水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第七章 少女が告げる想い 前編

「ぬぅぅうううううんんっ!!」

 

 ギシリと筋肉が軋む音を立てて、暗緑色の剛腕が振るった三日月刀(シミター)が、直径がその刀身の何倍もあるはずの巨大な蛇の首をズバンと斬り落とす。

 

「グギャアアアアアァアァアアアッ!?」

 

 迷宮を震わす轟声を上げて悲鳴を上げ、怒り狂う7本の真っ赤な蛇の巨頭が、その牙で下手人を貫かんとまるで追尾する隕石の如く襲い掛かる。

 だが、三日月刀(シミター)を持つ男はそれらを軽々と避け、あるいはその剛腕でもって(はな)(つら)をぶちのめすことで、返り討ちにしていく。

 

 業を煮やした“多頭を持つ炎の蛇(フレイムヒドラ)”は残った(くび)の全てを大きく持ち上げ、口を一斉に開くと同時に炎を噴き出した。

 

 男の足では到底避けきれない広範囲攻撃。

 男は腹を決めると、両腕を顔の前で交差させ、己を覆う闘気を爆発的に増加させる。

 

 30秒ほどであろうか。炎を吐き終わったヒドラが警戒心を切らさぬまま、男のいた位置を(にら)みつけて様子を伺う。

 すると、炎が収まった位置に、防御姿勢のままどっしりと構えた五体満足の男の姿が現れた。

 

 フレイムヒドラのブレスに燃やされた上着が崩れて現れたのは、無駄な肉の無い筋骨隆々とした堂々たる体躯(たいく)

 2メートル近くあるそれは、その内から沸き上がる強大な闘気によって、その何倍もあるはずのヒドラにさえ劣らない、尋常ではない迫力を(かも)し出す。

 

 右手で握り締めていたが故に炎の影響をまぬがれた(つか)だけ残し、刀身がドロドロに融けて使い物にならなくなった三日月刀(シミター)を見て、男は特徴的な豚鼻をフンと鳴らすと、初めて掛け声ではない意味ある言葉を口にした。

 

「ちょうどいい」

 

 男は柄だけになった三日月刀(シミター)を肩越しに後ろに放りつつニヤリと笑い……ゴウッ! と今まで以上に激しく闘気を身体全体から噴出させる。

 

「ちょうど、武器無しで()り合う経験も欲しかったところだ」

 

 そう言って、男は……オーク族の戦士 ベリークは重戦車の如く、炎蛇の巨獣へと突進した。

 

 

***

 

 

「ここで買える1番良い剣と防具をくれ。防具は鎧でないものが良い。足りなければ言ってくれ」

 

「はい、かしこまりました」

 

 にっこりと笑って袋に入った金銀財宝を受け取り、店の奥へと向かった木精(ユイチリ)の店員を見送ると、ベリークは(あご)に手を当てて考え込んだ。

 

 ――はたして自分は、愛する睡魔の少女に届く力を手に入れたのだろうか?

 

 あの少女の鬼神の如きパワー、スピード、そして斧槍(おのやり)さばきを見て分かったことは、“少女が自分とは次元の違う強さを持っていること”……ただ、それだけであった。

 その程度しか分からない程に実力差が離れ過ぎていたのだった。

 

 並大抵のことでは少女に追いつくどころか差が開くばかりと気づいていたベリークは、己の矮小(わいしょう)な頭脳では良い案が出せないと分かり切っていたため、素直に信頼できる知恵者を頼ることにした。

 

 古今東西の情報を保有し、払うものを払いさえすれば精度の高いそれらをくれる者……貯金のほぼ全てをはたいて狼顔の情報屋から購入した回答は次のようなものだった。

 

『短期間でべらぼうに強くなる方法? アンタ、どれくらい強くなりたいんだ? ……リリィの嬢ちゃんを超えるくらい? ……アンタ、悪いこたぁ言わんからやめとけ。アレを超えようとするんだったら、それこそ命がいくつあっても足りねぇか、あるいは外道に手を染めることになるぞ? ……はぁ、わかったよ。とりあえず、もらえるもんもらっちまったから、情報だけは渡してやる。だが、それ以上の事は責任持たねぇ……ちゃんと、忠告はしたからな?』

 

『短期間で劇的に強くなる方法は大きく分けて2種類ある。技術を高める方法と、精気を高める方法だ。前者は魔術を使って相手の持つ経験を奪い、後者は何らかの方法で精気を奪う……なんで後者だけ“魔術”って限定していないかって? そりゃ、魔術以外で精気を奪う方法があるからさ……どうすれば良いか? 簡単だよ』

 

 狼顔の情報屋は、肩をすくめて事もなげに言った。

 

『――()()()()()。相手を殺してな』

 

 なるほど、わかりやすい。ベリークはそう思った。

 

 ――骨を強くしたいならば、骨を喰えばよい

 ――肉を強くしたいならば、肉を喰えばよい

 ――ならば、精気を強くしたいならば、精気を喰えばよいのだ

 

 そして、精気がその肉体に宿る以上、肉体を喰えばその精気も己のものとなる。

 とてもシンプルな理屈であった。

 

 その狼獣人(ヴェアヴォルフ)が言うには、実際にこの方法で氷精(こおりせい)レニア・ヌイが上位精霊ラクス・レニアへと昇華した事例があるらしい。

 だが、“いったいどのくらい喰えば昇華できるのか”は種族差・個人差があるため、具体的にはわからない。

 

 また、“ただ魔物を倒して喰えばよい”という訳ではなく、大量の精気を持つものを喰わなければ、いくら喰おうとも強くなどなれない。

 そして、“大量の精気を持つ”ということは、同時に“それだけ強い”ということを意味する。

 強敵との戦闘経験もまた間違いなく己を強くする、ということを己が経験から理解していたベリークは、この方法を喜んで受け入れ、実践していたのだった。

 

 メキメキと彼は実力をつけ、厳しい戦いは更に己の勘と肉体を鋭く磨き上げ、かつてのでっぷりと太った相撲取りのような体形はいつしかその脂肪を失い、中に隠れていた猛々(たけだけ)しい筋肉の鎧を(さら)すようになった。

 

 強敵を倒すため、その磨き上げた身体を、防御系統の呪鍛(じゅたん)魔術が付与されたシャツやジャケット、ズボンなどで覆った彼は、今や豚の形をした鼻を見なければ……いや、見たところで誰も彼がオーク族であるということを信じられない程に、威風堂々、質実剛健とした偉丈夫(いじょうふ)となっていた。

 

 そして、つい先程のことだが、ベリークは家屋など容易(たやす)く押し潰せるほど巨大な八つ首の大蛇を倒せるほどに強くなった。

 あの巨体であるため、食べきるには数日を要するだろうが、それが終わればベリークはさらにパワーアップするだろう。

 

 これで愛する少女に追いつけていればよいのだが、そうでなければ更なる強敵を探さなければならない。

 ……まあ、情報料さえ支払えば、あの狼獣人の情報屋が、強力な魔物の居所を教えてくれるだろう。問題はない。

 

 そんなことを考えていると、店の奥から木精の店員が戻って来て、いくつかの剣をカウンターに置いた。華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)の少女であるにもかかわらず、意外と力持ちである。

 

 ベリークはそれらの剣を一瞥(いちべつ)すると、1本を手に取り、鞘から抜いて軽く振ってみる。

 しかし、感触が合わなかったのか、それをすぐに鞘に戻してカウンターに置くと、次の剣を手に取って同じように振ってみて……それを繰り返す。

 その間に店員は衣服(鎧ではない)タイプの防具をカウンターに用意していた。

 

 剣の感触を試しているうち、店員の少女がこちらをぼうっと見つめていることが気になったベリークは少女に声をかける。

 最初は、あまりにオークらしからぬ見た目となったベリークが珍しいのかと放っておいたのだが、それにしては長く自分を見つめ過ぎていることから、“自分に何か用があるのか”と気になったのだ。

 

「……どうした? 俺の顔に何かついているか?」

 

「あっ!? い、いえ、申し訳ございません。少し、ぼうっとしていただけですので、どうかお気になさらず」

 

「……すまんが、気になる。さっきのお前の眼は何かを(うらや)んでいる眼だ。少し違うが、以前、俺の想い人が似たような眼をしていてな……『無理に』とは言わんが、もしよければ話してほしい」

 

 ベリークの想い人であるリリィは、彼を(だま)す罪悪感の裏に、“ある人物と比べて(いちじる)しく思いやりにかける”という劣等感を抱えていた。

 “自分に無いものを持っている”という嫉妬の色……リリィの眼に表れていたそれが、今の店員の少女にも表れていたのだった。

 見れば、歳の頃もリリィに近い。そうしたことから、ベリークは先程の少女の視線を流すことができなかったのだった。

 

 少女はわずかに逡巡(しゅんじゅん)するが、“別に言っても問題ない”と判断したのか、至極(しごく)あっさりと理由を口にする。

 

「申し訳ございません。お客様の経済力が少し羨ましくなったのです」

 

「経済力?」

 

 ただ強敵を倒しては喰らっているだけのベリークに、経済力なんてものはない。

 最近は賞金稼ぎも必要最低限しかやらないため、貯金もカツカツである。

 

 一瞬疑問に思ったが、すぐに少女の言うことに思い当たる。先ほど支払った財宝が原因だろう。

 

 魔物の生態に詳しくない彼には良くわからないが、どうやらあの大蛇(ヒドラ)は財宝を貯めこむ性質があったらしく、倒したヒドラの背後の部屋から今まで見たこともない量の金銀財宝が出てきたのだ。

 ヒドラとの激しい戦闘で武器防具を損傷し、失ったベリークは、これ幸いとその財宝で装備の新調をしに、この“ラギールの店”にやってきたのである。

 

「“お客様が先ほど支払った財宝を稼ぐだけの力が私に有れば、私は今すぐにでも奴隷としての立場から解放されるのに……”と、そう思ってしまったのです」

 

 少女――ヨーラは“ラギールの店”の店長を任されるほどの逸材である。いつもの彼女であれば、このような失態は犯さない。

 しかし、つい先日、同じような立場にあった同僚が、奴隷として購入されてしまうギリギリのところで姉と仲間達に買い戻されるという、非常にドラマチックな場面を見てしまったことで、“うらやましい”という想いを抑えきれなくなってしまっていたのだった。

 

 ヨーラが見つめる先で、ベリークは再び顎に手を当てて考え込む。

 その様子から機嫌を損ねているわけではないことは分かるものの、考え込んでいる理由が分からず、ベリークがどんな反応を返そうとも対応できるよう、ジッと彼の様子を見ながらヨーラは待機する。

 

 ややあって、ベリークは言った。

 

「少し待っていろ」

 

「は、はい?」

 

 ベリークは、とまどうヨーラをそのままに店を出て行く。

 

 訳も分からず、とりあえず出しっぱなしにしていた剣や防具を元の場所に戻して業務をこなしていると、ドアベルが鳴る音とともに暗緑色の巨体がドアを潜って再び現れる。

 大きな背負い袋を肩に担いで現れたベリークは、そのままヨーラのいるカウンターまでのしのし歩くと、おもむろにその袋をカウンターに置いて言った。

 

「やる。足りるか?」

 

「へ?」

 

 思わず間抜けな声を上げて、ヨーラは目をぱちくりさせてしまう。

 何が何だかわからないまま袋の中身を見ると、そこには先のベリークが支払ったものとほぼ変わらない量と質の財宝がぎっしりと詰まっていた。

 

 そこまできて、ようやく先のベリークの言葉と意図を理解する。

 いや、理解しようとするも、あまりに現実離れした状況に、ヨーラはベリークの言葉の意味を自分が理解できるように曲解する。

 

「え~と、“私を奴隷としてお買い上げいただける”、ということでしょうか?」

 

「違う。『その金をやるから、自由になれ』と言っている。お前を買ったところで、俺には何のメリットも無い」

 

 “持ち上げられてから落とされる”結果になることを恐れて張った予防線が、いとも簡単に取り除かれる。

 

 

 ――夢ではない

 ――詐欺でもない

 

 

 幾人もの商人や(すね)に傷を持つ者を相手に商売をしてきたからこそ、ヨーラには分かる。

 この御仁(ごじん)は本当に心の底から“()()()()()()()()()()()()()”に、この金をヨーラに渡そうとしている。

 立派な砦を2,3基築いてもまだ有り余るほどの、この財宝を――!

 

「う、受け取れませんよ! こんな大きな借りを作ったら、私にはとても返しきれません!」

 

 タダより高いものはない。

 例えベリークに今そんなつもりはなくとも、のちにベリークが困窮(こんきゅう)した時にこの貸しを思い出し、返却を要求するかもしれないし、それ以上の事を要求するかもしれない。

 

 ヨーラが恐怖とともにそう言うと、ベリークはわずかに困惑した様子で言う。

 

「別に、あぶく銭だから気にする必要はないんだが……」

 

 ベリークからすれば、“借りを作る”という考えが理解できない。

 なぜなら、リリィを除き、ベリークに近寄ってきた女性達はベリークにたかるだけたかって、金が尽きれば離れていく者達ばかりだったからだ。

 その時の借りや恩を返そうとする女性など1人としていなかった。

 

 だから、ヨーラも嬉々としてこの金を受け取り、ベリークのことなどきれいさっぱり忘れて自由になると予想していたところに、この反応である。

 あまり頭の回転が速くないベリークには、こんなときにうまく立ち回ることなどできやしない。

 したがって、彼には不器用にかつ誠実に対応することしかできなかった。

 

「そこまで心配するなら、“お前には今後何も要求しない”と誓おう。なんなら誓約書に署名してもいい。『それでも嫌だ』というならば、無理にとは言わんが……」

 

「うっ……!?」

 

 ヨーラは迷う。迷ってしまう。

 降って湧いた特大のチャンス。本当にこれを見逃して、拒否して良いのか?

 

 この機を逃せば、自分はどこぞの好色な(やから)に買われてしまうかもしれない。そうなれば自由になることなど夢のまた夢だ。

 もしそうなったとして、彼の手を振り払ったことを後悔しないだろうか? ……ヨーラにはどうしても分からなかった。

 

 固まってしまったヨーラを見て、ベリークもまた“どうしたものか”と頭を悩ませる。

 

 “リリィにふさわしい己となること”が人生の主目的となってしまったベリークにとって、金など二の次三の次である。ぶっちゃけ執着など全くない。

 今後の生活費や武器・防具の新調代として必要となるであろうから、ある程度取っておいてあるものの、それだって必要となれば適当に賞金首を狩るなり、狩った魔物を素材として売るなりして稼げばいいだけの話である。“修行”という目的を考えれば、最悪、武器無し防具無しで素手で戦っても構わない。

 この先いくら困窮しようとも、こんな幼い少女にたかるようなみっともない真似は絶対にしない自信もあるのだが……こればかりは、相手が信じられなければどうしようもない。

 

 ――カランコロン

 

 大男と小柄な少女が無言で固まる異様な状態を崩すかのように、再びドアベルの音が鳴る。

 ヨーラが慌てて「いらっしゃいませー!」と声を上げるのを聞きながらベリークが振り向くと、そこには、かつての太っていたベリークそのままの姿の客がいた。

 

「む? お前、リュフトか?」

 

「ん? 誰だお前?」

 

 太った……いや、一般的な姿のオークが(いぶか)しそうに眉をひそめる様子を見て、ベリークはかつてとは様変(さまが)わりした己の腹を思い出し、改めて自分の名を告げる。

 

「俺だ。ベリークだ」

 

「……ベリーク!? いったい何だ、その身体は!? ……ああ、いや分かった。どうせ“強くなれば女にモテる”と勘違いして、延々(えんえん)自分を鍛え続けてそうなったんだろ?」

 

「『掘れば良い女が見つかるはず』とか言って、あちこち穴を掘っているお前には言われたくないんだが……」

 

「何言ってんだお前! 俺はちゃんと美女を見つけただろ! 振られちまったけど!」

 

「……まあ、信念は人それぞれだ。俺は否定せん」

 

 リュフト……彼もまたベリークと同じで理想の嫁を求めて村を飛び出した、変わり者のオークの1人だ。

 

 しかし、彼はベリークとは異なり、己の強さによって理想の女性を()きつけるのではなく、“良い女は隠されている”という仮説を(もと)に、あちこちを発掘したり、あるいは隠し部屋を探すことによって理想の女性を探すという、なんとも風変(ふうが)わりな嫁探しをしていた。

 なんでも、幼い頃に聞いたおとぎ話が、“深窓(しんそう)の令嬢は家に(かくま)われている”、“魔王が王女を(さら)う”といった内容であったことから、そのような仮説を立てたらしい。

 

 しかしながら、その仮説が当たっていたのかいなかったのか……今から約10年程前に、彼は()()()()()()()()()()()()()

 

 かつて亡国の公爵令嬢であったというその女性は、既に肉体を失って亡霊となっていたものの、『そんなものは知ったことか!』とリュフトは男らしくアタック。

 ……しかし、丁寧に断られて見事に玉砕したらしい。

 

 その後も彼女には時々会っているらしく、まれに水精(みずせい)の女性を引き合わせてお見合いの席を設けてくれているのだが、未だ成立には至っていないらしい。

 その時の成功体験から、彼はこの信念をより強固なものとし、今でも(くだん)の亡霊令嬢に頼りきりにならず、自分でもせっせと穴を掘り、隠し部屋を探して嫁探しを継続しているとのことだ。

 

 ベリークからすれば、“それ”はあくまでも偶然なのだが、彼にとっては違うのだろう。

 彼が信じるものを否定する気は、ベリークには全くない。

 

 ……そして、ベリークには彼に対して、()()()()()()()()()()()()()()があった。

 

「……なあ、リュフト……その、頭の上の文字は何だ?」

 

 リュフトの頭上……そこには何故か、でかでかと大きな文字がふよふよと浮かんでいた。

 ベリークの認識が正しければ、“へたれ認定”と書かれているように見える。

 

 チラリと横を見れば、ヨーラが仮面のように不自然な笑顔を貼りつけながら、リュフトの顔のわずか上に視線を向けている。

 どうやら彼女にも、その文字は見えているようであった。

 

「文字? ……なんにもねえぞ?」

 

 リュフトは自分の頭上を見るが、不思議そうな顔をするだけだ。どうやら本人には見えないらしい。

 別に彼の体調に影響があるわけでもないようだし、変に主張しても、信じてもらえず関係をこじらせるだけだと悟ったベリークは、その文字を見なかったことにすることにした。

 

「……そうか。いや、すまない。俺の気のせいだった」

 

「? ……変な奴だな……まあ、いいや、聞けよ! ついこないだ、女じゃねえけど、すげぇモンを見つけたんだぜ!!」

 

「ほう、いったい何を見つけた?」

 

 旧友が実に嬉しそうにする様子を見て、ベリークもまた嬉しさが湧き、声が弾む。

 

 信念は違えど、共に同じ目的に邁進(まいしん)している者同士。ベリークはリュフトに対して共感とともに友情を抱いていた。

 そんな相手の成功談だ。嬉しくない訳がないし、とても興味深い。

 

「それが、金銀財宝の山をしこたま貯めこんでた隠し部屋なんだよ! なんか魔法具っぽいものが多いせいで査定に手間取(てまど)っちゃいるが、まず間違いなく一生遊んで暮らせる額はあるぜ! 部屋の奥の方に、なんかヤベぇ奴の気配があったからそっちの方は探せちゃいねぇが、そんなもの気にならないくらいの質と量だ!」

 

「むう、それはすごいな!」

 

 ベリークもかつてはそうであったが、基本的にオーク族の金づかいは荒い。

 “宵越(よいご)しの銭は持たない”という言葉を体現するような生活をする者も、決して珍しくない程である。

 

 リュフトもその例に漏れず、彼の金づかいも相当に荒いのだが、その彼が『一生遊んで暮らせる』と断言する額だ。ベリークが先ほど手に入れたヒドラの貯めこんだ財宝など、おそらく比較対象にすらならないだろう。

 

 それはそれとして、ベリークには一つ気になる単語が彼の台詞(せりふ)に含まれていたことに気づいた。

 

「ところで、その魔物の強さはどのくらいだ? それと、できればその場所を教えて欲しい」

 

 そう、強さを求めるベリークにとって、強力な魔物の情報は値千金の価値があるのだ。

 可能ならば、リュフトの話に出たその魔物も喰らい、己の力にしたい……ベリークはそう思ったのだが、

 

「やめておけ」

 

 問うや否や、先程の陽気な様子が嘘だったかのように、真剣な表情でリュフトはベリークを止める。

 

 その様子は決して“そこにあるはずの財宝を取られたくない”といった欲望に基づいたものではない。ただひたすら真剣に友を案じるものであった。

 

「あれはお前さんの手に負えるもんじゃねぇ。正真正銘の化け物だ。たぶん……いや、確実に()()()()()()()()()()()()()。……正直な話、見つけた隠し部屋に入り込んで“それ”の気配を感じた瞬間、俺は腰を抜かしたよ。最初は“お宝を取っていこう”なんて、考えすらしなかった」

 

「だが、不思議なことにそいつらはその場所から全く動かなくてよ。恐る恐る俺がお宝を持って部屋を出ても全く動かなかった。……おそらく、俺みたいなちっぽけな奴の事なんて気づいてすらいなかったんだろうな。俺が最後のお宝を持って部屋を出た後、気配が動いた感じがしたから、もう今は奥から出てきていてもおかしくない。お前が強さを示して女にモテたいのは知ってるが、こればっかりは相手が悪い。諦めろ」

 

「ふむ……」

 

 ベリークは考える。

 

 リュフトは迷宮探索のベテランだ。女性こそ、この10年の発掘で1度しか見つけていないものの、それ以外では新たな隠し部屋や様々な魔法具の発掘など、情報や発掘品を売るだけで充分に豊かな生活を送れるほどの実力と経験がある。

 当然、魔物に襲われて逃げ帰った経験、やり過ごした経験など数知れず。その彼が言う以上、その見立てに間違いはまずあるまい。ならば、ここはリュフトの忠告に従った方が無難(ぶなん)……

 

 そこまで考えたところで、ベリークははたと気づく。

 

 たしかにリュフトの忠告に従うのは正しいだろう。命あっての物種だ。そもそもベリークが生きていなければ、リリィと結ばれることなどできるわけがない。

 だが、無難な道ばかりを選んでいてもまた、あの常識外の武力を持つ少女にふさわしい己となることも不可能だ。

 

 ベリークは(しば)し悩んだ結果、“間を取る”という中途半端な選択を取ることにした。

 

「……なるほど、お前の言うことも(もっと)もだ。そいつに挑むことはやめておこう。だが、それだけ強力な魔物なら、その魔力に惹かれた魔物が周囲にいるはずだ。それを狩りたい。だから、場所を教えてくれないか?」

 

「……う〜む……」

 

 リュフトもまた悩む。

 

 ベリークは村1番の戦士。その実力や才能はリュフトも良く知っている。

 女性を求めて迷宮のかなり深い階層まで潜るリュフトもまた相当な実力者ではあるものの、その彼をしても“今のベリークには足元にも及ばないだろう”と肌で感じている。

 そんな彼が、自分の実力を見誤って不相応な相手に挑みかかることは、まず無いはずだ。

 

「……わかった。くれぐれも下手に手を出すんじゃないぞ」

 

「助かる……そういうわけだ、店主。俺は武器と防具を受け取ったら早速こいつと出かける。“()()”は好きにしてくれ。どうしても要らないなら、今度来た時に返してくれればいい」

 

「は、はいっ……! あ、いえ、あ、その……!」

 

 第三者であるリュフトがいることに気を使って、“釣り”という言葉でもって『財宝は好きにしていい』とベリークはヨーラに言うが、ヨーラは相変わらず人生の一大事に決断を下すことができない。

 

 結局、ヨーラは返事ができないまま、ベリークが店を去るのを見送ることしかできなかった。

 

 

***

 

 

「……」

 

 ベリークは1人、リュフトに教わった場所に来ていた。

 

 なるほど、酷く入り組んだところにある隠し部屋である。まず、一般的な探索技能の持ち主では見つけることは叶うまい。

 その入り口近くの床には、腐食したかのようにドロドロに融けた扉の残骸。

 そして、入り口に向かって右側の壁には1枚の貼り紙があった。貼り紙にはこう書かれている。

 

 “へたれには呪いが待ち受けている。

 この部屋の宝物と魔物に手を出すべからず。

 主を退(しりぞ)けたる勇者はへたれにあらず”

 

「……」

 

 しかし、ベリークの視線はその貼り紙に注がれてはいない。

 彼の視線は自身の足元――正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()不思議な状態の迷宮の床にあった。

 

 ベリークは無言で考え込み、ややあって腹を決めると、堂々と蝶番(ちょうつがい)しかない、かつて扉であったものの横を通り抜け、隠し部屋へと侵入する。

 

「……」

 

 中には何もない。そして、誰もいない。

 

 部屋の外と同様にドロドロに溶けて固まったような床を進み、慎重に気配を探りつつベリークは部屋の奥へ向かう。

 豚鼻を鳴らして匂いを確認し、耳を澄ませて音を確認しながらゆっくりと壁から目を出して奥の様子を確認する。

 

「……」

 

 何もない。そして誰もいない。

 ……だが、ベリークの眼は1つの異常を(とら)えた。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()

 

 

 あの床が融けて固まったかのような痕跡(こんせき)について、ベリークは心当たりがあった。

 黒プテテットなどのように酸を体内から排出する魔物が()いずり回った時、あのような痕跡が残る。

 仮の話になるが、体高が10メートルを超えるであろう巨大な黒プテテットが存在して、這いずりながら外に出た場合、あれとそっくりな状態になるに違いない。

 

 だが、仮にその仮定が正しいとするならば、本来そのプテテットがいたであろうこの部屋もまた床や壁が融けていなければおかしい。

 では、融けていない理由があるとすれば、それはいったい何であろうか?

 

 ベリークには分からない。分からないが……彼に(そな)わった野生の本能、そして幾多(いくた)の経験が警鐘(けいしょう)を鳴らす。

 

 

 

 ――今、とてつもなく危険な事態が起きている、と

 

 

 

(……)

 

 ベリークは慎重に気配を探りながら部屋を後にし、そして数日をかけて入念な準備を行った。

 そして、あれほどこだわっていた自身の修行を一度中断し、隠し部屋から伸びる、酸で溶けたような跡を彼はたどり始めた。

 

 

 

 ――この部屋にいたであろう“何か”を放置したらまずい……ベリークの勘がそう激しく警鐘を鳴らしていたからである

 

 

 

***

 

 

 

 本人の人柄がにじみ出る漆黒の魔力。

 まさに魔の王と(しょう)されるべき懐かしい魔力を放つラテンニールにリリィは固まり、シルフィーヌは戦慄(せんりつ)とともに杖を構え、ブリジットは戸惑(とまど)い、うろたえる。

 

 そしてリウラは、あまりに呆然としてしまったが故に、リリィの背に添えていた手の力が抜けて滑り落ちる。

 

 

 

 ――瞬間、リリィの精神が悲鳴を上げた

 

 

 

「……ギッ!? あああぁあああぁああっ!!?」

 

「リリィ!? どうしたの!?」

 

「お、おい!? どうしたんだよ!」

 

 ラテンニールを(のぞ)く全員が、リリィの様子にギョッと目を()く。

 しかしリリィは心配して声をかけるリウラやブリジットに説明する余裕もなく、悲鳴を上げながらも瞬時に自身の胸に手を当てて魔術を発動した。

 

 リリィの胸を中心に魔法陣が身体を透過するように、いくつも重なるように展開され、やがてそれらが収束してリリィの胸の中に消えていくと、ラテンニールの魔力を取り込んで次元違いに増加していたリリィの魔力が、取り込む直前の水準にまで落ち込んだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

「……ふむ、流石は私の使い魔だな。あれほどの魔力の負荷を受けながら瞬時に最適の対応を行うとは」

 

 膝をついて荒々しく呼吸するリリィを見て、ラテンニール……いや、魔王は感嘆(かんたん)するように言う。

 

「ど、どういうこと?」

 

 リウラが反射的に問うと、別に隠す意味も無いからか、魔王はあっさりと答える。

 

「体内に宿る魔力は常にその魂に負荷をかける。当然、魔力が大きければ大きいほど負荷がかかる訳だが、たいていの場合、生まれた時もしくは生まれる前の卵や腹の中にいるときから徐々に魔力が増加し、それに魂が慣れ、適応していくために問題になることはない。……だが、先程のこいつのように自らの魂の許容量を超える魔力を一度にその身に宿せば、今のように絶大な負荷がかかる訳だ。私が精根注いで(つく)った使い魔でなければ、先の一瞬で精神が破壊されていただろう。だから、こいつは瞬時に先程取り込んだ魔力を封じた、という訳だ」

 

「で、でも……さっきまで何ともなかったのに……?」

 

「それは貴様のせいだな」

 

 全く心当たりのないことを言われ、リウラは「え?」と首を(ひね)る。

 

「貴様は何故か触れた相手の精神を強化……いや、回復……違うな、何と言えば良い……むぅ、()いて言うなら()()か……? とにかく、触れた者の精神を最適な状態に持ってくることができるようだ。そのおかげで、我が使い魔がこのラテンニールから膨大な魔力を奪っても、その精神を破壊されることも狂わされることもなかったのだ」

 

 余談だが、魔王自身の精神が無事だった理由は、彼自身が魔神級の魔力の持ち主であったため、魂がその負荷に耐えられたためである。

 長期間魔力負荷が低い状態に置かれて、魂の強度が低下してしまえば話は別だが、1ヶ月程度であれば何も問題はなかった。

 

 しかし、ラテンニールの方が格上の魔神であり、魔力も魔王より上であることは確実なので、念のためにリリィの肉体に魔力を移しておいて、ラテンニールの肉体の魔力負荷を弱めておいてから、魔王はその肉体を乗っ取ったのである。

 

 魔王から更に全く心当たりのないことを言われて、リウラの頭上には疑問符が乱舞する。

 

 だが、魔王にとって、そんなことはどうでもよかったのだろう。

 魔王はリウラから視線を切ると、いまだ名前すら付けていなかった自身の使い魔の前に歩を進め、本来ならば原作で彼が付けるはずだった彼女の名を呼ぶ。

 

「“リリィ”……と名乗っていたのだったな。大儀(たいぎ)であった。さあ、その魔力を私に渡すがいい。それで私は完全に復活する」

 

 一帯(いったい)に緊張感が満ちる。

 

 シルフィーヌ達、人間族にとって、今の状況は非常にまずい。

 

 リリィの体内に魔王の魂が存在したことを知らない彼女達からしてみれば、いったいどうして魔王がラテンニールの肉体を奪えたのか訳が分からないが、そんな経緯など今はどうでもいい。

 問題は、このままリリィがラテンニールに先ほど奪った魔力をそっくりそのまま返してしまえば、魔王は完全に復活してしまうということ。……それも、以前の魔王を遥かに上回る力を持って、だ。

 そうなれば、シルフィーヌを除く各国の勇者がこの場にいない以上、シルフィーヌ達は全滅し、再び戦乱の世が訪れることだろう。

 

 だが、シルフィーヌは期待する。先程リリィが話した内容が彼女の本心であるならば、この申し出には(こた)えないはずである。

 なぜなら、魔王の完全復活は、彼女の理想……“魔王との平穏な生活”が永遠に叶わないことを意味するからだ。

 

 

 

 ――だが、その期待は裏切られる

 

 

 

「う……ぁ、ぁあ……っ!」

 

 ギギギ、とまるで()びついたブリキ人形が無理やり動くかのように、リリィの身体が魔王へと()り寄ってゆく。

 そして、ゆっくりとその両手を魔王の頬に添え、自身の唇を近づけていく。それは間違いなく性魔術を(もち)いた魔力譲渡の予備動作だ。

 

 それを見たシルフィーヌは思わず叫ぶ。

 

「どうして!? どうして、あなたは言いなりになっているのですか!? 『平穏に生きたい』と言った、あの言葉は嘘だったのですか!?」

 

 シルフィーヌの言葉に、リリィは苦しそうに表情を歪めながら残酷な事実を告げる。

 

「無理、なんです……! 私、魔王様の使い魔だから……だから、魔王様の“命令”には()()()()()()()()()()()……!」

 

「!!」

 

 そう、リリィは魔王が1から肉も魂もその手で創り上げた唯一の使い魔である。当然、逆らうことがないよう、魔術的にその魂を縛られている。

 だからこそ、リリィはまずこの魔王との魔術的な繋がりを断ち切ってから、魔王を復活させようとしていたのだ。

 

(どうすれば……わたくしは、どうすれば……!?)

 

 リリィが魔力を譲渡する前に魔王を殺す? いや、無理だ。いくら平穏な生活が脅かされるとはいえ、“父”と慕う魔王を殺すことをリリィが許容するとは思えない。おそらくリリィ自身に妨害されるし、ブリジット達も黙ってはいないだろう。

 単純に魔王を殺さず気絶させたところで、すでに出された命令は取り消されまい。魔力の譲渡を防ぐことができない以上、魔王の復活は阻止できない。

 

「ちょっ、ちょっと!? 今まで色んな人から魔力をもらってきたリリィが耐えきれない魔力なんだよ!? いくら魔王さんでも耐えられないんじゃ……!?」

 

 苦しまぎれにリウラが言うも、魔王は事もなげにさらりと返す。

 

「この魔力は元々魔神ラテンニールのものだぞ? ラテンニールの魂であれば当然耐えられる……であれば、ラテンニールの魂と融合した私が耐えられない訳があるまい」

 

「ゆ、融合? 魂と?」

 

 とまどうリウラを追い越してティアが歩を進め、魔王に問う。

 

「それはおかしいわね。見るかぎり、あなたの人格はかつての魔王そのもの……あなたよりも格上の魔神であるラテンニールの魂と融合したのであれば、その主人格はラテンニールになるはず……!」

 

「む……その姿、その気配……貴様、まさかユークリッドの第一王女(サラディーネ)か? ずいぶんと変わり果てたとはいえ、よくもまあ生き残っていたものだ。……まあいい、貴様の疑問に対する答えは簡単だ。先の性魔術で、私はラテンニールに絶対服従の縛りをかけた。その縛りは例え魂が融合しようとも変わらん。つまり、私の一挙手一投足に対し、ラテンニールは従属せざるを得ん。結果として、私の人格には影響はなく、ラテンニールの人格は消滅したも同然……今、まさに不死身と(うた)われた魔神は滅んだのだ」

 

(そういうことか……!)

 

 ティアは内心で歯噛みする。もしラテンニールの人格がわずかでも残っていれば、そこを突破口にどうにかできるかもと考えたのだが、空振りに終わった。

 魂が融合している以上、多少は価値観などに影響が出ているだろうが、ラテンニールの人格そのものが出てこないのであれば、干渉のしようがない。

 

 万事休すかと思われたその時だった。

 

 

 

「魔王様……お願いですから、少し待ってください。魔力を戻す前に、私の話を聞いてください……!」

 

 

 

 ――ピクリ

 

 リリィの懇願(こんがん)が響いたとき、魔王の眉がわずかに不快そうに動く。

 だが、彼……ラテンニールが女性である以上、今は彼女か……は何事もなかったかのように応えた。

 

「……何だ? 言ってみるがいい」

 

 そう魔王が言った途端、命令の効力が切れたのか、糸が切れたようにガクリとリリィの身体が崩れそうになるも、瞬時に(こら)えて王の御前にふさわしい膝をついた姿勢をとり、真摯(しんし)に、そして誠実に述べた。

 

「魔王様……あなたの肉体が封じられ、その魂を私の身体の中に受け入れてから、私はわずかな期間、わずかな範囲ながらも世間を見て回り、色々な人と出会うことができました。無力で幼い私を拾い、家族になってくれた人……魔王様の使い魔であると知っても仲間でいてくれた人……こんな利己的な私を女として愛してくれた人もいました」

 

「魔王様の魂は私の中にありました。私が経験した様々な愛情は、魔王様にも影響を与えていると思われます。……もしそうでなければ、今、こうして私の言葉を聞いてくださってはいなかったでしょう」

 

「む……」

 

 リリィは知っている。

 かつての魔王の人柄はまさに傍若無人(ぼうじゃくぶじん)

 例え自らが()ずから生み出した使い魔であろうと、急務であるはずの魔力の受け渡しをいったん置いておいてまで話を聞くような人物ではない。

 

 では、なぜ、そうなったのか?

 

 ここからはリリィの推測になるが、おそらく、魔王の魂がリリィの魂の影響を受けていたのだろう。

 

 ――生まれて間もなく、前世の来歴も(さだ)かではないのに、土下座するヴィアに対して悪魔のような笑顔を浮かべることができたこと

 ――いつの間にか、リリィが他者を殺しても大して動揺しなくなっていたこと

 ――幼い頃の魔王のようにブリジットとすぐに喧嘩してしまうこと

 

 ……もし、これらの原因が、内に秘めた“魔王の魂”の影響を受け、リリィの人格が魔王の人格に近づいていたからだとしたら、筋が通ってしまう。

 ならば、その逆……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 影響を受けた原因が、“使い魔の中に主の魂がある”という不自然な状態がもたらしたのか、はたまたリリィが無理やり魔王の魂に接続して記憶を覗いていたことがもたらしたのかは分からない。

 だが、そんなことはリリィにとってどうでもよかった。なぜなら、この魔王の変化は間違いなくリリィにとって喜ばしいものだったのだから。

 

「魔王様。今、あなたには“良心”があります。その“良心”に従って生きてください。種族を問わず、周囲の者達と理解し合えるよう努めてください。かつてのように好き勝手に生きていては、また同じように封印されるか殺されてしまいます。……私は、魔王様と共に平穏に暮らしていたい。もう、魔王様が封印されたあの時のような想いを、二度としたくないのです」

 

「……」

 

 魔王の眉が不快そうにひそめられる。

 だが、彼女はリリィの言葉に反発することなく黙り込んだ。

 

 その様子にシルフィーヌ、ブリジットなどのかつての彼女を知る者や、“魔王”という言葉に著しく悪いイメージを抱く人間族は“信じられない”と驚愕に目を見開いている。

 

 ややあって、彼女は言った。

 

 

 

()()()()使()()()()()()()()?」

 

 

 

***

 

 

 思わず固まってしまうリリィ。

 彼女は、魔王が今言ったことを理解することができなかった。

 

「……今、なんて……?」

 

「『貴様は私の使い魔ではない』、と言ったのだ。いくら貴様がその“愛情”とやらに触れようと、そこまで価値観は変わらん。それでは、まるで人間族だ。少なくとも、創造主である私の意思よりも自分自身の欲を優先させることなど有り得ん」

 

 ……その通りだ。

 

 前世の記憶を取り戻す前のリリィであれば、何をおいても魔王を優先しただろう。原作の彼女が親しい人間族の友人を、魔王の命令であっさりと見捨てたように。

 彼女が今こうして魔王に嘆願(たんがん)しているのは、人間として生きたときの記憶が甦ったからだ。それをあっさりと見抜かれ、リリィは戦々恐々とする。

 

(……どうして? 魔王様ってこんなに鋭くなかったよね?)

 

 リリィの記憶では、封印される前の魔王はここまで鋭くはなかった。

 “魔術に明るい”など知識的なものは素晴らしかったが、それ以外は基本的に脳筋思考で、何事も暴力で解決するような節があった。

 

 原作の魔王が戦略家となったのも、どう工夫したところで自分自身で戦うことができない脆弱な肉体に宿ってしまったが故に、彼無しで戦える軍を作る必要に迫られたからであり、そうした経験を積んでいない今の魔王がここまで鋭くなる理由が分からなかった。

 

(……あ)

 

 ……が、ふとリリィは思い出す。

 

 リリィは、これまで魔王の魂から様々な経験を引き出して利用していた。

 もし、リリィの魂と魔王の魂が相互に影響を与えあっていたのなら、リリィが魔王の経験を引き出した時と同じように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということを。

 

 その事に思い至ったリリィが動揺している間に、魔王は何かに気づいた様子を見せた。

 

「……そうか……貴様、あの時の魂……その切れ(はし)か」

 

「切れ、端……?」

 

 何が何だか分からない。

 リリィが事態を理解する間もなく、魔王はどんどん話を進めていく。

 

「私はかつて異世界に繋がる時空間魔術の研究をしていてな。たしか……15~16年ほど前か? 私の魂を覗いていたのならば、この世界(ディル=リフィーナ)現神(うつつかみ)古神(いにしえがみ)、それぞれが支配する2つの世界が融合して生まれたということは知っているな? 同じような異世界を探し、そこの資源を手に入れることができないか、私は模索していた時期があったのだ」

 

 簡単に言えば、現神とは今の世界を支配している、“かつてのネイ=ステリナという世界の神”、古神とは彼らに敗北し、追いやられた“イアス=ステリナという世界の神”の事を指す。

 一般には“古神=邪神”として伝えられているが、そこは人間族だろうと神族(しんぞく)だろうと変わらない“勝者の歴史”が広められた結果である。

 

 そして、リリィは思い出した。

 原作の作品群の内、神殺しセリカが自らの使徒と巡り合う過程を描いた物語の中で、お遊び要素(アペンドディスク)としてリリィと魔王が登場した作品が存在することを。

 

 時空の歪みに飲み込まれて、地域どころか時間軸すら異なる場所に現れた魔王とリリィ……彼らがセリカと共に旅をする物語。

 

 

 

 ――だが、それがもし“()()()()()()()()()()()()()()()

 ――その“リリィが登場する物語”が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「異世界へと繋ぐ空間を作成する時空間魔術の実験をしたときに、どこかの冥界へと繋いでしまったのか、大量の魂が溢れ出したのだ。急いで空間を閉じたのだが、1つだけ私の肉体に入り込んだ魂があった」

 

「魔術で魂を覆う結界を創って防いだから、その魂は融合することはなかったのだが……どうやら微妙に間に合わずに引っかかってしまい、面倒だったので無理やり魔術で千切(ちぎ)って放り出した。その時、私の魂にその魂片(こんぺん)がわずかに残っていたのだろうな。それが、貴様の体内に入った際に貴様の魂と融合した、といったところか。……生まれて間もない無垢(むく)な魂しか持たぬ使い魔であれば、例え魂片であろうと融合した別の魂が与えた影響は大きい。真っ白な布に血を垂らしたように、あっという間に価値観を染められたのだろう」

 

 この世界の魔王は、何らかの理由でディル=リフィーナ創世の歴史を知り、その事から異世界の存在を知った。

 そして彼は“異世界”へと繋ぐ魔術を開発しているつもりが、どこを間違えたのか“平行世界”へと繋いでしまった。

 

 そして、それは例のお遊び要素の世界……神殺しセリカの元へと辿(たど)り着く平行世界ではなかった。

 

 

 ――このディル=リフィーナが、()()()()()()創作(フィクション)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そこから飛び出した魂が、たまたま魔王の肉体に入り込み、そして()()()()()()

 

 通常、他人の肉体に入った魂は“元の魂と融合する”、“元の魂をかき消す”、“元の魂を肉体から追い出す”のいずれかの反応を示す。

 しかし、何事にも例外は有り、中には“引っかかる”というパターンも存在するのだ。

 

 原作関連で言うならば、メンフィル帝国の()イリーナ王妃の魂が、魔神の如き力を持つ大魔導士ブレアードの核に定着してしまった事例が該当する。

 このパターンではメンフィル王によって2度もブレアードが倒されたことによって、イリーナ王妃の魂が吸収されずに済んだことが原因だが、今回の場合は、魔王が魂の融合を防ぐ魔術を使ったことが原因となったのだろう。

 

 そして、魔王によって引きちぎられ、放り出された(本体)とは別に、魔王の魂にはその魂の欠片がくっついたまま残ってしまった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、リリィがつまづき、誤って魔王の魂をその身に受け入れた時……使い魔の契約で完全に分かたれている魔王の魂とは融合しないが、それ以外の魂は別だ。リリィの魂は、その魂の欠片と融合してしまった。

 生まれたばかりで幼子(おさなご)同然の無垢(むく)な魂を持つリリィは、その魂片の持つ知識・記憶・価値観を受け入れ、染まってしまった。

 

 ――だから、リリィはかつて人間であった時、自分が何者であるかを知らなかった……その記憶の大部分はちぎれて、どこかへ行ってしまったのだから

 ――だから、リリィは時折幼子のような振る舞いを見せた……“リリィ”を完全に染めきることができないくらい、融合した魂の量が少なかったから

 ――だから、リリィはどんなに自身の生存にとって不都合な存在であろうとも、魔王を求めた……融合した魂の価値観が染めきれないくらい、“リリィ”が魔王を慕う想いが強かったから

 

 つまり、彼女の持つ原作知識は、正確には“()()()知識”ではない。

 

 異世界の人間……それも死者の持つ知識であったのだ。

 彼女は睡魔族のリリィであると同時に、その平行世界の人間でもあったのだ。

 

 落ち着いて考えてみれば、当然だ。

 彼女は魔王によって創造された使い魔。それは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――魂すら創造された存在に……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 あまりに突拍子(とっぴょうし)もない話に、周囲は唖然(あぜん)として固まり――

 

 

 

 ――そして、それはとてもとても大きな隙となった

 

 

 

 

 ドンッ!

 

 

 

 

「なっ!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 突如(とつじょ)としてリウラの背から水蒸気が噴射され、瞬時に魔王を突き飛ばす。

 

 場の誰もが予想だにしていなかった、急襲。

 それを、魔王との和睦(わぼく)を望んでいたはずの水精の少女が行うとは思わなかったのだ。

 

「うぐっ!」

 

 だが、彼女がそのような凶行に走った理由はすぐに明らかにされる。

 リウラが苦しそうな声を上げ、両腕両足をピンと直線に揃えて伸ばした奇妙な姿勢になった途端、彼女の首から下を丸々隠すほど巨大な手が徐々に姿を現したのだ。

 

「あ、ああああああぁああぁあああっ!?」

 

「お姉ちゃん!? っ、そこかぁっ!!」

 

「おっと、そこまでだよ? このお嬢ちゃんがどうなっても良いのかい?」

 

 握り潰されようとしているのか、悲痛な悲鳴を上げるリウラを救うべく振り上げた魅了剣(ルクスリア)がピタリと止まる。

 

(この、声は……!?)

 

 

 ――なんで、よりによって、こんな時に

 

 

 ぐったりとしたリウラを覆う手の持ち主が完全に姿を現した。

 

 蒼白な体表を覆う腰から下の体毛。

 両足は煌々(こうこう)と燃えるエメラルドグリーンの炎が覆っている。

 禿頭からは山羊のような2本の角が左右に向けて伸び、手首の横から肘にかけて鋭い刃のように硬化した皮膚が伸びている。

 

 コゴナウア。

 上級悪魔の中でも上位……魔神一歩手前の貴族悪魔に列せられる種族。

 

 その肩にはリリィが今、もっとも見たくない人間の姿があった。

 

 

 

 ――魔術師ディアドラである

 

 

 

「久しぶりだねぇ、睡魔のお嬢ちゃん。悪いけど、そのままジッとしてておくれよ? 用があるのはそこの魔王様だけだから、さ!」

 

「……」

 

「くっ!?」

 

 ディアドラの操るコゴナウアが、巨体のくせにリリィに勝るとも劣らぬ速度で魔王を握り締めようと手を動かし、魔王は慌ててそれを回避する。

 

 最悪だ。リリィに絶対の命令を下せる魔王は、精気のほとんどを奪われたラテンニールの肉体へ宿った。すなわち、弱体化した彼を押さえるだけで、リリィは手に入ったも同然。

 おまけに、一時的に弱体化しているとはいえ、ラテンニールは高位の魔神。神にすら届きうる極めて優れた肉体を有しているというのだから、新たな魔王となることを目論(もくろ)むディアドラからすれば、(のど)から手が出るほど欲しいだろう。

 

 リリィには、コゴナウアを退(しりぞ)けるだけの力はある。

 だが、いったいどのようにディアドラの隠蔽(いんぺい)魔術を感知したのか、リウラが魔王を(かば)ってしまったせいで、リウラが人質に取られ、リリィは動けなくなってしまった。

 

 先程リウラが悲鳴を上げたのは、おそらく握り締められたのではなく、精気を奪われたのだろう。

 ぐったりしている彼女からは弱々しい精気しか感じられない。これでは彼女自身に何とかして脱出してもらうことは不可能だろう。

 

「おい、オマエっ! 人間族のくせして、ボク達に何なめたマネしてんだよ!」

 

「……」

 

 唯一の救いは、ブリジットが大幅に強化されたことで、なんとかオクタヴィアと2人で魔王を護ることができていることか。

 2人はリウラのことなどまるで気にせずコゴナウアを妨害し、魔王を何とか護りきっている。

 

「……ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……なら、こいつらに相手してもらおうか」

 

 ディアドラが新たに配下を召喚しようとするのを見てブリジット達がそれを妨害しようとするも、コゴナウアは無言でブリジット達からディアドラを護りきる。

 

 そして、現れた不死者(アンデッド)の群れを見て、ブリジットは絶句した。

 

「おま……え……」

 

 不死者そのものは問題ではない。そんなもので悲鳴を上げるような可愛らしい感性など持ってはいないし、何度も戦って蹴散らしている。

 だが、彼らの姿、それが問題だった。

 

 ブリジットは彼らの姿に見覚えがあった。当たり前だった。

 

 

 ――だって彼らは、()()()()()()()()()()()()

 

 

「オマエェェェェッ!!」

 

 ブリジットは、そして周囲にいる召喚魔術に明るい者は即座に状況を理解した。

 コゴナウアのような強大な力を持つ者を使役するためには、相応の代価が必要だ。それは時に財宝であったり、時に極上の女を抱かせることであったりと様々だが、もっと一般的でかつ手ごろなものがある。

 

 

 ――生贄

 

 

 大量の贄を用意し、その精気を捧げることで悪魔・魔物・魔人を使役する。ディアドラはそれをブリジットの部下を利用して行ったのだ。

 そして、残った死体を再利用して、不死者として復活させ、使役しているのである。

 

 ブリジットに部下に対する愛情など欠片も無い。

 もしあるならば、同じように部下を大量に殺したリリィとここまで良い関係など築ける訳がない。

 

 彼女にあったのは、自分が認めていない相手……それもたかが人間族に自分の城を荒らされた、というプライドを傷つけられた怒りである。

 

 そして、ディアドラはその怒りを待っていた。

 ブリジットは非常に単純で、魔王に似た脳筋思考。基本的に真正面からぶつかる性質を持ち、非常に頭に血が(のぼ)りやすい。

 一度怒らせてしまえば、その戦闘パターンは非常に単調になる。いくら戦闘力が高くとも、知恵を持たぬ猪などディアドラには恐るるに足らない。

 

 ディアドラのとった行動は非常に適切。ブリジットを無力化するための最初の一手として、これ以上ないものであった。

 

 

 ――しかし、それがとある人物の神経を逆撫でするものであることには気づかなかった

 

 

 ブリジットとオクタヴィアの攻撃を防ぐコゴナウアの隙をついて、白刃が(きら)めく。

 

 ギッ! と自身の魔術障壁と当たった音でそれに気づいたディアドラは、慌ててその刃の持ち主から距離をとり、先程まで立っていた場所とは逆側の肩へとコゴナウアの頭越しに飛び移る。

 

「……どういうつもりだい? せっかくアンタ達の尻ぬぐいを私がしてやろうってのに、なんで邪魔をするのさ?」

 

 その刃の主はディアドラからは目を離さずに口を開く。

 しかし、その口から出た言葉はディアドラへの返答では無かった。

 

「娘……リリィと言ったか。()()が言っていた『大変なこと』とは、これに関することか?」

 

「は、はい! というより、原因そのものですけど……」

 

 リリィは戸惑うあまり、思わず行儀よく答えてしまう。

 

 ――なぜ?

 ――どうして?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それが分からない。

 あまりに意外過ぎて混乱したが故の敬語であった。

 

「信じよう。この者のあまりの外道ぶり……騎士として捨ておけん。そこの小さな魔族、この大きな魔族を抑えておけ! 私は、この魔術師を斬る!」

 

「小さくて悪かったな!? 蹴り殺すぞ!!」

 

 

 ――ゼイドラムの姫騎士 エステル

 

 

 “治癒の水”を頭からかぶったことにより、濡れた金髪を額に張りつかせながら装飾剣を構えた彼女は、海のように深い蒼の瞳に義憤(ぎふん)をたぎらせ、ディアドラをその鋭い視線で射抜く。

 

「くっ!? 正気かい!? 私は同じ人間族で、そこの魔王を倒す仲間だよ!?」

 

「死者の尊厳(そんげん)を踏みにじる者の言うことなど、信じることはできん!」

 

「チッ……!」

 

 エステルは召喚魔術に明るくない。

 だが、この状況を見れば、この不死者たちが小さな魔族の仲間であったことは疑いようがなかった。

 

 ――人質をとる

 ――皆殺しにした敵の部下を死者として甦らせ、けしかける

 

 それは、エステルにとって、例え魔族が相手であろうとも、騎士として……いや、人として決して許してはならない事であった。

 

 そして、エステルと戦闘する前にリリィが交わした会話が、ここに来てエステルの信用を勝ち取る一因となった。

 

 

 

 ――『“今、魔王の封印を解かなければ、私も人間族も大変なことになる。だから、すぐに封印を解いてほしい”……と言われて、あなたは話を聞く用意がありますか?』

 

 ――『私は私の大切なものを護るため、あなたを倒さなければならない』

 

 

 

 エステルを倒すだけならば不要な事前の会話。

 のちに人間族と和解する可能性としてリリィが撒いておいた種の一つが今、芽を出した。

 

 ディアドラの非道を受けたリリィを見て、“これがリリィの抱えている事情である”と理解したエステルは、先の会話を“リリィの誠意であった”と捉え、彼女を信用できる人物であると判断したのである。

 ラテンニールの一撃から、リリィが命を懸けて彼女を護ったことも、その誠実さを裏づける証拠として後押しした。

 

 ディアドラは焦る。

 

 完全に予想外だった。

 人間(エステル)が魔族と協力すること自体もそうだが、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である魔王を倒すことを止められるとは思ってもみなかったのだ。

 

 魔術師であるディアドラは、当然近接戦は不得手。

 今は魔術障壁がエステルの剣を防いでくれてはいるものの、勇者の血族と言われているだけあって彼女の剣は異様に重く、いつ障壁を抜かれてもおかしくない。

 

 リリィに対しては非常に効果が大きかった人質のリウラも、エステルにはまるで通じていない。

 それが“人質の意味がない”と思わせたいのか、それとも“本当に意味がない”のかまでは判断できないが、不用意にそれを振りかざせば、さらなる外道ぶりに義憤を(つの)らせて、今度はシルフィーヌ達まで参戦しかねない。

 

「まったく馬鹿だねぇ! あとで後悔しても知らないよ!」

 

 先が全く読めない以上、へたな行動は自分の首を絞めかねない。

 そう気づいたディアドラは、さっさと退却することに決めた。

 

「ま、待ちなさい!」

 

「逃がすか!」

 

 リウラごとうっすらと姿を薄れさせるコゴナウアとディアドラを見て、リリィは慌ててリウラを握るコゴナウアの手首めがけてルクスリアを振るい、エステルはディアドラの首めがけて装飾剣を振るうも、共に手ごたえはない。

 

 

 

 ――直後、()()()()()()()()()

 

 

 

「これは……()()()()()()!?」

 

 リリィとヴィアは気づいた。

 これは先の戦いでオクタヴィアが出した、視界と気配、そして魔力を遮断する闇を生み出す魔術だと。

 

 

 ――だが、()()

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その思いは彼女の主や魔王も同じだったのか、酷く戸惑った声が闇の向こうから聞こえる。

 

「うおっ、なんだぁ!? オクタヴィア、これオマエだろ!? いったい、どうしたんだよ!」

 

「む!?」

 

「……事情は後で話します。魔王様、ご主人様、今すぐこの場を離れます」

 

 その言葉が聞こえるや否や、暗闇が霧散する。

 魔王、ブリジット、オクタヴィアは完全にその姿を消していた。

 

 

 

***

 

 

 

「あー、流石の私でもそれは無理。さっきの闇の魔術が転移の痕跡ぜーんぶ塗りつぶしちゃってて転移先の逆算ができなくなってるもん。魔術で隠蔽されてるのか、魔力の広域探知にも引っかからないし」

 

「それと、さっきのおばさんの方は、その闇の魔術とは関係無しに追えないわね。よくもまあ、あんなに転移先を悟られないように魔術を組めるもんだわ。ここまでくると芸術的ね。せめてアイツらが、どこかで転送魔術でも使ってくれたら、空間の歪みを辿(たど)って見つけることができるんだけど」

 

 小人形態に戻ったツェシュテルが肩をすくめる。

 あの後、シズクの転移先を逆算したように、ディアドラと魔王の居場所を特定できないかツェシュテルに聞いた返事がこれである。

 

 歪魔(わいま)の転移先を計測できるのだから、人間族や魔族の扱う転移術の逆算ぐらい簡単かと思ったのだが……どうやら先のシズクを転移させた時の場合は素早く自然であったものの、偽装を一切していないシンプルな術式であったがためにできたことらしい。

 少々の偽装であればツェシュテルも解析して無効化できるが、ディアドラとオクタヴィアはその“少々”には当てはまらなかったようだ。

 

 おまけにリリィと使い魔の仮契約を結んでいるはずなのに、リウラを魔術で召喚できない。

 どうやら簡単に取り戻されないよう、なんらかの妨害魔術をディアドラに組まれているか、契約そのものを断ち切られてしまっているらしい。

 

「どうする……どうする……どうすれば……!」

 

 それを聞いたリリィは、必死になって(うつむ)き考え込む。

 考えていることが口から出ていることが分からない程に、必死になって考え込む。

 

 それを見たシルフィーヌが落ち着くよう声をかけようとしたところで、

 

 

 

 ――ヴィアの肘鉄がリリィの後頭部を直撃した

 

 

 

 ゴッ! という重々しい音に、思わずアイが首をすくめ、リリィは痛みのあまり頭を押さえて涙目でうずくまる。

 

「~~~~~っ!? ヴィ、ヴィア!? いきなり何を……!?」

 

「アンタが焦る気持ちは、よ~~~~~~~~っくわかるけど、とりあえず落ち着きなさい。リウラには人質としての価値があるんだから、すぐにどうこうされたりはしないわよ」

 

「で、でも……」

 

「『でも』も『しかし』もないわよ。とりあえず落ち着け。落ち着かないと救けられるものも救けらんないわよ。お~ち~つ~け~」

 

わかった(わひゃっら)わかったから離して(わひゃっらはらはなひれ)!」

 

 ヴィアがリリィの頬をびろーんと餅のように横に伸ばしたところで、ようやくリリィがわずかに落ち着く。

 その微笑ましいやりとりを見てわずかに頬を緩ませたシルフィーヌは、すぐに真剣な表情へと切り替えると、疑問を(てい)した。

 

「……それにしても、どうして魔王達は撤退したのでしょうか? たしか、あの小さい魔族達とは仲間なのでしたよね?」

 

「……仲間っていうよりは、“同盟”かな? “魔王様を復活させたい”って目的は同じだけど、私は平穏に生きたいし、ブリジットは好き勝手に生きたいって感じだからね。“利害が一致した”ってだけ」

 

「……ならば、魔王が復活したのだから、それで“同盟を結ぶ理由がなくなった”と考えたのではないか? 魔王を縛ろうとする貴公から引き離すつもりで逃げたのでは?」

 

「う~ん……私は魔王様に絶対服従だから、それは無いと思う。仮にそうだとしても、私の魔力を魔王様に受け渡すのを待ってからするんじゃないかな?」

 

「……その、サラディーネ姉様はお分かりになりますか?」

 

 シルフィーヌがすぐ(そば)に控えて難しい表情で考え込んでいた水精に問う。

 リウラが(とら)われた瞬間からリリィと同様に焦りを募らせていた彼女は、自分以上に慌てていたリリィを見て落ち着き、現在の状況を沈思黙考して分析していたのである。

 

 ティアは難しい表情を崩さないまま答える。

 

「おそらく、だけどね。あのままだと魔王は……」

 

 

 

 

 一方その頃、転移先のとある場所で魔王やブリジットも同様の疑問をオクタヴィアに投げかけており……そして、その答えは至極あっさりと返されていた。

 

「それは、あのままでは魔王様が……」

 

 

 

 

 ――「「……()()()()()()()()()()()()()()()()()です(だと思うわ)」」

 

 

 

 

「は、はい?」

 

「どういうことだ?」

 

 リリィとエステルが呆ける。

 そもそも使い魔として絶対服従を()いられているのはリリィの方だ。『リリィが魔王の良いように操られる』というならば分かるが、その逆とは一体どういうことなのか?

 

 ティアは言う。

 

「覚えてる? リウラが人質になったときのこと。もしかつての魔王だったなら、リリィに対してこう命令していたはずよ? 『人質を無視して、この不届き者を殺せ』ってね」

 

「そういえば……でも、それは魔王様に良心が芽生えていたからで……」

 

「そうね、それは貴女(あなた)の言う通りだと思う。でも、魔王は目覚めたばかりで、良心といっても貴女からわずかに影響を受けたものくらい。自分の命に関わることを無視できるほどの良心ができていると思う?」

 

「それは……」

 

 

 

 

 オクタヴィアは言う。

 

「おそらく、魔王様は“()()()()()()()”のではなく、“()()()()()()()()”のでしょう。そして、その原因は魔王様とリリィとの会話に有ります」

 

「会話だと?」

 

「あの愛情がどーとか言ってた、くっだらない話だろ? そんな話がどうして関係するんだよ?」

 

 とまどう魔王とブリジットに、オクタヴィアは真剣な表情で丁寧に説明していく。

 

「思い出してください。彼女が話した言葉の中に、1つ非常に厄介な()()()が紛れ込んでいたのです」

 

 

 

 ――『魔王様、今、あなたには“良心”が有ります。その“良心”に従って生きてください』

 

 

 

 ティアは言う。

 

「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()

 

「い、いや無理ですよ!? だって、使()()()()()()()()()()()()!? いくら命令したって従えられる訳ないじゃないですか!?」

 

「そうかしら? リリィ、ラテンニールを性魔術で撃退した時、あなたは彼女にどんな束縛(ギアス)をかけたの?」

 

「え、え~っと、たしか魔王様も私も同じ縛りをかけたんですけど……内容は“絶対服従”と“全ての保有魔力の譲渡”です」

 

「そう。なら()くけど――」

 

 

 

 

 ――あなたに絶対服従するよう縛られたラテンニールの魂と融合した魂がいたとしたら……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 魔王は絶句し、己が失態に気づいた。

 

 なぜ、どうして気づかなかった!?

 ラテンニールの魂と融合した瞬間、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 目を見開いて固まる魔王に、オクタヴィアは続ける。

 

「……魔王様。今現在、魔王様もリリィもお互いに対する絶対命令権を(ゆう)しています。この状況を覆す方法は、おそらく唯ひとつ」

 

 

 

 

 ティアは言う。

 

「それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。相手に命令さえさせなければ、自分を操らせることはできない」

 

 

 

 

「魔王様、()()()()()()()()

 

「リリィ、()()()()()()()

 

 

「いかに相手の不意をついて、『命令するな』と命令するか」

 

「相手の居場所を探り、潜伏し、かつ相手よりも先に命令すれば勝利するゲーム」

 

 

「当然、あの人間族の魔術師の妨害はあるでしょう。魔王様が彼女に捕まることも避けなければなりません」

 

「魔王がディアドラに捕まって洗脳されればもちろんアウトだけど、同時にリリィ1人でディアドラと会ってしまってもアウトよ。リウラが人質にされているからね」

 

 

「このゲームで勝利すれば」

 

「この危機を乗り越えさえすれば」

 

 

「「魔王様(リリィ)は、その望みをかなえるでしょう(ことになるわ)」」

 

 

 

 ――以前よりも更に力を持った魔王として君臨し、人間族に復讐するという望みを

 

 ――魔王とともに平穏に生活するという望みを

 

 

 

 


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