「まず、最初に確認しますが、魔王が
「……たぶん無理ね。魔王様の魂を入れたまま無理やり肉体を昇華させたせいか、それともお互いが使い魔の状態になってしまったせいかは分からないけど、うまく魔王様の位置がつかめないわ。おそらく、お互いの意思を届けることも不可能よ。なら、当然、私に命令することも不可能ね」
あの後、リリィ達は改めてお互いの情報を共有した。
リリィ自身の事、ディアドラの事、ティアの事、(原作知識で把握しているが)エステルやシルフィーヌ達、人間族の事情……中には疑いの視線を向ける人物もいたが、少なくともエステルやシルフィーヌは全て信じてくれたようだった。
リリィの回答を聞いて、シルフィーヌ達はホッとする。
使い魔を操る魔術の中には、心話で遠距離から使い魔に命令できるものも存在する。
これで、“
「……エステル様、しばらく私とともに行動してくれませんか? “人質を無視して動ける”と思われている
エステルはリリィからの要請を聞き、即座に首を横に動かす。
「すまないが、それはできない。事がここまで大きくなった以上、もはや私が判断できる水準を超えてしまっている。私は一度ゼイドラムへ戻って指示を仰がねばならん。その代わり、援軍を約束しよう。兄上を呼べるかは分からないが、少なくとも私とほぼ同等の力を持つ弓使いと神官は保証する」
「……」
知っている。おそらく彼女が言うのは、原作に登場したエルフの弓使いティオファニアと獣人族の神官ネリーだろう。
たしかに強力な援軍ではある……が、同時にリリィにとっては大きな不安要素でもある。
義を重んじ、例え魔族であろうとも女子供に手を上げることを
しかし、ティオファニアは目的を達成する為ならば手段を選ばない性格であるため、事が全て終わったら背後から撃たれかねない。
だが、ここでそれを理由に反対することもできない。
知らないはずの知識を知っている、ということは
「申し訳ございませんが、私もエステル様にご同行させていただきます。今の状況でエステル様を1人にするのは非常に危険ですから」
「不要だ、アーシャ。自分の身くらい自分で護れる」
「お言葉ですが、
「む……」
これでアーシャも脱落。
まずい。
たしかにエステルの言うように、“魔王が復活するか否か”という状況は1王女の判断できる裁量を超えてしまっている。
いや、下手すれば王ですら判断できない。周囲の国家の首脳が集まって初めて判断できる案件となってしまった。このままでは各国の勇者達によって、リリィもろとも魔王が滅ぼされかねない。
リリィは心の中で頭を抱えた。
「わたくしは……リリィと共に行動した方がよさそうですね」
「姫様!?」
「いったい何を!?」
しかし、言った当人であるシルフィーヌは落ち着き払って言った。
「サスーヌ、ヴィダル、落ち着いて考えてみて。今、魔王がとるべき行動とは何?」
「……まずは、拠点の確保ですね。魔王の精気がほとんど奪われている以上、
「そうですね。では、その後は?」
「……向こうの作戦にもよりますが、魔王を隠しつつ、私達を分断、もしくは
それを聞いて、シルフィーヌは静かに否定する。
「おそらく違います。先ほど現れた時の様子を考えると、ディアドラは神出鬼没。いつ、どこに現れてもおかしくありません。もし私達を襲うことに集中したら、その隙を突かれてディアドラに魔王を
「し、しかし姫様……魔力など時間をおけば自然回復するのでは……? そうでなくとも魔力回復薬を使えば……」
「それはディアドラ側も把握していることです。つまり、ほぼ確実にディアドラは魔王の魔力が回復する前に行動しようとする。逆に魔王側は、ディアドラが襲ってくる前に魔王の魔力を回復しようとします」
「ところが、魔王側は転送魔術を使って回復薬を取り寄せることができません。こちらには空間転移を把握できるツェシュテルさんが居ますし、あの
ブリジットとオクタヴィアは、ツェシュテルがニアの空間転移を把握する様子も、歪魔の如き優れた空間操作能力を持つニアが、ラテンニールを転移させてリリィにけしかけたことも知っている。
魔王やブリジットの魔力を用いて空間操作系統の魔術を使えば、『自分の居場所は
心話も同じだ。
空間を
「かといって、既に存在する拠点へ直接回復薬を取りに行くこともできません。なぜなら、こちらには魔王の魂を覗き、その記憶の全てを知っているリリィが居るからです。のこのことそれらに足を運べば、待ち伏せにあうだけ。なにしろ、ひとことリリィが声をかけるだけで終わりなのですから。自分達の居場所が発覚することは極力避けなければなりません」
シルフィーヌはリリィをチラリと見ると、リリィはコクリと頷く。
先程、互いの情報を共有し合った際に、リリィが魔王の魂を覗いてその知識・経験を自分のものにしていたことも話してある。
流石にブリジットの拠点については魔王といえども全て熟知しているかは分からないが……仮にブリジット達しか知らない隠し拠点があったとしても、いつの間にかディアドラに部下を皆殺しにされていたことを考えると、うかつに戻ることはできないだろう。
彼女の神出鬼没さを考えると、隠し拠点であろうとも安心はできない。
「拠点に保管している回復薬を頼るのは危険。では、店から調達するなり奪うなりすればいい? これも同じです。店で待ち伏せされたら最後。ブリジット達に店に行くよう頼んで魔王と別行動などしようものなら、魔力を失った魔王が無防備になります。オクタヴィア単体で店に行くならなんとかなりますが……」
シルフィーヌの言葉を受けて、リリィが肩をすくめる。
「たとえ例の闇の索敵妨害魔術があったとしても、“魔神の魔力を回復できる量の回復薬を持って1人で移動”なんて現実的じゃないわね。せめて運搬役と護衛役の2人が必要だわ。もし私やディアドラに見つかってしまえば、魔王様の元にたどり着く前に、簡単に彼女を撃破できる。うまくいけば、オクタヴィアの帰還ルートから魔王様の居場所を推測できるかもしれない……魔王様の身の安全を考えれば、あまりに危険すぎる賭けね」
「はい。そうなると、次に考えられるのは――」
「……居場所を特定されないよう、魔物とかを狩って精気を奪う」
リリィがぼそりと言うと、シルフィーヌは頷く。
「しかし、狩る対象が一般的な魔物では、ディアドラや彼女の操る魔族に対抗する魔力を得るのに、何百頭、何千頭と必要です。それでは到底間に合いません。……となれば残った手段は、おそらく1つ」
「“シルフィーヌ王女を捕らえて魔力を奪う”……? いえ、違うわね。仮に、そこのメイド2人を含めても、とてもディアドラに対抗できるだけの魔力を確保できるとは思えない」
「違いますよ、リリィ。“
そこまで聞いてリリィはハッと目を見開く。
「……魔王様の元の肉体……!」
リリィの発言に“我が意を得たり”とシルフィーヌが頷く。
「魔王の肉体を封印する場所、そして封印強化の儀式を行った場所を知っているのは、この迷宮の近辺ではわたくしだけです。もし、わたくしがリリィから離れれば、わたくしは即座にブリジット達に襲われて、魔術でその場所を吐かされ、魔王の肉体から直接魔力を奪って魔力を回復させるでしょう。なんなら、わたくしを洗脳して直接封印を解かせてもいい。だからこそ、リリィから離れるわけにはいかないのです」
“良心”で縛られているのは、あくまでも魔王のみだ。ブリジットやオクタヴィアが独自に動いてシルフィーヌを襲うことは問題なくできる。
そして、シルフィーヌ、サスーヌ、ヴィダルの3人がかりでも、急激に力をつけたブリジットには
あのパワーアップした瞬間の爆発的に増幅された魔力を見たのだ、それはハッキリと理解している。
エステルやアーシャはすぐにゼイドラムへと戻ってしまい、シルフィーヌの護衛としてカウントすることはできない。
また、エステルクラスの実力者がそうホイホイいるわけもなく、城に戻ったところで戦力にそう大差はない。
つまり、彼女達とともにシルフィーヌが地上に戻っても、シルフィーヌの安全は全く保障されないのだ。
昇華魔術によってブリジットすらも蹴散らせる実力を手に入れ、さらには利害が一致しているリリィであれば、間違いなくシルフィーヌを護ってくれる。
皮肉なことに、先程まで敵対していた彼女の
そして、この提案はリリィ側にもメリットがある。
“人質が通用しない人員”として、シルフィーヌ達がディアドラと戦ってくれるからだ。
ブリジットとオクタヴィアが2人がかりでもどうにもならない魔族を操るディアドラに対して少々不安であるものの、リリィが人質で動けなくなる可能性が高い以上、強力な戦力は有れば有るほど良い。
そこまで話したところで、サスーヌが「そういえば……」と疑問の声を上げる。
「……どうしてディアドラは、人質を盾に『エステル様を斬れ』とリリィに命じなかったのでしょうか? そうすれば、わざわざ逃げる必要もなかったはずでは?」
「……それについては心当たりがある」
その疑問に答えたのはエステルだった。
「奴が何度か気を逸らそうとした瞬間があったのだが、その隙を見るたびに自分は奴に打ち込んでいた……今思えば、あれはリリィに脅しをかけようとしていたのだろうな。自分は気づかないうちに、それを妨害していたのだろう」
エステルの推測は当たっていた。
エステルが斬りかかってからすぐに、ディアドラはリリィを脅してエステルを排除しようとしていた。
しかし、言おうとリリィへ意識を向けようとした瞬間に、エステルが障壁を貫通するような渾身の斬撃を繰り出してきたため、そのたびに障壁を強化したり、回避動作を行ったりしなければならなかった。脅そうにも脅す隙が無かったのである。
だが、魔術師でありながらエステルの斬撃を防げるのは、相当な技量を持つ証拠。
少なくともエステルとほぼ同等の実力を持つ戦士でなければ、ディアドラの脅し文句を封じることはできまい。
やや後方支援に近い魔術師であるシルフィーヌでは、その隙を突くことは不可能。
そして、ゼイドラムへ戻るエステルとアーシャを除外すれば、その役割はサスーヌかヴィダルしか
そして、彼女達はシルフィーヌの傍から離れられない以上、やはりシルフィーヌとリリィが共に居ることが望ましい、ということになる。
ちなみにアイとヴィア、ツェシュテルはアウトだ。
そもそもアイとヴィアはリウラを人質に取られたら動けないし、ツェシュテルは魔王達の居場所の調査を終えた途端、『ご主人様を援護してくるから』と早々に去って行った。
いつの間にかセシル達の気配が感じられなくなっていることから、どうやらニアと戦闘をしながら別の場所へ移動してしまったらしい。
『魔王やディアドラの居場所をつかんだら、仮マスターのアイに心話で連絡を入れる』と言ってはくれたものの、魔神とも戦える彼女が居なくなるのは非常に厳しい。
だが、本来の彼女の主人であるセシルが死闘を行っている以上、無理は言えなかった。
ともあれ、大体の方針は固まった。
――エステルとアーシャは、ゼイドラムへ応援を呼びに行く
――シルフィーヌとヴィダルは、そのままリリィと行動。ディアドラが現れたら即座に攻撃に入りつつ、アイの心話を通してツェシュテルを救援に呼んでもらう
――サスーヌはいったん地上へ戻り、さらなる兵と
――リリィはシルフィーヌ達とともに待機。不意に魔王の命令を受けないよう、可能な限り警戒態勢を維持しつつ、リリィの記憶にある拠点を中心に魔王を捜索
――ヴィアはアルカーファミリーの情報網を駆使して、魔王やブリジットの拠点、各都市の店舗を中心に魔王の情報を探る
――ティアはリウラを取り戻す策を練る
(とりあえずは、これで迷宮内のどこに居ても、こちらが先手を取れると思うけど……)
リリィ側のアドバンテージである人脈を最大限に活かした作戦。
これを覆すことは容易ではない。容易ではないはずなのだが……
(何だろう……
リリィは、漠然とした不安を振り払うことができなかった。
そして、その不安は見事に的中する。
これだけ大量の人員を投下し、ヴィアの情報網を駆使しているにもかかわらず、ブリジット達の目撃情報は
彼女達は、まるで煙の如く姿をくらませてしまったのである。
***
「犬小屋かよ!? なんだよ、この狭い家は!?」
「こら、文句言わないの! ……っていうか、ここ私の家よりずっと広いんだけど、
「へへ~ん、聞いて驚くなよ! あの迷宮の数階ほぼ全域を支配して――」
「おらんだろう、適当なことを言うな。ろくな
「いったい何年前の話だよ!? 今は立派なのを持ってるよ! いつまでも、あの時のボクだと思うなよ!?」
「……それは親のものではないのか?」
「あんな奴のものなんて使うか! ぶっ殺すぞ!? ちゃんと自分の力で奪い取ったヤツだよ!!」
「ま、まあまあ、落ち着いてください。ほら、お茶が入りましたよ?」
「悪いな兄ちゃん。ほら、嬢ちゃん達もこれ飲んで落ち着け」
リリィ達が迷宮を必死で捜索しても、ブリジット達を見つけられるわけがなかった。
当然だ。彼女達は
「ごめんね、エミリオ。急にこの人達を
「いいよ、コレット。この人達、リリィの友達なんだよね? コレットも助けてもらったみたいだし、恩返しの良い機会だよ」
すまなそうにするコレットに対し、笑顔で返すエミリオ。
そう、ここはユークリッド王宮の庭園近くにある庭師専用の住居――エミリオの家。つまりは
魔族を目の
「エミリオ……でしたか? 少しの間、ご主人様方とお話させていただきたいのですが……」
「あ、はい。ちょうど僕もそろそろ仕事に戻らなければならなかったので、庭園に戻ります……コレットと……え~っと、「ヴォルクだ」ヴォルクさんは少しの間、隣の部屋に居ていただけますか?」
「あ、私もいったん家に戻るから大丈夫」
「俺も少し外を見て回っても良いか?」
「……すいません。流石に部外者が王宮の庭園に居ることを見られるとまずいので、ヴォルクさんは家に居ていただけませんか?」
「わかった……すまんな、無理を言って」
「いえいえ。では、みなさん、ごゆっくり」
そう言って、エミリオはスコップなどの道具が詰まった袋を手にコレットとともに外へ。
ヴォルクは隣の部屋へ移動した。
直後、オクタヴィアが
「……魔王様、“縛り”について把握できましたか?」
「ある程度はな。これは少々……いや、かなり厄介だ」
「貴様も分かっていようが、今までならば無視できていたようなことが、できなくなってしまっている。道中、あの人間族の小娘と獣人を魔物から助けてしまったのが良い例だ。どうやら、“助けてしかるべき人物を助けない”ということは“縛り”にひっかかるらしい」
魔王達はディアドラから転移して逃げた後、道中で偶然魔物に追われるコレットとヴォルクに遭遇した。
その時、魔王の身体は反射的にその魔物を無造作に背の触手で串刺しにし、彼女達を救ってしまったのである。
魔力の大半を奪われたとはいえ、元は強大な魔神の肉体。まるで強大な魔力を持つ
その後、助けてもらった恩を感じたコレットと情報収集を兼ねた自己紹介をしているうちに、魔王達がリリィの知り合いであり、手ごわい敵から追われていることを知り、命を救われた恩返しとして地上へと案内された、というわけである。
……ちなみに、嘘は言っていない。その“手ごわい敵”にリリィが含まれていることを言っていないだけだ。
さらに幸いなことに、コレットは迷宮を脱出する魔法具“飛翔の耳飾り”を所持していた。
“飛翔の耳飾り”を使って転移してしまえば、彼女達の脱出の過程を見る者も、彼女達の魔力を探知する者も存在しない。
なぜなら、迷宮に転移門が多数設置され、多くの者が利用している以上、“転移した”という事象だけで、魔王達を探知することは不可能だからだ。魔王達の空間干渉を探知するためには、あくまで“
こうして魔王達は誰の眼にも触れることなく迷宮を脱出し、コレットが記憶する迷宮の入り口……すなわち、ユークリッド王宮の庭園付近の穴へと転移。コレットからエミリオに事情を話して、一時的に匿ってもらっていたのである。
コレットは当初、不便ながらも人目につきにくい狩猟用の山小屋へと案内しようと考えていたのだが、向かう道中で魔族だとバレる危険性から、エミリオが『自分の家をしばらく使ってくれていい』と申し出てくれた。
万が一バレればエミリオ自身への影響どころか国際問題必至のはずなのだが、
「いや、どうしてアイツが“助けてしかるべき人物”なんだよ? ただの人間族だろ?」
「……“助けられる力があるから”だろうな。おそらく、私の魂に影響を与えたリリィの常識やモラルにのっとって判断されるのだろう。事実、先程から試しているのだが、“奴らを害そう”という気がまるで起こらん。私なら、“皆殺しにして拠点を奪う”ことは当たり前だが、リリィの常識では有り得んのだろうな。かといって、それをお前たちにさせることもできん……私がお前たちを止めてしまう」
魔王の分析を聞いたオクタヴィアは、ややあって一つ頷き、口を開く。
「……おそらく、この“縛り”はリリィの“常識”というよりも、“罪悪感”に反応していると思われます」
「はぁっ!? 罪悪感!? アイツにか!?」
ブリジットが、すっとんきょうな声を上げる。
あの意地の悪い戦術を嬉々として使い、口を開けば上から目線の
だが、もろに彼女の魂の影響を受けてしまっている魔王は理解できているようで、苦々し
「オクタヴィアの推測は当たっているだろう。“害そうという気が全く起きない”相手を害そうと意識する時、なんとも言えん奇妙な感情が湧き上がる。おそらくはこれが“罪悪感”というものだろう。……リリィと私の魂が、同じ身体に妙な形で共存していた影響だろうな。奴の価値観が私の価値観と混ざり合っている」
リリィは魔王が創造した使い魔だ。
彼は自身の魂の器たる神核のひとかけらを素に、リリィを創りだした。
彼の使い魔であるリリィは、魔術的に支配される側の立場であるため、通常、魔王の魂に干渉することはできない。
しかし、“リリィの体内に魔王の魂が入る”という本来有り得ない状況が発生したために、それが可能になってしまった。
この状態でリリィが魔王の魂に干渉しようとする……つまり、魔王の魂にリリィの魂が近づこうとすると、リリィの魂の本来の姿である“魔王の神核のかけら”に戻ろうとする現象が発生し、お互いの魂の波長が一致することで、魔王の魂にアクセスできるようになるのである。
この状態は、“魂の融合の一歩手前”とも言うべき状態であり、魂が融合した時のように“どちらかの自我が消失する”ようなレベルでのものではないが、お互いの価値観が著しく歪むほどに互いの魂の影響を受けてしまう。
――魔王に対しては、“良心”や“罪悪感”といった、普段の彼であれば
――リリィに対しては、“必要であれば、人を殺しても全く罪悪感を抱かない”という、人としては異常な精神性を獲得させる
余談だが、幼き日の魔王のように、リリィがブリジットとよく喧嘩するようになったのも、これが理由であった。
「ご主人様、ああ見えてリリィはかなり人間族よりの考え方をします。であるならば、“罪悪感”も持っていてもおかしくはありませんし、それが人間族の常識に基づいたものでもおかしくありません。ましてや、人間族の魂と融合しているならば尚更です。……ですが、それは“
「……リリィとその周りの者達は微妙だな。できるかもしれんし、できないかもしれん。確実に害せるのは私を襲った人間族の魔術師と……あとは、せいぜいそこらにたむろしている魔物くらいか。それら全員に共通しているのは……」
「……魔王様の身を護る分には問題ない、ということですね」
「リリィ達の場合、“私を殺す意図”はないが、“私の意思を曲げる意図”は持っている。これを防ごうとする分には問題ないようだ」
「?」
ブリジットが首を捻っているので、オクタヴィアは補足で説明する。
オクタヴィア達が聞いた、
その方法がどういったものかまではわからないが、もし仮に洗脳の
それに抵抗することはリリィの価値観でも問題ないため、魔王は抵抗することができる、ということである。
「魔王様、確認ですが……“魔王様の魔力を回復するために薬屋を襲う”ことは可能ですか?」
「可能だ」
魔王は、いともあっさりと即答する。
「どうやら“自分が生きるために必要な手段である”と判断できるのなら、無関係な第三者に対する攻撃もできるようだ。ここの庭師たちを排除できないのは、それが『必要』とまでは言えないからだな。……とはいえ、その薬屋を“襲う”ことはできても“殺す”ことはできんし、人質を無視してリリィに魔術師を攻撃させられなかったことを考えると、判断基準はもっと複雑かもしれん」
もし仮にこの家以外に行く場所がなく、さらにエミリオ達が魔王達を追い出そうとしていたのならば、それは“必要”な行為だ。
つまり、魔王は彼らを皆殺しとは言わずとも、排除することはできた、ということである。
同様に、ディアドラにその身を狙われているという状況下では、魔王の魔力回復は自身の身を守るために“必要”な行動に分類される。
よって、“魔力回復薬を奪う”という行動そのものに
とはいえ、それは植え付けた価値観の持ち主であるリリィも重々承知のはず。
店に潜まれたリリィから、不意に『命令するな』とでも命じられればそれで最後だ。
その行動はとりたくてもとれない、というのが現状であった。
ここまで会話を続け、魔王はフッとオクタヴィアに笑みを向ける。
「?」
不思議そうに首をかしげるオクタヴィアに、魔王は言う。
「いや、なに。“お前はブリジットなどにはもったいないほど優秀な使い魔だ”と思ってな」
「な、なにおうっ!? 喧嘩なら買うぞ、このヤロウ!」
額に青筋を浮かべてギャーギャー騒ぐブリジットを無視して、「どうだ、私の使い魔にならんか?」とオクタヴィアに誘いをかけるも、オクタヴィアはふるふると首を横に振る。
「……まあ、お前なら断るだろうな。予想通りではある」
魔王は大してがっかりした様子もなく、ガタリと椅子を動かして立ち上がる。
この家の主のものであろうハンガーにかけられた日除け用のフード付きローブを、持ち主に無断で手に取ると、それを
男性としては非常に小柄であるエミリオに合わせられたであろうそのローブは、魔力のほぼ全てを失って幼い少女の姿になっている魔王の姿を覆い隠してなお余りある大きさとなっており、ちょうどいい具合に全身のシルエットを覆い隠していた。
……見つかったら呼び止められること間違いなしの、怪しさ大爆発な姿ではあるが。
「? どこに行くんだよ」
「確認すべきことは確認したのだ。私はあの庭師を見張りながら策を練る……奴が裏切るかもしれんからな」
魔王達の見ていないところでリリィやその仲間に告げ口などされたら、それだけで魔王はゲームオーバーだ。用心しておくに越したことはない。
バタンと扉が音を立てて締まる。
「……」
ブリジットは先程の剣幕が嘘のように口を閉じ、じっと魔王が出て行った扉を眉をハの字にして見つめ、ポツリと
「……なんだよ。せっかく久しぶりに会えたんだから、もうちょっとかまってくれてもいいのに……」
主の寂しそうな呟きをしっかりと耳に収めながら、オクタヴィアは
***
「……こんなところで何をしている」
魔王は目の前の状況を理解できず、とまどっていた。
ほんの数分前――なるべく目立たぬよう気をつけながら、広大な花園を手入れするエミリオを監視していると、突然彼はあらぬ方向へと歩み始めた。
“これは怪しい”と可愛らしく眉をひそめた魔王が、自身の短い歩幅に少し苛立ちながら後をつけると、庭園からわずかに離れたところの穴の中へと姿が消えていく。
エミリオの気配を追いながら慎重に歩を進めてたどり着いた場所……そこは案の定、迷宮へと続いていた。
あまりに階層が浅すぎて魔物が
“やはりリリィに情報を流そうとしているのか?”と疑いかけたその時、彼はエミリオの気配が移動しなくなったことを感じ、その場所を覗き込んだ。
そこで彼が見たものは……
――エミリオが花の世話をしている姿だった
迷宮の中にこしらえた、簡素ながらもしっかりとした花壇。
その中には色とりどりの花々が咲き誇っており、その種類は王宮の庭園にも劣らない。中には
――こんな場所に、いったい誰が見に来るというのか?
魔王は当然の疑問を抱いた。
つい「いったい何をしているのか」と声を上げてしまうほどに、この訳のわからない行動をする庭師に
その声を聞いたエミリオは、そこで初めて魔王が来ていたことに気づき、照れくさそうに頭を掻く。
「どうしてここに? ……え~っと」
名前を聞いていなかったことに気づいたエミリオが困ったように言葉を
「貴様が怪しげな行動を取ったからな。後をつけさせてもらった。……それで? この花壇はいったい何だ? こんな
清々しさすら感じさせる程に歯に
「これはリリィのための花壇ですよ」
「リリィの?」
魔王は“リリィがここに通っているのか?”と警戒を強める。
しかし、その警戒は
エミリオは語る。
――少し前にリリィがこの庭園にやって来ていたこと
――ある時、落ち込んでいた自分を力強く認め、肯定し、立ち直らせてくれたこと
――その時にリリィが魔族だとばれてしまい、リリィが慌てて逃げてしまったため、お礼も言えずにいたということ
「ただの人間族の女の子でしかないコレットが迷宮に居たのは、リリィを探すため……というのはさっきコレットが話していましたよね? コレットがリリィを連れて来てくれた時に、僕はこの花壇をプレゼントしたいんです。……花を美しく育てること、それを僕の“誇り”にしてくれた彼女に」
「知ってました? リリィは花が大好きなんですよ?」と語るエミリオの笑顔に一切の曇りはないが……これは、かなり危険な話である。
「……貴様、理解しているのか? 匿われている私が言えた話ではないが、このことが明るみに出れば貴様だけではない。貴様以外の親族、へたすれば国にまで“魔族と内通しているのではないか”と疑われるぞ?」
至極当然の意見。
だが、エミリオはその懸念をあっさりと「それはないですよ」と否定した。
「僕が作っているのは唯の花壇です。言い訳なんていくらでもできます。例えば『庭園だけでは育てられる花の種類も限られます。だから、こういう湿度のある場所も必要だったんです。必要があれば、姫様に献上するために……』とか」
「リリィが見に来ているところを見られても、その言い訳で通せるとでも考えているのか?」
「その時は僕が責任を取れば良いだけです。花を育てるしかできない僕に、大した悪事なんてできませんよ。むしろ“魔族に脅された被害者”と思われるかもしれません」
「仮に責任を問われたとしても、家族もいないので、僕1人の命で済むでしょう。他の人に迷惑は掛かりません。……まあ、姫様は無益な殺生を嫌われる方ですから、命を奪われる心配なんて、まず無いと思いますけど」
魔王は庭師の少年の見通しの甘さに、内心で呆れた。
たしかにエミリオは唯の庭師である。
政治的に重要な情報は何ひとつ知らされていないし、誰かを害せる武力も無ければ、魔術で小細工をすることもできない。
だが、だからといって“大したことができない”と考えるのは大間違いだ。
魔王がパッと思いつくだけでも、エミリオを洗脳し、花壇のどこかしらに毒針を仕込ませれば、それだけでシルフィーヌを毒殺できるかもしれない。
……まあ、『お前は花を枯らさないことだけ考えていればいい』と言われ続け、実際“花を育てること”しか教えてもらえなかった彼に、高い防犯意識を求める方が
しかし、そんなエミリオの愚かさなど、魔王にとってはどうでもいいことだ。
それよりも1つだけ、気になることがある。
「……何故だ?」
魔王は“あること”に困惑していた。
「なぜ、貴様がアイツにそこまでしてやる必要がある? 礼なら口で言えば良かろう。物を贈りたいなら手で渡せば良い。こんな
エミリオが用意したリリィへの礼――それは大した身分も持っていない1人の少女に対する贈り物としては明らかに過剰である。
たかだか“慰めた”程度の礼には到底釣り合うまい。
そのように問うた魔王に対する、エミリオの答えはシンプルだった。
「“釣り合う、釣り合わない”なんて関係ありません。ただ僕がそうしたいから、そうしているだけです。……それに」
魔王はわずかに驚く。
魔王の経験上、この手の
なのに、モヤシと表現するに
「ただ友人に会うことが、友人にお礼をすることが罪になる世の中なんて間違っています。僕は自分に恥じることは何ひとつしていません。僕にできることは少ないけれど、魔族に厳しいこの世の中で、あの心優しい女の子を元気づけられるのなら、僕は全力を尽くす……それだけです」
「……………………そうか」
魔王はそう一言だけ返すと、
エミリオには立ち去る魔王の表情は見えない。しかし、言いたいことを言い切った彼の表情に、後悔の色はひとかけらもない。
エミリオは蒸し暑さから額に浮かぶ汗を袖で
その瞳は先程とは打って変わって、まるで赤ん坊に向けるような優しい愛情に満ち溢れていた。
***
「ブリジットちゃん、あの真っ青な
ブリジットは噴いた。
「は、はああああっ!? いきなりなんだよ! っていうか、誰があんな奴……いや、そもそも誰だそんなこと言った奴は!? あと、ちゃん付けやめろ!!」
ただでさえ
いったいコイツの頭の中身はどうなっているのか。いや、そもそも一体誰がこの女にそんな
「なんかオクタヴィアさんがそう言ってたよ。う~ん……聞いたことはあったけど、女の子同士で恋愛かぁ……ほんとにそんなことあるのねぇ……」
「オクタヴィアぁああっ!? 裏切ったな!? いや、アイツあんなナリしてるけど、立派に男だから! 別にボクは同性愛者じゃないぞ!? ……って、違う! ボクは別にあんな奴、好きでも何でもない! ボクはアイツの
まさかの下手人の名前に、ブリジットはびっくり仰天。
直後に同性愛者と勘違いされ、更にはそれを言い訳して自分の恋愛感情を暴露し自爆……もうブリジットのハートはボッコボコである。
吠えた直後、ブリジットは自身の使い魔を探すが、つい先程までそこにいたはずなのに、いつの間にか姿が無い。
いい度胸である。これは
……あと、今の魔王の肉体は女だが、心は男だ。
好きだった男が、たまたま女になっただけ。自分は断じて
「そうなの? オクタヴィアさん『我が主は照れ屋でひねくれているので素直になれず、危うく片方が殺されそうになって、想いも告げないまま永遠の別れになるところだった』って」
「ブッ殺ぉす!!」
ブリジットが危うく真実に
そうか、オマエは内心で自分の主の事をそう思っていたのか。待っていろよオクタヴィア。
ブリジットが頭の中でオクタヴィアの尻に高速旋風脚を叩き込んでいると、コレットが真剣な表情で言う。
「ブリジットちゃん……すぐにでも告白した方が良いよ」
「だ・か・ら! 惚れてないって言ってるだろ!! あと、ちゃん付けすんな!」
「迷宮なんて危ないところに住んでたら……ま、魔物に襲われたりなんかして、今度こそ二度と会えなくなっちゃうかもしれないんだよ」
「聞けよ、人の話!」
「ズルズルの触手に襲われてグチョグチョにされて、一生魔物を産まされ続けて……ああああああああああブリジットちゃんがああああああああ」
「何、想像してんだよ! オマエ、ほんっと失礼だな! あと、ちゃん付けやめろって言ってんだろ!」
ヴォルクと共に迷宮を駆け巡ったコレットは、迷宮の魔物の恐ろしさをとてもよく知っている。
だからこそ、こうして真剣にブリジットに助言しているし……こうして実際に襲われたときのことを想像してもだえ苦しむのだ。
特にあの触手の魔物は怖かった。ある意味、命の危険を感じる魔物以上に怖かった。
「……つーか、オマエはどうなんだよ。このボクにそんだけ偉そうにモノを言えるんだ。ちゃんと告白できてて当然だよな?」
「っ!」
ブリジットが半分照れ隠し、半分話の
言われた瞬間、彼女の脳裏に狼顔の獣人の姿が浮かんだからである。
(私……なんで……?)
ふと浮かんだ疑問は瞬時に氷解する。
コレットは鈍い人間ではない。この状況から自分がヴォルクのことをどう思っているか……その事を理解することは難しくない。
コレットは目を閉じて深呼吸し、そしてイメージする。
先ほど自分が言ったように、自分が何らかの理由でもしヴォルクと二度と会えなくなったとしたら――
スッと
なぜだろう。とても……とても心が静かだ。身体全体がリラックスし、呼吸が自然と深くなっているのが分かる。
コレットが口を開くと、その言葉はするりと滑らかに出てきた。
「そうだね。ブリジットちゃんの言う通りだ。……だから、私……
ブリジットはちゃん付けを訂正することも忘れ、大きく目を見開いて固まった。
***
庭師の小屋の裏、2つの影が重なる。
1つは姦しい人間族の女の、もう1つは狼顔の獣人族の男の。
「……」
ブリジットは草陰から、1人の女の想いが成就する瞬間をまじまじと眺めていた。
正直、あの女の趣味は悪いと思う。あんな獣そのものの顔した相手に恋ができるその感覚がまるで理解できない。
だが、それでもこの光景には心惹かれる……そして、この光景に心から“うらやましい”と感じる。
――“もし、あそこに立っているのが自分とアイツだったら”……そう思わずにはいられなかった
やがて狼男が去り、コレットがこちらへとやってくる。
ブリジットの居場所を知っているのは、元々ブリジットに『ここに隠れて告白を見ているように』と指示したのがコレットだからだ。
人間族に指図されたことに少なからず不快感を覚えたブリジットだったが、1人の女が告白する様子を拝む興味がそれを上回ったため、渋々ながらこうして草陰に隠れることとなったのだった。
コレットが来るのを見て立ち上がったブリジットに、コレットは端的に声をかけた。
「次は、あなただよ」
「ボ、ボクは……」
正直、賭けであった。
もしコレットの恋が破れ、そのシーンをブリジットに見せることになれば、ブリジットは告白する勇気をもらうどころか、逆に告白することに
だが、コレットは賭けに勝った。だからこそ、ブリジットは『ボクはアイツに惚れていない』と照れ隠しをすることもないし、告白することを突っぱねもせず、こうして迷っている。
告白し、その恋が成就するコレットを見て、“自分もそうなりたい”と思ってくれた証拠であった。
「どうして
「……簡単に言うなよ。アイツはボクの事をそういう目で見たことないし、アイツの周りにはボクよりよっぽど美人でスタイルも良い女が掃いて捨てるほどいたんだ。あんなモテなさそうな狼野郎と一緒にするなよ……」
“モテなさそうな狼野郎”というワードには引っかかるものの、コレットは内心でオクタヴィアを思い出し、“なるほど”と頷く。
あんな美人で立派な従者がついているのだ。おそらくブリジットは相当なお嬢様なのだろう。
そんなお嬢様の幼馴染なのだ。おそらくは彼も相当な金持ち。美人でスタイルの良い女性を
幼い容姿の彼が実は成人した魔王で、過去にとっかえひっかえ女を抱いていたとも知らず、そんな考えに至ったコレットは自分の右耳に両手を持って行く。
パチン、と音を立てて何かが彼女の耳から外れる。同じように左耳にもすると彼女は「ちょっとじっとしてて」と今度はブリジットの耳に両手を持って行く。
パチン……パチン
コレットの両手はブリジットの耳から彼女の側頭部へと移っていき、サイドテールで纏めていた紐をほどく。
髪の先端を飾っていたビーズをとり、コレットの頭部を飾っていた羽の形をした髪飾りをブリジットの髪へと挿す。
最後に、少々長い前髪やもみあげの頭髪を、コレットの髪を纏めていた髪留めを使って整えた。
「? オマエ、いったい何してんだよ」
「いいから、ちょっとこっちに来て」
コレットは
「どう? だいぶ良い感じになったと思わない?」
「……」
鏡の中に居たのは、髪を下ろし、翼の意匠の耳飾りと羽の意匠の髪飾りを付けたブリジットだった。
コレットの手の中には先程までつけていたブリジットの装飾品……金の輪のイヤリングと、髪の先端を飾っていたビーズ、そして後頭部を帯のように覆っていた紫をベースに金細工がされた妖艶な髪飾りが握られていた。
あまりに魔族魔族していた容姿――それが、シンプルな白の翼の意匠の装飾品で清潔でさわやかな印象に変わり、髪を下ろしてシンプルな髪留めで纏めたことで、
先程までは“お転婆で我儘な子供”といった感じだったが、これならば“良いところのお嬢様”で通るだろう。
「あの子の周りに、こんな感じの
「……」
――いない
魔王の周りにこんな“人間族っぽい”女性など、いなかった。
いや、戦争で捕らえた人間族の女はいたが、着飾っている者は大抵貴族で、金銀財宝がちりばめられた装飾品を身に着けており、こんな素朴な格好をしている者はいなかった。
庶民ならではのセンス……それがブリジットの幼い容姿にマッチし、これまで魔王もブリジットも見たことがないジャンルの容姿を生み出していた。
ブリジットやオクタヴィアのやや露出が多めで派手で活動的な服装を見る限り、こうした清純さやお
そして、このブリジットの反応を見る限り、その推測は誤っていないだろう。
「もし、いないんだったら私に任せて。あなたに似合う服装もお化粧も、全部私の家から持って来てあげる。……その“武器”を使って戦うかどうかは、あなた次第だよ」
「……」
――1時間後、そこにはブリジットを自分のお古で着せ替え人形にして十二分に楽しむ、とても良い笑顔のコレットの姿があった
***
ほとんどの人間達は夢の中なのか、周囲に人の気配は無いため、ローブは脱いで
別にエミリオの言葉に
彼女が気になっていたのは、エミリオの
エミリオは言った。
『やりたいからやっているだけだ』、『自分のやっていることを許さない世の中の方が間違っている』と。
エミリオ自身は気づいていないが、この考え方は
――“正しさ”というルールに縛られるのが、天使族
――“権力者が敷いたルール”という秩序の中で、自由に動くのが人間族や亜人族
――そして、他人が作ったルールを無視し、己の好きなように生きるのが魔族である
例えば“人を殺したい”と感じた時、天使であれば“私的な感情で人を殺すことは罪である”と自らを戒めるだろう。
人間であれば、“法に触れるから”と怒りや憎しみを抑えるだろう。中には“自分が相手の立場だったら殺されたくないから”と思いやりの精神を発揮するかもしれない。
憎しみが抑えきれなければ、“法の目を掻い潜って”、あるいは“バレないように”殺すこともあるだろう。
だが、魔族にそうした配慮はない。
殺したいときに殺し、奪いたいときに奪う。
悪しき自由、無法の極致――それこそが魔族の思考であり、魔族を除くあらゆる種族から忌み嫌われる理由の一つであった。
魔王が見る限り、本来エミリオにそんな大それた考えを抱く
そんな負け犬をあそこまで変えたのは誰か?
考えるまでもない。
そう、彼は変わった……
今の魔王は、ほぼ全てを失っていた。
ブリジットやオクタヴィアが言うには、かつて魔王の城に蓄えられていた財の全ては、人間族のみならず、わずかに生き残った魔王の部下だった者達にも持ち去られてしまったらしい。
おそらく事実だろう。自分だって、彼らの立場であればそうする。
さらには自分の強大な肉体も魔力も失い、残ったのは魂と
その魔神の肉体だって、幸運が重なりに重なったことで
あの状況がなければ、本当に何もなかった……リリィの奮闘が無ければ、あの状況すらなかったのだが、そこは無視した。
――だが、もし魔王の部下が皆、エミリオがリリィに向けるように、魔王に対して敬意を、信頼を、恩を感じていればどうだっただろうか?
……おそらく財を持ち去られることがなかったどころか、さらに財を蓄え、兵を増やし、一丸となって魔王を復活させるために動いたことだろう。
リリィのように“主の行動を制限する”など思いもよらぬはずだ。
(……そうか。
周囲の状況の変化に関わらず、ただ主の幸せだけを願い、主のためだけに全てを捧げる優秀な使い魔。
彼女に『部下にならないか』と誘いをかけてあっさりと断られたとき、魔王はそれを当然のように受け入れた。
それは、魔王が彼女の能力でも容姿でもなく、その忠誠をこそ最も買っていたからなのだろう。
だが、無意識に“オクタヴィアと同じようになって欲しい”と願って創造した使い魔であるリリィは、そうはならなかった。
ならば、そこには何か原因があるに違いない。
原因は、リリィとほぼ関わることがなかったことが大きいだろう。
教育を施そうにも、戦争が激化したためにその時間が全く取れなかった。きちんと教育を施せれば、どこの馬の骨とも分からない魂の影響を受けようとも、魔王への忠誠は変わらなかったはずだ。あくまでも魂のベースはリリィなのだから。
しかし、それだけではない。
使い魔でない、ましてや“自分に忠誠を誓うよう”教育をしたわけでもない唯の人間であるエミリオが、オクタヴィアほどではないとはいえ、たった1人の魔族のために尽くしているのだ。
では、その原因とは何か?
――『コレットがリリィを連れて来てくれた時に、僕はこの花壇をプレゼントしたいんです……花を美しく育てること、それを僕の“誇り”にしてくれた彼女に』
「……“誇り”……精神的な満足感か?」
そう魔王が呟いたとき、がさりと草むらが動く。
「誰だ!」
考え事に夢中になっていたためか、周囲の警戒が
「……ボ、ボクだよ」
――が、覚えのある声と気配に、魔王はすぐに警戒を解き、そして怪訝な表情をする。
いつもならば堂々と正面から現れてギャーギャーとやかましく喧嘩を吹っかけてくるのがブリジットという少女であるのに、あろうことか草むらに隠れ、今も出てこない。
こんなに不安と緊張を
「……どうした? 何か用があるならさっさと出てこい」
「い、言われなくても……」
再びガサガサと草むらを鳴らして現れたブリジットの姿に、魔王はポカンと口を開いた。
いつもは簡単にサイドテールにくくられていた髪が下ろされ、軽く散髪したのか前髪は丁寧に整えられている。
長いもみあげは三つ編みにされて可愛らしさを強調し、頭部に一輪だけ添えられた白く小さな花が控えめな清楚さを生み出す。
両耳には
首には白いハートの意匠の首飾り。
少し袖やスカートがふんわりと膨らんだ淡い水色の半袖ワンピースは、袖口や膝下まであるスカートの先にフリルがついて、幼い容姿のブリジットの魅力をこれでもかと引き出している。
そして、その
その気性からややきつい印象を受けるブリジットの表情は、コレットの化粧テクによって見事に緩和され、月明かりに照らされた彼女は、まるで妖精のような神秘的な雰囲気を纏っていた。
「な、なんだよ、その顔……ふん、どうせ似合わないってんだろ。自分でもわかってるよ、それぐらい」
「……別に、そんなことはないが……」
「うぇっ!?」
ブリジットが何を考えているのか分からないため、本当に何気なく魔王が返事を返すと、ブリジットは異様なまでに慌てだす。
しかも、慌てて顔を赤くしながら、ただ「あー」だの「うー」だの言ってるだけで用件を何も話さないため、“いったいコイツは何がしたいのか”という魔王の疑問は
その時、ふと疑問に思う。
自分は確かに全てを失った。
だが、
だんだんブリジットの痴態を眺めるのにも飽きてきた魔王は、存在するであろうブリジットの要件を無視し、単刀直入に
「ブリジット」
「は、はいっ!」
妙に緊張して良い返事をするブリジットに違和感を覚えるものの、魔王にとっては
「どうして貴様は私に協力している? いくら私が魔神の肉体を得ているとはいえ、今の貴様なら弱った私を倒すことなど造作もないはずだ。むしろ、放っておけば私は前以上の力を得て、貴様など
「幼い頃から、毎日のように突っかかってきた貴様のことだ。私の事を
『馬鹿言うなよ! 最強のオマエを僕が倒さなきゃ意味ないんだ! ボクはオマエの
――違うだろう
それでは、いつもと同じだ。この関係は決して変わらない。
この関係の居心地が悪いわけじゃない。
いや、正直、認めたくはないが……とても心地良い。それこそ、いつまでもこの関係を続けていたいほどに。
だが、
怖い。とても恐ろしい。
もし自分が好意を告げて、拒絶されたら……そう考えると今すぐにでも逃げ出したくなる。でも、受け入れて欲しい。
そんな2つの想いに挟まれたブリジットの足は、敵を屠る時の強靭さはどこへ行ったのか、ふるふると震えて動かない。
うつむく彼女の表情は、不安で今にも涙をこぼしかねない状態だった。
……が、そんなブリジットの様子を見て何を勘違いしたのか、魔王はこう
「……まさか、気づいていなかったのか? 今更その事に気づいて、自分への怒りに震えているのか? ……阿呆か貴様」
「オマエの事が好きだからだよ、馬鹿野郎!!」
――想い人への怒りに震えた、最低の告白だった