水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第六章 3つの賭け 後編

 地脈(ちみゃく)から直接精気が供給され、リリィの傷が癒えてゆく。

 

「う……」

 

 リリィの意識が徐々にハッキリとしてくる。

 

「大丈夫ですか? リリィさん」

 

「……アイ?」

 

 思わず疑問形になってしまったのは、魔神を殴った衝撃で砕け散った腕を再生しつつ、リリィを護るように目の前で仁王立ちする彼女が、リリィの知る彼女とはあまりにも異なっていたからだ。

 

 まず目に入るのは、背から生える管。

 有線式のラジコンをリリィに思い起こさせるそれは、地面から直接伸びてアイに繋がっている。

 

 次に全身の色。

 全身が土塊(つちくれ)でできている彼女は、(つね)であればそのまま土気色(つちけいろ)の肌をしている。

 だが、今の彼女は、まるで全身が鋼でできているかのような鈍色(にびいろ)であった。

 

 そして最後に、彼女の全身から立ち昇る魔力。

 “一般的なアースマンよりは優秀”程度の魔力しか無かったはずの彼女は、今やリリィに迫る魔力を放っている。

 その強大な魔力の扱いに慣れていないせいか、全身を流れる魔力にところどころ(あら)が見られるものの、その身に秘めるだけで莫大な肉体強化の恩恵(おんけい)をアイに与えている。

 

「その魔力は一体……?」

 

「リリィさん、その話は後で。向こうの雰囲気が変わりました。たぶん、今の私でもあまり持ちません。リリィさんの協力が必要です」

 

 見れば、ラテンニールの気配が荒々しくなっており、明確な苛立ちを感じる。

 完全な本気を出してはいないようだが、先程よりも攻撃が苛烈になるであろうことは容易に予測できた。

 

「……アイ、その状態、どれくらい持つ?」

 

「……ある程度は持ちます……が、たぶん、この状態に耐えられなくなるよりも、向こうの攻撃が当たって私がやられる方が、ずっと早いでしょうね」

 

「なら、お願い……3分、私抜きで持たせて。そしたら私が何とかする」

 

「無理です。私1人じゃ10秒持ちません」

 

「何でもいい、どんな手を使ってもいいから、とにかく持たせて。これ以外に方法が無いの」

 

「……やってみます」

 

 『ある程度持つ』とは言ったものの、アイの声からは苦痛の色が覗いていた。おまけに、豊かな方であるはずの彼女の表情は無表情で固定されている。

 

 どのような無茶な方法を使ってこんな極端なパワーアップをしているのかはリリィには分からないが、おそらく想像を絶する多大な負荷が彼女を(むしば)んでいるだろう。身体能力は上がっていようとも、動作そのもののパフォーマンスは逆に下がっている可能性が高い。

 そんな状態の彼女に、1人であの化け物を任せることが、無茶を通り越して無謀であることは分かり切ってはいたが、本当に()()以外に手が無いのだ。

 

 これがリリィを狙っていないのでさえあれば、人間族との和解を諦め、シルフィーヌ達を見捨てて逃げるという手もある。しかし、リリィをつけ狙うあの歪魔(わいま)もどきが送り込んできた以上、その可能性は低いと見るべきだ。

 仮に逃げられたとしても、逃げた先にニアが再び空間転移で送り込んでくる可能性が高い。“逃げる”という選択肢は封じられている。

 

 ヒュッ!

 

 リリィの動体視力ですら(とら)えきれない、信じられないスピードでアイがラテンニールへと向かう。

 

(頼んだよ、アイ……)

 

 精神を集中させ、薄く眼を閉じたリリィの足元に、淡い紫色の魔法陣が輝いた。

 

 

***

 

 

「あれは……」

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ……! というまるで、巨大な岩弾を連続でぶち当てているような異様な音に視線を向けたセシルは、信じられないものを目にした。

 

 ラテンニールの周囲で跳び回って彼女の触手をその拳や蹴りで打ち払い、本体の剣撃を回避し続ける1体の鈍色の影。それはあろうことか、通常よりもやや強い程度の力しか持たなかったはずの女性型アースマンであった。

 

 女性型のアースマンは珍しいものの、セシルは既にそのようなアースマンを、自身の活動拠点である工匠都市ユイドラにて、1体だけだが既に目にしている。

 だから、彼女と大体同じような能力なのだろうと考えていたのだが、その予想は今この瞬間(くつがえ)された。

 

 “はぐれ”という言葉がある。

 その意味が示す通り、群れから離れた者を指す言葉だが、転じて“群れから離れて、より厳しい環境で生き抜いたことにより、通常より遥かに強力になった個体”をも意味する。

 

 特にアースマンの“はぐれ”は、別種族かと思うほど強力な個体へと昇華(しょうか)することで有名であり、その特徴として、鋼の如き硬度と魔弾の如きスピードを兼ね備えた“生ける砲弾”と化すことがあげられる。

 “硬い・重い・速い”の三拍子そろった突進は驚異の一言であり、会敵(かいてき)したものがミンチになることも珍しくはない。

 

 鈍色に変化した彼女の状態は、まさにそれだ。

 先程まで通常のアースマンであったにもかかわらず、この短時間で昇華したタネは、おそらく通常のはぐれアースマンには存在しない、彼女の背から伸びる管にある。

 セシルが見たところ、あの管から無理やり許容量以上の魔力を取り込むことによって、己を強制的に強化・昇華しているようだ。

 

 しかし、いったいどこからあれほど莫大な量の魔力を供給しているのだろうか?

 いくら“はぐれアースマン”が強力な個体と言えど、魔神と戦えるようなものでは決してない。それが曲がりなりにもあのように立ち回れているとあれば、その魔力量は相当なものだ。

 ゴーレムのように自らの意思をはく奪されているならまだしも、あんな量を無理やり供給されて正気を保っていられるのが信じられない程である。

 

 チカリ……

 

 迷宮の照明が一瞬だけ消灯する。

 それを見てセシルは“まさか”と周囲の気配を探り、そして、息を呑んだ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 魔力を大地に浸透させているのではない。そうであれば、土や壁は“()()”を感じさせることはあっても、“()()”を感じさせることはない。

 

 これは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女はこの周囲一帯の迷宮と同化することによって、迷宮に供給される魔力……ドアの開閉や照明、罠や転移門の作動に利用されるはずの魔力を()()……いや、()()()しているのだ。

 この巨大迷宮を運用するための魔力だ。仮に、その魔力をほぼ無制限に奪えるのであれば、その量は莫大なものになるだろう。

 

 もしこの推測が当たっているのであれば、こんなことができる彼女は“アースマン”などではない。おそらく彼女は……

 

 ニヤリ、と思わず笑みがこぼれる。

 

「……マスター?」

 

 怪訝(けげん)な顔をするツェシュテルに、セシルは新たな命を下す。

 

「ツェシュテル、あのアースマンを補助して魔神を押しとどめて。少なくともリリィが何かするまでは絶対に死守。全機能を解放しても構わない」

 

「……いやマスター、アンタ正気? アンタよりずっと弱いあの土人形に何ができるってのよ? 第一、あの魔神を押しとどめるなら、逆にあの土人形は足手まといだし。むしろ、マスターがそこの道化を押しとどめている間に、私があの()達を逃がしたほうがよっぽど……」

 

「ツェシュテル」

 

 有無を言わさぬ命令に、ツェシュテルは如何(いか)にもめんどくさそうに溜息をついた。

 

「……はぁ~あ、わかったわよ。やりゃーいいんでしょ、やりゃー」

 

 ドウッ!

 

 ツェシュテルは全身に魔力を(まと)って、凄まじい勢いで場を後にする。

 残されたのは、セシルとニアの2人。

 

「おやぁ~? ずいぶんと舐められたもんッスねぇ? 少々強くなったとはいえ、あなた1人で私を押しとどめられるとでも? ……なんだったら、こちらからおとなしく退()いてあげてもいいッスよ? そうしたら、セシルさんも向こうに行ってフォローが――」

 

「できますよ」

 

「……へ?」

 

「『私1人で、あなたを押しとどめられる』……そう、言ったんです」

 

 ニアは苛立つでもなく、純粋に疑問に思い、首をかしげる。

 

 セシルもニアも共に魔神級の力を持っている。

 しかし、ひとくちに“魔神級”といっても、その力は竜族に毛が生えたようなものから、一級神とまともにやりあえるものまでピンキリだ。

 なにしろ、神格者(しんかくしゃ)……つまりは、“神に近き力を持つ者”であり、かつそれが“人間族に敵対するもの”であれば全て“魔神”と(しょう)されるのだから。

 

 セシルの力は中々のものだが、それでもニアよりは格下。

 セシルとほぼ同格……いや、それ以上のツェシュテルのサポートがあって初めてようやく戦いになるレベルだったのである。

 ツェシュテル抜きでは、どうやってもセシルに勝ち目が有るとは思えない。にもかかわらず、この自信……

 

(はてさて、いったいどんな()()()が飛び出してくるんッスかねぇ……ん?)

 

 鎧の隙間を縫うようにセシルの手が懐へと伸び、中からグリップ状の何かを取り出した。

 先端にボタンのような物がついており、それに親指を添えていることにニアが気づいた瞬間、セシルはグッとそのボタンを押し込んだ

 

 カチリ

 

「なっ!?」

 

 

 

 ――途端、周囲に滞空していた数十程の傀儡使霊(くぐつしれい)が、一気に3倍以上に増えた

 

 

 

 にもかかわらず、動揺に目を見開き、冷や汗を垂らしているのはセシルではなくニアの方。

 逆にセシルは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の表情で微笑んでいる。なぜか?

 

 

 

 ――実は、これらの傀儡使霊は()()()のではない。()()()()()()()()()のである

 

 

 

 空間から取り出したように見えた傀儡使霊は、全て“(おとり)”だ。

 それらを目くらましに、空間迷彩を施した本命の傀儡使霊たちが仕留(しと)める。それが、ニアの常套手段(じょうとうしゅだん)だった。

 隠れ里でロジェンの髪を吹き飛ばしたのも、リューナを(さら)った時に彼女達に一撃を加えたのも、空間を捻じ曲げることによって姿を隠した傀儡使霊たちである。

 

 このニアが張る魔術的な空間迷彩を看破(かんぱ)し、対抗するためにセシルはツェシュテルの正確無比な探知能力を必要としていた。

 しかし、こうして視認できるようにしてしまえば、その脅威(きょうい)は半減する。

 

 そして、先程押したスイッチの効果はそれだけではない。

 

(これは……魔力が中和されてる!? 転移が……いや、空間操作ができない!?)

 

 ニアの動揺を嘲笑(あざわら)うように、セシルが種明かしを語る。

 

「実は私、昔、あなたのような人と戦うことがあったんですよ。歪魔族でないにもかかわらず神出鬼没で、自分が危なくなった途端にパッと転移してしまう非常に厄介な方でした」

 

「一般的な転移魔術とは別系統の、あまりに特殊な術だったので、残念ながらメルキアの技術だけでは対策がとれず、レウィニアの力を借りることになりましたが……その時のレクシュミ将軍が起こした現象はしっかりと分析させてもらいました。かつて貴女(あなた)と出会った時から、この現象を再現する魔導具(まどうぐ)は開発に着手していたんですよ。遅かれ早かれ、あなたとはいつか必ず敵対することになると理解していましたから。……何を企んでいるのかは知りませんが、好きに動かさせたりはしませんよ。あなたはここで、私の相手をしていてもらいます」

 

 歪魔のような恰好(かっこう)をしているニアは、その姿そのままに空間操作を得意としている。己の最も得意とする武器を封じられ、更には逃走の手段すらも奪われたのだ。

 単純な魔力量ならばまだニアの方が勝っているものの、いったいどんな魔導具や兵器が飛び出すか分からないセシルを相手に『それだけで勝てる』など、ニアは口が裂けても言えない。

 

(……ヤバい、どうしよう……?)

 

 ここ数百年は経験していなかった大ピンチに、ニアは焦りに焦っていた。

 

 自分の命の危機に? ()()()()()()()()

 この程度のピンチでおいそれと死ぬような(やわ)な鍛え方はしていない。

 

 もし彼女の内心を覗ける者がいれば目を疑うだろう。

 なにしろ、彼女が焦っていたのは――

 

(……リリィさんたち……死なないっすよね?)

 

 ()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだったのだから。

 

 

***

 

 

(右、上、斜め、また右、前、下、腕を捨てて逸らす、後ろ、斜め後ろ、前、左……)

 

 ラテンニール本体とその触手が仕掛けてくる攻撃を、アイは無心で(かわ)し続ける。

 

 精気を奪って強くなるリリィをヒントに、“自分も魔力を吸収すれば強くなるのではないか”、“迷宮の魔力をそのまま自分の力にすることはできないか”と考え、土で(つく)った管を介して迷宮と繋がったアイは、その予想通りに大幅なパワーアップを成し遂げていた。

 

 しかし、その身の丈に合わない強大な魔力は、相応の負担を担い手の心身に()いる。

 全身が土塊でできたアイと言えども身体の感覚がある以上例外ではなく、常時気が狂いそうなほどの激痛がアイを襲う……いや、通常の土精(つちせい)であれば、とうに気が狂っているであろう。

 それほど大量の魔力を身に宿さなければ、曲がりなりにも魔神の前に立つことなど叶わない。

 

 しかし、かつてゴーレムに封じられ、その存在を変質させられながらも常に高出力の魔力に(さら)されていたアイにとって、この痛みは慣れ親しんだものであった。

 だからこそ、こうして正気を保ちつつ冷静に戦闘をこなすことすらできる……仲間を、リウラを護ることができる。

 アイは生まれて初めて自分をゴーレムに封じた者に、わずかながら感謝の念を覚えた。

 

 予想外だったのは自分の身体の変化だ。

 土塊でしかなかったはずの身体は、鈍色へと変化すると同時に、ゴーレムであったころ(まと)っていた鎧のように硬くなり、しかしながら羽のように身体が軽くなるという、今この場においてリリィ達を護るのにこれ以上ないほど適切な進化を遂げていた。

 

 魔神ですら捉えきれない速度で攪乱(かくらん)し、時折わざと自身の手の構成を崩して土塊を相手の目に投げつける。

 これだけで煩わしく思った魔神は、リリィからアイへと目標を変更した。

 

 そして、昇華前とは比べ物にならない程に強化された己の硬度。

 このとんでもない行動速度に耐えてくれることだけでも充分驚異的だが、それ以上に素晴らしいのはその威力。

 

 攻撃の威力とは、厳密に言えば異なるものの、非常に単純化すれば“重さ×速度×魔力(もしくは闘気)”だ。

 

 土でできたアイの身体は非常に重たい。肉体のほとんどが水でできている水精や人間族、精気でできた天使や魔族など比べ物にならない程に重たいのだ。

 そんな重量の相手が全体重をかけて突進し、ラテンニールの攻撃を回避できるほどの速度をもって、魔力強化された自分の腕が崩壊するほど全力で殴りつければ、本気でないとはいえ、強力な属性魔術に覆われた魔神の触手を逸らすことだってできる。

 

 電撃属性の触手だけは、触れた瞬間に感電して核が破壊されてしまうので、避ける以外に方法は無いが、それ以外であれば、腕が炭化しようと、凍り砕けようと、風で切り刻まれようと、すばやく腕を切り離し、廃棄すれば問題なく継戦可能だ。

 

 そう、例え身体の一部が崩壊しようとも、本体たる精霊が納められた核さえ無事であれば、土塊でできたアイの肉体は、供給される強力な魔力で増幅された回復力で、周囲から土を吸い上げて何度だろうと再構成できるのである。

 戦っている相手からしてみれば、これほどやりづらい……いや、うっとうしい相手もそうそういないだろう。

 

 『3分時間を稼げ』と言われたものの、アイは秒数など(はな)から数えていない。そんなことに気を割いた瞬間、自分は目の前の相手に粉々にされることが分かり切っているからだ。

 とにかくこの目の前の相手から気を逸らさず、周囲の触手から逃れることだけを考える。

 

 ガクンッ!

 

「ッ!?」

 

 一瞬、背中が引っ張られるようにアイがつんのめり、直後、その体色が一瞬で鈍色から元の土色へと戻ってしまう。

 

「あっ……!」

 

 アイは避けることだけに集中していた……いや、()()()()()()()()()()

 迷宮から魔力を自身に供給する土管――それが、アイの背後から回り込むように迫ったラテンニールの触手によって破壊されてしまったのだ。

 

 しまった、と思う暇も無い。

 速度を失いつつも後ろを振り向くアイの目に、己の背部……ちょうど人間族で言えば心臓を、アイならば核が納められた箇所を貫くように炎を纏った触手が迫る。

 

(だめっ……止められない!)

 

 その触手のみアイが避けられないことを先読みしたリウラが、思い切り魔力を込めて、気化しないように制御した水塊で逸らそうとするが、そんな障害など存在しないかのように、触手は自身に触れた水塊を一瞬で蒸発させる。

 

 水精の操る水は冷却属性。火炎属性とは相克する関係にある。

 そして魔神が操る炎とリウラが操る水に込められた魔力量に歴然とした差がある以上、こうなることは必然であった。

 よりによって、唯一リウラが受け流すことのできない属性の触手が、アイの急所を狙ったのである。

 

 同時に、アイが耐えられなくなったことに気づいたリリィが詠唱を中断して救出に入ろうとして……再び詠唱に戻った。

 

 

 その必要がないことが分かったからである。

 

 

「あー、ホンット世話が焼けるわー」

 

 

 ゴッ!

 

 

 眉間にしわを寄せながら軽々と魔神の触手を蹴っ飛ばした、人形のように小さな姿を見て、アイはポカンと口を開けた。

 ラテンニールも予期せぬ珍妙な侵入者に対してどう対応したらいいか考えているのか、ジッとその紫銀の髪の少女を見つめ、その動きを止めている。

 

「あ、あの……鎧の女の人はい「あ~、良いの良いの、そのマスターに言われてこっち来たんだから」は、はぁ……」

 

 ツェシュテルは『やれやれ』と言わんばかりに肩をすくめ、アイの(げん)(さえぎ)る。

 

 事情はよくわからないが、あの正体不明の天使の相手は問題なく、またツェシュテルはこちらの相手をしてくれるらしい。

 アイ達としては願ったりかなったりなので、あまりこの話題をほじくり返して相手の機嫌を損ねないようにしておく。

 

「……すみませんが、私は土の管を再作成しないとさっきの力を発揮できないんです。だから、申し訳ないけどそれまでの間アイツの相手を――」

 

「何をバカなこと言ってんの。そんなことアイツが許す訳ないでしょ」

 

 「ほら」と(あご)で示された方向を見て、アイは頬を引きつらせる。

 

 ――ラテンニールが剣を持たぬ左手を軽く持ち上げ、その手に稲妻を纏わせているのが見えた

 

 広範囲の電撃魔術は土精の最大の弱点。土塊の体内に電撃を走らせ、直接核を攻撃されればアイの消滅は必至だ。

 今の速度が落ちたアイではもちろんのこと、例え先程のはぐれ化したアイであろうと、地面から管を伝って直撃してしまう。

 ましてや、魔神の魔力で放たれる雷撃だ。その範囲がどれほどになるか想像もつかず、そうなれば詠唱中のリリィや戦闘中のリウラ達が巻き込まれてしまう。

 

 そんなアイの様子を気にも留めず、ガリガリと気乗りしない様子で頭を掻くツェシュテルは、やる気のない声で、そして嫌そうな声で一方的に告げた。

 

「んじゃ、嫌だけど……本当にマジで嫌だけど! マスターから言われたから! アンタを助けてあげるわ! 感謝しなさい!」

 

「本当に心の底から嫌そうですね!? でも、ありがとうございます! ……ってあの早く、早くしてくれないと電撃が!」

 

 今にも放たれそうになっている電撃魔術に焦りつつも、実際、本当に助かるので素直にお礼を言うアイ。

 ツェシュテルは、心底めんどうくさそうに、アイに了承の意を返した。

 

「はいはい、わかってるわよ。……“土精 アイ”を仮マスターとして登録。魔導巧殻(まどうこうかく)ツェシュテル、融装(ゆうそう)開始」

 

 

 ――ツェシュテルが融ける

 

 

 次の瞬間、銀に液状化したツェシュテルが爆発的にその質量を増加させ、あまりの衝撃的なシーンに固まっていたアイを一瞬にして飲み込んだ。

 

「って、え!? え!?」

 

 ツェシュテルだった液体に飲み込まれ、視界が真っ暗に染まったかと思いきや、突如(とつじょ)、アイの視界が元に戻った。

 

 いや、戻ってなどいない。

 愕然(がくぜん)としたアイに飛び込むのは、()()()()()()()()()()()()()

 それだけではなく、今まで聞き取れなかったはずの小さな音や、魔力の反応、熱源反応に、一定周期で放たれる電波の反射反応など、凄まじい情報がアイの頭を埋め尽くす。

 

(アイ、目を開けて)

 

 脳裏に響くツェシュテルの声に言われて、初めてアイは自分が目を閉じたままであることに気づいた。

 目を開けると、先程の光景が見えた状態で、更にもうひとつの視界を得るという気持ちの悪い光景をアイは味わう。

 そして、アイが直接自分の眼で捉えた視界に映ったのは、詠唱しているリリィやこちらの様子を伺っているリウラ達、アイの仲間のそれぞれの様子を移した拡大映像であった。

 

 そして、取り込まれたアイ自身は気づいていないが、アイを覆ったツェシュテルはシャープな銀のシルエットで描かれた全身鎧へと変化し、ラテンニールを含めた周囲の一同を唖然(あぜん)とさせていた。

 

(アイ、学の無い貴女にこの偉大なる“魔導巧殻ツェシュテル”様の説明をしている時間は無いし、説明したところで使いこなせるわけもないわ。私の(からだ)で貴女を護ったまま戦ってあげるから、そのままジッとして「ツェシュテルさん! 魔焔反応炉(まえんはんのうろ)のエネルギーをこっちに回して! 残りは鎧の強化に! 早く!」……ッ!?)

 

 ツェシュテルはうっかり忘れていた。

 融装――融合装着(ゆうごうそうちゃく)が行われると、装着者はツェシュテルを使用するための全ての情報を共有してしまう。

 もちろん、仮の主人(マスター)である以上、開示(かいじ)されていない情報も多数あるが、戦闘行動に全く支障がでないレベルの情報がアイに渡されてしまうのだ。

 

 そして仮とはいえ、マスターとして登録した者にはツェシュテルへの命令権が存在する。

 本来のマスターであるセシルが心話(しんわ)で遠隔からでも解除命令を出せば解ける程度のものではあったが、今現在ツェシュテルがその命令を跳ね()けることなどできない。

 

(何を勝手に私に命令して……!)

 

 ――永久魔焔反応炉、最大出力

 ――先程の映像情報から得た迷宮からの魔力供給量と同等の魔力を仮マスター アイへ提供

 ――並行して分析した結果から、限界値まで大幅に余裕があると推定。動作に影響のないと推測される許容値まで供給量を増加。残エネルギーは魔導巧殻ツェシュテルの強化へ

 

 搭載された魔制機構により、命令に逆らえず(いきどお)るツェシュテルの感情もしっかりと伝わってきて、それに非常に申し訳なく思いつつもツェシュテルの能力を知ったアイは興奮とともに理解した。

 

 ――これなら、3分時間を稼げる、と

 

 供給される魔力に再び全身が悲鳴を上げた瞬間、アイは再びはぐれ化し、超速で行動を開始する。

 アイの意図を理解したツェシュテルは、舌打ちをしつつもおとなしく従う。

 

 突進する全身銀色の甲冑(かっちゅう)に一瞬動揺しつつも、左の手のひらをアイに向けようとするラテンニール。

 それをラテンニールの魔力の流れや筋肉の動きから動作予測していたツェシュテルは、アイの指示を待たずに妨害する。

 

 ――格納庫より魔導熱量子砲(まどうねつりょうしほう)を1門解凍

 ――質量増加処理、問題なし。格納庫残数99。魔導熱量子砲を右肩部に装備

 ――永久魔焔反応炉よりミスリアプテテット鋼を通じた動力接続を開始……終了

 ――簡易走査開始……正常に解凍・接続されたことを確認

 ――発射

 

 アイの視界の隅にメッセージが流れ始めるや否や、アイの鎧の右肩部分が盛り上がり、一瞬にして砲門を形成し、熱線を発射。

 ラテンニールの顔面――いや、眼球を狙うように放たれた熱線を無視できないと悟ったのか、ラテンニールは素早く電撃魔術を準備していたはずの左手を持ち上げ、瞬く間に扱う魔術を切り替えて障壁を形成し、その熱線を容易(たやす)く弾く。

 

「やああああああっ!」

 

 アイは脳内でツェシュテルに更なる命令を下す。

 すると鎧の背部に推進装置が生成されて火を噴き、ただでさえ速かったアイの身体がさらに加速し……その魔術障壁に銀の籠手に覆われたアイの拳が突き刺さる。

 

 はたして、誰が予想したであろうか

 

 ――土精の拳が魔神の障壁を破壊し、その頬に突き刺さっていた

 

 

***

 

 

(アンタ馬鹿か!? よくこんな無茶に耐えられるわね! 私は元々耐えられるように設計されてるけど、アンタは違うんでしょ!?)

 

(あの、私、昔ゴーレムだったことがあって……その時、許容量以上の魔力を供給される痛みに慣れちゃったっていうか……)

 

 アイは確かにツェシュテルの使い方の全てを知った。

 しかし、それはあくまでも“情報を全て入手した”というだけのもの。言うなれば、説明書を熟読した状態とほぼ何も変わらない。

 

 そして、リリィのような戦闘センスや器用さもなければ、リウラのように戦闘中に成長できるほどのずば抜けた才能も持っていないアイは、今まで通りの戦いをすることしかできない。

 

 そう、土を操って攻撃するか……もしくは魔力で自身を強化してぶん殴るか、である。

 

 土を操るために外部に意識を向ければ、それが隙となる可能性が高いため、このギリギリの勝負では基本的に後者で戦うしかない。

 

 ツェシュテルが一度に供給する魔力量は、迷宮から無理やり盗む魔力よりも明らかに多く、アイの土塊の身体をラテンニールと曲がりなりにも戦いが成立するまでに強化してくれた。

 その魔力量は、ツェシュテルが柄にもなくアイを心配してしまうほどであり、事実、アイは先程以上の激痛に苛まれているが、それに見合うだけの効果はあった。

 

 障壁を破られたことで眼つきが変わったラテンニールの攻撃は、苛烈さを大幅に増し、触手と剣の嵐と化している。にもかかわらず、アイはそのほとんどを今まで通りに回避し、逸らし、さらには反撃して(わず)かながらもダメージすら与えているのである。

 土精にあるまじき凄まじい戦闘能力だ。

 

 アイの腕も、先程までは崩壊するまで全力で殴ってようやく攻撃が逸らせるレベルだったのに、先程以上に強化されているためか、はたまた鎧と化したツェシュテルに腕が護られているためか、今や全く崩壊することなくラテンニールの触手たちを次々と殴り飛ばしている。

 

()っ!」

 

 ……とはいえ、どれだけ速く動けようと、どれだけ正確に動作予測をしようと回避不能の攻撃はある。

 右の膝から下を粉砕されたアイは衝撃に一瞬足を止めてしまうが、それをフォローするようにツェシュテルは左腕、左大腿部に推進装置を作成・噴射し、次の攻撃を緊急回避する。

 

 ――右脚部の損傷を検知

 ――応急処置を開始

 

 アイの視界の隅にメッセージが流れると同時、アイの鎧に覆われた右足の傷口から何かがシュッと伸びたと思った瞬間、元通りとなった右足でアイは再び駆け出した。

 

 その様子を見ながら、ツェシュテルは胸中で複雑な思いを抱く。何故か?

 

 

 ――相性が良いのだ。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ツェシュテルはユイドラが誇る工匠――匠貴(しょうき)セシルが、魔神アスモデウスから先史文明期(せんしぶんめいき)……この世界、ディル=リフィーナが創世されるよりもさらに前に存在した超科学技術の一部を授かったことによって生み出された、史上初の()()()()()魔導巧殻だ。

 

 魔導巧殻とは、かつてセシルが“リセル”と名乗っていた頃、彼女が所属していた国における最高機密の軍事兵器にして、エルフとドワーフ、そして先史文明期の技術がふんだんに使われた“生ける機械仕掛けのゴーレム”である。

 彼らがかつて創造したオリジナルの魔導巧殻は、それぞれが異なる神の力を発揮して戦う戦士・魔術師であると同時、軍を率いる指揮官でもあった。

 

 しかし、ツェシュテルは彼女達とは異なり、主をその堅牢な鎧で護り、戦闘に集中する主に潤沢な魔力や戦場を客観視した様々な情報を提供し、主の危機を回避するためにいざという時に自立稼働するという“サポート機能つきの魔導鎧(まどうよろい)”――それが“魔導巧殻ツェシュテル”の本来の用途(コンセプト)だ。

 

 しかし、アイの使い方はそれとは大きく異なる。

 

 実は、アイは動作予測以外の情報のほとんどを意図的にシャットアウトしている。

 自分に扱いきれる訳がない、とそれらの処理・判断を全てツェシュテルに丸投げしているのだ。

 

 実際、その判断は正しい。

 

 瞬時に情報の要不要を判断しつつ戦闘するなど、凡夫(ぼんぷ)であるアイでは相当な訓練を積まなければこなせるわけがない。

 だからこそ、最初にツェシュテルはアイに『じっとしていろ』と言ったし、自らラテンニールと戦おうとしていたのだ。

 

 ところが、そのアイの行動が結果的にツェシュテルを救った。

 

 あまりのうっとうしさに本気を出したラテンニールのスピードとパワーは、その程度では(さば)くことなど到底できないものであった。

 暴風雨のように降り注ぐ触手と斬撃の雨は、ツェシュテルの分析・推測を上回りかねない速度で襲いかかる。

 

 仮にツェシュテルが自身で回避しようとすれば、最適な回避ルートを算出する処理速度が足りず、数秒も持たずに破壊されていただろう。

 実際の回避動作をアイに任せきりにし、自身は回避ルートの算出や周囲の情報収集に集中できたからこそ、今の均衡は保たれている。

 

 そして、ツェシュテルは決して認めないだろうが……この分業体制は必然的にツェシュテルの立ち位置を“補助装置”から“パートナー”へと無意識に押し上げた。

 ツェシュテルにとっては未知のその感覚は妙にむず痒いが、決して嫌なものではなく……嫌々やろうとしていた当初とは比べ物にならない程に彼女のモチベーションを引き上げた。

 

 それだけではない。

 ツェシュテルの精神はその特殊な身体の影響で少々……いや、かなり歪んではいるものの、出自は地の精霊――つまりアイと同じである。

 

 本来の魔導巧殻――エルフ・ドワーフ製のそれらに宿る魂は元が何だったのか……それはセシルを含めた魔導巧殻の関係者しか知らない機密事項だ。

 しかし、それらが何であろうと、魔導巧殻を操れるほどの知恵を持つ生物の魂をそのまま持ってきて利用することは、工匠という立場上、倫理的に多大な問題があった。

 そこで、セシルは知り合いのエルフからアースマン作成の手順を教わり、それを利用して土精を宿すことで魔導巧殻に息を吹き込もうとしたのだ。

 

 そして、精霊を宿すためには、その器は()びだす精霊と親和性のあるものでなければならない。

 

 とある事情から生物を融合させる知識について豊富だったセシルは、その魔導巧殻の素材として、

 

 ――“質量を変化させる”性質を持つ特殊金属“Sミスリア鋼”

 ――液体金属生物である“メタルプテテット”

 ――そしてその“Sミスリア鋼”を(つく)るための知識を伝授した魔神から盗んだその肉体の一部

 

 それらを融合させた新素材“ミスリアプテテット(MP)鋼”を作成し、“生きながらにして金属(地属性の鉱物)である”という条件を満たした機械の身体に地精を宿し、ツェシュテルを誕生させたのだった。

 

 そんな彼女の身体とアイとの相性が悪いわけがない。

 事実、こうして土の代わりに“MP鋼”で代替した彼女の右足は十全に機能し、先と全くスピードも動きも変わっていない。

 お互いが同じ土精であることも影響しているのか、お互いの意思疎通・情報伝達が異様なまでにスムーズであり、本来なら有り得ないはずの互いの感情まで伝わってくる始末である。

 

(――!)

 

(ッ――!)

 

 その様はまさに一心同体、以心伝心。

 

 アイの意図を汲み、従い、フォローするツェシュテル――ツェシュテルの意図を汲み、従い、フォローするアイ。

 まるで離れ離れになっていた半身を見つけたかのように、彼女達は活き活きと戦場を舞う。

 

 ツェシュテルは忌々(いまいま)しく思いながらも、アイがツェシュテルに任せきりにせず、自らツェシュテルを()って戦おうとした理由を理解し、納得する。

 

 驚くなかれ、心を合わせた彼女達は、今や本気になったラテンニールすらも翻弄(ほんろう)する。

 輪廻転生する過程で得た膨大な戦闘経験から、幾度(いくど)かアイを捕らえることはできているものの、ツェシュテルによって行動パターンを分析されているためか、再生可能な浅いダメージしか与えられず、仕留めることができないでいる。

 

 業を煮やしたラテンニールが再び広範囲魔術の準備に入る。

 ツェシュテルが右腰部に展開した魔導熱量子砲で妨害しようとするが、何枚も重ねて展開された魔術障壁が軽々とそれを阻む。

 

((――まずい!))

 

 妨害に失敗したアイとツェシュテルは、同時にそう考えた。

 

 ラテンニールの攻撃魔術は、おそらくツェシュテルの装甲ならば問題なく防げる。

 固体としての頑強さと、液体としての流動性を(あわ)せ持つツェシュテルの特殊装甲は、物理的衝撃を吸収するだけでなく、電撃魔術を含めた様々な魔術的な作用をある程度受け流せる。

 

 さらには、内蔵された格納庫から魔術障壁系統の魔法具や魔導具を解凍・装備したり、ツェシュテル自身が魔術障壁を張れば、敵の魔術の威力そのものを大きく減衰できるのだ。

 損耗した装甲を再生する時間さえ稼げれば、全く問題はない。

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()

 

 アイはこの場に居る者達を、ツェシュテルはリリィを護ることが目的でこうしてラテンニールの攻撃を引きつけている。

 アイ達に向けられた攻撃魔術の余波が彼らに及べば、その目的は果たせない。

 

(チィッ! “嵐姫(らんき)の護り”、“霊属(れいぞく)の盾”を解凍! 魔術障壁、最大出力! アイ、アイツが撃つ瞬間に突っ込んで腕を重ねなさい! 一瞬だけアイツの腕に()りついて、魔術の発動を強制的に失敗させるわよ!)

 

(わ、わかりました!)

 

 “手から電撃を放つタイプの魔術である”と分析したツェシュテルは、耐電能力を著しく高める魔法具と、装備した者を一時的に霊体化する盾を解凍。

 撃つ瞬間に結界が解除されることを見越し、魔術を放とうとしている腕に自身の腕を一時的に憑依させて乗っ取り、魔力の流れを乱して魔術の発動失敗を目論(もくろ)む。

 

 アイの纏う銀の鎧の胸の中央から、若草色で縦長の六角形の宝石が現れ、その左腕から腕よりも小さい盾が現れると、急速にその質量を増大させ、一般的な盾の大きさとなって左腕に固定される。

 

 アイは突撃するタイミングを、ツェシュテルは盾の機能を発動して霊体化するタイミングを計り、ラテンニールの動きを注視する。

 

 アイ達に向けられたラテンニールの手が巨大な雷光に輝いたその瞬間、

 

 

 

 ――その声は響いた

 

 

 

 

《我が力、我が命……全てを遮る金剛の壁とならん!》

 

 

 

 

 それは、ユークリッド王家に伝わる秘儀。

 

 今や唯一の王族となってしまったシルフィーヌを護るため、例外としてサスーヌとヴィダルに伝授されたそれは、本来の担い手である王族が、本来の目的である民を護るため、その本領を発揮する。

 

 アイ達の目の前に現れた翡翠(ひすい)色の巨大な魔術障壁。

 それは軽々と魔神の肉体の一部であるはずの無数の触手を易々(やすやす)と裁断しながら空間を区切り、魔神の放つ稲光をそよ風と言わんばかりに吹き散らす。

 

 驚くアイの目の前に、後方の景色を移した窓が拡大表示される。

 

 ――そこには、大量の魔力回復薬でずぶ濡れになった、シルフィーヌとティアの姿があった

 

 魔王が倒れることでおとなしくなったとはいえ、魔物・魔獣が棲む迷宮に出向く以上、回復薬や魔力回復薬を持って行かない方がおかしい。

 そして、最大戦力であるシルフィーヌの魔力を回復させない理由などある訳がなく、さらには避難中の自国の民を護るためにその力を使わない理由もなかった。

 

 そして、この術が2人以上の同等の魔力を持つ術者を必要とする術であるからこそ、シルフィーヌと同等の魔力を持つティアもその恩恵に預かることができたのだろう。

 仮に周りが反対していたとしても、既に彼女をかつての自身の姉だと信じ切っているシルフィーヌが強引に押し通したに違いない。

 

 

 

 ――そして、この瞬間、時間稼ぎは成った

 

 

 

 リリィの足元の魔法陣がまばゆい輝きを放つ。

 

 魔法陣から放たれる光を纏うようにリリィの姿が光で覆い尽くされ、そのシルエットが一回り大きく膨らんだ。

 リウラ達が驚愕に目を見開く間もその変化は続き、その光が弾け飛んだ時、光の殻を破って現れたのは美しい睡魔の少女。

 

 年の頃は16~17くらいであろうか。

 白のリボンでツーサイドアップにまとめられた金糸のように輝く髪は、腰のあたりまで優雅になびき、その美しい(かんばせ)は、睡魔特有の色気をかもしつつも、戦士として死線を潜り抜けてきた者にしか出せない、迫力ある“覚悟”に彩られている。

 

 スラリと伸びた手足、大きく膨らんだ胸と尻を覆うのは、白を基調とした黒のフリル付きのキャミソールドレス。

 むき出しになった肩甲骨からは、両手を広げてもなお余りあるであろう大きなコウモリの翼。

 そして、スカートから伸びる猫のような尾に、頭頂部の猫耳。

 

 それを見たリウラは呆然とつぶやく。

 

「……リリィ、なの?」

 

 以前とはまるで異なる体躯(たいく)。別人のように大きく膨れ上がった魔力。

 しかしながら、その容姿は『親族だ』と言われれば間髪入れず頷けるほどに似ており、何より個人個人で異なるはずの魔力は、あろうことか全くの同質。

 

 それらが指し示す事実は、ただひとつ。

 

 “()()()()()()()()”という、見たことも聞いたこともない魔術をリリィが使った、ということであった。

 

 

***

 

 

 ――これは、賭けだ

 

 スッと左手を持ち上げると、ふわりとルクスリアが宙に浮き、次の瞬間バシッと音を立ててリリィの手のひらに収まる。

 

 次の瞬間、リリィの意を受けたルクスリアが甘ったるい桃色の魔力を放ち、刀身の上に1匹の紅いサソリが具現化する。

 

(……身体の調子は……問題ないわね。精神が少し変異……いえ、成長しているけれど、戦闘に支障はない。どうやら1つ目の賭けには勝ったみたい)

 

 リリィが使用した魔術は一種の禁呪だ。

 一定以上の精気を得た者が上位種族へと進化する“昇華”と呼ばれる現象、それを人工的に再現する魔術である。

 

 だが、“自然物あるいは自然現象を人工的に再現した”という(たぐい)のものは、いつだって何らかの不具合を抱えているものだ。

 人工的に作りだした食物が自然界のそれと比べて健康に悪かったり、栄養価で劣っているように、この術にも致命的な欠陥がある。

 

 ――それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ

 

 仮に限界までこの術で被術者を強化すれば、不老不死すら夢ではないであろう。……だが、十中八九それを施された者は、人の心も姿も失った正真正銘の化け物と化すに違いない。

 

 リリィが使った術は、精神や肉体への影響をギリギリまで抑える程度に弱めたものだが、それでもこのように急激な成長を肉体にも精神にも強いる。

 リリィの口調が変わってしまったのは、その影響だ。

 

 ちなみに、原作で成人レベルまで成長するよう術を強めると、リリィの猫耳はまるでダックスフントのように長く伸びて垂れ下がるように変異してしまうし、この術を使って昇華した魔王は巨人族のように巨大な肉体へと変化している。

 

 原作通りに昇華できるか、なんて誰にもわからない以上、へたに昇華すれば化け物になったり、精神に異常をきたす可能性もあった。だからこそ、今までリリィは自身を飛躍的に強化するこの術を絶対に使わなかったのだった。

 もしかしたら見えない部分で異常な変化を起こしている部分があるかもしれないが、パッと見たところ異常が見られない点で、まずリリィは1つ目の賭けに勝っていた。

 

 そして、2つ目。

 

「アイ! 一瞬で良い、隙を作って!」

 

 リリィの指示を受け取ったアイは一瞬でイメージを描き、ツェシュテルと共有する。

 リリィが何かをすると悟ったティアとシルフィーヌが障壁を解除した瞬間、アイの背部に装備・展開された推進装置が火を噴き、アイは一瞬でラテンニールの眼前にまで移動する。

 

 ズバッ――!

 

「アイ!?」

 

 ラテンニールの大剣に鎧ごと縦に真っ二つにされたアイを見て、治癒の羽を握り潰しながら起き上がりつつあったヴィアが目を()く。

 しかし、それは彼女の動体視力がアイとラテンニールの速さについて行けなかったが故に起こった勘違い。

 

 素早く上を向こうとしたラテンニールの顎を、鈍色の両手ががっしりと(つか)む。

 気がつけば、そこには鎧を脱いだアイが上下逆さまにラテンニールの頭上を飛び越そうとしていた。

 

 次の瞬間、ラテンニールが切り裂いたはずの鎧がどろりと融け、一瞬にしてラテンニールを追い越して再びアイを覆い、鎧を形成する。

 

 あの瞬間、鎧そのものを囮に、パクリと開いた鎧の背面からアイが飛び出し、宙返りするように振りかぶる剣の横をすり抜けてラテンニールを飛び越したのだ。

 

 魔導鎧と化したツェシュテルはメタルプテテットを基にした液体金属で創られている。

 反応炉や格納庫、ツェシュテル本体である核などの急所さえ当たらないようにしておけば、このようなことも充分に可能なのである。

 

(ズレて!)

 

 地精(ちせい)たるアイが命じる。

 

 すると起こるは地面の流動。

 人間族の戦士たちを苦しませた極小規模の超局地的な地滑(じすべ)りが、ほんの一瞬ラテンニールの重心をずらす。

 顎を持ち上げられて強制的に天井を見ることとなったラテンニールは、足元の異常に気がつくのが遅れ、バランスを立て直すために一瞬だけ隙を(さら)す。

 

 

 

 

 ――その一瞬で、充分だった

 

 

 

 

 スッ……と、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 すると、先程まで暴れに暴れていた触手が、まるで時を止めたかのようにピタリと止まり、まとった冷気や雷を消滅させた。

 

「……終わったのですか?」

 

 緊張の面持(おもも)ちを崩さずにシルフィーヌが問う。

 が、即座に否定の声が上がった。

 

「いいえ、まだよ」

 

「お姉様?」

 

「あれは、ただ性魔術戦に持ち込んだだけ。リリィがこの戦いで負ければ、アイツはまた暴れ出すわ」

 

 第2の賭け、それは性魔術戦に持ち込むための隙を作ること。

 そして第3の……最後の賭けが、この性魔術戦を制することであった。

 

 性魔術は精神戦だ。持ち込まれた瞬間に、ほぼ全ての武力的行為が“ただの精神集中を妨げる行為”にまで成り下がる。

 ラテンニールが即座にあらゆる攻撃的行動を止めたのは、それをするとあっという間にリリィに精神支配されてしまうことを理解しているからだ。

 

 同時に、性魔術は性行為による儀式……すなわち、相手を快楽の海に叩き落し、精神の制御を放棄させた側の勝ちとなる。

 単純な武力勝負では絶対に勝てないと悟ったリリィは、敵の武力を封じると同時、睡魔族(すいまぞく)たる自身の土俵にまで引きずりおろす、この性魔術戦に全てを賭けたのである。

 

 ただし、性魔術戦は“完全に純粋な精神力勝負”、という訳ではない。

 

 快楽に屈しない精神力が最も重要であることは確かだが、

 

 ――相手に、より強力な性的快感を与えることのできる技量や肉体

 ――相手の快感を増大させる性魔術や、逆に自身の快感を抑えて耐久力を上げる性魔術などの魔術的技量

 ――そして単純な魔力量の多寡(たか)

 

 など、多くの要素が絡み合って形成されている。

 

 魔力量では絶対に(かな)わないだろう。

 ラテンニールとの魔力・精神力の差を少しでも埋めるために、化け物になるリスクを(おか)してまで昇華魔術で自身を急激に成長させたものの、魔神相手にそうそう優位など取れるわけがない。

 

 が、性的技量や肉体、そして性魔術についてはリリィに軍配(ぐんばい)が上がる。

 睡魔族の肉体は、この世界の何よりも優れた性的才能を秘めている。生まれながらにして熟練の娼婦のように振る舞うことができる彼女達に勝てる者など、同じ睡魔族を除けばほんの一握りしかおるまい。

 

 そして、こと性魔術に限っては心強い味方もいる。

 

(――!)

 

 リリィの意を()んだルクスリアが刀身の連結を解除し、つい先程リリィにそうしたようにラテンニールの腕に絡みつくと、その刀身を伝うようにしてサソリの幻影が這いより、ピタリとその首に張りつく。

 

 ――そして、鋭く尖ったその尾を、滑らかな肌に躊躇(ためら)いなく突き刺した

 

「!?」

 

 ラテンニールが眉根を寄せる。

 魔剣ルクスリアの干渉により、彼女の性欲が、性感が爆発的に上昇したためであった。

 

 動揺に魔術的な防御が緩んだのを感じたリリィは、その隙にラテンニールの肉体へ自身の魔力を浸食させる。

 すぐにその浸食はラテンニールの魔力で防がれるものの、睡魔の本能に刻まれた性技がリリィの唇を、舌を、指を動かし、快楽で緩んだ精神の隙を突くように、少しずつ丁寧にその防御をリリィは崩してゆく。

 

 リリィは内心で『いける!』と確信する。

 

「グゥゥ……!」

 

 リリィに唇を塞がれているがためにくぐもった声となったが、その(うな)るようなラテンニールの威嚇(いかく)の声にリリィの背筋が冷えた瞬間、

 

 

 

 

 

 ――彼女は最後の賭けに負けた

 

 

 

 

 

 一瞬にしてリリィの魔力が押し返され、彼女の肉体がラテンニールの魔力に侵される。

 

(!!?)

 

 ラテンニールからは、全く性的快楽を(うなが)愛撫(あいぶ)など行ってこない。

 リリィの精神力を快楽などによって削ることなく、純粋な自身の精神力と魔力量だけで性魔術の支配を跳ね除けているのだ。

 

 リリィの誤算は、ルクスリアのブーストでこの魔力差・精神力差を覆せると見込んでいたことにある。

 

 一度その効果を身を(もっ)て味わい、そしてその本体を喰らって自らのものにしたからこそ理解できたことだが、この魔剣は相手の精気を吸って自らの()力を爆発的に増大させる性質がある。

 つまり、相手が強くあればあるほど、相手を性的に堕落させることができるのだ。

 事実、ラテンニールに与えている影響は甚大で、リリィの精神力がもう少し強ければそれだけでこの性魔術を制するだけのスペックがあった。

 

 だが、前世を含めてもおそらく100年も生きていないだろうリリィの精神力と、何千年もの間、戦い、殺されては生き返る人生を繰り返してきたラテンニール……どちらの精神力が上かなど比べるまでもない。

 魔神である彼女との魔力差など、比べることすらおこがましい。

 むしろ、それだけの差をギリギリとはいえ、性魔術戦を成り立たせるほどに縮ませることができるルクスリアが異常なのである。

 

 ラテンニールは、未だ右手に握り締めている大剣をギリリと握り締める。

 性魔術戦に勝利した後に、それでリリィをぶった斬る気満々だ。

 

 (どうする……!? どうすれば……!!)

 

 性魔術を中断することはできない。中断しようとした瞬間に、そちらに意識が持っていかれるため、集中力を失い、一気に身も心も支配されてしまうからだ。

 敵対的な性魔術戦が発生した場合、基本的に仕掛けた側も、仕掛けられた側も、勝敗が決着するまで中断することは不可能なのである。

 

 また、へたに周りの人たちに介入してもらうこともできない。リリィの気を散らした瞬間に、リリィの敗北が決定してしまうためだ。

 シルフィーヌ達がラテンニールを攻撃せず、リリィの性魔術を静観しているのも、その事を理解しているためである。

 

 

 ――リリィがこの状況を打開するための策を必死に考えていた、その時だった

 

 

(……ぁ)

 

(……え?)

 

 突如としてリリィの頭に響く誰かの声。

 酷く懐かしさと愛おしさ、そして崇敬(すうけい)の念を覚えるその声の持ち主にリリィが思い至る直前、

 

 

 

 

 

(アホかああああああああああああぁあああぁあぁあああっ!!??)

 

(うわきゃあああああああああああっ!!?)

 

 

 

 

 

 頭いっぱいに響き渡る怒声に、リリィの肩がビクリと跳ねる。

 そして声の主に思い当たったリリィは、あまりに予想外の人物に精神を動揺させ、わずかにラテンニールの魔力の侵入を許してしまう。

 

(ま、魔王様!?)

 

 そう、リリィに罵声を叩きつけたのは、リリィの中で眠っていたはずの魔王の魂であった。

 いったい何故? そう疑問を浮かべた瞬間にリリィは思い至る。

 

 ――リリィが行った昇華の儀式魔術……あれが、原因だと

 

 あの魔術は肉体、精神、保有する精気など、対象者の全てを強化・変異させてしまう。

 そして、その対象にリリィを選んだことで、その体内に居る魔王の魂をも昇華させてしまったのだろう。

 おそらく“リリィの肉体と噛み合わない”といった何らかの理由で今まで休眠状態にあった魔王の魂は、その魔術で昇華することで環境に適応し、意識を取り戻したのだ。

 

(貴様、わかっているのか!? 奴は私よりも格上の魔神だぞ!? 貴様ごときが多少力をつけたところで、性魔術戦で勝てるわけがあるまい!!)

 

(し、仕方なかったのよ! こんな化け物に狙われている以上、いくら逃げても無駄だし、あの歪魔っぽい天使が加担しているから、どこに逃げようと空間転移で送り込まれちゃうのよ!!)

 

(貴様、主であるこの私に向かって、その口の利き方は何だ!?)

 

(この危機の真っただ中で、魔王様が気を散らすようなことを言うからでしょ!?)

 

 魔王が指摘するのは、リリィとて重々承知している事実。

 分かりきっていることを指摘されたうえに、集中を乱されてイラッときたリリィは、反抗期を迎えた小娘のように主であるはずの魔王に噛みついた。

 

(チッ……仕方ない、貴様のしつけは後回しだ。今はとにかく、この状況を何とかするぞ!)

 

(できるの!?)

 

 ラテンニールに口づけたままのリリィの顔が喜色に彩られ、瞳に希望の光が宿る。

 

 彼女の主である魔王は睡魔族でこそないものの、性魔術の経験は百戦錬磨。

 リリィでは思いつかない打開策を立てることができてもおかしくはなかった。

 

(……期待はするな。これはイチかバチかの賭けだ。この策で、もしお前の精神が耐えられなければ……)

 

 魔王の魂からこの状況に対する忌々しさと怒り、そしてわずかな恐怖と重々しい覚悟がリリィの魂へと流れると同時、その言葉は苦渋に満ちた響きで告げられた。

 

 

 

 

 

 

(……私も貴様も……死ぬ)

 

 

 

 

 

 ふっ、とリリィの口の端が持ち上がる。

 そのリリィの感情を魂で感じたのであろう、魔王が怪訝な想いを浮かべるが、リリィはその問い(想い)には答えずに、言った。

 

(でも、やるしかないんでしょう?)

 

(……その通りだ。悠長に話している時間も無い。行くぞ、気をしっかりもて……!)

 

 次の瞬間、リリィの身体が言うことを聞かなくなる。

 

 ……いや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リリィの秘めた潜在能力すべてが、次々と無理やりに解放されてゆく。

 

 ――それは彼女の生存本能が定めたリミッターをこじ開ける行為

 ――それができるのは、彼女の全てを“使い魔”として支配する権利を持つ、ただ1人にのみ許された行為

 

 本来ならばおぞましく、恐ろしく思うべきなのだろう。

 だが、彼女の心に陰りは一切ない。

 

 

 前世の記憶が甦る前のように、彼の全てを全肯定することはできない。

 だが、彼こそが彼女の創造主にして、尊敬すべき魔を()べる王。

 

 ましてや、その目的が、行動が、悪しきものでなく大切なものを護るためであるならば……

 

 

 

 ――この身をゆだねることに、ためらいはない

 

 

 

「グッ!? ……ゥゥウウウウウッ!」

 

「………………!!」

 

 押し込まれかけていたラテンニールの魔力を、魔王が操るリリィの魔力が押し返し、拮抗する。

 

 リリィの手を離れたリリィの身体は、先程までの女性らしい丁寧で繊細な性技を放棄し、男らしい大胆かつ荒々しい性技を繰ってラテンニールの身体を攻め立てる。

 魔王は睡魔族ではないものの、幾人もの女性を手籠(てご)めにしてきた百戦錬磨の性豪(せいごう)だ。その技術は決して睡魔族に劣るものではない。

 

 だが、ここまでしてもラテンニールを押し込むまでには至らない。

 それ程までにラテンニールの魔力と精神力は強い。根本的な地力の差を覆すには、まだ足りないのだ。

 

「……ったく、世話が焼けるなオマエは!」

 

 ポンとリリィの左肩に小さな手が触れた途端、リリィへと大量の魔力が流れ込んだ。

 

 魔王が驚愕し、その意を反映したリリィの眼が大きく見開かれ、その手の主へと反射的に視線を向ける。

 

(……ブリジットだと!? なんだ、この魔力は!?)

 

 魔王は知らない。

 

 ――ブリジットがかつてとは比べ物にならないほど成長し、強くなったことを

 ――先のリリィとブリジットの性魔術によって、彼女達の魔力が爆発的に増幅されたことを

 

 天秤が、わずかに魔王側に傾く。

 そして、今度は右肩に触れる感触。

 

 いまだ乾いていない魔力回復薬によって濡れた、白く、細く、美しい手から、膨大な量の魔力が流れ込む。

 

 再び魔王が乗っ取ったリリィの眼が、その手の主を捉える。

 すると、彼はまたも驚愕に目を見開くことになった。

 

(……馬鹿な……シルフィーヌだと……!?)

 

 自分を封印した憎むべき敵。

 それが今、自身の使い魔の危機に手を貸しているという受け入れがたい事実に、魔王の思考が一瞬停止する。

 

「おい、いったい何のつもりだよ」

 

 ブリジットが喧嘩腰(けんかごし)にシルフィーヌに問うも、シルフィーヌは全く動じずに堂々とした(たたず)まいで言う。

 

「今ここで彼女に倒れてもらう訳にはいきません。……ここで彼女が負けたら、この魔神を野放しにしてしまう。それはユークリッドの破滅に繋がります」

 

 シルフィーヌが言ったことは嘘ではない。

 だが、それだけが目的、という訳でもなかった。

 

 ――シルフィーヌは知りたいのだ、この幼くもひたむきな魔族の少女のことを

 

 この少女に“貸し”を作りたい訳ではない。

 この少女を通して“魔族との融和”を実現したい、といった下心がある訳でもない。

 

 “ただ、知りたい”という純粋な好奇心。

 そのために、彼女はリリィを助ける。

 

 彼女は気づいていなかった。

 それが“友情”と呼ばれるものの、きっかけであることに。

 

 そして、リリィの背に、ひんやりとして弾力のある小さな手が添えられる。

 ラテンニールの口を自身の唇で塞いでいる魔王には、その手が誰の者であるかはわからず、

 

「リリィ……」

 

 声を聴いても知ることは叶わない。

 

 魔王にとっては出会ったことのない赤の他人。

 取るに足りない一介の水精の声。

 魔力を提供してくれるわけでもないその手を魔王は(わずら)わしく思うも、

 

「……頑張って!」

 

 

 

 ――彼女は、彼にとって大きな力となる

 

 

 

(……なんだと!?)

 

 リウラの祈りが迷宮に響き渡った瞬間、魔王の無理な操縦に限界を迎えようとしていたリリィの精神が一気に持ち直す。

 

(……こいつ、いったい何をした!? なぜ、我が使い魔の精神が持ち直した!?)

 

 一方、リウラのおかげで意識を失いかけていたリリィは正常な精神状態を取り戻し、状況を把握するとともに、リウラの特性の一部を理解する。

 

 ――リウラの“祈り”には力がある

 

 それは、信仰する神からの加護、といったような第三者が介在(かいざい)するものではない。

 彼女が願い、祈ったことは、実現することがあるのだ。

 

 ――アイの身体の強化を願えば、彼女は魔術を繰れるアースマンとなり、

 ――“上手くなりたい”と願えば、自身の武術や魔術の腕が上がり、

 ――“戦いたい”と願えば、自身の恐怖心を打ち消す

 

 そして、“リリィに頑張って欲しい”と願えば、“リリィが頑張れるよう、精神力を復活させる”……願えば何でも叶う訳ではないようだが、これは驚異的な特性である。少なくとも、へたにバレれば悪意を持つ者から狙われかねない程に。

 

 だが、それはひとまず置いておく。今はこの性魔術を制さなければ。

 

 ――リリィの全能力を引き出す魔王

 ――膨大な魔力を提供するブリジットとシルフィーヌ

 ――そして、リリィの精神力を回復させ続けるリウラ

 

 これだけの条件が揃ったのだ。

 いかに()高名(こうめい)な魔神といえども、勝てない訳がない。

 

(魔王様、ブリジット達のことは後で説明します! 今はラテンニールを!)

 

(……ええい、後で必ず説明しろよ!? 一気に押し込むぞ!)

 

 じわりじわりとリリィの魔力がラテンニールを侵していく。

 

 それは麻薬のように甘い蜜。

 敵対しているはずのリリィへの好悪(こうお)が反転して愛しさが膨れ上がり、彼女に対して服従することが喜びと思えてくる。

 それに屈したら終わりだと理性では分かっているものの、その理性がまるで紅茶に放り込んだ角砂糖のように(もろ)く崩れてゆく。

 

(……っ、イっけえええええぇえええええっ!!)

 

(……堕ちろぉおおおおおおおおっ!!)

 

 最後の一押しを決めた瞬間、ラテンニールがビクンと大きく痙攣する。

 性魔術戦における絶頂は敗北を意味する。この瞬間、ラテンニールはリリィ、そして魔王にどんな命令をされようと服従するようになってしまったのだ。

 

 そして、彼らが行使する命令は、主従(そろ)って完全に一致していた。

 

 

 ――私に絶対服従せよ(しなさい)

 

 

 ラテンニールの精神に(かせ)()められる。

 

 

 ――その精気を全て明け渡(しなさい)

 

 

 生存に最低限必要な精気を残して、その膨大(ぼうだい)な精気がリリィに明け渡される。

 その影響か、まるで時間を巻き戻されたかのようにラテンニールの身体が縮んでゆき、10歳前後の少女の姿へと変化してしまう。

 

 

 

 ――しかし、その後の魔王の行動は、リリィにとって意図しないものであった

 

 

 

(!? ま、魔王様!?)

 

 

 ――()()()()()()()()()

 

 

 リリィの心臓の位置からゆっくりと上り、(のど)(つた)い、唇を通し、()()()()()()()()()()()

 

「ま、待って!? 魔王様!?」

 

 迷宮にリリィの声が響き渡ると同時、シンと辺りが静まり返った。

 

 ――シルフィーヌは自身の耳を疑い、

 ――ブリジットは動揺に瞳を揺らし、

 ――リウラは目を大きく見開き、

 ――ヴィアは嫌な予感に、全身の毛を逆立てる

 

 リリィの目の前で、想像を絶する快楽に意識を飛ばしていたはずのラテンニールの眼が、ゆっくりと開かれる。

 そして、先程まで獣が(うな)るような声しか出していなかった状態が、まるで嘘であったかのように滑らかに、鈴を転がしたかのような可愛らしい声を出した。

 

「よくやった。一時はどうなることかと思ったが、なかなかやるではないか」

 

 呆然とするリリィの前で、ゆっくりとラテンニールは起き上がる。

 

「どうした? もっと喜ぶがいい。貴様の働きで、私は以前の私よりも更に優れた肉体を手に入れることができたのだ。これならば、人間どもに復讐することも容易(たやす)かろう。誇りに思うがいい」

 

 

 そう言って、リリィの瞳に映る“()()”ラテンニールはニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 

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