

 光に包まれたブリジットの拳が、未だヴィアに口づけたままのリリィの頬に突き刺さる。

 謎の光で大幅にパワーアップしたその拳の衝撃はヴィアにまで連動し、ヴィアは額と口を押さえながら、あまりの痛みに悶絶(もんぜつ)して転げまわり……

 

 

 ――そして、リリィは自分の意思を取り戻した

 

 

(……そうだった……忘れてたけど、この()、公式チートキャラだった……!)

 

 ブリジットがヒロインとなるルートでは、特定の条件を満たすとブリジットが大幅にパワーアップする上に、魔王を第三者の洗脳から解放することができるようになる。

 その魔力の上昇は凄まじく、準魔王級と推測できるレベルにまで上がるうえ、その条件というのも、そこまで難しいというほどのものでもない。“お互い心から相手を愛する者同士で、性魔術を行うこと”……それだけだ。

 

 今、リリィに対しても発動したところを見ると、どうやら愛は“友愛”でも全く問題なかったらしい。

 

「くぅっ……! なかなかに乱暴な目覚ましだね……!」

 

「ボクがオマエを優しく起こすとでも? さっさとボクの上からどかないと、もう1発いくぞ?」

 

 未だ自分を再支配しようとする魔剣の魔力に全力で逆らいながら、無理やり笑顔で皮肉を言うリリィに対し、余裕の笑みで『さっさと魔剣の支配をどうにかしろ』と返すブリジット。

 

 どうやら、こちらを助ける気は全くないらしい。

 だが、何故だろうか。そのブリジットの態度が、リリィにはとても嬉しく感じられた。

 

(……やってやろうじゃないの!)

 

 リリィは全身の感覚を研ぎ澄ます。

 

 この魔剣の支配は、相手の色欲に訴えかけるものであるものの、性魔術ではない。

 ならば、話は簡単だ。性魔術でない以上、性行為以外でも抵抗は可能。支配の起点となる箇所を逆に魔術的に支配してやるか、最悪、破壊すれば、それで勝ちである。

 仮に起点を破壊した場合、ひょっとしたら剣そのものが壊れてしまうかもしれないが、今は支配を跳ね()ける方が最優先であった。

 

(殴られたところから浸透したブリジットの魔力。それを、もう一度浸食しようとする感覚を辿(たど)っていけば……!)

 

 

 

 ――ピクリ

 

 

 

 リリィの猫耳が跳ねたその瞬間、彼女の左腕が自分の右の二の腕をつかむ。

 

 いや、二の腕ではない。そのわずかに上……何もないはずの空間を、彼女はわしづかみにしている。

 ブリジットがそこに目をやっても、当然、何もないように……

 

 

 ――いや、()()

 

 

()()()……か……?」

 

 うっすらと見える、リリィの二の腕に張りついた、長い尾を持つ虫のような輪郭(りんかく)。それをわしづかみにしたリリィは、自身の二の腕から引きはがし、

 

 

 

 

 ――躊躇(ちゅうちょ)なく、かぶりついた

 

 

 

 

「……はぁっ!?」

 

「……!」

 

 大きく目を見開くブリジット、そしてセシル。

 リリィにかじりつかれて、大きく上半身を損壊したサソリの幻影は、跡形もなく消失していく。その直後、

 

 ゴッ!

 

 リリィの魔力が爆発的に(ふく)れ上がった。

 思わず頬を引きつらせるブリジットの目の前で、ニヤリと笑いながらリリィは身体を起こし、ブンと右腕を振るう。

 

 すると、まるでリリィの意思に従ったかのように、右腕に巻きついていたはずの魔剣が、その手に刀身を接続した状態で収まっていた。

 

 セシルは唖然(あぜん)とした様子でリリィに問う。

 

「……まさか魔力で“この子”を支配するのではなく、本体を喰らうことで同化するとは……あなたは本当に睡魔ですか?」

 

「睡魔族だって、性魔術以外の方法で相手を支配することはあるよ。なんのために頭がついてると思ってるの? ……で、これは私のものってことで良いんだよね?」

 

 不敵に笑うリリィに、セシルはハッキリと頷いた。

 

「もちろんです。“魅了剣 ルクスリア”、確かに納品いたしました」

 

 

 ――紫黒(しこく)の刀身がギラリと輝いた

 

 

 

***

 

 

 

(なるほど、だいたい読めてきた)

 

 全身に纏った水の膜から、特定の方向に爆発的に水蒸気を噴射することで、凄まじい勢いで宙を飛び回りつつ、シズクはリウラの能力の分析を終えつつあった。

 

 リウラのあの異様な洞察力、どうやらあれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 

 試しに、明確な意図を持って頭で考えた行動を起こした時、リウラの超反応は鳴りを潜め、いつも通りの対応を行った。それは何度試しても同じであったことから、おそらく間違いはない。

 

 通常であれば、“無意識の行動をすべて読まれる”というのは致命的だ。

 武術というものは、型を反復することで技を無意識に出せるようにし、組手や戦闘を多く経験することで、特定の状況下で無意識に技を出せるようにすることが基本である。

 頭で考えてから行動するのと、無意識に行動するのとでは動きの速さが何倍も違うからだ。全て頭で考えてから行動していたら、とても相手の行動に対応できないのである。

 

 ――だが、

 

(……()()()()()()()()()()()

 

 シズクの過去の経験から、リウラへの対抗策が瞬時に構築される。

 

「えっ!?」

 

 シズクと同様、全身から爆発的に水蒸気を噴射しつつ、なんとかしてシズクに接近戦をしかけようとしていたリウラは驚愕(きょうがく)に目を見開いた。

 

 常に距離を取り、中距離戦を崩さなかったシズクが、突如として反転。

 リウラ達がやってきた方向――エステルと戦った地底湖の方へと逃げ出したのである。

 

(……!)

 

 おそらく罠だろう。自分に対抗する何らかの策を思いついたに違いない。

 

 だが、ここでシズクを無視してリリィの元へ戻るのはまずい。シズクを見失ったが最後、どこからどんな奇襲を仕掛けられるか分からないからだ。

 膨大(ぼうだい)な戦闘経験を持つシズクのこと。きっと、リウラには思いもよらない、えげつない奇策を()()げて、自分やリリィ達に襲いかかるに違いない。それだけは避けたかった。

 

 待ち伏せや奇襲を警戒しつつ、大急ぎでリウラはシズクを追う。

 すると、すぐにシズクに追いつくことができた。シズクは、広大な地底湖の中央の上空で、リウラを待ち構えていたのである。

 

(……周りにシズクの魔力は感じられない。あの地底湖にも一切魔力が通っていない……何を考えているんだろう……?)

 

 リウラも、行動予知の恩恵(おんけい)享受(きょうじゅ)している間に、その能力の内容をある程度自分でも把握しつつあった。

 どうやら反射的な行動は読めるものの、頭の中で計画された内容については一切読めないらしい。

 

 つまり、今シズクが張ろうとしている罠については、いつも通り自分の頭でシズクの行動を予測するしかない。

 そして、リウラの何倍もの経験を持つ師に対してそれをするのは、実質不可能に近かった。

 

 ならば、行動の指針は2つ。

 

 

 ――自ら突っ込んで罠を食い破るか

 

 ――いったん待機して相手の様子を見るか、である

 

 

 しかし、リウラにその選択を選ぶ時間は与えられなかった。

 

(さて、リウラ……私が考えた“対あなた用の技”……見事に受け切って見なさい!)

 

 フッとシズクの周囲に()び出される水球……その数165。

 そして恐るべきことに、それらはそれぞれが大量の水を圧縮したものであった。

 

「やばっ!?」

 

 リウラはシズクが何をしようとしているのかを悟り、慌てて真下……地底湖の方へと急降下する。

 しかし、それよりもシズクが引き金を引く方が早かった。

 

 ――魔闘術 奥義 奔流(ほんりゅう)

 

 迷宮に引かれる165のライン。それらは全て、触れるものを問答無用で切り裂く水の刃だ。

 

 ――例え半身になって当たる面積を減らそうと、(かわ)すことができない密度

 ――全力で防御しようとも貫ける攻撃力

 ――そして、全力の“彗星(すいせい)”でも逃れられない攻撃範囲……防御不能、回避不能の攻撃である

 

 

 いや、防御・回避不能の()()()()()

 

 

 ひゅっ、とリウラが鋭く息を吐き出すと、リウラの輪郭(りんかく)が溶ける。

 そして、液状になったリウラの身体は文字通り流水の如く、彼女を突き刺し、引き裂かんと薙ぎ払われる水のラインをするすると避けてゆく。

 

 シズクは感心する。

 

 いかにそれ以外に回避する方法が無いとはいえ、先ほど手痛いダメージを喰らった防御力0状態を再展開する度胸、そしてその不定形な状態で安定して“彗星”を維持できる制御力、その制御をこの短時間で身に着ける適応力……全てが天才の域である。

 

(……素晴らしい。では、次の手を……)

 

 リウラは湖面付近で人型を再形成して水面に立つ。

 

 “奔流”の弱点……それは、“水中では極端に水の速度、威力が弱まること”である。

 意外なことかもしれないが、“奔流”は攻撃対象が個体・気体であれば易々(やすやす)と裂くことができるのだが、対象が液体になると、その衝撃が分散されて、まともな威力を発揮できなくなるのである。

 いざ“奔流”を撃たれても、水中に逃げてしまえば防御も回避も容易(たやす)い。いったん水面付近にまで来てしまえば、実質、“奔流”を封じたも同然である。

 

 ――雫流魔闘術 航跡(こうせき)

 

 地底湖の水面をリウラが滑る。

 

 “航跡”は、足元に水流を生み出し、それに乗ることで滑るように高速移動する技である。

 飛行可能な“水の羽衣(はごろも)”を修得してしまえばあまり使われなくなる技だが、“水の羽衣”に比べ、“魔力消費が少ない”、“体勢が安定しやすい”といったメリットがある。

 今回の場合は、“奔流”を撃たれたときに一瞬でも早く水中に身を隠すため、水面と接触しながら高速移動できるこの技をリウラは選択していた。

 

 ビキビキビキ……ッ!

 

 瞬間、シズクの真下に位置する水面から、波紋のように氷が広がってゆく様子を見て、リウラの頬が強張る。

 

 いかにリウラが実力のある水精(みずせい)といえども、一瞬で(シズク)の魔力がこもった氷を砕きつつ水中に退避することはできない。

 おまけに、宙に浮くシズクの足元の水面から、放射状に地底湖に魔力が浸透していく様子を見るに、おそらく水面下も凍らされているのだろう。氷の下をくぐって、水中からシズクに接近する手は封じられた。

 

(……ならっ!)

 

 リウラは再び“彗星”を発動させ、シズクに向かって急加速。

 あれだけ大量の魔力を水中に放出して氷を作っている以上、さっきのように大量に“奔流”を展開することは不可能だ。今ならシズクの“奔流”を回避しつつ接近することは、そう難しいことではないはず。

 

 

 

 ――そして、面積を急速に広げる氷の先端の上を、リウラが通過した瞬間だった

 

 

 

 ズンッ……!

 

 水中から重い爆発音が聞こえる。

 リウラはその音に驚き、慌てて体の前面から水蒸気を噴射することで急停止する。

 

 “雫流魔闘術 奥義 彗星”――それは体表面で、爆発の威力・方向を制御した“焙烙(ほうろく)”を継続して発動し続けることで、文字通り爆発的な高速移動を行う、移動の奥義である。

 

 全身に纏った水の膜のどこからでも水を召喚・爆破・噴射できるため、今のように身体の前面から噴射することで急停止したり、腕や肩・脚から噴射することで移動方向を急激に曲げることだってできる。やろうと思えば、敵の攻撃の手前で直角に移動して回避することだって可能だ。

 

 だが、それは言ってみれば“超ねこぱんち”を使って、常に自分を弾き飛ばしながら移動しているようなもの。極限集中状態でなければ、まず間違いなく制御しきれずに、壁に頭から突っ込むであろう、非常に危険な技なのだ。

 先程のように初めから“奔流が来る”と分かっている状態であるならまだしも、敵が何をしようとしているのか分からない状況で、この技を使用し続けるのは、あまりに危険すぎる。

 

 リウラは目前のシズクから目を離さないまま、意識を下に向ける。

 しかし、かなり大きな爆発が起こったはずなのに何も起こらない。となれば――

 

(フェイント!)

 

 リウラは今度は意識を上に向けると、(あん)(じょう)……そこには雲のように広がる氷の粒子が激しくお互いをぶつけあっている様子が感じられた。

 耳に意識を集中させれば、小さくバチバチバチ……と、大量の氷の粒がぶつかり合う音が聞こえる。そして……おそらく“リウラに気づかれたこと”にシズクが気づいたのだろう、シズクが魔力を高め、氷がぶつかるスピードが爆発的に加速していく。

 

 ――魔闘術 火神鳴(ひがみなり)

 

 小さな氷の粒をぶつけ合うことで発生させた静電気を、魔力で強化することで、強力な雷撃(らいげき)を見舞う技である……が、何故だろうか――

 

(……なんで、すぐに撃ってこないんだろう……?)

 

 単純に考えれば、水面下の“焙烙”に魔力を裂きすぎたせいで、“火神鳴”の展開が“焙烙”のフェイントに間に合わなかった……といったところだろうか?

 しかし、リウラは知っている。自分の師がそんな単純なミスを犯すような、生やさしい相手ではない、と。

 

 

 ――そう思った、その時だった

 

 

 ピシッ!

 

「え?」

 

 足元から聞こえる(わず)かな異音。

 耳に集中していたからこそ聞こえた“それ”が何を意味するかを悟る前に、大量の水が、凍てついた地底湖の湖面を粉砕してリウラを打ち上げ、飲み込んだ。

 

 

 

***

 

 

 

 リウラを観察することで、シズクが改めて知ることができたリウラの弱点は3つ。

 

 1つは無意識的な行動でなければ、あの予知能力じみた行動予測は使えない、ということ。

 

 2つ目は、リウラが無意識に思いつく技、発展させる技は全て“リウラが知っている知識、経験を基に開発されている”ということである。

 

 つまり、リウラが知らない知識、経験したことのない技を使えば、リウラは対応することができない。もしくは、対応が遅れてしまう。

 ……とはいえ、一度でも見せてしまえば、すぐに対応する策や型を編み出されてしまうため、それらは“ここぞ”というところで使わなければならないが。

 

 そして最後の3つ目……それは、リウラが周囲の状況を知覚するとき、視覚と魔力、相手の“()”の感知の3つに頼り切っており、音や空気の流れ、そして精霊の動きへの感知が(おろそ)かになっていることである。

 

 基本的に生物が行動するときは“意”を放つし、遠隔操作などをするときは魔力や闘気を放つ。

 したがって、基本的にはその3つを意識していれば、ほとんどの状況は対応できる。対応できないのは、シズク以上に“意”や魔力を隠す攻撃が(うま)いアーシャのような存在を除けば、落石や自然災害などの事故くらいである。

 

 ……なら、話は簡単だ。

 

 ――明確に意図を持って行動し、

 ――リウラが知らない知識・経験を使った、

 

 

 

 ――“()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それが、これ……“焙烙”の対リウラ用の型である。

 

 実はリウラが地底湖を凍らせた際、凍らせたのは水面だけだ。

 水面下へ魔力を浸透させたのは、“凍らせたと思わせて、リウラに水中に潜らせないため”、そして、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”である。

 

 水中で“焙烙”を発動……つまり、巨大な爆発を起こすと、水中に泡が発生する。

 その泡は、ある一定以上の広さと深さを持つ水場で、かつ水面に何らかの障害物がある状態で発生させると、爆発の衝撃波が周囲から跳ね返ってくる影響で、お(わん)を逆さにしたような感じで泡の下面がへこむ性質があるのだ。

 

 そしてその後、そのへこみが水流を(ともな)いながら泡の中心へ向かい、やがて水流が泡を貫通して水面へと勢いよく上昇する、という現象が発生する。

 先史文明期(せんしぶんめいき)において“バブルジェット”と呼ばれ、魚雷(ぎょらい)にすら利用されたその水流の威力は、爆発の規模によっては、鋼鉄の船体すら真っ二つにするほどだ。

 

 これならば、“意”を放つことも、魔力を操作することもなく、リウラに強力な水の打撃を与えることができる。

 

 ――初めに“奔流”を多数発射することで、“すぐに水中に潜れるように”と地底湖までリウラを誘導し……

 

 ――“水中に潜らせないようにする”と見せかけて、水面に氷の障害物を作成し……

 

 ――水中の“焙烙”をフェイントに見せかけて、真逆の方向に“火神鳴”を用意することで上方に意識を縛りつけて……

 

 ――そこに、下から自然現象である水流をぶち当てる

 

 後は、魔力を溜め、威力を増した“火神鳴”を真下に落とせば、水流に巻き込まれたリウラは、なすすべもなく感電して倒れる、という訳だ。

 

(お願い、間に合って――!)

 

 リウラは焦る。

 

 このままシズクの“火神鳴”を受けてしまえば、リウラの死が確定する。そうなれば、シズクがティアに加勢し、リリィの死もほぼ確定だ。それだけは、どうしても受け入れられない。

 

 リウラが今展開しようとしているのは、“雫流魔闘術 避雷傘(ひらいさん)”。電撃が落ちてくる方向に、円錐状の水盾を展開する技だ。

 円錐の円周には水で作った糸がいくつも飛び出しており、それらを地面に刺すことで強制的に電撃を誘導し、地面へと受け流す技である。

 

 言葉にすると、“ただその形状の水を展開すれば良いだけ”に聞こえるが、魔力のこもった電撃は術者の害意(がいい)沿()って動くため、そう簡単に受け流されず、下手をすれば水盾を貫いて直進し、術者に直撃してしまう。

 相手の拳を横へ逸らすような、力強く、それでいて繊細(せんさい)な魔力・水流操作を駆使して、うまく電撃を誘導しなければ、水盾そのものが簡単に破壊されてしまう、極めて高度な技なのである。

 

(だめっ、間に合わないっ――!!)

 

 しかし、リウラの対抗手段が“避雷傘”以外に無いのも悟られているのだろう。リウラを打ち上げた巨大な水柱のどこに当たってもリウラは感電してしまうが故に、リウラは否応(いやおう)なく水柱そのものを覆える程の巨大な“避雷傘”を展開せざるを得ない。

 

 シズクの“焙烙”が引き起こした、天を突くような水柱に身体を打ち抜かれた衝撃で(ひる)んでしまっているリウラに、新たに水を()びながら、そんな繊細な技を巨大展開する余裕などなかった。

 

 リウラは“避雷傘”の展開を諦め、電気伝導率の低い超純水を魔力強化して自身を覆う。

 魔力の込められた雷に対しては気休めにしかならないが、それでも直撃するよりは遥かにマシだ。

 

 

 

 ――雷が放たれる轟音が鳴り響く

 

 

 

(……?)

 

 しかし、いつまでたっても、リウラには(わず)かな痛みも痺れもやってこない。

 不審に思いつつ、どんな状況でも対応できるよう警戒しながらリウラはその場に“水の羽衣”で留まる。

 

 そして、リウラを覆っていた水柱が再び地底湖へと帰ったとき、リウラは目にした。

 

 

 

 

 ――地底湖を覆うほど巨大な避雷傘を展開して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 

 

***

 

 

 

「お姉ちゃんを殺すつもりがない?」

 

「ええ、シズクにも私にも、あの()を殺す気なんてサラサラ無いわ」

 

 魅了剣ルクスリアを手に入れた後は、拍子(ひょうし)抜けするほどに呆気なく勝負がついた。

 というのも、あのどこからエネルギーを持ってきてるのか分からない、延々と魔力砲を吐き出し続ける銃をセシルが収めた時、ティアとシルフィーヌはほぼ魔力を使い果たしていたからである。

 

 最大の戦力である2人が使い物にならない今、大パワーアップを果たしたリリィとブリジット相手に勝てるわけがない……そう判断したティアは、あっさりと降伏を宣言。

 『リウラがそちらに居る以上、降伏してもそう悪い扱いにはならない』とのことだったが、リリィからすれば、それだけでこちらを全面的に信じられるティアの剛胆さに呆れ果てるばかりである。

 

「あの殺気全開で戦ってたアレがですか?」

 

「なんか、『今までの鍛錬だと“とりあえず殺されることだけは無い”って心の緩みがリウラにあったから、いい機会だ』って言ってたわよ? 殺すつもりでやってるだけだと思うわ」

 

 リリィは“頭が痛い”と言わんばかりに頭を押さえる。

 しかし、リウラからちょくちょく聞いていた、昔のシズクの色々やらかした話を考えると、なんか充分有り得そうだと納得してしまう。

 

「……それじゃあ、私も殺すつもりはなかったんですか?」

 

「いいえ、殺す気マンマンだったわ」

 

「うぉい」

 

 思わず女の子にあるまじきツッコミを入れてしまうリリィ。

 だが、ツッコミを入れつつも、ティアの言葉にリリィは納得してしまう。リリィに向かって振り下ろした神聖魔術の大槌を見て『殺す気が無い』など信じられようはずもない。

 

「なあ、何のんきに話してんだよ。そんな話、コイツらをさっさと縛り上げて牢に放り込んでからにしたら良いだろ?」

 

 そのブリジットの言葉に反応したヴィダルが、凄まじい殺気を放ちながらわめくのを尻目に、リリィは答える。

 

「……私とお姉ちゃんは、この人に恩が有るの。ちゃんと事情を()くまでは、それはできないよ」

 

(……え?)

 

 ティアの陰で顔を青ざめさせながら事の行方を見守っていたシルフィーヌは、その意外な言葉にきょとんとしてしまう。

 

 シルフィーヌの知る魔族は、自身の眼で見た魔王とその配下達、そして人々が口にする噂がすべてだ。

 彼らは好き放題に暴れまわり、人を人とも思わぬ所業を重ねる絶対悪である。

 

 なのに、同じ魔族であるはずの彼女が『恩』という言葉を口にし、あまつさえ、それで一度は殺されかけた相手に譲歩している。

 聞けば、今のような力を持たない脆弱な存在であったころ、“水精の隠れ里”という場所で、ティアに保護してもらった恩、そして、水蛇(サーペント)という強力な魔物に襲われたときに助けに来てもらった恩があるらしい。

 

 絶対悪であるはずの存在が、恩を口にして譲歩する(さま)……それは彼女にとっては信じられない光景であった。

 どちらかと言えば、ブリジットの方が彼女のイメージする魔族に近い。

 

「はっ、甘っちょろい奴だな、オマエ」

 

「なんとでも言って。……それで、私を殺してどうするつもりだったんですか? わかってるとは思いますけど、私を殺したらお姉ちゃんが黙ってないと思いますよ? それも覚悟の上だったんですか?」

 

「そこは考えてあるわよ。……ねえ、リリィ。ものは相談なのだけど……」

 

「?」

 

 急な話題転換に疑問符を頭に浮かべるリリィに、ティアは予想外の一言を放った。

 

 

 

「あなた……()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 


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