水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第六章 3つの賭け 前編

 ――水精(みずせい)の隠れ里 ティアの出立(しゅったつ)

 

 

「あなた自身について知りたい?」

 

「はい。“私がどのように生まれたのか”……それを知りたいのです」

 

 里長(さとおさ)である水精 ロジェンの住居は、簡素ながらも絨毯が敷き詰められ、調度品が飾られた立派な部屋であった。

 これは万が一、外から客が訪れた時の応接間も兼ねているためである。

 

 『相手からナメられないようにするためには、最低限の装飾が必要なのだ』……とはロジェンではなく彼女の側近であるシーの(げん)

 シーだけではなく、ロジェンの周辺にたむろしている水精はいつも大体そんな感じで、何かとロジェンをどこかの王族のように振る舞わせようとする。

 

 今もゴゴゴゴゴゴゴ……と何かを削るような音が聞こえるが、あれは水のドリルや噴射で岩壁を削って、ロジェンの住居の拡張工事をしている音である。正直、音が里外に漏れてこの里の存在がバレやしないかとティアは冷や冷やしているが、そこは外にも人員を配置して水の結界を張り、絶対に音漏れしないようにしているらしい。

 いったい、何が彼女達をそこまで駆り立てるのやら……ティアには全くわからない。

 

「まあ、確かに存じてはおりますが……とはいっても、わたくしも多くは知りませんよ? 生まれたばかりの貴女(あなた)と出会った場所は覚えているでしょう? どうやら、あそこで戦争があったようですので、そこにいた人間族か魔族かの強い想いが貴女を生んだのではないでしょうか?」

 

「では、その人間族か魔族について心当たりはありますでしょうか?」

 

「……いえ、さすがにそこまでは……」

 

 残念そうに、かぶりを振るロジェン。

 しかし、そこでティアがこう言うと、ロジェンは表情を変えた。

 

「しかし、シズクは私の基礎想念を知っていたようですが……?」

 

「……シズク……あなたという水精(ひと)は……」

 

 ――頭が痛い、と言わんばかりのしかめっ面に

 

 額を押さえ、ジト目でティアの背後に立つシズクを見ると、シズクはそっと目を逸らした。

 なるほど、この(むすめ)がそんな大ポカをしているのであれば言い逃れはできまい。戦闘中の駆け引きは非常に(たく)みなくせに、どうしてこういう交渉事はてんでダメなのか。

 

 ロジェンは彼女の残念さに内心で深いため息をつきつつ、水の扇で口元を覆う。

 

「……申し訳ございませんが、お答えすることはできません」

 

「あ、私が元人間だったってことはバレてますよ? ひょっとして、ロジェン様がおっしゃる『そこにいた人間族』って、私のことですか?」

 

「シズク……後でちょっとお話ししましょうか」

 

 額に青筋を浮かべて、とてもにこやかにロジェンがシズクに声をかけると、次々と誘導尋問に引っかかって洗いざらいしゃべらされていたシズクは、ビクゥッ! と涙目で肩を跳ねさせる。

 

 ロジェンは改めてティアに視線を戻すと、深いため息とともに言った。

 

「……そこまで知っているのならば、隠しても仕方ありませんね。しかし、何故それを知りたいと? あなたは今までそんなことを気にしたこともなかったし、ましてや、自分の過去に興味を持つような性格でもなかったはず」

 

 ティアは非常に前向きな水精だ。過去をくよくよと振り返る時間があるならば、その時間で真っすぐ前を向いて現状を打開する策を考え、改善するための行動に移るだろう。

 そんな彼女が、今さら自分の過去に興味を持つのは少々不自然だった。

 

「……おっしゃる通りです。実際、“私の過去そのもの”にはそこまで興味はありません。私には人間だった当時の記憶なんてないから、今さら『あなたは実は人間だったんです!』なんて言われても実感がありませんし」

 

「では、なぜ?」

 

「私の中に“リウラを見捨てるな”という強い想いがあるのです。……私の基礎想念(生まれた理由)に勝るとも劣らない程の、強い想いが」

 

「新しい隠れ里に移ってから、私はこの“リウラを護りたい” という想いと、“隠れ里の水精達を護りたい”という基礎想念に挟まれ、迷い、悩み続けてきました。……このままあの娘を見捨てたら、私はきっと、一生後悔するでしょう。……それならば、私は、里を出てリウラを護りきり、全ての(うれ)いを晴らしたうえで、あらためてこの里を護るために戻ってきたいと思います」

 

「……」

 

「この感情に踊らされるがままにあの()を護るのも、それはそれで悪くはありません。私はリウラのことが大好きですから。……ですが、できるのならその原因も知りたい。そして、もし、その原因が私の過去にあるのなら、それを知りたい。……ただ、それだけです」

 

 ロジェンはティアの瞳をじっと覗き込む。

 

 一切の虚偽の色も動揺も無い。期待の色も希薄だ。“聞けたら(もう)けもの”程度に思っているのだろう。おそらく、ここでもう一度『教えない』と答えれば、彼女はそのままあっさりと(きびす)を返し、そしてこの里を去ってゆくだろう。

 

 ロジェンは瞑目(めいもく)し、少しだけ思案する……水精の隠れ里にとって、そしてこの水精ティアにとって、最も幸せとなれる選択肢は何か、と。

 

「……いいでしょう。ですが、正直に言いますと、あなたの“リウラを見捨てるな”という想い……それについて、わたくしは全く心当たりがありません」

 

「……そうで「なので」……?」

 

 ティアの言葉を(さえぎ)ると、ロジェンは扇をたたみ、玉座のように豪奢(ごうしゃ)な椅子からゆっくり立ち上がる。

 そして、腰まである三つ編みを揺らしながらティアの前まで来ると、右の人差指の先でティアの額に触れる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――ティアの中で、何かが弾けた

 

 

 

***

 

 

「シズクぅっ!」

 

 『シズク』と呼ばれた水精の女性は、がばっと抱きついてきたお姫様に戸惑(とまど)いながらも返事を返した。

 

「……何? サラ」

 

「『何?』じゃないわよ、そんな仏頂面(ぶっちょうづら)して。今からそんな緊張してたら、勝てる戦いも勝てなくなるわよ?」

 

「……別に、仏頂面なんてしてない」

 

「してるわよ。ほら、ちょっとは笑いなさい、このコミュ障(むすめ)

 

 『サラ』と呼ばれた人間族の女性は、シズクの頬を人差指でつつきながら笑って言った。

 

 ここは魔王軍と対抗するために作られた、人間族や亜人族の連合軍……その中でも特別な役割を持った部隊だ。

 

 数か月前に突如(とつじょ)として現れ、瞬く間にシュナイル王国を滅ぼした魔王軍。そのトップたる魔王は自ら積極的に前線に出て戦闘を行うタイプであった。

 その巨体は一般兵の剣も魔術も弾き返し、繰り出す拳は大地に巨大な穴を穿(うが)つ。加えて神の如き強大な魔力は、一撃で軍を半壊させるほどの信じがたい威力で放たれる……早い話が、一般兵では全く役に立たず、完全な足手まといと化してしまうのである。

 

 よって、魔王と戦うためには、彼と充分に戦えるだけの実力者のみで結成された、精鋭部隊が必要とされた――それが彼女達である。

 大国ゼイドラム王国の第一王子にして、神殿から勇者の称号を与えられた戦士リュファスを初めとする彼らはまさに一騎当千の化けもの(ぞろ)い。それは、ここでじゃれている彼女達も例外ではない。

 

 絶大な魔力を誇るユークリッド王族の姫君――サラディーネ。

 

 水鳥草(すいちょうそう)のように美しい青の髪と、空のように透き通る蒼の瞳を持つ女性である。

 (やまい)で両親が他界した後も両親以上の手腕で国を治め、民心を(つか)み、強力で多彩な魔術をもって強大な魔を打ち砕く、文武両道の才媛(さいえん)だ。

 

 そして、彼女が抱きついている、東方風の水の(ころも)(まと)った水精――シズク。

 

 サラディーネが敵の気配を探っていた時、人探しをして迷宮をうろついていた彼女を感知したのが、出会ったきっかけであった。

 まるで深い海の底のように静かで落ち着いたその気配から、間違いなく指折りの実力者であることに気づいたサラディーネは、即座に彼女に接触。彼女の探し人を国を挙げて探すことを条件に、味方に引き込んだのである。

 

 どうやらシズクは1人きりで修行をしていた期間が非常に長かったらしく、人との付き合いが苦手なようだ。……笑顔を作るどころか、挨拶すらうまくできないというのだから重症である。

 

 しかし、その修行にかけた期間はダテではなく、“水精である”というだけで彼女の実力を疑問視した部隊のメンバーの一部を瞬く間に叩き伏せて見せた。

 その様子を見ていたリュファスが、『自分でも、初めから全力でかからねば、やられかねない』と断言するのだから、生半可なものではない。

 

 そんな彼女は、修行にかまけて世俗(せぞく)とあまり関わってこなかったせいか、非常に素直で反応がとても可愛らしい。

 

 そのため、サラディーネはこうして、ちょくちょくちょっかいをかけて反応を楽しみつつ、“どのようにコミュニケーションをとってゆけばよいのか”を目の前で実演して見せている。普段は家族にしか見せないような砕けた態度を取っているのは、そのためだ。

 そのおかげか、シズクのコミュニケーションを取る際のぎこちなさも少しずつ取れてきている。今では、サラディーネがフォローを入れれば、他のメンバーともスムーズな会話が可能なほどだ。

 

 ――ピクリ

 

 シズクの眉が(わず)かに動き、表情が引き締まる。

 

「……サラ」

 

「どうしたの?」

 

「誰か、近づいてくる」

 

 ――サラディーネの表情から笑顔が消え、緊張感が満ちる

 

 この部隊は魔王と戦う精鋭部隊であると同時に、少数精鋭であることを活かした奇襲部隊でもある。その部隊に真っすぐ近づかれるということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「……どんな相手か分かる?」

 

「……気配の大きさと揺らぎからすると、おそらく一般人。それも子供。だけど、人間族や獣人族にしては少し魔力が大きいし、精霊(私達)との親和性も高い……特殊な生まれを考えなければ、多分エルフだと思う。歩き方と歩幅から、おそらく女性で、身長は大体140前後。……怪我をしてるか、疲れてる」

 

「距離と方向は」

 

「南南東、約100メートル先。突然現れた」

 

「……」

 

 

 ――不自然だ

 

 

 迷宮内における一般的な居住区は、比較的浅い階層にある。なぜなら、深くなればなるほどに生息する魔物が狂暴かつ強力になっていくため、住みにくくなっていくからだ。

 

 ここは迷宮の中でもかなり深い階層である。そこに一般人が迷い込むなど、まずありえない。

 半径数kmまで届くシズクの気配探知を()(くぐ)って、転移門も無い場所に突然現れるなど、それこそ転移魔術を用いたとしか考えられない。

 

 そして、その怪しい人物が真っすぐこちらに向かってくることを考えれば……それこそ“敵である魔王軍が用意した策である”としか思えなかった。

 

「……殺しましょう」

 

「……え?」

 

 シズクは、信じられないものを見る目でサラを見る。

 しかし、そんな目で見られても全く動揺もせずに淡々とサラは続ける。

 

「ここを離れるのは(まず)いわね。私達を分断する目的で用意したのかもしれない。……かといって、あまり近づかれて強力な魔術や爆弾がその子に仕込まれていても困るし、もしこの場に居る誰かの知り合いだったら、その子を目にした瞬間“助ける、助けない”で仲間割れが起こるかもしれない。……あらかじめ強力な結界を張って、ここに近づけないようにしておきましょうか。その上で、その子が此処(ここ)に来る前に、私の魔術で遠隔から爆破処理すれば……」

 

 

 

 ――シズクの背筋がゾクリと震えあがる

 

 

 

 サラディーネは極めて優秀な王女だ。その理由の一つとして、“国を護り、繁栄させるためならば大抵のことは何でもする事”があげられる。王族として小を切り捨て、大を活かす判断に躊躇(ちゅうちょ)がないのだ。

 もちろん、小をもまとめて救うことができるのならばそうするが、“そうできない”と判断した直後の行動が非常に速い。だからこそ、小国でありながら魔王軍の進行にも耐え、逆に攻め込めるまでの成果を上げることができたのだが……。

 

 

(……怖い)

 

 

 一般人の子供ですら必要とあれば躊躇(ためら)いなく殺害する、そのあまりの人間味の無さは、あまり人と関わり合いがなく、政治に(うと)いシズクに対して――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「私、その子を元いた場所に返してくる」

 

「え? ちょ――」

 

 シズクは、サラディーネが何か言う前に“水の羽衣(はごろも)”を使って瞬時にその場から移動した。

 彼女からは否定の返事しか返ってこない、と分かり切っていたからである。

 

 “その子供を助けたかったから”。

 “もともと自分は、サラディーネが運良く見つけた予定外の戦力であったから”。

 “彼女が子供を殺すところを見たくなかったから”……彼女がサラディーネの意思に反する行動をとった理由は様々だが、結局のところ一番の理由は、

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()……その事実を認めたくなかったのだろう

 

 

 

***

 

 

「速さ、きつくない? リューナ」

 

「は、はい! 大丈夫ですの! ……あ、でも、もうちょ~っと遅くしてくれても、わたくしは全然問題ございませんの」

 

「ごめん。急がないといけないから、我慢できるなら我慢してほしい」

 

「うっ……!? ご、ごめんなさいですの……」

 

 シズクが見つけたその少女は、シズクが推測した通りエルフの少女であった。

 腰までなびく白銀の髪、ロイヤルブルーサファイアの瞳、白磁のような肌と、まるで人形がそのまま命を授かったかのような芸術品のように美しい少女であった。

 

「……それで、どうしても思い出せない?」

 

「……はい、ですの。わたくしの町が魔族に襲われたところまでは覚えているのですが……何でわたくしがあんなところで迷ってて、どうしてわたくしが怪我をしているのか……何も覚えていませんの」

 

(……単純な記憶喪失……と考えるのは早計(そうけい)。でも、他人(ひと)とあまり付き合ってこなかった私に、この子が嘘をついていかどうかはわからないし……とりあえずは、その町を目指してこの娘を預けることが最優先)

 

 もしサラディーネの言う通り、部隊の戦力を分断する目的でリューナを転送したのであれば、すぐに戻らなければならない。おそらく、既にサラディーネ達が攻撃を受けている可能性が高いからだ。

 その事を予見(よけん)していたサラディーネ本人が居るのだから、そう簡単に奇襲を受けたりは受けないだろうが、それでも連合軍トップ戦力の一角であるシズクが居るのと居ないのとでは天地の差がある。

 

 少女を姫抱きにし、円錐状に展開した水結界の背面から勢いよく水蒸気を噴射して、シズクは迷宮を疾駆(しっく)する。

 文字通り爆発的な加速で飛翔するが、水の結界で少女ごと自身を覆っているため、風圧で息苦しくなることはない。

 

 しかしそれでも、自分が認識できない速度で、勢いよく背後に景色が飛んでゆく光景は恐ろしいのだろう。よく見れば、少女の表情は若干青ざめていた。

 

(そろそろ町に着く、けど……)

 

 

 様子がおかしい。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……いや、よく考えれば、おかしくはないのだろう。

 リューナは言った……『町が魔族に襲われた』と。ならば、その町の住人が全滅していても決しておかしくはない。

 

 しかし、困ったことになった。リューナを預ける当てが外れてしまった。

 いったん町の様子を見せて“自分を預かってくれる者は誰もいない”と納得してもらった後で、別の者に……いったんどこかの宿にでも預けることに――!?

 

 ――シズクの水蒸気噴射が、そして水の円錐結界が()()()()()()()()()

 

 慣性で勢いがついた身体を、空中でくるりとでんぐり返りをするように回り、地面で受け身を取って腕の中のリューナを(かば)いながら素早く起き上がり、彼女を床に下ろして背後を振り返る。

 

「これは……!?」

 

「こ、こらあっ! 急になんて止まり方しやがるですの!? わたくし、一瞬マジで死んだかと思いましたですのよ!?」

 

 シズクが厳しい表情で辺りを見回していると、彼女の背後に憤慨(ふんがい)したリューナが涙目で文句を言いながら詰め寄ってくる。ちょこんとシズクの袖を握っている手が震えているところを見るに、どうやら本当に怖かったらしい。

 非常に申し訳ない気持ちになるシズクであったが、今の彼女にリューナの相手をしている余裕は無い。

 

「リューナ、私から離れないで」

 

「ど、どうしたんですの? ……あ、なんかものすごーく嫌な予感が」

 

「気づかない? ……この周辺から急に水の精霊が追い出されてる」

 

「え……? あ……」

 

 エルフは精霊ととても親和性の高い種族だ。シズクに言われて精霊の気配を探ったのだろう。リューナは、即座にシズクの言葉が事実であることに気づいたようだ。

 

「あの……ひょっとして、今、急にシズクさんが止まったのは……」

 

「敵襲よ」

 

「うげ!?」

 

 水精は自らの意思で水を操作することができるが、戦闘中のように本人の意思を正確かつ迅速(じんそく)に反応させるような場合でなければ、その操作の補助を、目に見えず、身体を持たない水精にお願いすることがある。

 

 先程までのシズクの移動がまさにそれで、精密な操作が必要な水蒸気操作以外は、全てその水精達にお願いしていた。そして、精霊払いの結界が突如として展開されたことにより、それが強制的に解除されたから、シズクとリューナは宙に投げ出されたのだ。

 

 そして、そんな特殊かつ限定的な効果しか持たない結界が、今、ここで展開される理由など、1つしかない。

 

 

 

 ――シズクを狙い撃ちにした罠である

 

 

 

(新たな水の召喚は……やっぱりできない)

 

 精霊払いの結界は、精霊の力そのものを遮断する結界と同義である。新たな水を召喚するためには、シズクの魔力を対象の水場に届かせる必要があるのだが、それが結界で(はば)まれてしまい、召喚することができない。

 シズクは仕方なく、先程展開していた結界に使用していた水と、周囲に(ただよ)う水分を収束させて水球を宙に滞空させたところで、ふと気づいた。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ガシィッ!

 

 

 ――直後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 恐怖に怯えてしがみついているわけではない。両手はシズクを羽交(はが)()めにするように回され、両脚は『決して離さない』と言わんばかりに胴に巻きついている。

 

 そして、幼い少女であるとは信じられない程の膂力(りょりょく)

 

 魔力で強化されているだけではない。ギシギシと微かに聞こえる音は、彼女の骨が(きし)む音だ。

 シズクはこの音をかつて一度だけ聞いたことがあった。それは、シズクと戦った、とある獣人族の男が自身のリミッターを意図的に外したが故に、骨が己の筋力に耐えきれなくなったことにより発生した自壊音(じかいおん)である。

 

 首を背後に回したシズクの目に映るリューナの瞳。

 至近距離から覗き込んだそれが、意思の光を失い、虚ろに何も映さない、まさに人形の持つガラス玉のような目をしていることに、ようやくシズクが気づいた瞬間、

 

 

 

 ――正面からやってきた、通路を埋め尽くす光の熱線に飲み込まれた

 

 

 

***

 

 

 ――魔導熱量子砲(まどうねつりょうしほう)

 

 メルキア帝国の決戦兵器である魔導戦艦(まどうせんかん)搭載(とうさい)される、極めて強力な熱線を発射する魔導砲(まどうほう)……それを、魔王軍の幹部である彼は、巨大なゴーレムが纏う鎧に搭載していた。

 

 疲労も恐怖もなく、高重量の魔導砲を運搬できる膂力を持ち、命令に忠実な兵士であるゴーレムに搭載することで実現した、“術者の意のままに動く魔導砲台”は中々に強力だ。

 燃料たる魔焔(まえん)こそ大量に要るものの、魔導戦艦が入れない迷宮のような狭い場所であろうと、ご覧のように、魔力を用いずに莫大(ばくだい)な熱線攻撃をお見舞いすることができる。冷却属性持ちの水精には、たまったものではないだろう。

 

 2年ほど前に“ラギールの店”に注文をかけたときは、無茶と承知ではあったし、店長も『期待はしないでくれ』と言っていたが……それが約1年で対応可能な技術者が見つかり、さらにたった1年で、これほどまでに完成度の高い魔導鎧(まどうよろい)を納めてくれるとは思わなかった。

 

 ブラックボックス化されてはいるものの、メルキア帝国の軍事機密であろう魔導戦艦の武装を搭載することなどまず不可能であるはずなのに、それを成し遂げてしまうとは……。

 あのエルフの娘を(さら)ってから1年以上待たされることになったものの、これほどのものを納品してくれるのであれば、不満など全く無い。“次からは是非贔屓(ひいき)にさせてもらおう”と、彼は心に留める。

 

 しかし、予想以上にうまく罠にはまってくれた。

 彼が見たところ、敵の特務部隊の中で“戦略的に”最も厄介だったのはサラディーネだが、“戦力的に”最も厄介だったのは、勇者リュファスでもサラディーネでもなく、この水精だった。

 

 とにかく、戦い方が非常に(うま)い。

 

 リュファスもサラディーネも決して戦い方が下手なわけではない。いや、それどころか西方諸国の中でも指折りの実力者なのだが、その戦い方はそれぞれの国の王族が代々引き継いできたものを踏襲(とうしゅう)しており、ある程度の予測がつく。

 戦術・戦略を練られ、裏をかかれて“してやられた”と思うことはあっても、彼をぎょっと驚かせるようなことはあまりない。

 

 しかし、この水精は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦闘における応用力が半端(はんぱ)ではなく、どんな(こま)や罠をどんな状況で用意しても、いつも予想外の方法で戦局をひっくり返してくる。

 そして、この水精単体だけでも厄介なのに、これにサラディーネの入れ知恵が加わると、戦術単位だった厄介さが戦略単位にまで拡大する。

 

 彼の娘(ブリジット)も含めて脳筋(ぞろ)いの魔王軍にとってこれは致命的で、数少ない知略派の彼にとっては本当に頭の痛い悩みのタネであり、何をおいても真っ先に排除しなければならない対象であった。

 

 あの応用力(あふ)れる水精を倒すにはどうすれば良いか? そのためには、まず彼女の“応用力”そのものを封じなければならない。

 

 そして、その“応用力”の基盤にあるもので重要なウェイトを占めているもの……それは、()()()()()()()()()()()()()

 

 迷宮を出て地上に上がり、少し移動するとミーフェの森(ミーフェメイル)という森がある。

 初代族長であるミーフェというエルフが築いた集落で、自分達が住む森に彼女の名をつけたり、代々の族長が“ミーフェ”の名を襲名するほどに、血筋を重んじるエルフたちが住む地だ。

 

 “ここに住むエルフたちは封印術に長けている”という情報を入手した彼は、その族長に連なるものの、異端視されているが故に、集落からかなり離れたところに居を構えているエルフの一家を襲撃。両親の激しい抵抗に苦戦しつつも彼らを殺し、ついに目的のものを手に入れた。

 

 

 ――精霊に詳しいエルフであり、かつ青の月女神(リューシオン)の加護をもって、両親すら超える優秀な封印術を操る少女……リューナである

 

 

 弟と引き離したうえで『抵抗すれば弟を殺す』と一言(おど)してやれば、彼女はあっさりとこちらの洗脳魔術を受け入れた。

 そうなれば、あとは簡単だ。あらかじめ所定の位置に罠を張っておき、適当な理由で罠のある場所までシズクを連れてきてから、シズクの精霊としての力を封じるよう指示すれば良い。

 

 しかし、いざ彼女を捕らえてみれば、異端視(いたんし)されている彼女に、代々族長に伝えられるような強力な封印術は伝えられておらず、さらには……彼には“どういった理由でか”は分からないが、いつの間にか青の月女神(リューシオン)の加護をも彼女は失っていた。

 

 そんな彼女に、シズク本人や、彼女の操る術そのものを封じるような高度な魔術は使えず、“目に見えない小精霊達を追い出し、遮断する結界”程度しかリューナは扱うことしかできなかったが、あの水精が水を新たに()びだせなくなるのであれば、それで充分であった。

 

 なにせ、彼女の中・遠距離攻撃手段には全て水が用いられ、その上、自分の身を護る結界にすら水を使用するのだ。普段、周囲に滞空させているような水量で結界を張ってしまえば、新たに水を召喚しない限り、遠距離攻撃など不可能になってしまう。

 

 ならば、こちらは逃げ場のない場所で、あの水精が力尽きるまで回避不能の遠距離攻撃を繰り出せばいい。向こうはこちらに手が出せず、こちらは一方的に攻撃を叩き込める、必勝の図式が完成する。

 魔焔さえ放り込んでやれば、強力な魔導砲撃を延々と繰り出し続けることができる魔導熱量子砲つきの魔導鎧を彼が求めたのは、これが理由であった。

 

 ちなみに弟の方は、規格外に優秀なリューナと比較するとあまりにも魔術適性が低かった……というよりエルフとしては平凡であったため、リューナを脅した後は不要となり、早々に奴隷として売り払ってしまっていた。

 

(……しかし、長いな……?)

 

 もう大分長く熱量子砲を放射しているが、一向にあの水精とエルフの気配が消えない。

 あの規格外の水精のことだ。全力で防御に回れば、あの強力な熱線砲を受けても蒸発せずに耐えられる水結界を長時間張り続けることができるのかもしれないが……

 

 「!?」

 

 突如として強烈な違和感を感じた彼は、反射的に左に跳ぶ。

 

 

 

 ――その瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(いったい何が――!? いや、考えている時間はない!!)

 

 正体不明の攻撃にさらされているのに、悠長(ゆうちょう)に考えている暇など無い。彼は、万が一のために事前に仕込んでいた転移魔術を発動させる。

 

 

 彼は、自分が何をされたのか理解できないまま、またもこの水精に敗北の苦渋(くじゅう)()めさせられたのだった。

 

 

***

 

 

 やむなく奥の手を使うことで、リューナともども無傷で罠を潜り抜けたシズクは、すぐにリューナの首に後ろから水弾を当てて気絶させて、彼女の身体を調べ……服の内に隠されていた首飾りを見つけた。

 

 ――それは“呪輪”と呼ばれる、洗脳用の呪術具

 

 それを見たリューナは、ふと気づいた。

 これが“()()()()()()()()()()()”であることは間違いないだろう。だが――

 

 

 ――『ここを離れるのは(まず)いわね。私達を分断する目的で用意したのかもしれない』

 

 

 シズクをサラディーネ達から引き離すための罠を()()()()()()保障などどこにもない、ということに。

 

 

 ザッと急速に顔を青ざめさせたシズクは、すぐに“呪輪”を破壊し、気絶したリューナを背負いながら大急ぎで元の場所に戻る。

 

 ……そして、彼女は見た。

 

 

 ――魔王軍の襲撃を受け、炎と死肉が焼ける匂いで満ちた地獄絵図を

 

 

「サラッ! サラ、どこ!?」

 

 

 ――そして、

 

 

「……サ、ラ……?」

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 

『殺す……殺す……魔族は全て殺す……国を、民を、家族を……大切な妹たちを護らなきゃ……』

 

 ただひたすらに魔族への殺意をまき散らし、ただひたすらに魔族を探し、(ほふ)る。

 シズクが発見したのは、そんな妄執(もうしゅう)の具現となってしまったサラディーネであった。

 

 生前に持っていた強力な魔力が彼女の未練と融合してしまったためか、これまでのシズクの人生でも五指に入る程の強力な亡霊(ゴースト)と化している。

 彼女が放つおぞましい気配は不死者(ふししゃ)(あかし)。自分がこの場を離れてしまったが故に起こってしまった結果を受け止めることができず、シズクは呆然と動きを止めてしまう。

 

 おそらく魔王軍であろう魔族の背後に転移してその首に手を触れさせ、サラディーネらしい淡泊さで、甚振(いたぶ)ることもなく一瞬で精気を奪い取って殺す。

 そうして辺りに魔族が1人もいなくなったことを確認したのだろう、ようやく彼女はただただ彼女を呆然と見続けるシズクに気づき、死んだ魚のような虚ろな目でシズクを見つめる。

 

(……違う!)

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 (サラが見ているのは――!?)

 

 フッ――

 

 ふわりとサラディーネが消えた瞬間、ほんの(わず)かにシズクの背後の空気が揺らぐ。

 それを感じた瞬間、彼女は“水の羽衣”を使った無拍子(むひょうし)で瞬間的に前へと跳んでいた。

 

 シズクは背後を振り返りつつ、着地する。

 シズクの背後に現れていたサラディーネの手は、宙にそっと伸ばされていた。

 

 

 ――もしシズクが動いていなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「待って、サラ! この娘はもう大丈夫! 洗脳も解けたはずだし、罠を仕掛けた奴も追い返した! だから――!」

 

『……』

 

 シズクの声に(こた)えず、サラディーネの亡霊は魔力を高めて臨戦態勢を整える。

 その眼は相変わらず虚ろであった。

 

(……こっちの声に瞳が全く反応していない……! 無視しているんじゃなくて、()()()()()()()()……ってことは……!)

 

 霊体といえども、人間であった時の名残(なごり)故か、生理的な反応は変わらない。しかし、例外はある。

 

 ――それは、霊体の意識がハッキリしていない場合だ

 

 通常、生者が死ぬ間際に放つ悔恨(かいこん)の情――無念や怨念によって幽霊となる場合、生前の人格も意思も全て残る。それは霊体の中に本人の魂が存在するためだ。

 

 ところが、死した直後は自分が死んで意識がなくなっていることや、霊体としての身体に慣れていないことから、本人の意思ではなく、無念や怨念に基づいて夢遊病になったかのように行動することがある。

 これは逆に言えば、“不死者として安定していない”ということでもあり、安定してしまう前に神聖魔術などによって浄化してしまわなければ、成仏して輪廻転生(りんねてんせい)することすら困難になってしまうことを意味していた。

 

(どうする……!? このまま放っておいたら完全に不死者になってしまう……だけど、近くには神官もいないし、聖水だって持ってない……せめて、私が転移魔術を使えれば、聖水を取ってくるくらいは……あ!)

 

 シズクは自分の背から直接リューナに魔力を送り込み、気つけを(ほどこ)す。

 

「ふぁ~……おはよ~ございま……? ってうえぇっ!? あれっ!? いったい何がどうなってるんですの!?」

 

 目を覚ませば、誰とも知らぬ水精の背の上で、辺りは地獄絵図。

 そして、なんかやたらとおぞましい気配と、凄まじい魔力をビンビンに放つおっかない幽霊から殺意全開で虚ろな眼を向けられている。……正直、心に傷(トラウマ)を負わないか心配な状況ではあるが、そんなことを言っている余裕はシズクには無かった。

 

「あなた、浄化魔術か転移魔術使える!? この状況を切り抜けるために必要なの!」

 

「無理っ! 魔力がすっからかんですの! 浄化魔術どころか、火花ひとつ起こすことすらできやしませんの!」

 

「っ……! それもそうか……!」

 

 いくら対精霊に特化しているとはいえ、シズクほどの力ある水精が、水を召喚できない結界を洗脳中に張らされていたのだ。相応の魔力を消費していてしかるべきであり、少々眠ったところで回復は期待できない。

 

(……しかたない、とりあえずはっ……!)

 

 シズクはうまく重心を操作して片手でリューナを背負いつつ、もう片方の手で中指と人差指を立てた印を眼前に掲げる。

 

 

 ――彼女が念を集中しようとしたその時だった

 

 

 

 カッ!

 

 

 

(!?)

 

 突如として立方体の光の結界がサラディーネを包み、動きを封じる。

 

(……いつの間に……!?)

 

 ジャリ……と土を踏みしめてシズクたちの背後から現れたのは、シズクと同じく1人の水精だった。

 30手前であろうか、大人びた美しさと気品を纏った女性の水精である。彼女はシズクに目をくれることもなく、目に見えず、身体を持たない水の小精霊たちを喚び寄せると、それに自らの念を込めだした。

 

(いったい何を………………ッ!?)

 

 そこで、シズクは信じられないものを目にした。

 

 水精の手元に、淡い水色の輝きとともに、ひとかかえの水球が現れる。

 

 

 ――それは、()()()()()()()()

 

 

 いや、正確には水精の赤子になる直前の、“水精の素”だ。

 

 彼女達、人型の水精は、身体を持たぬ水の精霊と、人や魔が生み出した想念が結びつくことによって発生する。しかし、その想念はあくまでも人や魔のものでなければならず、水精は水精を生むための想念を提供することができない。

 

 

 ――そう、目の前の“水精が水精を生む”と言う光景は、本来あり得ないものなのだ

 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。問題は、彼女がサラディーネをどうしようとしているか、だ。

 ここで彼女が“水精の素”を生み出す理由が分からず、声をかけることも忘れてシズクが混乱していると、(くだん)の水精は人型水精としての意識を宿しつつあるその水球を手にサラディーネに歩み寄り――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「サラッ!? あなた、いったい――!?」

 

「安心してください」

 

 水精は徐々に人型をとりつつある水球(水精)を悲しそうに、そして愛おしそうに見つめながらシズクに語る。

 

「彼女は新たに水精としての人生を歩むだけです。彼女の無念が癒されるその日まで……」

 

「どういうこと?」

 

 返答次第ではタダではおかない、という強い意志が込められたシズクの殺気にも怯まず、水精は自らが成したことの意味を説明する。

 

「わたくしたち水精には、(けが)れを浄化する力があります。それは思念においても例外ではありません。想念と結びつき、未だ完全な魂を形成するに至らない水精の身体に、現世(うつしよ)彷徨(さまよ)う魂を入れ、生前の無念と記憶を封じ、新たな生を謳歌(おうか)させる……そうして長い年月をかけることで水精の身体の内に封じられた無念を少しずつ浄化していく……そうすることで、わたくしたちは多くの死者を不死者と化すことなく、冥界へ送り出してきました」

 

「お、お姉さん……あれ……!」

 

「!」

 

 リューナに言われて周りを見て見れば、多くの水精が同じようにして亡霊と化した者達を次々と水精の身体に収めていく様子が見えた。

 

「この方は貴女(あなた)の友人ですか? でしたら、彼女は貴女に預けましょう。……生前の記憶を残したままだと、その念が新たな負の念を呼び起こして浄化が進まないので、そこは封じさせてもらいますが、人格は貴女の知る彼女そのままです。……ですが、もしそれが困るというのでしたら、責任を持って彼女が成仏するまでわたくしどもが預かりましょう。決して不幸には致しません。水精ロジェンの名において誓いましょう」

 

「……」

 

「……すぐに答えが出なくとも構いません。わたくし達の棲む隠れ里は、“水の貴婦人亭”の主人が知っていますので、その気になればおいでください」

 

 そう言って水精が背を向け――

 

 

()()()

 

 

 ――シズクの声に振り返る

 

()……ですか?」

 

「そう、()

 

「……? ならば、今この場でこの方を受け取れば良いのでは?」

 

「そうじゃない。『私と、サラもそこに住まわせて』と私は言っている」

 

 ――ロジェンの眼がスッと細められる

 

「あなたは今“隠れ里”と言った。つまり、なるべく外界とは接触しないようにしている、ということ。……サラから危険を遠ざけられて穏やかに暮らせる場所があるのなら、願ったりかなったり。後は、私もそこでサラが水精としての生を終えて成仏するまで、サラを見守りたい。……それと、できれば彼女の記憶だけじゃなく、魔力も封じて欲しい。いくら隠れ棲んでいても、あまり大きな魔力は、争いを呼ぶタネになるから」

 

「……失礼ですが、事情があって、あなたの事は調べさせてもらっています。あなたは人を探しているのでしょう? それに魔王との戦いは? そちらは良いのですか?」

 

「もう魔王との戦いは二の次。とにかく、サラに危ないことをさせたくないし、サラに近づく危険は排除したい。それに、私自身、魔王との戦いそのものに興味は無い。私はただ、サラに頼まれたから戦っていただけ」

 

 シズクがサラディーネの言うことを聞かなかったがために起こった不幸……それは、罪悪感をもってシズクを縛り、“サラディーネの安全”を最優先に考えるように彼女を変えてしまった。

 自分が原因で人間としての彼女は死んでしまった。それどころか、この水精……ロジェンが来てくれなければ、彼女は危うく妄念(もうねん)(まみ)れた不死者と化すところだった。

 

 ならば、自分はその責任を取らねばならない。

 サラディーネが全てを忘れて水精として生きることになったというのなら、シズクはその人生を平和に、幸せにする責任がある。

 

「人探しは……その………………ときどき留守にするかもしれないけど、その時はお願いしたい……」

 

「なんか、一気に情けなくなりやがりましたですの!?」

 

 シズクの気弱な返答に、彼女の背中から容赦ないツッコミが入る。

 その様子がおかしかったのか、ロジェンはコロコロと笑い……そして快諾(かいだく)した。

 

 

 

 

 

「……って、あれ? この流れだと、わたくしもその隠れ里とやらに?」

 

「……あなた、他に行く場所あるの? あるなら送るけど」

 

「あ……」

 

 両親のことを思いだしたリューナの表情がかげる。そのことから“何があったか”をなんとなく察したロジェンは言った。

 

「大丈夫ですよ。受け入れることはできますが、さすがに水精ばかりのあの場所はエルフには暮らしづらいでしょう。上層にある“水の貴婦人亭”という宿の主人はわたくしの知り合いですので、あなたを受け入れてもらえるよう、話を通しておきましょう」

 

「そ、それは助かりますの。………………って、あー!? そういえば、リシアンーっ!! あなた、今いったい、どこにいますのーーーっ!!?」

 

 

***

 

 

「……なるほど。つまり、いったん私を殺して、その魂を水精の身体に移そう、と」

 

 ティアは生前の記憶を取り戻した後、どのように自分が水精として生まれ変わったのかをロジェンやシズクから聞くことで、自身の過去の全てを知り……同時に、残念ながら、その記憶やロジェン達の話の中に、“リウラに執着する理由”が存在しないことも知った。

 

 そんな彼女の過去を背景にした提案――“リリィの水精化”を聞き、納得がいったようにリリィが頷く。

 それならば、ぎりぎりリウラから恨まれずに済むかもしれない……リリィ本人が納得し、かつリリィがリウラをなだめればどうにかなるかもしれない、という本当にギリギリのラインだが。

 

 そして、記憶と魔力を封じられていたティアはともかく、今のリウラを上回る力を持つシズクや、シルフィーヌに匹敵する魔力を持つサラディーネの亡霊を封じたロジェンが、水蛇(サーペント)程度の魔物を倒そうとしなかった理由を、今まさにリリィは理解した。

 

 要は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 当時のリリィは、遠慮なく魔王の魂にアクセスして魔王の魔力を放っていた。そんなリリィは、サラディーネを危険から遠ざけたいシズクや、水精達を護る立場にあるロジェンからすれば、厄介ごとのタネでしかなかっただろう。

 それでもリリィを受け入れるためには、いったんリリィの肉体を捨てさせて水精に生まれ変わらせる必要があった……そう考えれば、()()()()筋は通る……が……、

 

 

 ――()()()

 

 

(……本当に? あの天真爛漫(てんしんらんまん)なリウラさんを育て上げた人たちが……私が“魔王様の使い魔”と知っても態度を変えなかったあの水精たちが、本当にそんなことをしようと思うの?)

 

 ロジェンやシズクを含め、リリィが知る水精達のイメージとの乖離(かいり)が、あまりにも酷すぎる。話の筋は通っているはずなのに、まったく納得することができない。

 むしろ、水蛇の件も、今回の件も含めて『リリィを殺す』という言葉が、何かの言い訳のように聞こえる。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

 

 ――リリィが感じている“違和感”……それは大正解である

 

 

(……違和感は覚えてるわね。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ティアは心の内で、もどかしさに歯噛みする。

 

 リリィは10歳前後の見た目からは想像もできない程に(さと)い子だ。

 ディアドラの“誘い”を聞いたり、彼女の振る舞いを見たりしただけで、自分とリウラがどれほど危ない立場であるかを瞬時に察し、その対策を即座に考えて実行できるほどの頭の回転の速さと行動力がある。あの時は少々深読みしてしまったようだが、それでも常識外れの洞察力だ。

 

 しかし、いかにそのように聡い彼女と言えど、目の前にシルフィーヌ達への完全勝利がぶら下がっている状態で、他のことに全力で気を回すことは難しいようである。

 

 水精達の性格を知っていることから、“リリィを殺す”という態度に違和感を覚えることはすぐにできたようだが、そこから先に思考が進んでいない。

 いつもの彼女であれば、この話の矛盾に気づき、そこから“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということに気づいていただろう。かなりギリギリまで分かりやすくしたつもりだったのだが、それでもリリィは気づけなかったようだ。

 

(……“嘘だ”と気づいてさえくれれば、リリィなら“そんな嘘をつかなければならない理由”にまで踏み込んでくれるはず。そこまできたら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 本来であれば、ティアがリリィにこのような嘘をつく理由などない。この戦いの勝者であり、自らの死を恐れるリリィが、“いったん自分が死ぬ”などという提案を受け入れる訳がないからだ。

 

 時間稼ぎ、というわけでもない。もし時間稼ぎをするならば、もっとマシな話題がいくらでもあるし、そもそも嘘でない話をすれば良い。人が嘘をつくのは、()()()()()()()()()()()つくのだ。

 

 

 ――そして、その嘘を聞かせる対象がリリィでなければ、いったい()()聞かせているのか?

 

 

 そこにまで考えが至れば、リリィから内緒話を持ちかけてくれる……という、ティアの期待は残念ながら叶えられることなかった。

 

 

 

(……とりあえず、後でお姉ちゃんの前で、もういっぺん同じことを言ってもらおう。お姉ちゃんなら、嘘かどうか分かるかもしれないし)

 

 かつてリリィの嘘を一発で見破った姉の勘を後で頼ろうと決め、リリィは話を先へ進めてしまったからだ。

 

「まあ……却下ですね」

 

「……でしょうね。そもそも死ぬのが嫌で、“魔王の封印を解こう”だなんて大それたことをするために里を出たんだもの。『後で生き返らせてあげるから死んで?』なんて言われて頷けるわけないわよね」

 

「いえ、それもあるんですけど……」

 

「?」

 

 言いにくそうにしているリリィを見て、ティアは不思議そうな表情をする。

 最後に会った時は、ただひたすら『生きたい』と全身で叫んでいたリリィが、それ以外の理由を持つ想像がつかなかったのである。

 

「私、やっぱり魔王様と……お父さんと暮らしたいんです」

 

「……」

 

「もちろん、まわりの人に迷惑をかけるつもりはありませ「いや、オマエ今まさに」()()()()()()()()()()()ありません! 方法については答えられませんが……できる限り、静かに、穏やかに過ごせたらと考えてます」

 

「はぁ? オマエ何バカなこと言ってんだ? 人間なんかに気ぃ使って生きて何が楽しいんだよ? だいたい、アイツがそんな風に生きられるとは絶対思えないね!」

 

「そうやって好き勝手生きてきた結果が今の状況でしょ? なに? ブリジットは自分も魔王様と一緒に封印してもらいたいワケ?」

 

「んだとぉっ!?」

 

 ぐりごりぐりごりぐりごり……!

 

 リリィとブリジットが青筋を立てつつお互いの額を擦り合わせて、仲良く喧嘩している様子を見ながら、シルフィーヌは静かに驚いていた。

 

 

 ――こんな魔族もいるのか、と

 

 

 シルフィーヌが知る典型的な魔族は、まさにブリジットのような魔族だ。

 傲慢(ごうまん)にして自信家。己こそがルールであり、他者を(おとしい)れることを嬉々として行う、悪そのもの。

 彼らに対して対話などもってのほか。(だま)されて食い物にされるか、問答無用で襲われるかしか有り得ない。

 

 ――だが、この幼い睡魔の少女は違う

 

 彼女は、ただ“生きたい”だけだ。

 家族との平穏な生活……そんな誰もが望み、場合によっては貧しい平民ですら得られるささやかな願い。それを叶えるために、彼女は今、命を懸けて戦っている。

 

 もちろん、一国を滅ぼし、多くの命を奪った魔王を復活させることなど、ましてやそのために一国の王女を襲うなど、決して許されることではない。

 しかし、“家族と共に生を全うしたい”という願いは理解できる……そう、()()()()()のだ。

 

 例えば、人間族が彼女と同様の状況に置かれたとしよう。その場合、彼女のように、一国の王女を襲ってでも家族を助けようとする人物は1人もいないだろうか?

 ……そんなことはない。決して多くはないだろうが、1人や2人どころの話ではなく、相当な数が出てくるだろう。つまり、

 

 

 ――彼女の価値観は、極めて人間族に近い

 

 

 そして、価値観が人間族に近い、ということは――

 

「そ、それで……お話はそれで全てですか?」

 

 ブリジットと頬やら髪やらを引っ張り合いながらリリィが言うと、ティアはこう言った。

 

「待って、あと1つ。この娘……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――交渉の余地がある、ということを意味していた

 

 

 


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